Sky V - The Destiny Sky Guitar -

SKY Ⅴ; Destiny
 31f7単弦(B1-D#7)。メガウィングシステム搭載を前提に製作された初めてのスカイギターで1~4列目が31f、5~6列目が30f、7列目が29fで棹胴接続位置は低音側19f高音側23f。胴材は不明。1991年1~2月頃に完成、同年4月25日にケルン(Köln)で開催されたジミ・ヘンドリクス・コンサートで初披露されている。マイティ・ウィング完成後8単弦以上の仕様も考えたが、演奏上の問題から7単弦に落ち着いたとのこと。

 PUはH-S-H仕様で24~28f下にフロント、30~31f下にセンターが配置されている。コントロール系は上からマスターボリューム、高音域イコライザー、中音域イコライザー、ゲインコントローラー、PUバランサー。PUセレクターは5セッティング。糸巻は全弦クルーソン・デラックス。ブローチを利用したアクセサリーはマイティウィング同様響胴の彩色に反映されている。

 マイティ・ウィングに比して暖かい音が出るとされ、扱い易いことからロックなどの単純な曲で使用されるというが、初期はクラシックの曲も弾いてる。また近年はロック曲の中でもヘンドリクスの楽曲を中心に極一部で使われる程度。2006年頃から演奏会での使用が確認されていないが、これは上駒を紛失したのが原因とのこと。

 名称は「運命」を意味する英語。アルバムの背景となる物語にも「運命の女神デスティニー」という登場人物を設定するなど、 U.J.ロートにとって何らかの思い入れがある言葉と考えられるが由来など詳細は不明。1993年12月には既に命名されており、 通常この名で呼ばれる。4号機マイティ・ウィングとの対概念では 翼竜を意味する英語「ドラゴン(Dragon)」の別称を持ち、アルバムのサブタイトルにも 使われている。

U.J.ロートの機材
100W Super lead tremolo Plexi Marshall head
       1972年製でハンブルグで購入。中古品だったような気もするが覚えていないとのこと。改造前は140Wで改造時期は1984年4月以降。とてもクリーンで特徴のある音として全てのアルバムに使用、ディストーションを効かせた時に主にメインとして使う語っている。演奏会でこのアンプに並列されている物はスペア。

 なおこれ以外にもマーシャル製アンプを所有したことはあるが、非常に少なく、またなくしたもの、修理に出したまま忘れてしまった物などもあるという。 またツアーではその他のモデルも殆どは一通り試してあるという。マーシャル製については音色以外に耐久性を評価している。2008年来日時は「マスター・ボリュームが付いているモデルは好きではない」という理由から1959RRが候補となるも結局1959SLPを用意、ループは使用せずギターとアンプの間にエフェクターをつないで使用。230V駆動でチャンネル1のインプット1からチャンネル・リンク、1960Bで出力。

320W cabinet loaded with 80W Celestion speakers
       上記マーシャルアンプの出力装置。
Marshall Vintage Modern 1987X
       『UNDER A DARK SKY』でリード・パートの一部に使用。
Fender Twin Reverb
20W Prototype SKY Cyr Amplifier
       交響楽団との共演に際し音質を損なわずに音量をギリギリまで低くコントロール出来るようアッテネーター(Attenuator)として開発されたものでアラン・シア(Alan Cyr)製作。
Framus Dragon
       2005年には「最近の好み」としていたが詳細不明。マーシャル(4x12吋)に繋いでいたらしい。
Framus Cobra 100W
       クリーン・トーン専用としてマーシャルのスーパーリードと組み合わせる。 丸みのある豊かで明瞭な低音が得られると感じるのが理由で、『UNDER A DARK SKY』で使用、2008年来日時も舞台袖に設置して使用した。
VOX AC30
       ドーン・ロード以前から使用している最も利用暦の長い機種。主に柔らかいトーンを出す時に使用。アンプは状況に応じて使い分けたり同時に鳴らしたりするので使い方は一定でない。
Pete Cornish 5ch Guitar Mixer
       ピート・コーニッシュ(Pete Cornish)が設計したアンプの切替え装置。
Roland Space Echo RE-301
       スコーピオンズ(SCORPIONS)時代での利用は『TOKYO TAPES』のみでそれ以前は使っていない。アルバム中で聞こえるものはスタジオでの編集によるもの。但し、ドーン・ロード(DAWN ROAD)時代には使っていた。『BEYOND THE ASTRAL SKIES』時は2台使用することも。2001年の東京公演でも2台使用されていた。
Jim Dunlop Vox CRY Baby 535
       ドラムに対する音抜けの良さからリードパートの大部分で使っていたがコンサートでは突き刺すようでかつ非常にうるさいのでコットンウールの耳栓をしながら演奏していた。近年はスカイギターの最高音を弾く際の一時的なブースター代わりや一部の曲で特殊効果を狙って使う以外はほとんど使用されない。
Electric Mistress Flanger
       スコーピオンズ時代に数回使用したとのこと。
Jim Dunlop Univibe
       「I'll Be Loving You Always」で使ったのが最初で最後かと思う、とのこと。
Vibeswear Guitar Resonator GR-1; Sky Vibe
       ハノーファーのマルクス・パール(Marcus Pahl)が開発した製品を気に入り2人で改造した物で、原音を損なわずにフィードバック効果が得られるとのことから『UNDER A DARK SKY』の冒頭他各所のフィードバック用に使用。U. J.ロートは「スカイ・ヴァイブ(Sky Vibe)」と呼んでいるがこれは独自の名称で製品としては「ギター・リゾネイター(Guitar Resonator)」として発売されている。

 PUからの信号に基づいてリゾネイターヘッド部分で磁界を発生させて弦を振動させ、専用ペダルで出力をコントロールするもので、 ギターアンプのキャビネットを利用したフィードバックと違い音量に関係なく小音量やヘッドフォンを使用した消音状態でも、また音質に関係なくクランチやクリーントーンでも様々な表現ができるという特徴がある。その他 ギターからの音の信号に基づいてフィードバックを起こすことから加工された音のような違和感がなく、 1976年に開発されたEボウ(E-Bow)に似るが両手とも塞がれず通常演奏に支障をきたさない、 サスティナーPUのように設置場所が固定されないので様々な音が得られるといった利点があるという。PUと一定以上の距離を保つ必要から主に12fより上駒側で 使用することが多い。 製品はリゾネイター・ヘッドとスタンド、リゾネイター・ボックス、電源、ステレオ・ケーブルで1セット。

Dallas Arbiter Fuzz Face
       「Fly To The Rainbow」の最後や「Earthquake」の冒頭等で使用。J.ヘンドリクスとは違い常用ではなく特殊効果を狙うケースでのみ利用する。
Roland Jet Phaser
       「Polar Nights」のリードパートや「Enola Gay - Hiroshima Today?」の最後等で使用。
Sky Isolator
       アンプを直列でつないだ時に発生するアース・ハムを解消するためのもの。
その他
       1978年の日本公演時に確認された物ではその他に MU-TRONOctave DividerELECTRO HARMONIXElectro MinstrelsROLANDFoot Switch/Volume
 1985年のツアー時に確認された物では他にモーリー製オーヴァードライヴ、BOSSBV-2ROLANDAP-7
 2008年の日本公演時に確認された物では、MXR製アナログ・ディレイMXR Carbon copy2台、BOSS FV-300L、タイコブレア製ファズのオクタヴィア、ジム・ダンロップ製ユニヴァイヴ用コントローラー(Univibe Expression Pedal)、アイバニーズ製ディストーションのTS9DX Turbo Tube Screamer、デジテック製ワーミー(Digitech Whammy)、リール製デュアル(Real Dual CE)など。
Plectra
       最初はFender medium、その後すぐにJoergensen Heavy。 1978年頃はディア・ドロップのヘヴィをリズムに、ミディアムをソロに使用。 1985年北米ツアー頃はマニーのヘヴィ、2001年の日本公演時はピック・ボーイ(Pick Boy)製Meta Carbonate 1.00㎜ Heavy、2008年日本公演時はフェンダー製Extra Heavy 1.14㎜など。形状・材質は基本的にティアドロップ型で樹脂製だがそれ以外は特に決まっておらず。厚さに関しては2006年4月現在、録音時に明るい音を出す目的でライト・ピックを使うことがあるものの、速い曲で壊れることがあるので、通常はほぼヘヴィ・ピックを使用していると語っている。抱撮法は一般的な親指と人差指の2指によるが、状況によっては親指と中指で挟む場合や、中指の爪を添えて音響的効果を出すこともある。弾弦位置は19f付近~下駒付近まで頻繁に移動、小指等を響胴に接触させて支持することもあれば完全に自由にしてソロフレーズを弾く事もある。また指でヴォリュームを操作して音量を調節しながらの演奏やワーミィ・バーでヴィブラートをしながら演奏することも多い。弦に対する角度は通常約45度で、速弾きの際90度近くになることもあるとのこと。
Strings for Guitars
       ghs、ギブソン、アーニー・ボール, ダダリオ, フェンダー, ディ・アンジェリコ、最近では7単弦ギターにトマスティック=インフェルト(Thomastik-Infeld)など特に決まっておらず。6単弦ギターではブルドンがB1又はB1でゲージは0.060吋(1.524㎜)など太め。シャントレルのゲージは通常0.008(0.2032㎜)~0.012吋(0.3048㎜)でソロの時は0.009吋(0.2286㎜)又は0.008吋(0.2032㎜)を利用。

 特にスコーピオンズ時代は1列目が0.008(0.2032㎜)もしくは0.009(0.2286㎜)~0.011吋で演奏会では0.009(0.2286㎜)吋、2列目が0.010~0.012吋(0.3048㎜)で スタジオでは0.013吋(0.3302㎜)、3列目が0.015吋(0.381㎜)、4列目が0.026吋(0.6604㎜)、5列目が0.036吋(0.9144㎜)、6列目が0.048吋(1.2192㎜)。
 またエレクトリック・サン時代の弦のゲージは『天地震動』の時が多分0.011(0.2794㎜)~0.052(1.3208㎜)吋。『FIRE WIND』の時は1列目が0.009吋(0.2286㎜)。その後3列目に0.014吋(0.3556㎜)を好むようになった。1985年の北米ツアーの頃はギブソン0.009(0.2286㎜)~0.050吋(1.27㎜)。

Bryan Hiscox 12-string Guitar
       カスタムメイドの6複弦ギターで『BEYOND THE ASTRAL SKIES』に使用。現在はとあるハードロックカフェ(HARD ROCK CAFÉ)に飾られているとのこと。
Yamaha DX7
       初の小型・安価なシンセサイザーとして世界で30万台売れた楽器で当時のU.J.ロートも高く評価していた。スカイギターは鍵盤楽器、特にこのDX7とのアンサンブルを前提に開発されており、ギターや鍵盤楽器は平均律の関係上響きの悪い調性がいくつかあることからスカイは鍵盤楽器との不具合を起こす特定の調性への改善に特に気を使って開発したと語っている。1985年のツアーではバンド内に鍵盤奏者が2人いたが自らも演奏することがあった。
Fairlight
      「The Night The Master Comes」や「Eleison」制作の際に利用。
Pianoforte
       パドヴァ(Padova)出身のチェンバロ(Cembalo)製作家、バルトロメオ・クリストーフォリ(Bartolomeo Cristofori)が開発したもので、正式名称はグラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ(Gravicèmbalo col Piano e Forte)。これまで1709年完成とされていたが、フィレンツェのトスカーナ大公の楽器目録1700年版が発見され、アルピチンバロというB. クリストフォリ開発による強弱のつけられる新機構搭載仕様が記述されていることから、現在では17世紀末に既に開発されていたという見解になっている。

 演奏曲や奏法、楽器形状は鍵盤付き撥弦楽器であるチェンバロを受け継ぐ面も多いが発音原理上はクラヴィコード(Clavichord)の改良型に当たる鍵盤付き打弦楽器で、広い意味ではハンマー・ダルシマー(Hammerd Dulcimer)やイラン(イラン・イスラム共和国جمهوری اسلامی ایران)のサントゥール、中国の楊琴(Yáng Qín)等も同じグループに属する。イタリアでの反応は薄かったが、1711年のマッフェイによる紹介記事が1725年に独語訳されて音楽雑誌に掲載、それを読んだフライブルクのオルガン製作家ゴットフリート・ジルバーマン(Gottfried Silbermann)が製作を開始している。

 G. ジルバーマン製のうち15台は、政治的には啓蒙専制君主として、音楽的にはフルート奏者として知られるプロイセン王国第3代フリードリヒ大王(フリードリヒ2世Friedrich von Hohenzollern II, der Große)が買い集め宮廷各所に配置していた。、J. S. バッハは息子のカール・フィリップ・エマヌエル・バッハ(Carl Philipp Emanuel Bach)が宮廷奏者だった関係で 1747年5月にポツダム宮廷を訪れているが、この際に試奏させている。またこの時フリードリヒ大王から与えられた主題を元に即興フーガを披露した。これを帰郷後3~6声部に展開し更にカノンやソナタも加えて銅板に纏め献呈したのが『音楽の捧げ物 BWV1079』になる。但し殆どの指定楽器も曲順不明。G.ジルバーマン製ピアノに関しては1733年の試奏の際は不満を述べたものの、改良機を1749年に試奏した際は一定の評価をしていたとされる。しかしその後各メーカーによる大幅な改良により19世紀初頭には無用の長物として宮廷でも隅で置物になっていた。

 音域は交響楽団の最低音楽器コントラファゴット(Contrafagotto)から最高音楽器ピッコロ(フラウト・ピッコロFlauto Piccolo)までを包含する88鍵(A0~C8)が通常だが、これは1880年代頃出現し1920年代以降に定着したもので、現存するB. クリストーフォリ製は49鍵(C2~C6)及び54鍵(F1, G1, A1~C6)で、その後18世紀の間は60~61鍵が主だった。 尚54鍵仕様は最低域が全音間隔になっているが、これが旋法理論の最低音ガンマウト(Gammaut)の下方に追加されたレトロポレクス(Retropollex)と関係しているかについては確認中。

 鋳鉄製フレームの開発や巻弦・鋼鉄弦の導入、ハンマーの進歩と共に19世紀以降新製品が続々と開発され、ボン(Bonn)出身の作曲家&鍵盤奏者L.v.ベートーヴェンは

1788年頃        ヨハン・アンドレアス・シュタイン(Johann Andreas Stein)製        61鍵(F1~F6)
1790年頃        フォーゲル        61鍵(F1~F6)
1792年頃        アントン・ヴァルター(Anton Walter)製        61鍵(F1~G6)複弦or三重弦。
「悲愴」「月光」「テンペスト」等に使用。
1796年頃        ナネッテ・シュトライヒャー(Nannette Streicher)製        61鍵(F1~F6)
1800年頃        ヤケッシュ        61鍵(F1~F6)
1803年~        セバスティアン・エラール(Sébastien Erhard)製        68鍵(F1~C7)三重弦4ペダル。
「熱情」「ヴァルトシュタイン」等に使用。
1809年~        ナネッテ・シュトライヒャー(Nannette Streicher)製        73鍵(F1~F7)複弦or三重弦、膝or4踵ペダル。
エラール故障中にリース貸与されていた。
1810年頃?        ケニッケ        73鍵(F1~F7)複弦or三重弦4膝梃
1818年~        ブロードウッド(Broadwood and Sons.)製        73鍵(C1~C7)三重弦2踵ペダル。
「ハンマークラヴィーア」第4楽章~ソナタ作品111等に使用。
1823~26        コンラート・グラーフ(Conrad Graf)製        78鍵(C1~F7)三重弦or四重弦3踵ペダル。
ピアノ作品作曲には使用せず。
作曲時点で自身の楽器の音域を越えているケース有り。別の楽器を想定したか変則調弦した可能性が。
使用曲の曲名は出版社や評論家によるもの。L. v. ベートヴェンは「悲愴」以外のピアノ作品に名前は付けていない。
と時期を経るごとに順次拡張された楽器を導入して音楽界に大きな影響を与えている。

 その後、1840年頃からロベルト・シューマン(Robert Schumann)やヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms)がグラーフ製80鍵4ペダル仕様を、F. F.ショパンやF.リストが82鍵(C1~A7)仕様を採用しており、88鍵が定着するまでは85鍵(A0~A7)仕様が多い。日本でも戦前に製作されたY. 西川製、周筱生&周譲傑製、李佐衡&李民華製の現存機は85鍵仕様で、周筱生製の1台は現在も横浜中華街にある萬珍楼で使用されている。

 88鍵奏者としてはF.リストが晩年にベヒシュタイン製を使っていたほか、1901年にジョゼフ・モーリス・ラヴェル(Joseph Maurice Ravel)がエラール製で全域を使い切った「水の戯れ(Jeux d'Eau)」を作曲している。 交響楽団では協奏曲以外でも1820年頃まで指揮をする際に使用されることがあった。元々はチェンバロで行われており、この場合聴衆に対してはほとんど音が届かないことがあるが、楽団に対して聞かせるのが主目的で、また微かに聴こえる音が打楽器的な装飾効果として考えてられていたようだ。現代のバロック音楽や現代音楽の合奏は大型ホールで行われる場合PAシステムを利用してチェンバロの音量を増幅させていることも多い。またポピュラー音楽でも大編成の楽団をピアノやシンセサイザー奏者が纏めていることがある。ただし大音量の合奏における楽団向けの音は別途に配置されるモニター・スピーカーや頭にかける、または耳孔に挿入するイヤー・モニターを通して聞かせることが多く、この場合は鍵盤に限らず様々な他者の音やテンポを示すクリック音等が必要に応じて流される。

 20世紀前半にはジャズ音楽やラグタイム(Ragtime)音楽、ブルーズ音楽、R&B音楽、タンゴ音楽等に採用され、その後はポピュラー音楽等多くの音楽で使用されている他、教育用、作曲用にも使用されている。ロック音楽ではザ・ビートルズがアルバム録音で採用していることから1960年代前半には既に用いられていたようだ。同バンドは1965年発表のアルバム『ヘルプ!4人はアイドル(HELP!)』第13曲「イエスタデイ(Yesterday)」弦楽伴奏等も録音に用いているが、背景にはクラシック音楽がレコード化も先行しており録音現場での技術者やプロデューサーのジョージ・マーティン(George Martin)にとって全く離れたものでなかったこと等が影響しているようだ。当時一般的にはクラシック音楽のオーケストラと演奏が出来ない音楽という見方があり、弦楽伴奏の導入が結果的に支持層の世代面での範囲拡大という効果も齎したようで、詳細確認中。G.マーティンは同バンドの録音ではピアノ奏者としても参加していた人物。1994年頃にハーモニカと弦楽のための「3つのアメリカン・スケッチ」を作曲、 J. Ch. ウィリアムズ向けにギター編曲された。ザ・ビートルズ・ファンでもあるスウェーデンのギター奏者イェラン・セルシェル(ヨェラン・ソェルシュアGöran Söllscher)はG.マーティン指揮の元でこの曲を演奏している。G.セルシェルは11単弦アルトギター奏者として有名だが、この時はホセ・ラミーレス工房のミゲル・マロー製作1970年製19f6単弦スペイン・コンサート・ギターを使用。

 弦楽はその後もザ・ビートルズのアルバムで数度利用され、1966年発表のアルバム『REVOLVER』第13曲「Got to Get You into My Life」では管楽器伴奏パートも導入されている。その他パイプ・オルガンやシタール、タンブーラ、逆回転テープ、ヒトの可聴範囲を超える高周波といった様々な音響やコンセプト・アルバムといったスタイルもロック音楽に持ち込んでいる。

 その他この時期のロック・バンドではイギリスのディープ・パープル(DEEP PURPLE)が1970年9月にマルコム・アーノルド(Malcolm Arnold)指揮のロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団(THE ROYAL PHILHARMONIC ORCHESTRA)とロイヤル・アルバート・ホールで実演での共演を果たしている。

 ブルーズ音楽ではジョン・メイオール(John Mayall)が管弦楽団を含めたレコード録音を残しているようだが、それ以前については詳細確認中。

 ジャズ音楽では当初から管楽器の楽団が演奏していたが、交響楽団を交えたシンフォニック・ジャズと呼ばれるスタイルも20世紀前半には登場している。現在の日本でもしばしば演奏され、CM等でも使用されることの多い「ラプソディ・イン・ブルー(Rhapsody in Blue)」が有名だが、それ以前にも存在していたかは確認中。この曲はアメリカのポピュラー音楽・ミュージカル音楽作曲家だったジョージ・ガーシュウィン(Geroge Gershwin)が1923年にジャズ音楽家ポール・ホワイトマンから委嘱されて作曲したもの。管弦楽作曲の知識が無かった為 G.ガーシュウィンがピアノとジャズ楽団向けに書いたものをホワイトマン楽団専属編曲家ファード・グローフェ(Ferde Grofe, ファーディ・グローフェ)が管弦楽編曲を行うという形で完成させ、翌1924年2月12日に音楽会「現代音楽の実験」で初演され好評を得た。G.ガーシュウィンはその後1928年春に休暇と作曲法師事の為に渡仏し、J. M. ラヴェルやイーゴリ・フョドロヴィチ・ストラヴィンスキー(И́горь Фёдорович Страви́нский)と会うも同格の友人として接されて結局師事出来なかったとのこと。この時滞在中のホテルにピアノを持ち込んで書いた曲を 元に帰国後管弦楽編曲したのが「パリのアメリカ人」で、同年12月3日、ニューヨーク・フィルハーモニックの定期演奏会でウォルター・ダムロッシュ指揮のもと初演された。当曲の第1部「散歩の主題」ではタクシーの警笛を模した表現も使用されている。

 なおF. グローフェは組曲「大峡谷(グランド・キャニオンGrand Canyon)」の作曲者としてクラシック音楽でも知られており、日本の音楽の教科書でも取り上げられたことがある。

 88鍵を越えるものではイグナツ・ボェーゼンドルファー(Ignaz Bösendorfer)の興した ベーゼンドルファー社製作の92鍵(F0~C8)仕様「モデル225(Semi-Concert Grand Model 225)」や97鍵(C0~C8)仕様の「インペリアル(Full-Concert Grand Model 290 "Imperial")」が存在する。 インペリアルはイタリアのエンポリ(Empoli)出身の作曲家&鍵盤奏者フェルッチョ・ブゾーニ(ダンテ・ミケランジェロ・ベンヴェヌート・フェルッチョ・ブゾーニDante Michelangelo Benvenuto Ferruccio Busoni)がJ.S.バッハのオルガン曲編曲に際して必要としたことから ルードヴィッヒ・ボェーゼンドルファー(Ludwig Bösendorfer)が製作した、あるいは 1944年にヘンリー・パープが実験的に製作した物が元との情報があり、現在確認中。

 他、近年ではF0~F8での97鍵仕様なども存在。鍵盤数の増加は音域の拡張と同時に共鳴弦として音響の充実にも貢献している。 また鍵盤のデザインがハ長調の白鍵と半音の黒鍵になったのは18世紀後半。ペダルの数も現在は3点が一般的だが、史上4~5点やそれ以上の物も多く様々な試行錯誤が加えられ現在にいたっている。なお、上記のうちシュタインはW.A.モーツァルトの愛器でもあった。

 ギターとの関連では鍵盤付ギターのタステンギターラ(Tastengitarre)と呼ばれるものが19世紀に開発されていたとのことで詳細確認中。鍵盤付弦楽器はヴァイオリンでも開発されヨーロッパの一部地域で流行したようだが、アコーディオンの人気に押されて衰退した。 スウェーデンではニッケルハルパと呼ばれ現在でもウーロフ・ヨハンソン(Olov Johansson)等が復元楽器を使って演奏活動をしている。

 また、1830年代の各地域の音色やデザイン、使用材料といった基本特性がフォルテピアノ(Fortepiano)と価値観を共有しているとの指摘がある。 すなわち、ブロードウッド、ジェイコブ・カークマン(Jacob Kirckman)、ローマ出身で後に渡英したムツィオ・クレメンティ(Muzio Clementi)と パノルモ、ガイオット(Guiot)、ハンブリーのイギリス勢、シュタインやシュトライヒャー、ワルター、グラーフとシュタウファーのウィーン勢、プレイエルやエラールとR.F.ラコートやエティアンヌ・ラプレヴォット(Etienne Laprevotte)、オルレアン(Orléans)のフランソワ・リュポ1世(François Lupot I, Lupos)、シャプュイ(Chappuy)、グロベールのフランス勢といった組み合わせ。またフォルテピアノの鍵盤動作の軽重とロマンティック・ギターの張力や弦長、弦高においてはロンドンのブロードウッド、カークマン、クレメンティが重め、パノルモ、ガイオット、ハンブリーが強め・長め。 ウィーンのシュトライヒャー、グラーフ、ワルターが軽め、シュタウファーとその系統が短く低い。そしてパリのプレイエル、エラールとラコートやラプレヴォットが両者の中間ということのようだが、詳細は調査中。なおウィーン・ピアノに並んでイギリス・ピアノが台頭するようになったのは1756~1763年の7年戦争(Seven Years' War)時に12人の技術者がドイツからイギリスへ移住したのがきっかけとのこと。

 奏法上の鍵盤楽器からの影響も大きく顫音(Trill, トリル)、モルデントはパリ・オペラ座通奏低音奏者・フランス王立音楽院ギター及びテオルブ科教授だったフランソワ・カンピオン(François Campion)がチェンバロから。トレモロ奏法は19世紀後半にピアノから流用されたもので、G.レゴンディ作曲の夜想曲「夢」作品19がギター初のトレモロ使用作品という情報もあるが、これはトレモロ曲をどう定義するかによるようだ。表現効果の一手法として曲中で部分的に使用する例はそれ以前でも J.K.メルツの「吟遊詩人の調べ」第35曲ロマンス、「小協奏曲(Concertino)」、『オペラ・レビュー』作品8-14「エルナニ」及び作品8-31「シチリア島の夕べの祈り」、M.G.P.ジュリアーニの作品111-1や作品143の第4変奏、「120のアルペジョ」第100番、第110番、M.カルカッシの練習曲 作品60-7等に見られるという。また同音を連続させて旋律を持続させる手法は18世紀にS. L.ヴァイスの「シャコンヌ」で、カンパネラ奏法の一種としてはイギリスのリュート奏者ジョン・ダウランド(John Dowland)の「ファンシー」等17世紀以前にリュート曲で既に見られるとのこと。 1曲通しての使用はG.レゴンディの「歌と変奏」作品21の第3変奏で見られるようになるとのことで19世紀半ば頃には行われていたようだ。 20世紀の作品でもトレモロ奏法は楽曲全体に用いる場合と曲中で部分的に用いる場合の両曲が制作されている。

 ソプラノ・ヴィオロンのトレモロはクラウディオ・ジョヴァンニ・アントーニオ・モンテヴェルディ(Claudio Giovanni Antonio Monteverdi)がオペラ伴奏のソプラノ・ヴィオロン・パートに指示したトリロが最初とのこと。東洋では中国琵琶に輪指と呼ばれる爪の裏打ちによるトレモロ奏法が存在し中国三弦でも流用される場合があるようだが、何時頃始まったものかは調査中。

 エレクトリック・ギターでのタッピング奏法はロンドン出身のギター奏者スティーヴ・ハケット(スティーヴン・リチャード・ハケットStephen Richard Hackett)が先駆者として知られているが、これはピアノの表現の模倣による。広く認知させることに貢献したアメリカのギター奏者エディ・ヴァン・ヘーレン(エドワード・ヴァン・ヘイレンEdward Van Halen)の場合はA.ホールズワースの運指に指が届かなかったところから右手で補ったのが発端と言われているが、A.ホールズワース自身はヴァン・ヘイレンの前座を務めた際既にタッピング奏法を行っておりデマだと語っている。ただ直接対面する以前のアマチュア時代の状況にまで踏み込んだ発言ではないため詳細確認中。A.ホールズワースはジャズ・ピアノを弾いていた父親から和音を構成する音の位置を教えてもらったことやピアノの楽譜でギターを練習していたため、ギターで一般的な運指や和音の型にはならなかったという。最初の楽器はソプラノ・ヴィオロンで、ギターはサクソフォンの旋律の真似から入ったことなども独特のスタイルに影響しているようだ。使用ギターも1980年代半ばからネッド・スタインバーガー製ヘッドレス型やシンセアックス社製ギター・シンセサイザー等必要に応じて新製品も積極的に使用している。

 鍵盤楽器はその他音響・音量上の影響もギター改良の動機として無視できないほどに大きいが、アルペッジオ奏法に関してはチェンバロやクラヴィコードが一般化するまでリュートでのみ行なわれていた奏法ということで詳細確認中。アルペッジョは分散和音と訳されるが、和音を若干の時間差のみでほぼ同時に鳴らす和声的アルペッジオ、構成音を数拍に亘って分散させ旋律的な動きをとる線的アルペッジオ、並行旋律をずらして加える音程的アルペッジオがある。またシャコンヌ形式の変奏曲はメキシコのチャコーナ舞踊が5コース・ギターの曲としてイタリアへ伝わり、17世紀前半に鍵盤に取り入れられ他分野へと広がったとのこと。最古は1598年の詩「Rosas de O guendo」に現れるもの、またサラバンドの最古は1606年にジローラモ・デ・モンテサルド(Girolamo de Montesardo)がフィレンツェで出版した5コース・ギター曲集とのことで詳細確認中。変奏曲の最古はニコラス・ヴァレット(Nicolas Vallet)の曲とのことだが、変奏自体は世界各地で行なわれている様式なのであくまでクラシック音楽上、または記譜上の最古ということになるかもしれない。

 U.J.ロートは敬愛する音楽家としてF.ショパンを挙げている上、楽器としてはソプラノ・ヴィオロンと並んで最も好きな楽器であると語っている。早くから音盤や理論書、楽譜を通じて学んでいることから作曲面での影響も大きく、ギターは「慣れているから」「表現するための単なる道具に過ぎない」とまで語っている。実際の演奏については1980年代以降独学で始めており一時期メインの楽器となった。アルバムで使われることもしばしばあるが使用楽器についてはメーカー含めて詳細不明。
※ベートーヴェンが生涯経験した音域の拡張幅をギターで例えると、低音は6弦(E2)迄だったものが7弦(B1)迄、高音は1弦が24f(E6)迄だったものが36f(E7)迄増えたことに相当する(あくまで増加した音数のみに着目。36f7単弦ギターの音域自体は66鍵に相当)。

Ovation Glen Campbell Artist Model 1627?
      
 1967年頃、ヘリコプター・デザイナーだったチャールズ・ケイマン(Charles H. Kaman )によって考案された6単弦アコースティックギター。1968~69年にかけてアメリカで2つのデザインに関する特許が取得されているが、ラウンドバックを用いた響胴設計はバロック時代にイタリアで用いられた5複弦ギター、キターラ・バッテンテ(Chitarra Battente)が元になっているという情報があり、詳細確認中。バッテンテは現在でもイタリアで利用されているが、金属弦の5三重弦仕様となっている。C.H.ケイマンの場合はこの背面構成材にヘリコプターの工業技術を流用してガラス繊維(Glass Fiber)を用いてるのが特徴。

Leaf Hole
 響胴裏側が曲面になったラウンドバック構造は強度を上げる工夫として中世以前より用いられており、また響胴孔も空気の振動によって 内外の行き来が可能であれば問題ないことからその数、位置、形状などは古くから様々なデザインが採用されている。A.トーレスは表面板が最も重要なものであることを証明するために表面板のみスプルースで横・裏板は厚紙から成る18f小指台付き6単弦ギターを1862年に製作したこともあり、F.ターレガが所有していた。厚紙製トーレスはもう1本存在するとのこと。

 初期モデルはパイン製で響胴孔は中央に1つだが、1976年頃に指板を24fとし表面板上の指板両脇に複数の小さな響胴孔を配するリーフ・ホール(Leaf Hole)というデザインを採用、1977年にアメリカで特許を取得している。これは最も弦の張力がかかる駒~糸枕間直下の表面板に穴を開けてしまうのを避けることで強度を確保する分、表面板をより薄くして音量を増大させるという効果を目的としており、同時に力木に炭素繊維(Graphite Fiber)を採用して強度を更に高めている。その他表面板と裏板を繋ぐペオーネス(Peónes)部分には合成樹脂を使用するなど新素材が積極的に利用されている。 なお炭素繊維はナイロン弦のモダン・スペイン・ギターでもG.スモールマンが力木の上部と底部の一部に使用している。これは振動阻害の要因を減らすことと強度を確保することの両立という観点から生まれた選択。

 オヴェイション製ギターはまた、骨棒に振動を感知して電気的に出力するピエゾ・ピックアップ(Piezo Pick-up)を搭載、ナイロン弦ギターでの電気的音量増幅も容易にした。これは1960年代アメリカで人気TV番組だった「グレン・キャンベルのグッドタイム・アワー(The Glen Campbell Goodtime Hour)」でギターを使っていたグレン・キャンベル(Glen Campbell)の要請に端を発する。それまではグレッチ社製を使っていたようだ。依頼先をオヴェイションに変えた理由は不明だが、グレッチ社は1968年、当時経営者だった初代フリードリヒ・グレチュ(Friedrich Gretsch)の孫フレデリック・グレッチ・ジュニアが引退を機にボールドウィン(Baldwin)社に売却したといった事情もあるようで関連を確認中。グレッチ社は1978年頃からのディスコ音楽の流行でギターが衰退したことからドラムの生産に限定するようになった末、ボールドウィン社が1981年頃不況で倒産、グレッチ社はグレッチ・ジュニアと兄弟にあたるウィリアム・グレッチの息子フレッド・W. グレッチによって買い戻され、1985年頃からギター製作も再開して現在も存続している。

 その他のピエゾPU搭載ギターとしてはギブソン社がCE-1Eを1961~1967年にかけて製造しており、これが最古になると思われる。オヴェイション以降は1970年代にタカミネ等も参入し、エレクトリック・アコースティック=ギター(エレアコ)という領域が確立した。また現在ではアコースティック・シミュレーターと呼ばれるエフェクターやアンプ・シミュレーターの1機能等を利用してソリッド・ボディ型エレクトリック・ギターでも類似の表現を行う試みもなされている。 ナイロン弦コンサート・ギターではS. グレゴリアンやJ. Ch. ウィリアムズ等一部の奏者が響胴内部にマイクを設置した楽器を所有しているが、通常は演奏の際にスタンド・マイクを舞台上に立てて音量増幅している。初出は調査中だが、録音作業自体は原理的に同じことを行っているため、基本的にはレコード録音が始まった20世紀前半から存在していたことにはなる。作曲者による想定としては、ブラジルの作曲家・指揮者エイトール・ヴィラ=ロボス(Heitor Villa-Lôbos)が1951年に作曲した「ファンタジア・コンチェルタンテ(Fantasia Concertante)」でオーケストラに自由度を与えるためギターの電気的音量増幅を考えていたとの情報があり確認中。この曲はギターの技巧を披露するカデンツァ部分が無かった為A. セゴビアが難色を示して改作を要求、1955年に「協奏曲(Concerto)」として改編され、更にA. セゴビアが電気的音量増幅も好まなかった為H. ヴィラ=ロボスの妻アルミンダが管弦楽パートの音量指示をピアノはピアニッシモに、ピアニッシモはピアニッシッシモに書き直して1956年にA. セゴビアが初演したとのこと。

 U.J.ロートが所有していた物は金属弦20f、15パール・インレイで響胴孔が1つということからモデル1627(Model 1627)と推測される。このタイプは表面板がAAA級シトカ・スプルースでエボニー指板、ピエゾPU搭載のブラック・ウォルナット(Black Walnut)製駒、1970年頃開発されたオヴェイションA型力木配置。24金鍍金糸巻で弦長は25¼吋(641.35㎜)、上駒幅111/16吋(42.8625㎜)。エレクトリック・サン時代の3枚のアルバムで使用しているが、その後アルバムやライヴでの使用は見られず、 現在も所有しているのかは不明。

Karl Höfner HA-JC03-12ET
HA-JC03-12ET HA-JC07
       20f6複弦金属弦ジャンボ型アメリカ・ギター。弦長648㎜のカッタウェイ仕様で低音側14f高音側16f接続。材は表板スプルース、横&裏板レイスウッド(Lacewood)。サドルは獣骨製。上駒幅48㎜。3バンド・アクティヴPUシステム及び半音階チューナー内蔵。『UNDER A DARK SKY』の数曲に使用したとのことだが、U. J.ロート所有か借り物かは確認中。
Karl Höfner HA-JC07 Jumbo Westerngitarre
      
TopHardware
03LacewoodChrome
05SpruceChrome
07JacarandaGold
 20f6単弦金属弦ジャンボ型アメリカ・ギター。弦長648㎜のカッタウェイ仕様で低音側14f高音側16f接続。表板材はハカランダ。上駒幅45㎜。HAシリーズには響胴形状によって大型のJCの他に薄型のGC(Grand Concert)、中間的なGA(Grand Auditorium)があり、表板材や鍍金等の違いによって07の他にレイスウッド製の03、スプルース製の05が存在しているが、U. J.ロート使用のものは形状や金鍍金部品からJC07と推定される。入手時期は不明だが、『UNDER A DARK SKY』で数曲使用したのが最初で、以降アルバム発表後の演奏会でも使用している。
Dean Artist CSE
        23f6単弦金属弦アメリカ・エレクトリック=アコースティック・ギター。1~2列目23f、3~4列目22f、5~6列目21fで低音側14f高音側16f接続。響胴材は表板:ソリッド・イングルマン・スプルース、横裏板:ローズウッド。電子制禦系はフィッシュマン社製。2008年11月の日本公演直前に入手したと語っており、初頭のギリシャ公演で初めて使用していることから、2008年10月に入手したと推定される。演奏会では「デスティネイション・トゥワイライト(Destination Twilight)」で使用した。

José Ramírez (III?)
      
Dean Ramírez
 19f6単弦ナイロン弦モダン型スペイン・ギター。スカイギターしか使わない近年でもアルバム中にしばしば利用されるアコースティックにおけるメインギター。
 クラシック・ギターを習っていた時期、家族でスペイン旅行をした際に父から買い与えられたものだが型式や製作年等詳細は不明。1972年という購入時期から考えるとラミレス3世(ホセ・ラミーレス・マルティネスⅢ世José Ramírez Martínez)の頃の物である可能性が高いが、息子のラミレスⅣ世(ホセ・エンリケ・ラミーレス・ガルシーアⅣ世José Enrique Ramírez García)を含めて33人ほど弟子がおり、ラミーレス・ブランドでも正確に誰が作った物かまでは不明。 インタビューでは「セゴビア・モデル」と語ったこともあり、またギターを学ぶ上で影響を受けたギター奏者としてA.セゴビアの名前も挙げていることから、彼が使用した1967年モデルの可能性もある。現在セゴビア使用の1967年モデルとして製作されているのはC650Pで、表板がウェスタン・レッド・シダーまたはスプルースの単板、裏&橫板がココボロの単板でエボニー指板。

 A.セゴビアは1936年以来使用していたハウザーⅠ世製モダン・スペイン・ギターを1955年頃ラジオ録音中の事故で破損したことがきっかけでラミーレス3世製ギターを採用するようになった。この他ザ・ビートルズが「アンド・アイ・ラヴ・ハー(And I Love Her)」で使用したことやナルシソ・イエペス(ナルシソ・ガルシーア・イエペスNarciso García Yepes)の10単弦ギター製作で知られている他、664㎜弦長、ユリア樹脂塗装(Urea Based Varnish)、二重表甲構造(カマラCamara)、米杉(Western Redcedar)表面板の採用といったモダン・スペイン・ギターの大幅な改良に取り組んだ製作家としても知られる。

 664㎜弦長は張力や振幅の増加目的と思われるが詳細調査中。バロック期のギターでは700㎜を越える物も存在したが、中型の物が徐々に主流になり、6単弦ギター登場期になって張力が上がり始めたことや演奏性の問題から中型が主流になる。650㎜弦長を決定したのはA.トーレスと言われることもあるが、19世紀初頭には響胴大型化に先行して既に用いられていた規格で、F.ソルが620㎜を理想とする一方でD.アグアドは音量増大目的で650㎜を主張し、それに耐え得る高強度の下駒も1824年に開発、ラコート製ギター大型化にも影響した。20世紀初頭のスペインでは更に伸長しており、M.ラミーレス製やドミンゴ・エステーソ(Domingo Esteso)製で655㎜、サントス・エルナンデス(Santos Hernandes)製で659㎜といった仕様がみられる。

 エレクトリック・ギターでは現在24吋(609.6㎜)のショート・スケール、24.75吋(628.65㎜)のミディアム・スケール、25.5吋(647.7㎜)のロング・スケールの3種類及びそれより大きなエクストラ・ロング・スケールに大別されているが、このような分類が出始めた時期は調査中。24.75吋(628.65㎜)はギブソン社が採用したこと、25.5吋(647.7㎜)はフェンダー社が採用したことが主因と思われる。24吋(609.6㎜)についてはフェンダー社が1955年5月にストラトキャスターの¾サイズとして出したミュージックマスター(Musicmaster)に採用されているが、これが元になっているのかは不明。 バンジョーにもこのような弦長があったようだが、それ以外にも様々な仕様がある。またシュタウファー工房出身のアントン・フィッシャー(Anton Fischer)が1850年頃弦長610㎜のギターを製作しており、19世紀以前にもこのような規格は存在したようだ。なおギブソン社が24.75吋(628.65㎜)に変更した理由は経費上の問題、フェンダー社が25.5吋(647.7㎜)を採用した理由はグレッチ製アーチトップ型アコースティック・ギターの真似とのことで、弦長に関してはストラトキャスターもスペイン・ギターの伝統を継承している形になる。なおグレッチ社は1872年にマンハイム(Mannheim)から移住したF. グレチュが楽器製作の修行を始めて1883年にニュー・ヨークのブルックリンで独立したところから始まっている。当初の生産機種や25.5吋(647.7㎜)を採用した経緯については調査中。

 二重表甲構造は響胴内にハカランダまたはカヴィウナ(Caviuna)製の板を設置するもので、目的はウルフ音対策。更に横板の内側に糸杉(サイプリス, サイプレス, シープレスCypress, Ciprtés)製、後シカモア(Sycamore)製の板を追加することで響胴内の空気振動を押さえる二重横板も1983~1991年まで行われていた。横板や裏板は表面板の振動効率を上げる、反射率を上げる、共振させるという効果を出すため重くて堅い材木が選ばれ、スペイン・ギターではこれまでローズウッドやメイプル、マホガニー、クルミ、ブナ(ビーチBeech)、カシ、カオバ等が使われてきた。ヴィオロンでは裏板の共振や振動方向の調整のために魂柱(Sound Post)が挿入されるが、ギターではこの習慣が無い。理由は不明。20世紀末に日本の製作家が魂柱入りギターを試作した際は「ギターの音がしない」という評価があったようだが、音色や音質自体は地域や時代、流行によっても好みや習慣が変わる同時代的な要素のため、それが採用されてこなかった理由なのか、現実的な機能上の問題等も抱えるのかは調査中。アーチトップギターでは低音が増強出来るが音の立ち上がりが遅くなるとの指摘もあるようだ。

 なおシープレスは主にフラメンコ・ギターに使用されるが、A.トーレスは音抜けが良いとしてコンサート・ギターにも使用していた。現在コンサート・ギターで一般的に利用されない理由は音響というよりフラメンコ・ギターとの差別化を望んだ集団の思想が反映されている可能性があるようで詳細確認中。ギター以外ではB.クリストフォリ製アルピチンバロにも使用されていたようだ。楽器以外では棺桶に使用され、一度伐採すると二度と生えないことから喪の象徴とされていた。キリストの棺もこの木材で造られたとされているようで詳細確認中。

 ラミーレス製以外では1990年頃からM.ダマンが表面板を多層構造にする二重表甲構造(Multiple Ply Sound Board, Double top)をG.ワーグナーと共に開発し始め、デュポン社製蜂巣状芯核(Honeycomb core)耐熱繊維ノメックス(Nomex)を挟み、接着剤にポリウレタン(Polyurethane)を使って減圧接着器(Vacuum clamping frame)で2枚の表面板を接着している。これによって重量が30~40%軽減される一方強度を確保している。板厚は上層が0.5㎜、耐熱繊維が0.5~0.6㎜、下層が1.8~1.9㎜とのこと。 一般的な表面板は2~2.5㎜。極端な変則ではイグナシオ・フレタ製で中心が2.5~3.0㎜、周辺部が0.8㎜。なおモダン・ソプラノ・ヴィオロンでは表面板がスプルースの2枚板対称配置で2~3㎜、横板が高さ30㎜厚さ1㎜の6~8枚板、裏板がメイプルやポプラ、柳の1~2枚板で中心が約4.5㎜、周辺が約1.7㎜。

 ラミーレス3世以前ではC.H.ケイマンが1974年頃開発し1975年にアメリカで特許を取得しているが、更に遡ればナミュル出身のハープ奏者フランソワ・ジョゼフ・ディジ(François Joseph Dizi)がハープの共鳴板で1831年に実用化しており、彼と共同開発をしていたカミーユ・プレイエル(Camille Pleyel)もこれをきっかけとしてフォルテピアノに同様の構造を採用している。目的は音量増加のため。因みにF. F.ショパンは1830年頃製作されたプレイエル製フォルテピアノを好んでいたようで、1832年に作曲された「ノクターン 変ホ長調」はC.プレイエルの妻に献呈されている。

 逆に裏板を二重にしたギターは19世紀にシュタウファー工房出身のヨハン・ゴットフリート・シェルツァー(Johann Gottfried Scherzer)が10単弦バス・ギターレンで、20世紀ではコントレーラスがタバ・ドブレと呼ばれる2重の底板を採用している。後者に関しては奏者自身の肉体による振動阻害を軽減するために開発された。

 ウェスタン・レッドシダー採用に至る経緯は調査中だが、楽器への利用としては歴史が浅いため知名度は低いものの科学的測定による評価が高く、一部製作家も推奨している。実験では製作家が上級材と中・低級材に仕分けたスプルースとウェスタン・レッドシダーを測定した結果、音の立ち上がりに影響する木材中の音速を表す比弾性率では繊維方向でスプルースの上級材が、放射方向でスプルースの上級材及びウェスタン・レッドシダーの中・低級材がやや高く、余韻に影響する振動エネルギーの吸収率を表す内部摩擦では繊維・放射両方向ともウェスタン・レッドシダーの上級材が圧倒的に小さく、重量や振動に影響する4℃の蒸留水に対する密度の比を表す比重ではウェスタン・レッドシダーの中・低級材が最も軽いという結果も出ている。

 スプルースの振動的性質は仮道管骨格を成型するセルロースの束ミクロフィブリルが他の木材より木目を平行方向に配列させていることによるもので、他の木材に比して木目に沿った方向の比弾性率が高く内部摩擦が小さいことから軽い力で大音量が出る。個人製作家が板を叩くのは反動と音響からこれら比弾性率や内部摩擦を判断するためで一般にバネ、コシ、粘りといった表現が使われるが、ピアノ製造業者では響板材向けの適材を機械による自動判別で行なっている。またスプルースは仮道管の壁が薄いことから比重が小さく、木目の向きに関係なく高周波成分を抑制する。これは人間にとっても耳障りな高音をカットするトーン・コントロールの役目を果たす。

 ウェスタン・レッドシダーでは内部摩擦がスプルースより更に小さく木目垂直方向では半分。比重もスプルースより小さい。 老廃物を仮道管の中に溜め込んだ心材成分が低分子フェノール樹脂に似た化学構造で15%含有していることによるという。 低分子フェノール樹脂を仮道管に含浸して加熱することで重量が微増するが比弾性率が上昇し内部摩擦が低下するという効果が得られ、木材構成成分を固める化学処理であれば大抵比弾性率が上昇、内部摩擦が低下する。単なる熱処理による改質でもごく僅かだが内部摩擦低下は起こるとのこと。

 木材の寸法変化を抑える手段としてはセルロースの吸湿性低下を齎すアセチル化やホルマール処理がある。 ホルマール処理はセルロース鎖の吸湿性を左右する水酸基間を架橋して吸湿性が低下させるもので、ホルムアルデヒド蒸気中に触媒と共に入れて120℃で一昼夜加熱する方法。内部摩擦が半減し湿度に対する音響的性質が安定、駒だけに施しても効果は大きく、 官能検査でもソプラノ・ヴィオロンでは良好な結果が得られたという。一方、ギターでは力木と駒部の当板が振動を抑制しているため効果が相殺され聴感上の変化は現れないようだ。

 なお、ニューギニア産レッドシダー(Redcedar)という木材も存在するが、これはカランタス(Calantas)またはスリアン(Surian)とも呼ばれる別種。むしろ日本産の鼠子(Nezuko)または黒檜(Kurobe, Kurobi, Inubi, Gorōhiba)とウェスタン・レッドシダーが同属になる。防腐性が強く日本産の物は通常集成材や代用杉として天井板、戸や障子、下駄等に用いられる。ただしスギではない。

 

Soprano Violino da Cremona
      
4-string & 5-string Violons
 5度調弦の4単弦弓奏擦弦楽器。中世レベックやヴィオルの影響を受けて16世紀頃成立したとみられ、当初は庶民の祭事・娯楽向け伴奏楽器。管弦楽でソプラノ・ヴィオロンを用い始めたのは1589年のマレンツィオによる「シンフォニア」や1607年のC. G. A.モンテヴェルディのオペラ「オルフェオ」等の頃から。その後宮廷で使われるようになっても舞踏伴奏やオペラ用など「大音量を必要とする場所で使う楽器」「外で演奏する楽器」という位置づけだった。元々はViolaに指小辞(-ino)を加えて小型ヴィオラを意味していたが現在は「ヴァイオリン属」など類似の構造を持つ楽器の代表となっている。同様の手法で小型ヴィオラを意味する用語としてはヴィオレッタ(Violetta)、ヴィオラ・ピッコラ(Viola Piccola)がある。現在では特定の仕様に特定の名称を振り分けて固定する解説も多いが、当時厳密な使い分けがなされていたのかは確認中。 本稿では合奏に使用されるこの同属楽器をヴィオロンとし、ヴァイオリンをソプラノ・ヴィオロンとしている。詳細はTOP参照。

 手で持ち腕に乗せる(後に顎で挟む)ことから足で挟むヴィオラ・ダ・ガンバ(Viola da Gamba)に対してはヴィオラ・ダ・ブラッチョ(Viola da Braccio)と区別され、撥捩奏法のヴィオラ・ダ・ペニョーラ(Viola da Péñolaヴィウエラ・デ・ペンドーラVihuela de Péndola)や指扱奏法のヴィオラ・ダ・マーノに対してはヴィオラ・ダルコ(Viola d'Arco)と区別される。顎当て(Chin Rest)の使用はモダン・ソプラノ・ヴィオロン奏者L.シュポアが1822年に考案しドイツで特許も取得されたフィドル・ホルダー等以降のことで、1820年代以降に現在の姿勢が広まっている。17世紀以前は鎖骨の下で楽器を支え、18世紀頃になると鎖骨の上に置くようになったとのこと。顎当てが無い場合ポジション移動がしにくいことから、それ以前の楽曲においてはシャントレルの使用範囲は制限されていたが、顎当ての使用で両手が自由になるとポジション移動が頻繁になった。

 20世紀になるとディルベーク出身のヴィオロン奏者スィギスヴァルト・クイケン(Sigiswald Kuijken)が古楽演奏楽団ラ・プティト・バンド(LA PETITE BANDE)を1972年に結成、顎当てを用いないバロック・ヴィオロン演奏を導入した頃からクラシック音楽でも顎当ての無い演奏が復活している他、開放弦を多用する奏法も復活させたとのこと。但しこれらはあくまでクラシック音楽での事情で、それ以外では必ずしも顎当ての利用やモダン奏法に全面的に切り替わっていた訳ではないようだ。

 胴長や概観はクレモーナ(Cremona)のヴィオル製作家アンドレア・アマティ(Andrea Amati)の孫ニコロ・アマティ(Nicolo Amati)によってデザインされ、その弟子アントーニオ・ストラディヴァリ(Antonio Stradivari)やアンドレア・グァルネリ(Andrea Guarneri)とその一族によって17世紀末~18世紀前半に確立されたヴィオリーノ・ダ・クレモーナが他地域の物を圧倒して世界中に普及している。

 バロック期に作られた響胴が現在も使用されることから「完成された楽器」として製造当時のまま演奏されているという印象も広まっているが、実際にはストラディヴァリウス(アントニーウス・ストラディヴァーリウス・クレモネーンフィスAntonius Stradivarius Cremonenfis)等の所謂名器も含めて19世紀以降の奏法変化や会場大型化の要請に合わせ棹や駒の交換を通じた弦長・弦高の変更による張力増加、指板交換による材質変更・音域拡張、魂柱の大型化・力木約30㎜延長による音量増大といった改造がなされており、20世紀以降もアジャスター(Adjuster)の装備やナイロン芯の巻弦などが導入されるといった変化の歴史を辿っている。なお標準規格の原型となったアマティ型の胴長は355㎜。 ただし経年変化によって木材の収縮・変形が起こっているため、現存楽器は製造当初と全く同じ寸法・形状だったわけではない。

 変遷している桿棹はモダン仕様の場合バロック期より約10㎜延長されて約130㎜、指板長は約26㎜延長されて約270㎜、弦長は328~330㎜だが、ヴィオロンでは大きさを比較する際全長や胴長が示されるのが通常で、弦長について言われることはあまりない。更に古い17世紀初頭の指板はまだ弦長の半分ほど、12~14f分しかなかったようだ。1690年頃には既に¾超、つまり24f以上となっているが、急激な音域拡大が起こった理由については調査中。 10f相当のD6以上を使うことは稀で、A. L. ヴィヴァルディやペルガモ出身で後にアムステルダムにて活動したピエトロ・アントーニオ・ロカテッリ(Pietro Antonio Locatelli)等は「指板がなくなるほど高い音域で見事に演奏した」と伝説になっているとの情報があり詳細確認中。なおJ. S. バッハ作品では15f相当、G6が最高とのこと。

 桿棹も古いほど太く、現在のギターにも見られるような上駒幅より棹胴接続部の桿棹幅が広い錐形。弦間も広く厚みがあってセーハによる押弦も可能となっていた。時代を経るに連れて徐々に細く、薄くなりモダン仕様では桿棹全体が同じ幅になった。桿棹の太さが変化した理由は奏法とも関係しており、鎖骨の下で楽器を構えていた頃は手も楽器の固定に利用していたため桿棹を握っていたが、ポジション移動が頻繁になったことや顎当ての利用で両手が自由になったことと並行して桿棹を握る必要がなくなり弦を張る最低限の機能だけを満たす細さになっていったとのこと。

 また、擦弦用楽弓も元々ヴィオル同様順反り形弓身で木材も古くは竹やスネイク・ウッド(Snakewood)やシュガー・ウッド(Sugarwood)、柚檀(Borneo Ironwood)が使われていたが、フランスのニコラ・レオナルドゥ・トゥルテ(Nicolas Leonardo Tourté)が逆反り形弓身を開発し木材にもブラジルボク(Phernambuco)を採用、 更に弟のフランソワ・サヴィエ・トゥルテ(François Xavier Tourté)が金環(Ferrule)やカヴァード・フロッグ(Coverd Frog)の開発を行い弓身(Stick)長も規格化したことで1805年頃現在の仕様が固まった。20世紀以降はカーボン・グラファイト製の弓身も登場している。弓毛には通常馬の白毛が使われるが、ただの習慣なのか黒毛との音響学的な差異もあるのかは不明。黒毛の使用が全く無かったわけではないようで、17世紀フランス・ヴィオルの先駆となったベルギーのリュート&テオルブ、ヴィオル奏者ニコラ・オトマン(Nicolas Hotman)の弟子にあたるアベヴィル(Abbeville)出身のヴィオル奏者ドゥ・マシ(De Machy)は、バス・ヴィオルの場合黒毛が、他のヴィオルは白毛が適しているという考えだったようだ。なお、使用材について上質の物をペルナンブーコ、低質の物をブラジルウッドと使い分ける風習があるものの、木材としてのペルナンブーコとブラジルボクは同一の呼称違い。格付け用に区別されて使われ始めた起源の詳細は調査中。

~整理中~
カーヴド・トップ バロック初期~中期 真中が膨らんでいる
         18世紀~      フラット気味
桿棹 バロック  太釘のボルトオン。ナット幅>棹胴接続部の指板幅。
    18世紀後半~ 細め。仕込み角有。→駒高・張力高→音量大
   現代    セットネック。糸枕幅=棹胴接続部
指板 バロック   メイプル、スプルース&エボニー
       初期   短い
            17世紀  E6, F6迄。←D6以上を使うことは稀。18世紀のバッハでもG6が最高
   18世紀後半~ 無垢のエボニー単板←入手容易化・工程単純化。硬質エボニーによる大音量化は副産物。
下駒 ストラディヴァリが現代下駒の原型。
   表板との接地面増加・木部面積増加→基音増
顎当 初期は小型・低い=必要な時のみ顎を置く補助具。元来は楽器保护目的か?
力木&魂柱 近代に太&長。但しバロックでも太長は有
弦  17世紀   全弦羊腸弦
   18世紀~  G3が銀巻弦使用→反応速→楽曲にG3弦頻用。パガがG3のみの曲作る
楽弓 17世紀   スクリュー無・フロッグ着脱可・毛は弓身に直接留める
         黒毛多。漂白毛よりザラザラ・松脂の乗り良好→弦によく引っ掛かる。
                →アーティキュレイション明瞭、細かい音が明瞭
                  →バロック初期のディヴィジョン奏法に最適
                  スピッカート等弓を弦から離す、弾ませる奏法に向かない
   18世紀   スクリュー有、反り無し
         17~18世紀半ばの弓奏は大別2種類
          ①現代的。弓身を持つ。16世紀末に既に登場、伊で普及
          ②フレンチグリップ
             フロッグにⓅを置く。仏では一般的。伊でも使用。
             ミシェル・コレット『エコール・ドルフェ』
                  擦弦動作がより強調されアーティキュレイション・音色明瞭
   18世紀半ば~ スネイクウッドや南米産アイアンウッド使用。逆反。先端が立つ。→弓先まで均等な音が可能に
          フロッグ部の毛は貝製スライドカヴァー無し、毛留めリング無し
          現代弓登場
            1750sニコラ=ピエール・トゥルテ
            1780頃息子のフランソワ・トゥルテ
          19世紀でも非現代弓は使用。パガ等が好む。

イタリア式=弓はフロッグから少し離れた所を5本指で持つ。毛はⓅ側に倒して内側に向ける→硬くならずに楽に持てる。
「短い音符を弾くときには、手首の関節を使う。肩の関節はほとんど、あるいは全くといってよいほど使わない。
一方、長い音符を弾くときには弓の一方の端から他方の端まで使うので、肩の関節も少しは使う。(中略)
人差し指の重みだけで弓に圧力をかけ、手全体の重みでかけてはならない」


ドイツ
Ⓟとⓘの第2関節か少し下で挟んで根元を持つ。Ⓒは絶対離さず力の抜差しで強弱に利用。
ⓘは伸ばさず離さず。第1~2関節で持つことはあっても伸ばすのは×
       ※現代ではプロでもⓘを伸ばしている人有
  ←神経が張って手が堅くなる・腕全体で弾く事になるので無様
       ※現代奏法ではむしろ○
「弓は腕全体で弾いてはなりません。肩はほんの少しだけ、ひじはそれより多く、そして手首は自由自在に
動かします。と言ってもそれはわざと不自然に捻じ曲げたり、外側に曲げすぎたり、という意味ではなく、(中略)
弓が命ずるままに手首を動かす、という意味なのです。あとは人差し指が音色のコントロールに重要な役割を
果たしていることを認識しなければなりません」
 ギターとの関連ではA.ストラディヴァリが5複弦ギターを製作しており2本現存している他、4男L.パノルモの父にあたるシチリア島(Sicilia)モンレアレ出身のヴィオロン製作家ヴィンチェンツォ・トゥルジアーノ・パノルモ(Vincenzo Trusiano Panormo)がクレモーナで楽器製作を学んでおり、彼の製作したストラディヴァリ型ソプラノ・ヴィオロン及び擦弦用楽弓は現在でも評価が高い。また多くの廉価版ソプラノ・ヴィオロン等も幅広く製作、5複弦ギターの製作も行なったことがあるようだ。孫で次男J.パノルモの長男にあたるロンドン出身のヴィオロン&ギター製作家、アルト・ヴィオロン奏者エドワード・フェルディナンド・パノルモ(Edward Ferdinando Panormo)が祖父をA.ストラディヴァリの弟子と宣伝したこともあるようだが、断定出来る事実は確認されていないとのこと。 パノルモ一族ではこの他3男でロンドン出身のジョージ・ルイス・パノルモ(George Louis Panormo)がクレモーナ・ソプラノ・ヴィオロンを製作していた。またG. L.パノルモの長男ジョージ・ルイス・パノルモ(George Lewis Panormo)も楽器製作を行なっていたようだが、こちらはそれほど評価されていないようだ。

 U.J.ロートは10代の頃、著名なモダン・ソプラノ・ヴィオロン奏者だったユーディ・メニューイン(Yehudi Menuhin)に心酔していた他、交響楽団を意識するようになったきっかけがJ.ブラームス作曲の「ヴァイオリン協奏曲 ニ長調(Violinkonzert D-Dur op. 77)」など音楽性に強く影響を与えた楽器でもあり、スカイギター開発のきっかけにもなっている。本人は1986年頃から始めているようだが録音やコンサートに自ら用いたという情報はない。

5-string Violin
       アコースティックで響胴は4単弦の標準サイズよりやや大きめ。所謂「ヴァイオリン」のような小型ヴィオロンもストラディバリウス型が広く認知されるようになるまでは弦長、響胴サイズ、弦数などは一定でなく、胴長が360㎜を超える大型響胴の楽器も存在した。17世紀半ばの弦楽五重奏では小型ソプラノ、大型ソプラノ、小型アルト、大型テノール、小型バスの各種ヴィオロンで編成されていたとのこと。また5単弦のヴィオロンも存在しており、W. A.モーツァルトの父でアウグスブルク(Augsburg)出身のソプラノ・ヴィオロン奏者・音楽教育理論家ヨハン・ゲオルク・レオポルト・モーツァルト(Johann Georg Leopold Mozart)は1756年に『ヴァイオリン演奏の基礎原理に関する論文(Versuch einer gründlichen Violinschule)』で 「5弦または6弦」としているとのことで詳細確認中。 J. S.バッハが所有していたヴィオラ・ポンポーザ(Viola Pomposa)も5単弦だったようだ。近年はヴィオラ・ポンポーザをアルト・ヴィオロンより1オクターヴ低いバリトン・ヴィオロンとも言える胸上抱撮式ヴィオロンチェッロ「ヴィオロンチェッロ・ダ・スパッラ(Violoncello da Spalla)」と考えて再現を試みる活動も生じている。詳細はヴィオロンチェッロの項目参照。他1730年頃フランスで生まれ革命期までサロンで使われたクィントン(Quintone)が5単弦で全長は630㎜だが、これも胸上抱撮式ヴィオロンチェッロと同一視されているとみられ詳細確認中。

 現在ではアコースティックよりもエレクトリック・ソプラノ・ヴィオロンで多く5単弦仕様が見られ、日本でも販売されている。追加されるのは一般に低音のC線(C3)でこれによりアルトの音域が網羅出来るようになる、逆に言えばアルト・ヴィオロンに高音のE線(E4)が加わりソプラノの音域を網羅したということになる。なおアルト・ヴィオロンは現在も胴長が決定されておらず370~480㎜ほど、弦長は363~373㎜。

 U.J.ロートは所有の5単弦ヴィオロンについて言及したことがなく詳細は不明。緒留は4単弦用を使っており弦も4本しか張られていない。 現代のその他の奏者としてはアコースティックではスウェーデンのトリオ:ヴェーセンのヴィオロン奏者ミカエル・マリン(Mikael Marin)、エレクトリックではブラジルのヴィオロン、フルート、鍵盤奏者、作曲家マルクス・ヴィアナ(Marcus Viana)等。

Violoncello
      
 5度調弦の4単弦弓奏擦弦楽器。名称は「小さなヴィオローネ」を意味しておりバス・ヴィオルのように足を使って楽器を固定するが、胸腕上抱撮式ヴィオロンの低音仕様が過度に大型化して演奏姿勢を変えた物で系統的にはヴィオルではなくヴィオロンの仲間に属する。現在「ヴィオローネ」という言葉は大型のバス・ヴィオルを指して使われることが多いが、ヴィオロンでも大型の物はヴィオローネと呼ばれていたようだ。 「violoncello」の表記が登場し始めるのは17世紀後半で、1690年代後半には1690年代初頭まで「ヴィオローネ」の奏者とされていた人物達がヴィオロンチェッロ奏者として扱われるようになっている。また18世紀にウィーンでヴィオロネロ(Violonello)という名称も楽曲の表題に記されているが、内容的にはバス・ヴィオル曲とのこと。19世紀以前の楽器に関しては現代の感覚で名称から楽器を連想するのは注意を要する。

 17世紀フランスのヴィオル奏者J.ルソーによれば、17世紀前半にフランスの製作家が大型バス・ヴィオルの小型化や桿棹の改良等を行い、それに伴って足で挟む方式が生まれたことから区別して「ヴィオル・ドゥ・ジャンブ(Viole de Jambe、伊語Viola da Gamba)」と呼ばれるようになったという。ヴィオルの小型化そのものは操作性向上を目的としてイギリスが先行しており、イタリアでは亜種にヴィオラ・バスタルダ(Viola Bastarda)が存在する。膝臏夾立式ヴィオロンチェッロは17世紀末頃から登場するため、フランスでのバス・ヴィオル発達との関連を調査中。A.ストラディヴァリは1665~1680年頃バス・ヴィオルをヴィオロンチェッロに改造したことがあるようで、両者は分類や奏法上はともかく実際の運用面では全く別個でも無いようだ。また膝臏夾立式ヴィオロンチェッロでは大型のバス楽器を独奏向けに小型化する改造も頻繁に行われていたという。膝臏夾立式モダン・ヴィオロンチェッロの胴長は745~750㎜、弦長は690~695㎜。ギターでも用途に応じて桿の短縮といった改造が行われていた。 現代では1999年1月にパリ出身のアメリカ人膝臏夾立式ヴィオロンチェッロ奏者ヨーヨー・マ(Yo-Yo Ma, 馬 友友)が所有機をバロック・チェロに改造するという逆の現象も起こっている。彼はこれを使用してトン・コープマン指揮のアムステルダム・バロック管弦楽団と共にJ. S. バッハ&L. ボッケリーニ作品を録音、アルバム『シンプリー・バロック』として発表した。

 17世紀後半にフランスで舞踏伴奏に使われていたバス・ヴィオロンも膝臏夾立式モダン・ヴィオロンチェッロより大型で調弦は長2度低いB♭1-F2-C3-G3。ドイツではブルドンにC2を使用することもあった。イタリアではC2が好まれたのではないかとの指摘があるが、ジュゼッペ・コロンビ(Giuseppe Colombi)の「ヴィオローネ・ソロによるトッカータ(Tocatta a Violone Solo)」や「独奏バスのためのチャコーナ(Chiacona per Basso Solo)」ではB1を使用するとのこと。

 膝臏夾立式モダン・ヴィオロンチェッロで現存最古とされる楽器はA.アマティによる1538年頃製3単弦バス・ヴィオロン。フランス王国ヴァロワ朝第12代シャルル9世(Charles de Valois IX)の宮廷用楽器として1560年頃裏板に装飾が施されたことから通称キング(the King)と呼ばれている。 1801年にパリの楽器製作家セバスティアン・ルノー(Sébastian Renault) によって響胴の小型化、桿棹交換などモダン仕様に改造、この時に4単弦モダン・ヴィオロンチェッロ化している。弦蔵と糸巻は製造時の物がそのまま流用されており、糸巻の軸穴を埋め戻した後に開け直して4本目が追加された。また小型化の際に板の接合部が削られた為裏板に装飾された絵の一部無くなり構図が若干変化している。

 2008年3月15~30日に港区(Minato Ward)の日本科学未来館で開催された「台場ものづくり展」にアルミニウム製膝臏夾立式モダン・ヴィオロンチェッロ「(Madoka)」が出展されたが、これは改造キングの採寸仕様書を元にアルミ合金A5083(JIS規格H-4000)の40㎜厚板を下松(Shimomatsu)の株式会社 山下工業所社長山下清澄(Kiyoto Yamashita)以下、渡辺英樹(Hideki Watanabe)、岡田 進(Susumu Okada)ら5名が1週間かけて打出板金で部品を成型し熔接して組み上げた物。A5083はマグネシウム(Magnesium)を約4.5%含む合金で アルミ合金中では切削加工性や強度が極端に優れるというわけではないが、非熱処理合金の中では最も強度が高く、また腐蝕には強い、熔接に適しているという性質がある。通常は船舶や化学プラント、車両に使われる。同社は新幹線の先頭車両の先端部分等も手がけており、その技術を利用して糸巻や弦蔵、駒、緒留に至るまで製作。弦は既製品と思われるが詳細不明。重量は木製の3倍弱、約10㎏とのこと。試作1号機は形状の完全な再現を目標に作られたため、音色はこれから改良する予定のほか、ソプラノやアルトのヴィオロン製作も目指すという。最初に膝臏夾立式ヴィオロンチェッロが作られた理由は長男で専務の山下竜登(Tatsuto Yamashita)とその妻が膝臏夾立式モダン・ヴィオロンチェッロを弾いていることによる。一部でキングが「ストラディ・バリウス」と報道されたが、これはストラディバリウス型に改変された物ということと思われる。A.ストラディヴァリが生まれたのはキング製作より100年以上後の1644年。

 また5単弦仕様もあり、J.S.バッハの「無伴奏チェロ組曲 第6番(Suiten 6 für Violoncello solo c-moll BWV1011)」にも指定されている。この場合はシャントレルにE線(E4)が追加されたやや小振りのヴィオロンチェッロ・ピッコロ(Violoncello Piccolo)が使われるが、この楽器の詳細についてはまだ分かっていない。また当曲では胸上抱撮式ヴィオロンチェッロが適しているという主張があり、近年復元楽器による演奏も行われ始めている。

 ヴィオロンチェッロ・ダ・スパッラは、現在一般に「チェロ」として認識される膝臏夾立式ヴィオロンチェッロと同じ調律C2-G2-D3-A3だが小型でソプラノやアルトのヴィオロンのように上半身を使って構える楽器。5単弦仕様もありシャントレルへE4が追加される。ブルドンをD2とする場合もあり、C2が現代風(alla moderno)と記述されていることやテノール・ヴィオロンにもブルドンをD2に落とす変則調弦があることから、テノール・ヴィオロンが低域を拡張した仕様ともとれる。17世紀イタリアでは4単弦仕様のヴィオロンチェッロを特に使用する際、「現代風(alla Moderna)」と書いたとの情報があり確認中。

 大きさは地上起立式のバス・ヴィオロンをそのまま持ち上げた大型のものから、テノール・ヴィオロンほどの小型のものまで様々言われている。 同じ音域で大きく大型・小型2種類出てくるのは、テノール・ヴィオルとバス・ヴィオルの関係に類似しており、関連を確認中。 音域的にテノール・ヴィオルとバス・ヴィオルは弦1本分の違いでほぼ同じ。また双方とも ヴィオロンチェッロの音域とほぼ同じ。4度長3度調弦の楽器なので5度調弦楽器として使おうとすると張力の問題で必然的に高音弦が削られ4~5単弦仕様になってくる。また大きさに関してもバス・ヴィオルはバス・ヴィオロンを小型にしたようなモダン・ヴィオロンチェッロに近い物で、 一方テノール・ヴィオルはテノーヴ・ヴィオラを太くしたような、現代での復元スパッラに近い物になる。

 17世紀後半のJ.ルソーもバス・ヴィオロンについて「フランスでは床に構えるがイタリアでは腕に構える」としている。これはソプラノ・ヴィオロン等を念頭に直立式楽器と胸腕上抱撮式楽器での押弓(poussé)・引弓(tiré)の概念の違いを説明する為に引き合いに出された例だが、ヴィオルとヴィオロンのソプラノ楽器同士を挙げずに敢えてバス楽器同士を対象にして同じ物だが構え方が違うとしている点を考えると、パリでも実際に構え方が違うものと認識されていたとみられる。なおこの場合の「イタリア」が北イタリアまたはローマ等特定の都市・地域を指しているのか、半島全域なのかは不明。

 現在のイタリア共和国(Repubblica Italiana)が成立したのは第二次世界大戦後の1948年、また前身となったイタリア王国は1870年にサルデーニャ王国(Regno di Sardegna)のヴィットーリオ・エマヌエーレ2世(Vittorio Emanuele II)が統一して以降。それ以前は教皇領や複数の王国、公国、共和国といった地方都市国家に分立しており、現在でもバチカン市国(Status Civitatis Vaticanæ)やサン・マリノ共和国(Reppubblica di San Marino)等に名残が見られる。 また歴史的にフランスやスペイン、オーストリア、神聖ローマ帝国等の介入を度々受けている地域が多いため地方ごとの違いも大きい。従って単に「イタリア」と記述されていてもそれがどの時代なのか、範囲が特定の都市や地域限定のものなのか半島全体やラテン系国家に共通なのか、あるいは地中海世界全体に言えることなのかといった点には注意が必要となる。

 通常押弓は上げ弓(Up)、引弓は下げ弓(Down)と呼ばれ、顎下夾挂式や胸腕上抱撮式では弓を押して移弦すると低音弦側へ、起立式では高音弦側へ向うという奏法上の違いがある。このため「ヴァイオリンとチェロでは弦の張り方が逆」と説明されることもあるようだが、単に表面板の方向が異なると弓の動きと音の移り方の対応が変わるだけで、構造的には楽器と弦列の関係自体はヴィオルもヴィオロンもギターやリュートも汎用調弦での張り方は同じ。また弓の動きも共に手が内側に向うのが上げ弓で、外側に開くのが下げ弓で肉体的動作としては同じ。このためヴィオラ・ダ・マーノのように斜傾抱撮で指扱する場合は全て同じ要領で弾け、実際にそういった方法で爪弾かれることは当時から現在までヴィオロンやヴィオルでも行われることがある。 一方ヴィオロン奏者の間では感覚的に全く逆に感じられる為、このような説明が生じたようだ。演奏上も双方の構え方の楽器を使いこなすのは難しいと言われることもあるが、歴史的には各奏法の楽器を使い分ける奏者は存在している為、心理的な要素も大きいと思われる。 なお斜傾抱撮式撥弦楽器では、凹形調弦でない場合、拇指またはプレクトルムが「ダウン」で高音弦へ、人差指等またはプレクトルムが「アップ」で低音弦側へ向う。
 最初横に構え後に小型化され肩にかけて斜挂したことから「肩」を意味する伊語スパッラ(spalla)の名が使われるようになったとの事だが、類似の楽器と思われる複数の名称が並存しておりヨーロッパ全体で確立していた名称かは不明。「ヴィオロンチェッロ・ダ・スパッラ」の名称が現れる最古は現在のところ教皇領フェッラーラで1677年に出版されたバルトロメオ・ビスマントーヴァ(Bartolomeo Bismantova)の『音楽概論(COMPENDIO MUSICALE)』。1678、1679年にも再版が行われている事から評判はよかったものと思われる。
 当書で図示された調弦と音階からこの楽器がヴァイオリン奏者を前提にした全音運指という指摘もあるが、 図に関しては0~2fの開放弦を利用した全音の跳躍も多く、これは琵琶等の楽器でも同様に使われる手法。 ミ~ファ、シ~ド等の半音箇所も含まれている。 同書には「コントラバッソまたはヴィローネ・グランデContrabasso, o' Violone grande」の項目もあるが、こちらは4度調弦なもののシャントレルで全音もとっている。「ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラ」の項目で全音が多く見えるのは説明の基本音階の範囲が各弦下から開放含めて3音、4音、4音、5音という構成で、一方「コントラバッソまたはヴィオローネ・グランデ」では下から1音、3音、3音、4音となっており、どうしても1つの弦に全音を含む箇所が多くなるという事情もある。そもそも臨時音の使用が例外的なので全音と半音を含むダイアトニックな運指になるのは或る意味自然で、臨時音や24調に対応出来るよう予め想定された現代の教則の感覚でヴァイオリン系の全音運指・チェロ系の半音運指と明確に区別できるのか?という問題があり確認中。当時は現代の制度化された教則ほど機械的に分業化を徹底して技術的にも心理的にも併用を妨げるような状態にはなっていない面が多い。
 フランスではケントゥ・ドゥ・ヴィオロン(Quinte de violon)と呼ばれていたとのことで、既述の18世紀クィントンがイタリアでのヴィオロンチェッロ・ダ・スパッラと同一視されているようだ。ただクィントンの現存機の横板の高さはアルト・ヴィオロンとそれほど変わらない。ヴィオラ・ポンポーザは資料から38㎜、ヴィオロンチェッロ・ピッコロでは絵画から推定80㎜との情報があり確認中。なお「quinte」は5度の意味でバホ・キントやレキント・ギター、クィンテルナ、クヴィントバッソ・ギターレン等楽器名にはしばしば登場する。レキントは元々は複弦の場合に使う。また合唱ではカントとアルトの間にクィント(Quinto)が、合奏でテノールとバスの間にクィント(Quintus)という名称が置かれる場合があり、クィントンはテノールの下、バスの上という意味で使われていると思われるが確認中。この他ヴィオラ・ディ・コッロ(viola di collo)、バセット(bassetto)といった名称も存在するとの情報もあり詳細確認中。

 オーストリアでは18世紀半ばにJ. G. L.モーツァルトが ファゴットガイゲ(Fagottgeige, ヴィオラ・ディ・ファゴットViola di Fagotto)という名前を挙げており、似たような物に「腕に持つバス・ヴィオル(hand-bass viol)」があるが、これはファゴットガイゲより少し大きいバス用だと説明しているようだ。ここでは「バス・ヴィオルBass viol」をイタリアの「ヴィオロン・チェッロViolon-cello」としており、フランスでの「バス・ドゥ・ヴィオルBasse de viole」を指す場合は伊語の「ヴィオラ・ダ・ガンバViola da gamba」という語を使用しているので混同に注意。本稿では前者はバス・ヴィオロン、後者はバス・ヴィオルとなる。

 J. G. L.モーツァルトはまた、昔は5弦、今は4弦、現在ではヴィオロンチェロを足の間で保持していると説明しているようだ。 ドイツの楽理家ミハエル・プレトリウス(Michaël Prætrius, Michael Praetrius)が17世紀前半にバス・ガイク・デ・ブラッチオ(Bas Geig de bracio)を5単弦仕様で紹介している点とは一致する。抱撮方法については過去において膝臏夾立でなかったことが読み取れるが、それが胸上抱撮だったとまでは断定できない。ただJ. ルソーのフランスで小型化されて膝臏抱撮が生まれたとする記述との時間的な順序は一致してくる。J. G. L.モーツァルトはこれをベインガイゲ(Beingeige)と況得たようだが、これは英語でレッグ=フィドル(Leg-fiddle)とのこと。ヴィオルとヴィオロンを区別しない言語上の関係で言えばこれは伊語のヴィオラ・ダ・ガンバ(viola da gamba)、J. ルソーの言う仏語のヴィオル・ドゥ・ジャンブ(viole de jambe)に相当する。

 18世紀前半の楽理家ヨハン・マテゾン(Johann Mattheson)がヴィオロンチェッロ、バッサ・ヴィオラ(Bassa Viola)、ヴィオラ・ダ・スパッラについて、仕様は5~6弦で紐を胸から肩にかけて固定するので響きを邪魔しないとし、特徴は走句、変奏、装飾音等を大きな楽器に比べて少ない労力で演奏可能、音抜けが良く明瞭で伴奏・通奏低音に優れた効果を発揮すると述べているとのことで確認中。

 一応絵画や教会彫刻に散見されることから横に構える大型ヴィオロンは当時ヨーロッパ全域に普及していた可能性も指摘されている。図版資料では 1650年頃のゴーティエ(ドニ・ゴーティエDenis "Le jeune" Gaultierのことか?確認中)による『神々の修辞学』の表紙絵に大型のヴィオロンを胸上抱撮している様子が描かれている。また1705年や1747年のボローニャの教会式典図にも胸上抱撮のヴィオロンが描かれているとのことで確認中。

 興味深い例ではヴェネツィア共和国ヴェローナ(Verona)出身のヴィオロン奏者・作曲家・教師ジュゼッペ・トレッリ(Giuseppe Torelli)が1687年(1684の情報も有。確認中)に教皇領ボローニャ(Bologna)で出版した『ヴィオリーノと低音楽器による室内用小協奏曲集(CONCERTINI PER CAMERA A DUE VIOLINI E BASSO, Op. 2)』では各パート譜の冒頭に図版が挿入されており、低音パートではヴィオロンを胸上抱撮で演奏する奏者が描かれている。これはバス・ヴィオロンを持ち上げたような大型の物になるが、1687年にパリで出版された『ヴィオル概論(TRAITRÉ DE LA VIOLE)』でJ. ルソーは既述の通りバス・ヴィオロンを「イタリアでは腕に構える」と説明しており内容が一致している。この点は現代のスパラ関連論文でも指摘されていないようだが理由は確認中。『小さな協奏曲集』の挿絵を描いたのは署名によればヴィオロンチェッロ奏者カルロ・ブッファニョッティ(Carlo Buffagnotti)で楽器に詳しくない人物の誤認の可能性はないとのこと。なお当曲集の現代英題は「ヴァイオリンとチェロ」ということにされているようだ。

 尚G. トレッリは1684年にアカデミア・フィルアルモニア(ACCADEMIA FILARMONIA)にヴィオリーノ奏者として会員登録されており、1686年(1685の情報も有。確認中)にはボローニャのサン・ペトロニオ教会(Basilica di San Petronio)楽団ヴィオレッタ奏者、1689年には同楽団ヴィオラ・テノーレ奏者として1696年まで活動したとの情報があり詳細確認中。その後は1699年までアンシュバッハ(Ansbach)のブランデンブルク伯ゲオルク=フリードリヒ2世宮廷楽団で首席第1ソプラノ・ヴィオロン(ヴィオリーノ)奏者、つまりコンサートマスターとなった。

 この他小型のヴィオロンをギターのように斜傾抱撮で立奏する方法や、コントラバス・ヴィオロンを直立ではなくやや斜傾させて演奏するスタイルも見られ、斜傾に関しては現在でも民族音楽で弓奏の際に見られることがある。またモロッコ王国(المملكة المغربية)では通常のモダン・ソプラノ・ヴィオロンを股上夾立させて演奏することがある。イベリア半島でキリスト教国家が勢力を再拡張した中世後期~ルネサンス期に異教徒は活動を制限されることがしばしばあり、特にイサベル1世やフェルナンド5世はグラナダ陥落後寛容政策を一転させ、1502年には改宗か追放を迫る勅令を出している。キリスト教国支配下のイスラーム教徒はムデハル(Mudéjares)、改宗したイスラーム教徒はモリスコ(Moriscos)と呼ばれた。これ以降カルロス1世が1525年に改宗または奴隷化の勅令を、フェリペ2世は改宗強制を、そしてフェリペ3世は1609年に追放を命じ、15万人が北アフリカへ渡ったとされる。異教徒が金融・行政制度を支えていたため一連の追放によって経済の沈滞を招くことになるが、この現象はシチリア王国でも起こった。

 移住によって中世アンダルース音楽は北アフリカへ伝わり現地で存続している。モダン・ソプラノ・ヴィオロンの利用は2単弦舟形響胴アンダルース・アッラバーバの代替として導入した結果のようだ。モダン・ソプラノ・ヴィオロンはこの他近代ペルシャ古典音楽・歌謡でも「弓」を意味するケマンジェの名で使用されている。 股上夾立に関しては胡座(Agura, Cross-legged sitting)を構いた状態で坐奏するのに適しており、アッラバーブやヴィオル等が直立なのもこのような習慣に始まった可能性がある。

 アル=ウードや楽琵琶も胡座での姿勢保持に有利な形状と構えで、逆にビウエラやギター等は立奏に有利な形状になっている。なお大和雅楽の管弦での胡座は楽座(Gakuza)と呼ばれている。現在正座(Seiza)と呼ばれる坐り方が正式になったのは江戸幕府が居合に有利な小笠原流弓馬礼法の坐法を採用して以降との情報があり確認中。

 小笠原流弓馬礼法は源義家の弟である源義光の子孫で、甲斐小笠原出身の小笠原長清(Nagakiyo Ogasawara)が12世紀末に起こした弓馬術が祖。室町時代に足利尊氏配下の信濃守護だった小笠原貞宗(Sadamune Ogasawara)や京都で足利義満の弓馬礼法師範だった小笠原長秀(Nagahide Ogasawara)等によって確立されたと言われ、江戸時代に入っても徳川将軍家や諸大名家の礼法師範を務めていた。現在でも継承されており、鎌倉(Kamakura)の鶴岡八幡宮(Tsuru-ga-oka Hachiman-gū)で儀式として行われている流鏑馬(Yabusame)の様子はしばしば報道される。

 当時の胸上抱撮式ヴィオロンチェッロ奏者としては17世紀末ヴェネツィアのアントーニオ・カルダーラ(Antonio Caldara)等が言われている。彼はヴェネツィアのサン・マルコ教会器楽奏者一覧で1688年にはヴィオラ・ダ・スパッラ(Viola da Spalla)奏者として、1694年にはヴィオロンチーノ(Violoncino)と表記されたこともあったようだ。奏者として登録されている。また自身のソナタ集ではヴィオロンチェッロ奏者としているとのこと。一方1741年のフォンタナの作品におけるヴィオロンチーノは明らかに膝臏夾立式と分かる最古とのことで理由等確認中。

 近年の研究ではヴィオロンチェッロ・ダ・スパッラとヴィオラ・ポンポーザが同一の物と考えられており、J.S.バッハの生誕地アイゼナッハや長期間生活したライプツィヒ(Leipzig)も含め各地に13挺が現存しているが状態はあまりよくないとのこと。なお現存は30挺とする記事もあり、thirteenとthirtyが混同されていると思われる。詳細確認中。このヴィオラ・ポンポーザについてはJ. S.バッハとの関連から注目が高く、胸上抱撮式ヴィオロンチェッロが復元されようとしているのもこの点に拠るところが大きい。

 「J.S.バッハの弟子フォルケルによればヴィオラ・ポンポーザと呼ぶ楽器も所有しており、その特徴としてアルト・ヴィオロンより一回り大きく、音域はヴィオロンチェッロと同じだが高音が追加された5弦仕様、フロック・コートのボタンで留めた肩紐(ストラップStrap)を使って肩掛けする楽器である・・・」との解説もあるが、ここでいう「バッハの弟子フォルケル」が何者かについては確認中。因みに初の本格的なJ. S.バッハに関する著述となる『ヨハン・ゼバスティアン・バッハの生涯と芸術と作品について─真の音楽芸術の愛国的崇拝者のために(UBER JOHANN SEBASTIAN BACHS LEBEN, KUNST UND KUNSTWERKE -FÜR PATRIOTISCHE VEREHRER ECHTER MUSIKALISCHER KUNST)』を1802年にライプツィヒで出版したシュヴェリーン大聖堂合唱隊指導者・ゲッティンゲン大学(Georg-August-Universität Göttingen)オルガン奏者及び音楽監督ヨハン・ニコラウス・フォルケル(Johann Nicolaus Forkel)に関しては生年がJ. S. バッハ死去の前年になる1749年で弟子ではなく、また当書におけるヴィオラ・ポンポーザ関連情報は鍵盤以外の器楽作品として無伴奏チェロ組曲の名称が紹介されるのみで詳細な記述は確認できないので別人と思われる。J. S. バッハ死後の18世紀後半にヴェンディシュ=オスィク(Wendisch-Ossig)出身の作曲家・音楽教授でライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団指揮者経験もある等ライプツィヒで活動したヨハン・アダム・ヒラー(Johann Adam Hiller)による記述他5つのヴィオラ・ポンポーザに関する証言があるとのことで詳細確認中。なおボタンを使って肩紐を留めることはギターでも一般に行われていた。現代でも弦蔵が大きく一般的なヴィオロン等とバランスの異なるヴィオラ・ダ・モーレに対してガース・ノックス等は肩紐を使用している。

 ヴィオラ・ポンポーザはJ. S.バッハが発案したという情報もあるが、所有のみで作品中の使用例は確認されていない。だがソプラノやアルトのヴィオロン演奏経験はあり、宮廷楽団奏者として活動したこともあった。そこから持っていた楽器を使わなかった可能性は低い、ヴィオロンチェッロ・ピッコロのパートが本来ヴィオラ・ポンポーザを想定していたのではないかという考え方が出てきたようだ。また膝臏夾立式ヴィオロンチェッロを弾いたという記録が無いことも根拠の1つになっている。単に所有という点で言えばライプツィヒのホフマン製ラウテを所有しており、更に楽曲も残しているが、自ら演奏していた確証は現在のところない。

 ヴィオロンチェッロ・ピッコロについてはカンタータにのみ指定が見られるが、パート譜ではヴィオロンチェッロ奏者が一貫して同一の楽器を使用している。一方ヴォオロンチェロ・ピッコロのパートは第1ソプラノ・ヴィオロンと並行しており、当時は楽器を持ち替えることも珍しくなく、また大型の胸上抱撮式楽器ならヴィオロンチェッロよりソプラノやアルトのヴィオロンの演奏技術に近いことからソプラノ・ヴィオロン奏者がヴィオロンチェッロ・ピッコロ・パートも弾いていたのではないかという推論が出てくるようだ。

 ヴィオロンチェッロ・ピッコロはこの他既述の通り所謂「無伴奏チェロ組曲第6番」でも使用されるが、実際はアンナ・マグダレーナ・バッハの筆者譜でも単に「5弦で(a cinq cordes)」と書かれているだけで、それが具体的にどのような楽器を想定しているのかが不明なこと、また直筆譜が残されていないことからヴィオラ・ポンポーザの可能性が生じている。かつてA. M. バッハの筆写譜には「ヴィオロンチェッロ・ピッコロ」が指定されているかのような主張がなされていたととれる補足をする記事もあり詳細確認中。

 この他膝臏夾立式モダン・ヴィオロンチェッロによる組曲演奏は不都合な点が多いことや正式な題名も不明なこと、無伴奏ヴァイオリンのソナタやパルティータと同時期に作曲されたと考えられていることからそもそも所謂「無伴奏チェロ組曲」全体がどういった楽器を想定していたのかも議論になっているようだ。

 ちなみに「独奏チェロのための」は出版の際に後から加えられた言葉で、その前は単に「6つの組曲」。ケルナー筆写譜では「ヴィオラ・ダ・バッソ(Viola da Basso)」と書かれているようだ。また、A. M. バッハによる筆写譜は20世紀後半頃までJ. S.バッハの直筆譜とされていたようで、その観点に基づいた記述も多数あることから注意を要する。楽曲の名称に関してはその他のクラシック音楽でも出版や学術上の整理の都合、評論家や有名人による文章ないし巷間で広まった愛称等が通用していることも多く、中にはそういった別称が奏者の曲のイメージや編成に影響している場合もあるため、原曲の情報を辿る場合は注意が必要となる。

 無伴奏チェロ組曲に膝臏夾立式ヴィオロンチェッロが不都合な理由には、オクターヴ音程で手の小さい人は親指を押弦に使用するもののJ. S. バッハの時代にはまだローポジションでの親指押弦は知られていなかったこと、譜面通りの和音演奏には運指上無理な負担がかかること等が指摘されている。この組曲集は元々練習曲集程度に考えられており、4単弦モダン・ヴィオロンチェッロの名曲という扱いにされたのは、ベンドレル出身の指揮者・膝臏夾立式4単弦ヴィオロンチェッロ奏者パブロ・カサルス(Pablo Casals, パブロ・カザルス)が好み、彼の演奏が20世紀前半に評価されて以降。

~整理中~

	1番	プレリュード
			1ポジだけで演奏可能→終盤の上がりでのポジション移動がより効果的
	2番	ガンバVcで一度に押弦できない和音がスパラVcで可能
	3番	プレリュード
			分散和音はスパラVcだと簡短
			ガンバVcではオクターヴに当時無かった親指押弦必要
				スパラVcだと普通に弾ける
	4番	ガンバVcは旋律継続のためハイポジ使用→移動頻繁
		プレリュードの分散和音はスパラVcだと移動なし
		ブレの4度音型はスパラVcだと移動なし
	5番	1音下げ→Gが2つで共鳴
		スパラVcはスラー指示を全てレガート演奏可能
	6番	サラバンドにスパラVcでも1度に押弦×な和音が1つ。
 一方胸上抱撮式ヴィオロンチェッロを使用する利点としては、J. S.バッハやボローニャ楽派のヴィオロンチェッロ曲に4度音程が多く5度調弦楽器では移弦出来ないが、小型の楽器だと無理な指の伸長が不要であること、分散和音も指定通り自然に演奏出来ることとされ、の組曲1番の前奏曲終盤では胸上抱撮式ヴィオロンチェッロの場合ほぼポジション移動無しで弾き切ることが出来ると語っている。組曲6番の前奏曲の高音域部分も無理なく弾けるが、膝臏夾立式のモダン・ヴィオロンチェッロでは通常、当時存在しなかった運指を使用するとのこと。これはシュタルケルが行って広まったとのことで詳細確認中。

 ただ当時は現代ほど厳格に指定楽器を言葉によって拘束しないため、同属は勿論異属の楽器によって演奏されることもしばしばであることや、バス楽器にも様々な仕様があるため、モダン仕様の膝臏夾立式ヴィオロンチェッロでの演奏に無理が多いにせよ、小型の膝臏夾立式ヴィオロンチェッロを使用する可能性、弾ければどれでもよい程度の意図である可能性も排除できず詳細調査中。「クラヴィーア」ではクラヴィコードの他にチェンバロ、J. S. バッハ作品等では時にはオルガンも想定されていることがある。

 一方「種々の楽器のための協奏曲(Concerts avec plusieurs instruments, 所謂ブランデンブルク協奏曲)」では低音楽器を単に「通奏低音」ではなく「ヴィオロンチェッロ」及び「ヴィオローネ」と具体的に分けて指定しているという指摘、通奏低音をヴィオロンチェッロが3人で演奏しユニゾンもさせる点が異例であるとの指摘、ソプラノ、アルト、チェロのヴィオロンが3挺ずつなので胸上抱撮式を使用するとよりはっきり聴こえるとの指摘がある。

 また同曲4番では「ヴィオローネ」とヴィオロンチェッロが入り組むものの「ヴィオローネ」を現在と同サイズのコントラバス・ヴィオロンと考えると両パートで2オクターヴ差が出てしまう箇所がある一方、半分のバス・ヴィオロンほどのサイズとするとヴィオロンチェッロとほぼ同じ楽器が2つ存在することになってしまうので、胸上抱撮式にすると都合がよいとの指摘や、6番ではヴィオロンチェッロがかなり速い動きをして膝臏夾立式だと難曲になってしまうが胸上抱撮式だと自然に弾けるとの指摘もある。

 ただこの曲は1~6番まであるものの元々はケーテン宮廷楽団向けに書いた既存曲を1721年3月24日にブランデブルク辺境伯クリスティアン・ルートヴィヒ(Christian Ludwig zu Brandenburg-Schwedt)へ献呈する際纏めただけなので全てにおいて胸上抱撮式の積極的な根拠を考える必要は特に無いと思われる。

 胸上抱撮式ヴィオロンチェッロの研究はアメリカのグレゴリー・バーネット(Gregory Barnett)等が、また復元の試みについてはオランダの音楽学者ランベルト・スミット(Lambert Smit)が行っており、S. クイケンはL.スミットの影響から同楽団のソプラノ・ヴィオロン奏者で楽器製作や初期バロック・ソプラノ・ヴィオロンを研究していたロシア出身で八王子在住のドゥミートリ・バディアーロフ(Dmitry Badiarov)に製作を依頼、楽器製作家マルティン・ホフマン(Martin Hoffmann)の息子・弟子でJ. S.バッハの所有機を製作したライプツィヒ出身の宮廷弦楽器製作家ヨハン・クリスティアン・ホフマン(Johann Christian Hoffmann)製作の楽器に関する詳細な資料と写真を基に製作が開始され2004年春に完成された。

 4単弦・5単弦両用型となっており、S.クイケンは2004年10月の欧州楽旅の際J. S.バッハ作曲のカンタータ第55番、56番、98番、180番のアリア部分で、初めて公に胸上抱撮式ヴィオロンチェッロを使用したとみられ詳細確認中。その後A. L. ヴィヴァルディの「チェロ協奏曲RV403」を録音し公開演奏も行っている。

 J. Ch.ホフマン製に関しては1732年製が20世紀初頭まで現存していた他1741年製の資料があるとみられるが詳細確認中。またJ. S.バッハが製作を依頼したのは1724年という情報もある。J. S.バッハがライプツィヒに移ったのは1724年頃からで、「6つの組曲」が作曲されたと考えられている1720年頃はケーテンにいたことを考えるとJ. Ch.ホフマンへの依頼は1724年以降と考えるのは自然かも知れない。可能性としては作曲後にそれを演奏するための理想の楽器を構想した、J. Ch.ホフマン以前に類似の楽器を知っていた、または当初演奏された楽器に不満を持った等が考えられるので、J. Ch.ホフマンとの接触時期やケーテン宮廷楽団の楽器の利用状況、この頃レーオポルト侯の従者として各地へ旅行した際の現地での楽器の利用状況、ケーテン宮廷で強かったフランス音楽の影響、 ケーテン移住前にいたヴァイマールで、当時公子だったヨハン・エルンスト2世がユトレヒト留学の帰路アムステルダムでイタリアの協奏曲のオルガン独奏を聴いたことがきっかけで楽譜を大量に持ち帰りJ. S. バッハ等に編曲依頼している。このような仕事上の経緯で間接的にイタリア趣味を学んでいる事等の要素も考慮する必要があり、詳細確認中。

 ヴィオロンチェッロ・ダ・スパッラやヴィオラ・ポンポーザはこれまでも研究者の間では知られ、ウルリヒ・コッホが1970年11月に録音を残すなど楽器を肩に構える試みが現代でも以前から行われていたものの、復元楽器の完成までには至っていなかったという。D.バディアロフによれば、小型の楽器で膝臏夾立式ヴィオロンチェッロの音域を出すには弦の張力が不足するという問題があり、多くの製作家が物理的に不可能と考えていたようだ。U. コッホはA4=440㎐で録音していることから、基準音の認識の違いも再現の障碍になっていた可能性がある。このU. コッホの試みは当時「理論的誤り」とされたとのことで詳細調査中。

 D. バディアロフは復元に当って弦の製作技術が失われたと考え、ヴィチェンツァ(Vicenza)の楽器弦製作家で弦製作会社アクィーラ・コルデ(Aquila Corde Armoniche S.a.s.)の創設者ミンモ・ペルッフォ(Mimmo Peruffo)と共に細いガット芯に金属線を二重巻きにした弦の最適値を割り出して低音弦を完成させ、2004年1月31日に発表している。金属巻弦は記述の通り1660年頃に誕生したとされており、二重巻きの実験も行われていたとのことで詳細確認中。

 その後D.バディアロフは自身の為に2号機を製作し公開演奏も行っている他、オーストラリアのサマンサ・モンゴメリ(Samantha Montgomery)向けやマドリーの音楽院教授カルロス・アルブイセチ(Carlos Albuisech)向け等、2009年3月現在9挺製作されている。A. アルブイセチは2009年3月14日にサーバド(Sábado)のアスンシオーン教会で講義を伴った演奏会を行いJ. S. バッハ、A. L. ヴィヴァルディ、G. Ph. テーレマン、アントニオ・ボノンチーニ(Antonio Bononcini)等の楽曲を演奏した。

 また1号機製作にも関わったヴィオロン奏者・指揮者・ハーグ王立音楽院教授の寺神戸 亮(Ryo Terakado)が胴長460㎜の小型仕様3号機を2005年に入手、2008年2月には「6つの組曲」を録音して6月に『無伴奏チェロ組曲(全曲)(Suites for Violoncello Solo BWV 1007-1012)』として発表している。基準音はA4=415㎐。S.クイケンもほぼ同時期に録音を行っているが、S.クイケンのアルバムはレコード会社の都合で発売が遅れた為、R.寺神戸のアルバムが先行することになった。

 R. 寺神戸仕様3号機は⅛サイズの膝臏夾立式モダン・ヴィオロンチェッロやテノール・ヴィオロンとほぼ同じ大きさだが横板が大きくその分反響や音量も大きい、また1号機同様4単弦・5単弦両用型なので必要ない時はE4弦を外しているが、5単弦時の方が響きは良いという。エンドピンの場所が底部横板中央ではなくかなり裏板に近く、ストラップをエンドピンと緒留の間に取り付けたからではないかと推測しているようだが、張力との関連も考えられ調査中。ストラップの反対側はストラップ・ピンではなく指板の下に回して棹胴接続部に引っ掛けている。類似の方法としては中南米でギターの響胴孔にストラップの一端を引っ掛ける用法が存在する。ただ胸上抱撮式に関しては現在世界で活動している奏者それぞれが異なった留め方を試しているとのこと。

 尚、R. 寺神戸の物が「ヴィオロンチェッロ・ダ・スパッラ」、D. バディアロフの物が「ピッコロ・チェロ(小型の5弦チェロ)」、U. コッホの物が巨大ヴィオラである「ヴィオラ・ポンポーザ」と区別している記事もあるが、R. 寺神戸は単に必要な時以外E4弦を外しているというだけで基本的にD.バディアロフが使用してい物と同じ。組曲録音もA. M. バッハ筆写譜を使用して1~5番を4単弦仕様で、6番を指示通り5単弦仕様で行っている。 また使用楽器は違うがU. コッホの物も「本来夾立式ではない」という視点から始まっている点で本質的に同じ方向性にある。 スパッラはフェッラーラ等の資料に現れる名称、ポンポーザはドイツ、特にJ. S. バッハ関連の資料から出てくる名称で、これらの名前は4単弦チェロ、5単弦チェロ、大型ヴィオラという区別をする為のものではないので注意。そして従来可能性が指摘されている5単弦チェロ・ピッコロは膝臏夾立式。D. バディアロフやR. 寺神戸の使用している5単弦チェロは胸上抱撮式。構え方の違いが議論されているのであって4単弦仕様か5単弦仕様かを議論しているわけではない。既述の通り3~6単弦の各種楽器は夾立式・胸上抱撮式共に多数存在している。バロック・ヴィオロンチェロは殆どが5単弦仕様で、4単弦が主流になったのは18世紀前半以降。 名称の違いと奏法の違いと仕様の違いは必ずしも一体になってはいないので混同に注意が必要となる。
 胸上抱撮式ヴィオロンチェッロはこの他ナポリ派の協奏曲やソナタにも向く、またフランスでは通奏低音楽器として最適という記述もあるとのことで復元楽器による演奏活動が行われ始めている。また顎下夾挂式や胸腕上抱撮式ヴィオロン奏者であれば慣れるのが容易なことから、ソプラノやアルトのヴィオロン奏者にとって扱える低音域が拡大されることになり、復活演奏以外でもレパートリー拡大や新作・編曲作品において新たな編成が摸索されるかもしれない。 歴史考証とは別に同時代の作品への応用としてはアムステル版の通奏低音パートはヴィオロンチェッロとオルガン(violoncello e organo)と具体的に指定していることからA. L. ヴィヴァルディのチェロ協奏曲、ソリスト編成による合奏協奏曲集「四季」、「2挺のチェロの為の協奏曲ト短調RV.531」、≪フルート協奏曲 ト長調 作品10-3「五色ひわ」≫等を、またアルカンジェロ・コレッリ(Arcangelo Corelli)の「大協奏曲(Concerto Grosso)」、レオの協奏曲をS. クイケンやD.バディアーロフ、R. 寺神戸等が演奏している。

 なお現代でもソプラノとアルトのヴィオロンを併用する奏者はいるが、かつてはバス・ヴィオロンも演奏可能なソプラノ・ヴィオロン奏者は多かったようで、イタリアでは双方の奏者として登録されている例が複数ある。ヴィオロンチェッロのような小型バス楽器が生まれたのもバス・ヴィオロンにソプラノ・ヴィオロンの用法を持ち込んで独奏化の試みを行ったことに始まっている可能性があり、詳細調査中。

 胸上抱撮式ヴィオロンチェッロが衰退した理由としては、高音域が弾きにくく第7ポジションが限度な一方、膝臏夾立式では第8ポジション以降の高域も弾き易く独奏楽器としては有利で、L.ボッケリーニやF. J.ハイドン作品等1730年以降の楽曲になると胸上抱撮式では演奏不可能になるとのことだが、2人は18世紀後半に活動した作曲家で、1730年を境としている理由については確認中。また現存楽器が少ない理由としては大きさの近いアルト・ヴィオロンに改造された可能性が考えられるという。テノール・ヴィオロンも同様の状況で、無改造の現存機はアンドレア・ガルネリ(Andrea Guarneri)製と胴長469.9㎜の1690年製ストラディヴァリウス「メディチェア(Medicea)」の2挺とのこと。

 ヴィオロンチェッロの第7ポジションはブルドンが11fのB2から始まるポジションでE4追加の5単弦仕様ではA5まで、9f接続のヴィオロンでは響胴上に入る。ギター式の数え方では第11ポジション相当で音域的にはB1追加の7単弦ギターで7列目12f~1列目17fの第12ポジションとほぼ同じ。7列目12fは6列目では7f、5列目では2fに相当。

 ヴィオロンチェッロでは桿棹上で4本指全てを押弦に使う第1~第4ポジションをネック・ポジション、棹胴接続部から指を伸ばして押弦する第5~第7ポジションをスリー・フィンガー・ポジション、親指も含めて5本指を使う第8ポジション以降を親指ポジションとしている。この場合親指は人差し指の全音下を押さえる事が多い。但し桿棹の裏に親指を回すことが多いネック・ポジションでも運指上親指を使用する事もある。通常のネック・ポジションでは桿棹を挟んで中指と向き合う位置に親指を置くのが原則とされており、桿棹を握る為に使用するのではなく軽く添える程度でポジションを位置の確認や移動の補助に利用するものとされている。 中指と親指を向い合わせる押弦法は17世紀後半のフランス・バス・ヴィオル奏法で既に説かれているが、これが膝臏夾立式のヴィオロンチェッロへ流用されたものなのか、フランス・バス・ヴィオル以前から他楽器で知られていた手法なのかは確認中。リウトでは人差し指と対峙する形で親指が置かれていたようで、バス・ヴィオルにおける親指の位置に関して論争もあったようだ。

 テノール・ヴィオロンは19世紀以後も開発が試みられていたようで、J. B.ヴュイヨームがアルト・ヴィオロンより5度低い楽器として1855年の万国博覧会で発表した胴長420mmのコントラルト(Contralto)、ソプラノ・ヴィオロン奏者・数学&物理学者のアルフレッド・シュテルツナー(Alfred Stelzner)がソプラノ・ヴィオロンのオクターヴ下の楽器として発案しリヒャルト・ヴィーダマン(Rrichard Wiedemann)やアウグストゥス・パウルス(Augustus Paulus)等がヴィースバーデン(Wiesbaden)やドゥレースデンで製作した胴長410㎜、横板の高さ60㎜のヴィオロッタ(Violotta)等が存在していたようだ。 コントラルトは展示のみで生産されなかったとみられ、ヴィオロッタはJ.ヨハヒムやフリッツ・クライスラー(Fritz Kreisler)等が興味を持ち、作品を書いた作曲家もいたとのことで詳細確認中。A. シュテルツナーは他にヴィオロッタの1オクターヴ下の楽器としてチェローネ(Cellone)を開発しているが、これは音域上5度調弦の3単弦コントラバス・ヴィオロンの高音にE3弦を追加した仕様に相当する。

 またドイツのアルト・ヴィオロン奏者・音楽史学者ヘルマン・リッター(Hermann Ritter)が発案しヴュルツブルク(Würzburg)の弦楽器製作家カール・アーダム・ヘルライン(Karl Adam Hoerlein)が製作した胴長480㎜のヴィオラ・アルタ(Viola Alta)と呼ばれる楽器はハンス・フォン・ビューロウ(Hans von Bulow)やR.ヴァーグナー等に好まれ、バイロイト祝祭管弦楽団にも6挺導入されたとのことだが、調弦については確認中。 胴長454㎜の小型仕様や1898年にE弦を追加した仕様も開発されたという。

 20世紀以降ではフランクフルト・アン・マインの弦楽器製作家ユーゲン・シュプレンガー(Eugen Sprenger)が1926年にストラディヴァリ型ソプラノ・ヴィオロンのサイズを2倍にし、調弦をオクターヴ低くする発想で開発した胴長720㎜のヴィオロンチェッロ・テノーレ(Violoncello tenore)が存在したとのこと。続けて1930年には横板の高さ60㎜のアルト・ヴィオロンを開発、ポール・ヒンデミット(Paul Hindemith)が使用し作品も書くもののその後広まらなかったとのことで詳細確認中。

 ちなみに同曲第5番(Suiten 5 D-Dur BWV1012)はシャントレル(A3線)が長2度下げのC2-G2-D3-G3という変則調弦(Scordatura)。これはボローニャでしばしば行われていた調律で17世紀後半のバス・ヴィオロン奏者・作曲家ドメニコ・ガブリエッリ(Domenico Gabrielli)やジュゼッペ・ヤッキーニ(Giusseppe Jacchini)等も使用していたとのこと。バス・ヴィオロンではこの他C2を長2度下げたB♭1-G2-D3-A3という調弦もあったようだ。尚、膝臏夾立式4単弦モダン・ヴィオロンチェッロの場合5単弦の曲はハイポジションで、変則調弦の曲は楽譜を読み換えて演奏するのが一般的。

 変則調弦はソプラノ・ヴィオロンでも行なわれており、17~18世紀前半ではクロムネジージュ(Kroměříž)やザルツブルクの宮廷楽団に在籍し、各曲に異なる調弦を使用するソナタ集を作曲してN.パガニーニの綺想曲にも影響を与えたオーストリア領ヴァルテンベルク(Wartenberg, 現チェコ領ストラージュ・ポド・ラルスケムStráž pod Ralskem)出身のハインリヒ・イグナツ・フランツ・フォン・ビーバー(Heinrich Ignaz Franz von Biber)、A. L.ヴィヴァルディ、ローマ出身でヴィオラ・ダモーレ様の楽器ヴィオレッタ・マリーナ(Violetta marina)を開発したピエトゥロ・カストゥルッチ(Pietro Castrucci)、G.タルティーニ、18~19世紀前半ではナポリ出身でロレト・サンタ・マリア音楽院教授エマヌエーレ・バルベッラ(Emanuele Barbella)、フビアーナ(Fubiana)出身でG.タルティーニを師の1人に持つピエトゥロ・ナルディーニ(Pietro Nardini)、ベルガモ(Bergamo)出身でシュトゥットゥガルト宮廷楽団ソリスト等を務めたアントニオ・ロッリ(Antonio Lolli)、バルトロメオ・カンパニョーリ(Bartolomeo Campagnoli)、パシ(Passy)出身でパリ音楽院教授、オペラ楽団長、ナポレオン1世の私設楽団奏者等を務め、1834年に『ヴァイオリン技巧(L'art de violon)』を出版したピエル・マリ・フランソワ・ドゥ・サレ・バイヨ(Pierre Marie François de Sales Baillot)、N.パガニーニ、19世紀半ばではルーヴァン(Leuven)出身で、フランス王国ブルボン朝第8代シャルル10世(Charles X)やネーデルラント王国オランイェ朝初代ウィレム1世(Willem I)の宮廷奏者、ブリュッセル音楽院教授等を務めたシャルル・オーギュストゥ・ドゥ・ベリオ(Charles Auguste de Bériot)、スタヴェロ(Stavelot)出身でリエージュ音楽院教授を務め、F.リストと活動したこともあるフランソワ・ユベル・プルム(François Hubert Prume)といったソプラノ・ヴィオロン奏者として活動した作曲家が作品を残しており、演奏家の間では知られた手法だったようだ。ノルウェーのハーディングフェーレ(Hardingfele, ハルダンゲル・ヴァイオリンHardanger Fiddle)では今日でも変則調弦が行なわれている。ハーディングフェーレの調律例は「Sky VI参照」。

 後にストラディヴァリ型のサイズ、形状と4単弦仕様に纏まり、またソプラノ・ヴィオロン同様擦弦用楽弓の変化や音域の拡大等を経て1870~80年代頃にはベルギーのチェロ奏者ヨーゼフ・セルヴェ(Joseph Servais)がエンド・ピンを貫通させた脚棒を開発、今日に至る。楽弓はソプラノ・ヴィオロン同様順手で用いるのが通常だが、17~18世紀のヴィオロンチェッロやバス・ヴィオロン奏者の多くはヴィオル同様の逆手を使用していたとのこと。 順手になったのはフランスでジャン=バプティストゥ・リュリ(Jean-Baptiste Lully)がソプラノ・ヴィオロンと外見を統一させたことによるとの情報もあり詳細確認中。 トゥルテ型近代弓以前はバロック弓と呼ばれ、 逆手で持った場合指で弓毛の張りを調節することができ、音色の変化や和音の演奏が容易になっている。また張力が中央程強く、メッサ・ディ・ヴォーチェと呼ばれる開始と終了の音量が抑制される奏法に適している。これは楽句の受け渡しが聴こえ易くなる効果があるとのこと。 モダン化以降の和音が少なくなっているのは楽弓の変化や交響楽団による組織化で役割分担が明確なったこと等が関係しているようだ。なお奏法に多少の差異はあるものの世界の弓奏擦弦楽器の殆どは逆手で楽弓を使用する。

 一方押弦については桿棹を握らない状態で他の4指と同じ方向から親指を押弦に使用するというソプラノやアルトのヴィオロンでは見られない奏法的発展をしているが、これは18世紀以降。高域演奏の際響胴上の指板を押さえるには親指が桿から離れる必要が生じるが、これによって空いた親指を押弦に利用している。起源はトロンバ・マリーナ(Tromba Marina, トゥルムシャイトTrumscheidt)とも、浮遊弦を備えた多弦腕上抱撮式ヴィオロンであるリラ・ダ・ブラッチョ(Lyra da Braccio)とも言われ詳細確認中。因みにソプラノ・ヴィオロンではモダン型よりバロック型の方が桿が太く弦間も広いため親指押弦が可能とのことで、R.寺神戸は「シャコンヌ」でセーハを、「ソナタ第3番」のプレリュードで親指押弦を実際に使用しているとのこと。

 なお脚棒に関しても18世紀に開発されていたという記事もあるが詳細は確認中。胴体下部に脚棒を設置するアイデアそのものはアッラバーブで中世以前から行われており、3単弦弓奏擦弦楽器日本胡弓(Kokyū)にも備わっている。また、旅芸人の舞楽団やセレナーデ等の野外行進用に立奏可能なストラップ用の穴を裏板に開ける工夫も生まれており、ストラディヴァリ製のヴィオロンチェッロにも存在したが後に裏板が交換されたという情報もあり詳細確認中。胸上抱撮式ヴィオロンチェッロはこのような需要にも有用だったと推測されている。現在でもイタリアで用いられ、2006年2月にトリーノで行なわれたオリンピアード競技会冬季大会(冬季五輪, 冬季オリンピック)の選手村入村式歓迎演奏では膝臏夾立式ヴィオロンチェッロがストラップで吊るして使用された。

 4単弦モダン・ヴィオロンチェッロは7単弦スカイギターとほぼ同じ音域であることからU.J.ロートに何らかの影響を及ぼしている可能性もあるが音楽面での情報はなし。楽器の所有は確認されているもののメーカーなどの詳細も不明。1980年代の一時期弾いていたようだが現在でも使われているのか単なる置物扱いなのかは謎。雑誌の対談企画で自宅を訪れたY.J.マルムスティーンが撮影のために手にとっているが実際には何も演奏していない。

各種5度調弦ヴィオロンの調弦例
G1 A1 B1 C2 D2 E2 F2 G2 A2 C3 D3 E3 G3 A3 C4 D4 E4 A4 E5
Soprano (⑤)
Alto
Tenor
Cello (①)
Bass
Contrabass (①)

Trumpet
      
~18c.前18c.後~
Boa約11.3~11.5㎜約12.2㎜
朝顔100㎜122㎜
朝顔の付根
重点高音域大音量
 金属製管状吹奏楽器。軍楽や吹奏楽、合図や冠婚葬祭で使われる他、クラシック音楽を始めジャズ音楽やポピュラー音楽等幅広く利用される。 交響楽団での本格的な導入はL.v.ベートーヴェン以降で、通常3本使用される。 ティンパニと共に全体を纏めて方向性を決定する役割を持ち、打楽器的に同音が連続されることが多く、C3管が多く使用される。一方吹奏楽では主に旋律の流れを作る役割で長いフレーズが多く、他楽器の傾向に合わせてB♭2管が多く使われ、楽曲も交響楽編曲物を除けば変調が多いという。

 かつては直管式でその歴史は古く古代エジプトでも使われていた。 直管式は19世紀以降ではG. F. F.ヴェルディ作曲の歌劇『アイーダ』第2幕第2場用に6本製作・使用され「アイーダ・トランペットAida Trumpet, Aidatrompete」と呼ばれている。但しこれには活塞が1機搭載されていたようだ。この他1978年夏のザルツブルク音楽祭での『アイーダ』演奏用として1978年にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(Wiener Philharmoniker)がヤマハに要請して12本の3回転活塞搭載アイーダ・トランペットYTR-945Fを製作、1979年5月にウィーン楽友協会大ホール2階席に分散させて録音に使用し、夏の音楽祭でも使用されるなど、20世紀以降でも使用例はあるようだ。依頼をしたのは当時ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者だったヘルベルト・フォン・カラヤンという記事もあるが、実際には首席トランペット奏者ワルター・ジンガーのようだ。彼は1973年から既にトランペットの製作も依頼しており、アイーダ・トランペットについても現行の物の音程や鳴りに不満だったことが原因という。

 巻管については17世紀に移調管(クルック)が開発され半~全音下げることが可能になった他、管長が倍増される。ヨーロッパでは「神の楽器」「王権の象徴」とされ、 都市音楽師の身分にはその製作が許されていなかった。ただシュピールロイテ(Spielleute)と呼ばれる音楽やサーカスをする放浪音楽家が定住して生まれたシュタットプファイファ(Statpfeifer)でも主要楽器として使われていた為、街によっては演奏場所・機会も厳しく制限し演奏に許可を必要としていた。18世紀のトランペット製造の95%はニュルンベルク(Nürnberg)で、残りはベルリン(Berlin)で行なわれており、イギリスを除く全欧及びモロッコやロシアにまで広く普及していたという。シュタットプファイファは都市に雇われて公式行事や祭儀で演奏を行なうこともあった他、宮廷や教会の楽団にエキストラで参加することもあったらしい。弦楽合奏に管状吹奏楽器が追加された形で交響楽団が成っているのはこのシュタットプファイファの解散や消滅と関連しているとのことで詳細調査中。資本主義の発達により生産地も徐々に広がり、伝統保守や機密保持の傾向があったニュルンベルク等は1770年頃から衰退していった。トランペットに限らず楽器の製法は基本的に秘密で文献に殆ど残っていないとのこと。また地域差も大きく、 G.マーラーはドゥレースデン(Dresden, ドレスデン)産トランペットは円錐部分が急で音量に欠け音抜けが悪いと不満を持っていたといった話もある。また楽器製造が盛んだったベルギーでは国内のほぼ全ての村で製作が行なわれていたという。

PistonRotary
主管抜差管
Boa
朝顔
円筒割合
Lead pipe
 活塞が使用され始めたのは19世紀初頭からで通常は3機だが中には4機仕様もある。機構設計上の違いから活栓式活塞トランペット(ピストン・トランペットPiston valve trumpet)と回転式活塞トランペット(ロータリー・トランペットRotary valve trumpet)に大別される。主要差異は左表参照。ただし活栓式活塞トランペットのボアは元々細く、回転式活塞トランペットは年代を経るにつれて大型化傾向、また回転式活塞トランペットにはかつてリード・パイプ(Lead pipe)が無かった。差異は徐々に薄れてきている。

 双方ともこの時期に起こった様々な技術革新が楽器にも柔軟に導入された結果だが、活栓式活塞トランペットの発達はコルネットの活栓装備化が影響しているとのことで詳細調査中。コルネットは19世紀初頭にフランスでドイツの郵便ラッパ(Posthorn, ポスト・ホルン)に活塞を付けたところから誕生した楽器で、単にピストン(Piston)とも呼ばれ 軍楽やブラスバンド、舞楽、ジャズ音楽に利用されている。

 郵便ラッパは17世紀から発達した郵便馬車の警笛や出発・到着の合図として使用された楽器で、 19世紀後半にはG. マーラーが交響曲第3番の第3楽章で郵便ラッパを模した表現を行っている。この楽章の原曲はそれ以前に作曲した 歌曲「夏の主役交替」。また第4楽章は同時代の哲学者フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche)の著作『ツァラトゥストラ』を引用して歌詞が構成されているとのこと。郵便馬車は定刻定所発着のため定期路線馬車としても使用され現在もポスト・バスと呼ばれる国際バス路線が運行されているという。
 1834年にはクラッパー・キー(Clapper key)が開発されて顫音が可能になり、 演奏容易性から人気が拡大、F. F.ショパンやF.リスト、R.シューマン、G. F. F. ヴェルディ、R. ヴァーグナー等も自作曲に用いているようだ。 19世紀半ばには管弦楽のトランペット・パートでさえコルネットを使用することがあったとのことで、 トランペットの活栓搭載に影響したというのはこの状況に対抗する措置だったのかも知れない。詳細確認中。 コルネットはかつて活塞と替管によって全調性に対応可能だったというが、現在は口腔で対応している。また2ピストン仕様と3ピストン仕様があり、 それぞれに右手押栓用と左手押栓用が存在していたようだ。同属楽器としてはピッコロ・コルネットが存在する他、極小サイズのポケット・コルネットも19世紀末に生まれた。

 トランペットとコルネットは音域も用法も同じ。違いは直管と曲管の比率がトランペットでは同等なのに対して コルネットでは9割が曲管なこと、トランペットの方が管が太く成形後の全長は倍あることなど。管長は奏者への音の戻りに関係して音量の調節や吹奏感に影響するようで、直管式のように朝顔までの距離が長いと奏者にとっては音が聴こえにくいとの感想が出ている。この他梃子の原理も働いて抱撮時の重量感にも影響してくるようだ。

 注意が必要なのは、ホルンの一種にもコルネットという楽器が存在すること。 語源的には「角」を意味するコルヌ(Corn)に 指小辞(-et)が付いた「小さな角」。独語でツィンク(Zink)と 呼ばれるもので11世紀頃動物の角に孔を開けた楽器がルネサンス初期に角型となり、 15世紀には木製角笛全般が漠然とコルネットと呼ばれるようになった。この頃人気が拡大しており 16世紀には多様化している。曲管のクリュマー・ツィンク、小形曲管クライナークリュム・ツィンク、弱音 シュティラー・ツィンク(Stiller zink?)等が存在していたようだ。

 トランペットは20世紀以降も発展が続いており、回転式活塞トランペットにトリガー(Trigger)が付いたのは1970年代以降、それ以前は口腔で修正していた。活栓式でも活塞搭載以前は口腔修正が多く、活塞の搭載によって修正の機会が減ったことがマウスピースの小型化に影響しているという。マウスピースは1442年には既に存在していたようだが、現在の物とは異なる。17世紀には円筒形チューブとカップが一体となっており、18世紀になってウィリアム・ヴォルフが円錐チューブを開発した。

 回転式活塞トランペットのオクターブ鍵はA4及びB4に関しては20世紀にヤマハが開発。C5に相当するハイD鍵はそれ以前から存在していたが、元々は唾抜きを開けて吹いたところ高い音に当ったのが始まりで、抜差し管を逆にしたところ音圧が下がりC5が出やすくなったとのこと。B♭2管よりはC3管トランペットに搭載され、リヒャルト・シュトラウス(Richard Strauss)作曲の「ツァラトゥストラはかく語りき(Also sprach Zarathustra)」演奏等に利用される。

 かつてはD3管トランペットもクラリーノと呼ばれるナチュラル・トランペットの高音域を多用する奏法と共に使用されたが、自然主義啓蒙思想の影響から派手な装飾を控え特定奏者の強調よりは複数によるハーモニーが重視されるようになると衰退した。 またJ. S. バッハは「種々の楽器のための協奏曲 (ブランデンブルク協奏曲) 第2番」でF管を使用しているとのこと。 俗楽の師になる父ヨハン・アンブロジウス・バッハ(Johann Ambrosius Bach)は宮廷トランペット奏者で太鼓・ヴィオロン奏者でもあった。聖楽・楽理の師は兄でヨハン・パッヘルベル(Johann Pachelbel)の弟子だった宮廷オルガン奏者ヨハン・クリストフ・バッハ(Johann Christoph Bach)。

 トランペットは打楽器のティンパニと共に用いられる事が多いが、バロック・ティンパニはトランペットの輪廓を作る役割を持ち、全体的に上の倍音が少なく他楽器の邪魔をしないようになっていたという。これがモダン・ティンパニになると余韻が長くなり、ハーモニーの中の楽器として使えるように、応じてマレットも軟らかくなったという。木製管状吹奏楽器のクラリネットもこのD3管トランペットの影響で同様にD3管仕様をとっていたが、衰退に応じて後期バロックや初期古典音楽ではC3管やA2管仕様に変わっていった。更に1780年頃からフレンチ・ホルンがE♭2管仕様になると、それに対応してクラリネットはB♭2管仕様になる。ただし地域差もあってフランス・クラリネットではC3管が、ボヘミア・クラリネットではB♭2管が多かったようだ。フレンチ・ホルンでの仕様変更の起源については確認中。

 フレンチ・ホルンはフランスで使用されていた狩猟用の角笛が起源で軍楽、野外劇、式典に利用されていた。 角笛の起源は古く、マンモスの牙から作った楽器も出土している。1815年に活塞機構が開発され一般に4機装備されているが、4番目はF2管とB♭1管の切り替え用。元々は単管で別個に存在していたが、両者は1本に纏められ、フル・ダブル・ホルン(Full double Horn)と呼ばれている。 理由は単管仕様(Single Horn)の場合低域に出せない音があることやF2管シングル・ホルンの場合高音域が不確実なこと等があるようだ。一方で双管では両管の性能的な比重の問題があり、また単管では軽くなる分音色も軽くなると言われ、この特徴を重視する場合単管が使われる。現在でもウィンナ・ホルン(Wiener Horn)ではF2管のみとなっている。

KruspeGeyer
朝顔
4番活塞位置親指側小指側
活塞包装部位置後方前方
Mouse pipe
屈曲率

~整理中~
 楽器製作工房の創業者は19世紀前半のフランツ・カール・クルスペ(Franz Carl Kruspe)だが木管楽器中心で工房を継承した2代目は次男フリードリヒ=ヴィルヘルム・クルスペ(Friedrich-Wilhelm Kruspe)。クラリネット等が現存。

 エドワルト・クルスペ工房  オールド・クルスペと呼ばれるが実際はエドワルト製作ではない。  ダブルホルン開発はフリッツ・クルスペ(Fritz Kruspe)。この頃エドワルトは関与せず。  金管楽器を中心に製作していたのは長男のエドヴァルト・クルスペ(Edward Kruspe)で 1864年のエアフルト(Erfurt)のカール・ズィルドルフ(Karl Zirndorf?)の金管工房を継承とのことだが通説は少し違うということで確認中。 1893年に息子のF. クルスペが継承。 1890年前後の管弦楽団ではF3管シングル・ホルンが中心。B♭2管は音色が良くないと言われていたものの、奏者としてはB3♭の方が演奏しやすいとして論争になっていた。
1897 F/B♭フルダブルの特許取得。  切替はロータリー2機→のち1機。1930年代のミラノモデルが類似  グンベルト・モデルとして発表 工房の製作家エドモント・グンベルト(Edmund Gumpert)はマイニンゲンのオケで3番吹いてた元プロで 叔父のフリードリヒ・グンベルト(Friedrich Gumpert)はライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のソロ・ホルン奏者。その弟子アントン・ホーナー(Anton Horner)は初のフルダブル・ホルン奏者。  F. グンベルトの弟子で18才の時渡米、ピッツバーグで活動した後、フィラデルフィア管弦楽団(Philadelphia Orchestra)首席ホルン奏者となった。  弟子メイソン・ジョーンズ(Mason Jones) 1904 ホーナー・モデル特許取得  A. ホーナーがF. グンベルトに依頼  アメリカで評価を得てその後コーン(Cornn)製8Dやホルトン(Holton)に継承されているということ。 1906年にはグンベルト・モデルのセミダブル仕様開発、特許取得している。これはB♭1管を中心に音響を重視して軽量化を図った他、管配量や回転活塞の部品、枝管の形状等を試行錯誤して様々な仕様が生まれた。 1909年にF. クルスペが死去した後、夫人が工房を継承、1920年代後半には娘がボストン交響楽団首席ホルン奏者ゲオルク・ヴェントラー(Georg Wendler)と結婚している。 1930s ホーナー=ヴェントラー フルダブル ホーナー・モデル B♭用の独立調律管搭載 1956or61 F. クルスペ工房の製作家ルディ・シュナイダー(Rudi Schneider)が継承 東独時代の工房は国策を受け入れず鷲のマークを剥奪される 壓力で製作できず修理に専念。 1979年にR. シュナイダーの弟子ペーター・ヘルドマン(Peter Heldman)が継承 1996年にエアフルトからアイゼナハ(Eisenach)近郊へ移転した。

 フル・ダブル・ホルンは基本設計上の違いからクルスペ(Kruspe)型とガイヤー(Geyer)型に大きく分かれるが主な差異は左表参照。 その他楽器の性能を決定付ける要素には材質、板厚、巻き方、配管、支柱の数・位置、メンズール(Mensur)等。メンズールは管の内径形状のことで、 楽器の倍音列の基本的音程を決定し、実際の音程や音色、吹奏感に影響するとのこと。材質は一般に銀(Argentum, Silver)または真鍮で整形後の外形は約370㎜。木製楽器では木材の性質と音響の関係が過度に強調されるため金属部品の材質や成分割合について詳細に論じられることは少なく、場合によっては根拠や比較の明示なく金属的な音として一括して否定されることもあるが、合金の成分割合や不純物の混入比率は音色に大きな影響を与える。イグナツ・ロレンツ製やシカゴ交響楽団が好んで使用していたシュミット製ホルンには鉛が0.1%含有していたなど金属製管状吹奏楽器に使用される真鍮では詳細な分析が存在するようだ。なお鉛を微量に含有した真鍮は工業用としては快削性黄銅と呼ばれ旋盤切削加工に向いているという。一方で高純度の銅と亜鉛(AënZinc)からなる場合は延性・展性に富み、工業用黄銅として使用される。

 1973年にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団首席トランペット奏者ヴァルター・ジンガーが老朽化したヘッケル製トランペットに代わる後継機としてヤマハに製作を依頼した際にヘッケル製の金属を解析し不純物の含有率をつきとめている。ヤマハに依頼が来たのはヘッケル社の後継メーカーが存在していなかったことが理由で、ゲッツェン社製ピストン・トランペット使用なども案に挙がったとのこと。外国メーカー受注という事態から開発当初国内業界の反撥もあり、脅迫まがいの手紙も届いたという。1975年に1号機が完成、また1973年に首席ホルン奏者ギュンター・ヘグナーと共にウィンナー・ホルンを開発、1977年には首席オーボエ奏者ゲルハルト・トレチェックと共にウィンナー・オーボエを開発した他、フリューゲルホルン、バスフリューゲルホルン、トロンボーン、バストロンボーン、クラリネットの開発も行われ、オーボエとホルンに関しては2008年現在も使用されているとのこと。一連の研究開発はヤマハ側としては不採算事業だったものの、元首席トランペット奏者で当時楽団長だったヘルムート・ヴォービッシュが所蔵楽器の一部を自ら切断して材質分析に提供する等した為情報収拾と技術蓄積に貢献した他、オーボエやファゴットは依頼当時開発未着手だった為これがきっかけで1986年にオーボエが、1987年にファゴットが商品化されたといった影響はあったようだ。

 クルークを素早く切り替えるために活塞が装備されるが、結果的に音域拡大と正確な音程補正が可能になり、その後朝顔(Bell)内部に手を入れて更なる音域拡大を可能にするハンド・ストップ奏法が開発される。1827年にはベルギーの作曲家フランソワ=ジョゼフ・ゴセック(Francois-Joseph Gossec)がオペラの伴奏に導入、この頃から交響楽団で本格的に使用されるようになる。通常4本で1番と3番が旋律や高音を担当、2番と4番が和音や低音を担当する。これは元々管状吹奏楽器が特定の調性しか吹けなかった時代に2本1組を基本として運用、転調に対応出来ない場合にもう1組追加していた頃の名残。活塞が開発されて対応調性が増加して以降は区別が曖昧になり、楽曲によっては4本が同一に扱われる傾向が生じている。

 高音パートを担っていた単管ホルンについては現代においてもモダン楽器へ応用されることがあり、1961年からライプツィヒで楽器製作を行っていたフリードベルト・ズィーレ(Friedberd? Seele)は1979年にB♭2管ホルンに5度の回転式活塞を装備したディスカント・ホルン「ピッコロ・ホルン」を考案、またB♭2管&F3管の双管ディスカント・ホルンも製作している。開発に際してはザクセン州立ドレスデン歌劇場ゼンパー・オーパー(Semper Oper, ドレスデン国立歌劇場, 旧ザクセン選帝侯宮廷歌劇場)専属楽団シュターツカペレ・ドレスデン(SÄCHSISCHE STAATSKAPELLE DRESDEN)の首席ホルン奏者ペーター・ダム(Peter Damm)が関与しており、J. S. バッハのカンタータやF. J. ハイドンの楽曲で使用したとのこと。また2007年11月にはリッカルド・シャイー(Riccardo Chailly)指揮のライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団がJ. S. バッハの「種々の楽器のための協奏曲 (ブランデンブルク協奏曲) 第1番」を演奏した際にも使用されているという。

 なおクラリネットは「小さなクラリーノ」を意味しており、クラリーノ・トランペットと形が似ていたことから名付けられたという。 初期はD3管とC3管だった。蘆舌が正面側に設置される物も存在し、19世紀には表裏両仕様の優劣論争も起きたという。 原型は森の番人で管状吹奏楽器製作家・演奏家だったライプツィヒ出身のヨハン・クリストフ・デンナー(Johann Christoph Denner)が開発したもので、17世紀頃から使われていた7孔無鍵の単簧円筒形木製管状吹奏楽器シャリュモー(Chalumeau)の上部に音域拡張のため2鍵が追加された後、リコーダー型朝顔に代えてオーボエ型朝顔を装着したことによって生まれた。パイプ・オルガンの打簧管の構造を応用したとの記事もあり詳細調査中。

 シャリュモーではソプラノ、アルト、テノールといった同属楽器が存在し各管1オクターヴずつ演奏に使用していたようだが、クラリネットはその音域の広さから当初同属楽器を持たなかった。それでも18世紀末にはC3管、B2管、B♭2管、A2管の4種類を目的に応じて使い分けていたようだ。19世紀半ばになってからドイツのフルート奏者テオーバルト・ベーム(Theobald Böhm)がフルート向けに開発した鍵機構が流用されてモダン仕様が確立、全調性に対応が可能となったとする記事もあるが、1810年頃には既に全調性に対応可能となり、B♭2管が主流になっていったという。胴材はアフリカ産ブラックウッド等。 オッテンシュタイナーが開発したベールマンシステムではボックスウッドを使用、鍵は少し少なく半音階が吹きやすいとのこと。1840年にJ.ブラームスが作曲した五重奏曲の初演者ミュールフェルトが使用していたという。 またフランス・クラリネットはアシユ=クロード・ドビュッシー(Achille-Claude Debussy)などに、ドイツ・クラリネットはJ.ブラームスなどに合うと考えられていたが現在は差がなくなってきたという。

 低音楽器としてA1管またはB♭1管バス・クラリネット(Bass Clarinet)やF2管アルト・クラリネット(Contralto Clarinet)など同属楽器が生まれ、区別して標準サイズの物はソプラノ・クラリネット(Soprano Clarinet)と呼ばれるようになっている。 W. A.モーツァルトが人声に近いとの考えを持っており好んで管絃楽に導入、以降交響楽団ではソプラノ・クラリネットとバス・クラリネットが主に使用される。バス・クラリネットは1772年のパリのG.ロット、1793年のH.グレンザー等によって初期型が作られ、A.サックスが現代バス・クラリネットの原型を確立したとのこと。 A.サックスが行った改良はそれまでのファゴット型バス・クラリネットのボアを金属製にしてバセット・ホルンよりも太く大型化、 トーンホールの位置を変更してカップキー操作にするといった点とのこと。

 ちなみに「人声に近い」という表現は元々キリスト教で人声が最上のものとされ、楽器はその模倣と考えられて発達したことからくるもので、 科学的に類似しているというよりは権威を示すための飾り言葉に近く、バス・ヴィオルやギター、テノール・サックスでもこの表現は使われる。歌唱時を除けば音域的にはアルト楽器やテノール楽器全般が通常の人間が話す声に近い。言語や個人によって差異はあるもののギターで言えば男性がA2弦、女性がB3弦のそれぞれ開放~ミドルポジションくらい。 成人男女の違いは声帯の長さの違いによるもので発声時の高低は声帯が緊張すると高くなり、弛緩すると低くなるという違いによる。 声帯は吹奏楽器の蘆舌に相当するもので喉頭に存在する。その他肺が鞴、口腔や骨が共鳴胴の役割をしており、他に舌や横隔膜、吸気や息漏の量・速度なども関係する。思春期以前に去勢することでソプラノやアルトの音域を出すカストラート(Castrato)と呼ばれる成人男性歌手も18世紀までイタリアに存在したが現在はソプラノ歌手で代用している。これとは別に地声で高域を出す男性歌手ソプラニスタ、裏声を使うカウンターテナー等も存在。

 声の質は声帯の柔軟性が影響するが、一般的な会話の場合言語によって利用される音節や発音の仕方が違うことから含まれる倍音成分等は差異が大きく、母音中心の日本語はやや低めが多いが子音も多くなる英語ではやや高めが含まれ、またイギリス英語とアメリカ英語でも平均周波数は異なる。ロシア語では低域から高域まで幅広い成分が含まれるようだ。何かの模倣として始まった楽器の場合は人声に限らず動物の鳴き声、身辺の自然現象等を起源または象徴にしているものが多い。

 日本の雅楽では表7孔裏2孔(1孔不使用)垂直抱撮短管状楽器の小篳篥が人声とされ、7孔水平抱撮短管状楽器の龍笛(Ryūteki)が空を飛ぶ竜の鳴き声、環状多管吹奏楽器のは天から射す光とされ天地空の関係を象徴する。日本に伝来したものは中国で祭礼に使用されていた雅楽とは別の宴楽で伝来当時は現在より大編成だったことからこのような意義付けは3管に整理された後に生まれた概念とのこと。龍笛では(qiāng)族の伝説に湖へ飛び込んだ際の龍の哭き声を再現するために竹を切って作ったという話がある。西欧の交響楽団でも後に導入された銅鑼は中国では月を覆い隠す雲を邪悪な竜に例えてそれを追い払う音とされていた。ボルネオ島では安全祈願、日本では仏教の法事、歌舞伎の囃子、茶席の合図、出帆の合図にも使われていたというが詳細確認中。楽器そのものの起源はアジアにあるようだが詳細は未詳らしい。なおゴングの名称はインドネシアのバリ島に伝わる伝統音楽で使われる楽器群ガムランの一種が元。本来は奏者の左右に懸垂され2枚1組で使用、懸垂式で小型のクンプル、水平式で小型のカジャールと共に1つのグループを形成する。他に複数のカジャールを1列に並べた状態に似て4人で演奏するレヨン、楽団の指揮役になる大小1組の太鼓クンダンと補助のシンバル形楽器チェンチェンが存在、更に旋律には2台1組で微妙に調律をずらして意図的に唸りを発生させるウガール、旋律装飾にはプマデとオクターヴ高いカンティラン、分割旋律には小型のプニチャ、中型のジュブラグ、大型のジェゴガンといった多数の鉄琴形楽器が用いられる。西欧の音楽では唸りのない完全に共鳴した音が人間にとって心地よいとされるが、バリ島では唸りを持った音が好まれており、文化や習慣によって異なるようだ。

 鳳笙、小篳篥、龍笛は雅楽三管と呼ばれ舞楽(Bugaku)、管絃(Kangen)、催馬楽(Saibara)、朗詠(Rōei)、御神楽(Mikagura)等に使用するが、御神楽では笙が入らない。また東遊び、左方楽、右方楽でも篳篥と高麗笛による編成となる。その他結婚式等では奏者招聘の都合で例外的に2管編成になることもあるとのこと。

 役割としては笙が和音、龍笛が装飾音、篳篥が主旋律を担当。 また大和雅楽では中国伝来の左方楽に龍笛を、朝鮮伝来の右方楽に高麗笛を、日本古来の御神楽に神楽笛を使用するという使い分けも行われている。高麗笛は龍笛より長2度高く、神楽笛は龍笛より長2度低い。また龍笛では煤竹の皮を剥いて管体を作るのに対して高麗笛と神楽笛は皮を剥かないとのこと。龍笛は笛筒と呼ばれる筒に収納するが、連管(連筒)と呼ばれる高麗笛と2本入れられる筒もある。和楽器では楽器保管用の布や箱も装飾が施されていることが多く、それ自体が1つの作品として単なる保管目的以上に視覚的な効果ももつ。大和雅楽では箱から楽器を取り出す動作も演奏行為の一部になるため、演奏時は蓋を枕にして筒を立てかけて出番以外は筒に笛を収めておく。これは楽琵琶も同様で緒留の下に撥が収納できるようになっており、演奏中でも出番が無い時は撥を持たない。

 なおヨーロッパで歴史的伝統と結びつける場合は古代ギリシャで使われたリュラと形や音、弦数が似ている、キタラのように『聖書』の「ヨブ記」第30章第31節にも登場するといった形で引き合いに出されるが、楽器の構造上は無関係な場合も多い。リュラは古代ギリシャでは「アポロンの楽器」でもあり中世初期は建前上ギリシャ・ローマの多神教を「異教」と区別していたことから、このような結びつきは中世後期からルネサンス初期に始まったものと思われるが詳細確認中。ギターが盛んな地域ではこのキタラと結びつけることで聖職者にも受け入れられていた。また「サムエル記 上」第19章第9節にイスラエル王国第2代国王ダヴィデが竪琴を弾いている場面があり、中世に西欧でローマ・カトリック教会の彫像や『聖書』の挿絵としてハープを弾くダヴィデ王が採用されていたこともあったが、楽器が中世ヨーロッパ・ハープになっている。この他『聖書』には楽器が登場する場面も多いが個々の詳細は不明。

 オーボエもB♭3管でソプラノ・クラリネットと類似音域帯の楽器だが、クラリネットは単簧(Single reed)の円筒管でオーボエは複簧(Double reed)の円錐管という違いがある。サクソフォンは通常単簧円錐管。ユーフォニアム、コルネット、フリューゲル・ホーンも円錐管。円錐管と円筒管の違いは高周波に整数倍音が含まれるか奇数倍音が含まれるかの違いとなって音色に現われる。

 ギターとの関係ではエレクトリック・ギターに使われるワウ・ペダル(Wow Wow)がワウワウ型の弱音器(Mute)を使ったトランペットの表現方法を再現する目的で開発されている。トランペットの弱音器には他にストレート型やカップ型がある。またブルーズ・ギターでのスライド奏法やベンディングなどもトランペットの表現の模倣による。

 押弦側の指に金属や合成樹脂の円筒を嵌めてスライドさせるボトルネック奏法はカントリー音楽やブルーズ音楽で使用されるが、起源は不詳。19世紀末頃ハワイアン音楽の楽団が米南部を楽旅した影響というのが通説のようで、他にアパラチアン・ダルシマーの影響という指摘もあるようだ。道具としてはガラス瓶やポケット・ナイフ、銅管、鉛管、口紅のホルダー、タバコのホルダー等同様の効果が得られる物が柔軟に使用されている。通常は金属弦ギターで用いられるが、ナイロン弦ギターでも吉松 隆(Takashi Yoshimatsu)が1998年にモルゴーア・カルテット(MORGAŬA QUARTET)向けに作曲した弦楽四重奏曲「アトム・ハーツ・クラブ・カルテット(Atom Hearts Club Quartet)」をSh.福田とE.フェルナンデスのギター重奏向けに編曲した「ギター二重奏のためのアトム・ハーツ・クラブ・デュオ 作品70a(ドクター・タルカスズ・アトム・ハーツ・クラブ・デュオDoctor Tarcus' Atom Hearts Club Duo)」において無柱指板楽器のグリッサンドを模す形で使用されている。この曲はビートルズの『サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(SARGENT PEPPERS LONLY HEARTS CLUB BAND)』のもじりで、それにエマーソン、レイク&パーマー(EMERSON, LAKE & PALMER, ELP)が1971年に発表した『タルカス(TARKUS)』とピンク・フロイドPINK FLOYDが1970年に発表した『原子心母(ATOM HEART MOTHER)』、イエス(YES)が1972年に発表した『こわれもの(FRAGILE)』を加え、手塚治虫(Osamu Tezuka)の『鉄腕アトム(Tetsuwan Atomu, Astro Boy)』の十万馬力でシェイクした・・・とのことで、他に交響楽団編曲等も存在するようだ。いずれもクラシック音楽の影響を受けたプログレッシヴ・ロックと呼ばれる分野の代表的なバンドだが、これはかつてバンド活動をしていた時期もあるほどT.吉松がプログレッシヴ・ロックを好んでいたことによる。T.吉松のギター曲としてはこの他1984年に6単弦モダン・スペイン・ギター奏者山下和仁(Kazuhito Yamashita)向けに作曲されたギター協奏曲「天馬効果(Pegasus Effect)」が知られる。

 トランペットはU.J.ロートにとっては1967年に初めて手にした楽器。半年ほど習ってクラシックを吹いていたそうだが詳細は不明。なおトランペットでも15世紀にスライド管を採用した物が開発されたようだが定着しなかったようだ。操作に時間がかかり機動性が落ちることが理由だった可能性もあるが確認中。 1780年頃のイギリスでもスライド・トランペットが開発されているが、これにはバネが内蔵されて素早い操作が可能になっているとのこと。 自然倍音しか出せないナチュラル・トランペットの音域拡張を試みる手法の1つで、F. J.ハイドンが第11倍音のファに当たるA♭3を下げられることから好んだとのこと。 これはナチュラル・トランペットの場合少し高い音になってしまうという事情からくるもの。
 スライド・トランペット以外の音域拡張の試みとしては、小型化してホルンのようなハンドストップ奏法で対応する手法や鍵付トランペットがあったという。 鍵付トランペットは1790年代にはドゥレースデンやハンブルク等ドイツで開発が始まっており、3~8鍵仕様が存在して現在も25本ほど現存しているとのこと。 管体はG3又はA3管で移調管を差し替えることによってD~F管としても使用出来るが調性によって運指が変わる。またドイツ方面では右手抱撮左手押鍵、イタリア方面では左手抱撮右手押鍵が多いようだ。

 奏者としてはウィーン宮廷トランペット奏者アントン・ワイディンガーが1793年頃に入手してオーガナイズド・トランペットと呼んでいたという。F. J. ハイドンと親しく、1796年に作曲されたトランペット協奏曲は彼の委嘱とみられているようだ。1800年3月28日にウィーンのブルグ劇場でA. ワイディンガーが初演した他、 1798年にはレオポルト・コゼルッフに委嘱した「マンドリン、鍵付トランペット、コントラバス、ピアノとオーケストラのためのシンフォニー・コンチェルタンテ」を、1804年1月1日にはJ. N. フンメルに委嘱した「トランペット協奏曲 ホ長調」を演奏しているとのこと。

 空気漏れによって音質が劣化する、オーボエやクラリネットのような音等といわれ好評は得られず、1820年代以降活塞トランペットが広がるに連れて衰退、1840年頃には殆ど使用されなくなった。

 スライド管による管長可変機構は現在もトロンボーンが継承しているが、逆にトランペット形の流用としてはアルト・フリューゲルホルンが存在し、構えやすさや朝顔を前向きに統一できるといった理由から かつて軍楽や合奏で使用、活塞搭載仕様としてはソロ・アルトホルンとして利用されていた。他にトランペット形テノールホルンも19世紀後半~20世紀前半に存在していた。アルトホルンでは他にトロンボーン形アルトホルンがF管バルブ・アルトトロンボーン として存在して旋律楽器として単独で使用されていたことがあったようだが、通常の活塞搭載テノール・トロンボーンとの厳密な区別は無いとのこと。L. H.ベルリオーズは「葬送と勝利の大交響曲 作品15(Grand symphonie funèbre et triomphale Op.15)」第2楽章でスライド・トロンボーン奏者ディエッポを想定したソロを書き、名手がいない場合にF管バルブ・アルトトロンボーンを使うように指示している。これは元々オペラ用に準備されていた歌唱パートを流用したものという。

~整理中~
ルネサンス 移調楽器の概念無し 同属で曲に合わせて任意に。 表記は実音。 バロック 指定明確 Hr、Trp以外は実音表記 B管テノールでもEs管アルトでも同じ譜面 弦やTrp、Hrが#系中心 プレトリウスはEアルト、Dアルトを列挙 Eアルト、Aテノール、Eクヴァルト=バスquart bass posaune、Dクヴィント=バスquint bass posaune パパモツ、ミハエル・ハイドン等の前古典派 アルト独奏曲多い Dмも書いてる J. G. L. レオポルト・モーツァルト トロンボーン協奏曲 ト長調Trombone Concerto in G major ヨハン・ミヒャエル・ハイドンJohann Michael Haydn トロンボーン協奏曲 ニ長調Trombone Concerto in D major アルトはEsではなくD管と認識していた ↕ 一方、世俗ピッチだとF3アルト,E♭3アルト、B2テノールと認識 ウィーンのヨハン・ゲオルク・アルブレヒツベルガー(Johann Georg Albrechtsberger)は「トロンボーン協奏曲 変ロ長調」、ゲオルク・クリストフ・ヴァーゲンザイル(Georg Christoph Wagenseil)は「トロンボーン協奏曲 変ホ長調」を作曲する等B♭м、E♭мの協奏曲も存在した。 モツ、ベト等の古典派 シューB、ブルックナー等のロマン派 管弦楽のTrbパートにアルト、テノール、バスの3種類指定 シューBは世俗曲にBアルト、宗教曲にEsアルトと役割・音域を分けていた可能性あるが実音表記のため未詳 楽譜が実音表記で指定がないと管種が分からない。 アルトはテノールよりポジション幅が狭く慣れが必要 7ポジはテノールと同じ感覚で伸ばすと抜ける Esアルトで#系はテノールと倍音のズレも生じる →奏者の判断次第 ↓ 「テノールでも演奏可能」「アルトはただの慣習」「アルト使用は軟弱」として軽視 ↓ 作曲家の意図通りか不明に 19世紀フランス 軍楽にTrb導入、奏者育成にテノールで統一。 Desアルト使用記録有り ベルリ 初期は玄宗でアルト。 後期はテノールのみ。本人の好みというよりは奏者不足 バスはバランスを破壊するので嫌い。→戦後アメリカの影響を受けるまでフランスでバスは不用 『葬送と勝利の交響曲』§2 アントワーヌ・ディエップAntoine Dieppoを想定したソロ 第3代パリ音楽院Trb科教授でテノールの名手。 名手がいない場合はFピストンアルト指定 ←スライドアルト使えない人が多い ←アルトの歌謡性を認識←ソロパートは元々オペラ・ヴォーカル用に用意した旋律 結局20世紀半ばまでテノール3本、四重奏でもテノール4本で対応 19世紀墺 軍楽に導入、B管で統一 細Bアルト、太Bテノール、極太Bバス→モダンバスの原型 ベト5 最高音ハイF使用。楽器研究ノートではDesまで。第9も1箇所以外Desまで バスの最低音はE2、ペダルB1 「エクワーレ、4つのトロンボーン ニ長調Drei Equale WoO 30, no. 2」 委嘱者グレッグルは古楽器コレクター。息子曰くそのコレクション楽器のために作曲 →ウィーン美術史博物館寄贈、楽器博物館の魁に 19世紀独 C管3ヴァルヴアルト使用。ツィマーマン社の教本に運指表有り Alt-Posaune in C mit 3 Ventilen 19世紀半ば~ ブラ等古典派桶編成を除く第1Trbにテノールが主流 独ワーグナー アルト不使用、むしろCバス使用で低域拡張 露リムスキー CアルトをTrpで代用 ↓ アルト潰滅 例外 マラ7 任意でアルト持ち替え指示 オーストリア出身で後にアメリカで移住した作曲家アーノルド・フランズ・ワルター・シェーンベルクArnold Franz Walter Schönberg、 弟子のアルバン・ベルクAlban Berg、 ロシア出身で後にアメリカに移住した作曲家イーゴリ・フョドロヴィチ・ストラヴィンスキーИ́горь Фёдорович Страви́нский、 イギリスの作曲家ベンジャミン・ブリテンBenjamin Britten ペダルトーンpedal toneなど新しい可能性摸索 20世紀後半~ バロック復興運動活発化の影響で前古典派アルト作品に注目 1965 ニコラウス・アーノンクールNikolaus HarnoncourtがG. Ch. ヴァーゲンザイルのTrb恊録音 Trb奏者ハンス・ペトラーHans PöttlerがJ. G. アルブレヒツベルガーのTrb恊録音 ヘルベルト・レッチェHerbert Lätzsch製ルネサンス・テノールのコピー使用 1977 マリボールMaribor出身のトロンボーン奏者ブラニミール・スローカーBranimir Slokarがパパモツ、J. G. アルブレヒツベルガー録音 コーン製スライド・アルト使用 独アルミン・ロジンArmin RosinがJ. M. ハイドンのTrb恊録音 ヴィルヘルム・タイン製A. ロジン・モデル使用 トリルや装飾対応にロータリーヴァルヴ搭載 B. スローカー、Ch. リンドベルイ等は新作委嘱 Stockholm出身のクリスティアン・リンドベルイChristian Lindberg Vilhelmina出身のヤン・サンドストロームJan Sandströmが1989年に作曲した「モーターバイク協奏曲Motorbike Odyssey」
 トロンボーンは語源的には「大型トランペット」を意味するトロンバ(Tromba)から派生しており、構造的には中世サックバット(Sackbut)の改良型。サックバットは西語で「引き抜き管」を意味するサカブチェ(Sacabuche)、仏語で「押し引き」を意味するサクブト(Sacqueboute)等からの派生のようだ。小型のトロンボーンが聖歌隊と共に使用され教会音楽で不可欠の楽器となっていたが、後に軍楽や舞楽でも用いられるようになる。 また1808年にL. v.ベートーヴェンが交響曲第5番「運命」に導入した頃から交響楽団でも本格的に使用され始め、B♭1管テノール・トロンボーンまたはF1管テノール=バス・トロンボーン2本、B♭0管バス・トロンボーン1本を基本としている。20世紀以降はアーノルド・フランツ・ヴァルター・シェーンベルク(Arnold Franz Walter Schönberg)がグリッサンドを導入、またジャズ音楽やポピュラー音楽でも活躍の場を広げている。

Recorder
        ルネサンス及びバロック時代にヨーロッパの合奏で発達した表7孔裏1孔の竪フエでソプラニーノ、ソプラノ(ディスカント)、アルト(トレブル)、テノール(テナー)、バス、グレート・ベース等が存在。その後フラウト・トラベルソの存在が大きくなるが、現代でも教育用として使われている。 日本の教育現場では管長約450㎜のアルト・リコーダー(Alto recorder)にバロック式運指が使われるが、 管長約300㎜のソプラノ・リコーダー(Soprano recorder)ではドイツ式と呼ばれる運指が 使われることが多い。ドイツ式運指のリコーダーはマルクノイキルヘン(Markneukirchen)で始めトーレス型やシュタウファー型ギターを製作し、フランス系イギリス人演奏家・古楽器製作家ユージーン・アーノルド・ドルメッチ(Eugène Arnold Dolmetsch)に古楽器製作を学んだ後はリュートやヴィオル、リコーダー、バロック・オーボエ製作を行っていたベルリン出身のペーター・ハーラン(Peter Harlan)が開発した物で、背景にはドイツの民族主義運動から派生した青年音楽運動(Jugendmusikbewebung)で演奏容易なゲルマン的古楽器の要請があり、単弦・金属フレット仕様で6~10コースのモダン・リュートと共に開発され合奏に用いられた。

 なお18世紀前半のイギリスの出版譜にフルートとリコーダーを一括してジャーマン・フルート(German flute)と記載している物があるが、これはドイツ式運指のリコーダーではなくバロック式運指のリコーダーを意味しているので混同に注意が必要となる。 この時期のイギリスは流行がリコーダーからフルートへと変わりつつある頃で、リコーダー曲をフルート音域に移調してフルート曲とすることがあったようだ。 ドイツのハレ・アン・デア・ザーレ(Halle an der Saale)出身でイギリスに定住したゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(Georg Friedrich Händel)が作曲した「笛、ソプラノ・ヴィオロン、オーボエ、通奏低音、(チェンバロ、バス・ヴィオロン)の為のソナタ集 作品1」第9番 ト短調もフルート曲とされていたが原曲はニ短調のリコーダー曲とのこと。この曲集は20世紀半ばまで、1722年頃アムステルダムで出版されたとされていたロジェ(Roger)版と1732年にイギリスで出版されたウォルシュ(Walsh)版を参考に作られたクリュサンダー(Chrysander)版が定本(authentic text)とされていたが、1970年代以降の自筆譜研究で全16曲中指定楽器変更が4曲、調性変更が6曲、偽作が4曲、一部省略が1曲判明しており、またこれらとは別に3曲が新発見されているとのことで、関連する著述を読む際には注意が必要となる。

 偽作が挿入された経緯については、当時6曲または12曲を1つとして出版する習慣があったものの原譜が10曲しか入手出来なかった為と考えられているようだ。またロジェ版はウォルシュが既に故人だったロジェの名前を騙って輸入しているかのように偽装したもので、ウォルシュ版は好評を受けてロジェ版を改訂した物とのこと。音楽や芸術は経済とは無関係、現代になって商業主義になったと捉えられることもあるが、実際には時代を問わず政治・経済的事情が関与していることがある。

 なおロジェ版の伴奏楽器については単に通奏低音とだけ記されているのに対してウォルシュ版では通奏低音(原表記はスルー・バスThrough bass)とチェンバロ(原表記はハープシコードHarpsicord)とバス・ヴィオロン(原表記はバス・ヴァイオリンBass violin)が分けられている点や、「Bass violin」が従来の地上起立式バス・ヴィオロンなのか、胸上抱撮式ヴィオロンチェッロのことなのか、膝臏夾立式ヴィオロンチェッロが既に広がり始めているのかといった点に関しては調査中。

 U.J.ロートもリコーダーは学校で触れたようで、クリスマス・キャロル等を吹いていたことを初期の楽器経験の一端として 語っているが、これが「フルート」と解釈されて紹介されたことがある。 ドイツ語では所謂フルートはクウェルフロェテ(Querflöte)、一方のリコーダー はブロックフロェテ(Blockflöte)と呼ばれることが原因と推測される。 リコーダー(Recorder)は英語で「小鳥の囀り」という意が由来という。 楽器としては中世パイプ(Medieval Pipe)の改良型で14~18世紀に発達し イングランド王国テューダー朝第2代ヘンリー8世(Henry VIII of Tudor)が絶対主義国家を確立した16世紀前半に全盛、C管仕様とF管仕様が一般的。竪フエそのものは2万5千年ほど前には既に獣骨に孔を開ける形で 1~3孔の物が開発され、狩猟の際罠に誘き寄せる目的等に使用されていたようだ。また白鳥の橈骨から作った管長190㎜程の5孔垂直抱撮短管状楽器も出土している。人骨が楽器に使われることもあり、チベットでは頭蓋骨製太鼓のダマル及び大腿骨製トランペットのカンリンが存在しているが、後に金属製となりチベット仏教でも採用されるようになった。

 水平抱撮の短管状楽器は古代エジプトで粘土製筒管に孔を開けた物が使用されていたらしい。現代には6~13孔の粘土または陶器製水平抱撮吹奏楽器にオカリーナ(Ocarina, オカリナ)が存在するが、これはイタリアのブドリオでジュゼッペ・ドナーティ(Giuseppe Donati)が開発した鳩笛の一種。1860年誕生とする情報もあるが、ブドリオ市オカリーナ博物館学芸員長でオカリーナ奏者のファビオ・ガッリアーニ(Fabio Galliani)によれば現在の仕様は1853年に完成しており、同時期にアルベルト・メッツェッティも製作を行っていたとのこと。 イタリア語ボローニャ方言で「小さな鵞鳥」の意、吹孔の形が似ていることから名付けられた。元々2孔の鳥形玩具ククの孔数を増やして楽器として発展させた物で、フルート等を参考に孔の位置が改良され形状も横長になったという。クク自体は類似の物が古代ローマの頃からあったとのこと。土笛では他に中国で(Ken)等が存在。鳥の鳴き声を真似る目的での笛は古来より存在し、現在でも鶯笛等は観光地で売られている。

 オカリーナは開発直後から大小の同属楽器が作られて五重奏、更に七重奏を編成、1869年以降G. ドナーティやA. メッツェッティ自身が西欧各地を楽旅したことで知られるようになり、1890年代にはウィーンでハインリヒ・フィーンが自作を開始する等、世界に広まったという。 基本的に陶製だが特殊な物では1890年代にフランスのマティユが金属製を製作している。またバッキオーニは竪フエ仕様や内部で双管になった広音域のダブルオカリナの他、ハンガリー生まれでオーストリアを拠点にした20世紀の作曲家G. リゲティ(György Ligeti)がヴァイオリン協奏曲を作曲した際に指定したA管仕様も製作してF. ガッリアーニが演奏している。

 理論的には奇数倍音のハーモニクスが出せるが実演に使用可能な音は不可能に近いとのことで、孔数や同属楽器による音域制禦が主になっている。伝統的にはC管とG管だがF管やB♭管もあり、日本ではF管、12孔が主流という。日本は生産が盛んで、演奏では韓国が盛んとのこと。また各国ではソロ楽器としての使用が多いが、ブドリオでは10孔仕様で同属楽器合奏によるイタリア・オペラのアリアやポピュラー音楽等の演奏が主流。ただイタリアでの演奏人口は少ないとのこと。イギリスでは4孔仕様が普及しているという。クラシック音楽ではG. リゲティの他L. ヤナーチェク(Leoš Janáček)が作品を残しているとのことで詳細確認中。

 「フルート」は元々笛の総称でかつては単に「フルート」と言えばリコーダーを指したこともあり、現代での 所謂「フルート(Concert Flute)」はフラウト・トラヴェルソ(Flauto traverso, 仏語フリュート・トラヴェルシェルFlûte traversière, 西語フラウタ・トラベルサFlauta traversa)と呼ばれていた。現代でも厳密にはこの名前だが、一般には鍵機構を持つ前の古楽器を指して使われることが多い。また、18世紀初頭にリコーダーとフルート双方を纏めて単にTraversiereと表示している場合もある。 現行の鍵機構を開発したのは既述のTh.ベームで、これによってモダン・コンサート・フルートが生まれた。理由は交響楽団に導入され孔を半分塞いで半音を出す際により正確な音程が要求されるようになったこと等による。但し鍵自体はそれ以前からも存在し、18世紀でも表6孔+1鍵仕様。3~4部品構成で基準音に合わせて中部の管を取り替えた。

 ただフルートが交響楽団に定着したのはモダン化より早く、交響楽団誕生初期の18世紀後半から。 各都市や王家によって楽団の編成や規模は異なり、全体で数名から数十名と幅があるが、近代交響楽団確立以降のフルートは通常C4管コンサートフルートが2本用意され、楽曲によっては更に同運指で管長が半分、音域がオクターヴ高いD5管フラウト・ピッコロも持ち替えて使用される。元々音量も小さく室内演奏用の楽器という位置付けだったが、フリードリヒ大王はこの楽器を好み自身も演奏した他、配下の部隊にオーボエやクラリネット、ファゴット、ホルンと共に各2本ずつという編成で軍楽に使用させた。ベーム型登場後も改良は続けられており、20世紀半ばにも音量増大の傾向があった他、1980年代後半からは頭部管の新開発が顕著だったとのことで詳細調査中。

 フラウト・ピッコロは木製か金(Aurum, Gold)、銀等の金属製で、L. v.ベートーヴェンが1808年頃交響曲第5番「運命」や交響曲第6番 ヘ長調 作品68 「田園」(Sinfonie Nr. 6 F-Dur op.68 "Pastorale")に導入した頃から本格的に交響楽団で使用されるようになる。

 フルートでは蘆舌を使用せず空気の振動を利用して発音する自由簧(Air reed)を採用しており、管体は元々木製だったことから分類上は所謂「木管楽器」だが、象牙製も存在、また硬質ゴムのエボナイト(Ebonite)製や金、銀、白金(Platinum)等の金属製も生まれている。日本製の金属原料の殆どは試作合金も含めて田中貴金属工業が供給元とのこと。 3分割仕様は18世紀パリの作曲家・フルート、ファゴット、ミュゼット(Musette)奏者ジャック=マルタン・オトテール(Jacques-Martin Hotteterre, オトテール・ル・ロマンHotteterre Le Romain)が開発した。ミュゼットはフレンチ・バグ・パイプ、シャリュモー、アコーディオンの調律法、ポピュラー音楽の一種を指す場合等があり、J.M.オトテールが扱っていたミュゼットが何を指しているかは確認中。因みにフレンチ・バグ・パイプの場合はミュゼット・ドゥ・クル(Musette de cour)と呼ばれ、13世紀には下等楽器扱いだったが、14世紀には宮廷楽器となっている。17世紀後半にも音質の形容として引き合いに出されていることから存続はしていたようだ。

 バグバイプ(Bagpipe, 風笛)は一般にはスコットランドで軍楽に使用されるハイランド・パイプ(Highland Pipe)が有名。他にローランド・パイプも存在しアイルランドでも使用される。 イングランドではイングランド・パイプ(England Pipe)や4本1組の通奏管と鞴(Fuigo, Bag)を持つ ノーザン・ブリアン・パイプ(Northumbrian Pipe)がある他、イタリアではザンポーニャ(Zampogne)、スペインではガイタ(Gaita)が存在。ブルガリアではガイーダ(Гайда)と呼ばれる。アラビヤ民謡でもガイータ。 古くはローマ帝国第5代ネロ(ネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクスNero Claudius Caesar Augustus Germanicus)が革袋を意味するウトリクラリウム(Utriclarium?)を弾いたと言われているが同属かは不明。 楽器自体の起源も不詳でインドから北アフリカまで広く存在する。ヨーロッパには12~13世紀に中東から伝えられたと考えられ、音階は中近東系。

 構造は吹管(Blow pipe)から取り入れた空気を動物の胃袋や獣皮から成る袋に貯めてから蘆舌が内蔵された旋律管(Chanter pipe)と通奏管(Drone pipe)に送られて発音するが、アジアでは通奏管が無い場合もあり、インドでは旋律管1本のみ。吹管には逆流弁が備わっている。蘆舌に舌や唇を接触させなくても演奏可能だが、一定の音程を保持するには流入させる気量の安定がより求められることになる。この点では歌口にリードキャップがつけられたクルム・ホルンと共通している。クルム・ホルンは遅くとも15世紀末までには誕生していた複簧管状吹奏楽器で、ドゥレースデンの1489年製オルガンにクルムホルン名の音栓が見られるという。シャリュモーが大音量で野外演奏用とされている一方でクルム・ホルンは室内合奏の流行を背景として考案されたため柔らかな音質が特徴になっている。運指はリコーダーと同じで1本あたりの音域は8~9音と少なく、同属楽器としてソプラノ、アルト、テノール、バス等を以って合奏される。 管体は柘植を旋盤で刳り貫いた後、先端を蒸気で熱して彎曲させた杖形。アルト・クルムホルンで約400㎜。この彎曲は音質に無関係で単なる装飾のようだ。管状吹奏楽器が管体を螺旋状に成型するようになったのは、管を曲げても基本的な音は変わらないという性質が発見されたことによる。このため長管でも成型次第で管長を維持しながら携帯や保持が容易になった他、様々な巻き方が試みられ、試行錯誤の結果現在一般的にみられる形状に集約されていく。なおクルムの名称は独語で「曲がった物」の意。1626年にはヨハン・ヘルマン・ジャインが「4本のクルムホルンのためのバンケット・ムジカーレ」を作曲しているが、17世紀以降は1本でより広い音域・より大きな音量の複簧楽器が次々に開発されたこや、平均的な合奏よりは特定の高音楽器を目立たせ、低音楽器がそれを支えるという流行の変化もあって18世紀以降衰退していった。しかし現在でも各地に民族楽器的に存在しており、祭事の際に利用されることがある。

 ファゴットは16世紀前半にイタリアで発明された複簧木製管状吹奏楽器。伊語で「束」を意味し、上向き朝顔を接続したロング・ジョイント管と真鍮製吸口管を接続したウィング管の2本をバットと呼ばれる基部で繋いだ形が薪の束に見えることから名付けられた。英語ではバスーン(Bassoon)、仏語ではバソン(Basson)。バロック・ファゴットではA. L.ヴィヴァルディが教育用に協奏曲を37曲残している。18世紀前半頃は4鍵仕様。B♭1管モダン・コンサート・ファゴットは1843年(1830年?確認中)にドイツのファゴット奏者カール・アルメンデーラー(Carl Almenräder)とヨハン・アダム・ヘッケル(Johann Adam Heckel)が開発。 交響楽団では一般に2本用意され、更に管長6000㎜にもなるオクターヴ下のA0管コントラファゴット(ダブル・バスーンDouble Bassoon)が加わることもある。

 J. M. オトテールはまたフランス・コンサート・オーボエの開発者としても知られる。仏語のオブワHautboisは「高い森」の意とのこと。 木またはエボナイト製で、かつてはボックスウッドやローズウッドが使用されたが、後にアフリカ産エボニーが主流になる。

 オーボエもシャリュモーが発展したもので、シャリュモーは12世紀頃スペインの農民が使っていたカラミヨ(Caramillo)の改良型という。17世紀前半頃の西欧の通説では「人類が最初に作った楽器」とされていたようだが、起源はトルコの軍楽隊で使われていた円錐管状吹奏楽器ズルナ(Zurna, スールネイ, スールナ, ズマラ, ムズマル)で、中世にヨーロッパへ伝わり各地で使われている。ズルナは現在でもアラビヤ民謡で利用。

 シャリュモーの名称は仏語で、他にラテン語でカラムス(Calamus)、西語でチリミータ(Chirimita)、ドゥルサイナ(Dulzaina)、アラビア語でサラーミーヤ(salamiya)、独語でシャルマイ(Schalmei)、英語でショーム(Shawm)。葡語ではチャルメラ(Charamela)と呼ばれ、日本では屋台の呼び笛として知られた名前だが、この場合楽器そのものは中国から伝えられた哨吶(Suǒnà, Sōna, 唢吶, 哨[口奈], keina瑣[口奈])を指す。 哨吶も元は軍楽用で7孔。首尾は銅製、管は木製。明の王圻(Ōki)による『三才圖會(三才図会Sansaizue)』が成立した万暦三十五(1607)年には既に起源不明で民間でも使用されるようになっていた。

 日本における複簧楽器は哨吶と大和雅楽で使われる篳篥のみだったとみられ、篳篥も7世紀の大和朝第33代推古(Suiko)帝豊御食炊屋姫(Tyomikekashikiyahime)期に大唐から伝来した物でクチャ発祥と言われている。トルコ軍楽ではメイ(Mey)が、他にアルメニア・ドゥードゥーク(դուդուկ, Duduk, ドゥドゥク)、イラン・バーラーバーン(Balaban)が篳篥と同系統の楽器となる。小篳篥は円筒型のF#4管で材質は煤竹製管体に桜製外装、廉価版は籐製外装や樹脂製。内側は乾くと硬くなる粘土の粉を漆で溶いた砥粉(To-no-ko)でコーティングしてある。蘆舌は高槻(Takatsuki)の淀川(Yodo-gawa)右岸鵜殿産の葦が最適とされ、黴や雑菌から守るため煎茶に浸す。

 龍笛も煤竹製管体に籐または樺製外装を施しており、頭部には鉛製の棒が内蔵されている。これは質量を増やすことで音量を増大させる工夫で、コンサート・フルートが金属管になったのと発想は似ているが、頭部の一部にのみ仕込むことで楽器保持のバランスもよくなるという効果も生まれている。なお外装に音質的な影響は無く、孔が均等に配置されているのは外見を美しく見せるため。よって音程は奏者自身で調節する。孔は指の腹で押さえる。左手親指は管体を口元へ押し付けて固定させる役割を持つ一方、小指は押孔しないが、マワスとよばれる音孔を少しずつ開いて音を滑らかに上げる特殊奏法に対応するため下方から支えることはしない点で能管とは違うとのこと。篳篥で頻繁に行われる塩梅(An'bai)と呼ばれるポルタメント奏法は龍笛では行われないが、機能的には可能となっている。

 なお小篳篥の同属楽器に大型の大篳篥がかつて存在していたようだが、現代には伝わっておらず復元楽器が現代音楽で使用されているのみ。4度下と言われているが詳細不明。9世紀半ばの楽制改革時に廃止されたと考えられている。雅楽尺八や排簫もこの頃までに廃されているが理由は不明。音量不足や難易度の問題、音色の不調和、楽器は伝わったものの演奏技術を持った人はいなかったといった説が唱えられているようだ。排簫は大和雅楽の中での役割も未詳で、正倉院でも各管バラバラの状態でみつかっている。また雅楽尺八に関しては楽器や口腔ではなく気管から肺を響かせるような吹き方では遠達性はよく音量不足とは言えないとの指摘もある。玄宗が安祿山の乱の起きた855年に雅楽・清楽・燕楽に纏めていた事や9世紀半ばの唐は混乱期に入っており遣唐使も途絶えがちで、技術伝承・伝播に難があったことが楽制改革と関わっていた可能性は考えられるが詳細不明。また横笛(Ōteki)と呼ばれる楽器も存在していたようだが、「王の敵」と読みが重なることから忌み嫌われ、「よおじょう(Yo'ojō)」と読み替えられて使用された。

 ヨーロッパでもオーボエは「野外の楽器」という位置付けで軍楽の中心的存在として野外パレードや式典で使われたことから 「オーボエ奏者」を指す仏語「オブワステン(Hoboisten)」は「歩兵軍楽隊」の意味を持つようになる。 18世紀半ばのD管で6孔3鍵仕様。下等な楽器と看倣され守備隊の伝令と朝のパレード以外に使用出来なかった都市もあったようだが、 18世紀にクリストフ・ヴィリバルト・フォン・グルック(Christoph Willibald von Gluck)が「オルフェオとエウリティーチェ(Orfeo ed Euridice)」に使用した頃から交響楽団にも導入されており、ソプラノ・ヴィオロンと対等の数を持つ楽団もあったという。少なかったウィーンでもソプラノ・ヴィオロン16挺に対してオーボエ6本という時期があったようだ。 現代では通常2~3本配置される。ジャズ音楽では使用されないが、これはリズムや速度への即応性に欠ける為との指摘がある。交響楽団では楽曲によって3本目に5度下のテノール・オーボエに相当するG管コーラングレ(Cor anglais, コールアングレ)が加わることがある。

 コーラングレは17世紀末に開発された管長約1000㎜の複簧楽器で別名イングリッシュ・ホルン(English Horn)とも呼ばれるがイギリスとの関係は無く、仏語で「角を持つ笛」を意味するコラングレ(Cor anglet)が 「英国風」を意味する「アングレ(anglais)」に誤解されたのが発端らしい。開発初期は「く」の字になった屈曲管だったことからこの名が付いた。交響楽団では1830年にL.H.ベルリオーズが幻想交響曲 作品14a (「ある芸術家の生涯の出来事、5部の幻想的交響曲」Épisode de la vie d’un artiste, symphonie fantastique en cinq parties, Symphonie fantastique) に使用した頃から重要な役割を持つようになり、オーストリア帝国(Kaisertum Österreich)ミュールハウゼン・アン・デア・モルダウ(Mühlhausen an der Moldau, 現チェコ共和国Česká republikaネラホゼヴェスNelahozeves)出身の作曲家&ソプラノ及びアルト・ヴィオロン奏者アントニン・ドヴォルザーク(アントニーン・レオポルト・ドゥヴォジャークAntonín Leoport Dvořák)も交響曲第9番 ホ短調 作品95「新世界」(Symphony No. 9, in E Minor "From the New World" (Op. 95))の第2楽章で用いている。

 その他の亜種としては 真鍮製朝顔のF管テノール楽器オーボエ・ダ・カッチャが存在。「狩のオーボエ」という意味で、J. S. バッハのヨハネ受難曲BWV245「我が心よ、溶けて涙の濁流となれ」等で使用されている。また短3度下で球状朝顔のA管アルト楽器オーボエ・ダモーレもJ. S. バッハの待降節用カンタータ36番「愛は柔らかな足取りで」で使用される他、多くの楽曲がある。

Electric Bass Guitar
       4単弦の低音撥弦電子楽器。U.J.ロートがギター属で最初に手にした楽器。当初はギターの弦の多さが難しそうに思えたので4単弦の楽器を選んだとのこと。スコーピオンズ時代から新作に最近の『METAMORPHOSIS』や『UNDER A DARK SKY』にいたるまで録音において自らベースを弾くことがあるがどういった楽器を所有しているのか全く情報なし。

Hopf Electric Guitar
       詳細不明。U.J.ロートが手にした初めてのエレクトリック・ギターでベースからの乗り換えだった関係からか4単弦仕様。6単弦ギターに弦を4本しか張らなかったのか、元から4単弦のエレクトリック・テノールー・ギターだったのかは現在調査中。数ヵ月後にちょっとしたアクシデントから破壊されてしまう。ギターもルネサンスの頃は4コース7弦仕様が使われており、現在でもウクレレやイギリス・ギター、バンジョー、クアトロ、テノール・ギターなど4単弦、4複弦の有棹撥弦楽器は各地で使われている。詳細は「Sky VI」参照。

Framus Electric Guitar


左は贈答品。
中央がFramusか?
右は不明。
       ホープフ製ギターが破壊されたため父より贈られた2本目で6単弦ギターとしては初めての物。71年にストラトキャスター(ブラウンバースト・フィニッシュのものか?)を入手するまでのメインギターだった。ブルー・インフィニティ在籍時はもう1本別のギターも使用していたようだが詳細確認中。

Fender Stratocaster
       72年型の黒い物。日本のギター誌が企画した対談でY.J.マルムスティーンがU.J.ロート宅を訪れた際に誕生日プレゼントとして贈った。2001年現在まだ手元にある。

Fender Stratocaster 1975; "White Star"
       72年型の白い物で現在も所有している。詳細は「Sky 序」参照。
Fender Stratocaster 1979
       72年型の黒い物で現在は所有していない。詳細は「Sky 序」参照。
Gibson Firebird Ⅲ
      
I III V VII
棹材 9層 Mahogany/Walnut neck through
指板 Rosewood Ebony
弦長 24.75" (628.65㎜)
柱数 22
上駒幅 1 11/16" (42.8625㎜)
把位象嵌 円形 台形 方形
指板装飾 単層 Cream Binding 単層 White Binding
鍍金 Nickel Gold
下駒種 Lightning Bar Bridge ABR-1 & Maestro Tailpiece
糸巻 Back-gear type Banjo Tuners
PU Front Mini-humbucking pickup
Center Mini-humbucking
Rear Mini-humbucking
Controls Volume
Tone
 U.J.ロートの歴代所有楽器中唯一のギブソン製ギター。SGモデルの好評を受けた戦略的新製品として開発、1963年夏に発表された機種だがその後一度製造中止となる。1976年に復刻しているが、オリジナルはクルーソン製バック・ギア型糸巻採用でスルーネック構造、76年復刻版はギター用サイド・ギア型糸巻でセットネック構造という違いがある。セットネックに変更された理由はスルーネックだとネックが反った際の修正が困難を極めるためとのこと。一木造としていた記事もあるが、両側に木部を足した形で響胴が成っている。当時スルーネックという概念自体が新しかったようだ。この他 自動車デザイナーのレイ・ディートリヒによるリバース・ボディと呼ばれる一般的なギターとは左右の形状が逆になった意匠設計や ミニ・ハムバッカー等も注目された。

 なお復刻版はカスタム・ショップ(Custom-shop)製として1990年に限定発売された他、1998年以降ヒストリック・コレクション(Historic Collection)のデザイナー・シリーズ(Designer Series)としても存在しているが、鍍金やギア比、ストラップ・ピンの数、塗装法、サドル等にオリジナルと違う点、同じ点が混在しており全く同じではないようだ。

 U.J.ロートが所有していた物は1973年に当時在籍していたバンド、スコーピオンズ(SCORPIONS)のリズム・ギター奏者ルドルフ・シェンカー(Rudolf Schenker)から購入した物で、元々は弟のM.シェンカー所有だったという。ストラトキャスターより均等で歌うようなトーンが出せ、リード・プレイが弾きやすいことが気に入っていたが、スコーピオンズ向けの楽曲を書くようになるとストラトキャスターがメインとなり、1976年を最後に使用しなくなったと語っている。その後はZ.ロートが使用したこともあったようだが、現在は全く使用されていない。録音ではアルバム『FLY TO THE RAINBOW』で「This is my song」を始め、アームを使用する「Speedy's coming」と「Drifting Sun」を除いた大半の楽曲のリード・パートに使用。

 この使用時期からすると所有していたのはオリジナル版ということになる。なおU. J.ロートが影響を受けたギター奏者として名前を挙げているE.クラプトンは1960年代後半~1975年頃にかけてファイアバードⅠを、E.ウィンターの兄ジョニー・ウィンター(ジョン・ドウソン・ウィンター3世John Dawson "Johnny" Winter III)は白のファイアバードⅤ等を使用していたことが知られている。Ⅰ~ⅦのうちⅠ・Ⅲ・Ⅴ・Ⅶの4種類が市販されているが、ドット・インレイに2PU仕様なところからU. J.ロートの所有機はⅢと考えられる。ただしトレモロ装置は除去しており、リアもシングルに交換されている。

Gibson Robot LP Studio Ltd.
       Ch.アダムス開発のトゥロニカル・パワー・チューンを搭載し2007年にギブソン社から発表された レスポール。『UNDER A DARK SKY』で3つのスローなソロやパワー・コードの一部に使用したとのことだが、本人所有の物かは確認中。 なおトゥロニカル・パワー・チューンについては「Sky 序」参照のこと。

Fly to the Rainbowのストラトキャスター?
        70年代後半に護板、響胴、指板、ヘッドが全て黒のストラトキャスターを使用しており、また響胴及び指板が黒ながら白の護板、メイプル色のヘッドのストラトキャスターを使っていた形跡もあるが、これらが他の所有ギターと同一物なのか別個に所有していたものなのか詳細は不明。2001年現在「Fly to the Rainbow」で使用したストラトキャスターをまだ手元に残していると発言していることや、同曲に使用したストラトが黒だったという雑誌記事などからこれが該当する可能性もある。 1971年に初めてストラトキャスターを手に入れたことや同曲が1974年に録音されたことを考えると、U.J.ロートにとって最初のストラトキャスターであるという可能性もあるが、一方でブラウン・バーストのストラトキャスターもドーン・ロード時代に使用しており詳細確認中。なお「Fly to the Rainbowのストラトキャスター」は『BEYOND THE ASTRAL SKIES』の「Return」でも使用された。

詳細不明のギター2
       ギター奏者及びギター収集家としても知られるハリウッド俳優のスティーヴン・セガール(Steven Seagal)から誕生日プレゼントに贈られたギター。どのような経緯で両者が接触したのか詳細は不明。2001年現在まだ手元にあるとのこと。

Fender Stratocaster 1968; Black Beauty
 
Black Beauty
 J.ヘンドリクス本人が1968年以降メインで死の直前まで使用していた遺品で、当時恋人だったモーニカ・ダンネマン(Monika Danneman)の所有。彼女の死後はU.J.ロートの管理下にある模様。棹は貼りメイプル指板仕様。弦は0.009(0.2286㎜)~0.038吋(0.9652㎜)。テンション・スプリングは5本。トラス・ロッド調整用の穴が護板に開けられている点以外購入時より改造はされていないが、左用として使うためストラップピンの位置変更、糸枕の交換、1列目サドル部のバネ除去及びネジ交換が行われている。ネックプレート部のシリアル番号は222625。この頃のフェンダー社はCBSに買収されていた時代で、経費圧縮を狙ってPUのマグネット・ワイヤーは特売品を仕入れており、コーティングやゲージが不適切な物だったと社内にいた人物からも指摘されている。

 J. ヘンドリクスは左手で押弦し右手で弾弦する所謂「右利き用」ギターを左右逆に構えて右手押弦・左手弾弦を行っていた。ただし本来は右利きだったとの説もあり経緯は不明。弦は左用に合わせて張り替えていたことから、弦の巻き方・張力の状態やPUの音の拾い方も微妙に異なり、それが彼独特の音色の由来と考える者は右利き奏者でも敢えて左利き用ギターの弦を張り替えて逆に構えるという方法をとるようになった。商品としても最初から右利き仕様にした左利き用外見のギターという物も稀に生産されている。

 この他にも弦を張り替えずに右利き用ギターをそのまま左利き用として逆に使用する方法が中南米やロマ等で多く利用されている。絵画では19世紀に明らかに逆に構えたものが確認されるが、それ以前の物は確認中。版本に関しては印刷の際に原画と逆になることから外見上左構えに見えているだけということがあり断定がしにくい。中国三弦でも同様に逆構えの版画が見られる。

 楽器本来の仕様と逆の構え方の場合奏法上の工夫が必要になるが、数として多い右利き用の楽器を改修なしに使えるという利点がある。ギター以外でも既述の通りコルネットやホルンには活栓の位置が左側のもの、右側のもの両仕様が存在していた。トランペットにも活塞や鍵が右側の物と左側の物が存在しており、記述の通り地域によっても傾向が違った。ハープでも逆に構える方法を許容する教育者がいたが、詳細は「Sky VI」参照。 他、バロック・オーボエでは小指の鍵が蝶児形で左右どちらの指でも押せるようになっている仕様が、ルネサンス・リコーダーでも同様に両手対応になった仕様が、ピアノでは逆配列の鍵盤があるとのことで確認中。現在左利き用が少ないのは利き腕の絶対数として右利きが多いことの他に軍楽や交響楽団の発達期に統一性が重んじられ、また大人数の合奏での配置や量産の便宜等もあったとみられるが詳細調査中。

 ただし、楽器の演奏姿勢に関しては単に利き腕の問題だけとも言い切れないようで、ホルンに関しては記述の通り朝顔の位置を他の管楽器と統一するという目的や、ホルンとトランペットの持ち替えを容易にするために活塞の位置が2種類存在したという事情もあり、トランペットは元々右手だけで演奏し、後から鍵や活塞が搭載されて左手を使用する必要が生じたという背景もある。現代でも既述のF.ズィーレ製ピッコロ・ホルンではドレスデンのトランペット奏者ルートヴィヒ・ギュトラー(Ludwig Güttler)と共同開発したコルノ・ダ・カッチャ(Corno da caccia)のトランペット奏者向け右手活塞仕様がB♭2管、A2管、C3管、B♭2&A2双管仕様等で存在しており、J. S. バッハの「ロ短調ミサ」等通常ホルン奏者がディスカント・ホルンで吹いているパートで使用する試みが行われているという。

 またインド・バンスリー等民俗芸能では師匠と弟子が鏡写しに逆の構え方をすることで左右交互に伝承していくという方式も存在しているようだ。これは定着した制度だけでなく対称性を理解出来ない幼児が他人の行為を真似たつもりで自然に起こる場合もある。能楽の舞方ではこの現象を防ぐために鏡を使用した練習には否定的な見解がある。他に鏡像の表面的な姿形だけを真似ても流れを伴った身体の内的な真髄は伝わらないという価値観も建前として持っているようだ。一方バレエその他西欧の多くの舞踊や楽器の訓練では正しい姿勢を確認する為に鏡が頻用されており、文化や楽種によって様々な価値観が存在している。

 なお製造年を1969年とする記事もあり現在確認中。1968年製と1969年製のシリアルナンバーは共に2から始まる6桁の数字となっている。またU.J.ロート所有の「Hendrix」と名付けられたストラトキャスターが弟ジィーノのアルバム録音に使用されていることが判明しているものの、それが当ギターに当たるのかどうか確証が得らるだけの情報が無いため調査中。もし当機であれば長年保たれていたJ.ヘンドリクス逝去当時の状態が変更された可能性が非常に高くなるが、少なくとも1993年まではそのままの状態で保存されていることが雑誌取材により確認できるので変更はそれ以降のこととなる。

Musicman Steve Morse Signature Model
      
Musicman
 22f6単弦。ディープ・パープルのギター奏者スティーヴ・モーズ(Steven J. Morse)所有のミュージックマン製シグナチュアモデルでU.J.ロート所有ではない。同バンドの鍵盤奏者であるドン・エイリー(Don Airey)と親友なことから、 コンサート時に楽屋を訪ねていた際、アンコール演奏に呼ばれて急遽貸してもらった。2度機会があったがいずれも同じ物を使用したとのこと。 詳細な仕様は調査中だが一般販売品は胴材がポプラ(Poplar)、棹はメイプルにローズウッド指板。コントロールはボリューム及びトーン、3点レヴァースイッチ&2点トグルスイッチ。

 ポプラと言えば通常西洋箱柳(Seiyō-Hakoyanagi, Lombardy Poplar)を指すが、 ヤナギ科ハコヤナギ属の総称として北米産のコットンウッド(Cottonwood, イースタン・ポプラEastern Poplar、カロリナ・ポプラ)やアスペン(Aspen, White Poplar, Canadian Poplar )、アメリカヤマナラシ、日本産の箱柳(Hako-Yanagi, 山鳴Yama-Narashi)や白楊(Doro-no-Ki, Hakuyō, Dero, 銀泥Gin-Doro)、朝鮮山鳴(Chōsen-Yamanarashi)等を指す事もある。ここでのポプラがどれかは不明だが、一般的に軽量軟質で耐朽性は低く、通常はマッチの軸木、包装材、家具、玩具、合板、割箸などに使われる。

※デスティニーを聴くことの出来る音源
 Uli Jon Roth 『TRANSCENDENTAL SKY GUITAR』(2000年、日本クラウン)主にVol.2
 Uli Jon Roth 『LEGENDS OF ROCK LIVE AT CASTLE DONIGTON』(2002年、日本クラウン) #1、#10以外
 Uli Jon Roth 『THE BEST OF ULI JON ROTH』(2006年、SPV) CD2-#1~3, #5
 Uli Jon Roth 『THE BEST OF ULI JON ROTH』(2007年、Marquee) CD2--#6, #8


※デスティニーを視聴可能な映像
 Uli Jon Roth 『THE SPIRITt OF JIMI HENDRIX LIVE IN CONCERT』(1994年、徳間ジャパン)
 Uli Jon Roth 『LEGENDS OF ROCK LIVE AT CASTLE DONIGTON』(2002年、日本クラウン) #1、#10以外
 公式サイトのVideo Archiveで視聴可能な映像(無料)
 Uli Jon Roth 『LEGENDS OF ROCK LIVE AT CASTLE DONIGTON』(2002年、日本クラウン) 「Rock Bottom」、「Fireworks Jam
Sky Guitarの仕様比較表
Dolphin Purple Emperor Millennia Millennia Mighty Wing Destiny
音域 6単弦 7単弦
半音27f+全音4f
(半音35f相当)
半音27f+全音1f+無柱
(半音40f相当)
半音27f+全音5f
(半音37f相当)
半音27f+全音4f
(半音35f相当)
胴材 Ash? Alder? Alder Mahogany Mahogany?
指板材 メイプル エボニー メイプル
PU Mega Wing Fender製シングル Mega Wing ─── Mega Wing
Mega Wing Mega Wing ─── Mega Wing
Mega Wing DiMarzio X2N Mega Wing
コントロール Vo, Treble-EQ, Mid-EQ, Gain, Balancer, 3Setting PU Selecter Vo, Tone×2, シングル/ハム切り替えボタン、5 Setting PU Selecter Vo, Mid-EQ, Gain, Balancer, 5 Setteing PU Selecter Vo, Treble-EQ, Mid-EQ, Bass-EQ?, Gain, Balancer, 5 Setting PU Selecter Vo, Treble-EQ, Mid-EQ, Gain, Balancer, 5 Setting PU Selecter
接続位置 23f 27f 23f
接続法 セットネック
完成年 1983 1985 1986 2005 1989 1991

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