SKYⅡ; Purple
―Ver.1―
 28f6単弦。29f以降全列無柱。音域はスカイギターシリーズ最大の半音40f(E2~G#7)。当初スカラップ加工は無かった。

 1985年1月完成で北米&西欧楽旅のリハーサルにて初めて使用、本番でも数回使われた。U.J.ロート自身はハイポジションにおける速弾きで音程の正確さを確保するのが難しいと語っており、メインとなることはなかった。

 胴材はH.エンゲルケによればアッシュ(Ash)とのこと。北米産のホワイト・アッシュ(White Ash)か北米南部または欧州産のスワンプ・アッシュ(Swamp Ash)かは不明。アッシュは家具や合板、野球のバット等に使われる木材で、ソリッドボディ型ギターでもフェンダー社がテレキャスター(Telecaster)や初期のストラトキャスターで使用したことから広く知られているが、個体差が激しいことでも知られ、重量が1㎏以上違うこともあるとのこと。ギターへの採用理由は不明だが、当時は入手が容易すかったことや木目が注目されたと言われている。日本産アッシュには塩地(Shioji)、(Toneriko, Japanese Ash)、谷地梻(Yachidamo)、青梻(Aodamo, Kobano-toneriko, Aodako)が存在。同様に野球のバットとして使われ、プロ野球のオールスター・ゲームでは毎年青梻の記念植樹が行われている。

 弦蔵表側と指板はエボニーで棹はメイプル。弦長はドルフィンと同じだが棹胴接続部付近の背部がヒールレス加工で仕上げられている。接続位置はドルフィン同様低音側19f高音側23f。ポジションインレイは表面・側面ともドットタイプだが、表面12fのみ渦状銀河を図案化した意匠になっている。PUはフロント及びセンターにフェンダー製のシングル、リアは北米楽旅時にセイモア・ダンカン(Seymour Duncan)からPUを進呈され、その後フロント、センターも含めてスカイ向けに作られた数種類の特注品を試している。 制禦系はドルフィンと同様ヴォリューム1つとトーン2つだが、5セッティングPUセレクターが採用されている。

 名称は英語で「紫(murasaki, Purple)」を意味しており、響胴の彩色を元に名付けられたと推定される。当初「マーク・トゥー(Mk. II)」と呼んでいた他は「スカイ・トゥー(Sky II)」や「2本目(Second one)」「次の(next one)」「もう1本(another one)」等ドルフィンを前提に比較した言い方をしており「パープル」という名称がいつ生まれたのかは不明。少なくとも1993年12月までに命名されていたことが雑誌記事より分かるものの補足による登場のみで、U.J.ロート本人のコメントとしては2003年の公式サイトにおける言及が現状確認の範囲内では初となる。

―Ver.2―
 詳細は不明だが1986年頃には28fを1~2列目のみ残してフレットを除去、更に1~2列目に29fを増設したとみられる。これにより4~6列目はスカイギターで初となる全音間隔配置が誕生、またS字を模した義甲板(Pick guard, ピックガード, 護板)兼装飾板も黒から白に変更したと推定される。この部分はストラトキャスター同様PUや制禦系の固定に利用される。合わせてワーミィ・バー先端のカバー・キャップも黒から白に変更。また、PUは1989年までにディマジオ製で最も出力の高いX2Nに交換されている。
 なお、指板の途中で同じポジションでも弦列によってフレットの有無が異なる変則仕様は通常の平均律に拠らないフレットを採用したギターや全音階、微分音を用いる音楽で使用される楽器に見られる。例えばマケドニア共和国(Macedonia)のタンブーラ(Tambura)の6f以降での全音階と半音階の混成、トルコ共和国(チュルク, Türkiye Cumhuriyeti)のサーズ(Saz)の金属フレット仕様など。サーズは大型がディワン(Divan)、中型がバーラマ(Bağlama)、小型がジュラ(Cura)、メイダン(Meydan)と同属楽器が数種類存在しており、複弦または三重弦、両者混成の3コース撥弦楽器。

 

―Ver.3―
 1989年、U.J.ロート宅を訪れたH.エンゲルケが興味を示したことから製作費相当の金額で譲渡、1994年まで彼のメインギターとして使用された。

Basse de Violever.3
 譲渡後のパープルに仕様変更があったかは不明だが、パープルのテンション・スプリングは少なくともH.エンゲルケ所有時は3本。使用弦はディマジオの0.010吋のセット。またこの頃には1~2列目の半音28fが除去され27~28f間を全列全音間隔、センターPU部分のみ1列目を除き指板を除去、指板がスカラップ仕様に変更されている他、1列目の無柱部分もリア直上は薄く削られ27fより上の全音間隔相当の部分に細い金属を埋め込んでポジション・インレイ代わりとしているが、これが譲渡前になされた変更なのか譲渡後になされた変更なのかは現在調査中。なお、金属が埋め込まれている位置は半音で31f(B6)、33f(C#7)、34f(D7)、36f(E7)。

―Ver.4―
 『FIRE WIND』のデジタルリマスターの際、「Tune of Japan」のソロパートにパープルを使った即興的なソロを弾いているとのことから2000年ごろ3号機エンペラーと共にU.J.ロートに再譲渡されたと推測される。再譲渡後の仕様に変更があったかどうかは不明であるが、ドルフィン及びエンペラーの仕様変更を考えるとメガウィングが搭載されている可能性は高い。

 ちなみにパープルで利用されている有柱指板と無柱指板の組み合わせという発想は、バロック音楽以前に隆盛を誇ったヴィオル等に既に見られ、U.J.ロート独自の技術というわけではない*7 。ギターでは20世紀初頭に 医学博士で日本海軍大佐だった佐藤 篤(Atsushi Satou)が設計したピタゴラス音律フレット配列の21f+無柱の約25f6単弦ギターが存在している。この指板の有柱部分は階段状になっている。外観がヴィオロンに似ているところからヴィオロンチェロの指板にフレットを埋め込む発想で生まれたのかも知れない。別の宮本金八(Kimpachi Miyamoto)製ピタゴラス音律21f6単弦ギターでは瓠形を採用している。

 このような変則指板をU.J.ロートは1985年頃「ヴァイオリン・フレット(Violin fret)」と呼んでいたと日本語誌で補足されることもあるが、英語誌では当時から既に「無柱指板(フレットレス・フィンガーボードFretless fingerboard)」という表現を用いており、特に独自の名称を持っていたのではなく便宜的な説明だったのではないかと思われる。またH.エンゲルケは紫檀(Shitan, パリサンデルPalisander, イースト・インディアン・ローズウッドEast Indian Rosewood)製指板と語ったこともあるが、U.J.ロートは一貫してエボニーと述べているところから勘違いしたものとみられる。

 指板材としてのローズウッド使用もモダン・スペイン・ギターやモダン・ソプラノ・ヴィオロン等では一般的ではないが、 バロック以前のヴィオロンでは用いられており、ボックスウッドやナシ等も使用された。糸巻や緒留(テールピースTail piece)などの部品には現在も見られる。通常は箪笥等の家具に利用。 またモダン・スペイン・ギターを確立したA.トーレスや同時期のV.アリアス、マヌエル・ラミーレス(マヌエル・ラミレス, マヌエル・ラミーレス・デ・ガラレータ・イ・プァネルManuel Ramírez de Galarreta y Planell)、マドリー出身のエンリケ・ガルシーア(Enrique García)等の初期のギターにも非エボニー製の指板は存在した。 エボニーは指板以外の楽器の構成材や家具でも広く利用されている。

 なお、乾燥に時間を要するものの狂いが少なく不朽性も高いハカランダ(Jacaranda)は別称をブラジリアン・ローズウッド(Brazilian Rosewood)といいスペイン・ギターで高級材として特に好まれる。インディアン・ローズウッドとは同属の産地違い。ハカランダは 成長が遅く幼木からだと木材として使用出来るようになるまでに200~300年かかるとのことで、1992年以降ワシントン条約(絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約Convention on International Trade in Endangered Species of Wild Fauna and Flora)による輸出規制が行なわれた。一部大手企業が大量に仕入れた在庫が稀に放出される他は入手困難になっており、メキシコやパナマ共和国(República de Panamá)、コスタ・リカ共和国(República de Costa Rica)、コロンビア共和国(República de Colombia)といった地域で産するココボロ(ココボラCocobola, サザン・アメリカン・ローズウッド, 中南米ローズウッドSouthern American Rosewood)やアマゾン・ローズウッド(Amazon Rosewood)、またアフリカ南東部沖インド洋のマダガスカル共和国(マダガシカラRepoblikan'i Madagasikara)に産するマダガスカル・ローズウッド(Madagascar Rosewood)も代用材として使われているようだ。 同様に表面板として使用されるスプルースも枯渇により以前より値上がり及び品質の低下が進んでいるとのこと。

※パープルVer.1を聴くことの出来る音源
 スタジオ録音には使用せず。

※パープルVer.2を聴くことの出来る音源
 スタジオ録音には使用せず。

※パープルVer.3を聴くことの出来る音源
 FAIR WARNING 『LING GONE』 (1992年、WEAジャパン)
 FAIR WARNING 『FAIR WARNING』 (1992年、WEAジャパン)
 FAIR WARNING 『IN THE GHETTO』 (1993年、WEAジャパン)
 FAIR WARNING 『LIVE IN JAPAN』 (1993年、WEAジャパン)


※パープルVer.3を視聴可能な映像
 FAIR WARNING『CALL OF THE EAST』 (1993年、VHS/DVD)#2「Out on the Run」, #3「Longing for Love」, #4「When Love Fails」, #12「The Eyes of Rock」, #13「One Step Closer」, #14「A Little More Love」, Ex05「Mickey's Monkey


※パープルVer.4を聴くことの出来るCD
 ELECTRIC SUN『FIRE WIND』#9「"Hiroshima -b)Tune Of Japan"」(2002年、Steamhammer)

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*7
Marin Marais
 写真はバス・ドゥ・ヴィオル(仏語Basse de Viole, バス・ガンバBass Gamba)の7単弦仕様(弦長約710㎜)。他に5単弦仕様も存在するが、一般にヴィオルは6単弦仕様で、バスに7列目を追加したのはマラン・マレ(Marin Marais)やダノヴィル(Danoville)、メリトン(Meliton?)、デ・フォンテーヌ(de Fontange?)、ムラン(Moulins)出身のジャン・ルソー(Jean Rousseau)等の師にあたる17世紀リヨン(Lyon)出身のヴィオル奏者、サント=コロンブ(オギュスタン・ドトルクル"Sainte-Colombe" Augustin Doutrecourt)。師弟共に7単弦仕様を利用しその後フランスで広まっている。M.マレとサント=コロンブの師弟関係は1990年にフランスのアラン・コルノー(Alain Corneau) 監督が制作した映画「めぐり逢う朝(Tous les matins du monde)」に描かれて注目された。同作品は翌1991年にルイ・デリュック賞(Le Prix Louis-Delluc)を受賞し、1992年2月に開催された第42回ベルリン国際映画祭(Internationale Filmfestspiele Berlin)ではコンペティション部門で上映されている。なおサント=コロンブはMonsieur de Saint-Colombeのようにムスィウ・ドゥ(Monsieur de)を付して書かれることが多いが、これは英語のミスター(Mister)に相当する敬称であって名前の一部ではない。ダノヴィルのLe Sieur Danovilleの場合も同様。

 ヴィオルは14世紀頃アラゴン王国(Reino de Aragón)でレベック(Rebec, ラベルRabel, ギーゲgige, ギーゲgigue, ガイゲgeige)に使われる弓奏技術をヴィウエラに持ち込んだところから生まれたヴィウエラ・ダルコを改良した弓奏特化型とみられるが、更に遡るとそもそもヴィウエラがレベックを指で弾くようになったところから分化した楽器である可能性もある。レベック自体にも後に大型のバス楽器が造られ、ドイツではバス・レベックをクライベ・ガイゲ(Kleibe geige)、バス・ヴィオルをグロセ・ガイゲ(Große geige)と区別していたようだ。小型の物は13世紀までには存在しており、アラブ人が使っていたアッラバーブ(الربابal-Rabāb, رباب, Rebap, Rabāb, Rebeb, Rabābah)がイベリア半島経由で伝わったものとみられる。

 日本語では「ヴィオール」と伸ばして書かれることも多いが、[viɔl]の発音に従って本稿では伸ばさずに表記する。 なお独語でバス・ヴィオルといった場合バス・ヴィオロンやヴィオロンチェッロを指しており、仏語のバス・ドゥ・ヴィオルに当るバス・ヴィオルを指す場合はヴィオラ・ダ・ガンバを、コントラバス・ヴィオルを指す場合はヴィオローネを使っているケースがあるので注意が必要。 言語的には英語ヴァイオル=仏語ヴィオル=伊語ヴィオラ、英語レッグ・フィドル=仏語ヴィオル・ドゥ・ジャンブ=伊語ヴィオラ・ダ・ガンバだが、 楽器に関してはヴィオルとヴィオラは別物、ヴィオラやヴィオラ・ダ・ガンバはそれぞれ特定の楽器を指して固有名詞的に使用している。本稿では 混乱を避ける為、常にヴィオルとヴィオロンで区別する。

 ヴィオルのイタリアへの伝播はスペインの貴族ロドリーゴ・ランソル・イ・ボルジア(Rodrigo Lansol y Borgia)が1492年にアレクサンデル6世(Alexander VI)としてローマ法王に就任した際にヴィオル奏者を随行させたのが最初と言われている。教会の世俗化や息子と共に苛政を行なった人物として歴史的評価はあまり高くないようで、当時も宗教改革者ジローラモ・サヴォナローラ(Girolamo Savonarola)と対立し破門に処している。G.サヴォナローラはルネサンスの芸術や科学に強い影響を与えているとのことだが詳細確認中。また1493年にはイタリアで等身大のバス・ヴィオルが存在したという記述もあるようだ。

Violon & Viol
 モダン・ヴィオロンのアルト楽器とソプラノ楽器、17世紀ヴィオルのソプラノ楽器。ソプラノ・ヴィオルの弦長は約355㎜でモダン・ソプラノ・ヴィオロンより25㎜ほど長い。外観は似るがソプラノ・ヴィオルの方が厚い。ソプラノ・ウクレレ(Soprano 'Ukelele)も弦長が340~350㎜前後と近いが、緒留を持たない分全長は短く、弦高も低いので両者より小さく感じる。
 通常「ヴィオラ・ダ・ガンバ」という名称はバス・ヴィオルを指して使われるが、ヴィオルにはバス(弦長約685~705㎜)の他4度上のテノール(Tenor, 弦長約540㎜)や5度上のアルト(イタリアではテノールとアルトは同じ)、バスのオクターヴ上のソプラノ(Soprano, トレブルTreble, ドゥシュDessus)があり、同属楽器合奏(コンソートConsorts)に用いられた。フランスで棹胴接続に角度をつけて弦高を上げたことによる音量増加、指板を薄くしたことによる高音域の操作性向上、下駒の回転半径縮小といった改良がなされたことで後に独奏楽器としても使われ、ドゥシュの低音弦D3&G3の2本を減らし高音弦に1本G5を追加した5単弦パルドゥシュ(Pardessus, 弦長約325㎜、本稿では以下ソプラニーノとする)が流行した。これは高域拡大の他にハイポジションを使わずに高域演奏を容易にする目的や弦圧による音色の変化を容易にするといった目的があったとの指摘がある。イタリアでのソプラノ・ヴィオロンに相当する位置付けだったようで、ソプラノ・ヴィオロン曲が演奏された他トム・マルク(Thoms Marc)やジャン・バリエール(Jean Barrière)等がパルドゥシュ向けの楽曲を書いている。

 またバスも独奏や通奏低音(バッソ・コンティヌオBasso Continuo)で活躍したが、フランスでは18世紀中頃までに主要な役割を音量的に有利な膝臏夾立式ヴィオロンチェロに譲り楽壇の中心からは退くことになる。フランスのヴィオル導入は17世紀前半と遅かったが、独奏や和音を使った奏法が発達した。一方最初に流行したイタリアでは16世紀に合奏で用いられ17世紀半ばにバス・ヴィオロン、18世紀にはヴィオロンチェロが主流となる。イギリスはイタリアに次いでヴィオルが広まり、変則調弦や即興的な分割装飾が好まれそれに適した仕様の亜種も生まれた。ドイツでは16世紀末頃イギリスから伝わりアイゼナッハ(Eisenach)出身の作曲家&鍵盤・ヴィオロン奏者ヨハン・セバスティアン・バッハ(Johan Sebastian Bach)は7曲のカンタータとマタイ受難曲、ブランデンブルク協奏曲第6番等で、ゲオルク・フィリップ・テーレマン(Georg Philipp Telemann)はパリ四重奏曲で、イタリアのソプラノ・ヴィオロン奏者・作曲家ジュゼッペ・タルティーニ(Giuseppe Tartini)やヨハン・ゴットリープ・グラウン(Johann Gottlieb Graun)は協奏曲で使用している。その後ヴィオロンチェロが主流になっても完全に絶滅したわけではなく19世紀以降ではオランダのパウル・デ・ウィット(Paul de Witt)が演奏をしていた他、作曲なども続けられ現在に至っている。ヴィオロンはヴィオルの響胴形状に影響を受けているが、逆に脚棒がヴィオルに導入される場合もある。

 一方最低音楽器に当たるバス・ヴィオルの中でも大型のものはヴィオローネ・グランデ(Violone grande, コントラバス・ヴィオル)と呼ばれヴィオロンの構造に影響を受けたコントラバス・ヴィオロン(Kontrabass, グロス・コントラ=バス=ガイクGroß Contra-bas-Geig, コントラバッソContrabasso, バス・ド・ヴィオロンBasse de Violon, ダブル・ベースDouble Bass)の祖先とされる。コントラバス・ヴィオルの調律は様々だったようで、イタリアではバスの5度下G1-C2-F2-A2-D3-G3等、フランスに最初に入ってきたヴィオルは大型の5単弦でE1-A2-D2-G2-C3だったようだ。間もなく6単弦化しバスと同じになったというが、バスと同じ音高なのかオクターヴ下のD1-G1-C2-E2-A2-D3なのかは調査中。

各種4度調弦ヴィオルの調弦例
D1 E1 G1 A1 C2 D2 E2 F2 G2 A2 C3 D3 E3 F3 G3 A3 B3 C4 D4 E4 G4 A4 D5 G5
※M344H Sopranino
※M344L Soprano
Alto
Tenor
Bass
※M34L Contrabass
※M344L
※44
※M344H: 長3度~4度~4度調弦+4度高音追加。
※M344L: 長3度~4度~4度調弦+4度低音追加。
※M34L: 長3度~4度調弦+4度低音追加。
※44: 4度調弦。

 なおヴィオローネ・グランデは単にヴィオローネとも呼ばれることから名称だけで直ちに大きさや音域が判断出来ず、記述の判断には注意を要する。またヴィオローネという名称が大型のバス・ヴィオルに限定されるようになったのは16世紀以降でそれ以前は大型ヴィオル全体に使われ、イタリアやドイツではモダン・ヴィオロンチェロ程度のヴィオロンより大型の物全般に対してヴィオローネという名称を用いていることもある。ソプラノのオクターヴ下の調弦を持つテノール音域のヴィオロンに対してもヴィオローネとしている記事もあり確認中。また時代に限らず「コントラバス」と記述されている記事は、コントラバス・ヴィオルやバス・ヴィオル、バス・ヴィオロン等現在と仕様が違うものも含めた類似の低音楽器全体を指して使われているケースがあるので、19世紀以前の楽器を扱った記事を読む際には注意を要する。「ベース」に関しても同様で、20世紀後半以降はコントラバス・ヴィオロンの場合とエレクトリック・ベースギターの場合、両方含んでいる場合がある他、音域や役割に焦点を当てた言い方の場合管楽器のテューバがベースとして記述される場合があり、対してコントラバス・ヴィオロンを弦バス(ストリング・ベースString Bass)と呼ぶこともある。

17c. Contrabass Violon17c. Bass Violon
 双方とも指板は14~17fほどで5単弦仕様。コントラバスはローポジションにフレットが巻かれてある外形は現代の物と似ているが、響胴下部の横幅が狭い。なお楽弓の左側に描かれている小物はストリング・ワインダー。梃子の原理によって少ない力で容易・精密に糸巻を回転させるための補助具で、現代でも同じ原理の類似品がギターでは弦交換時に、糸巻に取っ手がないタイプのピアノやハープ等では調律時に使われる。
Contrabass ViolonCotrabass Viol
 バス・ヴィオロンやコントラバス・ヴィオロンは17~18世紀にはヴィオロンチェロの低音補強のみだったが、18世紀後半になると独立パートを持ち始め弦楽5部構成となり、また独奏もされるようになる。17世紀から5単弦や4単弦仕様は存在しており、特に17世紀のドイツでは5単弦仕様が多かったようだが、18世紀後半には見られなくなっていたという。理由は弦列が多いと隣接弦との接触の可能性が高まり雑音が生じるという運弓上の問題等があったようだ。

 現在は一般に全長約2000㎜、弦長1020~1080㎜となっているが、規格外の物としては1851年(1855年の記述もあり確認中)のロンドン万国博覧会でフランスの楽器製作家ジャン=バプティスト・ヴュイヨーム(Jean-Baptiste Vuillaume)による全長約4000㎜の7f+無柱3単弦コントラバス・ヴィオロン「オクトバス(Octobasse)」が披露されメダルを獲得しており、1889年にはシンシナティ(Cincinnati)の音楽祭で全長4800㎜のコントラバス・ヴィオロンが特別展示されている。大きさを利用した演出としては17世紀初頭に御前演奏で響胴内に少年を隠し、外見上2人による少年ソプラノ歌手、成人テノール歌手、コントラバス・ヴィオロンによる3声の演奏が行なわれたという話も伝わっている。

 この逸話の出所は数学史上にも名を残しているオアゼ(Oizé)出身の僧侶マラン・メルセンヌ(Marin Mersenne)のようで、ガルニエなる人物がブルボン朝初代アンリ4世(Henri de Bourbon)妃マルグリット(Margueritte de Valois)の御前演奏で行なったものということだが、彼女に仕えたヴィオル奏者グラニエ(Granier)と、娘のアンリエット・マリ(Henriette-Marie)が後の清教徒革命勃発の原因となるステュアート朝第10代チャールズ1世(Charles I)の元へ嫁ぐ際に随伴した音楽家ジョン・ガルニエ(John Garnier)とがいるようで詳細確認中。

 また実用的な改良としては携帯用に分解出来る楽器も考案され、F. J.ハイドン指揮のエステルハージー侯(Esterhazy)楽団コントラバス・ヴィオロン奏者ヨーゼフ・ケンプファー(Josef Kämpfer)が26本の螺子による組み立て式を、ロシア宮廷楽団コントラバス・ヴィオロン奏者アントニオ・ダロッカは分離式桿棹の楽器を用いたことがある。携帯目的の分離式桿棹は三味線にも備わっており、こちらは現在でも使用されている。古典落語には薬箱を最近出来た携帯用の三味線と勘違いする作品があることから、江戸時代に開発された可能性もあるが、時代考証より物語の構成を優先させる分野のため断定は出来ず、開発された時期ついての詳細は調査中。参考情報としては西洋楽器で管楽器の分割管に1本の木材で管体を作るより楽器として有用な部分を厳選して組み合わせる方が上質の物が出来るという考えがあり、また弦楽器で元々一木造だった表面板と力木を別材から選び出して接着させるようになった経緯も同様の理由によるとのこと。三味線の桿棹で使用される紫檀等は高級材なため良質で大きな木材を入手するより小さい木材から厳選して組み合わせる方が音色・経費共に効率がよく、また反りや捻れ、歪みといった木材の経年変化にも修正が効き易いといった利便性が評価された可能性がある。

 ギターはその大きさからそれ自体携帯性はあるが、F.ターレガは更に小型の物を1878年に入手し練習用として携帯していた。またF.リストは馬車の中に固定可能な携帯用無音鍵盤を所持、W. A.モーツァルトはクラヴィコードを旅先に持ち歩いた。初期のクラヴィコードは浅い篋形で小さく軽量だったことから、独奏や家庭用の他に旅行用にも使用されていたようだ。演奏の際には専用の演奏台に載せていた。脚部が附属した物も18世紀には誕生しており、18世紀半ばには足鍵盤付ペダル・クラヴィコードも登場、オルガン奏者の練習用に使用された。ベブング(Bebung)と呼ばれる押手でヴィヴラートをかける奏法も可能になり、J. S.バッハは「半音階的幻想曲」や「フーガ ニ短調」の長音に使用しているとのことで確認中。クラヴィコードは16世紀スペインや17~18世紀のドイツ等で特に人気があったが、18世紀半ばにピアノが発展し始め、会場の大型化が進むと衰退していった。

 古来では馬上で琴を弾いたところから琵琶が生まれたという伝説や鞭の柄から笛を造った等の話があり、移動と楽器の形状や用法の関わりは深いようだ。娯楽・祭事・軍行目的での野外行進演奏も古代エジプトの頃から現在まで行なわれており、このような場所でも携帯性や音量と使用楽器の選定や形状の決定、楽器改良の動機と関係している可能性が高い。軍楽では行進の際に朝顔の向きを統一するという目的で管楽器の選定が行なわれることもある。また現在でも移動中や夜間の練習を目的とした軽量楽器や消音器具、小音量楽器は多数開発されている。舞楽伴奏・練習用ではかつてポシェットと呼ばれる小型ヴィオロンが使用されており、腕上抱撮式ヴィオロンのように立奏を前提とした演奏スタイルが弦楽器に生じたのも舞楽との関わりは考えられる。撥弦楽器でも腕上抱撮式で弦蔵を響胴より低い位置に構える方法が古代エジプトで既に現れ、現在でも琉球三線やスペイン・ギター等でストラップを使わない立奏の際に見られる。

 移動に関連する話では、拍の強弱がヨーロッパの場合馬上での弾みの感覚から来ており、一方日本では多くが農民だったことからこの習慣は現われなかったという指摘がある。これは田植え歌を唱う際は重心が低く弾みが生じにくいということで、太鼓でも手首の弾みが消されている。ただし山間部や乗馬の習慣が多かった地域ではこの限りではなく音楽面でも強弱が現われ、また沿岸・島嶼部では波のリズムに影響されているとのこと。このような説の真偽・具体事例等は確認中。

 なおF. J.ハイドンはコントラバス協奏曲(想定楽器確認中)を作曲している他、交響曲第6番、7番、8番、31番、72番にもソロパートを設けている。18世紀末のウィーンではこの他ヴァルチツェ(Valtice)出身のコントラバス奏者(楽器確認中)ヨハネス・マティアス・シュペルガー(Johannes Matthias Sperger)の自作自演によるコントラバス協奏曲(想定楽器確認中)が18曲披露された。彼の師にあたるフリードリヒ・ピッシェルベルガー(Friedrich Pischelberger)、またJ.ケンプファー等も含めてW. A.モーツァルトにも影響を与えオブリガート・コントラバス付き演奏会用アリア「このうるわしき御手と瞳のために(Per Questa Bella Mano K. 612)」(想定楽器確認中)が作曲されている。19世紀イタリアではクレーマ(Crema)出身のコントラバス&ソプラノ・ヴィオロン奏者・指揮者のジョヴァンニ・パオロ・ボッテジーニ(Giovanni Bottesini)がG. F. F.ヴェルディと親しく、ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare)の戯曲「オセロ(Othello)」を元にした歌劇「オテロ(Otello)」第4幕等に影響があると言われている他、歌劇「アイーダ(Aida)」の初演も指揮している。

 コントラバス・ヴィオロンの弦列については4単弦仕様のイメージが強いが、大きさや音質の問題から19世紀まではイギリスやイタリア等で3単弦仕様も多く製造されており、L. v.ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」の第3楽章や交響曲第9番 ニ短調 作品125「合唱付」(シラーの頌歌『歓喜に寄す』による終結合唱を持つ、大オーケストラと4部独唱及び4部合唱の為に作曲され、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンによって、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルムIII世陛下に最も深い尊敬の念を以って献呈された交響曲 作品125Sinfonie mit Schluß-Chor über Schillers Ode: "An die Freude" für großes Orchester, 4 Solo- und 4 Chor-Stimmen, componirt von Ludwig van Beethoven, Seiner Majestät dem König von Preußen Friedrich Wilhelm III. in tiefster Ehrfurcht zugeeignet, 125tes Werk)の第4楽章終結部分のコントラバス・ヴィオロン・パート作成に影響を与えたと言われるコントラバス・ヴィオロン奏者ドメニコ・ドラゴネッティ(ドメニコ・カルロ・マリア・ドゥラゴネッティDomenico Carlo Maria Dragonetti)も3単弦仕様を利用していたようだ。この他L. v.ベートーヴェンのヴィオロンチェロ・ソナタを本人のピアノ伴奏に合せてコントラバス・ヴィオロンで初見・実音演奏したという逸話も残されているが詳細確認中。弓奏はヴィオルの名残を残す逆手のドイツ式手握法を使用、別名ドラゴネッティ式とも言われる。楽弓そのものの改良にも携わりドラゴネッティ型楽弓は20世紀前半頃まで広く使用された。 逆反り形の現代ドイツ式楽弓もイタリアで生まれた物とのことで詳細確認中。毛の長さは通常22インチ。 なおヴィオロンチェロと同様順手(over hand)のフランス式手握法はG. P.ボッテジーニが導入し確立したとされる。ソプラノ・ヴィオロンのトゥルテ型楽弓の影響でコントラバス・ヴィオロン向けの物も開発されていたようだが、当初評価は低かったとのこと。G. P.ボッテジーニがこの奏法を採用したのは、元々ソプラノ・ヴィオロン奏者だったことが影響していると思われる。膝臏夾立式ヴォオロンチェロでも18世紀までは逆手が行われていた。ちなみに彼が用いたカルロ・ジュゼッペ・テストーレ(Carlo Antonio Testore)製コントラバス・ヴィオロンも3単弦仕様だった。

 低音楽器での3単弦仕様は古くから存在し、バス・ヴィオロンやヴィウエラ形楽器にも見られる。コントラバス・ヴィオロンの場合イギリスでは4度調弦のA1-D2-G2が、イタリアでは5度調弦のG1-D2-A2がとられる傾向にあり、パリ音楽院でも初期には採用されてG1-D2-A2、C1-G1-C2といった5度調弦が取られたようだ。4度調弦の4単弦仕様(E1-A1-D2-G2)は1802年にコッホ(N. W. Koch)が書いた『音楽辞書(Musikalishes Lexikon)』に既に見られ、独墺等では19世紀以前から5単弦仕様と共に好まれていたが、ヨーロッパ全域で普及したのは19世紀後半になってからとのこと。定着した理由は19世紀になってテューバやサクソルン等管楽器での低音仕様が発達したことやリヒャルト・ヴァーグナー(Richard Wagner, ワーグナー)が4単弦仕様を常用させた影響によるとのことで詳細確認中。音域だけなく操作性の観点からも弦長が長いため押弦上4度調弦にして、かつ5度調弦のブルドンを確保出来る4単弦仕様にした方が楽になるという面がある。

カポタストタイプの拡張装置
 この楽器では高音にC3を追加した5単弦 コントラバス・ヴィオロンのE1弦にB0まで半音ごとの調整が可能な 拡張指板を、D2弦に全音でC2への調整が可能な拡張指板 を備えている。
 同様に音域や操作性の理由で、交響楽団(Symphony orchestra)でヴィオロンチェロのオクターヴ補強の役割から利用される機会が多いC1を調律の変更なく対応するための折衷案として変則的4度調弦5単弦仕様(C1-E1-A1-D2-G2)が存在しており、20世紀後半以降交響楽団では5単弦仕様が主流となりつつある。同時に4単弦仕様の楽器でも調弦を変更せずに低音に対応する方法としてE1弦のみ弦長を増やすことの出来る後付けの拡張指板が開発されCマシン等と呼ばれている。北米の交響楽団では楽団所有の楽器にCマシンを搭載した拡張4単弦コントラバス・ヴィオロンが多い。これには指板のみの拡張とカポタスト状の装置や管楽器に用いられる鍵機構(Key system)を備えて開放弦の音程を調整する物などが存在している。

 交響楽団を除くクラシック音楽の室内楽、ジャズ音楽、ポピュラー音楽、吹奏楽団、金管アンサンブル、舞踏伴奏楽団、その他民族音楽等では現在でも4度調弦4単弦仕様が主流。理由は旋律を奏でる以前に低音楽器として重要な他楽器パートへの基音提示に関して、B0弦ほどの音域になると低音の輪廓がぼやけて聴こえ辛く、低音楽器としての役割にそれほど効果を発揮しないという指摘があり調査中。一方、同じ音域でも経験に関わらず音程が安定的に得易いことや、聴感上の伝達性がよくE♭1やD1の音にも豊かな低音と倍音が得られるソリッド・ボディ型エレクトリック・ベースギターがコントラバス・ヴィオロン・パートの存在する楽団でも別途に配置されることがあり、ベース・ギターでの5単弦仕様定着の理由の1つとも言われている。4度調弦4単弦仕様に関してはコントラバス・ヴィオロン、エレクトリック・ベースギター共に合奏全体の低音を支える役割、音量、旋律的演奏への機敏性等で有利なことから低音楽器全体の中でも非常に好まれ、管楽器を主とした楽団や同属楽器を主とした楽団、西洋音楽以外の舞楽伴奏や民族楽器合奏等でも例外的に参加している様子がしばしば見られる。

 かつては独奏時に長2度上げた調弦がとられることもあったようで、1904年にはケント(Kent)州フェイヴァーシャム(Faversham)出身でロンドン交響楽団(London Symphony Orchestra)初代コントラバス・ヴィオロン奏者等複数の楽団で活動したクロード・ホッデイ(Claude Hobday)がこの調律でG. P. ボッテジーニ作曲の「協奏曲第1番 嬰ヘ短調(Concerto in F# minor)」を演奏したという。理由は当曲の最低音がB1であるためと思われるが、G. P.ボッテジーニもソロでは同様の調弦を利用していたとのこと。4度調弦の3単弦仕様を長2度上げるとB1-E2-A2となる。5オクターヴの音域を必要とする楽曲とのことだが、現在では追加された4列目の音域に落として練習課題曲として利用されているようだ。G. F. F.ヴェルディが1893年に作曲した歌劇「フォルスタッフ(Falstaff)」でもE♭まで使用されているとのことだが、E♭4なのかE♭5なのか確認中。

Diapason 1855
 なお、コントラバス・ヴィオロンからフレットが排除されたのは19世紀以降。交響楽団での多様な転調に対応した正確な音程確保、フレットの無い高域との音質の一致のため等と思われる。ただしそれ以前の大型バス弦楽器に無柱仕様が全く無かったわけではない。ギターでは逆にバンドーラ等で既に行われていた金属製フレットを導入して固定するという方法を取ったが、正確な和音が鳴らせないことから当初は大きな論争になったようだ。ラコート製ギターにはこの問題を解決する一案として金属フレットながら各列ごとに分離したブロックを 溝に嵌めて動かす可動式フレット及び可動上駒(Adjustable nut)を採用した弦長625㎜17f6単弦純正率ギター(Enharmonic Guitar)「ディアパソン(Diapason)」が存在しており、1843年にはヘンリー・カーネギー・カーデン(Henry Carnegie Curden)及びラコートの名義によってフランスで特許も取得されている。特許申請時の名称からはギターの正確な調弦だけではなく、声楽の伴奏や楽器の訓練用に開発されていたことが分かる。またこのギターは0f、1f、4f、5f、9f押弦位置の桿棹裏手に白蝶貝製象嵌が施されて視覚ではなく拇指の触感による指位把握がしやすいようになっている他、響胴底部には機械式糸巻との重量バランスをとるとめの錘が埋め込まれるといった工夫がなされている。現在フランスの他スペイン、日本にも1台ずつ、少なくとも世界で3本が現存しているとのこと。diapasonは純正律の意で、仏語で音叉や調律の意味もある。またパノルモ(Panormo)製ギターでは上駒(ナットNut)及びサドルは固定するもののフレットを必要な位置の穴に嵌め込んでいく半可動式のギターが造られ、その調律方法を考案したT.ペロネット・トンプソン将軍と共に1829年に特許を取得している。

 スライド式フレットはラコート製以外にも存在したようで、ポルトガルの作曲家アバテ・コスタ(Abate Costa)がエボニー製可動フレットを備えた三重弦ギターを使用していたという。現代において純正率対応フレットを導入する場合は、金属製フレットを蛇行させて固定させる方法がとられ、アコースティック、エレクトリック双方共個人発注や製作家の試作として稀に姿を現すことがある。またここまで明確な修正ではないものの、各フレットの位置を若干上駒側もしくは下駒側にずらした不均等配置やサドルを上駒側へ若干ずらした物、棹を微妙に順反りさせるなどして押弦時の音程の誤差に対応させるといった技術も19世紀初頭から1950年代頃まで存在した。しかし工場生産の量産ギターや機械チューナーによる調弦の普及などにより一部の手工品などにしか見られなくなったようだ。逆にこの工夫を知らず、また音程の不正確な粗悪品も多く製造されていたことから同様にフレット音痴や棹の反りと理解され平坦・均等配置に変更されてしまうケースも所謂ヴィンテージ・ギターではあるとのこと。

ヴィンテージ物では「枯れた音」といった表現が使用されるが、本来は音に対してではなく木材に対して使う言葉で、経年変化によって茶色く変化した状態を「枯れる」と言う。吸湿性が下がることで狂いが少なくなり音響特性も良くなった状態であるが、柔軟性が落ち脆くなるので外力に対して抵抗することを求められる杖や柱等の道具・部品の材料としては価値が無い場合もある。楽器材の決定要素は音質の音楽的性能以外に工芸品としての美観や製作時の加工性も重要で、更に入手環境や慣習・流行等の要素が加わって判断されるので、時代や地域、用途によっても価値観は変化する。ヴィンテージに関する何らかの定義が存在するかは調査中だが、古物商取引におけるアンティーク(Antique)に関しては通常100年以上経過した物を言う。

 楽器では文化史的時代区分で中世、ルネサンス、バロック等と区別されることもあるが、あくまでその時代が最盛期だったという目安程度。歴史的に仕様が変遷している場合、現在でも使用されているものをモダン楽器、過去のある時期において使用されていた物を古楽器やピリオド楽器と呼ぶものの、クラシック音楽の主流を中心にした価値観で、ヨーロッパ各地の民間あるいは東南アジア・中南米の楽器のようにルネサンスやバロック期の楽器の仕様や奏法をそのまま、あるいは一部を現在まで継承、更に独自に発展させている場合があるので注意を要する。またバロック期に製造されたソプラノ・ヴィオロン等でもモダン仕様に改造されて現在も使用されている場合は「バロック・ヴァイオリン」とは呼ばれない。ギターではモダン・ギターとロマンティック・ギターや19世紀ギターといった区別はあるが、モダン・ギターの原型は19世紀の後期ロマンティックとも呼ばれる時期に確立されている。この場合のモダンとは「近代」の英語で「近代ギター」の意味、もしくは現在まで続くという意味での「現代ギター」と思われる。

 歴史区分上の近代(Kindai)は英語でモダーン・エイジィズ(modern ages)と呼ばれ、資本主義や市民社会形成以後を指す。西洋史の場合18世紀末や19世紀前半も含まれるが、 フランスにおける近代史(histoire moderne)の解釈は1453年の東ローマ帝国滅亡から1789年のフランス革命まで、一方オクスフォードでは476年の西ローマ帝国滅亡以降を近代史としているとのこと。 語源的には古典ラテン語に「たった今」という意味のモド(modo)という副詞があり、 6世紀の中世ラテン語にはモデルノ(modernus)という言葉が 登場していたようだ。スペイン語では今でもモデルノ(moderno)と呼ばれている。フランス語ではモード(mode)となるが、元々は「現在」という意味でそこから「流行」の意味も生んだ。英語でモダン(modern)という言葉が表れるようになるのは16世紀以降とのこと。

 日本史では一般に1867年の明治維新後~1945年の太平洋戦争終結までを近代と言うが、最近では江戸時代を含む考え方もあるようだ。一般的に江戸以前は封建社会が残っているため近世(Kinsei)と呼ばれ、主に織豊政権の始まる1573年以降の安土桃山時代から江戸時代末まで。日本史特有の表現で英語に訳せば近代と同語になるが、西洋史でも使用されることはあり、その場合は近代と同義の場合とアーリー・モダン(early modern)としてルネサンス以降近代までを指す場合がある。

 一方美術史でのモダン・アート(Modan Āto)は主に20世紀以降太平洋戦争終結まででキュビスム(cubisme)等の流行期を指す。戦後は現代美術(Gendai-bijutsu)と区別される。脱近代を目指すという意味でポスト・モダン(post modern)という言葉もあり、哲学でも使用される他政治思想でも冷戦終結後にしばしば使用されたが、明確な時代区分としてはまだ定着していないようだ。

 歴史区分上の現代(Gendai)は日本史では太平洋戦争終結後。英語ではプリセント・エイジ(present age)またはトゥデイ(today)と呼ばれ、19世紀末以後、第1次世界大戦終結以後、第二次世界大戦終結以後など状況によって使い方は変わる。また1918~1939年の両大戦間は戦間期(Senkanki)と呼ばれることがある。

 なお中世(Tyūsei, Middle ages)は封建制の社会を指すが、地域や視点によって差異があり、日本史では主に12世紀末の鎌倉時代から室町時代末または江戸時代初期まで。西洋史では4世紀末ゲルマン民族大移動~15世紀半ばの百年戦争終結までと長く、便宜上中世前期、中世中期(中世盛期)、中世後期と分けられることもある。ただし既述の通り中世を近代に含めている国もある。また建築では10世紀後半~12世紀半ば、美術では11~13世紀の様式を特にロマネスク(romanesque)と呼び、アーチ型天井・十字形状や古代ローマ、東方教会系の影響が特徴とされる。建築では更に12世紀後半~14世紀の尖頭塔アーチ、交叉肋骨アーチなどを特徴とする流行をゴシック(gothic)としている。語源はゴート族のようだが、伊語で野蛮を意味していた時期があるようだ。18世紀後半~19世紀半ばにも再流行があり、その時期はネオゴシック(neo-gothic)とされる。

 古代は原始時代より後、封建社会成立より前で、西洋史では3世紀後半~6世紀頃までを「古代末期」という1つの時代として捉える考え方も近年広がっているとのこと。日本史では一般に奈良・平安時代、あるいはそれより少し前の原始古代も含まれる。 これらは「現在」に対して「過去」という区別に始まり、古代・中世・近代による三分法の基本概念が確立、その後派生的に特定の時代を様々な名称で言い分けて複雑化し、また別分野の用語を流用するといったことが行なわれた結果同じ名称でも時代が異なるようになった。 名称の範囲も人によって見解が異なる場合があるので、注意が必要になってくる。日本ではフォン・ランゲの弟子リースがヨーロッパ風歴史学の視点を東京帝国大学(現東京大学)に持ち込んで以降で、近代的歴史学と呼ばれている。

 なお、12fオクターヴ調整は行わず多数のハーモニクス・ポイントを鳴らしながら数セントずつ各弦の弦長を調整、上駒の位置を意図的に下駒側へ、またサドルを意図的に上駒側へずらし、基準音を低めにとって専用チューナーを使い調弦することで誤差の修正を行う方法をギター奏者バズ・フェイトン(Howard Buzz "Buzzy" Feiton)及びグレゴリー・バック(Gregory T. Back)が考案、1990年代に3件の特許がアメリカで出願・取得されている。組み込み法及び具体的な調整数値は非公開で特許明細にも記載されていないが、上駒位置修正はロック式上駒の棹裏固定ネジ穴のおよそ半径分。これは上駒から1fまでの距離を短くすることで押弦時に1fが若干低くなるものの11fまでが若干高くなる現象を抑えることが出来るもので、19世紀前半ではラコート製ギターやルドロフ(Roudhloff)一族製ギターでも行われていたようだ。ただし12fオクターヴ調整の場合13fより高音では逆に若干低くなる減少が起きるため、バズ・フェイトンはサドル位置を若干上駒側にずらすことで高域を高めにしており、D&A.ルドロフ製でも3f以上で下駒側に、またラコート製やフランソワ・ルドロフ(François Roudhloff)製では変則的に一部のフレットを下駒側にずらしていたようだ。イタリア系フランス人でロンドンを拠点にしたルイ・パノルモ(Louis Panormo)やその一族のギターでは3~4f及び8fより上を全て、ロンドンのハンブリー(Hambury)製ギターでは1fより上を全て下駒側にずらしていたらしい。

 現代ではモダン・スペイン・ギターで平均律フレットに対して骨棒が1~2㎜下駒側にずらされることが多いようだ。また骨棒の角度によって更なる微調整が行なわれるとのこと。エレクトリック・ギターでは製作家のポール・リード・スミス(Paul Reed Smith)によればギブソン製ギターがカタログ仕様より実際は0.188吋(4.7752㎜)短く24.562吋(623.8748㎜)だという。フェンダー製ギターの場合は理論値通りで、12fも正確に半分となっているが、これは弦長可変下駒を備えていたことの他にC. L.フェンダーはギターを弾かず、調弦も出来なかったことが原因と思われる。元々ラジオ修理業者を営んでいた頃に近隣のギター奏者からアンプの修理依頼を受けるようになったことが電子楽器製造業転換の発端で、アンプ製作時に必要の際は未調弦のギターを開放弦で鳴らして音を確認していたとのこと。

 30fを超えるEx-Fギターでは、愛知県の有限会社ギターワークス製32f6単弦ギター、ナガレN37(Nagare N37)が高域でのズレの目立ち方を考慮して24fでオクターヴ調整を行なっている。ナガレは日本の歌手椎名林檎(Ringo Shiina)が使用していたことで知られるが、これは販売依託を受けていた下倉楽器にあった1品が譲られた物とのこと。なお「ギターワークス」という名前を持つギター製作工房、教室、楽器店等が北海道、大阪、福岡等複数存在するが、ここでいう有限会社ギターワークスとは、岩倉(Iwakura)に存在する工房のことで、ナガレ(Nagare)というブランド名は同工房の所在地が(Nagare)という場所であることに由来する。N37は1998年に個人発注で製作されたアトランティス初号機(Atlantis I )に弦長拡大、塗装変更等の仕様変更を施した量産型として2001年に日本で30本販売された。弦長27吋(685.8㎜)で短2度下げ調弦を標準にしており、同弦長のバリトンギター(Barytone Guitar)で行なわれているような4度下げ、5度下げ、8度下げを行なったとしても汎用調弦ギターの32f、30f、25fに相当することから、奏者によっては低域拡張目的で使用しているようだ。詳細は「Nagare」参照。なおバリトンギターに関しては後述。

 バズ・フェイトンはこの他理論上の数値よりも聴感上の音程が低音ほど高く、高音ほど低く聴こえる現象があることから、6弦12fまでは理論値より更に低く、1弦開放より上は理論値より更に高く設定する尖錐調弦( テーパード・チューニングTaperd tuning, ストレッチ・チューニングStretch tuning)を行っている。これはピアノでも一般に行われている調律方法だが、奏者の好みによってその度合いは異なるとのこと。ピアノでは通常最初にA音を合わせた後はチューナーを使わず共鳴によってオクターヴと5度を合わせていく。バズ・フェイトン尖錐調弦機構(Buzz Feiton Tapered Tuning System)では最終的に通常より約0~3セント低くなるものと約0~2セント(アコースティックでは最大約6セント)高くなるものが混在するようになるが、専用チューナーを使うので実際の調弦に支障はない。

 押弦時に起こる変化に関わる要素は張力のそれと類似しており、弦の糸巻の軸受けからボールエンドまでの距離と弦高、芯線の太さが主。この他演奏技術上の修正としては3度の濁りを避けるために3列目を回避し4列目の押弦にする、押弦時に圧力の加減や下駒側への押し込み又は上駒側への引っ張り、チョーキングの利用といった調整がなされる。和音では高音弦より低音弦の方が音程を変化させやすいことから、低音弦側を調整して高音弦に合わせることが多いようだ。

BerdeBass V
Contrabass GutiarBass VI
 ところでコントラバス・ヴィオロンはアメリカで擦弦用楽弓が省略されたピッツィカート奏法が発達した後、移動や演奏上の利便性に対する要求から飛躍的な音量増幅を可能にするエレクトリック・ベース・ギター(Electric Bass Guitar)へと発展していく。尚、現在主流の金属フレット付ソリッドボディ型4単弦量産エレクトリック・ベース・ギターは1951年にフェンダー社より発表されたプレシジョン・ベース(Precision Bass)が最初で、設計思想上は前年に発表された6単弦エレクトリック・ギター、ブロードキャスター(Broadcaster、後のテレキャスター)を4単弦仕様にして低音を強調したもの。1950年にC. L.フェンダーが開発を始め1951年に完成、NAMMに出品された。

 試作1号機は弦長34吋(833㎜)で、「正確な音程が出せる(a precision result)」という意味で名付けられた。これは既にフレットを持たないのが通常になっていたコントラバス・ヴィオロンにおいて、熟練者でないと正確な音程を出すことが困難だったことに関係している。電気増幅によるソリッド・ボディ型コントラバス・ヴィオロンはリッケンバッカー製等で1940年代半ばには既に使われていた。C. L.フェンダーによれば、楽団のギター奏者がコントラバス・ヴィオロンに持ち換えることが多かった点や、弾き語りをする際にマイクに顔を近づけると直立式では体勢を機敏に変えるのが困難だった点から需要があると見越してギター形ベースの製作に至ったという。当初は獣腸製の芯線に鉄の巻弦、後にV. C.スクワイア社(V. C. Squier)に注文して専用弦を製造してもらうようになったとのこと。その後1960年にはジャズ・ベース(Jazz Bass)と呼ばれる製品も発売している。またストラトキャスターの響胴形状はこのプレシジョン・ベースが元になっている。金属製フレットを配した大型低音弦楽器自体はクロアチア共和国(ハルヴァツカRepublika Hrvatska)のギター合奏タンブリーツァ(Tamburica, Tamburitza)で使われるバス・ド・ヴィオロン型とスペイン・ギター型の特徴が融合した直立式の4単弦ベールダ(Berde)で既に存在していた。

 エレクトリック・ベースギターの母体となったブロードキャスターはC. L.フェンダーが開発した初めての斜傾抱撮用量産型エレクトリック・ギターで、1948年に意匠設計が開始された。1951年4月23日に意匠特許が出願され1951年8月14日に認可されている他、下駒とPUに関する特許が1950年1月13日に、トーン・コントロールに関する特許が1955年7月31日に出願され、1951年10月30日及び1957年5月12日にそれぞれ認可されている。名称の由来は1940年代に人気だった「ラジオ放送(broadcast)」だが、グレッチ製ドラム・セット、ブロード・キャスター(Broad Kaster)と同じ発音だったことから類似商標として通告を受け、1951年にテレキャスターと変更した。こちらは1950年代初頭に人気だった「テレビ放送(telecast)」を元にしている。

 ストラトキャスターは税金対策から株式会社化したフェンダー社が売上を伸ばすための新製品として1951年に開発を始めた物で、 名称は成層圏(ストラトスStratose)に由来。当時の宇宙開発やジェット機開発に対する注目の影響と言われているようだ。基本仕様は1957年に顧問(Supervisor)としてフェンダー社入りすることになる ハンク・トンプソン・バンド(Henry "Hank" William Thompson Band)やビリー・グレイ・バンド(Billy Gray Band)のギター奏者ビル・カーソン(Bill Curson)によって考案され、ザ・ロイヤル・ハワイアンズ・オーケストラ(THE ROYAL HAWAIIANS ORCHESTRA)のハワイアン・ギター奏者フレディ・タヴァレスが図面を描いた。同楽団はロイヤル・ハワイアン・ホテル専属楽団としてハリー・オーエンズが1934年に結成したものだが、1940年以降北米大陸での楽旅中に太平洋戦争が始まった影響で帰郷できず、カリフォルニアに滞在して映画背景音楽の演奏や録音、ホテルでの演奏を行なっていたという。

 弦長可変サドルはテレキャスターの場合2列1組単位で配されていたがストラトキャスターでは全列独立になっており、演奏時に楽器が奏者の体と適合するよう響胴の一部が削られるコンター加工が施されている。これはB.カーソンが好んで着ていたウェスタン・スタイルのシャツの着心地を目標に作られた。響胴表面にアウトプットジャックを設置する設計はジョージ・フーラトン(George Fullerton)発案、トレモロ・ユニットはG.ビーチャムやP.ビグスビーが先行しておりそれが導入のきっかけ。1954年8月30日に下駒とジャック周辺の特許が出願され1956年4月10日認可される。 試作機や試験機が製作されたのは1954年初頭とする記事もあるようだが、実際は春~夏にかけてで、同年10月にトレモロ付きストラトキャスターが100本出荷され、翌1955年4月にノントレモロ仕様が25本出荷されたとのこと。

 その後フェンダー社からは高音側にC3弦を追加した15f5単弦のベース・ファイヴ(Bass V)が1964年に発表されるが評価は得られず短期間で廃版、そして1974年にはアンソニー・ジャクソン(Anthony Jackson)がブルドンにB0、シャントレルにC3を足し、更にフレット数を通常より増やした26f6単弦仕様の製作をジャズ・ギター奏者カール・トンプソン(Carl Thompson)に依頼、翌1975年初頭に完成しコントラバス・ギター(Contrabass Guitar)と名付けている。これが低音域を拡張した初めてのエレクトリック・ベース・ギターであると同時に、今日一般に「6弦ベース(6-string Bass)」と呼ばれるものの最初で、エレクトリック・ベース・ギターにおける多弦化の先駆けとなった。PUの製作はジャズ・ギター奏者アティラ・ゾラ(Attilla Zoller)、B0弦の製作はダダリオ社。その後GHS等を経て現在はフォデラ製を使用しているとのこと。なおC.トンプソンは同年、スタンリー・クラーク(Stanley Clarke)向けにピッコロベース(Piccolo Bass)を、1978年には初の無柱6単弦ベース・ギターを製作している。

 A.ジャクソンによれば低音域を拡張するというアイデアは1970年頃から。後にJ. S. バッハやベルギー王国(ベルジクRoyaume de Belgique, ベルヒエKoninkrijk België)出身の作曲家でサン・クロティルド大聖堂(Saint Clotilde)のオルガン奏者だったセザール・フランク(セザール=オーギュスト=ジャン=ギヨーム=ユベール・フランクCésar-Auguste-Jean-Guillaume-Hubert Franck)、アヴィニョン(Avignon)出身の作曲家&オルガン奏者オリヴィエ・メシアン(オリヴィエ=ウジェーヌ=プロスペール=シャルル・メシアンOlivier-Eugène-Prosper-Charles Messiaen)の楽曲なども取り上げているほど元々オルガンへの興味があった彼だが、ファンク(Funk)やソウル・ジャズ(Soul Jazz)のスタイルを確立したペンシルヴェイニア州(Pennsylvania)ノーリスタウン(Norristown)出身のオルガン奏者、ジミー・スミス(ジェイムズ・オスカー・スミスJames Oscar "The Incredible Jimmy" Smith)がジャズ・ミュージシャンと行っていたオルガン・トリオへ参加した際に触れた彼の弾くハモンド・オルガン(Hammond B-3 Electric Organ)の和声を好むようになり、それがE1より低くなることが多かったことから当時使用していたフェンダー製ジャズベース(Jazz Bass)の響胴とプレシジョンベースの棹から成る20f4単弦ハイブリッド・ベース・ギター「キャリア・ガール(Career Girl)」を4度下げにして弦高や上駒を調整するも、今度は高音が足りなくなる。

 オルガンは水オルガン(ヒュドラウリス, Ύδραυλις)が前3世紀アレクサンドリアの技師クテーシビオス(Κτησίβιος)によって開発されており、後2世紀にはローマ式オルガンが劇場や競技会で使用されていたという。14~15世紀にはパイプ・オルガンが使用され始め17世紀頃から巨大化、大音量化している。各種楽器の名前が付された音質を調整するための音栓(Stop, ストップ)を多数備えており、「あらゆる手段を尽くす(pull out all the stops)」という表現も生んだ。なお現役最古のパイプ・オルガンはヴァレール城教会の1390年製ゴシック・オルガンとのこと。 鍵盤楽器だが発音原理上は打弦楽器のピアノや撥弦楽器のチェンバロなどと違い各音の長さに対応した管に空気を送り込んで簧の振動によって音を出す鍵盤付の管楽器となる。かつては足踏み式の鞴やペダルによって音を出していたが、現在では電気を動力としているものが多い。またコンサートホールに備え付けられた大型パイプオルガンでは指揮者を確認するための小型液晶モニターを備えることもあるなど新技術の導入が進んでいる。

 長年「教会の楽器」としてクラヴィコードやチェンバロ、ピアノといった鍵盤楽器とは区別されていたようだが、20世紀以降ではアメリカでジャズ音楽やソウル音楽、R&B音楽などでも電子オルガンが使用されており、1950~60年代にヒットチャート入りした楽曲にも盛んに使用されイギリス等にも影響を与える。しかし20世紀後半になると電子ピアノの台頭によって衰退していったとのことで詳細確認中。この時期の主な奏者、バンドとしてはJ. スミス以外ではジョージ・フェイム、アニマルズ、アートウッズ、グラハム・ボンド・オーガニゼイション、スペンサー・デイヴィス・グループ、ズート・マニー、スモール・フェイセズ、ビル・ドゲット、ビル・フラッグス・コンボ、ジョン・トーマス楽団、マーキーズ、ブッカー・T. & MGs(Booker T. & THE MGS)、ジミー・マクグリフ(Jimmy McGriff)、ザ・ビートルズのツアーメンバーだったビリー・プレストン(Billy Preston)、ジュニア・ウォーカー&ザ・オールスターズ(Jr. Walker & THE ALL STARS)など。

 日本では開港後に横浜の外国人居留地(現在の中区関内一帯)で製造されていたとのことだが、それ以前に持ち込まれたことがあったかは確認中。日本人としてはその居留地にあったドーリング商会の前身、クレーン&カイル事務所で明治9(1876)年からオルガン製作を学び始め、明治15(1882)年に独立し横浜で活動した君津(Kimitsu)出身の三味線製作家(三絃師)西川寅吉(Torakichi Nishikawa)が明治17(1884)年5月に完成させたC1~C6の61鍵2ペダル仕様が初で、東京音楽学校(現東京藝術大学)で使用され、現在も横浜市港北区の市立歴史博物館に現存している。また61鍵15栓仕様の1台は横浜英和学院礼拝堂で現在も使用されているようだ。明治20(1887)年には量産を開始し、明治23(1890)年の第3回内国勧業博覧会風琴部門では1等無しの第3等有功賞を獲得している。この時の2等有功賞は山葉寅楠(Torakusu Yamaha)が創業した日本楽器製造株式会社(Nippon Gakki Seizo Kabushiki Kaisha、現ヤマハ株式会社)で、洋琴部門では逆に西川楽器製ピアノが1等無しの2等、日本楽器製ピアノが3等。T.西川は明治19(1886)年にピアノの試作も始めていた。現存する明治41(1908)年製ピアノは息子の西川安蔵(西川安藏Yasuzō Nishikawa)によるもので、A0~A7の85鍵仕様。Nishikawa & Sonのブランドで製作が行われていたようだが、大正8(1919)年に安藏が、大正9(1920)年に寅吉が相次いで他界したことで経営が行き詰まり、日本楽器製造に救済合併される形で日本楽器製造横浜ファクトリーとして昭和14年頃まで製作が続けられたとのこと。戦後は足踏み式オルガンが学校教育の中で教室用として普及しているが、1990年代頃から電子ピアノ等に置き換えが進んでいる。電子オルガンではエレクトーンやハモンド・オルガン等が20世紀後半に使用され、子供の習い事の1つとしても普及しているが、詳細は確認中。

 O.メシアンは初期の電子鍵盤楽器であるオンド・マルトノの作曲家としても知られ1937年には「美しい水の祭典(Fête des Belles Eaux)」を、1946~48年には「トゥランガリーラ交響曲(La Turangalîla-Symphonie)」を作曲している。オンド・マルトノ(Ondes Martenot)は初めオンド・ミュジカル(Ondes musicales)と言われていた物で、パリ出身の音楽家・音楽教育者・楽器発明家・通信技師モーリス・マルトノ(Maurice Martenot)が1918年にテルミンの模倣として金輪に弦を張るという形で発案、1922年に完成して特許を取得している。その後改良を経て1928年にパリ・オペラ座(l'Opéra)で一般公開される。以後世界各地を回り1931年には日本でも演奏された。1937年のパリ万国博覧会(Exposition Internationale des Arte et Techniques dans la Vie Moderne)では8台のオンド・マルトノでエクス=アン=プロヴァンス(Aix-en-Provence)出身のダリウス・ミヨー(Darius Milhaud)やパリ出身のジャック・イベール(ジャック・イベールジャック・フランソワ・アントワーヌ・イベールJacques François Antoine Ibert)等の作品が演奏され、1947年にはパリ音楽院(コンセルヴァトワール・ドゥ・パリConvcervatoire de Paris)にオンド・マルトノ科が設立されている。また同年にアンドレ・ジョリヴェ(André Jolivet)が「オンド・マルトノ協奏曲(Concerto pour ondes Martenot et orchestre)」を作曲した。背景にはフランス政府が国策として積極的に推進・援助していたという事情がある。

 音域は5~7オクターヴで単音のみだが、「美しい水の祭典」では6台使用して和音を出している。技術的な問題ではなくM.マルトノが旋律楽器として拘っていたことが理由で、リラクゼーション効果を重視していたという指摘がある。構成は鍵盤(クラヴィエClavier)と2つの発振器(パルムPalme)、検波器、増幅器(アンプ)、トーン制禦器を通して拡声器(メタリックMétallique)に出力されるもので、パルムには12本の金属共鳴弦が張られこれを電気的に振動させて発音する。鍵盤は音程識別のための標識として導入されたが、後に演奏に使用されるようになった。増幅器は当初真空管(Vacuum tube)、後にトランジスタ(Transistor)や集積回路(IC, Integrated Circuit)も導入されている。メタリック内部には銅鑼(Gong)やシンバルが吊るされており、一般的なスピーカー(プランシパルPrincipal)やレゾナンス(Résonance)等も含めて適宜組み合わされて使用される。また鍵盤部にパルム制御装置があり、金輪のついたリボン(リュバンRuban)を使って音程を変化させたり、感知器(トゥッシュTouche)で音量を調整、押鍵後左右に動かすことでヴィブラートがかけられる等ピアノと電子オルガンやシンセサイザーの中間的な仕様も既に見られる。

 20世紀後半ではイギリスのロック・バンド、レイディオヘッド(RADIO HEAD)のメンバーであるオクスフォード(Oxford)出身のジョニー・グリーンウッド(ジョナサン・リチャード・ガイ・グリーンウッドJonathan Richard Guy Greenwood)が積極的に使用したことで新たな奏者も増え、簡易複製品のフレンチ・コネクション(French Connection)が製造されている。日本人では原 節(Takashi Hara)が奏者・作曲家として活動、日本人作曲家の新作初演等も行なっている。因みに発案者のM.マルトノはヘルメットを着用せずにオートバイを乗り回すことでも知られ、1980年に交通事故で死亡した。

 また、ギターも弾いていた彼にとってベース・ギターはコントラバス・ヴィオロンの代替ではなくギター属の最低音楽器という考えを持っており、実際にギターと同じラインで生産されるにも関わらず6単弦ではなく4単弦であることに疑問を感じていたこともあって1972年には6単弦という構想が固まる。このギターとの関連はフレット数にも反映されており、初期に通じて設定された26f仕様は一般的な22f6単弦ギターでの最高音に当たるD6の1オクターヴ下(D5)に相当、また後に標準設定となる28f仕様は1980年代半ば以降ポピュラーになった24f6単弦ギターの最高音E6の1オクターヴ下(E5)に相当している。またA.ジャクソンは使用していないが、タッピング奏法やスラップ奏法の際に弦を打ち当てるという目的で拡張指板仕様の楽器を使用する奏者もおり、両面テープや螺子留めによる着脱可能な拡張指板を備える改造が行われることもある。

 タッピング奏法では両手による押弦と弾弦の分担をせず打弦のみで音を出すことから幅広い音域が使用可能になるため、30fを超える仕様の楽器もしばしば利用される。これはエレクトリック・ギターにも共通する現象で、Ex-Fギターが使用される目的の1つとなっている。一方スラップ奏法はエレクトリック・ギターでも不可能ではないものの、弦間の広いエレクトリック・ベースで好まれる奏法で、弦に親指を打ち当てるサムピングと弦を人差指等で引っ張りはじくスラッピングを織り交ぜて行なう。これはラリー・グラハムがドラム奏者不在時の代役としてリズムをベース・ギターによって表現したことに端を発するとされる。サムピングでは最終フレットの位置によっても音や演奏性が変わるが、あまり指板が長いとスラッピングの際に指が入らないことにもなるため、主に20~24f仕様が好まれているようだ。弦列に関しては、弦間が広い機種が多くまた消音のしやすい4単弦仕様が好まれる傾向にある。ただし5単弦や6単弦仕様でも行なう奏者はおり、グラハムも4単弦、5単弦両仕様を使用している。

 この他6単弦ベースギターは、和音を伴った伴奏を多用する奏者にも好まれ、ギターを旋律楽器として扱った場合にリズムパートと低音パートを兼用するなど、小編成の合奏で使用されることもある。ポピュラー音楽でもドリームズ・カム・トゥルー(DREAMS COME TRUE)の中村正人(Masato Nakamura)が常用している他、歌手のバックバンドに6単弦ベース奏者が見られることがあるが、理由は調査中。また既述の通りモダン・コントラバス・ヴィオロンではフレットで示せば30f前後の音域をもっており、ソロでは高域も使用されることから、モダン・コントラバス・ヴィオロン奏者がベースギターを使用する場合に24f4単弦ベースギターでも足りない音域を確保することが可能になっている。またテノール・サクソフォンのソロにユニゾンで重ねる際にポジション移動を省略することも可能。フェンダー製ベースシックスでも同様に1~2列目の15~20f付近を、4単弦仕様の指板延長に代わる高音域の拡充として利用するケースがあったようだ。ジャズ・ギター奏者ジョン・マクラフリン(ジョン・マハーヴィシュヌ・マクラフリンJohn Mahavishnu Maclaughlin)の甥でウィットリーベイ出身のベース奏者トニー・グレイ(Tony Grey)はトランペットとのユニゾンを行うためにC3弦やB2弦を追加した5単弦テナーベースギターを使用し始め、ポピュラー音楽の仕事で渡されたデモ・テープにB0が使用されていたことから5単弦ベースギターを入手、演奏会を1本の楽器でこなしたいという理由から6単弦ベースギターを使用することになったとのこと。

 A.ジャクソンは現在までに少なくとも10本のコントラバス・ギター試作を行っており、1976年に同じくC. トンプソン製の2号機、1981年にケン・スミス(Ken Smith)製3号機、1984年に26fのケン・パーカー(Ken Parker)製4号機、そして1987年にヴィニー・フォデラ(Vinnie Fodera)製28fダブル・カッタウェイ仕様の5号機が完成する。V.フォデラは元々K.スミスの工房におり、そこでA.ジャクソンと知り合ったとのこと。1985年頃には既にA.ジャクソンのベースを製作しているとのことで詳細確認中。 これ以降は製作者が確定し1988年に6号機、そして1989年にはトーレスのギター形状を元にしたと言うシングル・カッタウェイ仕様の7号機が誕生、改良型の8号機が1991年、9号機が1993年、10号機が1996年に製作されている。弦長36吋(=914.4㎜)で楽器本体の制御装置はヴォリュームも含めて装備されておらずPUの出力端子のみ。この10号機が最終試作機で次に製作するものが決定版とのことだが、11号機の情報に関しては現在調査中。なお弦のゲージはA.ジャクソンの場合は0.028吋(0.7112㎜)、0.044吋(1.1176㎜)、0.062吋(1.5748㎜)、0.085吋(2.159㎜)、0.106吋(2.6924㎜)、0.125吋(3.175㎜)とのことだが、実際の演奏では様々な製品を大量に持ち込んで状況に応じて使い分けており一定ではないようだ。

 初期はフェンダー製4度下げ改造ベースとの併用を行いながら形状や弦間などの操作性を改良、1982年から本格的に6単弦仕様を使い始めたとのこと。1号機は使われなかったとする記事もあるが演奏会での初使用は1975年のロベルタ・フラック(Roberta Flack)の楽旅での数曲、また初の録音は同年6月にパナマのサクソフォン(Saxophone)奏者カルロス・ガルネット(Carlos Garnett)による『LET THIS MELODY RING ON』へのセッション参加で1曲のみ使用、A.ジャクソンの勧めで「Anthony Jackson bass guitar and contrabass guitar」と記載された。

 ベースギターにおける音域拡張に関して当初は多大な否定的批判を浴びたようだが、交響曲等で使われるモダン・コントラバス・ヴィオロンではC1を加えた5単弦仕様は既に利用されていた他、アメリカでポピュラー音楽やR & B音楽等の歌曲伴奏に好まれ、またヘヴィ・メタル(Heavy Metal)音楽等におけるギターの6列目を1音下げ(drop-D)にした調弦の利用拡大に対応するため低音弦のみ追加された5単弦仕様は定着していったとのこと。

 楽曲に合せてブルドンを1音下げる手法は16世紀には既に4コース・ギター、6コース・リュート共に行なわれており、1544年のノイジードラーによる「ユダヤの踊り(Der Juden Tanz)」や、アドリアン・ル・ロワ(Adrian Le Roi)が1554年に出版したアルカデ(Arcadet)作曲のシャンソン「マルゴーは葡萄畑を耕すよ(Margot labourez les vignes)」の編曲で「A corde availlée」との指示を出している。J.ベルムードはロマンスや打ち叩く奏法による音楽に適してると説明しているが、4コース・ギターでは旧調弦とされており、後に通常の4度で張る新調弦へ移行、リュートでも多弦化と共に消失した。ただし5コース・ギターでも5列目をA2ではなくG2とする調弦が出現している。現代のロック音楽では全弦を半音~全音、場合によってはそれ以上下げた上で更に6列目を1音落とすことも多く、ブルドンが実音でA1やB1などとなる場合もあるが、これは基準音を下げたと考えた場合古楽での低めの基準音をとった場合とほぼ同じ状態になっている。

 西欧で6単弦ギターが主流と成り始めてからはクラシカル・フランス・ギターでF.ソルが7単弦ギターを使用する代わりにしばしば6列目をD2にするなど19世紀初頭には既に見られ、スペイン・コンサート・ギターでもA. カーノは「ワルツ・アンダンティーノ(Valse Andantino)」等で、F.ターレガは「ゆりかご(El Columpio)」や「アラビア風綺想曲」等で、M.リョベートは「盗賊の歌」等で使用するなど固定音高調弦を利用するのが一般的なモダン・ギターでも比較的利用機会の多い変則調弦となっている。F.ソルはこの他「8つの小品 作品24」の第2番で6列目を半音上げてF2としている。これはヘ長調でセーハを使用する際に有効とのこと。またN.パガニーニは「ソナチネ」第2番でブルドンをC2としているが、6列目E2を前提とした設計では張力の問題が生じる。弦を張り替えたのか、7単弦以上の多弦楽器を使用したのかは不明。共演経験があり、共に各地を楽旅していたと言われるL. R. レニャーニは7列目D2、8列目C2の8単弦ギターを使用していたが、関連は確認中。

 A.ヨークが作曲し、1989年にJ.Ch.ウィリアムズが録音したことで一部スペイン・ギター演奏家の間にも流行した6単弦ギター独奏曲「サンバースト(Sunburst)」も元々6列目をD2に落としただけで1列目はE4だった。J.ディアマンが1列目もD4に落とした方が弾きやすいと提案したことからD2-A2-D3-G3-B3-D4となっている。日本ではSh.福田の弟子にあたる台東区(Taitō ward)出身のギター奏者村治佳織(Kaori Muraji)が1998年に発表したアルバム『カヴァティーナ(CAVATINA)』に収録されて日本のクラシック音楽チャートでは異例の20万枚を超える売上を記録、TV放送でもしばしば演奏された。 通常ナイロン弦スペイン・ギターで演奏されるが、A.ヨークは金属弦アメリカ・ギターでも演奏したことがある。1996年に同調弦の序奏「ジュビレイション(Jubilation)」が追加され、ハリウッドHollywood出身のジャズ・ギター奏者リー・リトナー(リー・マック・リトナーLee Mack Ritenour)の師でもあるアメリカのクラシック・ギター奏者クリストファー・パークニング(Christopher Parkening)がソプラノ歌手キャスリーン・バトル(Kathleen Battle)と共演した際に録音された。以降、序奏を加える奏者と序奏を省略する奏者と二手に分かれている。更に1999年には日本のスペイン・ギター奏者木村 大(Dai Kimura)のデビューアルバム向けにA.ヨークが姉妹曲となる「ムーンタン(Moontan)」を作曲、同調弦を使用するとともにジャズ音楽やロック音楽のリズム、奏法を取り混ぜている。「moontan」は雲間から差し込むような太陽の光を意味する「sunburst」に対して「月焼け」を意味する造語。なおA.ヨーク作品以外では日本のアコースティック・ギター奏者押尾コータロー(Kōtarō Oshio)がアルバム『ドラマティック(DRAMATIC)』第4曲「ハッピー・アイランド」及び第5曲「カノン」でこの調弦を使用している。

 エレクトリックギターでの6列目をD2に下げる手法は遅くともレッド・ツェッペリン(LED ZEPPELIN)のJ.ペイジが「白鯨(Moby Dick)」で行なった1969年以前にはあった。更に下げたものでは、ザック・ワイルド(Zakk Wylde)は1998年までに6列目に0.058吋の弦を張り、ブルドンをD2以外にも「ロウ・ダウン(Low Down)」や「ザ・ビギニング・・・アット・リースト(The Beginning... At Last)」でB1、「ボアード・トゥ・ティアーズ(Bored to Tears)」でA1、「Counterfeit God」でG1としており、2000年には0.060吋の弦を張っている。これらは基準音を半音下げているのでA4=440とした場合はC2、B♭1、A♭1となる。

 またジェフ・ベック(ジェファリ・アーノルド・ベックGeoffery Arnold "Jeff" Beck)は2000年発表のアルバム『ユー・ヘディットゥ・カミン(YOU HAD IT COMING)』第3曲「ダーティ・マインドゥ(Dirty Mind)」や2003年発表のアルバム『ジェフ(JEFF)』第4曲「季節(Seasons)」等で6列目をC2とし、0.052吋または0.054吋に張り替えて演奏したと語っている。 これら0.052吋以上の太さの弦は通常7単弦ギターのB1弦に使用されている。

 この他マシュー・ベラミー(Matthew Bellamy)はミューズ(MUSE feat. Matthew Bellamy)としてアルバム『オリジン・オブ・シンメトリー(ORIGIN OF SYMMETRY)』制作に参加した際、歌手の声域に合わせるため6列目にベース弦を張ってA1とし、2002年の演奏会では7単弦ギターを使用している。

 大和三味線でも長唄(Nagauta)や一中節(Ittyū-bushi)、清元節(Kiyomoto-bushi)等で一下がり(Ichi-sagari)と呼ばれる調弦が存在している。これは音域の拡張というよりは触りでの共鳴効果を違った音に当てる特殊効果として使われている。 長唄の三世杵屋正次郎(Shōjirō Kineya III)が「賤機帶(Shizuhataobi)」で本調子に替えて導入したのが初とされているようだ。長唄三味線は歌舞伎の背景音楽等で演奏される楽種で、二世杵屋勘五郎(Kangorō Kineya II)が祖とされる。一中節と清元節は共に浄瑠璃の一派で、一中節は元祿年間(1688~1704)に都太夫一中(Miyakodayūittyū)が京都で創始、清元節は初世清元延寿太夫(Enjudayū Kiyomoto I)が文化十一(1814)年に富本節から独立して誕生した。なお長歌(Nagauta)は上方で行われていた地歌の一種、長歌(Chōka, Nagauta)は和歌の一種で短歌に対して呼ばれるもの。

 初の量産型5単弦ベース・ギターをラインナップ化したのはA.ジャクソンの6単弦試作にも関わったK.スミス。ただしA.ジャクソン本人は常に6単弦志向で5単弦仕様を使ったことがない。なおA.ジャクソンのコントラバスギターは6列目にヒップショット社(Hipshot Products, INC.)製拡張糸巻(Bass xtender key)が使われており、調律はB0だが最低音はA0まで容易に下げられるようになっている。これは曲の最後でB0より低い音が必要な時に使用するとのこと。このような糸巻は同社の他スパーゼル(シュパーツェルSperzel)社等からもギター向けに商品化されており、主にブルドンのE2弦やB1弦に使用されて半音~全音落とすために使用される。同様の発想は18世紀末に既に登場しており、ハープの鉤機構が由来と思われる。ハープでの変調弦用鉤は1660年頃には既に開発されていたようだ。詳細は「Sky VI」参照。

各種低音域ギターの調律
B0 D1 E1 A1 B1 D2 E2 G2 A2 B2 C3 D3 E3 F3 G3 A3 B3 C4 E4
※M34L Low-B 7-string Gutiar
Half Nashville tuning
※4M3L Guitarrón de Argentina
M34L B-tuning Baritone-guitar
A-tuning Baritone-guitar
※44 Bajo Quinto en Guitarra






Bajo Sexto en Guitarra








※M34L-18L Guitarrón de Toloche
※M34L E-tuning Baritone-guitar
B0 D1 E1 A1 B1 D2 E2 G2 A2 B2 C2 D3 E3 F3 G3 A3 B3 C4 E4
※44 Tenor Bass-guitar
High-C 5-string Bass-guitar
6-string Bass-guitar
4-string Bass-guitar
Low-B 5-string Bass-guitar
B0 D1 E1 A1 B1 D2 E2 G2 A2 B2 C3 D3 E3 F3 G3 A3 B3 C4 E4
※M34L: 長3度~4度調弦+4度低音追加。
※M34L-18L: 長3度~4度調弦+4度低音追加、①オクターヴ下げ
※4M3L: 4度~長3度調弦+4度低音追加。
※44: 4度調弦

 低音弦楽器全体では既述の通りコントラバス・ヴィオルが16~18世紀初頭に6単弦仕様で使われ、コントラバス・ヴィオロンでは弦列を減らした結果4単弦になった他、16世紀以来スペインで使用されている短頸撥弦楽器バホ・デ・ラ・ウニャ(Bajo de la Uña)が8単弦、これを起源とするギタローン(Guitarrón)が6単弦で現在でもメキシコのマリアッチ(Mariachi)音楽やアルゼンチン共和国(アルヘンティーナRepública Argentina)で利用されている。アルゼンチンのギタローンはプライム・ギターのシャントレルE4弦を取り除いてブルドンにB1を追加したものに対して、メキシコのギタローン・デ・トローチェ(Guitarrón de Toloche)は小型のバス・ヴィオロンのような横板が大きく裏板も湾曲した短棹無柱の撥弦楽器。調律もA1から始まる4度調弦となっている。通常斜傾抱撮で坐奏もしくは立奏される。また、このメキシコ・ギタローンに脚棒を備え膝臏夾立用とした改良型が日本で考案され、ギターオーケストラ音楽で利用されている。なおチリ共和国(チレRepública de Chile)でギタローン・チレーノ(Guitarrón Chileno)と呼ばれている物は、多重弦で表面板上にもディアブリートと呼ばれる短い弦を張り巡らした一種のハープギター。

 中米では他にバホ・セクスト(Bajo Sexto en Guitarra)と呼ばれる低音仕様のギターも使われている。元々墨領だったカリフォルニア、アリゾナ(Arizona)、テクサス(Texas)といった北米西部・南部地域が19世紀半ばに割譲または売却されて米領に編入されたことがきっかけでこれらの楽器はアメリカにも広まったようで、カントリー音楽にも影響を与えているようだが、「6弦ベース」や「バリトンギター」の起源にバホ・セクストやギタローンが関係しているか関連を調査中。

 バホ・セクストはプライムギターの8度下の音域だが4度調弦の6複弦仕様で、1対を8度間隔で張った低音複弦のうち4列目の低音がD1で最低音となっている。ただし調律は一定ではないようで詳細調査中。メキシコでは鍵盤式アコーディオン(Accordion)との組み合わせでノルテーニョ(Norteño)音楽に使われる。使用法としてはミドルポジションの5~9f付近1~4列目をホームポジションとし、ローポジションに向うことで4単弦ギターの運指のまま6単弦ギターの低音域まで下がれるようにしているという使い方と、拍の強調として4単弦ギターに低音をカウンターで加えるために5列目や6列目が追加されたギターとして使われる場合があり、2種類の機能を持ち合せた楽器とみることもできる。5コース・ギターや6コース・ギター誕生の経過にも類似の発想があった可能性があり、詳細調査中。他に低音が1列少ない5複弦仕様のバホ・キント(Bajo Quinto en Guitarra)も存在。なおフェンダー社は1990年代にテレキャスター形響胴のフェンダー・バホ・セクスト(Fender Bajo Sext)を製造しているが、こちらはソリッドボディで6単弦仕様。調律は長3度~4度調弦で音域はE1調弦とA1調弦があることから、この時期再流行のあったバリトンギターを意識したものとみられる。詳細確認中。一応A1からの長3度~4度調弦で1列目のみをオクターヴ落とすとメキシコ・ギタローンで使用される調律の1つにはなる。

 バリトンギターとは調弦の音高が全体的にプライムギターより低い物に対して使用される名称だが、明確な定義はなく様々な調律とそれに対応した弦長の楽器が存在している。この音域の楽器は歴史的には既述の通りバホ・セクストやギタローン等が古くから存在しており、またギターオーケストラ音楽で使用される合奏用コントラバスギター及び合奏用バスギターも含まれるが、通常バリトンギターと呼ばれることはなく、エレクトリックギター特有の名称と見られる。弦長はエレクトリック・プライムギターとエレクトリック・ベースギターの中間、主に27~33吋(685.8~838.2㎜)で、ショート・スケールと呼ばれる弦長の短い規格のベースギターとも一部重なる。弦間はギターに近く、音量増幅には通常ギターアンプが使用されるものの必ずしも決まってはいない。

 名称の起源に関しては調査中だが、1950年代後半にダンエレクトロ社が発表した際は「6弦ベース(6 string bass)」と名付けられていた。この時は4単弦エレクトリック・ベースギターに高音弦を追加した物と、エレクトリック・プライムギターを8度下げた物両方を指しており、違いは弦の太さのみだった。 1970年代になるとエレクトリック・ギターの低音仕様に関しては徐々に生産されなくなり、エレクトリック・ベースギターではA.ジャクソン以降弦列の追加といえば先ず低音にB0弦を含めるのが一般的となったことから、「6弦ベース」の一般的に意味する内容が変わり始める。これは「5弦ベース」に関しても同様。現在低音弦を追加せず高音弦のみ増やしたエレクトリック・ベースギターは「テナーベース」や「ピッコロ・ベース」と呼ばれることもあり、5単弦、6単弦仕様だけでなく、ヴィクター・ウォテン(Victor Wooten)等のように低音のE1弦を取り除いた4単弦テナーベースギターを使用する奏者もいるが、まだ一般的な名称とまではなっていないようだ。

 この状況を勘案してか、1980年代後半になってダンエレクトロ・ブランドが復刻された時は、かつて「6弦ベース」としていた機種を「バリトン」と名付けており、この時に「バリトンギター」の名称が一般化したものと思われる。ただし、ここでもダンエレクトロではプライムギターの低音仕様とベースギターの高音弦追加仕様を区別せず「バリトン」としている。一般的には、ダンエレクトロでも太いベース弦を主体とした4度調弦の物を「6弦ベース」、ベースより細めの弦でE1またはA1からの長3度~4度調弦をとるものをバリトンギターと呼ぶ傾向がある。 このように楽器の名称と音域、調律、また形状や使用場所などの組み合わせが自在に変化することは歴史的にも頻繁に起こっており、「ギター=○○」、「ヴァイオリン=○○」といった現代の量産品の通称から仕様を固定的に考えると、他楽種、他地域、他の時代について見る場合に誤解が生じるので注意が必要となる。また実際に使用している地元の人々自身も混同して特に区別していない場合と明確に区別している場合、文献の著者によって区別している場合と混同している場合があるため、最終的には個々の事例毎に各人の総合的かつ慎重な判断が求められる。

 なお、「ベース」や「バリトン」といった呼び名は元来特定の楽器の名称ではなく声楽における分類で上からソプラノ(Soprano, トレブルTreble, ディスカントDiscant, カントCanto)、メゾソプラノ(メッツォ・ソプラノMezzo Soprano, クィントQuinto)、アルト(Alto, コントラルトContralto)、テノール(テナーTenor)、バリトン(Baritone, クィントQuintus)、バス(ベースBass, Basse)、楽器ではソプラノより更に高い場合にソプラニーノ(Sopranino)、バスより更に低い場合にコントラバス(Contrabass, グレートベースGreatbass, ダブルベースDoublebass)、サブコントラバス(Subcontrabass)が使われ、楽器によってはアルトとテナーの間でコントラアルト、テナーとバスの間でテナーバス(Tenorbass)といった名称も生じている。

 元々バホ・セクストは合奏の中で低音パートを担っているが、これはギターが発達していたスペインやラテン諸国にあって音響・音域的な拡充から同属楽器として生まれた物で、運指や奏法上の互換性の他にコントラバス・ヴィオロン等の大型低音楽器の携帯性や入手環境も影響していると思われ詳細確認中。コントラバス・ヴィオロンやギタローンが入る場合低音パートとしての役割を譲ることになるが、プライム・ギターではなくギタローンとバホ・セクストという編成もまま見られる。歌曲においては声の低い男性歌手の伴奏に向くようだ。同様の工夫は現代のロック音楽でも行われることがあり、P.ギルバートが演奏会の際ヴォーカル・パートをオクターヴ下げて歌う為楽曲を高域へ移調、伴奏は星野楽器アイバニーズ(Ibanez)製バリトンギターPGM 700の5fにカポタスト装着という手法をとった形跡がある。PGM 700は量産型が市販されたこともあるが、本人が最初に導入した試作機はA1調弦のバリトンギターで、量産型生産時は外観のみ踏襲してプライムギターに変更された。響胴形状はヴィオロン形だが元になったのはリヴァプールのロック・バンド、ザ・ビートルズ(THE BEATLES)のベース奏者ポール・マッカートニー(ジェイムズ・ポール・マッカートニーJames Paul McCartney)が使用して広く知られたドイツのヘフナー(カール・ホェフナーKarl Höfner, ホフナーHofner)製ヴァイオリン・ベース(Violin bass)。理由はP.ギルバートがザ・ビートルズを好んでいたから。なお19世紀の独墺でバス・ギターレン(Bass-Gitarren, Baß-Gitarren)と呼ばれていたものは、プライム音域の6単弦ギターに低音の浮遊弦が加えられた多弦ギターのこと。
 このような複数の音域に分化した同属楽器を持つ伝統は中世の声楽における多声化以来、人声の模倣として楽器が発達し始めた頃からキリスト教文化圏では延々と繰り返されている。有棹撥弦楽器ではリュートで16~17世紀に合奏が行なわれており、シャントレルをG4とする弦長約600㎜のテナー・リュートを中心にオクターヴ上約300㎜のマンドーラ、5度上約400~440㎜のソプラノ・リュート、2度上約540㎜のアルト・リュート、3度下約670㎜のロウテナー・リュート、4度下約700~740㎜のベース・リュート、オクターヴ下約900㎜のグレートベース・リュートが存在した他、アーチリュートやシオーボ、シターン等も使用されたとのことで詳細確認中。またヴィウエラ・デ・マーノにも高音楽器ヴィウエラ・ペケーニャ(Vihuela Pegueñas)、中音楽器ヴィウエラ・メディアーナ(Vihuela Medianas)、低音楽器ヴィウエラ・グランデ(Vihuela Grandes)といった各種サイズがあった。 ヴィウエラ・グランデに関しては製作家が修行過程の最後に作るいわば「卒業作品」的な意味合いのものだったとする説もあるようだが、詳細確認中。

合奏用リュートの調弦
但しロウテナー以下は詳細確認中。
弦長 G1 C2 D2 E2 F2 G2 A2 C3 D3 E3 F3 G3 A3 B3 C4 D4 E4 G4 A4 C5 D5 G5
Mandola 300㎜





Soprano 440㎜





(①)






(①)
Alto 540㎜




Tenor 640㎜




Low-tenor 670㎜
Bass 700~740㎜
Great-bass 900㎜
G1 C2 D2 E2 F2 G2 A2 C3 D3 E3 F3 G3 A3 B3 C4 D4 E4 G4 A4 C5 D5 G5
 6単弦エレクトリック・テナーベースギター及び6単弦エレクトリック・バリトンギターに関しては、ダンエレクトロ社創立者で、それまでエピフォン社向けにギター・アンプを製造していたネイサン・ダニエル(Nathan Daniel)がアメリカのデパート・チェーン会社シアーズ・ローバック・カンパニー(Sears, Roebuck and Company)からの依頼で1956年にモデル1376(Model 1376)を開発、シルヴァートーン(Silvertone)のブランド名で販売したことに始まるようだ。これは弦長29.5吋(749.3㎜)でメイプル製桿棹ローズウッド製指板24f6単弦、シングル・カッタウェイ仕様のセミロホロウ型響胴。操作系はボリューム、トーン、3ウェイ・PUセレクターで、PUはリップスティックチューブ(Lipstick-tube)形。元々本物の金属製口紅収納箱が使用されていたことからこの名で呼ばれている。レゾナント・ピークは高いがそれ以外はフラットで、インピーダンスは高くなく、金属で覆われているためノイズが少ない、PUそのものによる音色の変化が少ないといった特徴があるようだが、オリジナルは品質が不安定で個体差も大きいとのこと。

エレクトリック・バリトンギター弦のゲージ(単位:inch)
Fender Bajo Sext A-tuning 0.066 0.056 0.046 0.036 0.026 0.016
Danelectro Vintage Tone Baritone Strings 0.068 0.056 0.044 0.026 0.018 0.014
ghs Custom shop for Baritone Guitar 25" A-tuning 0.070 0.050 0.038 0.028 0.018 0.014
Ernie Ball 6string Baritone Slinky 0.072 0.056 0.044 0.030 0.018 0.013
Fender Bajo Sext E-tuning 0.072 0.062 0.052 0.042 0.032 0.022
Ernie Ball 6string Bassguitar Slinky 0.090 0.074 0.054 0.042 0.030 0.020
ghs Custom shop for Fender VI Bass 0.095 0.075 0.055 0.045 0.035 0.025
Fender VI set
Fender 700 0.095 0.075 0.054 0.044 0.034 0.026
※ベースⅥは下駒とは別に緒留使用のため通常のギター弦だと長さが足りないこともあるので要注意。
また、現在入手不可または日本では入手困難な物もある。
 翌1957年にはダンエレクトロ社自身もモデル1376をUB-2として発売、黒(Black)、青銅(Bronze)、肌色(Ivory)の3色が用意されていた。当時のカタログでは「スペイン・ギターとコントラバス・ヴィオロンのいいとこどり(Combines the best of Spanish guitar and big string bass)」と特徴を説明、調律はプライム・ギターのオクターヴ下、E1からの長3度~4度調弦で1~2列目を外すと4単弦ベースとして使えるとしている。既述の通り現在のテナーベースギター、バリトンギター双方とも「6弦ベース」としており、違いは弦の太さしか見られない。 バリトンギターで使用されているプライムギターの5度下にあたるA1からの長3度~4度調弦が最初から想定されていたのか、また実際に使用されていたのかは調査中。

 1958年になるとショートホーン(Shorthorn)型響胴のモデル3612(Model 3612)、1959年にはロングホーン型響胴のモデル4623S「6弦ベース」(Model 4623S: 6 string bass)を発表している。弦長は29.5吋(749.3㎜)で鋼鉄製非可動型トラスロッド内蔵のパイン製桿棹ローズウッド製指板。トラス・ロッド(Truss Rod)は2本をV字形で装填しており、固定されているのは調整の必要がないほど丈夫だ、という意図による。

 響胴はセミホロウで表&裏板がメゾナイト(Masonite)、中央がSPF。メゾナイトは木材を繊維化してバインダーと共に圧縮成型した強化建築材。通常家屋の内装に使われるが、ギター・アンプ裏側のチューブ・カバーにも使用されていたという経緯がある。類似の製法としてはスプルースを繊維化して再成型したフラックスウッド(Flaxwood)と呼ばれる物がフィンランドのフラックスウッド社によって開発され、これを桿棹及び響胴に用いたギターが製作されている。木目が無くなる事で場所によって音響特性が変化するような偏りが無くなりなく均質な周波数特性が得られる他、品質の安定した木材が供給できること、温度や湿度といった気象条件に左右されにくく桿棹の調整も殆ど必要ないことが利点とされている。

 SPFはスプルース、パイン(Pine)、ファーを2×4(two by four)吋四方に製材した建築材。この規格の建築材を骨格に面材を釘で打ち付けた家屋建築構法は日本でも1970年代に一般化し、ツーバイフォーの名で知られる。梁が必要なく、また厳密な構造計算をしなくても一定のルールに従った設計をすれば構造的に安全とされている。19世紀に生まれ北米で広がった枠組み壁構法の一種で、背景には釘の量産化開始があるようだ。

 建築材の楽器響胴への採用理由は安価・軽量ながら高強度なことにあるようだが、一般的に使用される楽器用木材と比べると異質で個性の強い音となる為、使い方次第で毒にも薬にもなるという指摘がある。ダンエレクトロ製の6単弦テナーベースギターやバリトンギターは当時ナッシュヴィル・スタジオやアメリカ最古とも言われるカントリー音楽ラジオ番組「グランド・オール・オープリー(GRAND OLE OPRY)」で音色の味付けとして広く使われ、いずれも1969年まで生産された。当時この楽種のスタジオ・ギター奏者の間では必需品だったとの情報も複数あるが、出処確認中。

 好まれた原因としては、当時コントラバス・ヴィオロンやエレクトリック・ベースギターの低音が曖昧だった為バリトンギターによる固めの音をユニゾンで入れて音の輪廓を作る目的があったと言われている。また、固いアタック音が混じる事で打楽器的な効果が加わるのも特徴で、カントリー音楽では「トゥウォンギング・サウンド(Twanging sound)」または「ティク・タク・ベース(チック・タック・ベースTic-toc bass)」などと形容される。 「twang」は弦楽器の弦を弾く音、「tic toc (tick tock)」は時計が動く音を形容した言葉。この音響効果がマリアッチ音楽で使われたギタローンとバホの組み合わせにも意図して存在していたのかは確認中。現在はエレクトリック・ベースギターの音がはっきりしており同じ音域で入れるとぶつかることから、運指と調性を考慮すればA1調弦やB1調弦によるバリトンギターの方が合奏に入れやすいとの指摘がある。用法としてはベース奏者がベースの音色の1つの変化として高音弦のソロなどを交えて使用する方法、ギター奏者がギターの低音弦の延長としてベース・ランニングやコード・バッキング、カッティング奏法といった伴奏に使用する方法に大きく分かれる。そのためベース的に扱う場合は4度調弦、ギター的に扱う場合はベンディングが出来るように高音にプレーン弦を張ったり、ギターの使い勝手と同じ長3度~4度調弦をとることが多い。この他序奏のリフや間奏の旋律、歌のない器楽曲では声の代替として単純な旋律を担当するといった使われ方がなされている。なおギター的、旋律楽器的な用法ではエレクトリック・ベース等低音担当楽器が別に存在することになる。

 奏者・楽曲面では、1950年代末にメキシコ民謡をロック編曲した「ラ・バンバ(La Bamba)」を歌ったことで知られるパコイマ(Pacoima)出身のギター奏者リッチー・ヴァレンス(リチャード・スティーヴン・ヴァレンスエラRichard Steven Valenzuela, "Richie Valens")が使用している。彼はバホ・セクスト等の経験もあるようだが、これがバリトンギター使用と関連しているのかは不明。使用機種についても調査中。

 ロングホーン型6単弦テナーベースギターは、グラハム・ボンド・オーガニゼイション(GRAHAM BOND ORGANIZATION, GBO)やクリーム(CREAM)のベース奏者として活動したジャック・ブルース(Jack Bruce)がソロパート等で使用、イギリスのロック・バンド、ザ・フー(THE WHO)のベース奏者でチスウィック(Chiswick)出身のジョン・エントウィッスル(John Alec Entwistle)も使用している。

 またシグナチュア・モデルを出した初のロックン・ロール・ギター奏者と言われるカミング(Coming)出身のデュアン・エディ(Duane Eddy)がベース・ラン・スタイルで使用し人気になったとのことで、アルバム『ワンミリオンダラー・ワース・オブ・トゥウォング($1,000,000,00 WORTH OF TWANG)』収録の「ビコウズ・ゼイ・ワー・ヤング(Because They Were Young)」はエレクトリック・バリトンギターが使用された最初のヒット曲という評価もある。

 ダンエレクトロ製6単弦テナーベース及びバリトンギターの流行を受けて他社も製品開発に乗り出し、1959~1960年頃にはギブソン社がEB-6を発売。マホガニー製桿棹ローズウッド製指板、ギター用ハムバッカーPUを搭載した弦長30.5吋(774.7㎜)でバリトーン=スイッチ(Baritone-Switch)と呼ばれるトーン切替スイッチも備えられていた。響胴は当初ES-335型だったが1962年にはマホガニー製SG型ソリッド・ボディに変更する。しかし評価は得られず1966年に製造を終了した。なお、バリトーン=スイッチはプライム・ギターに使用されていたヴァリ=トーン(Vari-tone)とは別物なので混同に注意。

 1961年にはヘフナー社がアコースティック・アーチトップ型響胴の500/10(Höfner 500/10)を発売、フェンダー社も営業現場からの要望を受けてフェンダー・シックス(Fender VI)を発売している。フェンダー・シックスは通常ベース・シックス(Bass VI)と呼ばれ、開発に際してはC. L. フェンダーがTV番組「ザ・ローレンス・ウェルク・ショウ(THE LAWRENCE WELK SHOW)」の常任ギター奏者だったバディ・メリル(レズリー・メリル・ベーニン・ジュニアLeslie Merill "Buddy Merill" Behnin, Jr.)と接触したとの情報があり、詳細確認中。メイプル製桿棹ローズウッド製指板で響胴はアルダー製のソリッドボディだがアッシュ製やバスウッド製の物も少数ながら存在しているとのこと。フェンダー社の場合はベース奏者向けに作られたエレクトリック・ベースギターに対して、ギター奏者向けに作られたベースという位置付けになっており、調弦はプライム・ギターの8度下、E1からの長3度~4度調弦となっている。

 このギター奏者を意識したベースという方向性が最も反映されている点は、通常ベースギターでは使用しない、下駒を一部浮かせたフリー・フローティング・トレモロ・ユニットの採用で、アーミングとリヴァーブ効果を組み合わせた演出が常套手段の1つとなっている。弦長は30吋(762㎜)でこれは低音域での和音が楽に弾けるようにとの配慮から設定。PUは試作の段階でストラトキャスター用を搭載していたが、その後専用の物が開発され、更には1962年に発売されたプライムギターのジャガー(Jaguar)に搭載されていた物を改修・搭載する。PUの形状は若干特殊だがこれはジャガー以前にも8単弦ハワイアン・ギターで使用されていた物とのこと。この他低音域仕様にも関わらず音色の選択肢を多くする目的で低周波を除去するロー・カット・スイッチ(Low-cut switch)と呼ばれるストラングル・スイッチを装備している。しかし高価だったことや、当時流行していたダンエレクトロ製の物とは方向性が違ったことから当初不評だったようだ。

 1963年には新型を開発、1966年にはバインディング指板、方形把位象嵌仕様を発売するなど製造中止になる1975年まで様々な仕様が生み出されたようで、1960年代後半にはJ.ブルースがベース・ライン、リード・パートの両方で、その他ホリーズのエリク・ヘイドック、J.エントウィッスル、イギリスのロック・バンド、フリートウッド・マック(FLEETWOOD MAC)やジョン・メイオールズ・ブルーズブレイカーズ(John Mayall'S BLUESBREAKERS)のベース奏者でイーリング(Ealing)出身のジョン・マクヴィ(ジョン・グラハム・マクヴィJohn Graham McVie)も使用したとのこと。J.マクヴィはギターを始めてすぐにベースギターに転向を決めたが、当初プライムギターの1~2列目を外して使用していた時期もあったようだ。

 シカゴ出身ニューエイゴウ(Newaygo)育ちの作・編曲家・プロデューサー・写譜家でB.セント=マリーの夫ジャック・ニッチェ(バーナード・アルフレッド・ニッチェBernard Alfred "Jack" Nitzche)も1963年に発表したアルバム『ザ・ロンリー・サーファー(THE LONELY SURFER)』の主旋律及び和音伴奏で使用。録音での奏者は不明だがJ. ニッチェの器楽曲ではバリトンギターが頻出という。

 ザ・ビートルズのギター奏者ジョン・レノン(John Winston Ono Lennon)とジョージ・ハリソン(George Harrison)も1968年発表のアルバム『ザ・ビートルズ(THE BEATLES)』第1曲「バック・イン・ザ・USSR(Back in the U.S.S.R.)」でギター的なコード・カッティング奏法を使用した他、 映像作品では1969年1月にザ・ビートルズが行った所謂「ゲット・バック・セッション(Get Back Session)」を使用した映画『レット・イット・ビー(LET IT BE)』でJ.レノンがベース的用法を行っている。ただし「レット・イット・ビー」の録音に関してはP.マッカートニーのベースギター演奏に差し替えられているとの情報があり確認中。なお「beatle」は「打つ(beat)」と「カブトムシ(beetle)」の合成語なので混同に注意。由来はバンドが影響を受けたバディー・ホリー&ザ・クリケッツ(Buddy Holly & THE CRICKETS)の「コオロギ(cricket)」にあやかったものとのこと。

 日本では1964年にテスコ製ソリッドボディ型響胴のTB-64が発売されていたようだが、詳細は調査中。また大滝詠一(大瀧榮一Eiichi Ōtaki)がダンエレクトロ製ショートホーン型バリトンギターを所有していたとの情報もあるが、録音で使用されたことがあるのかは不明。

 1970~80年代にかけてはC.トンプソン、K.スミス、アレンビック(Alembic)、ニュー・ヨークのヴィレッタ・シトロン(Villetta Citron?, Sitoronn?)等がオーダー品を製作しているとの情報があるが、低音追加の6単弦ベースギターのことなのか高音のみ追加の6単弦テナーベースギターのことなのか詳細確認中。スティーヴ・スワロウがC3弦を追加したシトロン製ホロウボディの5単弦テナーベースギターを使用しているという。

 この頃の奏者による使用としてはマサチューセッチュ州ボストンのロックバンド、エアロスミス(AEROSMITH)のギター奏者で同州ローレンス(Lawrence)出身のジョー・ペリー(アンソニー・ジョセフ・ペリーAnthony Joseph "Joe" Perry)が1976年発表のアルバム『ロックス(ROCKS)』第1曲「バック・イン・ザ・サドル(Back in the Saddle)」のメイン・リフでディストーション効果を伴った演奏を行っている。また、1977年発表のアルバム『ドロウ・ザ・ライン(DRAW THE LINE)」のタイトル・トラックでも使用。この他に「コンビネイション(Combination)」という曲でも使用されているとのことだが詳細確認中。J.ペリーはエアロスミスを離れていた1983年にもザ・ジョーペリー・プロジェクト(THE JOE PERRY PROJECT)名義のアルバム『ワンス・ア・ロッカー、オールウェイズ・ア・ロッカー(ONCE A ROCKER, ALWAYS A ROCKER)』第7曲「キング・オブ・ザ・キングス(King of the Kings)」のベースソロでギブソン社製EB-6を使用している。

 また年代の詳細は調査中だが、クロウリー(Crawley)のロック・バンド、ザ・キュアー(THE CURE)での活動が知られるブラックプール(Blackpool)出身の管弦鍵盤楽器奏者・歌手・作曲家ロバート・スミス(Robert James Smith)もベースⅥをリヴァーブ&モジュレーション(modulation)効果を伴って使用している。これにはポスト・パンク音楽の先駆者と言われるマンチェスター(Manchester)のロック・バンド、ジョイ・ディヴィジョン(JOY DIVISION)のベース奏者でサルフォード(Salford)出身のピーター・フック(Peter "Hooky" Hook)の影響が指摘されている。シャーゴールド(Shergold)製マラソン(Marathon)も使用していたとの情報もあるが確認中。P.フックは低音弦をドローンで伴いながら高音弦で旋律的なリフを演奏しており、後にR.スミスも参加したイギリスのロック・バンド、スージー&ザ・バンシーズ(Siouxsie & THE BANSHEES)、スコットランドのバンド、コクトー・ツインズ(COCTEAU TWINS)等ゴシックやニュー・ウェイヴと呼ばれる音楽に継承されているという。

 1980年代後半からはデス・メタル(Death Metal)音楽やグラインドコア(Grindcore)音楽が登場、低音指向に根差しており、ロック・バンド、ナパーム・デス(NAPALM DEATH)等はこの頃からプライムギターによる4度下げのB1調弦などを使用し始めていた。マイケル・アモット(Michael Amott)によればこの頃調弦を下げている例はレコードに散見されたという。彼はそれがきっかけで1986~1987年頃から調弦を5度下げていたが、ナパーム・デスのビル・スティアーに教えてもらうまで意味は分かっていなかったとのこと。

 また1989年には星野楽器が低音弦にB1を追加した7単弦ギターをアイバニーズ・ブランドから発表する。90年代になって結果的に重低音指向の1つの象徴的楽器となるが、元々は低域の増強という意図を以って発案されたものではなかった。7単弦エレクトリック・ギターについては「Sky IV 脚注」参照。星野楽器は明治40(1908)年に設立された星野書店が1909年以降始めた楽器販売事業を母体としており、日本初の楽器卸・小売専門業者、アメリカ進出楽器業者とされる。1920年代から楽器輸出入事業を開始し、スペインのサルバドール・イバーニェス(Salbadol Ibañez)製ギターを取り扱っていたことから1930年代に始めたギター製造に「イバニエズ」というブランド名を使用し始め、1980年代以降英語圏で呼ばれていた「アイバニーズ」という名称を使用するようになったとのこと。エレクトリック・ギター製造はザ・ビートルズやロカビリーの流行を受けて1962年に設立した多摩製作所での輸出用が最初で、1971年にはアメリカに進出している。なお多摩製作所は後にドラム・セットのブランド、タマ(TAMA)の工場となった。

 旧来の6単弦テナーベースギターやバリトンギターにおいても、1980年代後半にジェリー・ジョーンズ(Jerry Jones)がダンエレクトロ・ブランドを復活させている。J.ジョーンズは1978年からナッシュヴィルの楽器店オールド・タイム・ピッキング・パーラーで修理工として修行の後 1981年に独立、ジェリー・ジョーンズ・ギター(JERRY JONES GUITARS)を立ち上げていた。1985年頃友人のダンエレクトロ製ギターのシンプルさに魅力を感じ研究を開始、1986~87年頃にはダンエレクトロ製ロングホーン型6単弦ベースを同じ友人から知り復原、完成1ヵ月後にギター奏者ジャック・ダニエルズがダンエレクトロ製ロングホーン型6単弦ベース製作の依頼をしてきたこともあり6本製作して5本を一般販売したところ完売したため、12本製作、24本製作と生産数が増えたとのこと。1991年にはハワイへ移住していたN.ダニエルと会見し情報と助言を入手している。N.ダニエルは1966年にダンエレクトロ社をエム・スィー・エイ(MCA, Music of America)に売却しハワイで帆船の製作を始めていた。復刻版での変更点としては指板材がブラジリアン・ローズウッドからインディアン・ローズウッドへ、桿棹材がポプラからメイプルに、糸巻はスケート・キーからゴトー製、上駒が摩擦の多いアルミニウム製からプラスティック製へ。ティルト・ネックは廃止された。

 1990年代以降、低音指向の音楽発達やリバイバル音楽による需要からバリトンギターの復刻及び新製品の登場がアメリカを中心に相次ぐ。奏者ではオーククリフ出身のブルーズ・ギター奏者ジミー・ヴォーン(ジェイムズ・ローレンス・ヴォーンJames Lawrence "Jimmiy Lee" Vaughn)がロングホーン型を、弟のスティーヴィ・レイ・ヴォーン(スティーヴン・レイ・ヴォーンStephen "Stevie" Ray Vaughn)はショートホーン型のダブルネック仕様であるモデル3923(Model 3923)の一方の桿棹を交換し6単弦プライム&6単弦バリトン仕様として使用しており、2人が共演したアルバム『ファミリー・スタイル(FAMILY STYLE)』が1990年に発表されている。ここではほぼ全編でバリトンギターが使用されているとのこと。またヨークシャー州(Yorkshire)ブラッドフォード(Bradford)出身のギター奏者アラン・ホールズワース(Allan Holdsworth)もソロ・アルバム『ウォーデンクリフ・タワー(WARDENCLYFFE TOWER)』でバリトンギターを使用した。

 映像メディアではアメリカのテレビ局ABCの放送網で1990年4月~1991年6月にかけて放送されたドラマ『ツイン・ピークス(TWIN PEAKS)』のテーマ曲「ローラの主題(Laura's Theme)」で使用される。これはニュー・ヨーク州ブルックリン(Brooklyn)出身の作曲家アンジェロ・バダラメンティ(Angelo Badalamenti)が作曲し、エレクトリック・シタール(Electric Sitar)の設計者として知られるスタジオ・ギター奏者ヴィニー・ベル(ヴィンセント・ベルVincent "Vinnie" Bell)がコーラル製バリトンギターを使用して録音したもの。コーラルはMCA買収後のダンエレクトロが立ち上げたブランドで1969年まで存続した。当曲でバリトンギターが使用された背景には楽曲全体の雰囲気を1950年代風にしている点が関係しているとみられ、リヴァーブ効果(Reverb effect)とワーミィ・バーを使用した表現は典型的なバリトンギターの音色とも言われる。

 1991年3月21日にはフェンダー社創立者でこの頃G & L社を立ち上げていたC. L.フェンダーが他界するが、死の直前まで研究・開発を行っていたのがバリトンギターで、ストラトキャスター型響胴22f6単弦、H-H配置PU、3コントロール&セレクターの試作6弦ベース(G&L 6string Bass Prototype)が遺作となった。

 ザ・キュアに加入したペリー・バモンテ(Perry Archangelo Bamonte)は 1992年発表のアルバム『ウィッシュ(WISH)』もしくは1996年発表のアルバム『ワイルド・ムード・スウィングス(WILD MOOD SWINGS)』でバリトンギターを使用しているようだが、詳細確認中。

 1993年になるとグリーンウィッチ村(Greenwich Village)出身のハーモニカ奏者ジョン・セバスティアン(ジョン・メンソン・セバスティアンJohn Menson Sebastian)がアルバム『ター・ビーチ(TAR BEACH)』を発表、V.シトロン製シャーク・バリトンと呼ばれる弦長28.75吋(730.25㎜)の楽器を使用している。また デザート・ローズ・バンド(DESERT ROSE BAND)やギター三重奏団ザ・ヘルキャスター(THE HELLECASTERS)、ジプシー=ジャズ合奏団ザ・ジョン・ジョーゲンソン五重奏団(THE JOHN GORGENSON QUINTET)のピアノ、撥弦楽器、複簧管楽器奏者でマディソン(Madison)出身の ジョン・ジョーゲンソン(John Jorgenson)も同年にザ・ヘルキャスター名義のアルバム『ザ・リターン・オブ・ザ・ヘルキャスターズ(THE RETURN OF THE HELLCASTERS -THEY WENT TO A STUDIO BUT TOOK THEIR GUITARS TO HELL!!-)』で使用している。

 日本ではP-プロジェクト(P-PROJECT)の創立者西條八兄(Hakkei Saijō)が個人ブランド名義で1990年代前半に29f6単弦ヘッドレス仕様、B1からの長3度~4度調弦の楽器を製作し、和田アキラ(Akira Wada)が所有している。

 また、徳武弘文(Hirofumi Tokutake)は1989年に双棹仕様やロングホーン型、モデル1376型の復刻版等を入手しており、輸入代理店経由では日本で最初のダンエレクトロ復刻版入手とされる。その後フェンダー製ベースⅥ復刻版やチャンドラー楽器(Chandler Musical Instruments)製メトロB(Metro B)も入手した。チャンドラー製メトロBはメイプル製桿棹アルダー製響胴でPUはSuper 62と呼ばれるシングルをS-Hで配置、プッシュ/プル型トーン・コントロール付で24f6単弦のB1調弦。 録音ではイエロー・マジック・オーケストラ(YELLOW MAGIC ORCHESTRA, YMO)のアルバム製作に持ち込んだのが最初とのことで、1993年5月に発表されたアルバム『テクノドン(TECHNODON)』収録の 「フローティング・アウェイ(Floating Away)」がそれに当たると思われるが確認中。

 これがきっかけでイエロー・マジック・オーケストラやサディスティック・ミカ・バンド(SADISTIC MIKA BAND)、ザ・ビートニクス(THE BEATNICS)で活動した高橋幸宏(Yukihiro Takahashi, 高橋ユキヒロ)がソロで1994年に発表したアルバム『Mr. YT』製作の際にも要請されて「星屑の町」でバリトンギターを使用している。この他の録音参加作品では南こうせつ(南 高節Kōsetsu Minami)が1995年7月に発表したアルバム『青春の日々』収録の「ひと夏の終息」、H.徳武ソロ名義で発表したアルバムでは『ザ・トクタケ・テクニック・アンド・インストルメント株式会社(THE TOKUTAKE TECHNIQUE & INSTRUMENT CO. LTD)』の「アイム・ア・フール・トゥ・ケア(I'm A Fool To Care)」で使用。またスーパー・ギター・トリビュート・バンド(SUPER GUITAR TRIBUTE BAND)名義のアルバム『SUPER GUITAR TRIBUTE』の「恋のダイヤモンド・リング」ではソロ・パートで双棹仕様のバリトンとプライムを切替ながら使用した。

 アーニー・ボール/ミュージックマンは弦長29吋(736.6㎜)でメイプル製指板メイプル製桿棹ポプラ製響胴、ディマジオ製カスタム・ハム2機搭載他シリーズ/パラレル切替ロータリースイッチ、5点PUセレクター装備という仕様の22f6単弦シルエット(Silhouette 6-string Bassguitar)をこの頃までに発売しており、エアロスミスが1993年に発表した『ゲットア・グリップ(GET A GRIP)』に伴う楽旅で1994年からJ.ペリーがフロイト・ローズを搭載して「バック・イン・ザ・サドル」演奏に使用している。他トレモロ搭載のベースⅥ、ダンエレクトロ製をギター的用法で使用していたとのこと。

 これ以外の詳細な年代調査中のものでは、1997年までにチェラン・フォールズ(Chelan Falls)のギター工房リンダート・ギターズ(Lindert Guitars)が「ヴィクターVI」もしくは「ロコモティヴ・S・バリトン(Locomotive S Baritone)」と呼ばれる楽器を製作していたようだ。フェンダー社もカスタム・ショップ製24f6単弦バホ・セクスト・テレキャスターを発表、フェンダー・ジャパンからは1963年仕様ベースⅥ復刻版が限定500本で発売された。

 奏者ではトータスのジョン・マッケンタイヤー(John Mcintyre)が復刻版ショートホーンを、またアメリカのスティーヴ・ヴァイ(スティーヴ・スィロウ・ヴァイSteve Siro Vai)、フランク・ザッパ(Frank Zappa)の息子ドゥイージル・ザッパ(Dweezil Zappa, Ian Donald Calvin Euclid Zappa)等もバリトンギターを使用しているとのことで確認中。既述のP.ギルバートもこの時期バリトンギターを使用している。

 日本ではグループ・サウンズ・バンド、オックス(OX)のベース奏者福井利男(Toshio Fukui)、東京のロック・バンド、スピッツ(SPITZ)のベース奏者で藤枝(Fujieda)出身の田村明浩(Akihiro Tamura)、奥田民生のバックバンド等でも活動している埼玉(Saitama)県出身のベース奏者・プロデューサー根岸孝旨(Takamune Negishi)等がバリトンギターを使用。福岡(Fukuoka)県のロックバンド、ナンバーガール(NUMBER GIRL)のベース奏者で同県出身の中尾憲太郎(Kentarō Nakao)もベースⅥを使用していた。

 1997年初頭にはギブソン社が21世紀電子楽器シリーズ(Gbison 21st century electric insurments series)の原型を完成させるが、モンタナ(Montana)のマンドリン工場が閉鎖され商品化はされなかった。これはA.グレゴリーが7単弦ギター開発後に行っていたプロジェクトで、最初の試作機は1992~1993年にウェスト・カスタムショップのロジャー・グリフィンが響胴を、塗装とロゴ入れをナッシュヴィルのギブソン・ワークショップが担当したとのこと。バロック期のヴィオロン合奏に傚ってソプラノ・ヴィオロン相当のザ・ニュー・マンドリン(The New Mandolin)、アルト・ヴィオロン相当のザ・マンドラ(The Mandola)、テノール・ヴィオロン相当のザ・マンデローネ(The Mndelone)、ヴィオロンチェロ相当のザ・マンドチェロ(The Mandocello)から成る。このうちプライムギターの音域より低い低音を持つものはザ・マンドチェロだが、24f5単弦仕様を採用することで最高音はプライムギターと同等にしたC2-G2-D3-A3-E4。コンパウンド・ヘッド採用でギブソン製フューユラ・プロトタイプ型響胴。コリーナ製桿棹&響胴、ブラジリアン・ローズウッド指板でPUはダンカン。弦はダダリオ製で0.068吋、0.044吋、0.028吋、0.017吋、0.010吋。コリーナは アッシュ系のアフリカン・リンバ・ウッドのこと。この後A.グレゴリーはフェンダー社で開発に携わりつつ、更に拡張したエレクトリック・ギター・オーケストラ楽器を開発、ペンタシステム(Pentasystem)というブランドを立ち上げる。そして2001年に13器編成のペンタ・オーケストラ(PENTA ORCHESTRA)によるアルバム 『アナザー・ミレニアム?(ANOTHER MILLENNIUM?)』も発表しているが、2004年には雑事を避ける為としてペンタシステムの技術一切をペン・ファイヴ・ギターズ(Pen 5 Guitars LLC.)に売却したとのこと。 これらA.グレゴリー開発の類似の楽器に関しては「ペンタシステム」及び「Other I 」参照。またヴィオロンの合奏に使われる調弦に関しては「Sky V」参照。尚M. A. グレゴリーは一連のギター開発の功績が認められて 2006年11月9日にハリウッドでLA音楽賞(LA MUSIC AWARD)を贈呈されたとのことで確認中。

 1998年には夏にナッシュヴィルで開催されたNAMMでM. A. グレゴリーが 27f5単弦チェロバスター(Cellobaster)を発表している。これは元々自身開発のソリッド・ボディ型7単弦ギターが A4弦追加を目的に製作されたことから低音弦の追加に適していない一方で、B1弦追加の流れを受けて低音向けにM.A.グレゴリーが開発したもの。 B1弦追加7単弦ギター奏者の多くがリズムの強調に低音3本の弦を使用し高音弦が使われないことや多弦化による消音の難易度上昇を考慮して5単弦とし低音弦の鳴りに重点を置いた設計となっているが、27f及び5度調弦によって音域自体はA1~E♭6とレギュラーチューニングの24f7単弦ギターより半音多くなっている。また、5度調弦により5度の重音で構成されるパワーコードが容易に押弦出来るようになっている。弦蔵はA1弦の張力確保の為に5列目の糸巻が1段落とされた立体配置になっている。主に7単弦ギターからの乗り換えを想定しており、メソッズ・オブ・メイハム(METHODS OF MAYHEM)のトミー・リー(Tommy Lee)、オージー(ORGY)のライアン・シャック(Ryan Shuck)、スマッシング・パンプキンズ(SMASHING PUMPKINS)のビリー・コーガン(Billy Corgan)、リンプ・ビズキット(LIMP BIZKIT)のDJリーサル(DJ Lethal)及びウェス・ボーランド(Wes Borland)、エリック・フリードマン(Erik Friedman)、グレイト・ホワイト(GREAT WHOITE)の故タイ・ロングレー(Ty Longley)等が使用したとのこと。

 ダンエレクトロではショートホーン型、ロングホーン型が再び復刻され2001年まで製造される。1999年にはモデル1376も復刻されていた。奏者ではタコマ(Tacoma)出身の歌手・ギター奏者ジェリー・カントレル(ジェリー・ファルトン・カントレル・ジュニアJerry Fulton Cantrell Jr.)が1998年4月発表のアルバム『ボギー・ディポ(BOGGY DEPOT)』でバリトンギターを使用。リップスティック形PU搭載ということからダンエレクトロ製もしくはジェリー・ジョーンズ製復刻版と思われる。カントリー音楽風の楽曲を収録していることが理由と考えられるが、J.カントレルはそれ以前でもシアトルのロック・バンド;アリス・イン・チェインズ(ALICE IN CHAINS, A. I. C.)で使用したことがあると語っており詳細確認中。

 ロイ・ズィ(Roy Z)はトライブ・オブ・ジプシーズ(TRIBE OF GYPSIES)名義のアルバム『レヴォリューション・サーティーン(REVOLUTION THIRTEEN)』収録の「マザーズ・クライ(Mother's Cry)」で「モリアシアン・ギター(Molliasien Guitar)」と名付けたギブソン製ギターにベース弦を張ったB1調弦を使用、また同時期に参加したブルース・ディッキンソン(Bruce Dickinson)のソロ・アルバムでも使用したとのこと。

 アンスラクス(ANTHRAX)のスコット・イアン(Scott Ian)は 手持ちのジャクソン製JJの1本をG#1-C#2-G#2-C#3-G#3の5単弦仕様にしてこの時期演奏会で使用している。 弦はベース弦で糸巻の1つは除去、上駒も5単弦用に変更している。PUはダンカン製バー・ポールピースの物ということだが詳細不明。

 1990年代末はソリッド7単弦ギターが拡大を始めた時期でもあり、6単弦ギターの調弦を短2度~長2度下げたE2♭調弦やD2調弦、7単弦ギターの低音域を念頭に置いた4度下げ相当B1調弦の製品が発表されている。これは6単弦仕様にのみ慣れた奏者が7単弦ギターの音域を6単弦ギターで扱いやすくする為や音響上低音域の発音に適した設計を施した仕様で、標準調弦が2度下げ程度のものは敢えてバリトンギターと示されることはなかった。主な仕様変更は弦長のテンション対策及び太いゲージによるサドルでの弦浮き対策、PUの低域強調、響胴の質量増加など。その他の7単弦エレクトリック・ギターについては「Sky IV」参照。 この他ギター弦の様々な種類が充実してきたこともあって通常のプライムギターに太い弦を張って調弦を下げ事実上のバリトンギターとして使用する用法がロック音楽の間では珍しくない状況になっており、モダン・ヘヴィネス(Modern heaviness)とも総称されている。

 27inch(685.8㎜)の6単弦ギターとしては1999年6月に登場した22fのESP製MG-280がある。2001年2月には星野楽器アイバニーズのカリフォルニア・カスタム・ショップから24fのRG6CSD2S6CSD1がアメリカで発表され、それを受けて同年に日本でもRG970XLが発売されている。

 27吋(685.8㎜)より長い弦長を持つバリトンギターとしては2000年頃までにメイプル桿棹ローズウッド指板バスウッド響胴でPUにX-TRA-Bを2機備えた弦長33.5吋(846.667㎜)のMSB-1000荒井貿易株式会社(Arai & Co.,Inc.)のギター・ブランドであるアリア・プロⅡ(Aria Pro II)からメイプル製桿棹ローズウッド製指板アルダー製響胴でPUにALB-1を3機搭載した弦長33.5吋(846.667㎜)のBB-1000が発売されている。また2000年11月頃にはフェンダー・カスタム・ショップ(Fender Custom Shop)のマスター・ビルダー、フレッド・ステュアート製作による1963年仕様ベースⅥの復刻版が 3本製作された。これは山野楽器千葉店の依頼による物で、バーズアイ・メイプル桿棹2片アルダー製響胴とのこと。 年末にはヤマハが弦長666.8㎜でB1調弦の24F6単弦バリトンギターRGX420S-D6を発売した。

 奏者としては2000年にP.ギルバートがロックバンド、レーサーX(RACER X)名義のアルバム『スーパーヒーローズ(SUPERHEROES)』第3曲「ゴジラ(Godzilla)」でPGM 700試作バリトン仕様機を使用。キングス・エックス(KINGS X)のヴォーカル&ギター奏者タイ・テイバー(Ty Tabor)はアルバム『プリーズ・カム・ホウム・ミスター・バルボス(PLEASE COME HOME MR. BULBOUS)』でヤマハ製シグナチュア・モデルRGX-TT-D6を使用、商品としてもこの年に発売されている。

 ダンエレクトロではJ.ペイジがこの頃既にジェリー・ジョーンズ製ロングホーン型ダブルネックを、ストーン・テンプル・パイロッツ(STONE TEMPLE PILOTS)のディーン・デレオ(Dean Deleo)がアルバム『ナンバーフォウ(No.4)』第9曲「アイ・ガッチュウ(I Got You)」のソロでロングホーン型6単弦テナーベース・ギターを使用している。

 2001年には弦長792mm27f6単弦のドラゴンフライB6(Dragonfly B6)やそのディヴァイディッドPUGK搭載仕様、トム・アンダーソン(Tom Anderson)製バリトム(Baritom)、フェンダー及びスクワイア・ブランドからサブ=ソニック(Sub-Sonic)が発表された。またダンエレクトロもバリトンギターの新作を発表している。

 奏者ではロック・ベースギター奏者ビリー・シーン(ビリー・シーハンBilly Sheehan)がソロ・アルバム『コンプレッション(COMPRESSION)』でB1調弦のヤマハ製6複弦バリトンギターを使用してソロを録音、4月後半に販売促進活動で来日した際、ギター雑誌『ヤング・ギター(YOUNG GUITAR)』の誌上コンクール企画課題曲「ビーエス・ジャミング(BS Jamming)」に同楽器を使用したソロを録音している。スウェーデンのバンド、ソイルワーク(SOILWORK)のピーター・ウィッチャーズ(Peter Wichers)とオーラ・フレミング(Ola Freming)は録音・演奏会共にE4弦を外しB1弦を加えた4度~長3度のアルゼンチン・ギタローン風B1調弦を使用した。

 この頃ブライアン・セッツァー(Brian Setzer)がグレッチ製スペクトラ・ソニック・シリーズ(Gretsch Spectra Sonic Series)のバリトンギターを使用、10月には日本の楽器フェスティバルでも展示された。2001年発表のアルバム『イグニション(IGNITION!)』第2曲「5年4ヶ月と3日(5years, 4months, 3days)」のソロではダンエレクトロ製のベースにリヴァーブ効果をかけて演奏したとのことだが、これが4単弦ベースギターなのか6単弦テナーベースギターのことなのか確認中。またP.ギルバートは「トラップト・イン・トイ・ランド(Trapped in Toy Land)」でPGM-700試作バリトン仕様機を使用している。

 2002年1月には弦長700㎜、B1調弦でオリジナルPU搭載のドラゴンフライB6 イル・クオレ(il Cuore I)が発売された。またグレッチ製シルヴァー・ジェット(Silver Jet)の6単弦プライムと6単弦バリトンによる双棹仕様がNAMMで展示された。

 奏者では1990年代から7単弦ギターを使用していたディーノ・カザレス(Dino Cazares)がこの頃フィア・ファクトリー(FEAR FACTORY)の演奏会でG1調弦のアイバニーズ製カスタム7単弦バリトンギターを使用している。 また、クリーヴランド出身のギルビー・クラーク(Gilby Clarke)は2002年2月発表のソロアルバム『スウォグ(SWAG)』第5曲「マルガリータ(Margarita)」でダンエレクトロ製バリトンギターを全弦半音下げでリード楽器として使用している。理由はベースの音に厚みを加える為とのこと。G.クラークはロック・バンド、ガンズ・アンド・ロージズ(GUNS N'ROSES)に在籍していたことでも知られるが、バリトンギターは以前から既に使用していたという。

 2003年ではベン・ムーディ(Ben Moody)がロック・バンド、エヴァネセンス(EVANESCENCE)のアルバム『フォールン(FALLEN)』第1曲「ゴウイング・アンダー(Going Under)」及び第7曲「イマジナリー(Imaginary)」でアルゼンチン・ギタローン風B1調弦を使用。またローランド・グラポウ(Roland Grapow)は同年8月にロック・バンド、マスタープラン(MASTERPLAN)のツアーで来日した際、ヤマハ製RGX-TT-D6を入手し、演奏会での「ブリーディング・アイズ(Bleeding Eyes)」演奏にA#1調弦で使用した。

 ジョージ・リンチ(George Lynch)はこの年に発表したリンチ・ピルソン(LYNCH PILSON)名義のアルバム『ウィキッド・アンダーグラウンド(WICKED UNDERGROUND)』でバリトンギターを多用した他、リンチ・モブ(LYNCH MOB)名義のアルバム『レヴォリューション(REVOLUTION)』で1曲を除き全てにメインで使用。楽器はLTD製ヴァイパー(Viper)とESP製弦長27.5吋(698.5㎜)、S.ダンカン製スクリーミン・デーモンPU搭載の特注バリトンギター「グリーン・マナリシ(Green Manalishi)」を左右のチャンネルに分けて録音したとのこと。それぞれB1調弦。

 パープルやエンペラーを一時期所有していたH.エンゲルケもこの年に発表したドリームタイド(DREAMTIDE)名義のアルバム『ドリームズ・フォー・ザ・デアリング(DREAMS FOR THE DARING)』収録の「リヴ・アンド・レット・リヴ(Live and Let Live)」でフェンダー製サブ=ソニック(Sub Sonic)をC2調弦で使用したと語っている。なお彼のメイン・ギターについては「NCC-1701H」参照のこと。

 リーズ・サミット(Lee's Summit)出身のジャズ・ギター奏者パット・メシーニ(パトリック・ブルース・メシーニPatrick Bruce "Pat" Metheny, パット・メセニー)はトロント(Tront)の楽器製作家リンダ・マンザー(Linda Manzer)によるアコースティック・バリトン・ギターを使用してアルバム『ワン・クワイエット・ナイト(One Quiet Night)』を発表している。調弦はA1調弦から3~4列目をオクターヴ上げたハーフ・ナッシュビル(Half Nashville)と呼ばれるもので、ギターを始めた当初出身地のミズーリ州リーズ・サミットには存在していた調弦とのこと。

 アメリカのロックバンド、ドリームシアター(DREAM THEATER)のギター奏者ジョン・ペトルッチ(John Petrucci, ジョン・ペトルーシ ※日本では英語読みで記述されるが本人の自称は伊語読みのペトルッチ) が『トレイン・オブ・ソウト(TRAIN OF THOUGHT)』第1曲「アズ・アイ・アム(As I Am)」、第7曲「イン・ザ・ネイム・オブ・ガッド(In the Name of God)」等で 6単弦プライム・ギターのC2調弦を使用したとのこと。

 2004年にはチープトリック(CHEAP TRICK)のリック・ニールセン(Ric Nielsen)がヘイマー製五棹ギターにバリトン音域の物を入れている。 五棹ギター自体は1980年にオレンジ色の物を製作させていたが、これは6単弦ギターの各仕様を織り込んだものだった。目的は演出ではなく実際に使用するためで、単棹でも複数のギターを抱えて使い分けることは頻繁に行っている。2001年には響胴に市松模様をあしらった6複弦+固定下駒6単弦+ケーラーユニット下駒6単弦+テレキャスター仕様6単弦+無柱指板6単弦の30コース36弦仕様も使用している。新型は4複弦エレクトリック・マンドセロを使用して気に入ったことがきっかけのようで、 6複弦+6単弦+7単弦+4複弦+6単弦の29コース39弦仕様。2つの6単弦桿棹は下駒の種類の違い、7単弦桿棹はブルドンB1で弦長26.25吋(666.75㎜)となっている。

 またアーク・エネミー(ARCH ENEMY)はアルバム『アンセムズ・オブ・リベリオン(ANTHEMS OF REBELLION)』収録の「インスティンクト(Instinct)」において、録音ではエクストラ・ロング・スケールの7単弦ギターを使用したものの桿棹の巾が広く舞台では演奏に没頭できないとの理由で演奏会ではM.アモットがLTD製24f6単弦SG形VB-300を、クリストファー・アモット(Christopher Amott)がLTD製海外向けモデルの24f6単弦HB-300を使用している。ただ調律は音の輪廓がぼやけるとの理由で1999年以降実演ではC2調弦にしている。またM.アモットはアメリカのロック・バンド、メタリカ(METALLICA)のヴォーカル&ギター奏者ジェイムズ・ヘットフィールド(James Hetfield)が使用していたのを見てESPに注文、ストラトキャスター形の22f6単弦バリトンギターF-Baritone STDを2004年6月の来日時に入手している。なおJ.ヘットフィールドのバリトンギター使用に関しては確認中。メガデス(MEGADETH)のデイヴ・ムステイン(Dave Mustaine)は『ザ・システム・ハズ・フェイルド(THE SYSTEM HAS FAILED)』でESP製バリトンギターを使用したとのこと。

 2005年ではジェリー・ジョーンズがダンエレクトロ・モデル1376を限定復刻生産した。 またシェクターからは上棹が弦長26.5吋24f6単弦、下棹が弦長25.5吋24f6単弦の双棹ギター、トゥウィン・トライバル(Twin Tribal)が発売されている。響胴材はマホガニー、3層マホガニー桿棹ロースウッド指板、セットネック接続でPUはS.ダンカン製HB-102。コントロールはフロントPUのスプリット・スイッチ兼用のヴォリュームとリアPUのスプリット・スイッチ兼用のトーン、3ウェイPUセレクター、2ウェイ桿棹セレクター。糸巻はグローヴァー製。LTDもこの年までにESP製ヴァイパーのバリトンギター仕様2種類、MH型2種類、ステファン・カーペンター(Stephen Carpenter)・シグナチュア・モデルのバリトンギター仕様を発売している。

 奏者ではM.アモットがスピリチュアル・ベガーズ(SPIRITUAL BEGGARS)名義のアルバム『ディモンズ(DEMONS)』を発表、第8曲「ボーン・トゥ・ダイ(Born to Die)」及び第10曲「イン・マイ・ブラッド(In My Blood)」でLTD製VB-300をA1調弦で使用している。 金属弦アコースティックギター奏者の押尾コータロー(Kōtarō Oshio)もアルバム『パノラマ(PANORAMA)』でB1調弦を使用したようで確認中。

 ジェリー・ジョーンズは2006年にもUB-2型の6単弦テナーベース及びバリトンをビート族ブルゴーニュ(Beatnik Burgundy)、金塊(Gold Bullion)という2色、共に「バリトン」という名称で発表している。ショートホーン型及びロングホーン型も2006年以降生産を再開しているようだ。

 奏者ではエゴ・ラッピン(EGO-WRAPPIN)の森 雅樹(Masaki Mori)がサイケデリズム(Psychederhythm)製フェンダーⅥ型バリトンギター:スウィンギン・シックス(Swingin' 6)を使用。表アッシュ裏マホガニー響胴で、ギターより太い歪んだ音が欲しい時に、 演奏会ではベースと違う音が出せるという理由でギター・アンプを使用して単音やコードを弾くとのこと。 アルバム『オン・ザ・ロックス(ON THE ROCKS!)』収録の「サンダンス(Sundance)」ではアコースティック・ギターに重ねて使用しているという。

 この頃の詳細調査中のものでは、10月に発表されたミート・ローフのアルバム『地獄のロック・ライダー3~最後の聖戦!(BAT OUT OF HELL III THE MONSTER IS LOOSE)』の第1曲「ザ・モンスター・イズ・ルーズ(The Monster is Loose)」にプライム・ギターの固定音高調弦より低い音が使用されている点がある。当曲の作曲及びリード・ギター演奏にジョン・ファイヴ(ジョン・ロウリーJohn "5" Lowery)が関わっているが、彼はバンド:マリリン・マンソン(MARILYN MANSON)時代にアイバニーズ製7単弦ギターAX7-521を使用していた事が知られている。但しこの時期はフェンダー製バリトンギターのサブソニック(Subsonic)を使用していることからバリトン・ギターの可能性が高い。プライム・ギターの変則調弦の可能性も含めて調査中。尚AX7はジョン5の要請によって6単弦ギターのAXシリーズを元に開発され2000年5月頃に市販化されている。日本のロック・バンド:ビーズ(B'z)の松本隆弘(Takahiro "Tak" Matsumoto)が同機のカスタム仕様の楽器を使用したことがあるが、録音情報の詳細は「Sky IV」脚注の最下表参照のこと。

 マシーン・ヘッド(MACHINE HEAD)のロブ・フリン(Robb Flynn)が2006年以前にバリトンギターを使用したことがあると語っている。機種は不明。

 2008年にはジェリー・ジョーンズが22f6単弦ダノ '63バリトン(Dano '63 Baritone)をレッドバースト(Red Burst)、金(Gold)、黒(Black)の3色発売している。

 奏者ではロック・バンド、スリップノット(SLIPKNOT)のミック・トムソン(7:Mick Thomson)及びジェイムズ・ルート(4:James Root)が2008年8月発表のアルバム『オール・ホープ・イズ・ゴーン(ALL HOPE IS GONE)』でメインギターを通常のテレキャスターB1調弦で6列目のみ更に1音下げ、曲によって通常のテレキャスターをC#1調弦で6列目のみ更に1音下げ、金属弦アコースティックギターをC#1調弦、第3のギタートラックにフェンダー製ベースⅥ復刻版を使用している。

 また日本のデルヒ(DELUHI)のギター奏者レダ(Leda)が11月発表のシングル『マハーデーヴァ(MAHADEVA)』第2曲「(Ivory and Irony)」で、ブラジルのメタル・バンド、ヒブリア(HIBRIA)による12月発表のアルバム『ザ・スカル・コレクターズ(THE SKULL COLLECTORS)』タイトル曲のメイン・リフではアベル・カマルゴ(Abel Camargo)がウォッシュバーン製N4で、それぞれ アルゼンチン・ギタローン風B1調弦を使用している。

 B.シーンはソロ・アルバム『ハリィ・カウ(HOLY COW!)』第1曲「イン・ア・ウィーク・オア・トゥ(In A Week or Two)」でフェンダー・カスタムショップ製サブソニックを使用、第4曲「ア・ブラッドゥレス・カジュアルティ(A Bloodless Casualty)」のソロでヤマハ製6複弦バリトンギターを、日本盤ボーナスの第12曲「スウィミング・アンダーウォーター(Swimming Underwater)」でも複弦独特の反響を好んでヤマハ製6複弦バリトンギターを和音伴奏に使用している。

 2009年では、ミュージック・マンの高級ブランド、BFRシリーズからジョン・ペトルーシ・ビーエフアール・シックス・バリトン(John Petrucci BFR 6 Baritone)が登場。これはJ. ペトルッチのシグナチュア・モデルで、本人は2008年春までには既に演奏会で使用していた。弦長は27.5吋(698.5㎜)で24f。響胴は表メイプル裏アルダー、トーンブロックにマホガニー。桿棹はマホガニーにローズウッド指板。PUはフロントがディマジオ・カスタム、リアがDソニック。下駒はピエゾPU内蔵で3ウェイ・トグル・スイッチで切替可能という仕様になっている。日本への初回入荷は6本とのこと。6月に発売されたドリームシアターのアルバム『ブラック・クラウズ・アンド・シルヴァー・ライニングス(BLACK CLOUDS & SILVER LININGS)』第3曲「ウィザー(Wither)」ではB♭1調弦として使用したとのこと。当アルバムでは他に 第1曲「ア・ナイトメア・トゥ・リメンバー(A Nightmare to Remember)」で6単弦プライム・ギターをC2調弦にして使用したと語っている。

 1月のNAMMショウではアイバニーズ・ブランドから低音楽器が発表され、SR7VIISC BKとして2009年7月以降日本でも発売される予定とのこと。24f7単弦で調弦は特に決まっていないようだが標準はB0-E1-A1-D2-G2-B2-E3のようだ。これは一般的なB1調弦7単弦プライム・ギターの8度下となり、弦はダダリオ製の0.025吋、0.035吋、0.045吋、0.055吋、0.075吋、0.095吋、0.120吋とのことで、フェンダーⅥの標準ゲージに低音を追加した仕様になる。音域分類上はコントラバス・ギターとなるが、既述の通りコントラバス・ヴィオロンをギター化したベース・ギターとプライム・ギターを低音化したバリトン・ギターという由来の違いを考慮して敢えて分類すれば、弦長30.3吋、弦間11.0㎜というとのことからベース・ギターの多弦仕様というよりは7単弦バリトン・ギターと言える。通常の4単弦ベースギターの弦間は19㎜、多弦仕様で狭くしたものでも15㎜以上ある。

 またPRSギターズはステインド(STAIND)のギター奏者マイク・マショク(Mike Mushok)向けのシグナチュア・モデルとなる弦長27.7吋(703.58㎜)の22 f6単弦バリトン・ギターSE Mike Mushok Signature Modelを発売。メイプル桿棹エボニー指板マホガニー響胴でPRSギターズ初のバリトン・ギターとなった。

 6月にはフェア・ウォーニングの新譜『オーラ(AURA)』が発売されたが、第7曲「ウォーキング・オン・スマイルズ(Walking on Smiles)」ではH. エンゲルケがフェンダー・カスタムショップ製サブソニックをリズム・ギターのメイン・パートで厚みを持たせる為プライム・ギターに重ねて使用している。

 一方ベースギターも1980年代以降多弦化が進み1987年にはマイケル・トバイアス(Michael Tobias)がゲイリー・グッドマン(Garry Goodman)向けに7単弦仕様を、1995年にはビル・コンクリン(Bill Conklin)がビル・ブッダ・ディケンズ(Bill "Buddha" Dickens)に初の9単弦ベース・ギターを進呈、2004年にはマイケル・アドラー(Michael Adler)が11単弦を製作している。この場合、一般的にギターのような長3度を含む方法をとらない完全な4度調弦が多く、低音はF#0、C#0、高音はC3、F3、B3、E4と加えられていく傾向にある。ちなみに複弦仕様に関しては1968年の時点でスウェーデンのハグストロム(Hagstrom)が20f4複弦HB-8を発売しており、J.ヘンドリクスが「スパニッシュ・キャッスル・マジック(Spanish Castle Magic)」で、ベース奏者のノエル・レディング(Noel Redding)が「ユー・ガット・ミー・フローティン(You Got Me Floatin)」及び「リトル・ミス・ラヴァー(Little Miss Lover)」で使用、またレッド・ツェッペリンのジョン・ポール・ジョーンズも使用したとのことで確認中。極短期間しか生産されなかったようだが、2008年末には改訂版が登場している。改訂版の弦長は30.75吋(781.05㎜)で副弦は総てオクターヴ上。この他 1978年にはヘイマーがトム・ピーターソン(Tom Petersson)向けに6複弦仕様を製作している。

 なお、多弦ベースギターにおける奏法は基本的に一般的なベースギターと変わらないが、弦が多くなるとチャップマン・スティック(Chapman Stick)などに利用される両手タッピングが好まれる。これにより伴奏を含んだ演奏に柔軟性が出るため独奏されることも多い。ピックの利用は希。ベースギターでは親指を低音側の弦に置いた形でのレスト・ストローク(Rest Stroke; アポヤンドApoyando)がしばしば利用されるが、多弦化された場合親指を浮かせた状態(Floating Thumb)で適宜不要な共鳴を起こす弦に当てて消音する方法もとられる。これはリュートやギターの多弦仕様を指撥する場合にも共通して行われている技術。それ以外では上駒付近にゴムバンドなどを巻いて開放弦の消音をする工夫がなされることもある。エレクトリック・ギターでもタッピング奏法を好む奏者の中には同様の手法で消音行うことがある他、ストリング・ダンパーと呼ばれる消音装置を追加することもある。

 多弦ベースギターの主な奏者としてはA.ジャクソンの他 フェリペ・アンドレオリ(Felipe Andreoli)、 ジャン・ボーダン(Jean Baudin)、 ボー(BOH)、 アル・コールドウェル(Al Caldwell)、 グレゴリー・ブルース・キャンベル(Gregory Bruce Campbell)、 ユヴェス・カーボン(Yves Carbonne)、 アラン・キャロン(Alain Caron)、 ケヴィン・チャウン(Kevin Chown)、 メルヴィン・デイヴィス(Melvin Davis)、 ポール・デラノ(Paul Delano)、 ビル・ディケンズ(Bill Dickens)、 ネイザン・イースト(Nathan Harrell East)、 カイ・エクハルト(Kai Eckhart)、 ジョン・ギャラガー(John Gallagher)、 ゲイリー・グッドマン(Garry Goodman)、 トニー・グレイ(Tony Grey)、 トレイ・ガン(Trey Gunn)、 ジミー・ハスリップ(Jimmy Haslip)、 スコット・ハベル(Scott Hubbell)、 今沢カゲロウ(Quagero Imazawa)、 ジョコⅢ-Ⅹ(Jauqo III-X)、 スチュワート・マッキンゼイ(Stewart McKinsey)、 ジョン・マイアング(John Myung)、 中村正人(Masato Nakamura)、 ジョン・パティトゥッチ(John Patitucci)、 ドミニク・ディ・ピアッツァ(Dominique Di Piazza)、 チャック・レイニー(Charles Walter Rainey III)、 櫻井哲夫(Tetsuo Sakurai)、 バリー・スパークス(Barry Sparks)など。