17世紀フランスのヴィオル奏者J.ルソーによれば、17世紀前半にフランスの製作家が大型バス・ヴィオルの小型化や桿棹の改良等を行い、それに伴って足で挟む方式が生まれたことから区別して「ヴィオル・ドゥ・ジャンブ(Viole de Jambe、伊語Viola da Gamba)」と呼ばれるようになったという。ヴィオルの小型化そのものは操作性向上を目的としてイギリスが先行しており、イタリアでは亜種にヴィオラ・バスタルダ(Viola Bastarda)が存在する。膝臏夾立式ヴィオロンチェッロは17世紀末頃から登場するため、フランスでのバス・ヴィオル発達との関連を調査中。A.ストラディヴァリは1665~1680年頃バス・ヴィオルをヴィオロンチェッロに改造したことがあるようで、両者は分類や奏法上はともかく実際の運用面では全く別個でも無いようだ。また膝臏夾立式ヴィオロンチェッロでは大型のバス楽器を独奏向けに小型化する改造も頻繁に行われていたという。膝臏夾立式モダン・ヴィオロンチェッロの胴長は745~750㎜、弦長は690~695㎜。ギターでも用途に応じて桿の短縮といった改造が行われていた。
現代では1999年1月にパリ出身のアメリカ人膝臏夾立式ヴィオロンチェッロ奏者ヨーヨー・マ(Yo-Yo Ma, 馬 友友)が所有機をバロック・チェロに改造するという逆の現象も起こっている。彼はこれを使用してトン・コープマン指揮のアムステルダム・バロック管弦楽団と共にJ. S. バッハ&L. ボッケリーニ作品を録音、アルバム『シンプリー・バロック』として発表した。
17世紀後半にフランスで舞踏伴奏に使われていたバス・ヴィオロンも膝臏夾立式モダン・ヴィオロンチェッロより大型で調弦は長2度低いB♭1-F2-C3-G3。ドイツではブルドンにC2を使用することもあった。イタリアではC2が好まれたのではないかとの指摘があるが、ジュゼッペ・コロンビ(Giuseppe Colombi)の「ヴィオローネ・ソロによるトッカータ(Tocatta a Violone Solo)」や「独奏バスのためのチャコーナ(Chiacona per Basso Solo)」ではB1を使用するとのこと。
膝臏夾立式モダン・ヴィオロンチェッロで現存最古とされる楽器はA.アマティによる1538年頃製3単弦バス・ヴィオロン。フランス王国ヴァロワ朝第12代シャルル9世(Charles de Valois IX)の宮廷用楽器として1560年頃裏板に装飾が施されたことから通称キング(the King)と呼ばれている。
1801年にパリの楽器製作家セバスティアン・ルノー(Sébastian Renault)
によって響胴の小型化、桿棹交換などモダン仕様に改造、この時に4単弦モダン・ヴィオロンチェッロ化している。弦蔵と糸巻は製造時の物がそのまま流用されており、糸巻の軸穴を埋め戻した後に開け直して4本目が追加された。また小型化の際に板の接合部が削られた為裏板に装飾された絵の一部無くなり構図が若干変化している。
ヴィオロンチェッロ・ダ・スパッラは、現在一般に「チェロ」として認識される膝臏夾立式ヴィオロンチェッロと同じ調律C2-G2-D3-A3だが小型でソプラノやアルトのヴィオロンのように上半身を使って構える楽器。5単弦仕様もありシャントレルへE4が追加される。ブルドンをD2とする場合もあり、C2が現代風(alla moderno)と記述されていることやテノール・ヴィオロンにもブルドンをD2に落とす変則調弦があることから、テノール・ヴィオロンが低域を拡張した仕様ともとれる。17世紀イタリアでは4単弦仕様のヴィオロンチェッロを特に使用する際、「現代風(alla Moderna)」と書いたとの情報があり確認中。
大きさは地上起立式のバス・ヴィオロンをそのまま持ち上げた大型のものから、テノール・ヴィオロンほどの小型のものまで様々言われている。
同じ音域で大きく大型・小型2種類出てくるのは、テノール・ヴィオルとバス・ヴィオルの関係に類似しており、関連を確認中。
音域的にテノール・ヴィオルとバス・ヴィオルは弦1本分の違いでほぼ同じ。また双方とも
ヴィオロンチェッロの音域とほぼ同じ。4度長3度調弦の楽器なので5度調弦楽器として使おうとすると張力の問題で必然的に高音弦が削られ4~5単弦仕様になってくる。また大きさに関してもバス・ヴィオルはバス・ヴィオロンを小型にしたようなモダン・ヴィオロンチェッロに近い物で、
一方テノール・ヴィオルはテノーヴ・ヴィオラを太くしたような、現代での復元スパッラに近い物になる。
17世紀後半のJ.ルソーもバス・ヴィオロンについて「フランスでは床に構えるがイタリアでは腕に構える」としている。これはソプラノ・ヴィオロン等を念頭に直立式楽器と胸腕上抱撮式楽器での押弓(poussé)・引弓(tiré)の概念の違いを説明する為に引き合いに出された例だが、ヴィオルとヴィオロンのソプラノ楽器同士を挙げずに敢えてバス楽器同士を対象にして同じ物だが構え方が違うとしている点を考えると、パリでも実際に構え方が違うものと認識されていたとみられる。なおこの場合の「イタリア」が北イタリアまたはローマ等特定の都市・地域を指しているのか、半島全域なのかは不明。
現在のイタリア共和国(Repubblica Italiana)が成立したのは第二次世界大戦後の1948年、また前身となったイタリア王国は1870年にサルデーニャ王国(Regno di Sardegna)のヴィットーリオ・エマヌエーレ2世(Vittorio Emanuele II)が統一して以降。それ以前は教皇領や複数の王国、公国、共和国といった地方都市国家に分立しており、現在でもバチカン市国(Status Civitatis Vaticanæ)やサン・マリノ共和国(Reppubblica di San Marino)等に名残が見られる。
また歴史的にフランスやスペイン、オーストリア、神聖ローマ帝国等の介入を度々受けている地域が多いため地方ごとの違いも大きい。従って単に「イタリア」と記述されていてもそれがどの時代なのか、範囲が特定の都市や地域限定のものなのか半島全体やラテン系国家に共通なのか、あるいは地中海世界全体に言えることなのかといった点には注意が必要となる。
通常押弓は上げ弓(Up)、引弓は下げ弓(Down)と呼ばれ、顎下夾挂式や胸腕上抱撮式では弓を押して移弦すると低音弦側へ、起立式では高音弦側へ向うという奏法上の違いがある。このため「ヴァイオリンとチェロでは弦の張り方が逆」と説明されることもあるようだが、単に表面板の方向が異なると弓の動きと音の移り方の対応が変わるだけで、構造的には楽器と弦列の関係自体はヴィオルもヴィオロンもギターやリュートも汎用調弦での張り方は同じ。また弓の動きも共に手が内側に向うのが上げ弓で、外側に開くのが下げ弓で肉体的動作としては同じ。このためヴィオラ・ダ・マーノのように斜傾抱撮で指扱する場合は全て同じ要領で弾け、実際にそういった方法で爪弾かれることは当時から現在までヴィオロンやヴィオルでも行われることがある。
一方ヴィオロン奏者の間では感覚的に全く逆に感じられる為、このような説明が生じたようだ。演奏上も双方の構え方の楽器を使いこなすのは難しいと言われることもあるが、歴史的には各奏法の楽器を使い分ける奏者は存在している為、心理的な要素も大きいと思われる。
なお斜傾抱撮式撥弦楽器では、凹形調弦でない場合、拇指またはプレクトルムが「ダウン」で高音弦へ、人差指等またはプレクトルムが「アップ」で低音弦側へ向う。
最初横に構え後に小型化され肩にかけて斜挂したことから「肩」を意味する伊語スパッラ(spalla)の名が使われるようになったとの事だが、類似の楽器と思われる複数の名称が並存しておりヨーロッパ全体で確立していた名称かは不明。「ヴィオロンチェッロ・ダ・スパッラ」の名称が現れる最古は現在のところ教皇領フェッラーラで1677年に出版されたバルトロメオ・ビスマントーヴァ(Bartolomeo Bismantova)の『音楽概論(COMPENDIO MUSICALE)』。1678、1679年にも再版が行われている事から評判はよかったものと思われる。
当書で図示された調弦と音階からこの楽器がヴァイオリン奏者を前提にした全音運指という指摘もあるが、
図に関しては0~2fの開放弦を利用した全音の跳躍も多く、これは琵琶等の楽器でも同様に使われる手法。
ミ~ファ、シ~ド等の半音箇所も含まれている。 同書には「コントラバッソまたはヴィローネ・グランデContrabasso, o' Violone grande」の項目もあるが、こちらは4度調弦なもののシャントレルで全音もとっている。「ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラ」の項目で全音が多く見えるのは説明の基本音階の範囲が各弦下から開放含めて3音、4音、4音、5音という構成で、一方「コントラバッソまたはヴィオローネ・グランデ」では下から1音、3音、3音、4音となっており、どうしても1つの弦に全音を含む箇所が多くなるという事情もある。そもそも臨時音の使用が例外的なので全音と半音を含むダイアトニックな運指になるのは或る意味自然で、臨時音や24調に対応出来るよう予め想定された現代の教則の感覚でヴァイオリン系の全音運指・チェロ系の半音運指と明確に区別できるのか?という問題があり確認中。当時は現代の制度化された教則ほど機械的に分業化を徹底して技術的にも心理的にも併用を妨げるような状態にはなっていない面が多い。
フランスではケントゥ・ドゥ・ヴィオロン(Quinte de violon)と呼ばれていたとのことで、既述の18世紀クィントンがイタリアでのヴィオロンチェッロ・ダ・スパッラと同一視されているようだ。ただクィントンの現存機の横板の高さはアルト・ヴィオロンとそれほど変わらない。ヴィオラ・ポンポーザは資料から38㎜、ヴィオロンチェッロ・ピッコロでは絵画から推定80㎜との情報があり確認中。なお「quinte」は5度の意味でバホ・キントやレキント・ギター、クィンテルナ、クヴィントバッソ・ギターレン等楽器名にはしばしば登場する。レキントは元々は複弦の場合に使う。また合唱ではカントとアルトの間にクィント(Quinto)が、合奏でテノールとバスの間にクィント(Quintus)という名称が置かれる場合があり、クィントンはテノールの下、バスの上という意味で使われていると思われるが確認中。この他ヴィオラ・ディ・コッロ(viola di collo)、バセット(bassetto)といった名称も存在するとの情報もあり詳細確認中。
オーストリアでは18世紀半ばにJ. G. L.モーツァルトが
ファゴットガイゲ(Fagottgeige, ヴィオラ・ディ・ファゴットViola di Fagotto)という名前を挙げており、似たような物に「腕に持つバス・ヴィオル(hand-bass viol)」があるが、これはファゴットガイゲより少し大きいバス用だと説明しているようだ。ここでは「バス・ヴィオルBass viol」をイタリアの「ヴィオロン・チェッロViolon-cello」としており、フランスでの「バス・ドゥ・ヴィオルBasse de viole」を指す場合は伊語の「ヴィオラ・ダ・ガンバViola da gamba」という語を使用しているので混同に注意。本稿では前者はバス・ヴィオロン、後者はバス・ヴィオルとなる。
J. G. L.モーツァルトはまた、昔は5弦、今は4弦、現在ではヴィオロンチェロを足の間で保持していると説明しているようだ。
ドイツの楽理家ミハエル・プレトリウス(Michaël Prætrius, Michael Praetrius)が17世紀前半にバス・ガイク・デ・ブラッチオ(Bas Geig de bracio)を5単弦仕様で紹介している点とは一致する。抱撮方法については過去において膝臏夾立でなかったことが読み取れるが、それが胸上抱撮だったとまでは断定できない。ただJ. ルソーのフランスで小型化されて膝臏抱撮が生まれたとする記述との時間的な順序は一致してくる。J. G. L.モーツァルトはこれをベインガイゲ(Beingeige)と況得たようだが、これは英語でレッグ=フィドル(Leg-fiddle)とのこと。ヴィオルとヴィオロンを区別しない言語上の関係で言えばこれは伊語のヴィオラ・ダ・ガンバ(viola da gamba)、J. ルソーの言う仏語のヴィオル・ドゥ・ジャンブ(viole de jambe)に相当する。
18世紀前半の楽理家ヨハン・マテゾン(Johann Mattheson)がヴィオロンチェッロ、バッサ・ヴィオラ(Bassa Viola)、ヴィオラ・ダ・スパッラについて、仕様は5~6弦で紐を胸から肩にかけて固定するので響きを邪魔しないとし、特徴は走句、変奏、装飾音等を大きな楽器に比べて少ない労力で演奏可能、音抜けが良く明瞭で伴奏・通奏低音に優れた効果を発揮すると述べているとのことで確認中。
一応絵画や教会彫刻に散見されることから横に構える大型ヴィオロンは当時ヨーロッパ全域に普及していた可能性も指摘されている。図版資料では
1650年頃のゴーティエ(ドニ・ゴーティエDenis "Le jeune" Gaultierのことか?確認中)による『神々の修辞学』の表紙絵に大型のヴィオロンを胸上抱撮している様子が描かれている。また1705年や1747年のボローニャの教会式典図にも胸上抱撮のヴィオロンが描かれているとのことで確認中。
興味深い例ではヴェネツィア共和国ヴェローナ(Verona)出身のヴィオロン奏者・作曲家・教師ジュゼッペ・トレッリ(Giuseppe Torelli)が1687年(1684の情報も有。確認中)に教皇領ボローニャ(Bologna)で出版した『ヴィオリーノと低音楽器による室内用小協奏曲集(CONCERTINI PER CAMERA A DUE VIOLINI E BASSO, Op. 2)』では各パート譜の冒頭に図版が挿入されており、低音パートではヴィオロンを胸上抱撮で演奏する奏者が描かれている。これはバス・ヴィオロンを持ち上げたような大型の物になるが、1687年にパリで出版された『ヴィオル概論(TRAITRÉ DE LA VIOLE)』でJ. ルソーは既述の通りバス・ヴィオロンを「イタリアでは腕に構える」と説明しており内容が一致している。この点は現代のスパラ関連論文でも指摘されていないようだが理由は確認中。『小さな協奏曲集』の挿絵を描いたのは署名によればヴィオロンチェッロ奏者カルロ・ブッファニョッティ(Carlo Buffagnotti)で楽器に詳しくない人物の誤認の可能性はないとのこと。なお当曲集の現代英題は「ヴァイオリンとチェロ」ということにされているようだ。
尚G. トレッリは1684年にアカデミア・フィルアルモニア(ACCADEMIA FILARMONIA)にヴィオリーノ奏者として会員登録されており、1686年(1685の情報も有。確認中)にはボローニャのサン・ペトロニオ教会(Basilica di San Petronio)楽団ヴィオレッタ奏者、1689年には同楽団ヴィオラ・テノーレ奏者として1696年まで活動したとの情報があり詳細確認中。その後は1699年までアンシュバッハ(Ansbach)のブランデンブルク伯ゲオルク=フリードリヒ2世宮廷楽団で首席第1ソプラノ・ヴィオロン(ヴィオリーノ)奏者、つまりコンサートマスターとなった。
この他小型のヴィオロンをギターのように斜傾抱撮で立奏する方法や、コントラバス・ヴィオロンを直立ではなくやや斜傾させて演奏するスタイルも見られ、斜傾に関しては現在でも民族音楽で弓奏の際に見られることがある。またモロッコ王国(المملكة المغربية)では通常のモダン・ソプラノ・ヴィオロンを股上夾立させて演奏することがある。イベリア半島でキリスト教国家が勢力を再拡張した中世後期~ルネサンス期に異教徒は活動を制限されることがしばしばあり、特にイサベル1世やフェルナンド5世はグラナダ陥落後寛容政策を一転させ、1502年には改宗か追放を迫る勅令を出している。キリスト教国支配下のイスラーム教徒はムデハル(Mudéjares)、改宗したイスラーム教徒はモリスコ(Moriscos)と呼ばれた。これ以降カルロス1世が1525年に改宗または奴隷化の勅令を、フェリペ2世は改宗強制を、そしてフェリペ3世は1609年に追放を命じ、15万人が北アフリカへ渡ったとされる。異教徒が金融・行政制度を支えていたため一連の追放によって経済の沈滞を招くことになるが、この現象はシチリア王国でも起こった。
移住によって中世アンダルース音楽は北アフリカへ伝わり現地で存続している。モダン・ソプラノ・ヴィオロンの利用は2単弦舟形響胴アンダルース・アッラバーバの代替として導入した結果のようだ。モダン・ソプラノ・ヴィオロンはこの他近代ペルシャ古典音楽・歌謡でも「弓」を意味するケマンジェの名で使用されている。
股上夾立に関しては胡座(Agura, Cross-legged sitting)を構いた状態で坐奏するのに適しており、アッラバーブやヴィオル等が直立なのもこのような習慣に始まった可能性がある。
アル=ウードや楽琵琶も胡座での姿勢保持に有利な形状と構えで、逆にビウエラやギター等は立奏に有利な形状になっている。なお大和雅楽の管弦での胡座は楽座(Gakuza)と呼ばれている。現在正座(Seiza)と呼ばれる坐り方が正式になったのは江戸幕府が居合に有利な小笠原流弓馬礼法の坐法を採用して以降との情報があり確認中。
小笠原流弓馬礼法は源義家の弟である源義光の子孫で、甲斐小笠原出身の小笠原長清(Nagakiyo Ogasawara)が12世紀末に起こした弓馬術が祖。室町時代に足利尊氏配下の信濃守護だった小笠原貞宗(Sadamune Ogasawara)や京都で足利義満の弓馬礼法師範だった小笠原長秀(Nagahide Ogasawara)等によって確立されたと言われ、江戸時代に入っても徳川将軍家や諸大名家の礼法師範を務めていた。現在でも継承されており、鎌倉(Kamakura)の鶴岡八幡宮(Tsuru-ga-oka Hachiman-gū)で儀式として行われている流鏑馬(Yabusame)の様子はしばしば報道される。
当時の胸上抱撮式ヴィオロンチェッロ奏者としては17世紀末ヴェネツィアのアントーニオ・カルダーラ(Antonio Caldara)等が言われている。彼はヴェネツィアのサン・マルコ教会器楽奏者一覧で1688年にはヴィオラ・ダ・スパッラ(Viola da Spalla)奏者として、1694年にはヴィオロンチーノ(Violoncino)と表記されたこともあったようだ。奏者として登録されている。また自身のソナタ集ではヴィオロンチェッロ奏者としているとのこと。一方1741年のフォンタナの作品におけるヴィオロンチーノは明らかに膝臏夾立式と分かる最古とのことで理由等確認中。
近年の研究ではヴィオロンチェッロ・ダ・スパッラとヴィオラ・ポンポーザが同一の物と考えられており、J.S.バッハの生誕地アイゼナッハや長期間生活したライプツィヒ(Leipzig)も含め各地に13挺が現存しているが状態はあまりよくないとのこと。なお現存は30挺とする記事もあり、thirteenとthirtyが混同されていると思われる。詳細確認中。このヴィオラ・ポンポーザについてはJ. S.バッハとの関連から注目が高く、胸上抱撮式ヴィオロンチェッロが復元されようとしているのもこの点に拠るところが大きい。
「J.S.バッハの弟子フォルケルによればヴィオラ・ポンポーザと呼ぶ楽器も所有しており、その特徴としてアルト・ヴィオロンより一回り大きく、音域はヴィオロンチェッロと同じだが高音が追加された5弦仕様、フロック・コートのボタンで留めた肩紐(ストラップStrap)を使って肩掛けする楽器である・・・」との解説もあるが、ここでいう「バッハの弟子フォルケル」が何者かについては確認中。因みに初の本格的なJ. S.バッハに関する著述となる『ヨハン・ゼバスティアン・バッハの生涯と芸術と作品について─真の音楽芸術の愛国的崇拝者のために(UBER JOHANN SEBASTIAN BACHS LEBEN, KUNST UND KUNSTWERKE -FÜR PATRIOTISCHE VEREHRER ECHTER MUSIKALISCHER KUNST)』を1802年にライプツィヒで出版したシュヴェリーン大聖堂合唱隊指導者・ゲッティンゲン大学(Georg-August-Universität Göttingen)オルガン奏者及び音楽監督ヨハン・ニコラウス・フォルケル(Johann Nicolaus Forkel)に関しては生年がJ. S. バッハ死去の前年になる1749年で弟子ではなく、また当書におけるヴィオラ・ポンポーザ関連情報は鍵盤以外の器楽作品として無伴奏チェロ組曲の名称が紹介されるのみで詳細な記述は確認できないので別人と思われる。J. S. バッハ死後の18世紀後半にヴェンディシュ=オスィク(Wendisch-Ossig)出身の作曲家・音楽教授でライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団指揮者経験もある等ライプツィヒで活動したヨハン・アダム・ヒラー(Johann Adam Hiller)による記述他5つのヴィオラ・ポンポーザに関する証言があるとのことで詳細確認中。なおボタンを使って肩紐を留めることはギターでも一般に行われていた。現代でも弦蔵が大きく一般的なヴィオロン等とバランスの異なるヴィオラ・ダ・モーレに対してガース・ノックス等は肩紐を使用している。
ヴィオラ・ポンポーザはJ. S.バッハが発案したという情報もあるが、所有のみで作品中の使用例は確認されていない。だがソプラノやアルトのヴィオロン演奏経験はあり、宮廷楽団奏者として活動したこともあった。そこから持っていた楽器を使わなかった可能性は低い、ヴィオロンチェッロ・ピッコロのパートが本来ヴィオラ・ポンポーザを想定していたのではないかという考え方が出てきたようだ。また膝臏夾立式ヴィオロンチェッロを弾いたという記録が無いことも根拠の1つになっている。単に所有という点で言えばライプツィヒのホフマン製ラウテを所有しており、更に楽曲も残しているが、自ら演奏していた確証は現在のところない。
ヴィオロンチェッロ・ピッコロについてはカンタータにのみ指定が見られるが、パート譜ではヴィオロンチェッロ奏者が一貫して同一の楽器を使用している。一方ヴォオロンチェロ・ピッコロのパートは第1ソプラノ・ヴィオロンと並行しており、当時は楽器を持ち替えることも珍しくなく、また大型の胸上抱撮式楽器ならヴィオロンチェッロよりソプラノやアルトのヴィオロンの演奏技術に近いことからソプラノ・ヴィオロン奏者がヴィオロンチェッロ・ピッコロ・パートも弾いていたのではないかという推論が出てくるようだ。
ヴィオロンチェッロ・ピッコロはこの他既述の通り所謂「無伴奏チェロ組曲第6番」でも使用されるが、実際はアンナ・マグダレーナ・バッハの筆者譜でも単に「5弦で(a cinq cordes)」と書かれているだけで、それが具体的にどのような楽器を想定しているのかが不明なこと、また直筆譜が残されていないことからヴィオラ・ポンポーザの可能性が生じている。かつてA. M. バッハの筆写譜には「ヴィオロンチェッロ・ピッコロ」が指定されているかのような主張がなされていたととれる補足をする記事もあり詳細確認中。
この他膝臏夾立式モダン・ヴィオロンチェッロによる組曲演奏は不都合な点が多いことや正式な題名も不明なこと、無伴奏ヴァイオリンのソナタやパルティータと同時期に作曲されたと考えられていることからそもそも所謂「無伴奏チェロ組曲」全体がどういった楽器を想定していたのかも議論になっているようだ。
ちなみに「独奏チェロのための」は出版の際に後から加えられた言葉で、その前は単に「6つの組曲」。ケルナー筆写譜では「ヴィオラ・ダ・バッソ(Viola da Basso)」と書かれているようだ。また、A. M. バッハによる筆写譜は20世紀後半頃までJ. S.バッハの直筆譜とされていたようで、その観点に基づいた記述も多数あることから注意を要する。楽曲の名称に関してはその他のクラシック音楽でも出版や学術上の整理の都合、評論家や有名人による文章ないし巷間で広まった愛称等が通用していることも多く、中にはそういった別称が奏者の曲のイメージや編成に影響している場合もあるため、原曲の情報を辿る場合は注意が必要となる。
無伴奏チェロ組曲に膝臏夾立式ヴィオロンチェッロが不都合な理由には、オクターヴ音程で手の小さい人は親指を押弦に使用するもののJ. S. バッハの時代にはまだローポジションでの親指押弦は知られていなかったこと、譜面通りの和音演奏には運指上無理な負担がかかること等が指摘されている。この組曲集は元々練習曲集程度に考えられており、4単弦モダン・ヴィオロンチェッロの名曲という扱いにされたのは、ベンドレル出身の指揮者・膝臏夾立式4単弦ヴィオロンチェッロ奏者パブロ・カサルス(Pablo Casals, パブロ・カザルス)が好み、彼の演奏が20世紀前半に評価されて以降。
~整理中~
1番 プレリュード
1ポジだけで演奏可能→終盤の上がりでのポジション移動がより効果的
2番 ガンバVcで一度に押弦できない和音がスパラVcで可能
3番 プレリュード
分散和音はスパラVcだと簡短
ガンバVcではオクターヴに当時無かった親指押弦必要
スパラVcだと普通に弾ける
4番 ガンバVcは旋律継続のためハイポジ使用→移動頻繁
プレリュードの分散和音はスパラVcだと移動なし
ブレの4度音型はスパラVcだと移動なし
5番 1音下げ→Gが2つで共鳴
スパラVcはスラー指示を全てレガート演奏可能
6番 サラバンドにスパラVcでも1度に押弦×な和音が1つ。
一方胸上抱撮式ヴィオロンチェッロを使用する利点としては、J. S.バッハやボローニャ楽派のヴィオロンチェッロ曲に4度音程が多く5度調弦楽器では移弦出来ないが、小型の楽器だと無理な指の伸長が不要であること、分散和音も指定通り自然に演奏出来ることとされ、の組曲1番の前奏曲終盤では胸上抱撮式ヴィオロンチェッロの場合ほぼポジション移動無しで弾き切ることが出来ると語っている。組曲6番の前奏曲の高音域部分も無理なく弾けるが、膝臏夾立式のモダン・ヴィオロンチェッロでは通常、当時存在しなかった運指を使用するとのこと。これはシュタルケルが行って広まったとのことで詳細確認中。
ただ当時は現代ほど厳格に指定楽器を言葉によって拘束しないため、同属は勿論異属の楽器によって演奏されることもしばしばであることや、バス楽器にも様々な仕様があるため、モダン仕様の膝臏夾立式ヴィオロンチェッロでの演奏に無理が多いにせよ、小型の膝臏夾立式ヴィオロンチェッロを使用する可能性、弾ければどれでもよい程度の意図である可能性も排除できず詳細調査中。「クラヴィーア」ではクラヴィコードの他にチェンバロ、J. S. バッハ作品等では時にはオルガンも想定されていることがある。
一方「種々の楽器のための協奏曲(Concerts avec plusieurs instruments, 所謂ブランデンブルク協奏曲)」では低音楽器を単に「通奏低音」ではなく「ヴィオロンチェッロ」及び「ヴィオローネ」と具体的に分けて指定しているという指摘、通奏低音をヴィオロンチェッロが3人で演奏しユニゾンもさせる点が異例であるとの指摘、ソプラノ、アルト、チェロのヴィオロンが3挺ずつなので胸上抱撮式を使用するとよりはっきり聴こえるとの指摘がある。
また同曲4番では「ヴィオローネ」とヴィオロンチェッロが入り組むものの「ヴィオローネ」を現在と同サイズのコントラバス・ヴィオロンと考えると両パートで2オクターヴ差が出てしまう箇所がある一方、半分のバス・ヴィオロンほどのサイズとするとヴィオロンチェッロとほぼ同じ楽器が2つ存在することになってしまうので、胸上抱撮式にすると都合がよいとの指摘や、6番ではヴィオロンチェッロがかなり速い動きをして膝臏夾立式だと難曲になってしまうが胸上抱撮式だと自然に弾けるとの指摘もある。
ただこの曲は1~6番まであるものの元々はケーテン宮廷楽団向けに書いた既存曲を1721年3月24日にブランデブルク辺境伯クリスティアン・ルートヴィヒ(Christian Ludwig zu Brandenburg-Schwedt)へ献呈する際纏めただけなので全てにおいて胸上抱撮式の積極的な根拠を考える必要は特に無いと思われる。
胸上抱撮式ヴィオロンチェッロの研究はアメリカのグレゴリー・バーネット(Gregory Barnett)等が、また復元の試みについてはオランダの音楽学者ランベルト・スミット(Lambert Smit)が行っており、S. クイケンはL.スミットの影響から同楽団のソプラノ・ヴィオロン奏者で楽器製作や初期バロック・ソプラノ・ヴィオロンを研究していたロシア出身で八王子在住のドゥミートリ・バディアーロフ(Dmitry Badiarov)に製作を依頼、楽器製作家マルティン・ホフマン(Martin Hoffmann)の息子・弟子でJ. S.バッハの所有機を製作したライプツィヒ出身の宮廷弦楽器製作家ヨハン・クリスティアン・ホフマン(Johann Christian Hoffmann)製作の楽器に関する詳細な資料と写真を基に製作が開始され2004年春に完成された。
4単弦・5単弦両用型となっており、S.クイケンは2004年10月の欧州楽旅の際J. S.バッハ作曲のカンタータ第55番、56番、98番、180番のアリア部分で、初めて公に胸上抱撮式ヴィオロンチェッロを使用したとみられ詳細確認中。その後A. L. ヴィヴァルディの「チェロ協奏曲RV403」を録音し公開演奏も行っている。
J. Ch.ホフマン製に関しては1732年製が20世紀初頭まで現存していた他1741年製の資料があるとみられるが詳細確認中。またJ. S.バッハが製作を依頼したのは1724年という情報もある。J. S.バッハがライプツィヒに移ったのは1724年頃からで、「6つの組曲」が作曲されたと考えられている1720年頃はケーテンにいたことを考えるとJ. Ch.ホフマンへの依頼は1724年以降と考えるのは自然かも知れない。可能性としては作曲後にそれを演奏するための理想の楽器を構想した、J. Ch.ホフマン以前に類似の楽器を知っていた、または当初演奏された楽器に不満を持った等が考えられるので、J. Ch.ホフマンとの接触時期やケーテン宮廷楽団の楽器の利用状況、この頃レーオポルト侯の従者として各地へ旅行した際の現地での楽器の利用状況、ケーテン宮廷で強かったフランス音楽の影響、
ケーテン移住前にいたヴァイマールで、当時公子だったヨハン・エルンスト2世がユトレヒト留学の帰路アムステルダムでイタリアの協奏曲のオルガン独奏を聴いたことがきっかけで楽譜を大量に持ち帰りJ. S. バッハ等に編曲依頼している。このような仕事上の経緯で間接的にイタリア趣味を学んでいる事等の要素も考慮する必要があり、詳細確認中。
ヴィオロンチェッロ・ダ・スパッラやヴィオラ・ポンポーザはこれまでも研究者の間では知られ、ウルリヒ・コッホが1970年11月に録音を残すなど楽器を肩に構える試みが現代でも以前から行われていたものの、復元楽器の完成までには至っていなかったという。D.バディアロフによれば、小型の楽器で膝臏夾立式ヴィオロンチェッロの音域を出すには弦の張力が不足するという問題があり、多くの製作家が物理的に不可能と考えていたようだ。U. コッホはA4=440㎐で録音していることから、基準音の認識の違いも再現の障碍になっていた可能性がある。このU. コッホの試みは当時「理論的誤り」とされたとのことで詳細調査中。
D. バディアロフは復元に当って弦の製作技術が失われたと考え、ヴィチェンツァ(Vicenza)の楽器弦製作家で弦製作会社アクィーラ・コルデ(Aquila Corde Armoniche S.a.s.)の創設者ミンモ・ペルッフォ(Mimmo Peruffo)と共に細いガット芯に金属線を二重巻きにした弦の最適値を割り出して低音弦を完成させ、2004年1月31日に発表している。金属巻弦は記述の通り1660年頃に誕生したとされており、二重巻きの実験も行われていたとのことで詳細確認中。
その後D.バディアロフは自身の為に2号機を製作し公開演奏も行っている他、オーストラリアのサマンサ・モンゴメリ(Samantha Montgomery)向けやマドリーの音楽院教授カルロス・アルブイセチ(Carlos Albuisech)向け等、2009年3月現在9挺製作されている。A. アルブイセチは2009年3月14日にサーバド(Sábado)のアスンシオーン教会で講義を伴った演奏会を行いJ. S. バッハ、A. L. ヴィヴァルディ、G. Ph. テーレマン、アントニオ・ボノンチーニ(Antonio Bononcini)等の楽曲を演奏した。
また1号機製作にも関わったヴィオロン奏者・指揮者・ハーグ王立音楽院教授の寺神戸 亮(Ryo Terakado)が胴長460㎜の小型仕様3号機を2005年に入手、2008年2月には「6つの組曲」を録音して6月に『無伴奏チェロ組曲(全曲)(Suites for Violoncello Solo BWV 1007-1012)』として発表している。基準音はA4=415㎐。S.クイケンもほぼ同時期に録音を行っているが、S.クイケンのアルバムはレコード会社の都合で発売が遅れた為、R.寺神戸のアルバムが先行することになった。
R. 寺神戸仕様3号機は⅛サイズの膝臏夾立式モダン・ヴィオロンチェッロやテノール・ヴィオロンとほぼ同じ大きさだが横板が大きくその分反響や音量も大きい、また1号機同様4単弦・5単弦両用型なので必要ない時はE4弦を外しているが、5単弦時の方が響きは良いという。エンドピンの場所が底部横板中央ではなくかなり裏板に近く、ストラップをエンドピンと緒留の間に取り付けたからではないかと推測しているようだが、張力との関連も考えられ調査中。ストラップの反対側はストラップ・ピンではなく指板の下に回して棹胴接続部に引っ掛けている。類似の方法としては中南米でギターの響胴孔にストラップの一端を引っ掛ける用法が存在する。ただ胸上抱撮式に関しては現在世界で活動している奏者それぞれが異なった留め方を試しているとのこと。
尚、R. 寺神戸の物が「ヴィオロンチェッロ・ダ・スパッラ」、D. バディアロフの物が「ピッコロ・チェロ(小型の5弦チェロ)」、U. コッホの物が巨大ヴィオラである「ヴィオラ・ポンポーザ」と区別している記事もあるが、R. 寺神戸は単に必要な時以外E4弦を外しているというだけで基本的にD.バディアロフが使用してい物と同じ。組曲録音もA. M. バッハ筆写譜を使用して1~5番を4単弦仕様で、6番を指示通り5単弦仕様で行っている。
また使用楽器は違うがU. コッホの物も「本来夾立式ではない」という視点から始まっている点で本質的に同じ方向性にある。
スパッラはフェッラーラ等の資料に現れる名称、ポンポーザはドイツ、特にJ. S. バッハ関連の資料から出てくる名称で、これらの名前は4単弦チェロ、5単弦チェロ、大型ヴィオラという区別をする為のものではないので注意。そして従来可能性が指摘されている5単弦チェロ・ピッコロは膝臏夾立式。D. バディアロフやR. 寺神戸の使用している5単弦チェロは胸上抱撮式。構え方の違いが議論されているのであって4単弦仕様か5単弦仕様かを議論しているわけではない。既述の通り3~6単弦の各種楽器は夾立式・胸上抱撮式共に多数存在している。バロック・ヴィオロンチェロは殆どが5単弦仕様で、4単弦が主流になったのは18世紀前半以降。
名称の違いと奏法の違いと仕様の違いは必ずしも一体になってはいないので混同に注意が必要となる。
胸上抱撮式ヴィオロンチェッロはこの他ナポリ派の協奏曲やソナタにも向く、またフランスでは通奏低音楽器として最適という記述もあるとのことで復元楽器による演奏活動が行われ始めている。また顎下夾挂式や胸腕上抱撮式ヴィオロン奏者であれば慣れるのが容易なことから、ソプラノやアルトのヴィオロン奏者にとって扱える低音域が拡大されることになり、復活演奏以外でもレパートリー拡大や新作・編曲作品において新たな編成が摸索されるかもしれない。
歴史考証とは別に同時代の作品への応用としてはアムステル版の通奏低音パートはヴィオロンチェッロとオルガン(violoncello e organo)と具体的に指定していることからA. L. ヴィヴァルディのチェロ協奏曲、ソリスト編成による合奏協奏曲集「四季」、「2挺のチェロの為の協奏曲ト短調RV.531」、≪フルート協奏曲 ト長調 作品10-3「五色ひわ」≫等を、またアルカンジェロ・コレッリ(Arcangelo Corelli)の「大協奏曲(Concerto Grosso)」、レオの協奏曲をS. クイケンやD.バディアーロフ、R. 寺神戸等が演奏している。
なお現代でもソプラノとアルトのヴィオロンを併用する奏者はいるが、かつてはバス・ヴィオロンも演奏可能なソプラノ・ヴィオロン奏者は多かったようで、イタリアでは双方の奏者として登録されている例が複数ある。ヴィオロンチェッロのような小型バス楽器が生まれたのもバス・ヴィオロンにソプラノ・ヴィオロンの用法を持ち込んで独奏化の試みを行ったことに始まっている可能性があり、詳細調査中。
胸上抱撮式ヴィオロンチェッロが衰退した理由としては、高音域が弾きにくく第7ポジションが限度な一方、膝臏夾立式では第8ポジション以降の高域も弾き易く独奏楽器としては有利で、L.ボッケリーニやF. J.ハイドン作品等1730年以降の楽曲になると胸上抱撮式では演奏不可能になるとのことだが、2人は18世紀後半に活動した作曲家で、1730年を境としている理由については確認中。また現存楽器が少ない理由としては大きさの近いアルト・ヴィオロンに改造された可能性が考えられるという。テノール・ヴィオロンも同様の状況で、無改造の現存機はアンドレア・ガルネリ(Andrea Guarneri)製と胴長469.9㎜の1690年製ストラディヴァリウス「メディチェア(Medicea)」の2挺とのこと。
ヴィオロンチェッロの第7ポジションはブルドンが11fのB2から始まるポジションでE4追加の5単弦仕様ではA5まで、9f接続のヴィオロンでは響胴上に入る。ギター式の数え方では第11ポジション相当で音域的にはB1追加の7単弦ギターで7列目12f~1列目17fの第12ポジションとほぼ同じ。7列目12fは6列目では7f、5列目では2fに相当。
ヴィオロンチェッロでは桿棹上で4本指全てを押弦に使う第1~第4ポジションをネック・ポジション、棹胴接続部から指を伸ばして押弦する第5~第7ポジションをスリー・フィンガー・ポジション、親指も含めて5本指を使う第8ポジション以降を親指ポジションとしている。この場合親指は人差し指の全音下を押さえる事が多い。但し桿棹の裏に親指を回すことが多いネック・ポジションでも運指上親指を使用する事もある。通常のネック・ポジションでは桿棹を挟んで中指と向き合う位置に親指を置くのが原則とされており、桿棹を握る為に使用するのではなく軽く添える程度でポジションを位置の確認や移動の補助に利用するものとされている。
中指と親指を向い合わせる押弦法は17世紀後半のフランス・バス・ヴィオル奏法で既に説かれているが、これが膝臏夾立式のヴィオロンチェッロへ流用されたものなのか、フランス・バス・ヴィオル以前から他楽器で知られていた手法なのかは確認中。リウトでは人差し指と対峙する形で親指が置かれていたようで、バス・ヴィオルにおける親指の位置に関して論争もあったようだ。
テノール・ヴィオロンは19世紀以後も開発が試みられていたようで、J. B.ヴュイヨームがアルト・ヴィオロンより5度低い楽器として1855年の万国博覧会で発表した胴長420mmのコントラルト(Contralto)、ソプラノ・ヴィオロン奏者・数学&物理学者のアルフレッド・シュテルツナー(Alfred Stelzner)がソプラノ・ヴィオロンのオクターヴ下の楽器として発案しリヒャルト・ヴィーダマン(Rrichard Wiedemann)やアウグストゥス・パウルス(Augustus Paulus)等がヴィースバーデン(Wiesbaden)やドゥレースデンで製作した胴長410㎜、横板の高さ60㎜のヴィオロッタ(Violotta)等が存在していたようだ。
コントラルトは展示のみで生産されなかったとみられ、ヴィオロッタはJ.ヨハヒムやフリッツ・クライスラー(Fritz Kreisler)等が興味を持ち、作品を書いた作曲家もいたとのことで詳細確認中。A. シュテルツナーは他にヴィオロッタの1オクターヴ下の楽器としてチェローネ(Cellone)を開発しているが、これは音域上5度調弦の3単弦コントラバス・ヴィオロンの高音にE3弦を追加した仕様に相当する。
またドイツのアルト・ヴィオロン奏者・音楽史学者ヘルマン・リッター(Hermann Ritter)が発案しヴュルツブルク(Würzburg)の弦楽器製作家カール・アーダム・ヘルライン(Karl Adam Hoerlein)が製作した胴長480㎜のヴィオラ・アルタ(Viola Alta)と呼ばれる楽器はハンス・フォン・ビューロウ(Hans von Bulow)やR.ヴァーグナー等に好まれ、バイロイト祝祭管弦楽団にも6挺導入されたとのことだが、調弦については確認中。
胴長454㎜の小型仕様や1898年にE弦を追加した仕様も開発されたという。
20世紀以降ではフランクフルト・アン・マインの弦楽器製作家ユーゲン・シュプレンガー(Eugen Sprenger)が1926年にストラディヴァリ型ソプラノ・ヴィオロンのサイズを2倍にし、調弦をオクターヴ低くする発想で開発した胴長720㎜のヴィオロンチェッロ・テノーレ(Violoncello tenore)が存在したとのこと。続けて1930年には横板の高さ60㎜のアルト・ヴィオロンを開発、ポール・ヒンデミット(Paul Hindemith)が使用し作品も書くもののその後広まらなかったとのことで詳細確認中。
ちなみに同曲第5番(
一方押弦については桿棹を握らない状態で他の4指と同じ方向から親指を押弦に使用するというソプラノやアルトのヴィオロンでは見られない奏法的発展をしているが、これは18世紀以降。高域演奏の際響胴上の指板を押さえるには親指が桿から離れる必要が生じるが、これによって空いた親指を押弦に利用している。起源はトロンバ・マリーナ(Tromba Marina, トゥルムシャイトTrumscheidt)とも、浮遊弦を備えた多弦腕上抱撮式ヴィオロンであるリラ・ダ・ブラッチョ(Lyra da Braccio)とも言われ詳細確認中。因みにソプラノ・ヴィオロンではモダン型よりバロック型の方が桿が太く弦間も広いため親指押弦が可能とのことで、R.寺神戸は「シャコンヌ」でセーハを、「ソナタ第3番」のプレリュードで親指押弦を実際に使用しているとのこと。
なお脚棒に関しても18世紀に開発されていたという記事もあるが詳細は確認中。胴体下部に脚棒を設置するアイデアそのものはアッラバーブで中世以前から行われており、3単弦弓奏擦弦楽器日本胡弓(Kokyū)にも備わっている。また、旅芸人の舞楽団やセレナーデ等の野外行進用に立奏可能なストラップ用の穴を裏板に開ける工夫も生まれており、ストラディヴァリ製のヴィオロンチェッロにも存在したが後に裏板が交換されたという情報もあり詳細確認中。胸上抱撮式ヴィオロンチェッロはこのような需要にも有用だったと推測されている。現在でもイタリアで用いられ、2006年2月にトリーノで行なわれたオリンピアード競技会冬季大会(冬季五輪, 冬季オリンピック)の選手村入村式歓迎演奏では膝臏夾立式ヴィオロンチェッロがストラップで吊るして使用された。
4単弦モダン・ヴィオロンチェッロは7単弦スカイギターとほぼ同じ音域であることからU.J.ロートに何らかの影響を及ぼしている可能性もあるが音楽面での情報はなし。楽器の所有は確認されているもののメーカーなどの詳細も不明。1980年代の一時期弾いていたようだが現在でも使われているのか単なる置物扱いなのかは謎。雑誌の対談企画で自宅を訪れたY.J.マルムスティーンが撮影のために手にとっているが実際には何も演奏していない。