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Emperor Ver.3 |
【SKYⅢ; Emperor】
32f6単弦(E2~F7)。凹槽指板加工及び27fより高域の全音間隔*8フレットを導入した初めてのスカイギターと考えられていたが、パープルを改良する過程で既にスカラップや数列のみの部分的な全音フレット導入、続けて全列に亘る全音フレット導入を順次行っていた可能性があることから現在調査中。エンペラーの場合厳密にはミドルの出力維持との関係上1~3列目のみ32fで4~6列目は28f。1985年2月頃には1fより低音側にフレットを増やしたバリトンギターとしての3号機開発の途上にあることを明らかにしていたが、翌1986年に完成した当機にそういった仕様は見られない。これは7単弦仕様に方針を転換したことが理由。開発開始から1年以上経過していることから、開発中断があったか、様々な試作が行われた末の変更乃至仕様の最終決定段階で変更し高域の操作性改良機のみを先行投入したとみられる。だが、最初に7列目追加のアイデアが出てきたのは1986年か87年頃と本人も曖昧なため詳細な経過は不明。完成後は1990年までU.J.ロートのメインギターとして公開演奏でも使用された。
ドルフィン、パープル同様のS-S-H仕様。完成当初の搭載PUは不明だが、ドルフィンやパープルを念頭に置けばダンカンもしくはディマジオ製ではないかと推測される。1989年にはアクティヴPUのリフレックス(Reflex)が導入されている。棹及び指板はメイプルのセットネック構造で低音側19f高音側22f接続。指板は非常に薄くて季節ごとの調整が必要なほど。胴材はH.エンゲルケによればアッシュではないかとのことだが、エンペラーを基にしているという6単弦ミレニアムの仕様からすればアルダー(Alder)ということになる。アルダーは欧州でその昔聖樹として崇拝されていたそうだが、楽器の使用材としての理由は神聖さではなく柔軟故加工性が良いことや乾燥が速く安定性も高いことが理由とみられる。ただし木材としての保存性は悪い。1956年以降ストラトキャスターの響胴に使用されてソリッド・ギターの中でも知られているが、通常は家具やドア、彫刻に用いられる。日本産には榛の木(Han no ki, Japanese Alder)が存在するが、こちらはやや堅く加工性・乾燥性は欧州産ほど高くないとのこと。建築材や鉛筆、薪炭に使われる。
白の護板は合成樹脂製。アーム使用による調弦の狂いを抑える為弦蔵側のテンション・スプリングに加え響胴底部側にもカウンター・スプリングが導入されている。これはA.ディミトゥリーウの発案でハノーファー(Hannover)にあるロッキンガー社(Rockinger)製作。制禦系は詳細不明だが、前2本からすればボリューム、トーン、セレクターだった可能性が高い。
また、表面塗装の過渡期でもあり、初期版は前2本同様のはっきりとしたラインの渦だが、その後ぼかしが入るようになり、以降の機種に継承される。当初3本目は響胴の彩色を赤にするという案もあった。なお、PU直上にフレットがある場合、それよりやや低い音域までしか音を拾えないため、24f以降の音に対してフロントは機能せず、これらの領域で演奏する場合はリアが使われる。
ギターの名称は「皇帝(Kōtei)」を意味する英語だが、その由来及び命名時期は不明。雑誌記事の本人発言では1998年5月に初出、補足記事からは1993年12月以前に命名されていることが分かる。それ以前は「スカイ・スリー(Sky III)」の表記のみ登場。弦蔵裏にも「Sky III」とサインが入っている。
―Ver.2―
1990年に完成したメガウィングシステム(詳細は「Sky IV」参照)を搭載し、同年9月21日にブリュッセルで行われたジミ・ヘンドリクス・ショウで初披露している。この時の制禦系はボリューム、トーン、セレクターだが、マイティ・ウィングの初期は3ノブだった可能性があるため、エンペラーも3点及びセレクターの可能性がある。
【Scalloped Fingerboard; 凹槽指板】
たまに「スキャロップはリッチー・ブラックモアが発明した」と言われることがありますが、違います。U.J.ロートが凹槽指板(Ōsō-shiban, スカラップ, スキャロップScalloped fingerboard)を採用したのはR.ブラックモアの写真を見たところからだそうですが、その効果は「少し音がよくなるような気がする」といった曖昧なものです。
凹槽指板がいつ頃生まれたのかは調査中ですが、L.パノルモ製ギターやラコート製ギターに凹槽指板仕様があることから19世紀前半には既に存在していたようです。確認できた中ではこのラコートが今のところ最古ですが、少なくとも可動式ガット製フレットから平均律の固定式金属製フレットに移行してからでないと使えない技術なのでそれほど古くはないと思います。但しこれはギターという楽器の範疇で言えることです。
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A. Demetriou Sky guitar Mighty Wing |
Fender Custom Shop Stratocaster Yngwie signature |
H. Hauser I Luteguitar |
有棹撥弦楽器全般に範囲を拡大すると、リュート・ギター(Lute Guitar)と呼ばれる
洋梨型響胴の6単弦~12単弦の撥弦楽器にも凹槽指板が存在しており、A.セゴヴィアのモダン・スペイン・ギターを製作したことで知られるハウザー1世(ヘルマン・ハウザーHermann Hauser)製作のリュート・ギターが残されています。古楽復興やドイツ民族主義運動の影響を受けて20世紀初頭に誕生した楽器ですが、設計思想上は18世紀マンドーラ(Mandola)と呼ばれる、マンドリン属の中低音楽器とは別種の撥弦楽器の系統を受け継いでいます。
| A2 | | C3 | D3 | E3 | | G3 | A3 | | C4 | D4 | E4 | F4 | G4 | A4 |
17c. Citern |
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| | ③ | ⑥ | ④ | ⑤ | ② |
① |
18c. Citern |
| | ⑥ ⑥ | | ⑤ ⑤ | | ④ ④ |
| | ③ ③ | | ② ② | | ① ① | |
18c. Citern |
⑥ ⑥ | | | ④ ④ | | |
③ ③ | | | ① ① | | |
他にシターン(Cittern)というドイツ方面発祥の楽器にもスカラップが存在し、こちらは17世紀頃から既に鉄(Ferrum, Iron)や真鍮(Brass)を使った金属弦や真鍮製の固定式金属フレットが使われていたようです。シターンには様々な仕様があり16~17世紀のシターンは撥捩奏法がとられたようですが、18世紀以降はスコットランドに始まりイングランドでも流行したのでイングリッシュ・ギターという名前を持つ他、Guittarという綴りやシスター(Cister)という名前も使われたとのことです。この18世紀シターンでは指頭奏法がとられました。
4複弦アイルランド・ブズーキ(アイリッシュ・ブズーキIrish Bouzouki)や既述の6複弦ポルトガル・ギターもシターンの影響のようです。
イギリス・ギターの作曲家としてはジョヴァンニ・バティスタ・マレッラ(Giovannni Battista Marella)、ジェイムズ・オズワルド(James Oswald)、フェリーチェ・デ・ジャルディーニ(Felice de Giardini)、ロベール・プレンネル(Robert Bremner)、「ヴァイオリン用伴奏を伴ったギターのためのソナタ」を作曲、また史上初めてピアノ独奏での公開演奏会を行なったとされるJ. S. バッハの息子ヨハン・クリスティアン・バッハ(Johann Christian Bach)やJ. S. バッハの弟子でラウテ奏者のルドルフ・シュトラウベ(Rudolph Straube)、アレッサンドロ・スカルラッティ(Alessandro Scarlatti)やカルロ・アンブロジオ・ロナーティ、アルカンジェロ・コレッリ(Arcangelo Corelli)の弟子で『ギターまたはチットラ奏法論(The Art of Playing the Guittar or Cittra)』も記しているルッカ(Lucca)出身のヴァイオリン奏者・作曲家フランチェスコ・ジェミニアーニ(Francesco Geminiani)、歌劇作曲家・指揮者トマソ・ジョルダーニ(Tommaso Giordani)等が知られ、独奏の他歌曲伴奏曲、ヴァイオリンやチェンバロとの合奏曲が作曲されています。しかし18世紀に流行した後19世紀にF.ソルが6単弦ギターを使った演奏会をロンドンで行い評価を得て以降衰退したようです。
またポルトガルでは1946年にリスボン(Lisboa, Lisbon)出身のホセ・デュアルテ・コスタ(José Duarte Costa)がモダン・スペイン・ギターによる演奏会を行って以降広まり、1950年代頃からポルトガル・ギターは衰退していったとのことです。
玉葱形は古くはドイツやイタリア等で使われていた形状のようで、1650年にローマで出版されたドイツの神学・音楽学者でイエズス会派神父アタナシウス・キルヒャー(Athanasius Kircher)による『世界の楽器(Musurgia Universalis)』ではD4D4-C4C4-G3G3-A3A3という調弦と共に玉葱形5複弦ギターがツィタラ・ゲルマニカ&イタリカ(Cythara Germanica et Italica)と紹介されています。ただしシターンでは玉葱形以外にも様々な形状が存在しています。18世紀ギターンも玉葱形で、調弦は3度を含む4度調弦の4コース7弦だったようです。
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Irish Bouzouki |
Cythara Germanica |
スカラップは語源的には帆立貝(Scallop)に由来しており、服飾や家具の装飾に関する用語として広く用いられ、ギターだけをとっても上駒や力木(Chikaragi, Bass Bar)の構造、 下駒の辺縁や指板の装飾などフレット間に限らずいたるところに「スカラップ」 と称される技術が存在します。
指板の場合、本来は押弦の際に指先の表面が平坦な指板に触れて圧力が逃げるのを防ぐことで効率的に弦がフレットに当たるよう工夫されたものです。つまり 少ない力で弦を押さえることができる、結果弦高をギリギリまで下げることができるようになる・・・とのことのようですが、他にも撥捩奏法の場合延長された指板に当たってノイズが出ないようにするためといった理由もあったようです。
1930年代にアメリカへ渡ったヴェトナム移民が、現地で手に入れたギターを使って民族音楽を演奏しようと
試みたところから生まれたダン・ギター(Ðàn Ghi-ta Việt-Nam)
は、押弦の強弱を目的として凹槽指板を採用している他、
J.マクラフリンもインドのヒンドスタン・シタール(सितार, Sitār)で使われる押弦の強弱による表現を模倣するために開発したシャクティ・ギター(Shakti guitar)と呼ばれる凹槽指板仕様共鳴弦付きの楽器を利用したことがありますが、友人に貸している間に内部が故障したことから現在は壁に懸けて飾ってあるとの事です。
またこの技術はフォーク系のスチール弦ギターにも継承され、指板の一部だけをスカラップにするハーフ・スカラップ(Half Scalloped)といった工夫も生まれています。
R.ブラックモア自身は10代の頃、たまたま手にとったクラシック・ギターがスカラップ加工で弾きやすかったことが理由で採用したようです。
それがスペイン・ギターだったのかシターンの一種あるいはリュート・ギターの類だったのかは不明です。ヘヴィ・メタル音楽ではその後R.ブラックモアの影響を受けたY.J.マルムスティーンがフェンダー製ストラトキャスターに採用したことでロック・ギターの間でも定着したようです。
なお本体そのものが帆立貝状の楽器としては、体鳴楽器カスタネット(Castanet)があります。形状からかつては本物の貝殻を使っていたのではないか?故に海岸に近い民族が発明した、海の民と呼ばれたフェニキア人が発明した等といった話がありますが、起源は未詳です。
語源的にはラテン語で「栗の実」を意味するカスタネア(Castanea)からきており、文字通り栗(チェスナットChestnut)が使われた他、稀に象牙製もあったそうです。
現在ではチェスナットの他に柘植(ツゲ, ボックスウッドBoxwood)やウォルナット、ローズウッドやエボニーといった硬質の木材が使用されます。
教育用では2枚の板をゴム紐で繋ぎ1個で使用しますが、アンダルシーア地方ではカスタニュエラと呼ばれ
中世よりフラメンコ音楽等で2個1組として使用、右手は小型の高音楽器、左手は大型の低音楽器となっており、雌雄の関係を象徴しています。
奏法は教育用のように手のひらで挟むようには打たず、4本の指をわずかにずらしながら連打します。
この地域性から19~20世紀のクラシック音楽ではスペイン風を意図する際に使用され、
П. И. チャイコフスキー作曲のバレエ組曲『白鳥の湖』の「スペインの踊り」、Н. А.リムスキー=コルサコフ作曲の「スペイン綺想曲 作品34」、J. M.ラヴェル作曲の「スペイン狂詩曲」等の作品があります。現代ではリズムを安定させるため1対または3枚の打奏面を棒状の取っ手に取り付けたものが使用される場合もあります。
日本では平らにした竹片2枚1組を両手にそれぞれ持って打ち鳴らす四つ竹(Yotsu-dake)という楽器が存在しますが、
中国にも木製の拍板と呼ばれる楽器があり関連を確認中です。中国では3枚拍板が宋代には拍子をとるための重要な楽器となり、現代では演劇、葬式、大道芸に使用されているとのことです。また左3枚右2枚の5枚板から成る拍板が福建南曲で使用され、5枚拍板や2枚拍板は語り物では銅銭を挟む場合もあるとのことです。
この他演劇用の拍板は鼓板と呼ばれることがあるようです。梆という拍板もあるようですが詳細調査中です。
類似の楽器は古代エジプトや古代ギリシアにも存在したとのことで関連を確認中です。また仏教の読経や歌舞伎、大相撲、「火の用心」の呼びかけ等で使用される拍子木(クラッパーClapper)も同様の体鳴楽器ですが、こちらは左右1本ずつで形状は角柱が通常です。奏法は一方を固定させてもう一方を打ち下ろすものと、両方を真ん中で合わせるものがあります。
近畿地方の演芸で演出として頻繁に使用されるハリセン(Harisen)は1枚の紙から作られ単独で床や人間の頭部に叩き下ろして使用しますが、実際に物や人を傷つけるためというよりは動作の強調や効果音を目的としているので、その点では体鳴楽器の一種と言えるかも知れません。
ちなみにハリセンを作る際は折り目をきつくしないのがコツです。名称は音楽指導の際にテンポを示すため使用される張り扇が由来とみられますが詳細確認中です。直接的には講談で使用されていた張り扇を20世紀後半になって芸人グループのチャンバラトリオ(Chambara-trio)がTV向けに強調する目的で大型化した仕様が広まり現在まで伝わっているとのことです。
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―Ver.3―
H.エンゲルケがフェア・ウォーニング結成後、ライブでの演奏に際してパープルのサブギターを必要としていたことから、エンペラーのようなメイプル指板のスカイを作ってもらえないかと尋ねた時にエンペラーの7単弦仕様とも言えるデスティニー完成間近であったことや、当時はもう6コースギターを弾きたいと思わなくなっていたということもあり譲渡された。デスティニーの完成時期は1991年2月頃と推測されるため、譲渡時期は1990年9月22日~1991年1月末頃までの期間と思われる。ただし1991年4月下旬のベルギーでの小規模なツアーの際にサブでマイティ・ウィングと共に準備されていたギターがドルフィンである可能性が高いものの、塗装面からはエンペラーでないとまで断定できず確認中。仮にエンペラーであった場合、弦蔵の渦状銀河の装飾は後から追加されたことになる。
当初から主にソロパートでパープルと併用されていたが1994年から1997年にかけては彼のメインギターとして使用された。
この当時はテンション・スプリングが5本、カウンター・スプリングが2本だったが、これが譲渡前からのものか、譲渡後に変更があったのかは不明。PUはフロントとセンターがカスタム品で後に出力を高めるためリワイアリングを施している。リアはアクティヴPUが好みでなかったためダンカン製のJB(Jeff Beck)を搭載しており、その後エヴァンス、ディマジオ、シェクター等が試された。制禦系はボリュームとトーンの2点とセレクターになっている。
なお、1993年4月23日にリエージュ(Liège)で開催された「クラシックギター音楽祭(Classical Guitar Festival)」の一貫としてU.J.ロートがブリュッセル交響楽団(La Société Philharmonique de Bruxelles)及びナミュル室内合唱団(Le Chœur de Chambre de Namur)を含めた総勢90名からなるイベント「Symphonic Rock for Europe」を行っている。この時ギター伴奏としてH.エンゲルケも参加しており、現状確認される中では実演において複数のスカイギターが同時使用された唯一の公演となる。この他の同時使用の可能性としては1998年6月13日にイタリアのトリーノ(Torino)で開かれた音楽祭「モンスターズ・オブ・ロック(Monsters of Rock)」にジョー・サトリアーニ(Joe Satriani)、マイケル・シェンカー(Michael Schenker)と行った第4次G3ツアーの一貫として参加した際、同じく参加していたフェア・ウォーニング(FAIR WARNING)と共に行う予定があったメドレー演奏。実際に実現したかどうかは調査中。
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Emperor Ver.4 |
―Ver.4―
J.ヘンドリクスの曲を弾くには親指で6列目を押さえる必要があるという技術的な問題からU.J.ロートが返還を強く熱望、2001年1~2月頃U.J.ロートに再譲渡され現在は短2度(半音)下げ調弦*11で代替機というより主にJ.ヘンドリクスの楽曲のためのギターとして使用されることが多い。2007年頃からは他バンドの演奏会へのゲスト参加を中心に多くの演奏で使用されているが、これはマイティ・ウィングがトゥロニカル・パワー・チューン未搭載なため。楽器そのものは構造的に弾くのが難しいと語っている。
J.ヘンドリクス関連では特に「Little Wing」を演奏する際必ずといっていいほど使われる。エンペラーが手許に無かった1991~2000年にも7単弦ギターを使ってJ.ヘンドリクスの楽曲を演奏したことはあるが、後に「あれは悲惨だった」と語っている。6単弦のドルフィンは継続して所有しており、演奏会の際に準備されていたこともあったが、「あの手の楽曲を演奏するには向かない」とのことで使用されなかったようだ。ただしボブ・ディラン(ロバート・アレン・ズィマーマン"Bob Dylan" Robert Allen Zimmerman)が作曲した「All along the Watchtower」に関しては7単弦仕様でも比較的演奏される機会が多く、特に5号機デスティニー(後述)を好んで使用している。
押弦に親指を使用する手法は19世紀には既に行われており、ハンガリー王国(マジャールMagyar Királyság)プレシュポロク(Prešporok, Prešporek, 現スロヴァキア共和国Slovenská RepublikaブラティスラヴァBratislava)出身のギター奏者&作曲家ヨハン・カスパル・メルツ(Johann Kaspar Mertz)は『ギター教則本(Schule für die Guitare)』で言及しているとのこと。多弦ギターで浮遊弦が主弦に対して非平行に張られた仕様は親指での押弦を考慮した工夫。現代音楽では東京出身の武満 徹(Tōru Takemitsu)が1974年に作曲した「フォリオス(Folios)」に「with left thumb」と指定された部分があるようだが、運指自体は4本の指で不可能ではなく、指示の意味は確認中。この曲は
ギター奏者荘村清志(Kiyoshi Syōmura)が自身の演奏会向けに委嘱して作曲されたものでT.武満初のギター独奏曲として同年5月に完成、7月16日に初演された。無調的作品の失敗を怯れて調性の枠内に留まる作曲家への皮肉を含蓄しており、特にマリオ・カステルヌォーヴォ=テデスコ(Mario Castelnuovo-Tedesco)を批判しているという。各楽章に番号はついているが演奏順は自由とのこと。
またM. G.ジュリアーニやナポリ出身のチェロ&ギター奏者・作曲家フェルディナンド・カルッリ(フェルディナンド・マリア・メインラード・フランチェスコ・パスカーレ・ロサーリオ・カルッリFerdinando Maria Meinrado Francesco Pascale Rosario Carulli)等も教則本で言及、殊F. M.カルッリの場合押弦はJ.ヘンドリクス同様5列目にまで及んでいたようだ。
F. M.カルッリの教則本『Methode Complete pur Parvenir a Pincer de la Guitarre, par les Moyens les Pluis Faciles』は現在も使われているフィレンツェ出身のギター奏者マッテーオ・カルカッシ(Mateo Carcassi)の教則本作成に影響を与えた。ちなみにM.カルカッシはL.v.ベートーヴェンとも親交があり、ヴァイオリン奏者ルイ・シュポア(ルートヴィヒ・シュポーアLudwig "Louis" Spohr)等と共に戦争交響曲(交響曲「ウェリントンの勝利またはヴィットーリアの戦い」作品91Wellingtons Sieg oder Die Schlacht bei Vittoria, Op. 91)の初演に参加したらしい。この曲にギター・パートは無いので他の楽器もしくは演出上使用された銃砲役ということになるが、別の記事ではM. G.ジュリアーニが「交響曲第7番 イ長調 作品92(Sinfonie Nr.7 in A-Dur op. 92)」の初演に参加したとある。M. G.ジュリアーニはヴァイオリンやフルートの経験もあり、弦楽での参加だった、あるいは第1ヴァイオリンでの参加だった、ヴィオロンチェロでの参加だったとも、それほど重要でない楽器での参加だった、打楽器での参加だったとも言われ詳細確認中。
7番が初演されたのは「交響曲第8番 ヘ長調 作品93(Sinfonie Nr.8 in F-Dur, Op. 93)」と同じ1813年4月20日のルドルフ大公邸でのことだが非公開のもので、公開初演は
戦争交響曲と同じ1813年12月8日のウィーン大学における戦争傷病兵の為の慈善演奏会であることから情報が混同されている可能性もあり詳細確認中。
M.カルカッシもM. G.ジュリアーニもウィーンで活動したことがあったのは確かで、特にM. G.ジュリアーニは1806年以降ウィーンを本拠にしており、F. J.ハイドンやL.シュポアとの共演経験もある他、F. J.ハイドンやアントニオ・サリエリ(Antonio Salieri)、W.A.モーツァルトを師に持つプレシュポロク出身のピアノ奏者ヨハン・ネーポムク・フンメル(Johann Nepomuk Hummel)、ヴァイオリン奏者ヨーゼフ・マイゼーダー(Josef Mayseder)、ヴィオロンチェロ奏者ヨーゼフ・メルク(Josef Merk)と4人でしばしば共演を行っており、1818年にJ.N.フンメルが楽旅に出た後はフェリックス・メンデルスゾーン(ヤーコプ・ルードヴィヒ・フェリックス・メンデルスゾーン=バルトルディJacob Ludwig Felix Mendelssohn-Bartholdy)を教えた経験もあるプラハ(Praha)出身のピアノ奏者イグナツ・モシェレス(Ignaz Moscheles)が加わった後1821年に解散した。ただM. G.ジュリアーニは素行不良と経済上の問題からウィーン警察と摩擦を起こし、1819年には家財を没収されヴェネツィアへ逃亡、更にローマへ逃れているという情報もあることから事実関係を確認中。その後1823年には両シチリア王国(Regno delle Due Sicilie)に庇護を求め余生を送ったという。
なお「ギターは小さなオーケストラ」という表現が現代でも用いられるが、これは19世紀後半の演奏会評等でも既に用いられており、
早いものでは1862年10月29日付ブライトン・ガーディアン紙がJ.アルカスの演奏について使用しているようだ。それ以前では1834年2月16日付でフランスの詩人・劇作家・小説家ヴィクトル・マリ・ユゴー(Victor Marie Hugo, ヴィクトル・ユーゴー)がギター奏者トリニタリオ・ウエルタに宛てた手紙の中に見られるとのことで確認中。これらはスペイン・ギターを対象にしているが、いずれも今日の奏法とは区別されて大きな評価はされていない。また後者に関しては楽器の仕様も違っている。
起源としてはL. H.ベルリオーズが言った、L. v.ベートーヴェンが言った等と紹介されるが、典拠不明で確認中。幾つかの情報を総合すると、1808年にM. G.ジュリアーニの演奏を聴いたL. v.ベートーヴェンが評した言葉をL. H.ベルリオーズが聞いた、更にその話を知ったR. ヴァーグナーが「オーケストラは大きなギターだ」と言った・・・ということになるが、この頃L. v.ベートーヴェンは既に耳がかなり悪くなっていたので事実だとしても実際どの程度聞こえていたかは不明。またこの当時使用されていた楽器や奏法、楽曲は現在クラシック・ギターとして使われているモダン・スペイン・ギターとは異なる。1808年はM. G.ジュリアーニにとっては「ギター協奏曲第1番 イ長調 作品30」を初演し評価を得た年でもあるが、現代のモダン・スペイン・ギターでは殆どの奏者が第1楽章の技巧的展開部を省略して演奏しているとのこと。これは弦長や桿の太さの違いによって大型のモダン楽器では演奏し辛いことが原因と思われるが、モダン楽器で完全演奏を果たす奏者も僅かには存在している他、同時代の古楽器等を使用して対応するケースもあるようだ。オーケストラとの音量問題はギターが無い部分を全体で、ギターが入る部分を弦楽四重奏のみにするなど規模を変えて解決していたという。また当時の楽器は音質的にも弦楽と調和しやすい傾向がある。
M. G.ジュリアーニが他楽器奏者と交流が深かった背景にはヴァイオリンを弾けたということが影響していると思われるが、J. N. フンメル、J. マイゼーダー、J. メルク、I. モシェレス等は共にギターが弾けたとされるという共通点もある。J. N. フンメル
はL. v.ベートーヴェンの交響曲第7番初演時にフォーゲルスドルフ(Vogelsdorf)出身のピアノ奏者・歌劇作曲家ジャコモ・マイアーベーア(ヤーコプ・リープマン・ベーア"Giacomo Meyerbeer" Jacob Liebmann Beer)と共に太鼓(Drum)を、I. モシェレスはシンバル(Cymbals)を担当した。ドイツではハウスムジークと呼ばれる家庭音楽や室内楽で譜面に指定されていない打楽器を持ち込んで子供や楽器が弾けない人も合奏に参加するという習慣が17~19世紀頃にあり、そういった発想の影響も関連していると思われるが詳細確認中。
I. モシェレスはM. G.ジュリアーニと共にギターとピアノのための「大二重協奏曲(Gran Duo Concertant)」を作曲している他、後にロンドンへ移住してジェノヴァ出身のギター及びイングリッシュ・コンサーティーナ(English Concertina)&メロフォーン(Melophone)奏者・作曲家ジュリオ・レゴンディ(Giulio Regondi)とも共演している。
イングリッシュ・コンサーティーナは、高校物理にも登場する抵抗測定回路ホイートストーン・ブリッジの発案者として知られるイギリスの物理学者チャールズ・ホイートストーン(Charles Wheatstone)が1829年に開発し特許を取得した断続型自由気鳴楽器。リード・オルガンの一種で開発されて間もない鞴(ベローズBellows)によるボタン・アコーディオンを発展させた物で、同様に釦鍵(Button key)を使って
音階を調整、空気を送り込んで自由簧から音を出す。ハ長調音階の楽器で蘆舌は真鍮または鋼鉄(Steal)製。呼気でも排気でも同音が出る二重アクション構造をとっている。ジャーマン・コンサーティーナではこのような機能は備わっておらず、またボタン数が少なく2つの調性しか演奏できないが、アングロ=ジャーマン・コンサーティーナと呼ばれる半音階を可能にした仕様もあるとのこと。
呼排同音の二重アクション機能はアジア各国に多く、大和雅楽でも使用されている笙(Shau, Shyō, Shēng)にも備わっている。またハーモニカも二重アクションだが、吸排異音という点で吸排同音の笙とは異なる。
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上 |
凢 |
乞 |
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行 |
毛 |
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七 |
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比 |
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言 |
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也 |
八 |
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十 |
千 |
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一 |
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下 |
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美 |
工 |
乙 |
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笙は鳳凰を模した形で大和雅楽では17管。配列は右表、調律は下表の通り。心木が設置された桜製の土台、匏(Kashira, Fukube)上に鏡と呼ばれる共鳴管固定部が置かれ、真竹または煤竹製の共鳴管が挿入される。「匏」は漢字の意味としては瓢箪のことで、日本語では「ひさご」「ふくべ」とも言う。これは元々笙竽のカシラが瓢箪製だったことに由来する。瓢箪は東南アジア方面で取れるものだったことから中国でも木製が採用されるようになり、瓢箪製の物は匏笙(Hō-shō)と区別された。
鏡はかつて水牛の角から作っていたが、経年変化で脆くなる為現在では合成樹脂製とのこと。真竹は琵琶湖(Biwa-ko, Lake Biwa)周辺の物が使われ、煤竹は家屋の天井で長期間爐に燻された物を家屋取り壊しの際に入手。ちなみに三公五帝期の黄帝(Kōtei)軒轅(Ken En)は崑崙山中嶰谷産の口径1分の竹を使用したという伝説がある。
竹節の揃い方によって本節、三つ節、乱節とランクが分かれる。共鳴管低部の根継部分に錫(Suzu, Stannum, Tin)や鉛(Namari, Plumbum, Lead)の粉末を溶かした蜜蝋や松脂の錘をつけて笙簧を接着、音程を調整する。管長は音程より美観を重視して左右対称にしている。実際の音程は屏上(Byōjō)と呼ばれる孔の間隔の長短で設定され、不必要に長い管体は飾り屏上と呼ばれる金属筒から成る。このように外見と内部で管長を異にする仕様は旋律打楽器マリンバ(Marimba)の共鳴筒にも採用されている。
十二律と大和雅楽三管の音程・音階。
基準音や各音の設定法はA=440の平均律とは異なるのであくまでも目安。
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D4 |
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E4 |
F4 |
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G4 |
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A4 |
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B4 |
C5 |
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D5 |
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E5 |
F5 |
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G5 |
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A5 |
B5 |
C6 |
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D6 |
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E6 |
F6 |
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G6 |
中国名 |
黄鐘 |
大呂 |
太簇 |
夾鐘 |
姑洗 |
仲呂 |
蕤賓 |
林鐘 |
夷則 |
南呂 |
無射 |
應鐘 |
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大和雅楽名 |
壹越 |
斷金 |
平調 |
勝絶 |
下無 |
雙調 |
鳧鐘 |
黄鐘 |
鸞鏡 |
盤渉 |
神仙 |
上無 |
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鳳笙 |
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乞 |
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一 |
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工 |
凢 |
(毛) |
乙 |
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下 |
十 |
美 |
彳 |
七 |
比 |
言 |
上 |
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八 |
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千 |
(也) |
龍笛 |
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亍 |
五 |
|
|
丄 |
夕 |
|
中 |
下 |
|
|
六 |
亍 |
五 |
|
|
丄 |
夕 |
中 |
下 |
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六 |
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小篳篥 |
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舌 |
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五 |
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工 |
凢 |
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六 |
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四 |
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一 |
丄 |
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丁 |
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※読みは中国十二律が音読みで左からKōshō, Tairo, Taisō, Kyōshō, Kosen, Chūro, Suihin, Rinshō, Isoku, Nanro, Bueki, Ōshō。短2度音程を一律と呼び、黄鐘・太簇・姑洗・蕤賓・夷則・無射を六律、大呂・夾鐘・仲呂・林鐘・南呂・應鐘を六呂として両律は陽と陰の関係になっている。両者を併せて呂律(ryo-ritsu)といい、慣用句「呂律(ro-retsu)が回らない」の語源になっている。
十二律はまた五行や暦、色とも対応しているが、音階や調性を別の価値観と結びつける発想はイスラム音楽等でも行なわれており、ヨーロッパ音楽でも調性にある程度性格付けがなされていた。このような習慣は元々音楽が宗教的儀式等と強い関わりがあったことと関係しているようだが、古代の特定の地域で誕生し分散した習慣なのか各地で類似の思想が同時多発的に発生したのかは調査中。現代では音楽教育の初歩から平均律に接する機会が多い、転調が頻繁に行なわれる音楽や調性の概念を持たない音楽も多い、価値観が多様化しているといった側面から調性ごとの違いは希薄化しているが、「長調は明るい」・「短調は暗い」といった考え方等に名残が見られる。あくまで西欧の音楽や西欧近代和声の長短理論であって、他楽種で使用されている音階も理論上長調に分類できるから「明るい」、理論上短調に分類出来るから「暗い」と感じられているわけではないので注意が必要となる。また平均律音階に慣れると純正3度を暗く感じる人もいる。なお決まった音階をとらない無調音楽自体はアマゾンの少数民族等にも古くから存在しており新しいものではない。またクラシック音楽での12音音楽では使用可能な音を絞っていくという規則が設定されており、あくまで調性音楽に対して対抗理論的に生み出されているので伝統的な無調音楽とは少し異なる。
Denis Diderot |
緑 |
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黄 |
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赤 |
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紫 |
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青 |
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西洋十二音階 |
D |
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E |
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F# |
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G# |
A |
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B |
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C# |
十二律 |
陽 |
六律 |
黄鐘 |
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太簇 |
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姑洗 |
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蕤賓 |
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夷則 |
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無射 |
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陰 |
六呂 |
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大呂 |
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夾鐘 |
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仲呂 |
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林鐘 |
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南呂 |
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應鐘 |
四季 |
夏 |
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冬 |
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秋 |
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春 |
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五声 |
宮 |
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商 |
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角 |
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変徴 |
徴 |
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羽 |
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変宮 |
五色 |
黄 |
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白 |
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青 |
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朱 |
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玄 |
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五行 |
土 |
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金 |
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木 |
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火 |
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水 |
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月 |
十一 |
十二 |
一 |
二 |
三 |
四 |
五 |
六 |
七 |
八 |
九 |
十 |
十二支 |
子 |
丑 |
寅 |
卯 |
辰 |
巳 |
午 |
未 |
申 |
酉 |
戌 |
亥 |
※五色でいう「あお」は近年では一般に「みどり」と言われる色に相当する。
※表中の色や月はそれぞれ音との関係を示しており、季節と色の関係については青春・朱夏・白秋・玄冬となる。方角・神獣と色との関係では東=青竜・南=朱雀・西=白虎・北=玄武となる。
表中の四季は『列子』で春秋鄭の師文が琴の各弦との関係で述べたもの。十二律や陰陽とは対応が成立している。
ただ、商弦が春で羽弦が夏とも述べており、これを五声とすると季節の順序が合わなくなる。
これを弦列の位置とすると凹形調弦をとっていたということになる。この点については誤記や理論的欠陥の可能性も含めて確認中。
※五行でいう「金(Gon)」は黄金だけではなく光沢のある金属全般を指す。
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十二律は西洋音楽での十二音階に近いが、各音程の算出法は三分損益法を使用。起源は非常に古く、『呂氏春秋(Ryoshi-Syunjū)』、『淮南子(Enanji)』、『管子(Kanshi)』、『史記(Shiki)』の「律書」等から遅くとも春秋戦国時代(前770~前221年)には既に確立していたことが分かる。伝説では三公五帝期に黄帝の楽師伶倫(Rei Rin)が制定したと言われる。
黄鐘を基音にして⅔倍(三分損一)したものを林鐘とし、1⅓倍(三分益一)したものを太簇とする。
以下⅔倍と1⅓倍を交互に繰り返して南呂・姑洗・應鐘・蕤賓・大呂・夷則・夾鐘・無射・仲呂を調律。
仲呂を⅔倍すると1オクターヴ上の黄鐘(黄鐘清)になるのが建前だが、実際は
黄鐘清よりも約⅛音高くなる。そこで後漢の京房はこれを区別して執始とし、更に六十律まで求めて分類した。その後南北朝時代の南朝宋の錢樂之(銭楽之, Sen Gaku-Shi)は更に三百六十律まで分類したが、元代に南宋の蔡元定(Sai Gen-Tei)はオクターヴ上の黄鐘清から六律までを変律として使用することを主張した。しかし明代の16世紀後半になると朱載堉(Syu Sai-Iku)が十二平均律を発明し、以来中国音楽は旧来の三分損益法十二律と十二平均律とを混用することになったとのこと。平均律の理論としては現状最古で、西方に伝来したことでヨーロッパでも使用されるようになった可能性が指摘されているが、明確な関連は未詳。なお基音の黄鐘は管長9寸口径9分の律管の音ということだが、律度量衡が王朝によって異なるため音高も時代によって変化しており、漢代ではF4に近かったようだ。この他、南朝梁の武帝代の黄鐘は3尺8寸律管、隋代の林鐘は2尺8寸4分4厘余の律管で管長の⅔に当る3孔を宮としていたとの情報があり詳細確認中。
~その他音楽に詳しいとされている人物~
商(前18~前12c.)
| 涓
| 楽師
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西周(前11~前8c.)
| 乙(巳)
| 楽師
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春秋鄭
| 文 慧
| 楽師襄の弟子だった楽師。 楽師
|
春秋衞
| 涓
| 霊公代の楽師
|
春秋晉
| 曠子野
| 楽師
|
春秋魯
| 冕 摯
| 楽師 楽師
|
前漢(前3~1c.)
| 李延年
| 宮中の犬飼だったが才能を認められ楽府の協律都尉となった宮廷楽師。司馬相如等と作曲を行った他、張騫が西方から持ち帰った書を元に前漢初の横フエ曲を作ったとされる。
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後漢(後1~3c.)・・・
| 周瑜
| 「周郎顧曲」の故事を残した。
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南朝宋(5c.)
| 劉羲符
| 少帝
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唐(7~10c.)
| 鄭訳 祖孝孫 李霊夔 楊氏
| 開封出身で北周の沛国公、隋の岐州刺史。また七始の儀を改めて楽府声調を定めた。
隋の開皇年間に協律郎、唐でも著作郎として活動し唐の楽制を作った。
魯王
玄宗の貴妃。
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宋(10~13c.)
| 劉詵 阮逸
| 大晟府典楽 音律学者
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明(14~17c.)
| 張敔 梁辰魚
朱有燉
| 礼部員外郎で『雅楽発微』を著した。
詩人
明の太祖の5男朱橚の子で周憲王。雑劇31種を作り「誠齋樂府」と総称、25種現存。
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清(17~20c.)
| 張熊 張照 李塨 徐元端 李宗潮
| 画家・詩人 刑部尚書
『詩餘繡聞集』を著した江都の石麒の娘
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また西洋音楽での所謂「固定のド」(音名pitch names)に相当する十二律とは別に所謂「移動のド」(階名syllable names)に相当する五声と呼ばれる音階も使用され、ド・レ・ミ・ソ・ラを宮(宫Gōng, Kyū)・商(Shāng, Shyō)・角(角Jiao, Kaku)・徴(征Zhēng, Chi)・羽(羽Yǔ, U)、更にファ#を変徴(变征Biànzhēng, Henchi)、シを変宮(变宫Bàngōng, Henkyū)として7音階まで扱えるようになっている。
伝説では炎帝(伊耆軌, 神農, 朱襄, 帝魁)が5単弦琴を作り宮商角徴羽に調弦、宗周の文王(姫昌)の時代(紀元前12世紀)に少宮と少商の2弦を追加し7単弦になったとされている。後世になっても7単弦琴は7つの音階を表しているとの説明は継承されている。また春秋時代の鄭の楽師文によれば4本の弦が4つの季節を表し、順番に奏した後、5本目の弦を奏することで纏めるといった意義付けもあったようだ。琵琶が4単弦な理由も後漢~晋頃には4つの季節を象徴していると説明された。ただし思想的な理由が先で仕様が確定したのか後付けで思想的な説明を付加したのかは不明。日本では5音音階が使用されていたが、後にファ#が現れ始めたとのこと。これは三味線が使用され始めたことと関連しているようだが詳細確認中。
大和雅楽十二律は左からIchikotsu, Dankin, Hirajō, Shōzetsu, Shimomu, Sōjō, Fushō, Ōshiki, Rankei, Banshiki, Shinzen, Kamimu。勝絶は太食(Taishiki)という名称もあるようで確認中。中国十二律同様三分損益法を採用しているが、各音の名称は異なる。これは中国十二律及び二十八調名の併用で、両黄鐘を対応させるという説もあるようだが、通常は中国黄鐘を大和雅楽壹越(壱越)に対応させている。
※笙の各音名は左からKotsu, Ichi, Ku, Bō, Mō, Otsu, Ge, Jū, Bi, Gyō, Shichi, Hi, Gon, Jō, Hachi, Sen, Ya。
※龍笛の各音名は左からKan, Go, Jō, Shaku, Chū, Ge, Rokuで、低音域を和(Fukura)、高音域を責(Seme)と呼ぶ。
※小篳篥の各音名は左からZetsu, Go, Kō, Han, Roku, Shi, Itsu, Jō, Tei
節会
区分 |
節会 |
旧仮名遣い |
陰暦 |
大節 |
即位 |
Soku-i |
|
拝賀 |
Hai-ga |
|
中節 |
白馬 |
Awo-uma |
正月七日 |
豊明 |
Toyo-no-akari |
十一月中辰日 |
小節 |
元日 |
Gan-jitu |
正月朔 |
踏歌 |
Tafu-ka |
正月十四~十六日 |
上巳 |
Jyau-shi |
三月三日 |
端午 |
Tan-go |
五月五日 |
重陽 |
Tyou-yau |
九月九日 |
臨時 |
大嘗会 |
Dai-jau-ye |
十一月中卯日 |
立后 |
Ritu-kafu |
|
立太子 |
Ritu-taishi |
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任大臣 |
Nin-dai-jin |
|
相撲 |
Su-mahi |
七月廿六~廿九日 |
各楽器で音名が必ずしも一致しないが、大和雅楽では「他管に手を出さず」と言われ吹奏楽器は1種類しか演奏しないので互換性の問題は起こらない。ただし奏者は全員吹奏楽器以外にも弦楽器を楽箏または楽琵琶、舞を右舞または左舞それぞれ1種類ずつ選択的に、打楽器を全て経験することになっており、熟練者が打楽器を担当。一の者と呼ばれる楽長が鞨鼓(Kakko)を担当し、二の者が楽太鼓(Gakudaiko)、三の者が鉦鼓(Shōko)を担当する。一方能楽(Nōgaku)では囃子全てを経験するとのこと。その他の音楽については確認中。能楽は大陸伝来の散楽の変形として社寺祭礼で行なわれた猿楽能(申楽Sarugaku-nō)が民間舞踊の田楽能(Dengaku-no)を吸収し14~15世紀に観世座を立ち上げた役者・脚本家・理論家の觀阿彌(観阿弥Kan-ami)・世阿彌(世阿弥Ze-ami)父子によって確立された舞台芸能で、主に公家で奏された節会(Sechiye)での大和雅楽や宴楽に対して武家に好まれた。第18(室町幕府第3)代征夷大将軍足利義満(足利義滿Yoshimitsu Ashikaga)が公家に対抗する芸術として創らせたとの情報もあり詳細確認中。
武家の習慣が庶民に広まった桃の節句で飾られる雛人形の五人囃は現在でも
地謡(Ji-utai)、
能管(Noh-kan)、
太鼓(Taïko)、
大鼓(Oho-tsuzumi)、
小鼓(Ko-tsuzumi)
という能楽囃子方の編成となっている。平安時代の雛人形は大和雅楽編成で琵琶奏者等もいた。なお能楽でもかつては尺八や笙、篳篥が使用されることもあったという情報があり確認中。能管は能楽のほか歌舞伎にも使用される自由簧吹奏管楽器で、龍笛に形は似るが龍笛を改造したものかどうかははっきりしていない。喉(Nodo)と呼ばれる鉛製の錘を入ることで同じ運指で出るはずの第2オクターヴが第1オクターヴより狭い音階になっている他、楽器ごとにも音程が異なっている。均等な楽器が技術的に製作不可能だったわけではないが起源に関しては詳細不明。幽玄な雰囲気を出すためといった指摘はあるようだ。節会で奏されるものは季節や何らかの行事と一体な一方、能楽では実際の季節を問わず舞台上で季節を設定・変更する他、簡素化・象徴化を極端に推し進めている点が特徴とのこと。
音名 |
C |
C# |
D |
D# |
E |
F |
F# |
G |
G# |
A |
A# |
B |
C |
十二律 |
神仙 |
上無 |
壱越 |
断金 |
平調 |
勝絶 |
下無 |
双調 |
鳧鐘 |
黄鐘 |
鸞鏡 |
盤渉 |
神仙 |
都山 |
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琴古 |
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各種管長の音高は別表参照。
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なお尺八は管長が1尺8寸の長さを持つところからくる名称で、西欧音階で言えばD管に相当するが、この他にも各種管長の楽器が使用され、記譜も独特の記号が使用されている。管長は材の個体差もあるため厳密に1尺8寸であることを求めるというよりは、全ての音孔を閉じた筒音が壱越になる楽器を1尺8寸管として各管との関係を規定している。元々唐から伝来した物で、その当時から「1尺8寸」だったようだ。ただし現在のものとは尺度も違う他、孔の数も変わっている。
現代の日本の尺は曲尺(Kanejaku)と呼ばれ、明治以降10/33mと規定された。
それ以前にも享保尺、呉服尺、天平尺、高麗尺等時代によって様々な尺度が使用されている。
~整理中~
貞觀三(629)年に呂才が12本の尺八を作る。呂才漏刻と呼ばれる水時計も開発している。
正倉院や法隆寺に伝わった日本の古代尺八はこの呂才の改造尺八の系譜。
宮廷音楽に尺八を導入するために長さ9寸の律管を倍にした1尺8寸を基準にして籥を改造した。
太宗の楽制改革期に『隋書』の著者として知られる鄭国公魏徴等が呂才を推挙、弘文館に召し上げられる。
日本の尺八は中国から来たもので、中国にとっても外来の楽器のようだが、明確な起源ははっきりしておらず様々な説が唱えられている。
・尺八は中国語でチーパー(Chǐ-Bā)、
ラテン語で「管」を意味する言葉が語源、筒音が壱越は偶然・・・説
↔ローマ・ティビア(Tibia)はギリシャの双管竪フエ;アウロスのことで構造的には無関係
・エジプト・セビが語源でローマ・ティビアと共に肋骨の意味。尺八が肋骨っぽいのもそれが理由・・・説
・西アジアの葦製竪フエ→インド西部で竹製→周に伝来したのが籥・・・説
3孔小籥は旧唐書に既述有、唐代にもなお使用
・エジプト・セビ→アラブ・ネイ→中央アジア→前漢→唐で呂才改造・・・説
歌口を改造、基準管長を律管の2倍に規定、尺八管の称する。
今曲尺の1尺4寸4分に相当
「1尺8寸だから尺八」という記録は何処にも無い・・・説
↔『文獻通考(文献通考)』に載っている。遅くとも13世紀頃にはそう考えられていた。
『文獻通考』では、民間では洞簫と呼ばれるとしている。
呂才以前に尺八という名前の楽器が存在するかは不明。
法隆寺尺八は筒音がDで今曲尺1尺4寸。唐の小尺で1尺8寸に相当する・・・説
↔筒音が壱越なのも小尺1尺8寸もただの偶然。正倉院の古代尺八は長さがまちまち。
↔黄鐘を尺八とする記述あり。長さ9寸の律管の倍の黄鐘を基準にしているので壱越だけの問題じゃない。
ただし「唐の小尺」説は小尺・大尺の詳細が不明。律令制度では大尺と小尺があり、大尺1尺=小尺1尺2寸。天平尺、高麗尺がそれに該当。
中国では周の小尺が咫、漢代以降の小尺が黍尺と呼ばれる。
三分損益による律呂
律呂 |
9寸 |
8寸3分7厘6毛 |
8寸 |
7寸4分3厘7毛 |
7寸1分 |
6寸5分8厘3毛4糸6忽 |
6寸4分8厘 |
6寸 |
5寸5分5厘1毛 |
5寸3分 |
4寸8分8厘4毛8糸 |
4寸6分6厘 |
「唐尺の小尺」だったすると1尺8寸は448㎜。刻彫尺八437㎜が小尺での1尺8寸とすると大尺は546.25㎜。これは日本の今曲尺に近いもの。
実際この点を誤解して、今曲尺の基準で1尺8寸をとった「古代尺八」なるものが造られたこともあるようで、注意を促す記述もみられる。
ところで、437㎜という実寸を歴代王朝の大尺1尺8寸と比較した場合、近いものに三国魏尺の434.2㎜がある。
又、今曲尺1尺4寸が当時の1尺8寸でそれ以外の古代尺八が移調管だったと考えると、三分損益に基づく律呂7寸1分の倍は1尺4寸2分。
これを刻彫尺八の長さ437㎜とすると1尺8寸は553.94366197183098591549295774648㎜。隋の1尺8寸は553.1㎜でほぼ同じ。
そこで刻彫尺八や法隆寺尺八が三国魏の大尺1尺8寸乃至隋の大尺1尺4寸か?と考えてその他の
正倉院尺八382㎜、樺纒尺八385㎜、刻彫尺八437、彫石尺八359㎜、玉尺八344㎜という計測値を当て嵌めると、
隋尺では
1尺4寸2分
| 刻彫尺八437㎜
| 法隆寺尺八436.32㎜
|
1尺3寸1分6厘6毛9糸2忽
| 405.20732676056338028169014084507㎜
|
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1尺2寸9分6厘
| 398.83943661971830985915492957746㎜
|
|
1尺2寸
| 369.29577464788732394366197183099㎜
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1尺1寸1分2毛
| 341.66014084507042253521126760563㎜
| |
一方、三国魏尺では
1尺8寸
| 刻彫尺八437㎜
| 法隆寺尺八436.32㎜
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1尺6寸7分5厘2毛
| 406.701333・・・㎜
|
|
1尺6寸
| 388.444・・・㎜
| 樺纒尺八385㎜、正倉院尺八382㎜
|
1尺4寸8分7厘4毛
| 361.107666・・・㎜
| 雕石尺八359㎜
|
1尺4寸2分
| 344.7444・・・㎜
| 玉尺八344㎜
|
となる。経年変化による収縮がほぼ無いと考えられる石製はかなり近似。経年変化による収縮が考えられる木製でもほぼ一致している。
隋唐時代には既に旧楽となる清楽は三国魏の尺度をとっており日本に伝わったのは清商伎の楽器かとも考えられるが、正倉院現存の尺八は8本とのことでその他の尺八についても確認中。
日本の「雅楽」は唐伝来の宮廷俗楽である唐楽や祭祀儀礼音楽である雅楽、式典用の伎楽の他、新羅・百済・高句麗伝来の高麗楽、チャンパー伝来の林邑楽、渤海国伝来の渤海楽、奈良時代以前に既にあった東遊び、御神楽等を元に平安時代に確立した各種歌舞音曲の総称で、元来の基本的な分類・形態は隋唐の模倣だが、一方の中国では更に複雑になっている。5世紀に南朝梁で楽制改革が行われ、北朝でも後魏に伝わり北周、隋へと継承されて清楽が確立。
隋では初代文帝楊堅が更に中国及び周辺諸国の歌舞音曲を開皇元(581)年に七部楽として纏める。そして2代煬帝楊廣が大業年間(605~618年)に楽種を追加して九部楽に改編、更に唐の2代太宗が貞觀十六(642)年に十部伎を制定している。
~隋唐の宮廷俗楽~
| 七部楽
| 九部楽
| 十部伎
| ・「燕」は「くつろぐ」の意味で酒席の宴楽に通じ、俗楽の意味でも用いられる。
・「清」は「きよい」の意味だが直接の語源は不明。異民族が侵入した東晋以来漢民族の文化が継承されていた江南で南朝梁が楽制改革を行った際に清楽とし、後魏が南征した際に持ち帰って北周、北周の外戚だった楊堅の隋へと受け継がれた。隋の統一後清商楽として律呂や楽器も整備し七部楽の1つとされる。
・国伎は国技の事。北魏3代太武帝が河西を平定した際に持ち帰って以来だが好まれて魏周を通じて国伎と言われるまでになったものを隋が継承した。
九部楽以降は西涼伎に改名。西涼は涼州にある都市名だが地域名としても使われる。
・文康は東晋2代明帝司馬紹の皇后庾氏の兄で太尉だった庾亮(Yu Ryō)の諡号。礼畢は「礼儀の終わり」の意味で九部楽の最後に演奏された事が由来。十部伎では廃止された。
・それ以外は全て国・都市・地域の漢訳に由来。
|
亀茲琵琶発祥の宴楽
| ─
| 燕楽伎
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漢魏以来の継承俗楽
| 清商伎
|
涼州音楽
| 國伎
| 西涼伎
|
クチャ音楽
| 龜茲伎
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カシュガル音楽
| ─
| 疏勒伎
|
サマルカンド音楽
| ─
| 康國伎
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ブハラ音楽
| 安國伎
|
インド音楽
| 天竺伎
|
高句麗音楽
| 高麗伎
|
東晋の庾亮を象った舞楽
| 文康伎
| 禮畢伎
| (廃止)
|
トルファン音楽
| ─
| 高昌伎
|
元は直管。江戸中期以降竹の根元を使用した曲管が出現
古代尺八表5孔裏1孔
一節切(一簡切, 一節截)表4孔裏1孔 ・・・5音音階の影響か?
曲尺1尺1寸
1尺8分。「尺8」で勘違いされたか、小型化の理由にこじつけたか、音程の問題か、周咫を根拠にした1尺8寸か?
室町時代、時宗の僧侶や武将に流行。
日本音階はファが西洋音階より少し低く、ラが高かったことから、戦後は西洋音楽の価値観で「音痴」とされて西洋音楽の音程に調律される楽器が増えた。
昭和30年代(1955~1965年頃)に福澤諭吉(Yukichi Fukuzawa)の孫で京都出身の
尺八奏者堀井小二朗(Syōjirō Horii)が
E♭、F#、A♭、B♭を追加した表8孔裏1孔の9孔仕様を開発、西欧コンサート・フルートの奏法を可能にして
流行、昭和40年代の尺八ブームの先駆となったという。
当初は「尺八じゃない」「フルートを使えばいい」と否定的な批評があったものの、
正確な音程が容易なことから1960~70年代に7孔仕様が増加、プロ奏者でも半数近くは使用されていたとのことで、
本曲と呼ばれる虚無僧の曲や独奏曲でも5孔仕様以外の楽器は適宜使用されているとのこと。
玄人と素人の決定的な違いは半開きのメリと呼ばれる音を出す際に音量が落ちないで、
メリでは1音半下げ、カリでは1音半上げが行われる。
歌舞伎の演出の小道具、錦絵には遊女が吹く様子も
肥後国宇土藩主細川月翁が愛好
虚無僧(Komu-sō, Komo-sō菰僧)
は楠正勝(Masakatsu Kusunoki)が
虚無と号して南朝再興のために全国行脚したのが始まりという説もあるが真偽不明。
江戸時代に罪を犯した武士が刑罰を逃れるために修行者に成りすました場合も。
仏教界や幕府、明治政府からは認められず素行不良で弾圧もあったというが、江戸市中図に描かれている。
琴古流荒木派も虚無僧行為を禁止。
普化宗(Fuke-syū)は禅宗の一派で大唐の普化禅師が鈴を振って遊行。
建長六(1254)年、北宋の東福寺の僧で嘉州の農民出身の法燈国師覚心が伝来、下総国の一月寺、武蔵国の鈴法寺を本山としていたが
明治4(1871)年、臨済宗に合流する形で廃宗となったようだが、現在は宗教法人登録があるとのことで詳細確認中。
ネイney (斯)=ナイ。「葦」の意味。アラビヤ葦製竪フエ。古典ナイは表裏7孔。音階に対応して6本以上用意。
ナイnay =ネイ。アラビヤ葦製竪フエ
トルキスタン・ネイ 横フエ
カザフスタン・ネイ 横フエ
ルーマニア・ネイ 木製多管竪フエ
ブルガリア・ネイ 多管竪フエ
ピーナイpee-nai インドの木製複簧フエ
サラメイアsalameia エジプトの短管竪フエ
スリンsuling ガムランのリコーダー系のフエ
アウロスaulos 古代ギリシアの双管フエ。前7世紀には既に存在
ティビアtibia 古代ローマのアウロス
アルグルargul イスラム文化圏の双管竪フエ
ズマーラzummāra イスラム文化圏の双管竪フエ
abûb 古代シリア語=ハリル
ハリルhalil ヘブライの法律学者ラビによる前100頃の単管葦フエ
ウガーブugāb 『聖書』「ヨブ記」「詩篇」のフエ?
ハララトゥhalhalhatu 古代メソポタミアの双管竪フエ。
šem シュメール語。=ハララトゥ
ギギドゥgigid 古代メソポタミアの籐製竪フエ。
ティギtigi 古代メソポタミアの竪フエ
クサバqusaba (斯) で葦の意味。アフリカ北西部沿岸の竪フエ。民謡で使用。古典ナイより太く短い。
カッサーバqassāba アフリカ北西部沿岸の竪フエ
ガスバgasba アフリカ北西部沿岸の竪フエ
ナハルnahr イスラム文化圏の竪フエ
mmt A. M. モウサ&N. アルテンミューラーのいう古代エジプトの短管フエ
m', t A. M. モウサ&N. アルテンミューラーのいう古代エジプトの長管フエ
sib W. P. マルムの言う古代ジプトのフエ
Mam 黒沢隆朝のいう古代エジプトの双管フエ
mat L. クレプスのいう古代エジプトのフエ
サブsab W. K. シンプソンの言う第6王朝時代の長管フエ
sebi 古代エジプト葦製縦笛
ピンキージョ アンデスのリコーダー系竪フエ
シーク アンデスの多管竪フエ
サンポーニャ アンデスの多管竪フエ
ケーナquena アンデスのカーニャ・タクアラ製上端エッジ吹き竪フエ。表3or4→表6裏1
カヴァルkaval 木製上端エッジ吹きフエ
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笙の管体は孔を塞いだ場合のみ共鳴管と笙簧が共振して音が出る仕組みで、塞がずとも音が出てしまう状態はからなり(Karanari)と呼ばれ笙簧の調整が必要になる。水蒸気排出機構がないため20分ほど演奏すると炭火で乾燥させて笙簧の振動を確保するが、楽器調整も演奏行為と一体のものと解釈されている。現代では200Wの七輪形電熱器を使用。笙簧には孔雀石の粉末を井戸水で5~6時間溶いた物を重ね塗りするが、これも水蒸気を吸収する、また響銅(Sahari, 砂張)の粉も混じるため水をはじく性質もあり、他に息漏れ防止や音色を和らげる効果もあるという。水道水は鉄分が混入し音色が変わる為使用しないとのこと。響銅は笙簧の材料として使われる銅と錫、物によっては銀も混じる青銅に近い合金。熱して液体にしたものを鋳型に注いで成型するが、この時のタイミングに職人の高度な技量を必要とする。通常は法具や風鈴、茶器等に使用されるが、銅鑼の響胴に使用される物には音響効果を高める更に特殊な製法があると言われる。笙簧はこの銅鑼に使われている響銅を鋸で短冊状に切り取ってから切れ込みを入れて製造。この際も摩擦で熱せられると変質して焼き入れしたように硬くなるため注意が払われるとのこと。笙簧の調律は錘を乗せるのに時間がかかることや管数が多いこと等から専門家が調製する際も1~2週間かけて行なわれる。また洋楽器と合奏する際は基準音を調整した楽器を用意する必要がある。このような調製期間の長さもあることから複数所有して主管に華やかさを、助管に豊かな音量を、舞楽に力強さを、繊細な曲には弱音への対応力を重視するといったように演奏曲に応じて数管を使い分けている奏者もいるようだ。
17管のうち也(Ya)及び毛(Mō)と呼ばれる2管は笙簧が無く音が出ない。日本に伝来した時はまだ音が出るようになっていたとのことで、廃された理由は調査中。篳篥(觱篥, Hichiriki, 必栗Hitsuritu)にも裏側に開いてはいるが押さえることのない孔が存在し、出すと国が滅ぶことから決して鳴らしてはならない「亡国の音」と呼ばれている。古代中国には音が合わないのは人の和が無い証拠、悪い音が流行ると国が滅びるという思想があったとされる点や中国でも敎坊簫は不用管が4本ある点との関係を確認中。また笙は古くは和とも呼ばれていた。
紀元前1400年頃には既に存在していた楽器で、中国最古の詩集と言われている『詩經(Shī Jīng, 诗经, Shikyō)』や戴聖が編纂したとされる『禮記(Lǐ Jì, 礼记, Raiki)』にも登場するようだが、起源不詳。芦製の物は芦笙(Lǔshēng)と呼ばれ現在でも苗(ミャオMiáo)族が使用しており大型の物では管長が7000㎜に達する。他に朝鮮半島でのセンファン、タイ王国(ราชอาณาจักรไทย)ではケーンと呼ばれる楽器が存在。
日本に伝わった隋唐代の中国では宮廷、民間双方で使用しており小型の物が13管、大型の物が19管で、笙管とは別に竽(Yú, Ŭ)という楽器も存在した。始め36管、後に19管となったようだが、1972年1~4月に长沙(長沙Cháng-shā)で発掘された马王堆汉墓(Maōtai Zenkan Bo馬王堆前漢墓, Mǎ Wáng Zuī Hàn Mù)出土の竽は26管仕様だったとのことで、中間的な仕様も多数存在していた可能性がある。この墓では肉体の分解時に発生するガスが密閉されて充満したことから腐敗が進まず、白骨化していない新鮮な遺体が発掘されたことで当時日本でも大きく紹介された。
日本では正倉院に笙竽各3台が残されているが伝来時期は不明。大和朝第42代文武(Monmu)帝代の大宝元(701)年に制定され翌年施行された大宝律令(Taihō Ritsuryō)に宮内省雅楽寮(Utamai no Tsukasa, 現宮内庁楽部)と笙に関する記述があるという。大宝律令は刑部(Osakabe)親王や藤原不比等(Fuhito no Fujiwara)ら19名が編纂した刑法を扱う律6巻・行政法等を扱う令11巻からなる法体系だが、現存しておらず『令集解(Ryō no Shūge)』によって一部が伝わるのみであることから詳細確認中。
~メモ~
※笛、籥、龠、管、簫、笙は吹奏楽器の総称としても使われることがあるので注意。
また循簫は楽器ではなく商人の意味。
大別 |
種別 |
管型 |
管数・孔数 |
別称、個称、備考 |
多管 |
簫 |
排簫 |
大簫 |
24管 |
北宋雅簫Ga-syō・・・1尺2寸
頌簫Syun-syō、葢簫Gai-syō
大籟
李氏朝鮮簫
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23管 |
大簫、言・・・管長1尺4寸
郭璞簫Kakuhaku-syō
李沖簫Rityu-syō
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22管? |
Gen |
21管 |
讌楽簫Engaku-syō・・・俗楽の讌楽に使用。亀茲簫に似る。
亀茲簫
短簫
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18管 |
西涼簫
甘竹簫Kanchiku-Shyō・・・正倉院南倉にて散乱状態で発見され2管は行方不明。かつては7管残存と9管残存の2つの楽器と考えられていた。
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小簫 |
17管 |
清楽簫Seigaku-syō
敎坊簫Kyōbō-syō・・・清楽簫とは音律が違う。教坊は宮廷俗楽の管理と音楽家養成のための機関。
唱簫Syō-syō、和簫Wa-syō |
16管 |
頌簫・・・1尺4寸
郭璞簫 敎坊簫(4管不使用)
笅Kō( Un)=小簫、簫籟。管長1尺2寸
小籟
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13管 |
鼓吹簫Kosui-syō・・・鼓吹は軍楽など管打中心の音楽。 |
10管 |
舜簫Sun-syō・・・舜が鳳の翼を象って作ったといわれる伝説上の楽器で管長1尺。 |
洞簫 (篸 Shisa) |
単管 |
現在「簫」と言えば単管の洞簫を指す。多管仕様は底が蜜蝋で塞がれているが、単管仕様は塞がれていない。
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竽 |
=
戦国時代末(前3世紀頃)に初記録。
前漢代(前3~前1世紀)、篪や鐘、磬との合奏に使用。
後漢代(後1~後3世紀)、冬至や夏至の日に吹く。
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36管 |
秦竽 |
4尺2寸。36管仕様は戦国時代~後漢代半ば迄使用されたとみられている。
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26管 |
马王堆3号汉墓竽 |
竹下 |
23管 |
後漢竽 |
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北宋新竽 |
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22管 |
马王堆1号汉墓竽 |
前12後12の2列配置 |
19管 |
唐竽 |
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17管 |
正倉院北倉呉竹竽 |
Kuretake-no-U。全長970㎜。唐の玄宗~粛宗代(8世紀)頃の仕様。 |
正倉院南倉呉竹竽「東大寺」 |
北倉呉竹竽より少し短い |
正倉院南倉仮斑竹竽 |
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高麗竽 |
睿宗代に北宋雅楽から。不用管1管 |
笙 |
= Shi
~整理中~
笙は春秋に記録、西周からか。『尚書』、『詩経』、『国語』、『爾雅』等に記述有り。
?管胡蘆笙・・・苗族笙、蘆笙、カシラは匏製。
インドシナ匏笙、ボルネオ匏笙 笙の原型?
胡 Koshoku
唐代雲南大匏笙
唐代雲南小匏笙 瓢笙・・・宋代
方笙・・・清末河南で誕生。カシラが長方形
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36管 |
半音転調笙 |
唐代に開発された物で古代の36管竽とは別物。 |
19管 |
笙 |
Sō( Tō)。古くは13管仕様の小笙に対して大笙と呼ばれた |
和笙 |
13管和笙に不用管6本を追加して大笙と同じ感覚で持てるようにしたもの。 |
18管 |
巣笙 |
Sushō, Sōsyō。大笙。第18管が羲管
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17管 |
十七管笙 |
唐代に清楽で使用。 |
鳳翼笙 |
唐文宗代太和年間以降に使用された。 |
羲管笙 |
不用管2。宋代以降使用。 |
鳳笙 |
不用管2。当初は全管使用していたとされる。大和雅楽で唐楽や高麗楽に使われるが鳳翼笙や羲管笙との関連は確認中。 |
正倉院呉竹笙 |
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高麗笙 |
不用管1。宋代に伝来。日本とは音律が違う。
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14管 |
曽侯乙墓笙 |
竹製簧、匏製胴 |
13管 |
和笙 |
19管の大笙に対して小笙と呼ばれた。 |
13簧 |
後漢笙 |
使用管が13本あるが、簧数=管数かは不明。 |
閏余匏 |
宋代に使用された。 |
清笙 |
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12簧 |
前漢笙 |
使用管が12本あるが、簧数=管数かは不明。大きさは4寸。 |
9簧 |
九星匏 |
宋代の匏笙。使用管が9本あるが、簧数=管数かは不明。 |
7簧 |
七星匏 |
宋代の匏笙。使用管が7本あるが、簧数=管数かは不明。 |
双管 |
管 |
篪形垂直抱撮短管状吹奏楽器。12月の音とされる。 |
大管 |
6孔 |
簥Kyō |
中管 |
6孔 |
篞Detsu( ) |
篳篥 |
双篳篥 |
?孔 |
中国で隋唐代に高麗伎音楽で使用。 |
単管 |
=觱篥。竹製垂直抱撮短管状吹奏楽器。双管仕様も有り。 |
大篳篥 |
8孔 |
中国では隋唐代にブハラ伝来の安国伎音楽や朝鮮伝来の高麗伎音楽に使用。
日本では平安中期に途絶え、現代では復元楽器が製作され現代音楽等に利用されている。 |
小篳篥 |
8孔 |
中国では隋唐代に高麗伎で使用。日本では現在でも使用。また樹脂製も存在。 |
篪Chi |
7~8孔 |
= , 竾, 筂, , 。竹製水平抱撮短管状吹奏楽器。 |
大篪 |
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, ,  |
篴Chiku |
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5孔のち6孔又は7孔 |
洞簫 |
=篸 Shisa
現在「簫」と言えば単管の洞簫を指す。多管仕様の排簫は底が蜜蝋で塞がれているが、単管仕様は塞がれていない。
『漢書』「元帝紀」に既に記述あり、尺八との関係については民間での別称が洞簫であるとの記述有り。
奏者では唐の玄宗帝李隆基等。
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高麗洞簫 |
8孔 |
明代に伝来。管長1尺9寸2分で黄竹製。 |
現代朝鮮洞簫 |
表5裏1孔 |
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古玉図譜洞簫 |
表5裏1孔 |
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和漢三才図会洞簫 |
表4裏1孔 |
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南音洞簫 |
8孔 |
福建南曲で使用。唄口以外は大和尺八に最も近いと言われる。 |
尺八 Syakuhachi |
=竪篴Ken-chiku/ Juteki、中管chū-kan
自由簧竹製が基本だが例外的に石管、金属管もあり。 |
古代尺八 |
表5孔裏1孔 |
雅楽尺八Gagaku-syakuhachi
正倉院には尺八が8本現存。中国製か日本製かは不明。
正倉院尺八Syōsōin-no-syakuhachi・・・全長382㎜
樺纒尺八Kabamaki-no-Syakuhachi・・・全長385㎜。表5孔。竹管で常に3節を持つ。
刻彫尺八Chyōkoku-no-Syakuhachi・・・全長437㎜。表5孔裏1孔。管長は唐の小尺で1尺8寸に相当。
彫石尺八Chōseki Syakuhachi・・・全長359㎜。表5孔裏1孔。石製だが竹に似せて3節を持つ。
玉尺八Gyoku-no-Syakuhachi・・・全長344㎜。
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天吹Tempuku |
5~6孔 |
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一節切尺八Hitoyogiri-syakuhachi |
表4孔裏1孔 |
16~17世紀頃流行。1節が特徴。 |
普化尺八Fuke-syakuhachi |
表4孔裏1孔 |
虚無僧尺八Komusō-syakuhachi。現在一般的に想像される尺八。 |
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長管 |
1尺9寸管、2尺管、2尺2寸管、2尺4寸管など。 |
短管 |
1尺3寸管、1尺5寸管など。 |
古管尺八 |
節の内側は全て貫かず調律に利用。 |
近代尺八 |
管内に漆と砥粉から成る地(Ji)を塗っている。 |
多孔尺八Takō-syakuhachi |
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=新尺八Shin-syakuhachi |
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オークラウロ |
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西欧コンサート・フルートの管体に尺八形唄口をつけて半音階を吹きやすくしたもの。 |
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九孔尺八 |
表8孔裏1孔 |
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七孔尺八 |
表6孔裏1孔 |
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電脳尺八Denō-syakuhachi |
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首振りとコロをコンピュータで感知する。 |
法竹Hotchiku |
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竹を切って適宜孔を開けただけの仕様不定の尺八。海童道租以降に出現、1000㎜超の楽器も。 |
籥Yaku |
=龠。短管状吹奏楽器。調律の際の律管としても使用され、尺八の原形とも言われる。
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大籥 |
3孔・6孔・7孔 |
6孔簅(San, 産)
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中籥 |
籟Rai |
小籥 |
3孔箹Yaku
高麗籥・・・3孔、1尺8寸2分、黄竹製
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笛Teki, Dí |
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3孔・5~7孔 |
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7孔 |
龍笛Ryūteki |
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5孔~7孔 |
篠笛Shinobue 神楽、祭囃子用 |
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7孔裏無孔 |
横笛Outeki, Yo'ojo
彫石横笛Chōseki Ōteki・・・全長371㎜。石製。 |
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6孔 |
高麗笛Komabue |
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3孔 |
羌笛Kyōteki |
小笛 |
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篎Byō |
笳Ka |
=胡笳。響胴は蘆葉、骨、竹製。現在は木製3孔。 |
箛Ko |
=吹鞭。鞭に孔を開けて馬上で吹く。晨起・夜臥・休食等の時を知らせる際にも利用。
木皮又は蘆葉製のち銅製 |
篍 |
詳細不明 |
イングリッシュ・コンサーティーナはG.レゴンディが奏者・作曲家として活躍したことで19世紀後半のイギリスでは人気の楽器となった。ギター奏者としては「ギターのパガニーニ」と呼ばれたほどの技量の持ち主で、現存する作品は少ないが現在でも難曲と言われている。「ギターのパガニーニ」は高度な技術を持った形容として他の奏者にも用いられることがあるが、確認出来た中では形容された最古のギター奏者。1840年末~1841年にかけて行なった楽旅においてウィーンへ立ち寄った際にヨハン・アントン・シュタウファー(Johann Anton Staufer)製主弦6列浮遊弦2列8単弦レニャーニ型ギターを入手、2回目の演奏会で使用して以降常用していたようだ。明らかに8単弦仕様を意図したと分かる譜面からはオクターヴ補強目的での使用が確認出来るようだが、それ以外の点については不明。習慣が残っていれば通奏低音での利用の可能性や、当時は広域の移動や技術的に難易度の高い楽句では開放弦を織り交ぜた演奏も多用されていたようで、場合によっては凹形調弦で浮遊弦でも主弦の音域を出していた可能性は考えられる。
19世紀初頭のポルトガル出身のギター奏者アントニオ・アブレウ(Antonio Abreu)も開放弦を利用してポジション移動を行い、押弦より開放弦を優先させることを推奨している。またM.カルカッシも開放弦を利用したポジション移動を示している。高速演奏時に開放弦を織り交ぜたポジション移動を多用する技術はフラメンコ・ギター奏者パコ・デ・ルシア(フランシスコ・サーンチェス・ゴーメスFrancisco "Paco de Lucía" Sánchez Gómez )等も行なっている。
このような特徴の背景として当時技術の発達していた地域のギターでは開放弦も含め全ポジションに亘って均質な音色や操作性を保持することで楽器の個性に左右されず奏者自身の意図で自由にコントロール出来ることに重点が置かれていた可能性があるようだ。これはピアノやヴァイオリン属の影響と思われるが、バセット・クラリネットでも均質が特徴という指摘もあり、ウィーンの土地柄や古典期前後の価値観の変化等も調査中。尚、W. A. モーツァルトが作曲した「クラリネット五重奏曲」や「クラリネット協奏曲」、オペラ『皇帝テイトの慈悲』等で想定しているクラリネットはバセット・クラリネットとのことで確認中。
ギターの低音補強としては弦長を伸ばした浮遊弦を加える多弦化によって達成するが、スペイン・ギターではポジションや弦列によって音色のバラつきがある個性的な楽器が造られ、特定の音色の傾向が好まれて20世紀以降継承されていったようだ。この性質上実際の運指・音域は理論上考えられる範囲より更に狭くなるが、簡素な小品や民謡においては色彩を出しやすくもなる。これはイギリス等国外で起こっていた技術革新の伝播がスペインには遅れていたことや民族主義の高まりによって文化的に隔離される状況等が遠因としてあるようで詳細調査中。
なおイングリッシュ・コンサーティーナの元になったボタン・アコーディオン(Accordion, 手風琴)は、ハーモニカ(Harmonica)の考案者とも言われているフリードリヒローダ(Friedrichroda)出身のクリスティアン・フリードリヒ・ルートヴィヒ・ブッシュマン(Christian Friedrich Ludwig Buschmann)が1822年に開発したもので、名称は和音を意味する独語アコード(Akkord)を由来としている。
右手は旋律、左手はあらゆる調の3和音が可能なボタンがついており、当初半音階は出せなかった。1829年にはダミアン(Damian)が改良、1852年にはパリのブトン(Bouton)が
旋律ボタンを鍵盤に代えたピアノ・アコーディオンを開発、4オクターヴという音域の広さや携帯性、操作性、音量的
優位性などから教育用、ポピュラー音楽等で用いられている。クラシック音楽でもロシア帝国(Российская империя 現ウクライーナУкраїна領)ソンツォフカ(Сонцовка)出身のセルゲイ・プロコフィエフ(セルゲーイ・セルゲーイェヴィチ・プロコーフィエフСерге́й Серге́евич Проко́фьев)等が作品を残している。
| French | Military |
吹口 | 小 | 大 |
活塞操作 | 左手 | 右手 |
朝顔内挿入 | 有 | 無 |
またメロフォンはフレンチ・ホルン(French Horn)型E♭2管アルト・ホルン(Alto Horn)のことでかつてアメリカや日本の吹奏楽で使われていた。軍楽でフレンチ・ホルンの代替に用いられたことからフレンチ・ホルンの形状を真似ており、軍楽ホルン(Military Horn, ミリタリー・ホルン)とも呼ばれた。現在でも回転式活塞(ロータリーヴァルヴ)メロフォンがドイツやチェコで製造されているらしい。元は19世紀半ばにウィーンやボヘミア地方で軍楽用に音域分類された際に
長管のC2管クラヴィコル(Clavicor, クラヴィコール)を短縮して短3度高いアルト楽器となった短管のE♭2管クラヴィコルのことで、
この分類では旋律担当のソプラノ楽器がB♭2管フリューゲルホルン(Flügelhorn)またはB♭2管コルネット(Cornet)。B♭2管トランペット(Trumpet)はリズム及びファンファーレ用として別扱いとなった。また長管フレンチホルンは除かれてテノール楽器はB♭1管テノール・ホルン、バス楽器はF1管ボンバルドンまたはE♭1管ボンバルドンとなる。
C2管クラヴィコルはフランスのギシャール(Guichard)が1838年にC2管アルト・オフィクレイドに活塞(Kassoku, Valve, ヴァルヴ, バルブ, 喞子Shakushi, 吸鍔Suituba)を搭載して誕生したもので1854年に日本を再訪したアメリカ海軍東インド艦隊司令官兼遣日特派大使マシュー・カルブレイス・ペリー(Matthew Calbraith Perry)の軍楽隊にも存在したらしい。
オフィクレイドは現代でのトロンボーンやテューバの役割として19世紀後半まで使用されていた低音管状吹奏楽器で、
19世紀後半以降徐々にテューバへ置き換えられた。これにはR. ヴァーグナーの影響があるようだが、「タンホイザー」ではまだバス・オフィクレイドが想定されているという指摘もあり正確な時期は不明。詳細確認中。現代でもイギリスなどでオフィクレイドを復活演奏する動きが盛んになっているという。
アルトの4度下のF1管バス・オフィクレイドは1830年代にウィーンやボヘミア地方で3機の活塞が搭載され、管体も伸長したF1管ボンバルドン、つまりバス・ホルンとなっている。コントラバス・テューバはこの改良型とのこと。また活塞が5機搭載されたモーリッツ製バス・テューバも存在しているようだ。ちなみにモーリッツはベルリン・ピストン機構を開発しており、ベルギーのクラリネット奏者・楽器製作家アドルフ・サックス(アントワン=ジョゼフ・サクスAntoine-Joseph Adolphe Sax)はこれを無断でサクソルンに搭載したことから訴訟沙汰となり、ペリネ・バルブに変更している。
A.サックスがサクソルンの後に独自開発し1846年にパリで特許を取得したサクソフォンは最初にバス楽器が造られており、これはバス・オフィクレイドにクラリネットのマウスピースを搭載するという発想から生まれたものではないかとの指摘がある。半音順にキーが開くバス・オフィクレイドに対してリコーダーやクラリネットの運指に近く操作性が向上しており、ソプラニーノからバスまで同じ運指で吹けることから持ち替え容易なのが特徴となっている。通常金属管だが樹脂製も一時流行したとのことで詳細確認中。一般にイメージされる物は小型のB♭2管アルト・サクソフォンか大型のB♭1管テノール・サクソフォンで、他には高音楽器としてE♭3管ソプラノ・サクソフォンや直管式のE♭4管ソプラニーノ・サクソフォン、低音楽器としてE♭2管バリトン・サクソフォンやE♭1管バス・サクソフォン、B♭0管コントラバス・サクソフォン等が存在する。20世紀以降ジャズ音楽で好んで用いられポピュラー音楽やロック音楽にも使用されることがあるが、19世紀にも1854年にフランス軍が軍楽隊で最初に正式採用しており、吹奏楽にも継承されている。クラシック音楽ではフランスのジョルジュ・ビゼー(George Bizet)、イギリスのレイフ・ヴォーン=ウィリアムズ(Ralph Vaughan-Williams)、С.プロコーフィエフが管弦楽に採用している。
クラリネットのマウスピースを金管楽器に搭載する試み自体はそれ以前から既にあったとのこと。A.サックスがクラリネット奏者だったことやディナンでは金属加工が盛んで真鍮製鍋、フライパンが地場産業だったことが関係している可能性があるようだ。この他にA.サックスはE♭2管コントラアルト・オフィクレイドを少なくとも2本製作しているとされる。10代で楽器製作とフルート、クラリネットを学び自作の楽器を使用して楽団のクラリネット奏者として活動していた。楽器製作の師は父で、町の楽隊のセルパン奏者だったシャルル・サックス。シャルルは建築を学んだ後家具職人となるも収入が思わしくなく、セルパンが高価だったことから楽器製作を始めたという。これが好評で、
ワーテルローの戦いの影響で国内経済が停滞し失業した後は楽器製作家に転向、フルート、クラリネット、スライド式替え管オムニトニックホルン、オフィクレイド等を製作したとのこと。王室御用達製作家になり弦楽器や鍵盤楽器製作も始めるまでになるが、ベルギー独立戦争などの影響で1830年に廃業、音響理論の研究を始める。
バス・オフィクレイドが長管化した理由は、C2管バス・オフィクレイドに活塞を搭載するとナチュラル・バス・オフィクレイドの最低音B1が出なくなる為で、F1管では活塞3機を押すと出せるとのこと。また5機の活塞を搭載した理由は基音(ペダルトーンPedal tone)まで半音階で繋がるという効果を目的としている。
テューバ(Tuba, チューバ)は元々特定の楽器の名称ではなく古代ローマで直管ホルンのことを意味していたが、17~18世紀頃には上向き朝顔(Upright)型管状吹奏楽器の総称となる。モダン・テューバの原型は19世紀初頭に楽器製造会社が新製品として開発した物で、トロンボーン(トゥロンボーンTrombone)の低音補強として改造され1835年にテューバの名が付いた。B♭2~F5ほどの音域を持つテナー・テューバ、オクターヴ低いB♭1~G4の音域を持つバス・テューバ、更に低くコントラバス・ヴィオロンと同程度のE♭1~G3という低音を持つコントラバス・テューバ等が存在。L. H.ベルリオーズが起用した頃から交響楽団に導入され、G.マーラーがソロ・パートを設けている他R.ヴァーグナーは楽劇『ニーベルングの指輪(Der Ring des Nibelungen)』に9本のテューバを入れた。特殊仕様でワーグナー・テューバと呼ばれるが、卵形ホルンに近く実際ホルン奏者が演奏する。これはホルンの音色を持った8声の和音を作る目的で開発されたもので、ホルン奏者が演奏できることを前提に設計されている。またE♭1管テューバはエドワード・ウィリアム・エルガー(Sir Edward William Elgar)がエニグマ変奏曲(Variations on an Original Theme for orchestra, Op. 36 ("Enigma"))演奏のために考案したとのこと。
C1管活塞テューバはシカゴ交響楽団テューバ奏者・カーティス音楽院教授フィリップ・ドナテリが同楽団音楽監督レオポルド・ストコフスキーにオルガンのような響きを求められたことから大型のテューバ開発をヨーク社の創業者ジェイムズ・ウォレン・ヨークに依頼、1933年に2本製作されたのが最初。リード・パイプが短く、呼吸するたびに吹口が口から離れてしまうことからシカゴ交響楽団テューバ奏者アーノルド・ジェイコブズ(Arnold Jacobs)に譲られ、もう1本はヨーク社が保管した後売却、オクラホマ大学の備品となっていたのをPh.ドナテリが偶然発見し、A.ジェイコブズが購入した。当初個人的な特殊仕様の楽器だったが、交響楽団のテューバ大型化に伴ってヨーク型テューバが注目を浴び、再現品や複製品が登場、ヨーク社のブランドと特許を継承したシュライバー・カイルベルス社も販売を行うようになった。
交響楽団では一般に上向き朝顔型テューバが坐奏されるが、軍楽で使用される場合は肩に担がれるか、前向き朝顔型テューバが立奏されスーザフォン(Sousaphone)と呼ばれている。これは「星条旗(星条旗よ永遠なれStar-Spangled Banner)」を作曲し、行進曲王と言われた19世紀アメリカの吹奏楽指揮者・作曲家ジョン・フィリップ・スーザ(John Philip Sousa)が上向き朝顔型坐奏テューバを改良した物。
なおアルト・ホルンは1840年代にA.サックスが行なったサクソルン分類ではテノール楽器とされ、テノール・サクソルンと呼ばれる。ソプラノ・ホルン相当のB♭2管フリューゲルホルン等はコントラアルト・サクソルンとなり、ソプラノ楽器には短管のE♭3管クラヴィコルが当てられた。これらはイギリスで後にブージー社(Boosey& Co.)に吸収されるヘンリー・ディスティン(Henry Distin)が販売していたが、サックス社との契約が切れた後はコントラアルト・サクソルンをフリューゲルホーン、テノール・サクソルンをテナー・ホーン、バス・サクソルンをユーフォニアム(Euphonium)と改称した。
これらの楽器はA.サックスの発明ではなく元々ドイツに存在していた物を整理した結果だという。なお
1960年頃の日本では細めのユーフォニアムをバリトン、太めのユーフォニアムを小バスと呼んでいたようだが他国での状況は確認中。
サックス社 |
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ディスティン社 |
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ボヘミア軍楽 |
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Eb4ソプラニーノ
サクソフォン |
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| | | | | | | |
Eb3ソプラノ
サクソフォン |
|
ソプラノ
サクソルン |
= |
Eb3
クラヴィコル |
| | | | | | | | |
| | | | |
Bb2アルト
サクソフォン |
|
コントラアルト
サクソルン |
= |
フリューゲル
ホーン |
| | | | |
ソプラノ
ホルン |
= |
Bb2
フリューゲルホルン |
| | | | |
B2テナー
テューバ |
Bb2コルネット |
Eb2テノール
サクソフォン |
|
テノール
サクソルン |
= |
テナーホーン |
= |
メロフォン
|
= |
Eb2
アルト
ホルン |
←
改良 |
Eb2クラヴィコル |
←
短縮 |
C2
クラヴィコル |
←
活塞 |
C2アルト
オフィクレイド | | |
ミリタリー
ホルン |
Bb1バリトン
サクソフォン |
|
バス
サクソルン |
= |
ユーフォニアム | | | | |
| Bb1
テノール
ホルン | | | | | |
テノール
オフィクレイド |
|
Bb1バス
テューバ |
Eb1バス
サクソフォン | | | | |
| | | | |
バス
ホルン |
= |
Eb1ボンバルドン |
→改良→ |
Eb1
コントラバス
テューバ |
F1ボンバルドン |
←活塞搭載← |
F1バス
オフィクレイド |
|
Bb0コントラバス サクソフォン | | | | |
| | | | | | | | |
| | B0 (サブ) コントラバス テューバ |
親指押弦は一方で17世紀後半スペインのギター奏者・作曲家でマドリー王室聖歌隊楽員でもあったフランシスコ・ゲラウ(Francisco Guerau)が反対の立場でセーハを勧めており、19世紀では優雅な外観を重視するF.ソルも肩をすぼめた無理な姿勢になると反対の立場を取っている。特に大音量獲得目的で張力が上がり横板が大きくなるなど大型化が始まったスペイン・ギターでは、指板も補強材の役割を担うため厚くなって物理的に親指による押弦が難しくなっており、南欧では普遍的な奏法に発展しにくかったものとみられる。この急激な変化は他の有棹撥弦楽器に殆ど見られないスペイン・ギターの特徴で後には英仏のギターにも影響した。ただし桿棹は響胴の大型化以前から太く同時期に起こった変化ではない。
ヨーロッパ各地のギターも棹は太くなっているが、これは6列目追加による影響の範囲にとどまる物で、指板は補強材的な要素を持たない薄めの物が多く、この点では現在の金属弦アコースティック及びエレクトリック・ギターが伝統を継承していると言える。ただ近年の6単弦エレクトリック・ギターの上駒は42㎜前後と6単弦ロマンティック・ギターよりも更に細い。これは1つにナイロン弦やガット弦よりも金属弦の方が細く頸幅を狭めることが可能であるという理由が考えられるが、フェンダー製ストラトキャスター等は1969年でも1.5吋(38.1㎜)、1.625吋(41.275㎜)、1.75吋(44.45㎜)の上駒を選択的に用意しており、更に1.875吋(47.625㎜)といったものまで存在していたようだ。最も太い物は52㎜を中心に50~54㎜前後の上駒長をとるモダン・スペイン・ギターよりもロマンティック・ギターの太さに近い。
細めの物に関してはバンジョーやテナー・ギターとの併用や乗り換えといった点が影響している可能性もあるが、
1580年頃のインスブルック(Innsbruck)のゲオルク・ゲルレ(Georg Gerle)製6コース・ラウテが上駒42㎜弦幅約37㎜、1550年頃ヴェネツィア(Venezia)のティーフェンブルッカー一族(Tieffenbrucker)製マグノ・ティーフェンブルッカー(Magno Tieffenbrucker)6コース・リウトが上駒41㎜弦幅約36㎜、1592年パドヴァ(Padova)のヴェンデリン・ティーフェンブルッカー(Wendelin Tieffen-Brucker)製ヴェンデリオ・ヴェネーレ(Wendelio Venere)7コース・リウトが上駒45.6㎜1~6列弦幅約36㎜、1580年頃のジョヴァンニ・ヒーヴァー(Giovanni Hever)製7コース・リウトで上駒約50.5㎜1~6列弦幅約38㎜となっており当時の典型だったとみられるとの指摘がある。またA.トーレス製にも弦長650㎜で上駒が48㎜前後、20世紀以降ではハウザー1世製作の物に弦長650㎜上駒43.5㎜の6単弦ギターが存在しており、弦長640㎜のギターも製作していた。拡張傾向にあったスペイン・ギターとは別に他地域のギターやその他有棹撥弦楽器に継承されていた可能性や、リウトも北米大陸に伝わっていたことからアメリカ・ギターに直接影響した可能性も考えられる。詳細調査中。
弦幅が広くなるとその分桿棹が太くなり、楽器を鳴らすという点においては阻害要因になるという指摘がある。
また弦幅の狭さは押弦時に指が他弦に接触する可能性が高まることから弦高低下の要因になり、
低い弦高は振動時に指板接触の可能性が高まることから弦の縮細化の要因となる。
演奏技術においては弦幅が狭まると移動距離短縮によって運指の効率化や高域の演奏性向上、肉体的負担軽減といった効果が生まれ
楽曲難化の要因になるとのこと。ただし、楽曲の難化が先行して弦幅に影響したのか、それとも弦幅の確定が難化をもたらしたのか、
また製作技術の進展により弦が縮細化して弦高が下がったのか、それとも弦高低下や縮細化の要請によって新しい弦が開発されたのかといった複数の可能性が生じる。弦高については、中世からルネサンス初期にかけてリウトでも意図的な振動障害を生じさせる触り(Sawari, buzzing)効果を使用していたとのことで、
弦高は元々低くかったものと思われる。この効果は16世紀のゴシック・ハープに備えられていたブレイ・ピン(Bray Pin)の影響とのこと。触りはヒンドスタン・シタールや三味線、琵琶などでも備えられている。
また弦の太さに関しては当初太め、16世紀半ば頃から品質が向上し細くなったとの情報がある。従って低い弦高と狭い弦幅の楽器に細い弦が導入されたことで楽曲が難化したと考えられるが、詳細を更に調査中。
モダン・スペイン・ギターで高い弦高が採用される理由の1つも意図しない触りが発生することを防ぐためだが、操作性が落ちる以外に肉体的負担が多くなることから、エリック・サーリン(Eric Sahlin)は1991年に彎曲指板(Twist-neck)と呼ばれる低音弦より振幅の小さい高音弦側の弦高を落とした折衷的仕様を考案しており、A.ヨークが使用している。これはA.ヨークが腱鞘炎に罹ったことで疲労感を少なくするという目的から開発された。その他一般のスペイン・ギターも1980~90年代にかけて弦高が0.5㎜ほど低くなっているという指摘がある。
なお現在古楽器の複製と称して演奏されているリュートも実際には弦高や上駒長が変更されているケースも
あるようだ。リュート奏者はモダン・スペイン・ギターから転向あるいはモダン・スペイン・ギター奏者が古楽演奏用に一時的に併用することが多いという点が関係している可能性もあるが、詳細は調査中。弦高が下がると音量が不足するという指摘があるものの楽器全体の構造次第で一概には言えないとのこと。
ナイロン弦やガット弦より張力の高い金属弦ギターでより細い棹が可能になったのは内部に彎曲した金属棒を仕込んで反りに対抗する
トラス・ロッドが導入されたことによる。これはギブソン社の
サディアス・マヒュー(Thaddeus J. McHugh)が開発した物で、1921年4月5日にアメリカで特許が出願され、1923年2月27日に認可されている。桿棹の反りを防ぐ方法としてはこの他アメリカ・アイバニーズが1990年代半ばにVSRGモデルへ搭載したテンション・フリー・ネックがある。これはスクウェア・ロッドの端で弦蔵と桿棹を分離して桿棹に張力がかからないようにしたもの。
金属弦の材質には元々真鍮や銅、鉄が使われていたが、耐久性の問題から1854年に熱処理を加えた鋼鉄弦が開発されピアノに導入された。金属フレームも同様に強化されており、この工程はイギリスで近代特許法成立後最初の認可事例となった事からパテンティング処理と呼ばれている。
なおF.ソルは爪弾奏法に対してもD.アグアドを例外としながら基本的に雑音を嫌って反対の立場を取っており、オーボエの模倣の際に指を曲げて下駒付近で弾弦する特殊奏法程度にしか使用していなかったようだ。スペインではバシリオ神父及びその弟子のF.フェランディエーレが使用しており、同じく弟子だったD.アグアドも「やや金属的だが甘い音を出せる」と語っているものの、F.ソルと出会って以降は親指を指扱に変え、全て変更するには歳をとりすぎたと述べている。しかし教則本では爪弾奏法が解説されたため、D.アグアドの教則本に則ったA.セゴヴィアは爪弾奏法を用いることになった。ただ隣に居合わせた者の観察によればその爪はかなり短かったという。19世紀の奏者ではD.アグアドの孫弟子にあたるJ.アルカス、他M. G.ジュリアーニやF. M.カルッリが爪弾、M.カルカッシやF.モレッティが指頭奏法だったようだ。
その後スペインでF.ターレガとその一派が爪弾奏法を採用したことで現在も継承されているが、E.プジョールは反対の立場を、またF.ターレガも晩年は指頭奏法に変更した。E.プジョールの場合師匠の変更の他古楽研究の中で得られた考えもあると思われるが、F.ターレガについては音色の美しさを求めた結果という積極的変更説と病気による爪の劣化からやむを得ずという消極的変更説がありはっきりしない。
他F.ターレガの主な弟子ではM.リョベートが爪弾奏法、D.フォルテアが親指のみ爪弾で他は指頭奏法。デンマーク王国(ダンマルクKongeriget Danmark)でスペイン・ギターを広めたイダ・ゴルキー=シュミット(Jytte Gorki-Schmidt)の師で、父がF. ターレガ門下、自身もE.プジョールの教えを受けたフランシスコ・アルフォンソ(Francisco Alfonso)は指頭奏法。
A.アブレウは指頭奏法に否定的で爪弾奏法は長いと湾曲しやすく引っかかる、短いと弦を捉えないとし、また丸い形が最良としている。
バロック・ギターでは現在指頭奏法が主流だが、実際には爪弾奏法が広く利用されていたとのことで、短爪が中心だが中には長爪の奏者もいたようだ。16世紀ナヴァルカルネロ(Navalcarnero)出身のヴィウエラ奏者・作曲家ミゲール・デ・フエンリャーナ(Miguel de Fuenllana)は「爪弾は技術的に確実だが芸術家の美を伝える能力を損ねる」として指頭奏法。リュートではトーマス・メイス(Thomas Mace)が指頭奏法、パヴィーア(Pavia)出身のフランチェスコ・コルベッタ(Francesco Corbetta, Francisque Corbette)は爪弾奏法。J.S.バッハとも親交のあったドゥレースデンの宮廷ラウテ奏者スィルヴィウス・レオポルト・ヴァイス(Sylvius Leopold Weiss)は爪弾を耳障りとしてラウテでは指頭奏法をとるものの通奏低音では音量を優先して爪弾奏法採用していたようだ。
アレッサンドロ・ピッチニーニ(Alessandro Piccinini)は親指が短め、他指は長めの爪を用い、装飾音での速弾きには人差指で、奏句での速弾きには親指と人差指を接近させた高速の上下運動という形で利用したという。類似の奏法では6単弦モダン・スペイン・ギターでもシュテパン・ラック(Stepan Rak)が、
低音を親指で弾きながら他3指の返し運動で擦弦楽器的効果を得るラスゲアード風トレモロ奏法や親指の上下運動を行ないながら他指を適宜使用していく親指トレモロ奏法、小指も使用して2指ずつ2弦にわたる急速なアルペッジョに親指を加えてトレモロ的効果を得る二重トレモロ奏法といった独自の奏法を編み出している。また人差指のみの弾弦はN.イエペスも状況に応じて使用、A.アブレウも「ゆったりとした楽句で効果的」との考えだったようだ。
植民地時代にスペインより伝播したアル=ウード系のヴェネスエラ・バンドーラは混合型で弾弦にピック、挑弦に爪を使用して音色に変化をつけるとの事。
世界中の撥弦楽器全体に視野を広げるとフランス・グランド・ハープやミャンマー連邦(Pyidaungzu Myanma Naingngandaw)のサワン、中世初期ウェールズ・ハープ、バビロニア垂直型三角形ハープが指頭奏法、
ボルネオ島のクニャ族が使用する17f3単弦斜傾抱撮撥弦楽器サンベ(サペー)は親指による指頭奏法。
アイルランド・ハープや中南米アルパでは爪弾奏法、バビロニア水平型三角形ハープが撥捩奏法。ヒンドスタン・シタールでは金属線を加工した義爪による爪弾奏法。北米の金属弦アコースティック・ギターでも合成樹脂または金属製の義爪による爪弾が行なわれるが、奏者の好みで組み合わせは不定。琴では7単弦中国七弦琴と12単弦朝鮮伽倻琴(Kayagum, 가야금)が指扱で日本俗箏が義爪による爪弾奏法。七絃琴では指の爪側でも弦を弾く裏打ちも行われる。これは中国琵琶でも同様だが、中国琵琶は義爪による爪弾。
大和三味線は琵琶の奏法の流用から始まっている為、バチ(撥)と呼ばれる捍撥の使用が通常だが、小唄等座敷での演奏では大音量より柔らかな音質を重視して人差指を捍撥代わりにして使用する。琉球三線は義爪による爪弾奏法だが奄美三線は棒状捍撥を、また現代では三味線用捍撥撥やギター用ピックの使用も多い。このように指撥は爪を伸ばさずに弾く指頭奏法と爪を使う爪弾奏法に大きく分かれ、爪弾奏法はまた自身の爪を伸ばす場合と義爪をはめる場合に分かれており、更に指によって指頭・自爪・義爪を使い分ける混合指撥も存在している。
再譲渡後のエンペラーのPU及びサーキットにはメガウィング・システム(後述)が搭載され、デスティニー(後述)同様H-S-H仕様となり、制禦ノブは4点となったが、これまでの傾向から推測するとリア右手から斜め下方に向かってマスターボリューム、ゲイン・コントローラー、トーン・コントローラーで、セレクター下がトーンまたはバランサーであると思われる。ただしセレクター下の2つのノブはプッシュ/プル式で高域と中域のイコライザーにフロントとリアをそれぞれ別々にシングルとハムに切り替えられるよう設定している可能性があり調査中。なお6単弦ミレニアム(後述)はこのエンペラーVer.4の仕様が元になっている。
2006年12月以降には糸巻をトゥロニカル製パワー・チューンに換えたが、LEDノブは使用していない。またこのシステム搭載に伴い下駒をピエゾPU内蔵の物に変更しており、ユニットの固定ネジも6本から2本となった。なおスプリング数は2008年2月現在テンション・スプリングが全て平行等間隔の3本、カウンター・スプリングは2本のまま。単に数を減らしただけなのかその分高強度の物に取り替えたのかは調査中。
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※エンペラーVer.1を聴くことの出来る音源
(Various)『METAL GUITARS』(1990年、ROADRUNNER RECORDS) #9「Amadeus」
ELECTRIC SUN 『RETROSPECTIVE VOL.2 FIRE WIND』(1998年、EVENT)「Amadeus」
Uli Jon Roth 『THE BEST OF ULI JON ROTH』(2007年, Marquee) CD2-#13「Amadeus」
※エンペラーVer.2を視聴可能な映像
Uli Jon Roth 『The Master Archive Vol.2』(2006年)
※エンペラーVer.3を聴くことの出来る音源
FAIR WARNING 『LIVE IN JAPAN』(1993年、WEAジャパン)
FAIR WARNING 『BURNING HEART』(1995年、WEAジャパン)
FAIR WARNING 『RAINMAKER』(1995年、WEAジャパン) #01「Stars and the Moon」のリード, #03「Too Late fo Love」のカデンツァ, #05「Don't Give up」のソロとカデンツァ, #06「Lonly Rooms」のソロ, #07「Desert Song」の2ndソロ, #12「What Did You Find」のソロ
FAIR WARNING 『ANGELS OF HEAVEN』(1995年、ZERO コーポレーション)
FAIR WARNING 『GO』(1997年、ZEROコーポレーション)
「Follow My Heart」, 「The Wait You Want It」, 「The Love Song」以外全てのソロ。
※エンペラーVer.3を視聴可能な映像
FAIR WARNING 『CALL OF THE EAST』 (1993年、VHS/DVD)#5「Eastern Sun」, #6「Crazy」, #7「Take Me Up」, #8「Long Gone」, #9「Take a Look at the Future」, #10「Children's Eyes」, #11「Hang on」, Ex01「The Heat of Emotion」, Ex04「Sukiyaki」
※エンペラーVer.4を聴くことの出来る音源
Uli Jon Roth 『LEGENDS OF ROCK LIVE IN CASTLE DONINGTON』(2002年) CD1-#8「Little Wing」
Uli Jon Roth 『THE BEST OF ULI JON ROTH』(2006年, SPV) CD2-#4「Little Wing」
Uli Jon Roth 『THE BEST OF ULI JON ROTH』(2007年, Marquee) CD2-#7「Little Wing」
Uli Jon Roth 『UNDER A DARK SKY』(2008年, Marquee)
Uli Jon Roth 『UNDER A DARK SKY』(2008年, SPV)
※エンペラーVer.4を視聴可能な映像
Uli Jon Roth 『LEGENDS OF ROCK LIVE IN CASTLE DONINGTON』(2002年) #10「Little Wing」
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