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Mega Wing 搭載前? |
胴材はマイティ・ウィングと全く同じ仕様とされる7単弦ミレニアムからはマホガニーと推測される。加工性・耐久性・乾燥性が高く狂いも少ないことから古来より銘木として知られており、通常は家具や彫刻、自動車内部の木製装飾部に利用。特にホンジュラス(Honduras)産の物が珍重される。ソリッド・ギターでは中音域が豊かで丸みのある音が出るとされているが、「中音域」が具体的にどの範囲の音をどのような状態で鳴らしたものかは不明。
音域の高低に関して全楽器共通の定義があるのかは不明だが、一般論としてエレクトリック・ギターでいう「中域」は、或る音に含まれる400㎐~1㎑の成分を指し、「低域」は100~250㎐、「高域」は1㎑以上。弾弦時のアタック音については固定音高調弦で1~3㎑中心の成分と考えられている。また所謂「ドンシャリ」と呼ばれる音色は出音のうち800~1k㎐の成分を削ったものをいう。PUはスカイギターシリーズ唯一の2PU仕様でフロントは27~29f直下にある。完成当初の搭載種はリフレックスであったと推測されるが未確認。メガウィング完成以降はH-H仕様で搭載。制禦系はマスターボリューム、高域と中域のイコライザーコントローラー、ゲインコントローラー、PUバランサー*11。 また別に5セッティングPUセレクターもある。初期に低域イコライザーの存在も語られたことがあるもののその後メディアでの解説では高域と中域のみ登場しており詳細不明。メガウィング搭載前はボリューム、トーン、ゲインとPUセレクターだったと推測される。アルバム『天上の至楽(TRANSCENDENTAL SKY GUITAR)』のブックレットには現在の物と仕様の違うS-H配列3ノブ仕様のマイティ・ウィングが写っており、これがメガウィング搭載前の物である可能性もあるが詳細は不明。
開発当時としては実験的な試みとなる7単弦用下駒の製作はロッキンガー社が担当、テンション・スプリングは3本、カウンター・スプリングは2本施されている。弾弦部の弦間は狭く、7コース分が6コース用PU幅に収まる範囲内で弦高およびテンションはPUのトーンを考慮して高めとのこと。複数の写真からの概算による推測では下駒での弦間が9~9.4㎜ほど、上駒巾は47.5㎜ほどと思われるが、詳細確認中。
糸巻は1~4列目がスパーゼル製のロック式、5~7列目がクルーソン(Kluson)製・デラックス(Deluxe)。2001年頃ロック式は外す予定があると語っていたがその後も仕様は変わっていないと見られる。 2006年末頃からトゥロニカル製パワー・チューンの7単弦仕様の開発を始めているが、6単弦仕様と異なるプログラムやピエゾPU搭載下駒の製作が必要となるため2008年11月現在も未搭載。
塗装はギターに付いているアクセサリーが元になっている。これはU.J.ロートがアンティークショップで見つけたブローチで宝石的な価値はない。護板は金鍍金を施した真鍮製。現在のU.J.ロートのメインギターで、柔軟性があるところからクラシック音楽などの複雑な曲に使用されるということだが、演奏会ではロック音楽も含めて多くの演奏で利用されており、2005年頃からはほぼこれ1本で通すことが多かった。しかし調弦の手間を嫌うU. J.ロートは2007年頃からトゥロニカル製パワー・チューンが搭載されたエンペラーを演奏会で多く利用するようになり、同機能未搭載のマイティ・ウィングは利用頻度が落ちている。また2008年11月現在、フレットが減って29fの音にビビりが生じるようになっていると語っている他、護板の鍍金剥がれや響胴の一部に塗装剥がれなども目立つようになってきている。
名称は英語で「強力な翼」もしくは「大きな翼」といった意味合いかと推測されるが、J.ヘンドリクスの「リトル・ウィング(Little Wing)」に対応している可能性も考えられる。1993年12月以前には名付けられており1994年1月には雑誌記事での発言にも見られ、以降この名前で呼ばれることが通常。響胴裏側の棹胴接続部付近に「Mighty Wing」とサインが入っているところ、製作段階で既に名付けられていた可能性もある。5号機デスティニーとの対概念からは不死鳥を表す希語起源の英語「フェニックス(Phoenix)」という別称を持ち、アルバムの副題とも関係している。
調弦に関しては一般的なもので7列目はB1に設定。これは規則的にE2の4度下を導入したもので、理論的に考えて自然に決まったとのこと。既述の通りそれまでの7列目の調弦といえばA1やC2、D2などが一般的だったが、U.J.ロートは当初からB1以外全く考慮しておらず、5単弦・6単弦ベースやA4追加の7単弦ギターも含めて他楽器の情報も一切知らなかったと語っている。追加の理由が単に低音域の拡張だけではなく運指上の観点が含まれていることも影響しているとみられる。それでも変則の可能性を排除するわけではなく、かつて誌上では曲によってG1まで下げることもあると語ったこともあり、現在でも時々C2またはA1をとることがあるとのこと。その他J.ヘンドリクスの曲では短2度下げ、A. L.ヴィヴァルディ作曲の所謂「四季(和声とインヴェンションの試み 作品8 第1集~第4集 Il Cimento Dell'Armonia e dell'Inventione (Opus 8) 協奏曲第1番 ホ長調 「春」Concerto Nr.1 in mi maggiore "La primavera" RV 269, 協奏曲第2番 ト短調「夏」Concerto Nr. 2 in sol minore "L'estate" RV 315, 協奏曲第3番 ヘ長調「秋」Concerto Nr. 3 in fa maggiore "L'autunno" RV 293, 協奏曲第4番 ヘ短調「冬」Concerto Nr. 4 in fa minore "L'inverno" RV 297)」演奏時は1~3列目のみ半音下げ。これは半音で28f相当の音があるためとみられる。
7単弦スカイ・ギターの開発自体は1986~87年頃に始まったが、1978年には既にストラトキャスターは低音に制約があると述べており、エンペラー開発過程でも棹を延長し従来より2f分弦蔵側にフレットを追加したベースエクステンションを試している。また1985年前半には、フェンダーは嬰記号が多い調の楽曲、ニ短調、ヘ長調はいいが変記号が多い調の楽曲には向いておらずホ調も低音に制限があるのでフレットを作らずにニ長調にするシステムを開発しカポタストでE♭にしたいといったアイデア等も語っている。当時は通常長2度下げでブルドンをE♭2やD2にしていたようだ*12。2f分の指板延長から7列目追加へと変更された動機は更に低い音が出せると考えたからとのことで、1986年に作曲を始めた「スカイ協奏曲(Sky Concerto)」では既に7単弦ギターを想定している。作曲時点ではまだ7単弦ギターを手にしていないが、通常ピアノで作曲を行うので問題なかったようだ。この曲は翌87年に完成し初のスカイギターとオーケストラのための協奏曲となったが、初のソリッドボディ7単弦ギターとオーケストラのための協奏曲であり、またギター協奏曲全体を見渡しても7単弦ギターを想定した数少ない作品の1つとなっている。作品そのものは録音も実演もされていないが2001年に楽譜が出版されている。なお当曲を未完成とする記事もあるが出所不明で調査中。
ちなみに1991年2月に誌上で語った7単弦ギターの利点は次のようなものだった(抄約)。
・ヴィオロンチェロの音域確保(※原文ではスカイギターを対象に高域拡張も含めてバスを除く弦楽の音域確保と語っている)これらのうち、音域や調性の拡大、音響の充実といった効果は古くから言われている。詳細は後述。 ソリッド・ギターでは7単弦ギターの特徴として一般的に低音域の拡充が挙げられ、 広域演奏での運指上の利点が具体的に指摘されることは少ないが、5単弦ギターと比較をすれば6単弦ギターでも同じ事が行われており、5単弦ベースでの5列目ミドル・ポジションを利用した運指やヴィオロンチェロでの高域演奏時の低音弦利用等と並んで不文的ノウハウとして知られている。このような異弦同音を利用した移動の節約は棹胴接続位置の高域化やカッタウェイ導入など高音域演奏向けの工夫がより進んだエレクトリック・ギターで特に発揮する効果とも言える。 しかし1990年代末でも7単弦ギターの利点についてはかなり曖昧にされており、プロ奏者や専門誌レヴェルでも「カッコイイ」「目立つ」といった物珍しさを売りにしている状況は存在した。こうした中、星野楽器製アイバニーズ・ブランドの量産型が注目を浴びて間もない1991年初頭時点で既に7列目付加の利点をここまで具体的に語っていたエレクトリック・ギター奏者は数少なかった。
・取りうる調性の拡大
・ハ長調、ロ短調、嬰ハ長調の音響充実
・新しい和声の可能性
・3オクターヴにわたるフレーズやアルペジオの簡便化
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※マイティウィングを聴くことの出来る音源
ELECTRIC SUN 『EARTHQUAKE』(1981年 ※再販版のボーナストラックのみ)
SKY OF AVALON 『PROLOGUE TO THE SYMPHONIC LEGENDS』(1996年、ZEROコーポレーション)ソロ全て
Uli Jon Roth 『TRANSCENDENTAL SKY GUITAR』(2000年、日本クラウン)Vol.1のほぼ全てとVol.2の独奏曲等
Uli Jon Roth 『LEGENDS OF ROCK LIVE AT CASTLE DONIGTON』(2002年、日本クラウン) #1「Sky Overture」
Uli Jon Roth 『METAMORPHOSIS OF VIVALDI'S FOUR SEASONS』(2003年、日本クラウン) 全曲
Uli Jon Roth 『THE BEST OF ULI JON ROTH』(2006年、SPV) CD1-#1, 1-#3~#13, 2-#6
Uli Jon Roth 『THE BEST OF ULI JON ROTH』(2007年、Marquee) CD1-#1~#10, #14~18、CD2-#9~#10
Uli Jon Roth 『UNDER A DARK SKY』(2008年、Marquee)
Uli Jon Roth 『UNDER A DARK SKY』(2008年、SPV)
※マイティウィングを視聴可能な映像
Uli Jon Roth 『LEGENDS OF ROCK LIVE AT CASTLE DONINGTON』(2002年、日本クラウン) #1「Sky Overture」
SKY OF AVALON 『PROLOGUE TO THE SYMPHONIC LEGENDS』(2005年再発、Steamhammer)ボーナス映像「Cry of Night」
Uli Jon Roth 『THE BEST OF ULI JON ROTH』(2007年、Marquee) CD1-#20ボーナス映像「Cry of Night」
SCORPIONS 『A NIGHT TO REMEMBER - A JOURNEY THROUGH TIME』(2007年、BMGジャパン) #6「Pictured Life」、#7「Speedy's Coming」、#8「We'll Burn the Sky」、#22「Still Loving You」、#23「In Trance」、#24「Bolero」
various『LIVE AT WACKEN 2006』(2008年、ジェネオンエンタテインメント) #34「Speedy's Comming」
公式サイトのVideo Archiveで視聴可能な映像(無料)
Uli Jon Roth 『METAMORPHOSIS OF VIVALDI'S FOUR SEASONS』(2003年、日本クラウン) #1「Prelude to the Seasons」~#2「Venga la Primavera」
Uli Jon Roth 『LEGENDS OF ROCK LIVE AT CASTLE DONINGTON』(2002年、日本クラウン) #1「Sky Overture」
他、Uli Jon Rothのmy spaceでも数曲試聴可能(無料)
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マイティ・ウィングの完成年に関する記述は1987~1989年までメディアによって
バラつきがあるが、本稿では旧日本語公式サイトの年表を採用した。U.J.ロート本人も同様にコメントしており、
開発を始めたのが1986年か87年だと思うとのこと。「夏」の範囲に関しては現在確認中。
公における初使用は確認出来る中では1993年4月23日の交響楽団共演となるが、存在自体は1991年4月28日のブリュッセル公演まで遡ることが出来る。それ以前の使用履歴があるのかは現在調査中。
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外見上ツマミは5点だが最下部が2層式になっている。
従って詳細な機能割はデスティニーと違うものと考えられる。1~3号機の仕様から推測すれば護板の曲線に沿って上から
マスターボリューム、中音域EQ、ゲインコントローラー、高&低音域EQで、下駒右手がバランサーではないかと考えられるが、
低音域イコライザーは無いと考えた場合はデスティニー同様下駒右手が高音域EQで、最下部はフロントとリアを別々に
調節できるようにしたバランサーと考えられる。現在調査中。
なおイコライザーはスタジオ並の品質で低域は18㎐(C#0が17.32㎐、D0が18.35㎐)の音でも拾うとのこと。
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斜傾抱撮用として作られたソリッドボディ・エレクトリック・ギターとしてはメイン州(Main)オーバーン(Auburn)出身のジャズ・ギター奏者レニー・ブロウ(Leonard "Lenny" Breau)が1981年頃カリフォルニア州のトム・ホームズ(Tom Holmes)に製作を依頼したものが現状確認される最古の物となる。その後カーク・サンド(Kirk Sand)製20f仕様も製作され、メインギターとして使用された。1983年6月14日のトロント(Toronto)での演奏が『クワイアテュードQUIETUDE』として1985年末に発表されている。これはシャントレルにA4を追加した仕様で、その前身として1979年頃ドーフィン(Dauphin)製のホロウボディ型ナイロン弦ギターでも同様の仕様を備えていた。この調弦そのものはルネサンス期の7コース・ヴィオラ・ダ・マーノにも既にみられる他、ギターが5コース化した初期にも存在していた。和声が複雑な楽曲の場合所謂ロウ・ポジションでの対応和音が増えることで移動が省略でき演奏が簡便になるという効果や、長3度の位置がずれることから調弦の変更なくリュート曲へ対応しやすくなるという効果もある。 L.ブロウの場合、開発のきっかけはニュージャージー州(New Jersey)出身のジャズ・ピアノ奏者ビル・エヴァンズ(ウィリアム・ジョン・エヴァンズWilliam John "Bill" Evans)の和声を理想とするもので、適した弦を探し当てるまでは釣り糸を使っていたようだ。ナイロン弦の楽器では材質が同じで種類も豊富な釣り糸が流用されることは古楽器の分野でも行われている。金属弦ギターの高音弦に使われる程度の細さのナイロン線を使用するとA4等は比較的容易に出せるとのこと。またガットと同比重 の繊維状ナイロンから成るナイルガットと呼ばれる弦も存在し、基準音を下げて全体の張力を落とすことで通常金属巻弦を使っている低音弦もナイロン弦で対応出来る為複弦楽器等でも全弦ナイロン弦で対応している物がある。現代では楽器ごとに専用の弦が売られていることが多いが、獣腸弦の時代はハープの弦を基準にしてソプラノ・ヴィオロンやギターなど各種弦楽器に割り当てていたこともあったようだ。A.アブレウが1799年にサラマンカで出版した『5コース及び6コース・ギターを完璧に演奏するための教程(ESCUELA PARATOCAR CON PERFECCION LA GUITARRA DE CINCO Y SEIS ORDENES, ...)』に解説を寄せているレアル・モナステリオのオルガン奏者ビクトル・プリエト神父は、ギターの2列目にソプラノ・ヴィオロンの細めのシャントレル、3列目にはソプラノ・ヴィオロンの太めのシャントレルが合うとしている。なお47弦グランド・ハープでは現在でも音域によって金属巻弦、獣腸弦、ナイロン弦が混在している。巻弦に金属が使用される前はガットを巻いた物や細いガットを編み込んで巻いた物、金属粉末を混入して比重を上げるローデッドと呼ばれる物もあったようだ。また巻きの粗密によってオープンワウンド、ハイツイスト等と区別されている。 原理的には低音を出すために太い弦を使用する、太い弦に一定の張力を与える為に弦長を伸ばすといった過程を単位長あたりの重量・密度を増すことで省略した工夫。17世紀後半に生まれ弦の数や調律の多様化にも影響した。ギターでは18世紀まで5列目A2弦のみ巻弦だったところ、ゴータ出身でワイマール(Weimar)で活動していたヴィオロン製作家ヤーコプ・アウグスト・オットー(Jakob August Otto)が3列目D3及び4列目G3に初めて巻弦を採用したとの情報があり、真偽のほどを確認中。金属巻弦自体は1660年頃開発された、1675年頃既に存在していたとの情報があり確認中。ガット製巻弦は18世紀半ば以降で、これによって張力が上がったことから下駒の強化に繋がったという。20世紀後半のナイロン弦でも張力の増加傾向があり、1980年代以前にハイ・テンション扱いだったものが1990年代半ばにはノーマル・テンション扱いになっているという指摘がある。音色はより華やかになったという。 J. A.オットーはまた、1788年以降にアンナ・アマリア公爵夫人(ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ公エルンスト・アウグスト2世妃アンナ・アマーリア・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテルAnna Amalia von Braunschweig-Wolfenbüttel)がイタリアから持ち帰ったギターを元にドイツで初めてギターを製ったという話もある。より詳しくは詩人・軍人テオドール・ケルナー(Carl Theodor Körner)の父クリスティアン・ゴットフリート・ケルナー(Christian Gottfried Körner)が妻ミーナ・ストック・ケルナー(Minna Stock Körner)のために友人の詩人ヨハン・クリストフ・フリードリヒ・フォン・シラー(Johann Christoph Friedrich von Schiller)を通じてJ. A.オットーにギターの製作を依頼したということのようだが真偽確認中。
ナイロン弦はアルバート・オーガスティン(Albert Augustine)が楽器用の弦として初めて商品化し、A.セゴヴィアと親しかった歌手のオルガ・コエーリョ(Olga Coelho)がニュー・ヨークで初めてギターの弾き語りに使用した。ただしプレーン弦に関してはナイロン線を加工せずそのまま使用していることからA.オーガスティンが商品化する以前にガットや絹の芯線を使った巻弦と混合して使用された可能性もあり調査中。 ナイロン(Nylon)はデラウェア州(Delaware)ウィルミントン(Wilmington)にあるデュポン社(Du Pont)の中央研究所有機化学主任研究員だった有機化学者ウォーレス・ヒューム・カロザース(Wallace Hume Carothers)が1937年に合成し1938年に繊維素材として発売されたポリアミド合成繊維の商標。合成繊維中最強度で弾性、耐薬品性に優れていると言われる。
ナイロン弦以外の新素材を使った楽器用の弦としては、高強度で耐薬品性、熱耐性に優れる熱可塑性弗素重合体のポリ弗化ビニリデン(PolyVinylidine DiFluoride, PVDF)を使ったフロロカーボン弦も広く利用されている。工業製品原料としては高価だが、こちらもまた釣糸として使われる素材故楽器弦としては安価で大量に手に入ることやナイロン弦より密度が高く獣腸弦に近いことから代用獣腸弦の材料としても重宝され、特に株式会社クレハ(Kureha Corporation, 旧呉羽化学工業株式会社)製釣糸のシーガー(Seaguar)が知られている。E4弦は12号(0.57㎜)又は14号(0.62㎜)、B3弦は14号又は16号(0.66㎜)、G3弦は20号(0.74㎜)が適しているとの情報があり確認中。使用しているとささくれる点が欠点だが、これは羊腸弦でも同様に起こることで、小型の鋏等で除去して使われていた。 また表面に紙鑢で傷を付けた後黄色いセラック・ニス(ゴマラカ)を擦り込み、張力をかけながら左右に捩じると外見や音色が獣腸弦に近くなるとの事。熟練者ともなればかなり品質の高い自家製代用獣腸弦が製造出来るとの事で、一般に流通している既製品に対して密造ガットという渾名もあるようだ。ただしここで言う「密造」は単なる渾名であって違法性は無い。そもそも弗化ビニリデン繊維自体クレハ社が開発した物で、サヴァレス社製のアリアンス(Alliance)ブランドのKF高音弦としても使われ、日本でのサヴァレス弦の輸入総代理店を担っている。 商品化された斜傾抱撮用7コースソリッドボディギターについてはA.グレゴリーが発案しフェンダー社が製作した7単弦ストラトキャスターが最古の物で、アメリカで下駒や糸巻に係る2つの特許も1990年12月に出願、1992年12月に取得されている(※当時アメリカは先発明主義First to Invent。2007年秋に先願主義First to Fileへの改正が議会で可決されている)。これはN.パガニーニの『24の綺想曲(24 Capricci Op. 1)』を演奏する目的で1985年に構想され、A4弦に24f仕様で可能となる最高音A6も同曲第5番イ短調(Capriccio n.5: Agitato La minore)の冒頭を念頭に設定されたが、発表当初7単弦ギターは酷評されたという。 元々A.グレゴリーはソリッド・ギター以前にもホロウ構造の金属弦アコースティックギターで24f7単弦仕様を考案しギブソン社から発表しており、その時は7単弦フライパン同様イ長調調弦を設定していたが、弦列の配置は若干異なっている。エレクトリック・ギターの7単弦仕様においても1987年にギブソン社が興味を示したが、本人がエレクトリック・ギターに関してはストラトキャスターを好んでいたことから同年9月にフェンダー社と契約、ジョージ・ブランダ(George Blanda)によって設計されコロナ(Corona)にこの年設立されたフェンダー・カスタム・ショップで2本の試作品が完成する。これがフェンダー社のシグナチュア・シリーズ(SIGNATURE SERIES)としてはエリック・クラプトン(エリック・パトリック・クラプトンEric Patrick Clapton)、Y.J.マルムスティーンに続く3番目の事例とのことだが、正確にはE.クラプトン以前にハンク・マーヴィン向けに作った物がカスタム・ショップで最初との情報もあり詳細確認中。E.クラプトン・モデルは一般販売品では22fだが試作品では21f仕様で、1986年頃からE.クラプトンの演奏会で姿を見せていたという。またY.J.マルムスティーン・モデルは1987年1月15日に契約、アメリカン・スタンダード(American Standard Stratocaster)とヴィンテイジ・リイシューを基にしたマイケル・スティーヴンス製作による試作1号機が同年NAMMで発表されたが、本格的な生産は1988年夏以降。フェンダー製ギターでは初の凹槽指板仕様。それ以前の市販品で存在していたかは調査中。その後1998年と2008年に改訂が加えられている。なおカスタムショップ設立以前の特定奏者向けとしてはジェリー・バンド用に造られた8単弦スティール・ギターがCBS買収前唯一のカスタム機とのこと。
その後A.グレゴリーは7コース・ギターには執着せずエレクトリック・マンドリンや5度調弦の5単弦バリトン・ギター等の開発に移行しているが、フェンダー社は2000年頃からカスタムショップ製のショウマスター7(Showmaster VII)、2001年頃からスクワイア(Squier)ブランドでのショウマスター及びフロイド・ローズ製下駒搭載のステージマスター(Stagemaster)、22fH-H仕様のストラトキャスター7(Stratocaster VII)及び22fS-S-H仕様のFATストラトキャスター7(FAT Stratcaster VII)として発表している。 M. A. グレゴリー自身はその後2001年に『ヘヴィ・メタル・マンドリンの為の12の冗談(12 JOKES FOR HEAVY METAL MANDOLIN)』を発表しており、2009年には1曲追加した『ヘヴィ・メタル・マンドリンの為の13の冗談(13 JOKES FOR HEAVY METAL MANDOLIN)』が日本向けに発売予定となっているが、7単弦ギターを使用したかについては確認中。当該作品は1994(又は1995)年に制作を始めた『ヘヴィ・メタル・マンドリンの為の24の冗談(24 JOKES FOR HEAVY METAL MANDOLIN)』のうち2001年までに完成した12曲を発表したもの。主奏楽器は29f4単弦エレクトリック・マンドリンで、題名はN. パガニーニの『24の綺想曲』を元にしていると推測される。 制作が遅れた理由としては1997年以降ヤン・アッカーマン(Jan Akkerman)が始めた フォーカス2000(FOCUS 2000)のプロジェクトでディクスィ・ドレッグズ(DIXIE DREGS)のリズム・セクションを担当していたからという。M. A. グレゴリーは渡米以前、イギリスのBBCでセッション・ミュージシャンとして活動していた時期があったことからの縁かと思われるが詳細不明。この他2002年に 『ザ・ホーリー・グレイル・オブ・セヴン・ストリングス(THE HOLY GRAIL OF 7 STRINGS)』を発表しているとのことだが、こちらも7単弦ギター使用の有無については確認中。 低音弦にB1を追加した仕様ではU.J.ロートにやや遅れてS. ヴァイが星野楽器に開発を依頼し1989年秋までにJEMをベースにした24f7単弦ギター、ユニヴァース(Universe)の試作機が数本製作されている。PUの製作はディマジオのスティーヴ・バルチャー(Steve Bulcher)。S.ヴァイはこの頃ホワイトスネイク(WHITE SNAKE)のレコーディングに参加しており、U.J.ロートの作品発表が遅れた関係から1989年11月7日に発表された『スリッポブ・ザ・タングSLIP OF THE TONGUE』が低音弦を追加したソリッドボディ・7コース・エレクトリック・ギター初の録音作品となった。 当作品ではほぼ総てにUV7を使用したとのこと。 また、これに伴う取材で11月以降雑誌等メディアに7単弦ギターが姿を見せ、翌1990年1月に正式発表、2月にはS.ヴァイ個人名義による『パッショネン・ウォーフェアPASSION AND WARFARE』に使われたことで知名度を増すこととなる。器楽アルバム史上最も売れた作品の1つで米ビルボート・チャートの40位以内Billboard Top 40に器楽アルバム作品として初入選したとの記事もあるが、実際にはそれ以前にも器楽アルバムで10位以内に入ったものは複数存在しているようだ。1990年のグラミー賞(Grammy Award)ロック器楽部門(the category of Best Rock Instrumental)候補にも選出されているが、この時同賞を獲得したのはJ.ベック、テリー・ボッジオ(テリー・ジョン・ボッジオTerry John Bozzio)、トニー・ハイマス(Tony Hymas)による『ジェフ・ベックズ・ギター・ショップJEFF BECK'S GUITAR SHOP』。 作品の表紙にはユニヴァースの試作1号機が描かれているが、本来あるはずのモンキーグリップ(Monkey Glip)と呼ばれる手握孔が見られない。モンキー・グリップはユニヴァースの元になった6単弦ギターJEMで一般的に見られる仕様だが、7単弦ギター試作時には低音の音響を考慮して試作2号機以降廃止となった。その経緯から後の量産を踏まえて表紙デザインの際に写真が加工されたものと思われる。この他フレット数や基本仕様は多くをJEMやその母体となった1987年発表のRG550に始まる6単弦の新型RGシリーズから踏襲している。胴材へのアメリカ産バスウッド(American Basswood)採用は、1979年発表のロードスター(Roadstar)及び1981年発表のブレイザー(Blazer)から発展した、1982年発表のロードスター2(Roadstar II)が原点。理由は全周波数帯で不偏的音響特性を示すからとのこと。一般に柔軟で強度の低い木材だが、加工性、乾燥性、乾燥後の安定性が高く家具や彫刻、内装、板簾(Venetian Blind)に利用される。日本産の物は榀(Shina-no-Ki)と呼ばれ、彫刻やベニヤ合板、鉛筆、マッチ棒の軸木として利用されているとのこと。 このロードスター2の後継機として生まれた1984年発表のAH-10、RS520において星野楽器製アイバニーズ・ギターとして初めての24f仕様が登場する。提案したのはAH-10をシグナチュア・モデルとしたA. ホールズワース。翌1985年発表のRS-528、RS-529 WHでは更にストラトキャスターの仕様に近づけられるが、ここでも24f仕様は受け継がれ1986年のRG1200等初期RGシリーズ、そして1987年のRG550等新型RGシリーズへと繋がる。現在は単にRGだが、「Roadstar II RG」の名称は1980年代末まで残っていたようだ。 なおユニヴァースは1990年10月に商品化が実現し、1991年には後継機種のUV777BKも登場したが1993年に廃版、唯一残っていたUV7も1994年を以って生産を終えている。その後1996年にUV7 BKが復活、更に1998年にはUV7PがUV777と統合されUV777Pとして復活、現在はUV777PのみがS.ヴァイのシグナチュア・モデルとして残っている。また、1998年にはユニヴァースの廉価版としてRG7-620が誕生、続けてその固定下駒仕様RG7-621も登場する。以降、更に価格を抑えた入門モデルのRG7-420、RG7-421やピエゾPU搭載のRG2027Xなど様々なヴァリエーションが生まれ現在ソリッド7単弦市場で最も多くの品種を供給している。この他1999年4月頃からAXシリーズやSシリーズ(元々はセイバーSaberと言われていた)、セミホロウボディ型のAFシリーズ、ホロウボディ型のAJシリーズ等の7単弦仕様も発表された。 ところでS.ヴァイが7単弦ギターの製作を考えた動機については、漠然と新しいことをしようと考えていたことや「7」という数字に魅力を感じていたことによるというが、当初グレゴリーと同様高音弦を増やすというアイデアを持っていたものの開発に難航し、1年間悩んだ末低音側の増設に変更した経緯もある。A.グレゴリーによれば事前にツアーのリハーサルでS.ヴァイと接触する機会があり、7単弦ギターに興味を持っているがアイバニーズとの契約がある為使えないと話していたので、特許があることを伝えたがその後アイバニーズ社から一度電話があったまま音沙汰無く、無断で発表されたという。このことから7単弦ストラトキャスターに影響を受けていた可能性があるが、S.ヴァイ側から同様のコメントは出ておらず真相は不明。A.グレゴリーはまたS.ヴァイが高音弦追加に失敗した原因として、弦蔵形状を真似なかったことと推測している。ユニヴァースが採用しているものは1981年発表のデストロイヤー2(Destroyer II)から登場しロードスター2のプロ・ライン・シリーズ(Pro Line)を経て新型RGに採用された鵞鳥嘴(Goose Beak)と呼ばれる独特の形状を表装のみ変更した物で、傾斜が14度前後とA.グレゴリーの理論からすればA4弦を張るには急斜となる。なお、S.ヴァイは開発当時U.J.ロートの7単弦スカイ・ギターについては知らなかったとしているが、この当時U.J.ロートが公に活動していなかったことを考えるとスカイギターからの影響は全く無かったと考えるのが自然だろう。アイバニーズは同時期の1988~1990年頃30f6単弦ギターAFD40とその上位機種AFD45 BGを製作しており(「Other II参照」)、こちらはドルフィンの影響を感じ取れないこともないが、真相は不明。 同様のケースではG.リンチも高音弦追加を図り失敗しているが、彼のギターを製作していたESPは7単弦ストラトキャスター発表後最も早くに興味を示し1989年頃グレゴリーとの接触を図っている。契約に至らなかった原因は不明。その後ESPは独自開発によってG.リンチ用7単弦ギターを製作、第1号機はリンチ・モブ名義で1990年10月30日に発表したアルバム『ウィキッド・センセイションWICKED SENSATION』のレコーディング中に届けられたとのことから、1989年夏~1990年夏頃と思われる。ただし当該作品では使用していない。G.リンチ本人はS.ヴァイの楽器については知らなかったと語っているが、ESPが7単弦ギターに興味を示した時期やメディアでのユニヴァース露出以前にG.リンチが開発意欲を示していることからすれば事実と思われる。結局G.リンチ発案の7単弦ギターはA4弦の設置が上手くいかず第3次試作を以って終了することとなるが、ESPでは1999年11月にB1弦を追加する形で商品化、量産品としては初と思われる27吋(685.8㎜)仕様の7単弦ギター、ウルトラ・トーン(Ultra Tone, UT-SL7)や廉価ブランドのグラスルーツ(Grass Roots)及びエドワーズ(Edwards)による7単弦ギターを発表、その後VP(Viper)シリーズやホライゾン(Horizon)シリーズの7単弦仕様も登場している。なおG.リンチはその後低音を拡張した楽曲を制作する際に6単弦バリトンギターを使用している。7単弦ギターを使用しない理由は桿棹が太く弦が多過ぎソロが巧く弾けないという印象を持ったからとのこと。 その他2004年以前にもキルスウィッチ・エンゲイジ(KILLSWITCH ENGAGE)のジョエル・ストローゼル(Joel Stroetzel)とアダム・デュトキエビッチ(Adam Dutkiewicz)が高音を追加した7単弦ギターを録音で使用するも、手が小さく実演では使えないという理由から断念している。
ESPはまた1997年に北米拠点をニュー・ヨークからロサンゼルスに移したのをきっかけにエル・ティ・ディ(LTD)ブランドを発足、ESP製の廉価版供給を開始しており、7単弦ギターではヴァイパー型のViper-407、S.カーペンター・シグナチュア・モデルの7単弦仕様等を発売している。ESPとの価格の違いは木材、部品の種類、ブランド価値といった資材面と工場量産化による経費節減によるが、LTD製でも高級機種はESP製と同仕様になっており、この場合は製造方法が工場量産か手工品かの違いのみとのこと。
1994年になるとカリフォルニア州ベイカーズフィールド(Bakersfield)のロックバンド、コーン(KOЯN)がツイン・7単弦ギターという編成でアルバム『コーン(KOЯN)』を発表、大手TVメディア等の宣伝媒体を通さなかったものの演奏活動が好評で1995年末までにアメリカで70万枚を売り上げ、その後の世界的な人気拡大に伴ってソリッドボディ7単弦ギターは再び注目されるようになる。ギターを担当していたマンキー(ジェイムズ・シェファーJames "Munky" Shaffer)は元々S.ヴァイの影響を受けて7単弦ユニヴァースを使っており、それに影響を受けた同バンドメンバーのヘッド(ブライアン・ウェルチBrian "Head" Welch)も使用するようになった。彼等が設定した調弦は長2度下げで、2001年5月にシグナチュアモデルとして商品化されたK7も同様のセッティングがなされている。またファイン・チューナーに手を触れることなく掌でユニットを押すことでヴィブラート効果を得るためのユー・バー(U-Bar)と名付けられた特殊ワーミィ・バーも附属しており、現在この仕様を受け継いでいるのはAPEX1、A1調弦に関しては弦長27吋(685.8㎜)のRG7EX-FX2となる。 ただしハードコアを中心に重低音を目的とした7単弦ギターの利用拡大に応える形で各社が発表した量産モデルはB1調弦が一般的で、この時期に7単弦ギターを利用する奏者が増加した他1990年頃から使用し始めていた先駆者にも注目が集まるようになる。 1999~2001年までに7単弦モデルとして発表されたのは既述のものに加えて以下の通り。
その他ESPに次いでA.グレゴリーに接触を図ったとされるピーヴィ(PEAVY)も21f低音追加 7単弦プレデター(Predator Plus TR7)を発表、また東海楽器やドラゴンフライ(Dragonfly)も7単弦ギターを出した時期があるようだが詳細は調査中。 シェクターは2005年にも007 Elite、AD-C-7-BJ Blackjack 007、AD-007-BJ Blackjack、Damien AD-DM-7、Hellraiser AD-C-7-HR、 Omen-7といった複数のモデルを発表、2007年にもNV-III-VII、C-7 FRを出しており、26.5吋(673.1㎜)という弦長が特徴となっている。 他キラーギターズ(Killer Guitars)製KGプライム・セブン(KG-Prime 7)及びKGアナーキー(KG-Anarchy)、ノクターナル・ライツ(NOCTURNAL RITES)のニルス・ノーベリ(Nils Norberg)の要請により生まれたキャパリソン(Caparison)製デリンジャー7(Dellinger 7)等が2007年頃までに発表されている。 また2007年にはニル・エレクトリック・ギターズ(Nil Electric Guitars)が7単弦市場に参入、2009年以降は ナナゲン(Nanagen)シリーズとしてトレモロブリッジ、ボルト・オン、24f仕様のリップル・シリアス(Ripple Serious)及び固定ブリッジ、セット・ネック、22f仕様のリップル・グラマラス(Ripple Glamorous)の2機種を発表しており、今後7単弦ギターを主軸に商品展開を進めるとの方向性を打ち出しているようだ。
「七弦」は本来「シチゲン(shichi-gen)」と読むが、ロック・ギターに限っては「ななゲン(nana-gen)」と湯桶読みする人も多いようだ。「四弦」に関しても同様で「シゲン(shi-gen)」を「よゲン(Yo-gen)」又は「よんゲン(Yon-gen)」と読むことが多い。理由としては漢字知識の問題や方言の伝播等が考えられるが詳細不明。「一~三弦」及び「五~六弦」、「八~十弦」に関しては音読みしているようだ。2009年では株式会社クルーズのブランド、クルーズ・マニアック・サウンド(Crews Maniac Sound)からアブズ・セヴン(Ab's 7)の新型及びソリューション・セヴン(Solution 7)が発売されている。前者はバーズアイメイプル桿棹ローズウッド指板、表メイプル裏コリーナ響胴、シャーラー製M6L-Mini Acril糸巻、フロイド・ローズ製下駒、ディマジオ製ブレイズ・カスタム、ブレイズ、トーンゾーン7のS-S-H配列。後者はメイプル桿棹ローズウッド指板2層アルダー響胴、ゴトー製SG-360糸巻、ヒップショット製41150C HARDTAIL、ディマジオ製Dソニック7、ブレイズのH-H配列。 全体的に7単弦ギター奏者は多数派ではないものの6単弦ギターをメインとしながら状況に応じて7単弦ギターを選択するというスタイルが広がりつつある。傾向としてはコーン以降2000年に7単弦モデル登場のピークを迎え、2001年になると7単弦ギターに代わる6単弦のバリトンギターやエクストラ・ロングスケールなど低音対策を強化した楽器が多く発表される流れが強くなる。また1990年代後半に流行として7単弦ギターを持つことが半ばファッション化する現象もハードコア音楽等の一部にあったため、その反動も出ているとみられ2002年以降はやや沈静化。2005年頃から再び供給モデルが増えるも、2008年になると沈静化するなど、市場はまだ不安定なようだ。 利用の範囲という点で楽種ごとの状況を見ると、クラシカル・ギターでは1980年代頃から始まった19世紀ギターによる古楽演奏の発展として1990年代頃からミルクール産やラコート製の複製モデルなどを使った演奏が行われるようになり、M.尾尻等が使用、2000年以降も古楽演奏の1つの手法としてY.大萩等が6単弦仕様と併用しながら実演を試みるなど存続しているようだ。ジャズ・ギターではソリッドボディの7単弦仕様や部品の入手が容易になったことで従来の7単弦奏者がフルアコースティックやセミアコースティックに加えて選択肢の1つとして所有する例が見られるようになった。ポピュラー・ギターでは7単弦仕様が積極的に使用される流行は特に確認できない。ブラジル音楽のセチ・コルダスに関しては完全に定着しており、特にジャンルや用法を区別せず奏者の必要に応じて利用されている。 ロック・ギターでは7単弦ギターが広がり始めた1990年代に手にし始めた若手奏者が育ち始めているようで、流通機種の減少とは逆に実演で確認される機会が増えている。楽種を問わず6単弦以外の仕様に関してノウハウや教則、レパートリーが少ないこと、録音媒体の場合は音だけで6単弦の変則調弦なのか7単弦やバリトンギターなのかが判別し辛いこともあって知名度も上がりにくく、スタジオや演奏会の現場、プロと一般の趣味の間に扱いに対する温度差も生じているようだ。 同様の傾向はPU開発にも現れており、S.ダンカンによれば1990年代はモダン・ヘヴィネスの低音需要を受けた7単弦用PUが、2001年頃になるとヘヴィ系6単弦用PUの需要が多いという。L.ディマジオが2003年に発表したディ・ソニック(DP207; D-Sonic)もドロップDでの音質改善を目的に開発されている。 2001年12月までに6単弦用から7単弦ギター用へと拡張されたS.ダンカン製PUは59(SH-1-7 '59)、ジャズ(SH-2-7 Jazz model)、JB(SH-4-7 JB)、カスタム(SH-5-7 Duncan Custom)、ディストーション(SH-6-7 Duncan Distortion)、インヴェイダー(SH-8-7 Invader)で、いずれもギター奏者からの要請に基づくとのこと。6単弦重低音用としては59の出力強化版であるカスタムを再強化したカスタム・カスタム(SH-11 Custom Custom)、ダイムバッカー(SH-13 Dimebucker)、カスタム5(SH-14 Custom 5)等。 なおS.ダンカンは新PU製作に際しては自分の好みではなく要請者の好みを反映させる形で製作するとのこと。最初に他人向けに作ったPUはJB(SH-4 JB)で、1975年にJ.ベックのアルバム『ブロウ・バイ・ブロウ(BLOW BY BLOW)』録音用として開発した。 ロック音楽での一般的な傾向としては、6単弦ギターのダウンチューニングで対処する場合が多数で、低音の音質低下を気にする者は太めの弦に交換する、バリトンギターにするといった選択肢を採用している。7単弦ギターの使用に関しては、6単弦ギター奏者が特定の曲に対して臨時で7単弦ギターを利用する場合やスタジオでの録音の際にプライムギターとは違った音色を重ねる場合、入手の容易さの問題からバリトンギターの代わりに低音がしっかりと出せる楽器として7単弦ギターを使用する場合、低音拡張目的で7単弦ギターを常用する場合がある。実演ではスタジオで使用した7単弦ギターの代わりに弾きやすさを優先して6単弦バリトンギターやプライムギターのダウンチューニングを好む場合と、逆に様々なダウン・チューニングの曲を7単弦1本に纏めて持ち替えや輸送の負担を無くす目的で使用する、低音リフと高音のソロや速弾き双方に対応するためにバリトンギターとプライムギターを合わせた楽器として使用する場合等に分かれている。 J.ペトルッチはバンドのベース奏者J.マイアングが使い始めた6単弦ベースとのユニゾンに対応するため1994年頃から星野楽器アイバニーズ製ユニヴァースの改修機、その後ピカソ・ギター(Picasso guitar)と呼ばれる専用機を使用し始め、1994年に『アウェイク(AWAKE)』、1997年に『フォール・イントゥ・インフィニティ(FALL INTO INFINITY)』を発表している。なおここでのピカソ・ギターはL.マンザー製24コース42弦ハープ・ギターとは別物なので混同に注意。 2000年にミュージックマン(ERNIE BALL / MUSIC MAN)に契約先を変えているが、変更の理由は地理的な連絡性とシグナチュア・モデル発売承諾とのこと。2001年から7単弦のシグナチュアモデルを利用しているが、2002年には「ブラインド・フェイス(Blind Faith)」の演奏でミュージックマン製シルエット・バリトンをA1調弦で使用、2005年6月発表の『オクタヴァリウム(OCTAVARIUM)』では7単弦ギターを一切使用せず、第3曲「ジーズ・ウォールズ(These Walls)」及び第5曲「パニック・アタック(Panic Attack)」ではバリトンギターを使用している。その後は6単弦仕様がメインで、演奏会で必要な曲のみ7単弦仕様やバリトンギターを利用するというスタイルに落ち着いている。 なお2007年に高級材を使用した限定版BFR(Ball Family Reserve)シリーズからBFR John Petrucci F-1 7STが発表された。証明書添付でシリアルナンバーは7単弦仕様の場合Fで始まる。また通常版は2007年12月にリアがディマジオ製カスタムからディ・ソニック(D Sonic)に変更された。2009年には同シリーズからバリトン・ギターのJOHN PETRUCCI BFR 6 BARITONEも発売されて『ブラック・クラウズ・アンド・シルヴァー・ライニングス(BLACK CLOUDS & SILVER LININGS)』で使用されているが詳細は「SKY II」参照。当アルバムではバリトン・ギターやプライム・ギターのダウン・チューニングの他に7単弦ギターも使用しているとのことだが具体的な使用箇所は不明。
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