SKY Ⅵ
Gibson Piano Guitar
 ピアノの音域を2つに分割するという発想で作られた2種1対から成るギターの試作2号機。高音側の音域に相当する8単弦仕様は伊語で「右手」を意味するマノ・デストゥラ(Mano Destra)と呼ばれる。試作1号機は通常のスロテッド・ヘッドストック(Sloted headstock)で1990年完成、1991年にNAMMで発表された。
Gibson Piano Guitar
 ピアノ・ギターの低音担当7単弦仕様は伊語で「左手」を意味するマノ・スィニストゥラ(Mano Sinistra)。ピアノの音色に近づける為青銅弦が採用され、張力確保に最大傾斜83度のコンパウンド・ヘッドが採用されている。因みに一般のギブソン製ソリッド・ヘッドは傾斜14度。古くは一部に17度仕様も存在した。
Ralf Novax
 22f8単弦。1~5列目はギター弦&PU、6~8列目はベース弦&PUでアウトプットも別。調弦はE1-A1-D2-A2-D3-G3-B3-E4。ジャズ・ギター奏者チャーリー・ハンター(Charlie Hunter)等が使用。高音弦と低音弦での弦長の違いを考慮してフレットや上駒及び下駒のスラント配置が採用されている。見た目に感じる違和感ほど弾き難くはないという試奏者の感想が複数あるものの詳細不明。このような設計はルネサンス・オルファリオン(Orphareon)で既に生まれており、ナイロン弦ギターではP.ガルブレイスが使用している。詳しくは8単弦ギターの項目参照。
 両機ともマカフェリー型なのは元々試作1号機の響胴形状がアトキンス型だったもののチェット・アトキンス(Chester Burton "Chet" Atkins)本人が同じ外見を嫌がったからとのこと。 響胴孔はダミーで形状の違いはセルマー製の踏襲。D字孔(D-shape Hole)は初期セルマーからスペイン、ハワイアン、テナーの各ギターに採用されていた。楕円孔(Oval Hole)は後期セルマーでモデル・ジャズに採用されてD.ラインハルトも愛用していた他、 マルクノイキルヘンのリヒャルト・ヘルマン・ヤーコプ(Richard Herman Jacob)製ギター「ヴァイスゲルバー(Weißgerber)にも備わっており、J.ロドリーゴが作曲した「ヘネラリーフェの辺(Junto al Generalife)」の初演を行なったギター奏者ジークフリート・ベーレント(Siegfried Behrend)も所有していた。S. ベーレントは各国を楽旅し大韓民国(대한민국, 大韓民國, 韓國)でのスペイン・ギター伝播にも貢献している。19世紀ではE.ラプレヴォット製ギターに楕円孔が見られD.アグアドも使用していた。セルマーもラプレヴォットからの影響という指摘があるが詳細不明。

 これまでの新スカイギター情報としては2001年にインターネット上のファンとの交流チャットで開発予定を明らかにした9単弦スカイギターがある。高音、低音双方1列ずつ増やすとのことだが、その後実現には至っていない。演奏上の観点から更なる増設は非現実的かもしれないと認めつつも2007年10月現在尚完全に否定的ではなく、将来的な可能性には含みも持たせている。またこれとは別に誌上で次期メガ・ウィング・システムにおいてリヴァーブ、コーラスなどすべてのエフェクトをコントロール出来るようにしたいといったアイデアを語ったこともあった。

 シャントレルにA4弦を加えた7単弦仕様としては古くはヴィオラ・ダ・マーノに存在した他、ギターでは既述の通りL.ブロウが使用したギター、A.グリゴリー発案のフェンダー製24f7単弦ストラトキャスター及びギブソン製8単弦ピアノギター(Piano Guitar)やそのプロトタイプのギブソン製7単弦アコースティックギター、G.リンチが試作したESP製ギター等が存在する。L.ブロウは当初20-Ibという釣り糸を使用し、A.グリゴリーはダダリオ社製の0.006inch(0.1524㎜)ゲージを特注していた*12

 また、8列以上の低音弦を加えたギターにはカリフォルニアのラルフ・ノヴァックス(Ralf Novax)製ギターがあるが、これはベース弦を使用しており、スカイⅥも果たしてギター弦を張るのかは不明。最近では2007年にアイバニーズが8単弦エレクトリック・ギターを発表し市販している。リウト等では16世紀後半から8コース、9コース仕様なども広く利用されているが、ギターでも19世紀には既に多くの著名な奏者が多弦仕様を実践している*13。歴史的に5複弦から6単弦に移行したのは18世紀末~19世紀のことで、時代や地域、目的によって弦の数が増減することは珍しいことではない*15

 一方、フレットに関しても古くは4~8f前後が用いられ、技術やレパートリーに合わせて10f、12f、14f、17fと拡張、19世紀から20世紀にかけて現在の19f(B5)、21f(C#6)、22f(D6)に落ち着いた経緯がある。従って同様に24fやそれ以上の音域までフレットを拡張していくことも極めて自然な流れであって、単にフレットが30個あること自体は何も特別な発想でも特許となる技術でもない。また、マンドリンでは24~29fが主流であり、中には30f超の楽器も存在する。

 U. J. ロートによればこれまで製作された5本のスカイは全て試作機との位置付けで、それ以外で実際に製作されたものとしては量産型のミレニアムが存在するが、詳細は「Millennium」参照。また2008年8月現在、Ch.アダムスと共にブリッジやPUを含め全面的な見直しを行いギブソン社が製作するという次世代機の計画が浮上していることを明らかにしている。

 メモ
1単弦

 ギターとしては確認されていないが、1単弦のエレクトリックベースが存在している。1単弦琵琶も記録がある。 弦楽器全体では一絃琴やヴェトナムのダン・バウ(Ðàn Bầu)、 17世紀にヨーロッパで使用された大型擦弦楽器トロンバ・マリーナ、 16世紀にヨーロッパで教育や伴奏用として修道院で使われたモノコード、古代ギリシャでは弦長と音高の関係を調べるために開発された 実験器具としてのモノコードがあった。 中国の伝説では黄帝(軒轅)代の司楽で北里楽を作ったとされる師が一絃琴奏者と言われる。彼は玉律奏者でもあった。

 ヴェトナム・ダン・バウ(Ðàn Bầu) 弦長910㎜ 全長1030㎜ 無柱



 メモ
2単弦

 日本では明治30年代(1900年前後)に二絃琴(Nigen-Kin)が流行していたとのこと。八雲琴(Yakumo-goto)や俗曲用改良型八雲琴の東流二絃琴(Azuma-ryū Nigen-kin)等が存在している。大正琴(Taisyō-goto)は二絃琴に開発されて間もないタイプライターの機構を流用して大正元(1912)年に森田吾郎(川口仁三郎)が完成させた鍵盤付撥弦楽器で、2三重弦仕様などとなっている。

 マレーシア・スンダタン(Sundatang) 6f
 インドネシア・バタク・カチャピ(Kacapi) 弦長280㎜ 全長840㎜
 インドネシア・スラウェシ・カチャピ(Kacapi, Kacaping, Katapi) 弦長350㎜ 全長740㎜ 5~6f
 スンダ島2弦ジュンガ(Jungga) 全長~700㎜ 5f
 フィリピン・クドゥルン(Kudlung, Fagelung, Hagelung, Kudyapiq, Ketiyapiq, Kusyapiq) 弦長490㎜ 全長900㎜ 3~8f
 内蒙古族トプショウレ(Tobshuur) 弦長700㎜ 全長970㎜ 無柱
 蒙古族トプショウレ(Tobshuur, Swan-Neck Lute) 弦長620㎜ 全長880㎜ 無柱
 ロシア・コムス(Tobshuur, Khomys) 弦長600㎜ 全長860㎜ 21f
 トゥーヴァ・2弦トシュプルール(Doshpuluur, Toshpulur, Tochpuluur, Dospulur) 無柱~数f
 ヴェトナム・ダン・グエッ(Ðàn Nguyệt, Dan Kim) 弦長720㎜ 全長1000㎜ 8f
 ヴェトナム・ダン・セン(Ðàn Sến) 弦長630㎜ 全長890㎜ 14f
 ヴェトナム・2弦ダン・ティン(Dan Tính, Tinh Then, Tinh Tau) 弦長730㎜ 全長1100㎜ 無柱
 ウズベク・ドタール(Dutar) 弦長945㎜ 全長1160㎜ 12f~
 カザフ・ドンブラ(Dombra) 弦長730㎜ 全長970㎜ ?f 
 トゥルクメン・ドゥタール(Turkmen Dutar) 弦長645㎜ 全長900㎜ 12f~ 
 アフガニスタン・トゥルクメン・ダンブーラ(Turkmen Dambura) 全長~1000㎜ 無柱
 アフガニスタン・バダフ・ダンブーラ(Badach Dambura) 全長~750㎜ 無柱
  タジク・ドンブラク(Dumbrak)
 高地アトラス・2弦ロタール(Lotar) 弦長300㎜ 全長490㎜ 無柱
 アルバニア・シフテリア(Çiftelia) 弦長630㎜ 全長840㎜ 12f 1ドローン+1主弦

2コース3弦
 カンボディア・チャパイ・ダン・ヴェング(Chapey Dan Veng, Chapey Veng) 弦長885㎜ 全長1510㎜ 12f F2-B2+ユニゾン1本
 ペルシャ・タンブール(Tanboor, Tanbur, Tanbour ) 弦長670㎜ 全長870㎜ 14f 1ドローン+複主弦
2コース3弦?
 タゲスタン・アガチ・コムス(Agach Komus, Temur)

2複弦
 タイ・グラッジャピー(Grajappi, Krajappii, Krachappi) 全長~1800㎜
 タイ・ソング(Sung, Soung, Serng) 弦長410㎜ 全長780㎜ 7~8f
 ウズベキスタン・弾奏サト(Sato) 16f~
 マケドニア・タンブラ(Tambura) 弦長595㎜ 全長870㎜ ?f※1~5fはフルサイズ半音フレットで以降は一方が全音f、一方が半音f 全弦ユニゾン




 3単弦ギター、3複弦ギター
12世紀頃から絵画等に見られるようになる 3単弦有括胴擦弦楽器(復元)。 括れを持つ楽器自体は古代エジプトの頃から 存在していたようだ。
 ルネサンス以前の物としては知られていないが、中世にアラブ世界からヨーロッパに伝来した2単弦または3単弦の弓奏擦弦楽器アッラバーブやアッラバーブを起源とする弓奏擦弦楽器レベックに3単弦や3コース5弦のものがあり、擦弦楽弓の代わりに捍撥を使った撥捩アッラバーブや撥捩レベックからギターが生まれたと考えれば小型の5度調3コース有棹撥弦楽器が存在していた可能性は考えられるが、13~15世紀にギテルン(Gittern, Gyterne, Gytryn)と呼ばれる小型の洋梨形楽器が存在しており、当初は3コースで4度・5度調弦をとっていたようだ。また古来の長頸撥弦楽器の系統とみられるタンブールが小型化したものが存在していた可能性も考えられる。16世紀初めにヨハネス・ティンクトリス(Johannes Tinctoris)は ギターやヴィオル、レベック、シトール、タンブーラを全てリュラやリウトから生まれたとしているが、古代中近東での類似の楽器からの派生という意味では全く無関係とは言えないものの、この名前の通りの楽器で考えた場合直接派生したとは言えない。時代や地域によって名称や形状が異なる楽器も全て「リュート」「リラ」といった1つの言葉で表す傾向は現代でもしばしば見られるので注意が必要。

 現在も使われている物としては後世になってキューバ(クーバCuba)でトゥレース・クバーノ(Tres Cubano)と呼ばれる3複弦ギターが、またその系譜にある3三重弦トゥレースがアメリカ領プエルト・リコ島(Puerto Rico)で生まれている。
 有棹撥弦楽器全体で見ると古代エジプト新王国第18王朝期にネチェク(nṯḫ, )またはゲンゲンティ(gngntỉ, )と呼ばれるものが2単弦もしくは3単弦。現在より狭い音階で通常7~8f仕様だったようだが、中には 17f仕様も存在している。外来の楽器でメソポタミアでの歴史は更に1000年遡ったアッカド王国(أكد, Akkad)やバビロニア諸王朝へ辿り着くようだ。 当初は長頸型だが、後に短頸型も生まれている。 演奏には捍撥を使うが特殊効果的に親指でも弾弦されるため、捍撥を紐で楽器に結び付けていた。 このような形態は現在でも中東や東南アジアに存在する。弦の1本はドローンであった可能性もあるが未詳。 押弦によって音程を変化させる主弦に1つの音を持続的に響かせるドローン弦を加えた仕様も現在東欧・アジア・アフリカを中心に世界中で見られる。

※詳細確認中の暫定表
C3 D3 E3 G3 A3 B3 C4 D4 F4 G4 A4 C5 D5 G5
※54 European Gittern

※85 German Renaissance Colascione
※41 Greek Bağlama
※M3m3 Madagascar Kabosi


※5m7 Georgian Panduri
※54 Vietnamese Ðàn Đáy
※M2m3 Georgian Panduri
※44 Vietnamese Ðàn Đáy
※54 Persian Setar
※41 Kirghiz Komuz
C3 D3 E3 G3 A3 B3 C4 D4 F4 G4 A4 C5 D5 G5
※54: 5度~4度調弦
※85: 8度~5度調弦
※41: 4度~1度調弦
※M3m3: 長3度~短3度調弦
※5m7: 5度~短7度調弦

音高確認中 G A C D E F G A
※m3M3 Tres Cubano Dm調弦
※55-18L Cuatro Antiguo de 3 Cuerdas Sencillas
※4M3 Tres Cubano C調弦
D調弦
※m3M3: 短3度~長3度調弦。
※4M3: 4度~長3度調弦。

メモ
3単弦
 キルギスタン・コムズ(Komuz) 弦長600㎜ 全長890㎜ 無柱? A3-E3-A3 2ドローン+1主弦
 タイ・ジャケー(Jakhay, Jakae, Jakhae) 弦長700㎜ 全長1350㎜ 11~12f
  カンボディア・クラポ(Krapeu, Takhe, Charakhe)
  ビルマ・ミ・ギョング(Mi-Gyaung)
 タイ・ソング・リス(Sung Lisu) 弦長330㎜ 全長480㎜
 タイ・フィン(Phin)
 ジャワ島3弦クロンチョン・ギター(Kroncong Guitar) 15f
 フィリピン・キターラ(Kitara) 無柱~数f
 中国秦琴(Qín Qín, Chin Chin) 弦長550㎜ 全長810㎜ 9~12f
 中国三絃(Sān Xián, San-Hsien) 弦長650㎜ 全長890㎜ 無柱
 モンゴル・シャンズ(Shanz, Shudraga) 無柱
 トゥーヴァ・3弦ドシュプルール(Doshpuluur, Toshpulur, Tochpuluur, Dospulur) 無柱~数f
 トゥーヴァ・チャンズィ(Chanzy, Chanzi, Tyanzi) 無柱
 大和三味線(Shamisen, Samisen) 弦長765㎜ 全長980㎜ 無柱 C3-F3-C4, C3-G3-C4, C3-F3-B3
  細棹(Hosozao) 無柱
  中棹(Chuzao) 無柱
  太棹(Futozao) 無柱
 琉球三線(Sanshin) 弦長600㎜ 全長780㎜ 無柱
 ヴェトナム・ダン・ダン(Đàn Đoản, Dan Nhat, Sun Lute) 8f
 ヴェトナム・ダン・デイ(Ðàn Đáy, Vo de Cam) 弦長940㎜ 全長1240㎜ 10f G3-C4-F4, D3-G3-C4
 ヴェトナム・ダン・タム(Ðàn Tam) 弦長~550㎜ 全長900㎜ D4-G4-D5
 ヴェトナム・3弦ダン・ティン(Ðàn Tính, Tinh Then, Tinh Tau) 弦長730㎜ 全長1100㎜ 無柱
 インド・3弦タンプラ(Tampura) 全長1350㎜ 3ドローン
 パキスタン・タンブラグ(Tanburag, Dhambura, Damburo, Kamachi) 無柱 3ドローン
 グルジア・パンドゥーリ(Panduri) 弦長500㎜ 全長720㎜ 7~12f E3-B3-A4, G3-A3-C4
 セネガル/ガンビア・アコンティング(Akonting) 全長1550㎜~
 マダガスカル・ロカンゴ・ヴォアタヴォ(Lokango Voatavo) 全長550㎜ 3f
 北アフリカ・ハジュジ(Hajhuj, Hajhouj, Sentir) 弦長470・670・750㎜ 全長1060㎜
 北アフリカ・グニブリ(Gunibri, Suissen) 弦長290㎜ 全長510㎜ 無柱
 高地アトラス・3弦ロタール(Lotar) 弦長300㎜ 全長490㎜ 無柱
 中部アトラス・3弦ロタール(Lotar, Lutar) 全長900㎜
 ロシア・バララーイカ(Балалайка) 弦長430㎜ 全長670㎜ 15f
  ピッコロ・バララーイカ(Пикколо, Picckoro)
  ディスカント・バララーイカ(Дискант, Diskant)
  プリマ・バララーイカ(Прима, Prima)  E4-E4-A4
  セクンダ・バララーイカ(Секунда, Secunda) B3-B3-E4
  アルト・バララーイカ(Альт, Alto) E3-E3-A3
  バス・バララーイカ(Бас, Bass) E2-A2-D3
  コントラバス・バララーイカ(Контрабас, Contrabass) E1-A1-D2
 ロシア・ドームラ(До́мра, Domra) 弦長370㎜ 全長610㎜ 24f
  ピッコロ・ドームラ(Пикколо, Piccoro) B4-E5-A5
  マラヤ・ドームラ(Малая, Malaya) E4-A4-D5
  アルト・ドームラ(Альт, Alto)E3-A3-D4
  バス・ドームラ(Бас, Bass)E2-A2-D3
  コントラバス・ドームラ(Контрабас, Contrabass)E1-A1-D2
 ドイツ・ルネサンス・3弦コラッショーネ(Colascione) 弦長850~900㎜ 16~19f g5-c5-c4
 アメリカ・3弦グアド・バンジョー(Gourd Banjo, Banjar, Bonja, Banza, Strum-strum) 弦長~650㎜ 無柱
 3単弦クアトゥロ・アンティーゴ(Cuatro Antiguo de 3 Cuerdas Sencillas) D-A-E

3コース4弦
 ペルシャ・セタール(Setar, Sehtar) 弦長660㎜ 全長850㎜ 24f C3C4-G3-C4

3コース5弦
 ウイグル・テンボル(Tembor) 弦長1200㎜ 全長1410㎜ 31f 複弦+単弦+複弦
 西ヨーロッパ・3コース・中世ギテルン(Gittern, Guittern, Quintern) G4G4-D5D5-G5

3複弦
 キューバ・トレス(Tres Cubano) 弦長550㎜ 全長870㎜ 16f G4G3-C4C4-E4E3
 タジキスタン・パミール・ルバーブ(Pamir Rubab) 弦長720㎜ 全長870㎜ 無柱
 チベット・ドゥラミアン(Dramyen, Sgrna-Snyan) 弦長870㎜ 全長1120㎜ 無柱
 中東ボゾック(Buzok) 弦長780㎜ 全長1020㎜ 27f
 トルコ・タンブール(Tanbur, Tambur) 弦長1090㎜ 全長1360㎜ ?f 2ドローン?+1主弦
  トルコ・ヤイリー・タンブール(Yaylih Tambur)
 マダガスカル・カボース(Kabosi) 弦長410㎜ 全長700㎜ 19f D3D4-F#4F#4-A4A4

3複弦?
 ギリシャ・バーラマ(Bağlama) 弦長340㎜ 全長510㎜ 22f D5-A4-D5
 ギリシャ・ツゥーラス(Tsouras) 27f
 アルバニア・サルギヤ(Sargija, Sarkia) 12f

3コース8弦
 トルコ・サズ(Saz) 弦長800㎜ 全長1150㎜ 24f 三重ドローン弦+複ドローン弦+三重主弦
  ジュラ・サズ(Cura Saz)
  バーラマ・サズ(Bağlama Saz)
  ディワン・サズ(Divan Saz)
  メイダン・サズ(Meydan Saz)

3三重弦
 アゼルバイジャン・サーズ(Saz) 12f?
  イラン・ゴプーズ(Qopuz, Ghopooz)



 4単弦ギター、4複弦ギター
 16世紀頃使用されていた物は通称ルネサンス・ギター(Renaissance Guitar)と呼ばれる。ただし4単弦ギターや4複弦ギター自体は現在も使用されている。

 ルネサンス(renaissance)は再生を意味する仏語。 1855年にフランスの歴史家ジュール・ミシュレ(Jule Michelet)が「文芸復興」の意味で最初に使い始め、その後1860年にスイスの美術史家ヤーコプ・ブルクハルト(Jakob Burckhardt)が『イタリアにおけるルネサンスの文化』の中で 「中世の終焉」「近代の始まり」という概念として捉え、政治史中心の近代歴史学に対して芸術の側面から歴史を見ることで時代の 本質を探ろうとする文化史という領域の先駆になった。

 ルネサンスではスコラ哲学や中世キリスト教的束縛からの解放として古代ギリシャ・古代ローマの文化再興や人間尊重(humanism)等が謳われる。一般に13世紀末~16世紀頃とされイタリアに始まりその後他地域に波及したされるが、1927年にはアメリカの歴史家C. H. ハスキンズが「12世紀ルネサンス」を唱えた他、8~9世紀にカロリング・ルネサンスがあったとする指摘、イスラーム世界や東ローマ帝国(ビザンツ帝国)ではイタリア・ルネサンス以前から既にギリシャ文化の研究・継承が盛んでイタリアは後発になるという指摘、西欧においても絵画や音楽分野ではネーデルラントからイタリアへ及ぼした影響があるといった指摘など、J. ブルクハルトのイタリア中心・先発論に対する反論も20世紀以降多数提出され議論になっている。

 17世紀以降の科学的な価値観とは違うことから前近代的な印象も強いが近代社会の基盤はこの頃から始まっており、宮廷支配・農村社会が中心だった中世に対して14~15世紀以降は官僚支配・都市社会が発達し始めた。背景には 十字軍戦争の際に中東の先進的な科学・文化に触れたことや軍事技術の変化により主力が騎士・歩兵から砲兵になったこと、大幅な人口減を齎したペスト流行後の人口増加や商業の活発化、印刷技術の発達による情報流通等があったようだ。

 官僚社会の発達により理想的支配者像が「有能な戦士」から「有能な官吏、教養の持ち主」へと変化、また都市社会が発達し様々な功罪が現れてくる中で現実社会の肯定と懐疑が同時的に発生、当初理想とされていた古典の忠実な再現も次第に過去の古典を疑い始める思想が登場し、宗教や倫理と政治や科学、文化との分離も始まって宗教改革や科学革命へ向っていくといった影響があらわれた。

 「ギター(Guitar, Guitarre, Guitarra, Ghiterra, Ghiterna, Guiternes, Guiterner, Guitarres)」という名称は「キタラ(Cythara)」に由来すると言われる。キタラは『聖書』でも「Κιθαρα」として登場し、「創世記」第4章第21節ではユバル(Iubal)が発明したとされているが実態は不明。古代ギリシャではリュラ(λυρα, リラ, ライア, Lyre, Lyra, Leier, Lira)の高級仕様として職業音楽家用や競技用独奏楽器として使われていた撥弦楽器だが、前4世紀タレントゥム(Tarentum)の音楽家・哲学者アリストクセノス(ριστόξενος, Aristoxenus)はリュラの別称であるキタリス(Citharis)と同じ物ではないと述べているところから、キタラとリュラははっきり区別されていた可能性があり、また混同されるような名称も並存していたようだ。外来の楽器でまたの名をアシアス。メストゥリオス・プルタルコス(Πλούταρχος)曰くレスボス族の歌手が使っていた楽器という。

 5~18単弦の各種仕様があったようで、指や捍撥を使って演奏し、ギリシャ哲学では7本の弦が7つの惑星を意味すると考えられていたようだ。15~16世紀のイタリアの絵画にリュラを奏でるアポロンとされる実体は7単弦のヴィオロンが描かれているが、7単弦リュラを意図したものと考えられるものの構造的には無関係。意図的な変更なのかリュラについての情報が無かった故の誤認なのかは詳細確認中。またイングリッシュ・ヴァイオレットを小型化して生まれたとされるヴィオラ・ダモーレ(Viola d'Amore)も主弦が7単弦となっているが、関連の有無は調査中。

 紀元後2世紀ローマ(Roma)の哲学者ボエティウス(Boethius)によれば、ラコニアから亡命してきたミレタ人ティモテウス(Timotheus of Miletus)が11単弦仕様だったものを7単弦仕様にし、それが広まったという。響胴より伸びた2本の腕木の先端に架けられた渡木に弦が張られた左右対称形竪琴で、構造上はギターと直接の関係はないとみられる。現在でもペルシア湾岸でタンブールとして東アフリカ系音楽家の間で使用されているとのこと。人類発祥の地とされるエチオピア連邦民主共和国(የኢትዮጵያ ፈደራላዊ ዲሞክራሲያዊ ሪፐብሊክ, Ityop'iya Federalawi Demokrasiyawi Ripeblik)ではベゲナと呼ばれる8単弦仕様の類似楽器が使用されているようだ。古代にエジプトから伝わったようだが詳細確認中。隣国ケニア(Republic of Kenya)でも伝統楽器として現在も使用されている。なおタンブール(タンブーラ、タンボーラ、タンブリン)は竪琴の他に東欧~中央・西アジアでは有棹撥弦楽器を、西欧・南米等では打楽器を指す場合があるので混同に注意。

 名称についてはラテン語でギターをチタラ・ヒスパニカ(Citara Hispanica)という点を考えると近い形状をした楽器の名前を借りたようだ。言葉そのものはチテラ(Cithera)、セテラ(Cetera)、セトゥラ(Cetra)、チャイドゥラ(Tschaidra)、 スィトゥル(Citre)、スィドゥラ(Cidra)、セドラ(Cedra)、スィタル(Citale)、スィトーラ(Citola)と様々に変化し、キタラという言葉も現在でもギターを意味する語として伊語(Chitarra)や希語(Κιθάρα)に残っている。また似たような名前ではギテルンが、中世イタリアでは地中海地方でクロッタ(Chrotta)またはロッタ(Rotta)という名前の楽器も存在していたらしい。

D3 A3 C4 D4 G4 A4
※45-41L
※44-41L
※45-41L: 4度~5度調弦+④1音下げ
※44-41L: 4度調弦+④1音下げ
 これらの楽器は主に4度と5度から成る調弦。これは持続低音が弾き易い、ピタゴラス調律が容易、1430年頃までの西欧大陸側では3度音程を不協和音と考えていたことが理由と言われているが、4度や5度調弦はユーラシア大陸全体で多い構成なため関連を確認中。ペルシャ古典音楽の音律はピタゴラス音律から発展したもので、アラブ古典音楽へも受け継がれている。中世ヨーロッパは技術・思想面において西アジアや中東からの影響を大きく受けている。 なお3度音程はブリテン島等では用いられていたようだが、この起源やヨーロッパ以外の地域での利用状況については調査中。

 西欧大陸側で3度音程を協和音と考える手法は 教会音楽の多声化に貢献したブルゴーニュ公国(Bourgogne)の聖職者・聖歌隊歌手・作曲家ギョーム・デュファイ(Guillaume Dufay)やシャンソン等世俗歌曲の多声化に貢献した宮廷作曲家・サント・ウォードリュ教会オルガン奏者・聖歌隊歌手ジル・バンシュョワ(Gilles Binchois)等フランドル楽派(ネーデルラント楽派)と呼ばれる音楽家達が新曲に導入したことに始まるとされている。背景にイギリス出身の数学者・天文学者・占星術師・作曲家ジョン・ダンスタブル(John Dunstable)の影響があるようだが詳細不明。その後同派が北フランスやオランダ各地の司教座聖堂、教会参事会の主要ポストを独占し、教会聖歌隊で活動したり、宮廷やパトロンの求めに応じた新曲の作曲を行ったことで広まったようだ。

~整理中~
1154 アンジュ伯アンリ・プランタジュネがヘンリー2として渡英
     妻アリエノール・ダキテーヌは南仏トロバドゥール歌曲の中心地で育った。
       →複数のトゥルバドゥールが同行
       →宮廷は仏語ノルマン方言使用。大陸由来の仏語歌曲中心に宮廷音楽活動盛ん、楽譜で残り始める
     (英)歌曲はフランシスコ修道会系宗教曲&c.一部。聖俗の厳格な分離はまだなく世俗的な性格も。
 ブルゴーニュ公国ではブルージュに、フィレンツェを中心に学者や芸術家の支援を行っていたメディチ家の銀行の支店があり、イタリア商人も多く居住していたことでイタリアの情報を伝えると共にブルゴーニュ公国の絵画や音楽の新作をイタリアへ売り込む仲介役を果たしている。イタリア・ルネサンスで従来言われているイタリアから各地へ広まったとする史観に対する疑問の1つはこの状況から出てきた。

 ブルゴーニュ公国はフランスのディジョン(Dijon)を中心としたブルゴーニュ伯領が元だが、 ヴァロア朝のジャン2世(Jean II)の息子フィリップ勇胆公(Philippe le Téméraire)がフランドル伯領のルイ3世の娘マルグリットと結婚して領地を相続している。以降現在のベルギーやオランダ南部の各地を併合しパリを中心とするフランス王と対抗する勢力になっており、ヴァロア朝のシャルル8世の頃からイタリアへ遠征を行っている。次のオルレアン家ではフランソワ1世が神聖ローマ皇帝の選挙でカール5世に破れてから本格的なイタリアへの介入やルター派諸侯を援助して宗教改革・宗教戦争にも絡んでいくことになる。カール5世はスペインでのカルロス1世に当たり、ブルゴーニュ公国のシャルル勇胆公(Charles le Téméraire)の曾孫。スペインで「フランドルのヴィウエラ」という表現が出てくる点とこの政治的国際関係や通商との関連も疑われるが詳細確認中。

 その他ツィターやシターン、チェンバロ等も語源的にはキタラに由来する。ギリシャ語で[k](クッ)の音を表すK(カッパKappa)はラテン語でのC(ケー)に相当するが、紀元前後頃から「Ci」と綴られるケースでは発音が[ti](ティ)に変わり、更にイタリア以東では[ʧi](チ)、[ʦi](ツィ)へ、一方イタリアより西では[si](スィ)に変化したようだ。ラテン語はローマ近郊のラティウム方言が元になっているが、ラティウムもラツィオ(Lazio)という呼び方に変化している。綴り上語末に存在する文字が読まれないのは現在でもフランス語やスペイン語の一部に存在しているが、これは紀元後の俗ラテン語にも既に現れていた現象で、発音上だけでなく綴りの上でも男声語尾「-us」や中性語尾「-um」が消失したり「-o [o]」と発音に追従している場合が周辺諸国語も含めてみられる。

 ギリシャ文字でのΚがラテン文字でのCに当てられたのは、中~北イタリアに勢力を持っていたラスナ(RasnaエトルリアEtruria)人が使っていた言葉に[k]と[g](グッ)の区別が無く、アルファベットがギリシャからラスナ語を通じてラテン語に入ってきた際ギリシャ文字で[g]に相当するΓ(ガンマGamma)が変形したCを[k][g]両音に使うようになったことからと言われている。その後[k]と[g]を使い分けていたラテン語では区別の必要からCに線を1本加えたG(ゲー)を作って[g]の音として独立させ、ラテン語には無かった[ʣ](ズッ)の音を表すギリシャ文字Ζ(ゼータZēta)の位置に置くことになる。しかし後にラテン語にも[z](ズッ)や[ʣ]の音が入ったためにZ(ゼータZēta)を最後尾に加えた。結果、ギリシャ文字では3番目のΓ、6番目のΖがラテン文字では3番目及び7番目と24番目になり、[k]の音を表すのにK(カー)の場合とCの場合が混在するようになった。ラテン語でもKは使われるが、ラスナ語で後にaを伴うケースで使われた名残として現れるなど限定的。

 この他にダイグラフのQuChも存在するが、これはCが「Ci」や「Ce」の綴りをとった時に音が変わったことを受けて本来の[ki]や[ke]を表す意味で記号的に置かれたようだ。「Gi」を[ʤi](ジ)、「Ge」を[ʤe](ジェ)と発音するようになったところから[gi](ギ)や[ge](ゲ)と区別するために「Gui」「Ghi」や「Gue」「Ghe」が生まれたのも同じ。

 元来ラテン語ではQuとして後に母音を伴う時に使われて[kw](クゥ)と発音するもので、Q(クー)はラスナ語で既に後にuが続くケースでしか使われていない。U(ウーŪ)は元々V(ウーŪ)と同一で、[u](ウゥ)または[v](ヴッ)と読まれて大文字ではVのみ使われていたが、小文字ではvとuで書き分けられるようになった。更にvはF(エフEf)と有声無声の違いしかないことから混同が起こったようで、fiddleはvioleと語源的には同じ。またuは子音で使われる場合を特にwと書き表す習慣が10世紀頃のノルマン人のフランス語から現れ、これもVと混同されてからWを[v]と発音されるケースも生じている。
 一方Chは気息音を伴う[](クハァッ)を表すギリシャ文字でのΧ(キーkhī)の互換に使われていたが、発音が難しく[k]と区別されなかった。それが原因でギリシャ語ではΚを使う語でもラテン語に輸入された際にCではなくChと誤記されるということも起こった。学校(スクールSchool)の語源となったスコラ(Schola)はその一例で、ギリシャ語ではΣκολαであることから本来はScolaまたはScolaeとなる。ちなみにラテン文字X(イクスIks)は[ks](クス)を表すがこれはギリシャ文字Xが西方で[ks]、東方で[kʰ]という音を持っていたことと関係しているらしい。ギリシャ文字ではその後Ξ(クスィーKsī)という文字が作られて[ks]の音はこちらで対応している。
 同様に区別されず表記上の違いだけを持つ気息音にΘ(シータThīta)やΦ(フィーPhī)がある。Θはラテン文字でThと書かれるが[t](トゥッ)音を表すΤ(タウTaw)、ラテン文字でのT(テー)と実質同じ扱いになっている。ところがΦはラテン文字でPhと書かれるものの[p](プッ)音を表すギリシャ文字Π(ピー)、ラテン文字でのP(ペー)よりは気息音が優先されて聞こえたのかFと実質同じになっている。なお[f]音を表す文字は元々Fhと書かれており、F単独のものは[w]の音を表す「Ϝ」、通称ディガンマ(Digamma)としてEの後に置かれていた。これはギリシャ語に[f]音がなかった為ラスナ語において生まれた方法がラテン語に受け継がれた結果による。

Hurdy-Gurdy
 リュラは古代ギリシャでは初めポホルミンクス(Φόρμινξ, フォルミンクスPhorminx)、その後キタリス、シェリス(Sherrice?)、古代ローマではテストゥード(Testudo)と呼ばれていたようで、更に 遡れば古代エジプトの中王国第12王朝期以降ケネネル(knnr, )として使われていたが、これもアラブ系遊牧民バダウ(بدو, ベドウィン, バダウィーbadawī)によって齎された外来の楽器とみられる。 ギリシャ神話では主神ゼウスと巨人族アトラスの娘マイアの間に生まれた商業・交易神ヘルメスが亀の甲羅に弦を張って作ったといった話があり、ローマ神話ではヘルメスにあたるメルクリウスがナイル河の氾濫後に見つけた干からびた亀の甲羅と神経から作った3弦の楽器で、オルフェウスに贈られて弦が4本追加されたという話があったようだ。 この「リュラ(リラ, ライア)」という名称も中世以降地域や時代によってハープ、リウト、レベック、フィドル、ヴィオル、ハーディ・ガーディ(Hurdy-Gurdy)、クラヴィツィテリウム(アップライト式チェンバロ)やピアノなどを指すケースがあり、混同に注意が必要。例えばF. P.シューベルトが1827年、ヴィルヘルム・ミューラー(Wilhelm Müller)の詩に曲を付けた歌曲集「冬の旅(Winterreise D911, Op.89)」の第24曲「辻音楽師(Der Leiermann (Drüben hinterm Dorfe) D 911,24 a-moll)」に登場するライア(Leier)はハーディ・ガーディ(ドゥレーライアDrehleier)のこと。ハーディ・ガーディは中世にシンフォニ(Symphonie)と呼ばれた箱型の楽器が起源で、他にテオルボ(Theorbo, Theorbe, Tiorba, Théorbe)やサンブカ(Sambuca)という呼び名もあるようだが、 テオルボはその後通奏低音に使われる大型リウトのキタローネ(Chitarone)を指して使われるのが一般的になった。サンブカは元来ギリシャでハープのことを指し、このギリシャ・サンブカも遡ると前3世紀頃はマガディン(Magadin)という名前だったようだ。

 また、「ギター」をアラビア語由来とする話もありこの場合は「ギ=4」、「ター(ル)=弦」を意味する4弦の楽器ということだが詳細不明。 アッシュールではケタラ(Kethara?)、ヘブライ(Hebrew)ではキンヌラまたはキンノール、新バビロニア(Neo-Babylonia)でクィトラ(Quitra?) という名前がいずれも「3弦」の意であったという情報があり詳細調査中。

 ラテン語や古典ギリシア語等と同じ印欧語族に属し文法的に近い梵語ではchaturが「4」を、tarが「弦」を意味する他、ヒンドゥー語(हिन्दी, Hindi)やウルドゥー語(اردو, Urdu)、ベンガル語(বাংলা, Bengali)でも「タール(تار)」が「弦」を指す。またペルシア語では同様の構造でカルタール(Chartâr)が「4弦」、セタール(Setar)が「3弦」、ドタール(Dotar)が「2弦」、エクタール(Ectar)が「1弦」を意味し、インドのヒンドスタン・シタールはセタールの延長上に古来の24f4単弦+3共鳴弦楽器ヴィーナ(Veena, వీణ)と融合して17世紀頃生まれた楽器と言われているようだ。ただしここでのヴィーナは箏琴(Sō no Koto)やツィターと同じ几案状撥弦楽器の一種で、前2世紀頃~7世紀にかけて舞踏伴奏や合奏に使用されていた弓弧形竪琴と同名だが別物。またヒンドスタン・シタールは棹上の押弦可能な位置に7本の弦が張られているが、うち4本はドローンで押弦に使う主弦は3本。 南アジアにおける弓弧形竪琴はアンコール=ワットにも浮彫が残る13単弦ミャンマー・サワンに残っており、合奏で使用されている。これは映画『ビルマの竪琴』に登場した楽器としても知られている。

 なお日本の箏は一般に「こと」と呼ばれるが、「こと」は平安時代までは(Kin)、()、琵琶(Biwa)の総称でもあった。中国でも琴が指している対象がはっきりしないこともあるが、本稿では混同を避けるため琴(キン)と箏(ソウ)を区別しておく。

 琴は箏と似ているが通常は7単弦で琴柱が無く、13個の把位を示す(ホイhuī, 琴節)を目安に音高を変える。かつては螺蚌製で後に金玉製に変わったとされる。13は12の月と1つの閏月を表している。雅楽用の楽器で古くは「禁」に通じ「邪心を禁じ人心を正しくする」とされた。現代中国語では琴が[qin]、禁が[jin]と若干違っているが、日本語では現在でも双方とも[kin]と読んで共通する。他人に聞かせるためではなく己の心を楽しませるとして貴族に人気があった。白居易等の漢詩にも箏や琵琶と共にしばしば登場している。

 「徽」は元来糸巻に巻きつけた弦の事を意味する言葉だが、後に琴節を意味する用語になったとのこと。一方、車に渡す横木を「軫」というが、ここから 糸巻の事も軫と呼ぶようになり、転軫とも称される。徽軫も糸巻の意味になるが、更に軫は箏の琴柱の意味も持つようになっている。加賀(現石川県)の金澤にある兼六園には箏の琴柱に似た2本足の燈籠が設置されているが、これは徽軫燈籠と書いて「ことじとうろう(Kotoji tōrō)」と読ませている。通常燈籠は3本足以上で、2本足でもバランスを保っている点に職人の技術の高さが見られるとのこと。

 最古は前漢代に作られた馬王堆漢墓から出土した7単弦仕様。唐代の開元二十三(735)年に製作されて日本に伝来し正倉院に現存 している全長1145㎜の「金銀平紋琴(Kingin-Heimon-Kin)」も7単弦仕様。 現代中国で使用されている古琴も7単弦仕様と一貫しているが、異種が無かったわけではなく 曽侯乙墓出土の琴は5単弦仕様と10単弦仕様、貴渓崖墓出土の琴は13単弦仕様となっている。貴渓崖墓琴は箏説もあるものの琴柱の形跡は確認されていないとのこと。

 伝説では炎帝(神農)が発明し宮商角徴羽に調弦した5単弦仕様が最初とされ、西周の文王の時代(前12世紀)に少宮と少商の2列が追加されて7単弦仕様になったという。この5単弦神農琴は小弦と呼ばれ、一方27単弦仕様のと呼ばれる琴が大弦とされた。

 琴の奏者としては孔丘(孔子)の師に当る春秋魯の楽師、「断琴の交わり」の故事で知られる伯牙、戦国楚の瓠巴、 後漢の劉昆、唐の岐王で兄の李鼓年李鶴年と共に梨園所属の宮廷楽師だった鞨鼓・篳篥奏者・作曲家・歌手李亀年、青浦萬壽院道士劉敏、詩人白居易、明では嵊縣出身の詩人徐伯齡、清代では瑞安出身で『琴学入門』を著した張鶴、長洲出身の張崗、山水画家でもあった張逸等。また東晋の役人・詩人陶潛(字名: 淵明)は音楽が出来なかったことから酒の席で弦を張っていない無弦琴を愛用していたと言われる。

 箏は大きく楽箏、俗箏に分かれるが、いずれも7世紀以降に大陸から伝わったもの。更に古い類似の楽器に和琴(倭琴Wagon, あづまごとAzuma-goto, やまとごとYmato-goto, むつのをMutsu-no-o)が存在し、大和雅楽で使用される。 万葉仮名で書かれる大歌(Ōuta)の伴奏にも使われ、平安初期に22首の和琴譜を記した琴歌譜(Kinkafu)が作られたとされる。天元4(981)年の写本が現存しているようだ。

 和琴は日本固有とされるが、これは大和雅楽で唐楽や高麗楽等が確立した時点においてそれより古い物を固有としているだけのようで、構造的にも箏等中国伝来の楽器と類似しており起源は同様に大陸と考えられる。詳細確認中。古代から現在まで6単弦仕様だが、かつては7単弦や8単弦仕様もあったという説もあるようだ。正倉院和琴は6単弦で檜製。第2次世界大戦後最初の日本考古学協会による本格的な発掘調査となった静岡県(Shizuoka Prefecture)の登呂(Toro)遺跡等弥生時代(前5~後3世紀頃)の古墳から出土している物は5単弦仕様とのことで、5単弦箏、5単弦筑、5単弦琴といった楽器との関連が疑われる。弾琴男子倚像と呼ばれる埴輪にも琴または箏と考えれる楽器が象られている。 朝鮮では6単弦の玄琴が存在しているが、これは中国七絃琴が高句麗で改造されたと物と言われているようだ。

 中世以降の民間で使われている俗箏は現在通常13単弦で凹形調弦。ギター同様奏者の目線に最も遠い方から弦列を数えるが、音高は逆で手前にくるほど高くなる。また11列目を(To)、12列目を(I)、13列目を(Kin)と呼ぶ。元々は仁智禮義信文武斐蘭商斗爲巾と全てに文字が当てられていたとのことで詳細確認中。朝鮮カヤグムで口伝唱歌に使うクウム(口音)でも12の弦全てに違う名前が当てられていたが、現在ユニゾン弦には同じ言葉を当てているとのこと。

各種箏の調律例
C2 D2 E2 F2 G2 A2 B2 C3 D3 E3 F3 G3 A3 B3 C4 D4 E4 F4 G4 A4 B4 C5 D5 E5 F5 G5 A5 B5 D6
古箏 二十一絃 D調
21
記譜表記
・・

・・

・・

・・

・・










・・
俗箏 十三絃 曙調子
記譜表記
楽調子


乃木調子
雲井調子
C2 D2 E2 F2 G2 A2 B2 C3 D3 E3 F3 G3 A3 B3 C4 D4 E4 F4 G4 A4 B4 C5 D5 E5 F5 G5 A5 B5 D6
俗箏 十三絃 古今調子



半雲居調子
平調子
十七絃 平調子
記譜表記
C2 D2 E2 F2 G2 A2 B2 C3 D3 E3 F3 G3 A3 B3 C4 D4 E4 F4 G4 A4 B4 C5 D5 E5 F5 G5 A5 B5 D6
楽箏 壱越調
記譜表記

俗箏 二十絃 ハ長調
十三絃 中空調子



本雲井調子
十七絃 ハ長調
記譜表記
和琴
俗箏 低音十三絃 「潮の響き」
アイヌ・トンコリ
C2 D2 E2 F2 G2 A2 B2 C3 D3 E3 F3 G3 A3 B3 C4 D4 E4 F4 G4 A4 B4 C5 D5 E5 F5 G5 A5 B5 D6
上段丸付数字は本稿共通の目線最奥から数えるギター式。
下段は各楽器での記譜上の表記。
実際の数え方は俗箏が目線手前から、古箏が最奥から。
基準音は楽曲や用途によって上下するのであくまで目安。また基音を壱越以外でとる場合はそれに合わせて各音がずれる。

 起源は(Zhù, Chiku)形竹製5単仕様でその後7単弦、更に(Qín, Shin)の蒙恬(Méng Tián, Mōten)が形木製12単弦仕様に改良、唐代に13単弦仕様になったとする記事もあるが、これは清の朱駿聲が道光十三(1833年)『説文通訓定聲』が出典とみられる。 しかし13単弦仕様は後漢初に既に出現しており、唐箏以前にも後漢箏、隋箏があったとされる。又、 後漢の京房が響音測定器として准器と呼ばれる13単弦の楽器を開発しており、これが13単弦仕様の元祖との指摘もあるようだが断定はされていない。 そもそも箏の起源自体が現在でもはっきりしておらず、 瑟改造説、筑改造説、蒙恬発明説、京房発明説、后夔発明説、西方伝来説等があるとのこと。 筑改造説では音色を「錚錚」と形容していた事と竹を使っていることから「箏」という名前が生まれたとしている。 戦国趙では筑も箏も使用されており、竹の棒で打弦する5単弦筑から5単弦竹箏が生まれた、更に 12単弦蒙恬箏以降になって奏法が指撥に変化したとも言われる。しかし筑には13単弦仕様も存在していることからこれが直接箏へと 変化していった可能性もある。伝説には25弦を兄弟が13弦と12弦に分割して生まれたとする話があり、趙璘の『因話録』等に掲載されている。

 この他12単弦仕様としては清楽箏や雑楽箏があり、清楽箏では鹿骨爪で弾奏されたとの記録もある。。 日本の正倉院箏は13単弦仕様。

 朝鮮半島で使用されるカヤグムでは現在も12単弦。中国伝来と推定されるが時期は不明。 伽倻嘉実王の臣だった于勒弘安が改造してカヤグムが確立、伽倻滅亡後は新羅真興王の家臣として 活動したことから日本へは新羅琴(Shiragigoto)として伝わっており、 正倉院に全長1582㎜の新羅琴金薄輪草形鳳形(Shiragigoto Kinpakuwa-no-Ōtorigata)が残されている。 なお伽倻は『日本書紀』で言う任那(Mimana)のこと。

~整理中~
6弦朝鮮玄琴
拉琴=軋琴、軋箏琴。邯鄲・豫北・晋東南地域の武安平調の伴奏楽器。現代擦奏箏
古箏 現代中国箏 銅弦→鋼鉄弦
弦桐 琴。神農が桐を削って作ったといわれる。
弓琴 琴の一種
 日本では宮城道雄(Michio Miyagi)が1921年頃13単弦の凹形調弦を廃して更に低音を追加した17単弦仕様を開発、またピアノの音域に影響された80単弦仕様も開発した。17単弦仕様は現在でも合奏や現代邦楽で使用されおり、更に15単弦仕様や文化琴(Bunkagoto)と呼ばれる短小仕様等も存在している。米川琴翁(Kin'ō Yonekawa)も同じく大正時代に2オクターヴほど低い13単弦仕様の低音十三絃(Teion Jūsangen)を開発、合奏に導入している。

 十三絃では全て同一のゲージ、低音十三絃や十七絃になると低音は太いゲージの物を使用、響胴や琴柱も大きくなる。義爪も厚めの物を使用するとのこと。弦列の増加は西欧音楽、特にピアノの影響を受け、また7音階を必要とする傾向とも関連して野坂惠子(Keiko Nosaka, 現野坂操壽)は1969年に20単弦、1971年に低音を追加した21単弦、1987年に22単弦仕様を導入、1991年には映画『ゴジラ(Godzilla)』シリーズの背景音楽を担当したことで知られる作曲家伊福部 昭(Akira Ifukube)のピアノ曲「日本組曲」を演奏するため25単弦仕様を開発した。古典曲とは用途を区別していたこともあってこのような拡張仕様導入に否定的な批判は特に無かったという。他に宮下秀冽による30単弦使用も存在するとのことで詳細確認中。

 箏は楽器の形状から竜に例えられ、有棹撥弦楽器での弦蔵に当る箇所は龍頭(Ryūtō)、以下糸巻の覆蓋は龍唇(Ryūshin)、上駒は龍角(Ryūkaku)、響胴・桿・指板相当の箇所は龍甲(Ryūkō)、底部・緒留相当の箇所は龍尾(Ryūbi)、脚部は龍手(Ryūshyu)及び龍趾(Ryūshi)と呼ばれる。他、下駒は雲角(Unkaku)、フレット相当の箇所は琴柱(徽軫Kotoji)。なおミャンマーのモン族が使用する箏の一種ミジョーン(鰐琴, 鼉首箏)は鰐を模した形になっており、物理的には胴体部分だけでも演奏可能だが実演では必ず頭部と尾部が取り付けられる。これはモン族が鰐を重要視していることと関係しており、楽器名も現地語で鰐を意味している。唐代に貢物として記録に残っていることから7世紀頃には既に存在していたようだ。

 この他百済琴(Kudara-goto)と呼ばれる楽器も存在するが、これは弓弧形竪琴のことで元の名を竪箜篌(Tate-kugo)という。箜篌には他に鳳首箜篌(Hōsyu-kugo)や臥箜篌(Ga-kugo)が存在。臥箜篌は紀元前2世紀頃の西漢(前漢)第7代劉徹の時代に竪箜篌を寝かせて25単弦仕様にしたところから生まれたとされる物で、瑟とも呼ばれる木製の楽器。 ヨーロッパでの撥捩プサルテリウムに近い。箏が影響を受けたのはこの瑟だが、秦は漢より古いので蒙恬が瑟を元に箏を改良したとすれば、武帝代以前から存在していたことになる。また伝説では更に古い三公五帝時代に伏羲が50弦瑟を擁していたとされる。素女に弾かせて悲しげな音を好み、更に弾かせたところ壊れて25弦になってしまったという。

 25弦仕様では黄帝瑟が雅楽に使用されたという。他に大瑟が27弦とされる。23弦仕様は宋代に19本のみが使用されたというが、現在では使用されていない。 朝鮮では正俔が1493年に著した『樂學軌範』に25弦仕様の図が掲載されているが、楽器自体は『三国志』「魏書」の東夷伝辰韓条で既述されている事から辰韓には既にあったことになる。日本では「おほごと」とも呼ばれ正倉院に残る瑟の龍尾板が24弦用となっている。

~整理中~
瑟=意符:珡の略字+音符:必
	8尺1寸
	庖犧が発明。
	50弦、黄帝が素女に弾かせるも悲しみ25弦に分かつ。
		『繋傳』黄帝使㆔素女鼓㆓五十絃瑟㆒、黄帝悲、乃分㆑之爲㆓二十五絃㆒。
	『楽書』朱襄が士達に5弦を使わせる。瞽瞍(Kosō)8-260が15弦、更に23絃に。
	『礼圖』雅瑟	8尺1寸。23弦で19弦分を常用。
		頌瑟	7尺2寸。25弦で全弦常用。
	減ラシ㆑瑟ヲ足ス㆑琴ヲ	伏羲が瑟の弦数を減らし、文王が琴の弦数を増したこと→琴瑟に習熟すること
	『淮南子』「泰族訓」瑟不シテ㆑鳴ラ而二十五絃各以テ㆓其ノ聲ヲ㆒應ジ、軸不シテ㆑運バ而三十輻各以テ㆓其ノ力ヲ㆒旋ズ。
		瑟は鳴らないのに其の25本の弦は各々其の声を以って応ずる。→徳は自らなすなくして、自然に応ずるものあるを言う。
オウ甌	擊甌、扣甕、拊甁
	12の磁製のかめに水を満たし、箸で叩いて十二律の音を出させるもの。
	唐武宗大中初、天興県丞の郭道源が行う。
 琴瑟筑箏には様々な記述があって各楽器の定義ははっきりしないが、全般的には弦の数が少ない小弦が琴や筑、弦の数が多い大弦が瑟で、琴が多弦化した中弦的な位置に箏があり、各楽器の亜種が互いの領域に抵触していくといった傾向が見られる。春秋時代の陵墓から25弦箏が発見されているとの情報があり詳細確認中。 逆に現存最古となる马王堆汉墓出土の戦国楚瑟は13弦仕様。

 この他木製箏の前身と言われる竹製箏が似ていたという筑は竹尺を使って弾奏する撥捩弦楽器。 楽器全体が竹製と考えらたこともあったようだが、馬王堆漢墓や曽侯乙墓から出土した筑は共に木製響胴だった。これらは共に13単弦で、 他に5単弦や21単弦といった仕様があるとのこと。奏者としては戦国燕の高漸離が知られる。 日本では中能島欣一(Kinichi Nakanoshima)が1955年に作曲した「箏と三弦の為の組曲(Sō to Sangen no tameno Kumikyoku)」第3曲で打棒を使用して箏を演奏している。

 方言があることに加えて春秋戦国時代は各国で文字が異なっており、後世に通じる文字や諸制度はこれを統一した戦国秦のものであることや、地質・気候上の問題から文字資料の出土がほぼ楚秦に限られていること等も瑟、箏、筑、琴の区別や由来、位置付けが古来より曖昧になっている原因の1つと思われる。

 9世紀後半アッバース朝のブハラ(Bukhara, 現ウズベキスタン共和国O'zbekiston Respublikasi領)周辺出身とみられる哲学者アル=ファーラービー(アブー・ナスル・ムハンマド・イブン・アル=ファラク・アル=ファーラービーأبو نصر محمد الفارابي, Abū Nasr Muhammad ibn al-Farakh al-Fārābi)が記した史上初の音楽専門書と言われる『音楽指南(كتاب الموسيقى الكبير, Kitāb al-Musīqa al-Kabīr, 西語題Tratado de Música,)』には、スペイン=アラブ系音楽学者カディ・ムハンマド・イブラーヒーム・アハレヒー(西語表記Cadi Mahomed Ibrahim Ahalehi。Kadhi Muhammad Ibrahim Akhalebiか?)によるトルトーサのアブ・ベッカーからの伝聞及び私見の記述が紹介されており、それによればギターまたはキタラは複弦の5弦から成り元の名をミウラビ(Miurabi)というアラブ民族発祥の楽器となる。ただしここでいう「ギターまたはキタラ」という名称が現在でいうギター系楽器なのかはっきりしない。また「複弦の5弦」は5複弦とも、複単混成の3コース5弦や4コース5弦ともとれる。アッラバーブや中世レベックの仕様からすると元々3単弦で、ヨーロッパに渡って複弦化しシャントレル単弦の3コース5弦になったという可能性はあるが詳細不明。

 左右のギターは双方とも16世紀の8f4コース7弦ギター。シャントレルのみ単弦で2~4列目は複弦。複弦化したのは14世紀中頃のようで、理由は豊かな音響や音量増幅のためとみられるが、元々はレキンタ(Requinta)と呼ばれる5度間隔の副弦が張られており、後にオクターヴ差に変わって現在へ続いてるという流れもあるようなので、1度5度が単弦で並んでいる状態から隣接弦が接近し複弦仕様が完成した可能性も考えられる。撥弦楽器ではその方が掻弦が容易く、また小型の楽器に弦を増やして音量を増やすにも都合がよい。 他に16世紀迄のリウトが当初オクターヴ複弦だったのは「太い獣腸弦に欠ける高次倍音の補充」で、良質のガットが生産されるようになった16世紀半ば以降ユニゾン複弦に変わったという指摘もある。またヴィウエラでは同時期に既にユニゾン複弦だったが、これはイベリア半島で良質の獣腸弦が早くから存在していたことによるという指摘があり、中東からの技術の伝播が影響している可能性がある。 詳細は調査中。

 16世紀始め頃7コース・リウトは既に存在していたが、当時の「7弦キターラ(la Chitarra da Sette Corde)」と呼ばれる物は7単弦ギターではなくこの4コースギターのことを指している。日本では江戸時代初期(17世紀前半)に信方(Nobukata)が描いたと伝えられる洋風画「婦女弾琴図(Fujo Dankin (no) Zu)」に撥弦楽器が見られ、形状や奏法からするとヴィオル形響胴のヴィウエラ・デ・ペニョーラ(あるいはマーノ?)に思われるが 4コースなところからギターとの関係も疑われる。描写の正確性も含めて詳細確認中。日本には同じ構図の作品が3点ほど残されているようだ。 16世紀以降ヴィウエラは指撥のみと考えられているが、現代の教則上指撥とされているギターでの現実を考えても実際には撥捩も行われていたと推測されるので詳細確認中。この点に関連してヴィウエラ・デ・ペニョーラが17世紀イタリアで広がったキターラ・バッテンテに、その他フランスのギタル・アン・バトー(Guitarre en Bateau)、ドイツのヴェルブギターレ(Wölbgitarre)やシュラクギターレ(Schlaggitarre)、スペインのギターラ・トスカーナ(Guitarra Toscana)へと発展したという情報があり現在確認中。ただキターラ・バテンテは1564年製10f接続15f複弦仕様や10f接続14f仕様、10f接続10f5複弦仕様の楽器が残されていることから16世紀中には既に様々な弦楽器の亜種として使用されていたとみられる。

 16世紀後半の日本ではこの他リウトもハヴィエル出身のイエズス会派(ソチエタス・イェスSocietas Jesu)司祭・東インド管区長フランシスコ・ザヴィエル(フランシスコ・デ・ハソFrancisco "Padre Mestre Xavier" de Jaso)が来日した大和朝第105代後奈良(Go-Nara)帝知仁(Tomohito)代・第29代(室町幕府第14代)征夷大将軍足利義輝(Yoshiteru Ashikaga)期の天文十八(1549)年頃から宣教師によって伝えられていたようで、1562年には島原の初等学校で音楽教師サンチョスがヴィオラと声楽を教え、オルガンの無かった教会で伴奏楽器として使ったとされている。ただしここでの「ヴィオラ」がどのような楽器を指しているのかは詳細不明につき確認中。日本最古のローマ=カトリック教会聖歌歌唱記録は1552年12月25日に山口で行われた歌ミサ。また1556年にはF.ザヴィエルの後任管区長として来日したヌーネスが単旋律聖歌集及び多声教会音楽の楽譜を持ち込んだとのこと。この頃の祈禱文やローマ=カトリック教会では反動宗教改革(Counter Reformation, Gegenreformation, 反宗教改革, 対抗宗教改革)中に廃されたスペイン固有の地域聖歌の一部が現在でも「歌オラショ(Uta-Oratio)」として長崎県の一部地域で隠れキリシタン(Hidden Christian)が歌い継いでいる。今は特に隠れているわけではないが、明治以降布教活動が認められた際ローマ=カトリック教会に合流せずに伝承してきた典礼様式を守り続けている集団が区別してこう呼ばれている。まとまった組織があるわけではなく集落単位で行われているもので、地域によって様式が若干異なるが、信者の高齢化や人口減少などにより存続が危ぶまれている。

 また天正十(1582)年には大友宗麟(Sōrin Ōtomo)、有馬晴信(Harunobu Arima)、大村純忠(Sumitada Ōmura)が、伊藤マンショ(Mansho Itō)と千々石ミゲル(Miguel Chijiwa)を正使、中浦ジュリアン(Julian Nakaura)及び原マルチノ(Martino Hara)を副使とした所謂「天正遣欧使節」を派遣し第266代ローマ教皇グレゴリウス13世(Gregorius XIII)に謁見、クレモーナにも3日間滞在した後、第107代後陽成(Go-Youzei)帝周仁(Katahito)代の天正十八(1590)年にヴィオラ、チェンバロ、ハープ、リウト、レベック、シャリュモー、フルート等を持ち帰ったという。ただし各楽器の具体的な機種については不明で確認中。少なくとも現代の楽器とは違うので混同に注意。 なおS.大友が遠征先で獲得した領地に名付けた務志賀(Musika)及び現在の宮崎県にある無鹿町(Mujika-machi)の語源は葡語で「音楽」を意味するムジカ(música)と言われているようだ。

 西語でも音楽はmúsica、また伊語musica。独語ムジークMusik、英語ミュージックmusic、仏語ミュジクmusique等欧州各国で共通している他、 アラビア語でもmusīqaと言う。語源はギリシア神話に登場するゼウスの娘ムーサイMusaiで英仏語表記ミュズMuse。 音楽・詩文・学問の神でヘレニズム時代以降各学問分野担当の9人に増加している。アニメ『機動戦士ガンダム』に登場するジオン公国軍軽宇宙巡洋艦ムサイの語源も同様かは未確認。同作品では希語や独語由来と思われる名称も多い。その他ジャンルを問わず物語にはギリシャ神話由来の名称等が頻出する。

 その後関白豐臣秀吉(豐臣秀吉Hideyoshi Toyotomi)の前で演奏を披露して好評を得たようだが、天正十五(1587)年に既にバテレン追放令が発布されており、第108代後水尾(Go-Midzu-no-WoGo-Mizu-no-&334;)天皇代第33代征夷大将軍(江戸幕府第2代)徳川秀忠(德川秀忠Hidetada Tokugaha, Hidetada Tokugawa)期の慶長十七(1612)年に禁教令が発布される等の政治情勢から存続することはなかったみられる。ただ江戸時代でも出島(Dejima)の外国人居留地ではオランダ商館などで奴隷による演奏が行なわれていたようで、図録にはソプラノ・ヴィオロンやバス・ヴィオル、ハープ、ショーム、フルート、小太鼓等が描かれている。

 なお、「婦女弾琴図」の物と似たような形状ではアヴィオリナード(Aviolinado)と呼ばれるヴィオロン形響胴がプエルト・リコ島のクアトゥロ(Cuatro)で使われている。これは20世紀前半に島北岸で生まれ1930年代にラディスラオ・マルティネス(Ladislao Martínez)の演奏と共に島全体に広がったものとみられ、この時金属弦5複弦仕様や現在の調弦も定着したようだ。エレクトリック・ギターでは1953年にギブソン社初のソリッドボディ・エレクトリック・ベースギターとして登場した20f4単弦ギブソン・エレクトリック・ベース(Gibson Electric Bass、後のEB-1)が、1956年にヴァルター・へフナー(Walter Höfner)が設計した22f4単弦ヴァイオリンベースが登場、いずれもヴィオロン形響胴を採用している。この他明治期の日本の獣腸弦ギターにヴィオロン形があることから近代の欧米諸国にも存在していたと思われる。詳細調査中。幕末の浮世絵には三味線の捍撥を使用してヴァイオリン形の弦楽器を弾く様子も描かれている。20世紀以降でもヤイリ(K. Yairi)製20f6単弦ナイロン弦ギターFK-I、エレクトリック・ギターではファーストマン(Firstman)製22f6単弦ギター、リヴァプール(Liverpool Special)等が存在。

婦女彈琴圖Ladislao Martínez & Cuatro Aviolinado de Diez Cuerdas
 4コースギターで現存する最古の楽器はミラノのジョヴァンニ・スミト(Giovanni Smit)による1646年製で弦長565㎜。これはモダン・ギターでの2カポほどの長さになる。全体的には 弦長で大別すると370㎜型と500㎜型に分かれるという。前者はモダン・ギターでおよそ9カポまたはソプラノ・ウクレレよりやや長いくらい、後者はモダン・ギターで4カポまたはバリトン・ウクレレよりやや長いくらいの大きさに相当。

 作曲家としてはパドヴァのリウト奏者・カトリック司祭メルキオーレ・デ・バルベリース(Melchiore de Barberiis)など。M. d.バルベリースの楽曲はフランス等にも持ち込まれており、イタリア出身でフランスで活動したアドリアン・リップがM. d.バルベリースのの「ファンタジア1番(Fantasia Prima)」をフランス式タブラチュア指位譜に直し「ブランル(Bransle)」として出版している。 ただルネサンス期やそれ以前のギターは極小サイズの物から大型の物まで様々な大きさ・形状・調弦・奏法・位置付けの物が存在しており、便宜上「ギター」という言葉を使っていても現代において一般に「ギター」と言われる楽器のイメージとは切り離して考えるのが吉。また同様に「ギター」という名前で呼ばれていない楽器についても一義的に排除せず、有棹撥弦楽器全体を漠然と捉えることが混乱や偏見を避ける無難な方法と思われる。

 この頃の使用材は表面板がブナ(Beech)や楓(シカモア)、横板・裏板がローズウッド、メイプル、シープレス、チェリー、ウォルナット、梨(ペア)、エボニー、象牙(Ivory)、指板がボックスウッド、鳥目楓(バーズアイ・メイプル)、ローズウッドだったようだ。弦蔵と桿棹、ヒール、ブロックは一体が通常だったという。

※ルネサンス・ギターの調弦。
実際は 楽器の大きさによって5度~オクターヴほどの違いがあったと思われる。重要なのは具体的な数値としての基準音や絶対音高より むしろ弦列が完全5度~長3度~完全4度、完全4度~長3度~完全4度といった音程になっていること、 合奏であれば歌手や他楽器と調があっていること。この感覚は現代日本では洋楽器より三味線等和楽器の用法を参照する方が分かりやすい。
 ル・ロワ調弦はアドゥリアン・ル・ロワ(
Adrian Le Roy)が1551年に出版した「ギター学習者のための優しい手引き(BRIEFVE ET FACILE INSTRUCTION POUR APPRENDRE LA TABULATURE A BIEN ACCORDER, CONDUIRE ET DISPOSER LA MAIN SUR LA GUITERNE)」より推測されたもの記事によって内容にブレがあるため異なるものは全て収集してある。
音高不明B♭BCDEFGAB♭ B CD E F G A
Barberiis


凹形調弦


新調弦

旧調弦

La Roy I
音高判明分 G2 C3D3E3F3G3A3B3C4D4E4F4G4A4
La Roy II
新調弦系

新調弦系


La Roy III
La Roy IV
La Roy V
Phalése
La Roy VI
旧調弦(副弦不明)
新調弦(副弦不明)
 主な調律は右表の通りだが、記事によって音名のもの、階名のもの、複弦を含めるもの含めないもの等ありかなり曖昧なところから 詳細確認中。ギター・パートはタブラチュア指位譜で書かれているため音高がはっきりしない。同属楽器で音域分担はしないものの様々な大きさの楽器があり、また弦の入手状況等の要因も含め標準のようなものははっきり決まっていなかったと思われる。 音名が特定されている記事の場合は併記されている歌唱旋律が絶対音高を示す白符定量記譜法と呼ばれる記譜になっていることやタブラチュア指位譜及び実際の運指等の衡量から推定されているようだ。歌の演奏に合せて調弦を変えていたとは考えられないことから歌手が楽器に合せて移調していたとする考えもあるようだが実態は不明。弦楽器での変則調弦は珍しいことではなく1種類の調弦を標準とし汎用的に適用する考え方の方がむしろ特殊に近い。また獣腸弦の安定性の低さから変則を嫌ったとしても曲ごとに楽器を換えるという方法もまた器楽奏者の間では当時から現代に至るまで行われていることから断定が出来ない。J. ベルムードはヴィウエラに関して、多くの楽器を使用する奏者を良いとし、最近曲に合わせて楽器を換えずに調弦を変える奏者が出現しているとも言及しており、地域や時代によって主たる運用法が違ったり流行も変化していた可能性がある。

 なお4列目がブルドンではなく音程として1列目と2列目の間にくる調律法は 凹形調弦(Re-entrant Tuning)と呼ばれ、ナポリの音楽理論家 シピオーネ・チェラート(Scipione Cerrato)が1601年に書いた論文 『声楽及び器楽の実践について(De la Prattica Musica Vocale et Strumentale)』 には既に現れている。このような特徴は現在でも世界中の有棹撥弦楽器で見られ、むしろこちらの方が主流 と言えるかも知れない。代表的なものではハワイ(ハヴァイーHawai'i)のウクレレ(ウケレレ'Ukelele, Ukulele)。

 ウクレレの構造は一木造、現在はセットネック式の寄木造が通常で胴材にはコアを使っていた他、乾燥タロイモを使用していたこともあったようだ。後にM.マッカフェッリが開発した合成樹脂製の物が大流行し、900万台生産されたと言われている。名称はハワイ語で「跳ねる蚤」を意味しているが、ハワイ発祥ではなく1879年にポルトガル移民アウグスト・ジアス(Augusto Dias)、マヌエル・ヌーネス(Manuel Nunes)、ジョアン・フェルナンデス(João Fernandes)が齎したスペイン由来と推測されるポルトガルのブラギーニャ(Braguinha, ブラギーニョBraguinho, ブラギニョンBraguinã)をM.ヌーナスが改良した物。1884年迄にM.ヌーナスがウクレレ楽器店を開いており、1917年にアメリカで特許が認められて以降欧米に広まっている。19世紀後半当時はプランテーション労働者としてポルトガルを始めノルウェーやフィリピン、日本、李氏朝鮮(대조선국, 大朝鮮國)、清から1万人を越える移民が渡っていたという。

 ブラギーニャの名称は古都ブラガ(Braga)が由来で、ポルトガルのマデイラ島では マシェーテ・デ・ブラガ(Machete de Braga)と呼ばれることから単にマシェーテ(Machete, マシンボMachimbo, マシンMachim, マンシェーテManchete, マルシェーテMarchete)とも呼ばれる。 ただブラギーニャの調弦はD4-G4-B4-B5やD4-G4-B4-D5で、響胴サイズはウクレレの元になっているが、 調弦に関してはポルトガルの5コース6弦楽器ラジャン(Rajãn)からブルドンのD4を除きユニゾン複弦だったシャントレルを単弦にしたものに相当、ウクレレ自体も当初は5コース仕様だったという話もある。 現在の標準調弦はルネサンス・ギターでの新調弦(Temple Nuevo)の4弦をオクターヴ複弦とした系統を小型楽器用に8度上げたものにも相当し、副弦のうち高音側を採用すると所謂ハイGウクレレ、低音側を採用すると所謂ローGウクレレになる。またヌーナス家に伝わる古楽器は4複弦仕様で3列目のみがオクターヴの新調弦系ルネサンス・ギターの小型版になり、複数の楽器が持ち込まれ統合されたようだ。ギター自体はカヴァキーニョ伝来以前の18世紀末にメキシコのバケーロと呼ばれる人々が放牧の技術供与目的で渡来した際に伝えられたという。

 ポルトガル系の移民はハワイより旧植民地のブラジルに多く、コーヒーのプランテーション栽培が盛んになった19世紀後半~20世紀前半には年間3万7千人もの移住者がいたという。この他アルゼンチンも牛肉の輸出等で大きな発展を遂げたため、スペインを始めとしたヨーロッパからの移民が多い。 ブラジルへはブラギーニャがカヴァキーニョ(Cavaquinho,カヴァーコCavaco)として浸透、モジーニャ音楽の伴奏として使われ、器楽合奏を中心としたショーロ音楽へ発展していく。

 ショーロ音楽は19世紀後半に当時首都だったリオ・デ・ジャネイロ(Rio de Janeiro)の労働者街シダーデ・ノーヴァを中心に職業演奏家が余暇に遊びでポルトガルのポルカ舞曲を変形させたところから生まれたとされる。 ポルカ舞踊は19世紀後半~20世紀にかけて独墺のカフェやビアホール等でも小編成の楽団によって演奏されていた。

 語源的には「泣く」を意味する動詞ショーロ(Choro)からで、すすり泣くような音を奏でることから奏者をショロンと呼び、音楽自体はショリーニョと呼ばれていた。ショーロという名称が音楽の名前として使われたのはピアノ奏者シキーニャ・ゴンザーガが作品発表した際に用いられたのが最初期のようだ。 カヴァキーニョは旋律楽器として、和音と低音楽器にはギターが使用される。即興演奏を行なうが、基本的に原曲の旋律から離れることはない。

 後にリオ出身のフルート奏者ジョアキン・アントニオ・ダ・シルヴァ・カラード・ジュニオールがフルート及びカヴァキーニョ、ギター×2という四重奏を確立、これによりピッコロやトロンボーン、クラリネットといった吹奏楽器奏者にも受け入れられる。またギター奏者ジョアン・ペルナンブーコ(ジョアン・ギマランイス・テイシェイラ)やキンカス・ラランジェイラス等が伴奏楽器だったギターをソロ楽器としても使用するようになる。

 またフルート奏者ピシンギーニャ(Pixinguinha)が1919年にオス・オイト・バトゥータスを結成しパリ公演も行うなど、地域を越えてショーロ音楽の存在が知られるようになった。なおピシンギーニャは1946年に身体的理由からテナー・サクソフォンに転向している。また同楽団のギター奏者は「サンバ」として初めて紹介された曲「電話で(ペロ・テレフォーニ)」の作曲者ドンガ(エルネスト・ドス・サントス)。サンバ音楽はアフリカ由来の舞曲とリオで使われていたヨーロッパ系の楽器が混合された点で、ヨーロッパ系住民の音楽から発展したショーロ音楽とは異なるが、両者は互いに影響しあっている。

 20世紀半ば頃になると、吹奏楽器に代わって4複弦撥弦楽器バンドリン(Bandlim)が旋律楽器として台頭するようになる。この楽器はマンドリンの改良型と言われているようだが、響胴形状はポルトガル・ギター等に見られる玉葱形フラット・バックが多い。アタックが強く音量が大きいとの理由で広まった。リオ出身のジャコー・ド・バンドリン(Jacob do Bandlim)やルペルシ・ミランダ等がショーロ音楽で使用、更にジャズ音楽の要素も取り入れられるようになる。また1978年にはカメラータ・カリオがクラシック音楽の手法を取り入れたという。クラシック音楽の側ではH.ヴィラ=ロボスがショーロ等ブラジルの要素織り込んだ「ショーロス」を作曲している他、1925年に14曲からなる「セレスタス(ブラジル風セレナーデ)」を作曲、その第5曲「モヂーニャ」のギター伴奏用編曲をO. P.コエーリョが後に依頼している。ショーロ音楽は通常器楽専門だが、変形後のポルカ舞曲に関してはマシーシ(Maxixe)、更にタンゴ・ブラジレイロとなり、ワルツはヴァルサ・ブラジレイラとなっている。

 また、インドネシア共和国(Republik Indonesia)のジャワ島(Java)にはウクレレと同じくブラギーニャの系譜にある3単弦または4単弦のクロンチョン(Kroncong)と呼ばれる楽器が存在する。これは16世紀にポルトガル人が齎したのがきっかけで、1611年にオランダ東インド会社(Verenigde Oost-Indische Compagnie)が拠点を構えた後、ポルトガル系混血住民23人をバタヴィア(Batavia、現ジャカルタJakarta)北東部のトゥグーに住まわせたことから独自の文化として存続した。こちらもラジャンの影響があるのか元は5単弦楽器だったようで、糸巻は5つある。語源は演奏時の音からとった擬音語のようで元来楽器の名前だが、19世紀後半以降インドネシア各地に受け入れられ始め、大衆演劇コメディ・スタンブルに用いられたことで流行、民族主義と結びついて国民的音楽としての性格を帯びる中で楽種名として使われるようになった。調弦もソプラノ・ウクレレと同様なことから現在はウクレレで代用されることも多いが、これは1920年代にハワイアン音楽が流行したことの影響も受けているとみられ詳細確認中。

Model Tenor
 ブラギーニャ以外の南米での4コースギターとしてはメキシコで使われる4複弦のハラーナ(Jarana)、ヴェネスエラやプエルト・リコ島で使われるクアトゥロが存在する。クアトゥロ(Cuatro, クアトロ)は西語で「4」を意味し、ヴィウエラ・ポブラーナ(Vihuela Poblana)由来と言われる4単弦ギターだが、元々は3単弦で共鳴用に4列目が追加され、後に主弦に含まれて使われるようになったという。

 ヴェネスエラ・クアトロは1980年頃迄は「小さなギター」を意味するギタリータ(Guitarrita)と呼ばれていたとのこと。A-D-F#-Bとルネサンス・ギターの旧調弦同様の完全5度~長3度~完全4度のように見えるが、単弦の凹形調弦をとっており、シャントレルは2列目のF#4。1列目はB3となっている。これはギターより和音の内声が緊密になることや最高音が跳躍せず歌の伴奏にも適しているとの指摘がある。4列目のみ複弦の4コース5弦スィンコ・クアトゥロ(Cinco Cuatro)も存在しているとのことで確認中。 通常器楽曲や歌曲で和音伴奏を担い、ヴェネスエラ・アルパやマラカスとの3重奏が行われる。またチャスキーオと呼ばれるカッティング奏法による弾挑が輪廓作りと打楽器的効果を与える。J.ロドリーゴが作曲コンクールで1位を獲得した6単弦スペイン・ギター独奏曲「祈りと踊り(Invocación y danza)」を初演した6単弦モダン・スペイン・ギター奏者アリリオ・ディアス(Alirio Diaz)も最初の楽器は4単弦ヴェネスエラ・クァトゥロで、伯父が持っていた1838年出版のF. M. カルッリによる教則本で学んだとのこと。6単弦スペイン・ギターは低音担当として使用されるが、A.ディアスやアントニオ・ラウロ等は旋律も含めた演奏をこなすようになり、他ロドリーゴ・リエラ、ラウル・ボルヘス、ルイス・セア、ルーベン・リエラ、アキレス・バエスといった奏者が継承しているとのこと。

 プエルト・リコ島では複弦仕様も生まれ単弦仕様を古期クアトゥロ(クアトゥロ・アンティーゴCuatro Antiguo)、複弦仕様は南部クアトゥロ(クアトゥロ・デ・スールCuatro de Sur)と呼ばれている。近年はスペインのバンドゥーリアやラウード(Laúd)の影響を受けた5複弦仕様の現代クアトゥロ(クアトゥロ・モデルノCuatro Moderno)が主流になっている。 プエルト・リコ出身のホセ・フェリシアーノ(ホセ・モンツェラーテ・フェリシアーノ・ガルシーアJosé Montserrate Feliciano García)はクアトロ・モデルノを独奏で使用。

 ラウードはアル・ウードのアラビア語定冠詞「al (ال)」をスペイン語に変えたもの。 一般にスペインでは古くからギターやビウエラが盛んでリウトはあまり用いられなかったとされているが、ラウードやバンドゥーリアによる合奏は19世紀~21世紀現在でも民間で行われており、また「フランドル・ビウエラ(La vihuela de Elandes)」が16世紀スペインではリウトのことを意味していたとする情報があることから詳細確認中。トーレス型モダン・スペイン・ギター奏者として知られるE.プジョールも最初の楽器は捍撥を使用したバンドゥーリアで、ギターとの合奏団においてソリストを務めていた。その後ラウードやリラ・ギターも弾いていたとのこと。モダン・スペイン・ギターでは1863年製作のA.トーレス製6単弦ギターを使用していたが、これは元々A.カーノが使用していた物。A.トーレスも奏者バルトロメ・カテウラ(Bartholome Cateura?)向けにバンドゥーリアを製作している。

 その他1635年頃イタリアにナポリ風小型ギター:キタリーノ・ア・ラ・ネアポリターナ(Chitarrino a la Neapolitana)やイタリア小型ギター:キタリーノ・イタリアーナ(Chitarino Itariana)と呼ばれるモダン6単弦ギターの標準調弦1~4列目D3-G3-B3-E4に相当する小型のギターが存在しており、フランスやスペインでは5コース・ギターが普及していたもののイタリアではスペイン・ギターに対してイタリア・ギターとして5コース・ギターと共に並存していたようだ。また20世紀前半に欧米でテナー・ギターと呼ばれる4単弦ギターがあり、リッケンバッカー社がエレクトリックを、マーティン社がアコースティックを生産、セルマー社でもギターの全生産数のうち2割以上を占めている。調弦は5度間隔のC2-G2-D4-A4や4単弦テナー・バンジョーと同じC3-G3-B3-D4であるところから、マンドリン合奏の低音パートやバンジョーのギター仕様としてポピュラー音楽等に使われたようだ。

 テナー・バンジョーも4単弦仕様だが起源については詳細不明。古来からある長頸撥弦楽器の一種が西アフリカ経由でアメリカに渡った物のようで、北アフリカのバニラを改良した物とも言われている。西インド諸島で瓢箪果実を刳り貫いて現地調達されたり、また北米で箱や缶などの日常品を利用して手作りされていたが、これは打楽器が興奮を呼び暴動に繋がることを懸念して奴隷には禁止されていた一方弦楽器の自作・演奏については規制されていなかったこと等も発達を促したようだ。呼称は様々で1678年にバンザ(Banza)が、1781年にはアメリカ合衆国第3代大統領トーマス・ジェファーソン(Thomas Jefferson)の記述にバンジャー(Banjar)が現れる。 他にはバンジャー(Banjer)、バンジー(Banngie)といった名前も。元々は獣腸弦が張られ無柱の3単弦だったようだが4単弦、更には5単弦以上も生まれて多くでフレットが打たれるようになる。

 現在使用されているモダン5単弦バンジョーの原型は1830~60年代に流行したミンストレル・ショウ(Minstrel Show)で有名だったジョエル・スウィーニー(ジョエル・ウォーカー・スウィーニーJoel Walker Sweeny)が考案したものだが、5単弦という仕様自体はそれ以前からも存在していた。ミンストレル・ショウはM. C.ペリーの使節が1854年に横浜(横濱, Yokohama)を訪れた際の祝宴で披露され、「日本で最初に演じられた近代西洋音楽」とも言われているようだが、人種差別的な意味合いがあることから現在では行われていない。またこの時日本で最初にギターが奏でられたようだが、それ以前でもキリスト教伝来の際や出島に持ち込まれていた可能性があることから調査中。この時のミンストレル・ショウでの楽曲としてはフォスターの「主人は冷たい土の中」等が歌われたという。その他公式行事では軍楽隊が「星条旗」や1798年にジョセフ・ホプキンソン(Joseph Hopkinson)が作曲したアメリカ愛国歌「ヘイル・コロンビア(Hail Columbia)」、滞在中に事故死したミシシッピー号二等水兵ロバート・ウィリアムズ向け葬送行進ではG. F. ヘンデルのオラトリオ「サウル」の行進曲を演奏したとのこと。楽器としては3ピストン・コルネット、4ピストン・クラヴィコル、6ピストン・オフィクレイド、ナチュラル・ホルン、小朝顔トロンボーン、軍楽太鼓等が使用されている。開国後には横浜海岸通(現在の山下公園前)で毎週のように野外演奏が行われW. A.モーツァルト、ジョアキーノ・アントーニオ・ロッシーニ(Gioachino Antonio Rossini)、ダニエル=フランソワ=エスプリ・オウベル(オーベールDaniel-François-Esprit Auber)、フェルディナンド・エロール(Ferdinand Herold)、G.マイアーベーア、ドメニコ・ガエターノ・マリーア・ドニゼッティ(Domenico Gaetano Maria Donizetti)、ヴィンツェンツォ・ベッリーニ(Vincenzo Bellini)、カール・オットー・エーレンフリート・ニコライ(Carl Otto Ehrenfried Nicolai)、フリードリヒ・フォン・フロトウ(Friedrich von Flotow)、シャルル・フランソワ・グノー(Charles François Gounod)、G. F. F.ヴェルディ、ヨハン・シュトラウス2世(Johann Strauss II)、ヨーゼフ・シュトラウス(Joseph Strauss)の楽曲が演奏されていたことから、下田や函館、長嵜等各地の開港地、寄港地でも演奏が行なわれていたと思われる。詳細確認中。

 日本人が使用するために楽器を最初に持ち込んだのは野球用具やスケート用具を初めて齎し、三味線の東明流を創始した平岡吟舟(平岡 熈Hiroshi "Ginshiu" Hiraoka)で明治九(1876)年のことだが、それほど使用されなかったようだ。その後明治三十四(1901)年に欧米で膝臏夾立式ヴィオロンチェッロやツィター、ギター、マンドリンを学んだ比留間賢八(Kempachi Hiruma)がギターやマンドリン、ハーモニカ(Harmonica)を日本に持ち込み、マンドリン&ギター合奏の指導を行っている。

 バンジョーは当初「奴隷の楽器」と区別されていたが、早くからアフリカ由来のアメリカ音楽に注目していたヨーロッパ系音楽家も少なからずいたようで、ドイツのオーボエ&コントラバス・ヴィオロン奏者ゴットリープ・グラウプナー(Gottlieb Graupner)は1790年頃、演奏旅行の道程でアフリカ系アメリカ人がバンジョーで歌っているところに出くわして興味を持ち試奏、帰郷後バンジョー曲を作曲。「陽気な黒人少年(The Gay Negro Boy)」は1688年に出版されたアフラ・ベーン(A. Behn)の小説『貴人奴隷オルノーコ(Oroonoko: or, the Royal Slave)』の劇場版に使用されて1799年に上演された。

 ウィーン出身のピアノ奏者&作曲家ヘンリ・ヘルツ(Henri Herz)は1840年代に『アメリカ紀行』の中でバンジョーの響きや和声、アフリカ系音楽の旋律美やアフリカ系アメリカ人の音楽的才能を賞賛している。そしてA. L.ドヴォルザークは音楽教師として1890年代前半にアメリカに滞在した際興味を持ち、「アメリカ音楽の将来は所謂黒人のメロディーにかかっている」と述べたという。この頃に作曲された交響曲第9番「新世界」や弦楽四重奏曲 第12番 ヘ長調 作品96「アメリカ」(The String Quartet No. 12 in F, Op. 96, B. 179, "the American")、膝臏夾立式モダン・ヴィオロンチェッロとオーケストラのための協奏曲 ロ短調 作品104(Concerto for Violoncello and Orchestra in B minor, Opus 104)にはその影響が現れていると指摘されている。

 アメリカでは1865年の南北戦争(Civil War)終結後に中産階級向けの通信販売品として人気になり、1880年代以降上流階級も含め広く流行するようになるとボストン(Boston)やニュー・ヨークで高級機種も製造されコンテストも開かれた。イギリス帝国サックス=コーバーグ朝のエドワード7世(Edward VII)も皇太子(Prince of Wales)時代にバンジョーを演奏している。

 奏法は元々フレイリング(Frailling)奏法と呼ばれる掻弦中心だったが、ヨーロッパで上流階級に人気だったパーラー音楽に取り込まれた際ギター奏者が指扱を持ち込むようになり、アメリカのパーラー音楽にも影響、1900年代初頭まで使用されるが、その後義爪を使用した撥弦に発展する。大音量で安価・入手容易な金属弦との関係やジャズ音楽の台頭と関係していると思われるが詳細調査中。この頃4単弦テナー・バンジョーが主流になり始めたのはジャズ音楽の影響によるもので、ディキシー・ランド・ジャズ音楽では現在でも4単弦仕様が使われている。アイルランド・バンジョーも同様に4単弦仕様だが、最初にバンジョーが流入したのは1830年代後半にJ. W.スウィーニーが演奏旅行でイギリスを訪れた際に脚光を浴びて広まったのがきっかけのようだ。

 バンジョーが広く受け入れられた原因は音量が大きかったことにあるようだが、衰退した原因もまた音量と関わっており、エレクトリック・ギターの発明・発展によって音量的な優位を失うと、1940年代頃を境にジャズ音楽やポピュラー音楽から徐々に姿を消していった。その後アコースティック楽器を中心とするブルーグラス音楽の発端となったバンド、ブルーグラス・ボーイズ(BLUEGRASS BOYS)でアール・スクラッグス(アール・ユージン・スクラッグスEarl Eugene Scruggs)が5単弦バンジョーを持ち込んだことから5単弦楽器として現在も存続している。

 バンジョーの一般的な調律はロシア・ギター同様ト長調で、フォン=ヘルト調弦の4~7列目をオクターヴ上げたものに相当するが、5単弦仕様では凹形調弦を採用しておりシャントレルがブルドンの隣に設置されたG4-D3-G3-B3-D4となる。他にも種々の調弦が使用されており、またカポタストを使用して移調することも頻繁に行なわれている。

 4コース・バンジョーにはこの他4複弦マンドリンの棹を取り付けたマンドリン・バンジョー、4単弦ウクレレの棹を取り付けたウクレレ・バンジョーが存在している。また6コース・バンジョーでは6単弦ギターの棹を取り付けたギター=バンジョー、逆にモダン・スペイン・ギターの響胴へ5単弦バンジョーの棹を取り付けたギッジョー(Guitjo)、 5単弦バンジョーに主弦を1~2列追加した6単弦バンジョーや7単弦バンジョーが存在しているが、それらは 6単弦ギターの項目及び7単弦ギターの項目参照のこと。

メモ
4単弦
 パンドーラ(Pandora, Mandola) E4orG4orA4-C5-G4-C4
 プエルト・リコ島クアトゥロ・アンティーゴ(Cuatro Antiguo, Piramidal- Semicírculo, Cuatro Araña, Cuatro Cuadrao) A-D-A-E
 ヴェネスエラ・クアトゥロ(Cuatro, Guitarra pequeña, Guitarrita, Guitarilla) 弦長510~545㎜ 全長760~790㎜ 14f A3-D4-F#4-B3
  バンドーラ・リャネーラ(Bandola Llanera) 弦長460㎜ 全長740㎜ 14f A3-D4-F#4-B3
  ヴェネスエラ・バンドーラ E-A-D-A or G
 ブラジル・カヴァキーニョ(Cavaquinho) 弦長340㎜ 全長620㎜ 19f D4-G4-B4-D5
 パナマ・ソカヴォン(Socavon, Bocona) 5f G2-D3-A3-B2
 ハワイ・ウクレレ(Ukulele, 'Ukelele)
  ソプラノ・ウクレレ(Soprano) 弦長340~350㎜ 全長540㎜ 11f G4-C4-E4-A4
  コンサート・ウクレレ(Concert) 弦長390㎜ G4-C4-E4-A4
  テナー・ウクレレ(Tenor) 弦長438~440㎜ G4-C4-E4-A4
  バリトン・ウクレレ(Baritone) 弦長490㎜ D3-G3-B4-E4
 メヒコ・レキント・ハロチョ(Requinto Jarocho) 弦長550㎜ 全長880㎜ 19f  G2-A2-D3-G3, C2-D2-G2-C3, A2-D3-G2-C2
  レオン(Leon)
  レオーナ(Leona)
 ボルネオ・サペ(Sapé, Sapeh) 弦長860㎜ 全長1250㎜ 17f 2主弦2ドローン
 スンダ島4弦ジュンガ(Jungga) 無柱~数f
 ジャワ島4弦クロンチョン・ギター(Kroncong Guitar) 18f G4-C5-E4-A4 葡移民によるブラギーニャ由来の小型ギター
 中国北琵琶(Běi Pípa) 弦長725㎜ 全長1020㎜ 31f A2-D3-E3-A3
 中国阮(Ruǎn) 弦長425㎜ 全長730㎜ 19~24f
  高音阮(Gāoyīn Ruǎn) G3-D4-G4-D5
  小阮(Xiǎo Ruǎn) D3-A3-D4-A4
  中阮(Zhòng Ruǎn) G2-D3-A3-E4, G2-D3-G3-D4
  大阮(Dà Ruǎn) C2-G2-D3-A3, D2-A2-D3-A3
  低音阮(Dīyīn Ruǎn) G1-D2-G2-D3
 中国月琴(Yuè Qín, Yueh Chin) 弦長370㎜ 全長640㎜ 10f G3-D4-G4-D5
 中国柳琴(Liǔ Qín, Liu Chin) 弦長410㎜ 全長630㎜ 23f G3-D4-G4-D5
 中国南琵琶(Nán Pípa, Nanpa, Horizontally Held Pipa) 全長~950㎜ 14f
 日本琵琶(Biwa) 弦長710㎜ 全長900㎜ 5f
  楽琵琶(Gaku Biwa)
  唐琵琶(Kara Biwa)
  盲僧琵琶(Mōsō Biwa)
  筑前琵琶(Chikuzen Biwa)
  薩摩琵琶(Satsuma Biwa)
 日本月琴(Gekkin)
 螺鈿紫檀阮咸(Radenshitan-no-Genkan) 全長1004㎜ 14f
 ヴェトナム・ダン・ティバ(Ðàn Tỳ Bà) 15f G3-C4-D4-G4, C3-F3-G3-C4
 インド・4弦タンプラ(Tampura) 全長1500㎜ 4ドローン
 ウズベキスタン・タンブール(Tanbur) 弦長925㎜ 全長1190㎜ 12f~ 3ドローン+1主弦 ①②ユニゾン
 中国纳西(Nàxī)・スクトゥ(Sugudu, Hubo, Huobusi) ?f
  モダン・フォプシ・ギター(Huobusi) 24f
 ネパール・トンガーナ(Tungana) 弦長420㎜ 全長620㎜ 無柱
 グルジア・チョングリ(Chonguri) 弦長630㎜ 全長960㎜ 無柱~6f D2-F2-D3-A2, F3-A3-F4-C4
 西/中部アフリカ・ンゴニ(Ngoni, Hoddu, Tidinit, Xalam, Kontingo, Koni, Molo, Konde) 弦長270~580㎜ 全長730㎜ 1ドローン+2主弦+1ドローン
 南部アフリカ・ラミキー(Ramkie) 弦長590㎜ 全長850㎜ 11f~ C3-F3-A3-C4
 北アフリカ・グンブリ(Gunbri, Guimbri, Gimbri, Gambre) 弦長530㎜ 全長830㎜ 無柱 1ドローン+2主弦+1ドローン
 高地アトラス・4弦ロタール(Lotar) 弦長300㎜ 全長490㎜ 無柱
 バルカン・タンブリーツァ・ギター(Tamburica)
  クロアチア・ブラチ(BracBrach, Basprim) 弦長565㎜ 全長910㎜ 17f E2-A2-D3-G3
  クロアチア・ブガリア(Bugarija, Kontra) G2-B2-D3-G3G3
  クロアチア・チェロ(Celo, Celovic)
  クロアチア・ベルデ(Berde) 12f
 ロシア・4弦ドームラ(До́мра, Domra)
  4弦ピッコロ・ドームラ(Пикколо) B4-E5-A5
  4弦マラヤ・ドームラ(Малая) E4-A4-D5
  4弦アルト・ドームラ(Альт) E3-A3-D4
  4弦バス・ドームラ(Бас) E2-A2-D3
  4弦コントラバス・ドームラ(Контрабас) E1-A1-D2
 ポルトガル・カヴァキーニョ(Cavaquinho) 弦長335㎜ 全長530㎜ 12f A4-A4-C#5-E5, D4-B4-G5-D5
 ポルトガル・4単弦バンジョリム(Banjolim, Viola Banjo, Banjola, Banjo de Acordes)
 ポルトガル・マデイラ島・ブラギーニャ(Braguinha, ブラギニョンBraguinã, マシェーテMachete, マシェーテ・デ・ブラガMachete de Braga) 11f D4-G4-B4-B5, D4-G4-B4-D5
 カボ=ヴェルデ・カヴァキーニョ(Cavaquinho) 弦長360~370㎜ 全長560~660㎜ 19f D3-G4-B4-D5
 ドイツ・ルネサンス・4弦コラシオーネ(Colascione) 弦長850~900㎜ 19f
 アメリカ・テナー・ギター(Tenor Guitar) 弦長580㎜ 全長960㎜ 20f C2-G2-D4-A4
 アメリカ・アコースティック・ベース・ギター(Acoustic Bass Guitar) 22f E1-A1-D1-G1
 アメリカ・エレクトリック・ベース・ギター(Electric Bass Guitar) 弦長860㎜~ E1-A1-D1-G1
  アメリカ・フェンダー・プレシジョン・ベース(Precision Bass)
  ドイツ・ヘフナー・ヴァイオリン・ベース(Höfners Violin Bass)
 イタリア・クレモーナ・マンドリン(Cremona Mandolin, Brescian Mandolin) 弦長~320㎜ 10f  G3-D4-A4-E5
 イタリア・キタリーノ(Chitarrino) D3-G3-B3-E4
 西ヨーロッパ・中世・シトール(Citole) 弦長530㎜? 全長830㎜? 12f?
 アメリカ・4弦グアド・バンジョー(Gourd Banjo, Banjar, Bonja, Banza, Strum-strum) 弦長~650㎜ 無柱
 アメリカ・プレクトラム・バンジョー(Plectrum Banjo) 22f D3-G3-B3-D4
 アメリカ・テナー・バンジョー(Tenor Banjo, Ttango Banjo) 弦長~550㎜ 17~19f C3-G3-D4-A4
 アイルランド・バンジョー(Irish Banjo) ~530㎜ 770㎜ C4-G4-D4-A5
 アメリカ・バンジョリン(Banjolin) 弦長~330㎜
 イングランド・ウクレレ・バンジョー(Ukulele Banjo, Banjolele) 弦長~300㎜
 アメリカ・涙滴型アパラチアン・ダルシマー(Apallachian Dulcimer, Mountain Dulcimer) 18f 2主弦+2バス弦
 アメリカ・瓢箪型アパラチアン・ダルシマー(Apallachian Dulcimer, Mountain Dulcimer) 18f 2主弦+2バス弦
 アメリカ・三角型アパラチアン・ダルシマー(Apallachian Dulcimer, Mountain Dulcimer) 弦長640㎜ 全長830㎜ 15f 2主弦+2バス弦

4コース5弦
 ヴェネスエラ・スィンコ・クアトゥロ(Cinco Cuatro) 4列目のみ複弦
 クロアチア・5弦ブラチ(BracBrach, Basprim) 弦長565㎜ 全長910㎜ 17f E2-A2-D3-G3G3
 クロアチア・5弦ブガリヤ(Bugarija, Kontra) G2-B2-D3-G3G3

4コース6弦
 6弦ウクレレ(6-string Uklele) G3G4-C3C4-E4-A4
 東アフリカ・ガブスィ(Gabusi, ) 弦長~550㎜ 全長800㎜
  スワヒリ・キバンガラ(Kibangala)
  サウディ・アラビア・カブス(Qabus)
  オマーン・ガッブス(Gabbus)
  イエメン・カンブス(Qanbus)

4コース7弦
 西ヨーロッパ・ルネサンス・ギター(Renaissance Guitar) 弦長510㎜ 全長740㎜ 10f G3G4-C4C4-E4E4-A4
 西ヨーロッパ・4コース・中世ギターン(Gittern, Guittern, Quintern) 弦長320㎜ 全長500㎜ D4D4-G4G4-D5D5-G5
 フランス・ルネサンス・マンドーレ(Mandore, ) C4C4-G4G4-C5C5-G5, G3G3-D4D4-G4G4-D5
  イタリア・ルネサンス・マンドーラ(Mandola)
4コース7弦?
 ブータン・ドゥラミアン(Dramyen) ?f 7弦。

4複弦
 ペルシャ・タール(Tar) 弦長670㎜ 全長940㎜ 25f B3E3-C3C4-G3G3-C4C4
 バンドーラ・オリエンタル(Bandola Oriental) 弦長450㎜ 全長750㎜ 8f G3G3-D4D4-A4A4-E5E5
  バンドーラ・セントラル(Bandola Central)
  バンドーラ・ガヤネーゼ(Bandola Guayanese)
  トリニダード&トバゴ・バンドール(Bandol)
 ブラジル・バンドリム(Bandolim) 弦長340㎜ 全長645㎜ 18f
 アメリカ・タロ・パッチ(Taro Patch) G3G4-C3C4-E4E4-A4A4
 マレーシア・ガンブス・アラブ(Gambus Arab, Hadramaut) 弦長620㎜ 全長990㎜ 無柱
 インドシナ・ヒジャーズ(Hijaz, Gambus Melayu)
 トルコ・ラウタ(Lavta) 23f C2-G2G2-D3D3-A3A3
 モロッコ・クィトゥラ(Kuitra, Quitra)
 ギリシャ・ブズーキ(Bouzouki) 弦長675㎜ 全長990㎜ D2D2-G3G3-B3B3-E4E4
 ギリシャ・ラグート(Laghouto) 弦長750㎜ 全長1040㎜ 16f
 コルシカ・4複弦セテラ(Cetera)
 ブルガリア・タンブラ(Tambura) 弦長610㎜ 全長920㎜ 25f
 ルーマニア・コブサ(Kobsa) 弦長445㎜ 全長640㎜ G2G2-D3D3-G3G3-C4C4, D3D3-A3A3-D4D4-G4G4
  ハンガリー・コブツ(Kobuz)
 クロアチア・ビセルニカ(Bisernica) 弦長385㎜ 全長635㎜
 ポルトガル・バンドリム(Bandolim, Bandolineta, Bandoleta, Bandoloncelo, Bandola) 17f
 ポルトガル・4複弦バンジョリム(Banjolim, Viola Banjo, Banjola, Banjo de Acordes) 19f
 アイルランド・ブズーキ(Irish Bouzouki, Irish Cittern, Celtic Cittern) 弦長660㎜ 全長940㎜ 22f A2-D2-A3-D3, G2-D2-A3-D3, C-F-A-D
 西ヨーロッパ・初期中世リュート(Eearly Medieval Lute)
 スペイン・ルネサンス・4コース・ヴィウエラ・デ・マノ(Vihuela de Mano, Viyuela, Viola da Mano)
 西ヨーロッパ・バロック・マンドリーノ(Mandolino, Armandolino, Baroque Mandolin) E4E4-A4A4-D5D5-G5G5
 イタリア・ナポリ・マンドリン(Mandolin Neapolitan) 弦長~330㎜ 14f G3G4-D4D4-A4A4-E5E5
 イタリア・モダン・ナポリ・ソプラノ・マンドリン(Soprano mandolin) 弦長340㎜ 全長630㎜ 17f G3G3-D4D4-A4A4-E5E5
  ピッコロ・マンドリン(Piccolo Mandolin)
  アルト・マンドリン(Altmandolin)
  マンドラ(Mandola, Tenor Mandolin) 弦長420~450㎜ 全長770㎜ 17f C3C3-G3G3-D4-D4-A4A4
  オクターヴ・マンドリン(Octave Mandolin, Tenor Mandola) 弦長~520㎜ G2G2-D3D3-A3A3-E4E4
  マンド=チェロ(Mando-Cello) 弦長~650㎜ 20f C2C2-G2G2-D3D3-A3A3
  バス・マンドリン(Bass Mandolin)
  マンドローネ(Mandolone)
 イタリア・ローマ・エンベルガー・マンドリン(Roman Mandolin) 弦長330㎜ 全長620㎜ 27f ルイージ・エンベルガーLuigi Embergher製
  マンドリネット(Mandolinetto) D4-A4-E5-B5
  クァルティーノ(Quartino) C4-G4-D5-A5
  テルツィーノ(Terzino) B4-F4-C5-G5
  マンドリーノ(Mandolino) G3-D4-A4-E5
  マンドリオーラ(Mandoliola) C3-G3-D4-A4
  マンドーラ(Mandola) G2-D3-A3-E4
  マンドロンチェロ(Mandoloncello) C2-G2-D3-A3
  マンドルバッソ(Mandolbasso) G1-D2-A2-E3
 アイルランド・シターン=スタイル・マンドラ(Mandola, Tenor Mandolin) 22f C3C3-G3G3-D4-D4-A4A4
 イタリア・ナポリ・フラット=バック・マンドリン(Flat Back Mandolin) 弦長330㎜ 全長620㎜ 17f
 アメリカ・ギブソン・F型マンドリン(F-style Mandolin, Bluegrass Mandolin) 弦長350㎜ 全長700㎜ 24f G3G3-D4D4-A4A4-E5E5
 アメリカ・ギブソン・A型マンドリン(A-style Mandolin) 弦長~350㎜ 20f G3G3-D4D4-A4A4-E5E5
 イングランド/アメリカ・マンドリネット(Mandolinetto) 弦長290㎜ 全長500㎜ 17f
 イングランド・マンドリン・バンジョー(Mandolin Banjo) 弦長~350㎜ 17f
 アメリカ・ハープ・マンドリン(Harp Mandolin, Lyre Mandolin) 弦長~350㎜ 25f
 アイルランド・シターン(Irish Cittern) 弦長500~600㎜ 18F
 アメリカ・マンドリン・バンジョー(Mandolin Banjo) 弦長~330㎜ 17f
 プエルト・リコ島南部4複弦クアトゥロ(Cuatro de Ocho Cuerdas y Sur de la Isla, Cuatro de Dos Codos, Cuatro de Dos Puntos,)

4コース9弦
 西ヨーロッパ・ルネサンス・シターン(Cittern) 弦長450㎜ 全長735㎜ 17f B3B3-G4G4G3-D4D4-E4E4, A4A4-G4G4G3-D4D4-E4E4

4コース10弦
 コロンビア・レキント・ティプレ(Requinto) 弦長530㎜ 全長910㎜ 20f D4D4-G4G4G4-B4B4B4-E4E4
 アメリカ・マーティン・ティプレ(Martin Tiple) A3A4-D4D3D4-F#4F#4F#4-B4B4

4三重弦
 コロンビア・ティプレ(Tiple) 弦長530㎜ 全長910㎜ 20f D4D3D4-G4G3G4-B3B3B3-E4E4E4
 チリ・ティプレ(Tiple) 22f D4D3D4-G4G3G4-B3B3B3-E4E4E4
 ドイツ・マンドゥリオーラ(Mandriola) 弦長335㎜ 全長680㎜ 21f G2G3G3-D3D4D4-A3A4A4-E4E5E5, G3G3G3-D4D4D4-A4A4A4-E5E5E5

4四重弦
 ボリヴィア・四重弦バンドゥーリア(Bandurria) 弦長340㎜ 全長805㎜ 20f
  マルトン(Marton) 弦長440㎜ 全長830㎜ 17f
  マリマチョ(Marimacho) 弦長490㎜ 全長910㎜ 18f
  コロンビア・バンドーラ(Bandola)

4五重弦
 ボリヴィア・五重弦バンドゥーリア(Bandurria) 弦長340㎜ 全長805㎜ 20f




 5複弦ギター
 遅くとも16世紀半ばにはスペインで生まれていた物で、17~18世紀にイタリアやフランスへも広がり使われた物は通称バロックギター(Baroque Guitar)と呼ばれる。

 「バロック」は歪んだ真珠を表す葡語バロッコ(Barroco)由来と言われ、元々は不均衡な構図が許容された風潮を均整のとれた古代ギリシャ・ローマ文化の完成度を重視するルネサンスの堕落と捉える軽蔑的美術用語だったが、20世紀初頭にスイスの美術史家ハインリヒ・ヴォェルフリン(Heinrich Wölfflin)が消極性を排除して以来中庸な単なる時代区分として使われるようになったとのこと。音楽では対位法がより発達を始めた他、通奏低音や協奏曲など特定のソロ楽器を目立たせて周囲がそれを支え、即興的装飾等も用いられる点でジャズ音楽と比較されることもあるが、音楽だけでなく美術や建築の用語でもあり、主に16世紀末~18世紀前半の流行を指して情動的・装飾的・絵画的などと形容される。不均衡許容の背景には都市文化発達の中での世情不安増大といった心理も指摘されている。時期としてはルネサンスの後になるが、美術では移行期に誇張的・技巧的なマニエリスム(maniérisme)と呼ばれる区分もある。また古典期前の18世紀前半~半ばのフランスを中心とした宮廷・都市風俗美術・音楽をロココ(rococo)、音楽ではギャラント様式(gallant style)とも呼び、優雅・軽快・装飾的等と形容される。語源は岩石を意味するフランス語ロック(roc)。1950年代に生まれたロック音楽は英語のロックン・ロール(Rock and Roll)の略で、カントリー音楽やブルーズ音楽等の融合から生まれておりロココ音楽とは関係ない。ロック音楽はその後ジャズ音楽やクラシック音楽等の影響も受けて様々な派生分野を生じながら世界中に広まり、ポピュラー音楽との区別が曖昧なったことから現在ではロック・アンド・ポップス(Rock & Pops)として一括されることも多い。

 現存最古は1590年頃のディアス製。当初から5弦カタルーニャ・ギター(カタラーナ・デ・スィンコ・オルドゥネスCathalana de Cinco Ordnes)、国外からはスペイン・ギター(ギターラ・エスパニョーラGuitarra Española)として区別されており、現在「ギター」と呼ばれる名称と楽器本体の大きさや形状、調律が一致し始めた初期の楽器とみられる。 しかしこの頃は音域も通常10~14fなど現在の半分ほど、12f物が「フルオクターヴ仕様」として特長になる時代だった。弦長は478~720㎜で時代を経るほど小型化傾向。弦はユニゾン、オクターヴに張られた複弦、三重弦等があるが、低音弦を追加した6コース・ギターや単弦仕様が広まるに連れて衰退、5単弦もしくは6単弦に改造された物も多かった。一般的な調律は表の通りだがこの他にも数々の調律が存在している。W.A.モーツァルトの弟子フランツ・クサヴァ・ジュスマイア(Franz Xaver Süßmayr)が作曲した「オーボエ、ヴァイオリン、ヴィオラまたはフレンチ・ホルン、チェロ、ギターのための五重奏曲」(想定楽器確認中)ではハ長調調弦の可能性が高いとの指摘がある。1772年頃ウィーンを訪れたポルトガルのギター奏者アバテ・アントニオ・ダ・コスタ(Abbate Antonio da Costa)はハ長調調弦だったようだが、ここでの「ギター」がバロック・ギターなのかポルトガル・ギターなのかは調査中。

E2G2A2C3D3E3F3G3A3B3C4D4E4 G4 A4 C5
5コース・リウト
5コース・リウト
ジャック・セリエ
挿図(1585)



Bermudo



(①)
Amato


(①)
Sanz




(①)
de Visée



(①)
6単弦ギター
 最初に追加されたのはブルドンではなくシャントレルと言われ、4コース・ギターの一般的なシャントレルより4度上の調弦が増えているのが一般的。ただしこの頃の楽器の調律は基準音が地域や演奏場所によって流動的で、弦楽器の場合金属弦も獣腸弦も現在ほど耐久性が高くないことからシャントレルが切れないという点も重要な要素であり、物理的には同じかむしろ太い弦がブルドン側に追加されて弦列がずれたか、バス・ヴィオロンやキタローネの変化等を参考にすれば低音パート向けの大型ギターの調律を上げた物が主流となった可能性がある。当初シャントレルは単弦だが、後に複弦の物も登場。

 5コース化したのは16世紀に自伝的小説『従士マルコス・デ・オブレゴンの生涯(Vida del Escudero Marcos de Obregón)』で悪漢小説(Novela picaresca)史上に名を残し、また8音節10行詩(Décima)を創始したマラガ(Málaga)出身の作家・軍人・神父・合唱指揮者ヴィセンテ・エスピネル(ヴィセンテ・ゴメス・マルティン・エスピネルVicente Gómez Martinez Espinel ※Goméz, Martín等の表記も。またAdornoがつくことも)で11歳の頃に発明したと言われ、追加された弦をエスピネラ(Espinela)と呼ぶが、それより前にJ.ベルムードの『楽器詳解』で「A2A3-D3D4-F#3F#3-B3B3-E4」という5コース9弦ギターの調弦が登場しており、M. d.フエンリャーナも作品を残している。ただJ.ベルムードによれば「あまり使われていない」とのこと。むしろV.エスピネルが諸国を遍歴し、特にイタリアに長期間滞在、5コース・ギター用教本を出版したことでその存在が広く知れ渡るようになったとみられるが、既にあった物を使用したのか偶然同時期に同じ改造を行ったのかは不明。当時南イタリアはスペイン領だったことからスペイン文化も比較的伝わり易い背景があったとみられる。

 J.ベルムードによれば17音に亘る音楽のためということから高域の拡張目的だったようだが、 フレットの増えた10f4コース・ギターでも4列目を低音と考えれば全体で24音を確保出来ているので、この場合の17音とは追加された音域から考慮すると、凹形調弦をとったとしてもブルドンを旋律に使う発想はなかったらしい。つまり4コース・ギターでのシャントレルと2列目、凹形調弦の場合4列目も含む1オクターヴと1音の計14音がメインとなる。ただこのベルムード調弦での長3度の位置を現代の6単弦ギターで考えると、E4弦の上にA4弦を追加したことになり、もし最初に高音が追加されたのであればいずれかの時点で長3度の取り方に変化があったか、当初から高音を追加した5コース・ギターと4度下の低音を追加した5コース・ギターの両方が存在していたことになる。ただし記事によってはベルムードの説明する5コース楽器を「完全5度~完全4度~長3度~完全4度」とするものもあり、詳細確認中。 高音追加の可能性そのものはリウトやヴィウエラ、ヴィオルにおいて長3度の位置がギターより1つ隣にずれるので不思議ではないし、実演における視覚的・感覚的な混乱は高音弦側の追加より低音弦側の追加の方が少ないため低音追加によって5コースとなる流れも不自然さはない。5単弦バンジョーでは4単弦のシャントレルより高い音程が追加されているが、設置場所は低音弦側で凹形調弦となっている。この場合は感覚的な混乱以外にも追加弦の弦長が短いという理由や、奏法上の音響的な効果を意図していると思われる。

 奏法は始めラスゲアードによる和声的アルペッジョだったが後にプンテアード(Puntead)と呼ばれる指扱も導入されている。ラスゲアードにはダウンストロークやアップストロークの他、トリッロやリピッコと呼ばれる特殊奏法もあり、バッテンテとも総称されていたようだ。トリッロ奏法は親指のダウンストロークと中指のアップストロークから成り、人差し指による掻弦なども行われるもので、現在もウクレレに類似の奏法が継承されている。またラスゲアードは主に棹胴接続部付近で行なわれるが、この形態も現在の各種ギターで行われている。フラメンコ音楽(Flamenco)でも6単弦仕様が導入される前は5複弦仕様だった。

 プンテアードはイタリアのイル・フリオーソ(ジョヴァンニ・パウロ・フォスカリーニGiovanni Paulo "il Furioso" Foscarini)が導入したと言われ、1629年にプンテアードとラスゲアードを混用した曲集を出版、1630年代にF.コルベッタ等によって確立された。これはリウトからの影響と思われる。この頃イタリアではリウトが殆ど使用されなくなっており、5コースギター向けの楽譜がヴェネツィアやフィレンツェ、ローマ、ミラーノで出版、キタッラやティオルバがより好まれるようになっていた。ジュスティニアーニはその理由を難易度の低さとしている。フランスでも17世紀初頭にはまだ優勢だったリュトが1612~1615年頃にはギタルと逆転していた記録がある。またこの頃フランスでも既に4コース・ギターより5コース・ギターが多くなっていたが、フレットはまだ8fが標準。

 なお当時の出版は1版につき1200部程度で在庫は置かず予約出版や需要に応じた再版という手法で人気作曲家の曲集でも例外ではなかったとのことから、現在の感覚ではインディーズ・バンドのCD販売程度の規模になるようだ。ただ筆写や耳によるコピーも現代同様広く行われた。最古の印刷楽譜はヨーロッパではなく紀伊國(Kii)の高野山(Kōyasan)で文明四(1472)年に佛教の一派眞言宗(Shingon-syū)が出版した声明(聲明Syōmyō)音程譜とのこと。

~整理中~
声明
 漢文、梵文・・・ボンバイ梵唄、サンゲ散華、ボンノン梵音、シャクジョウ錫杖、サン讃、カダ伽陀
 訓読、和文・・・経釈、コウシキ講式、ロンギ論義、ヒョウビャク表白、サイモン祭文、ワサン和讃、キョウケ教化
        講式:仏、菩薩、高僧等の徳を讃え事績を述べるもの。漢文読み下し体を使用。平安末期成立。
          六道講式、講式涅槃&c.四座講式など。中世歌謡に影響。
        論義:問答形式で交互に謡う拍子。元、仏教の要義を学僧が問答・議論。後、能楽&c.に利用 ≒応唱聖歌やバッハのこだま
        表白:法会や修法の趣旨を三宝及び大衆に告白
        讃:仏徳を賞賛する偈頌。梵讃・和讃・漢讃等。讃嘆
          和讃:仏・菩薩、教法、先徳などを和語で讃嘆した唄。サンダン讃嘆の変形。平安~江戸。七五調風に連句。親鸞は四句一章とした。
              源信「極楽六時讃」「来迎讃」、親鸞「三帖和讃」
              讃嘆=讃歎:仏・菩薩の徳を褒め称える言葉。韻文が多い。
        教化:法要の時に謡う仏教歌謡。
        伽陀:(梵) gāthā =ゲ偈, 偈陀。(漢) 頌
           經・論の中に、韻文の形で仏徳を讃嘆し教理を述べたもの。ゲジュ偈頌。
        四箇の法要:大法会の要素たる四種の法儀。梵唄、散華、梵音、錫杖。密教では梵唄と散華の二箇が通常。
            錫杖:錫杖の徳を讃える偈文を歌唱しながら錫杖を振る。三条錫杖、九条錫杖など。
           梵音:清浄な音声で仏法僧の徳を讃える歌唱。四箇の法要で散華の次に唱える。
平曲は音楽的には声明の派生。
 声明→平曲→→謡曲・浄瑠璃節
     ↳盲僧琵琶→筑前琵琶

 プンテアードは親指と他の4本の指との位置関係によって大きく2種類に分かれ、 16世紀のギターで行なわれていた奏法は4本の指を弦と平行にして親指を手の平側に打ち下ろす親指内側奏法(Thumb-inside technique, Thumb under)、16世紀のヴィウエラや17世紀以降のギターで行なわれていた奏法は現在でも多く行なわれている4本の指を軽く握ったような形で親指が出る親指外側奏法(Thumb-outside technique, Thumb over)と呼ばれるが、20世紀末にコンピュータの中に入れていた物に関しては「インテル入ってる(Intel inside)」と呼ばれる。J.ダウランドは親指内側奏法から親指外側奏法に変更したという情報もあるが詳細確認中。

 親指内側奏法は捍撥による撥捩奏法から親指によるダウンストロークと人差指によるアップストロークを織り交ぜた指撥に変わった名残 かと思われ、親指外側奏法に変わったのは身体的負担が軽いこと、動作が最小で済むことなどが指摘されている。 20世紀後半には古楽演奏に際して親指内側奏法が絶対とされた時期があったようだが、これはモダン・リウトをターレガ系爪弾奏法で演奏する流行に対する反動が過剰に出たためとのこと。

 また棹は細く親指を出して握るシェイクハンド・スタイルをとるほか弾弦側の小指を響胴に付けることや譜面にタブラチュア指位譜を使用するといった要素も含めて形式上現在でもアコースティック及びエレクトリックギターに継承されている特徴がある。また反対者がいたことから親指を押弦にも使用していたと考えられる。カランダ(Calanda)出身でスペイン宮廷において活躍したオルガン奏者&作家でフェリーペ4世(Felipe de Habsburgo IV)の息子ガスパール・サンス(Gaspar Sanz)は1674年にサラゴサ(Zaragoza)で出版した教則本『スペイン式ギターによる音楽指南(Instruccion de Musica sobre la Guitarra Española)』では、装飾音の際に親指を棹裏へ、ヴィブラートの際は親指を離すことを勧めている。

 なおタブラチュアと呼ばれる指位譜は1473年以前には成立しており、ニュルンベルクのコンラート・パウマン(Konrad Paumann)が発明したと言われているが詳細確認中。地域によって記譜の手法が異なり、ラテン文字やギリシア文字風の記号を使い開放弦がaに、上方が高音列、下方が低音列になるフランス式や上方が低音列、下方が高音列となり算用数字を使用するイタリア式の他ドイツ式やスペイン式、ナポリ式などもあるとのこと。また1517年頃ヴェネツィアで出版された『Compositione di Mesar Vincenzo Capirola』で記号に赤色などを用いた多色の譜面も採用されている。イタリアではスペイン式タブラチュア指位譜を使用するキタリリアとイタリア式タブラチュア指位譜を使用するキターラに区別され、キターラをイタリア人の正式な楽器としていたという。弾くべき弦列や押さえるべきポジション等を記す記譜法は中国七弦琴の減字譜、中国三絃の天干指位譜や工尺指位譜等にも存在している。

 現代の下方低音列上方高音列及び算用数字によるタブラチュア指位譜の起源については調査中。リウト・タブラチュア指位譜と異なり音価を示す記号が無いため、5線音程譜と併記されることも多い。また日本では「タブ譜(Tabu-fu)」と略されて通用している。

 タブラチュア指位譜は元々5コース・リウト向けの記譜法で、リウトに5コース仕様が現れたのは15世紀頃。ギテルンでは使われていたドローン弦が無く全て主弦として用いられるようなる他、3度音程が出現するようになる。リウトが最初にヨーロッパに齎された時は4単弦だったようだが、アル=ウードでの5列目追加は9世紀とされており実際には中世を通じて両仕様が並存していた可能性がある。またヨーロッパへはイベリア半島のイスラーム王朝を通じて齎されたとするのが一般的のようだが、根拠については確認中。イスラーム文化のヨーロッパへの流入はイベリア半島の他に地中海航路の要所でイスラーム帝国支配下になったこともあるシチリア島やシチリア王国領になったナポリ等の南イタリアを通じた経路、小アジアのコンスタンティノープルを中心に栄えていた東ローマ帝国を通じた経路、十字軍遠征を行った際の掠奪や占領で中東から直接齎される経路もある。

 4コース・ギターでは4線タブラチュア指位譜を使用。6コース・リウト登場初期は5線タブラチュア指位譜の欄外に6列目の押弦位置が記載されており後に6線化したが、7コース追加以降は欄外に記載されたまま増加していない。これは6コースが主流だったことや視認性の問題と思われるが、現代の7単弦ギターでは7線タブラチュア指位譜を使用する場合が多い。現在一般的に普及している5線ヨーロッパ音程譜も遡れば中世ローマ・カトリック教会聖歌やギリシャ正教会聖歌に使われるネウマ譜に辿り着くが、当初は無線だった。音の高さの基準を示す線が導入されてから徐々に本数が増えて5線より多い物も生まれるが、ローマ・カトリック教会聖歌では現在でも4線音程譜が使用されている。また同じ5線ヨーロッパ音程譜であっても時代によって記譜&読譜法が異なっており、原譜に対して現代読譜法が通用するのは19世紀後半のいわゆる中期ロマン派以降、それ以前は時代や地域・作曲家毎の違いを考慮して読み替える必要があるとのこと。また原典譜と呼ばれる直筆譜等を活字印刷譜に直した物も、不明瞭な記号の処理に関して解釈が行われる事があるので無変更とまでは言えず、注記等の確認が重要となる。尚、現代においても作曲家独自の記号や規則が用いられることがあり、U. J. ロートも自作曲の譜面には独特の記号を使用している。

 指位譜はリウトやギター以外でもヴィオルで17世紀後半まで使用された。またオルガン・タブラチュアと呼ばれる鍵盤楽器用指位譜も存在し、押さえる鍵盤の音名が文字で示されている。J. S.バッハもオルゲルビュッヒラインの1曲で最後に用紙の余白が足りず5線音程譜を中断してオルガン・タブラチュア指位譜を用いていることから、用法は熟知していたようだ。

 記譜法以外の現代に通じる習慣は教則本にもあり、モンセラート修道院の薬学博士で医師のファン・カルロス・イ・アマート(Joan Carles y Amato)が1596年に記した最古のバロック・ギター教本『スペイン・ギター、ギター奏法によるヴァンドーラ、カステリャーナ、5弦カタラーナ・・・(Guitarra Española, y Vandora en dos Maneras de Guitarra, Castellana, y Cathalana de Cinco Oordnes, La Qual Enfeña de Templar, y Tañer Rasgado, Todos los Putos Naturales, Mollados, y Con Estilo Maravilloso, Para Poner en ella Qual Quier Tono, Sepone Una Tabla, Con la Qual Podra, Qual Quier Sin Difficaltad )』では既に和音をコード・ネームで表したり、コード・フォームを絵で表したりする等簡便な手法が採用され6コース・ギター普及後もしばらく、19世紀前半まで300年以上利用された。ただ現代のコード・ネームは根音に基づいてアルファベットが付されるのに対して当時は使用頻度に基づいて付けられていたようで、現在は便宜上アルファベート(Alfabet)と区別して呼ばれる。 ちなみに架空の師弟による対話形式で進行する教則本も1603年にロンドンで出版されたTh.メイスのリュート教本『音楽指南(THE SCHOOLE OF MUSICKE)』で既に登場している。

 J. C. y アマートの教則本が勧める調弦はA2A3-D3D4-G3G3-B3B3-E4で、ルネサンス・ギターに低音が追加されたことになる。これは当時ラスゲアード奏法で一般的だった調弦でヴァカス(Vacas)、パセオ(Paseo)、ガイヤルド(Galliarde, ガリアルド)、ヴィリャーノ(Villano)、イタリアーナ(Italiana)、パヴァーヌ(Pavane)といったあらゆる流行の歌舞曲が弾けるようにとの教則本の目的に適った汎用性の高い調律方法だったようだ。音域の狭い凹形調弦を独奏で使用したG.サンスも合奏や掻弦を中心とした音楽ではアマート調弦の適合性を認めている。凹形調弦を採ったのは、カンパネッラ(Campanella)奏法と呼ばれる鐘楽を模倣した表現において有効であることが理由で、この奏法では低音弦がむしろ邪魔と述べている。リウトとは違いオクターヴに張られた低音弦において低い方がシャントレル側になるのは、カンパネッラ奏法において高い音のみを演奏し易くする工夫で、モダン6複弦アコースティック・ギターでもこの配列は受け継がれている。

 なおG.サンスによればローマの奏者は4~5列目をオクターヴに張ることが多かったという。複弦の配置や構成について曖昧な記事は多いが、実際は地域・時代・用途によって使い分けの傾向はある程度あったようで、無視出来ない要素のようだ。V.プリエトはオクターヴを推奨し合奏で低音パートを受け持つ場合はユニゾンの複弦または三重弦を推奨している。F.モレッティの教則本における6複弦ギターは全弦ユニゾン。

A2 B2 C3 D3 E3 F3 G3 A3 B3 C4 D4 E4 F4 G4
de Visée




Campion


































Granada














A調弦




A2 B2 C3 D3 E3 F3 G3 A3 B3 C4 D4 E4 F4 G4
 また5単弦バンジョーのプンテアードがギター奏者から齎された点、凹形調弦を使用する点、音型が線的アルペジョではなく旋律と捉えられている点を考えるとバロック・ギターのカンパネッラ奏法を由来としている可能性があるので関連を確認中。バロック・ギターにおいてもト長調調弦他オープン調弦が利用され、F.カンピオンが1705年にパリで出版した『ギターの新しい発見(Nouvelles découveretes Sur la Guitarre)』には7種類の調弦による楽曲が掲載されている。

 また貴族に愛用された楽器でもあったため華やかな装飾を持つものも多い。 フランス王国ブルボン朝第3代ルイ14世(Louis de Bourbons XIV)は ギターに興味を持ったことから「王のギター教師」という役職を設置、 初代ベルナール・ジョールダン・ド・ラ・サール(Bernard Jourdan de la Salle)以下、 第2代ルイ=アンヌ・ジョールダン・ド・ラ・サール(Louis-Anne Jourdan de la Salle)、第3代ロベール・ドゥ・ヴィゼ(Robert de Visée)、第4代フランソワ・ドゥ・ヴィゼ(François de Visée)と続いている。またそれ以前にはR.ドゥ・ヴィゼの師にあたるF.コルベッタが宮廷奏者を務めており、ギターを教えていた。ルイ14世は会議中にも抜け出して浴室で侍臣ブトゥ(Butaut)とギターに興じるなどの熱狂振りから、詩人ヴォルテール(フランソワ=マリ・アルエ"Voltaire" François-Marie Arouet)は「彼から学ぶことといえば、踊るのとギターを弾くことだけだ」と述べている。ちなみに舞踊(バレエBallet)の師はピエール・ボーシャン(Pierre Beauchamps)。

 この他当時ギターを持つことが上流階級の女性のステータスでもあったようで、フランス国政にも関与し才色兼備の女性として知られたルイ15世(Louis de Bourbons XV)の愛妾ポンパドゥール侯爵夫人(ジャンヌ・アントワネット・プワソンJeanne Antoinette Poisson, Marquise de Pompadour)の肖像画にも背景に一部ギターが描かれており、17世紀デルフト(Delft)の画家ヤン・フェルメール(Jan Vermeer)の作品にもギターを弾く少女が描かれた物が存在する。この作品にも登場する波状辺縁を持つ弦蔵は17世紀にルネ・ヴォボアン(René Voboan)が開発した物で、ヴォボアン型として多くのバロック・ギターに採用された。女性がギターを弾く流行は19世紀初頭のフランスで、また 19世紀半ばのグラナダでも起こった。スペインではギターが大型化を始めていたことからグラナダ・ギターではモデルノ・デ・セニョリータ(Moderno de Señorita)と呼ばれる小型の物が登場している。ドイツでは大型の物を「師匠のギター(Meistergitarren)」、小型の物を「婦人のギター(Damenguitarren)」と呼んでいたようだ。アル=ウードでも大型なため小型の物が女性用として存在している。現在でもモダン・スペイン・ギターで弦長635~640㎜の物を女性向けモデルとしている製作家もいる。しかし体格は個人差も大きいため楽器の大小は男女を問わず奏者の好みで選ばれることが多い。

 ギターの上流階級での人気はフランス革命時に貴族の象徴と考えられ、 またスペインにおいては1808~1814年にかけて行われたナポレオン・ボナパルト1世(Napoléon Bonaparte I)の占領に対する独立戦争の影響から「フランスのもの」という形で 反ナポレオン民族主義的に排除され、最盛期だった16世紀当時のスペインで広く使われていた 6複弦仕様のヴィウエラをスペインの伝統として思想的に結びつけたことが18世紀後半に出版物が激減した要因や6コース・ギター普及の足掛かりになった可能性もあるようだが、詳細は調査中。革命の影響については絶対王政の象徴である百合と太陽の紋様が描かれた楽器が革命後に焼却または破壊され現存する物が少ないという一面がある。

 また関連は確認中だが、1770年にルイ16世(Louis de Bourbon XVI)の元へ嫁いだマリー=アントワネット(ジョゼフ・ジャンヌ・マリ=アントワネットJosèhe Jeanne Marie-Antoinette)がその後ハープを始めたことがきっかけでパリではハープが流行、多数の出版譜が出回ったことや18世紀末~19世紀前半にハープを飛躍的に発展させる多数の改良が盛んに行われたことなどもギターの衰退や単弦化・多弦化に影響しているかもしれない。この点についてはナポリ出身のジャコモ・メルキ(Giacomo Merchi)が単弦ギターを「ハープのような響き」として推奨していたという情報もある。

 因みにマリー=アントワネットのハープ教師は1775~1781年にかけてがフィリップ=ヨーゼフ・ヒンナー(Philipp-Joseph Hinner)、1781年以降は現代ハープの源流となる最初のペダル付きハープ開発者ヤーコプ・ホッホブリュッカー(Jacob Hochbrücker)の孫で、ウィーン宮廷にペダル付きハープを紹介したジモン・ホッホブリュッカー(Simon Hochbrücker)の末子クリスティアン・ホッホブリュッカー(Christian Hochbrücker)が務めた。ペダル・ハープをフランスに持ち込んだのはゲオルク・アーダム・ゲープフェルト(Georg Adam Goepffert)で1749年のこと。その後ゲフル(Gaiffre)とフランス語風表記に改称してパリで活動している。

 初期のペダル付ハープは踏み込みが1段階でアルプ・ア・シンプル・ムーヴマン(la Harpe à simple mouvement, シングル・アクション・ハープSingle action harp)と呼ばれる。 最初に開発されたのは1697年で当初は5ペダル、1720年になって7ペダルに拡張された。これによって同一弦で半音が扱えるようになり運指を両手間で変更せずに転調が容易となる。それ以前の物は7音階ハープに半音階の弦列を追加して左右の手で弾き分ける二重ハープ(アルパ・ドッピア)やその改良型の三重ハープが主流だった。 アルパ・ドッピアは16世紀末に半音の使用増加傾向に対応できず人気が下降していた際イタリアで生まれたとされるが、 科学者ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei)の父ヴィンツェンツォ・ガリレイ(Vincenzo Galilei)は16世紀以前にアイルランドで開発されていたとしており、詳細確認中。

 その後1782年にジョルジュ・クジノー(George Cousineau)及びジャック=ジョルジュ・クジノー(Jacques-George Cousineau)父子がペダルを2列にした純正律ハープを開発、1786年にはジャン=アンリ・ナデルマン(Jean-Henri Naderman)が共鳴胴下部の門扉開閉を目的とした8番目のペダルを設置しているが、前者は広まらず、後者はエラール社が採用して20世紀初頭まで用いられたが廃止、現在は常時開口となっている。クジノー父子は宮廷御用達の楽器製作家・ハープ教師として知られる他、ギターやマンドリン、シターン等も製作していた。またJ. H.ナデルマンは10単弦ギターを革命前に既に製作していたようだ。

 ヨーロッパ・ハープは外来の物で、前8世紀までにシリアからギリシャへ、アッシュールまたはエジプトからローマに渡来していたが、6世紀頃のフランスではまだ「異民族の物」とされており、一般化したのは8世紀以降のようだ。11世紀後半までには北欧にも伝わっているが普及したのは14世紀以降、また13世紀までにはイベリア半島でも使用されていたとみられている。中世では主に教会や吟遊詩人の伴奏として使用。ウェールズでは擦弦楽器クルス(Crwth)も伴奏として使用されたことから両者が混同されている場合もある。またこの頃の弦数は不定で、10数単弦~25単弦以上まで様々。

 モダン・グランド・ハープが生まれたのは19世紀初頭で、ヨハン・バプティスト・クルムフォルツ(Johann Baptist Krumpholz)が鍵盤楽器製作で有名だったセバスティアン・エラール(Sébastien Erard, Erhard)に改良を依頼したのが発端。1800年にペダルを2段階に踏み込めるようにしたアルプ・ア・ドゥブル・ムーヴマン(la Harpe à double mouvement, ダブル・アクション・ハープDouble action harp)の試作型が開発され、1811年に完成されている。これによって21種類の調が扱えるようになり、ハープ特有の広域グリッサンド(Glissando, ズドゥルッチョランド)が可能となった。最初の譜例は18世紀末のフランチェスコ・ペトリーニ(Francesco Petrini)によるものと言われており、L. H.ベルリオーズが「ハープのリスト」と評した奏者エリアス・パリッシュ=アルヴァース(Elias Parish-Alvares)がエラール製のアルプ・ア・ドゥブル・ムーヴマンの異名同音を利用して発展させている。ただしハープの場合各弦が正確に半音ずつ上下する純正律楽器故E♭とD#が区別されるなどD♮、G♮、A♮の3音に関しては厳密には異名同音にならず、便宜的に譜面通りと解釈している。なお標準調弦は変ハ長調で、ピアノの鍵盤配列を参考にC♭とF♭の位置に色のついた弦が張られて視認性を挙げているが、 シンプル・ムーヴマンでは変ホ長調調弦がとられていたようだ。これは5つの長調と3つの短調に対応しやすく、Dを落とすと変イ長調へも容易なことが理由。

 フランスで発達・モダン仕様の確立があったことからクラシック音楽では奏法の指示や楽器各部の名称をフランス語で、標準的な楽器としてはアルプ・ア・ドゥブル・ムーヴマンを用いるが、当初はペダル・ハープそのものに否定的な批判も多く、L. H.ベルリオーズも消極的な立場をとっている。しかし1820年代にヨーロッパで急速に拡大、19世紀半ば以降交響楽団にも本格的に導入された。 またフランスではパリ音楽院での採用機種についても論争が繰り広げられた。 これは1825年にガスパル・ドゥ・プロニ(Gaspard de Prony)によるハープ科設置を求める等の運動が起こるものの、開設時に教授へ就任したのはアルプ・ア・シンプル・ムーヴマンを製造していたナデルマン社のジャン=フランソワ・ジョゼフ・ナデルマン(Jean-François-Joseph Naderman)で、彼はシンプル・ムーヴマンの奏法を教え始めたことが発端。 背景には父J. H.ナデルマンがマリ=アントワネットの楽器を製作し、復古王政で宮廷奏者も務めていたという政治的な理由があったものとみられ、F. J.ディジの弟アンリ・ナデルマン(Henri Naderman)がドゥブル・ムーヴマンやエラール社への否定的な批判を展開、S.エラールや音楽学者・雑誌編集者フェティル等が応じるといった反論の応酬となったようだ。

 結局1835年にJ. F. J.ナデルマンが死去、アントワーヌ・プリュミエ(Antoine Prumier)が 2代目の主任教授に就任しドゥブル・ムーヴマンを採用して落ち着く。しかし今度はA.プリュミエが小指も使用する奏法を推奨、1867年に3代目主任教授に就任したテオドル・ベリ(テオドル・ラバール)は反対、4代目には再び小指を使用するA.プリュミエの息子アンジュ=コンラ・プリュミエ(Ange-Conrad Prumie)が就任、加えて楽器を左右どちらに構えてもよいと主張する等紆余曲折を経験している。 小指の使用についてはそれ以前もド・ジャンリス夫人(ステファニ=フェィシテ・ドゥ・ジャンリStéphanie-Félicité de Genlis)が右手で行っており、F.ペトリーニが彼女向けに作品を書くも自身は使わなかったようだ。左肩での演奏はアプトマスという奏者が行ったとのこと。

 なおヨーロッパ・ハープの系統にある中南米アルパは16~17世紀にスペインで使用されていた物が中南米に伝わったもので、パラグアイで盛んな他メキシコ、ヴェネスエラ、ペルー、アルゼンチン、エクアードル等で主に合奏や祭事にて使用、行脚の際は肩に担いで立奏もされる。独奏は1930年代にブエノス・アイレスで活動したフェリクス・ペレス・カルドーソ以降と言われている。パラグアイ・ポルカでは左手で3拍子低音を、右手で2拍子の強調的な演奏が行なわれるという。一般に37単弦仕様で杉または松製だが音量は杉製が勝るとのこと。品種の詳細は確認中。調律はパラグアイ・アルパがヘ長調調弦、メキシコ・アルパやヴェネスエラ・アルパはハ長調調弦で基本的に半音は生じないが、1980年代頃からジャベと呼ばれる金属製指輪を使用した半音演奏法をニコラス・カバジェーロが開発、3つのジャベを使用してジャズ音楽を演奏しているとのことで詳細確認中。またアイルランド・ハープ同様レバー操作で半音の出せる仕様も使用されているようだ。

 その他のフランス・ギターの宮廷奏者・作曲家としてはテオルブ奏者アンリ・グルヌラン(Henri Grenerin)、ジャック・ド・サン=リュク(Jacques de Saint Luc)。またG.サンスも有名で、G.サンスの残した「スペインの歌によるフーガ(Fuga al Aire Español)」や「マリサパロス(Marizapalos)」などは1954年にアランフエス男爵ホアキン・ロドリーゴ・ヴィドゥレ(Joaquín Rodrigo Vidre Marqués de los Jardines de Aranjuez)によって作曲されA.セゴビアが初演した 6単弦モダン・スペイン・ギターと小編成オーケストラの為の協奏曲「ある貴紳のための幻想曲(Fantasía para un Gentilhombre for Guitar and Small Orchestra)」にふんだんに盛り込まれている他、1952年に公開されたフランスのルネ・クレマン(René Clément)監督による映画「禁じられた遊び(Jeux interdits)」でも使用された。

 南米での5複弦ギターとしてはボリビア共和国(Bulibiya Mama Llaqta)及びペルー共和国(República del Perú)南部のアンデス地方に全長660㎜ほどのチャランゴ(Charango)が存在するが、これは木製以外にも米糊やアルマジロ(Quirquincho)の甲羅から響胴を製作している。理由ははっきりしておらず、森林限界を越える高地という特性上木材入手環境に恵まれていなかったこと、木製箱型胴を作る技術がなかったことなどが言われている。チャランゴの同属楽器としては低音楽器ロンロコ(Ronrroco)、チャランゴン(Charangon, Bariton Charango)、高音楽器ワライチョ (Huaraycho, Walaycho, Maulincho)、チジャードル(Chillador, チャランゴ・デ・カーハCharango de Caja, チャランゴ・アサンルデーニョCharango Anzaldeño)、ディアーブロ(Diablo)等が、この他原型となった楽器にコンコータ(Khonkhota)、アンサルド(Anzaldo)等が存在する。

 チャランゴと似たような響胴の製造方法では古代エジプトで亀の甲羅に魚などの皮を張った方法が利用されている。 表面に皮を張って音を出す有棹撥弦楽器は現在でも東方では中国の3単弦長頸撥弦楽器、三弦(Sān Xián)及びその系譜上にある琉球三線(Sanshin, Samishin, Samisen, Samshin, Samsen, Shamishin, Shamisen, Shamshin, Shamsen)や大和三味線(Yamato Shamisen)が、西方では西アフリカのンゴニ(Ngoni)が存在しいる。アル=ウードの名称の由来も、皮を張った楽器ミズハールと区別するために「木」を意味する言葉「ウード」が当てられたことからと言われている。

 中国三絃の起源は未詳で、古代エジプトの羊皮響板楽器ネフェル起源説、蛇皮響板楽器火不思改良説、秦の阮咸琵琶や唐の清楽用円形胴短棹琵琶秦漢子(Shinkanshi, Qínhànzǐ)、柄付小鼓弦鼗(Gentō, Xiántáo)等既存楽器改良説、クチャでのタンブール等の西域楽器起源説等がある。明代(1368~1644年)に中国全土へ広まっているが、11~14世紀の宋元代には既に一部地域で使われていた。時代によって様々な楽器が使用されるが、19世紀後半から20世紀初頭までに現在の大三弦、中三弦、小三弦が並立するようになったとみられている。また各民族や音楽様式の違いによっても仕様や調弦が異なる物が存在している。

 琉球へは明初に閩人三十六姓が渡来した際汉族福建小三弦を音楽と共に宮廷へ伝えたのが最初と言われており、大きさは小三弦とほぼ同じ。本州へは永祿(Eiroku)年間(1558~1570年)に琉球と貿易を行っていた(Sakai)に伝来したとされる。三味線(沙弥線、三美線、三尾線)の名称は読み方「Shamisen」が琉球の1方言、漢字は読みに合わせたもの。三線の琉球標準語読み「Sanshin」は明で正式とされていた北京語読み「San Xian(サンシェン)」が元ではないかと言われている。なお大和三味線も「三絃(Sangen)」と呼ばれることがあるが、本稿では弦列の場所や本数、また中国三絃との混同を避けるため「三味線」を使用する。

 日本では当初琉球三線がそのまま使用され、蛇の皮が張られていたことから蛇皮線(Jabisen)と呼ばれていたが、その後犬皮や猫皮を使用するようになる。猫皮は猫の腹の皮を使うが、1匹から2枚の胴皮が採れ、4つの乳跡がつくことから「四つ(Yotsu)」と呼ばれる。三味線の盛んな地域では猫を供養する為の猫塚も立てられ、現在も世田谷区瀬田の行善寺等に残っているようだ。

 一方犬皮は犬の背中の皮を使う為乳跡は付かないが、猫皮に倣って乳跡を模した装飾が付けられることもある。主に民謡で使われ、丈夫なことから特に津軽三味線では犬皮が多用されるとのこと。本土で素材が変更された理由は本土で適度な大きさの皮が採れる大きな蛇が容易に調達出来なかったことが理由とされており、日本人の声に近づける為といった説もあるようだ。中国三絃ではニシキヘビ等の蛇皮以外に羊皮、山羊皮、牛皮、栗鼠皮、蜥蜴皮、蛙皮といった獣皮や桐、松、竹、椿といった木板が使用される楽器もある。また琉球三線から大和三味線への奏法上の変化としては、最初琵琶法師が演奏に用い始めたこともあって義爪による爪弾ではなく琵琶の捍撥を流用した撥捩が行なわれるようになり、大和三味線としての型が確立する。楽種によっても捍撥の種類は異なるが、長唄三味線では薄く軽め、津軽三味線では厚く重めといった傾向があるようだ。中国三絃の場合一般的に爪弾が行われるものの、木製や獣骨製の棒状捍撥を使用する奏者もおり、特に広東粵劇では多用される。琉球や奄美の三線でも棒状捍撥が使用される場合があるが関連は確認中。

 また中国三絃同様、大和三味線も大きさによって太棹(Futo-zao)、中棹(Tyū-zao)、細棹(Hoso-zao)に分かれるが、西洋の同属楽器のように大きさの違いによって音域を分担して合奏するというよりはそれぞれが独立した存在で、分野ごとに決まった楽器を使い分けるという手法になる。近年は長唄から民謡まで様々な楽種を扱う奏者も増えていることから細棹と中棹の差異が薄れつつあるとのこと。傾向としては長唄では下駒が軽く弦高は高め、津軽三味線では重く低めとのこと。中国三絃では主に北方説唱で大三弦が、古中原の戯曲・説唱で中三弦が、南方の戯曲・説唱で小三弦が使用される。

 三味線では太棹が人形を使った舞台劇文楽(Bunraku, 人形浄瑠璃Ningyō-Jōruri)や歌舞伎歌舞伎(Kabuki)劇の背景音楽に使われる義太夫節(Gidayū-bushi)、語り(Storyteller)の一種浪曲(Rōkyoku)、津軽民謡の伴奏やそこから器楽に特化した津軽三味線(Tsugaru-jamisen)等に、中棹が文楽の一種である常磐津節(Tokiwazu-bushi)や清元節(Kiyomoto-bushi)、新内節(Shin'nai-bushi)、宮園節(Miyazono-bushi),一中節(Ittyū-bushi)、浄瑠璃(Jōruri)や地歌に、細棹が歌舞伎劇の背景音楽等に使われる長唄(Nagauta)、そして荻江節(Ogie-bushi)、河東節(Katō-bushi)、端唄(Hauta)、端唄から分派した歌沢節(哥沢節Utazawabushi)、小唄(Kouta)の伴奏等に使用される。無柱だが音域としては半音で約21~24f。ただし実際の勘所は4番目がギターでの5f、6番目が7fに相当する等音程の取り方が異なる。

 大和三味線では楽器以外に各分野で撥の種類が異なることも多い。また同一楽器でパートを分けて重奏されることもあるが、大人数での演奏に関しては舞台芸能や祭事の伴奏時に音量増大目的で行なわれるのが主流だった。現代では発表会・行事での集団合奏や西洋楽器と交えた編成でも演奏されることがある。元々歌の伴奏楽器として使用されていたことから、楽器と同時に歌を、また地歌(Jiuta)では箏の奏者が三味線も習得し兼務するのが通常とのこと。これに対して中国三絃では単独の伴奏から十数種類もの管弦打楽器を交えた合奏、歌を含まない器楽専門曲、即興合奏まで様々な形態が存在しており、その中で旋律楽器の補助、打楽器の強調、低音楽器としてのリズム主導など幅広い役割が与えられている。特に4単弦直頸琵琶や板鼓等の打楽器と組み合わされることが多い。

 調律は表参照。三味線では弦列を奏者の目線で手前から数えるので3列目が一の糸(Ichi-no-ito)、2列目が二の糸(Ni-no-ito)、1列目が三の糸(San-no-ito)となる。琉球三線や中国三絃では他に3列目から男弦・中弦・女弦、老弦・中弦・子弦、母弦・子弦・高弦、大弦・中弦・子弦、里弦・中弦・外弦、内弦・中弦・外弦といった数え方もあるが、本稿では全楽器でギターと同じ数え方に統一してあるので注意。また記譜上では開放弦を中国三絃の天干指位譜で3列目から大・中・正、琉球三線の工工四(Kun-kun-shī)指位譜では3列目から合・四・工と記載する。

 琉球工工四指位譜の名称「工工四」及び使用される譜字「合乙老四上中尺工五六七八九」については、中国三絃で使われる工尺音程譜の階名「合四乙上尺工凡六五」を由来としたもので、「唐の工六四」と呼ばれ18世紀前半に屋嘉比朝寄(Tyōki Yakabi)によって記録された琉球における現存最古の楽譜『屋嘉比朝寄工工四』にも収録されている中国三絃曲「老八板」の正調調弦が「合四工」、曲の冒頭3音が「工工四」であることに由来していると言われ、老は中国三絃で3列目を指す老弦から、五以降が漢数字順なのは潮州音楽で三弦にも流用される箏譜の影響ではないかとの説がある。なお直接の関係はないが、工尺譜にも工尺譜字を指位の記載に利用する指位式工尺譜は存在した。

 ところでこれらの楽器が3コース仕様である理由の1つに道教の「天・地・人」を根本とする三才思想が関連しているとの説もあるようだが、中国でも全体的に3コース楽器は三弦や月琴等一部で、文献にもそのような指摘は見付かっていないとのことで関連は調査中。沖縄には3列目を君主、2列目を家臣、1列目を民衆と説く掛け軸も残っているが、時代としてはそれほど古い物ではなく普及していたかも不明。キリスト教でも「父・子(キリスト)・精霊」の三位一体(the Trinity)と呼ばれる思想があり、純正長3和音をその象徴と看倣したこともあった。また古代ギリシャ哲学で3を「完全数」と看倣す思想があったことが楽曲の構造に反映されていた時期があるものの、楽器に関しては3コース仕様がほとんど無い。ギターの9コース仕様や6コース仕様を3の倍数と解釈することは可能だが、実際には宗教色が薄れた近代合理主義以降に発達しており、宗教の影響が強かった頃はむしろ4コース仕様や5コース仕様の時代が数百年続いている。ギター以外の弦楽器でも特に3や3の倍数に固執した弦列はみられず全時代を通じて多数の仕様が混在しているので思想的拘束の存在は考えにくい。

 なお2007~2008年頃の日本で、数字を読み上げる際3が付く時と3の倍数の時にアホになるという流行が児童を中心に発生したが、これは仏教や神道、儒学、武士道その他の思想・信仰と関係・・・はなく、世界のナベアツと称する芸人が広めたもの。ギターや三味線等楽器の仕様への影響・・・も勿論無い。ただ3が付く時と3の倍数の時に難しくなるというロック・ギター用練習譜例集が雑誌に掲載されたことはあった。またこの流行では終結部に「オモロー(Ómorō)」という掛け声も併せて使用されることがあるが、これは琉球で12~17世紀初頭にかけて祭事や娯楽で歌われた呪術性も含む叙事的歌謡「オモロ(Omoro)」と関係・・・はなく、形容詞「おもしろい(Omoshiroi)」の西日本方言「おもろい(Omoroi)」の省略形「おもろ(Omoro)」のことと思われるが、詳細は気が向いたら調査する。なお琉球オモロ民謡のオモロについては「思い(Omoi)」と同語源であると言われ、「神に申し上げる、宣り奉る」という意味があるとのこと。16世紀前半~17世紀前半頃に全22巻1554首から成る曲集「おもろさうし(Omorosōshi)」が編纂されている。

E2 F2 G2 A2 B2 C3 D3 E3 F3 G3 A3 B3 C4 D4 E4 F4 G4 A4 B4 C5 D5 E5
※45 白族竜頭小三弦
※M24 汉族小三弦 张老五 「奪竹筒」
※54 拉祜族小三弦
※45
※1d5 佤族小三弦 打歌調
※45 汉族小三弦 张老五 一片响篾調
※55 关龙調
※54 拉祜族小三弦
彝族小三弦
汉族広東粵楽弦子小三弦 反線
※45 汉族小三弦 张老五 穀稈調
※54-28L 汉族中三弦 郿鄠音楽 六尺
E2 F2 G2 A2 B2 C3 D3 E3 F3 G3 A3 B3 C4 D4 E4 F4 G4 A4 B4 C5 D5 E5
※d54 红河哈尼族彛族垤施三弦
※45-2M7L 汉族中三弦 郿鄠音楽 凡上
※4M3-3M2L 红河哈尼族彛族垤施三弦
※54-1m3L 汉族小三弦 弦子八大調 琵琶調
※54-35H 张老五 芦笙調
※M34 汉族小三弦 弦子八大調 梅花調
※54 壮族三弦
※45-3m3H 汉族小三弦 弦子八大調 正調
※45 汉族福建南曲小三弦 洞管
E2 F2 G2 A2 B2 C3 D3 E3 F3 G3 A3 B3 C4 D4 E4 F4 G4 A4 B4 C5 D5 E5
※54 汉族小三弦 長陽南曲
汉族広東客家漢楽小三弦 正宮調
※15 傈僳族期卒厄小三弦 咚咚得
※45-3m2H 汉族小三弦 弦子八大調 傷悲調
※45 平調
白族竜頭小三弦
彝族中三弦
傈僳族期卒厄小三弦 咣咚得
※55 汉族中三弦 郿鄠音楽 小工調
汉族小三弦 弦子八大調 背攻調
张老五 傈僳調
E2 F2 G2 A2 B2 C3 D3 E3 F3 G3 A3 B3 C4 D4 E4 F4 G4 A4 B4 C5 D5 E5
※44 汉族中三弦 郿鄠音楽 尺六仩
汉族中鼓三弦 河南梆子
汉族潮州小三弦 新調弦
※54 旧調弦
汉族広東客家漢楽小三弦 六字調
汉族小三弦 長陽南曲
弦子八大調 月調
汉族中三弦 郿鄠音楽 背宮
陝北講談
河南三弦書
彝族中三弦
彝族小三弦
红河哈尼族彛族垤施三弦
E2 F2 G2 A2 B2 C3 D3 E3 F3 G3 A3 B3 C4 D4 E4 F4 G4 A4 B4 C5 D5 E5
※M24 汉族小三弦 张老五 隔娘調
※45 哈尼族纠魯布小三弦
※d54 汉族小三弦 弦子八大調 潔志調
※54 『北西廂弦索譜』 簫一字調
傣族穆玎小三弦
哈尼族纠魯布小三弦
※45-3m3H
※45
汉族小三弦 『北西廂弦索譜』 簫正調
※54 簫梅花調
E2 F2 G2 A2 B2 C3 D3 E3 F3 G3 A3 B3 C4 D4 E4 F4 G4 A4 B4 C5 D5 E5
※44 蒙古族胡兀不儿
※54 汉族浙江弦子小三弦
汉族江南糸竹小三弦
汉族崑曲小三弦
白族竜頭小三弦
大和族細棹三味線 二上がり
※45 本調子
汉族蘇州弾詞弦子小三弦 女声Ⅰ
汉族晋劇小三弦 古調弦
彛族二合亚莫大三弦
E2 F2 G2 A2 B2 C3 D3 E3 F3 G3 A3 B3 C4 D4 E4 F4 G4 A4 B4 C5 D5 E5
※55 大和族細棹三味線 一下がり
※51 汉族中三弦 陝北讲谈
※44 大和族細棹三味線 三下がり
琉球族三線 一二揚調子
※54 二揚調子
汉族小三弦 越調 / 硬中弦
汉族広東粵楽弦子小三弦 正線
彝族二合亚莫大三弦
基诺族迪塔小三弦
E2 F2 G2 A2 B2 C3 D3 E3 F3 G3 A3 B3 C4 D4 E4 F4 G4 A4 B4 C5 D5 E5
※45-3M3H 琉球族三線 一揚調子
※45-3m3H 汉族小三弦 正調Ⅰ
※45 平調 / 軟中弦
汉族蘇州弾詞弦子小三弦 女声Ⅱ
汉族福建南曲小三弦 品管
汉族中三弦 河南三弦書
白族竜頭小三弦
琉球族三線 本調子
※55 一下調子
E2 F2 G2 A2 B2 C3 D3 E3 F3 G3 A3 B3 C4 D4 E4 F4 G4 A4 B4 C5 D5 E5
※4M3 汉族晋劇小三弦 旧調弦
※M24 新調弦
蒙古族胡兀不儿
※44 琉球族三線 三下調子
※45-3m3H 汉族中三弦 郿鄠音楽 正宮
汉族小三弦 正調Ⅱ
※45 汉族蘇州弾詞弦子小三弦 男声Ⅰ
汉族浙江弦子小三弦
汉族越劇南弦 旧調弦
蒙古族胡兀不儿
E2 F2 G2 A2 B2 C3 D3 E3 F3 G3 A3 B3 C4 D4 E4 F4 G4 A4 B4 C5 D5 E5
※44 蒙古族胡兀不儿
汉族越劇中三弦 固定音高調弦
※54 新調弦
汉族大三弦 固定音高調弦
汉族小三弦 『北西廂弦索譜』 簫凄涼調
『弦索十三套』 越調
蒙古族胡兀不儿 Ⅴ (一般的)
大和族太棹三味線 二上がり
※45 本調子
汉族蘇州弾詞弦子小三弦 男声Ⅱ
E2 F2 G2 A2 B2 C3 D3 E3 F3 G3 A3 B3 C4 D4 E4 F4 G4 A4 B4 C5 D5 E5
※M34 汉族小三弦 『弦索十三套』 清音串
※45-3m3H 正調
『清故恭王府音楽』 「變音板」
※55 「將軍令」
※44 大和族太棹三味線 三下がり
※54 汉族中三弦 河南大調曲子
※M24 汉族小三弦 白鳳岩 风雨鉄马
※45 『弦索十三套』 平調
E2 F2 G2 A2 B2 C3 D3 E3 F3 G3 A3 B3 C4 D4 E4 F4 G4 A4 B4 C5 D5 E5
音高不明
※45-2M2L 佤族三弦
※45
番号は本稿全体と共通のギター式で表示。
実際の音高は平均律ではなく、また地域によって音程の取り方に差異があるのであくまで目安。
基準音は3列目でとるが、用途や歌手に応じて半~2全音ほど上下する。
指位式工尺譜では記譜上C、F、B♭に相当しても実際にはC#、F#、Bで演奏することがある。
※1d5: 1度~減5度調弦。4度~5度調弦の①半音下げ&③5度上げ。
※15: 1度~5度調弦。4度5度の③4度上げ。

※M24: 長2度~4度調弦。4度~5度調弦の③5度上げ。

※M34: 長3度~4度調弦。5度4度調弦の③1音半上げ

※4M3: 4度~長3度調弦。4度~5度調弦の①1音半下げ。
※4M3-3M2L: 5度~長3度調弦。4度~長3度調弦の③1音下げ。
※44: 4度調弦。4度~5度調弦の①1音下げ。
※45: 4度~5度調弦。
※45-2M2L: 短3度6度調弦。4度~5度調弦の②1音下げ。 ※45-2M7L: 4度~5度調弦の②長7度下げ。
※45-3m2H: 短3度~5度調弦。4度~5度調弦の③半音上げ。
※45-3m3H: 長2度~5度調弦。4度~5度調弦の③1音半上げ
※45-3MH: 短2度~5度調弦。4度~5度の③長3度上げ。

※d54: 減5度~4度調弦。5度~4度調弦の③半音上げ。
※51: 5度~1度調弦。5度~4度調弦の①4度下げ。
※54: 5度~4度調弦。4度~5度調弦の②1音上げ。
※54-1m3L: 5度~長2度調弦。5度~4度調弦①1音半下げ。
※54-28L: 4度~8度調弦。5度~4度調弦の②オクターヴ下げ。
※54-35H: 1度~4度調弦。5度~4度調弦の③5度上。
※55: 5度調弦。4度~5度調弦の③1音下げ。

 なお琉球三線に六線(Rokushin)と呼ばれる3複弦仕様が存在し現在も使用されているが、これは昭和初期(1920年代)に安価なソプラノ・マンドリンが流通するようになった影響で誕生したとのことで詳細確認中。三線は高価だった為マンドリンのフレットを抜いて代用されることもあったとのこと。チベット・ダムニアンにも同様に3複弦仕様が存在するが直接の関係はないとみられる。また1600年頃徐会瀛(徐會瀛, Xú Huì-Yíng, Jo Kai-Ei)が編纂したとされる『新鍥燕台校正天下通行文林聚宝万巻星羅』の第17巻「三弦譜式」に描かれている中国三絃は糸巻が4本で弦列も4本となっており、3コース4弦仕様とみられるが実際に使用されていた仕様なのか調査中。

 その他にも中南米各地やイベリア半島、イタリア半島にバロック・ギターやヴィウエラ、バロック以前のマンドリンの亜種と思われる5コースの複弦楽器は多数存在しており現在でも利用されている。
 5単弦ギター
 フランス等では1770年頃~1810年頃の単弦ギター登場初期に5複弦ギターから副弦を取り除いた形で一時的に存在しており、 N.コストも所有していたことが窺える(注の写真参照)。その他 G.メルキが1777年に教則本『ギター初歩の手引き(Guide desécoliers de guitare)』を、またシャルル・ドゥワジ=ランタン(Charles Doisy-Lintant)も5単弦ギター教本を出版、 ピエール・ポルル(Piere Porro)や アントワン・ロイエ(Antoine L'Hoyer)は作曲を行っている等 利用されていたようだ。

 イタリアではナポリ・ギターで単弦化が始まっており、フェルディナンドゥス・ガリアーノ・フィリウス・ニコライ(Ferdinandus Gagliano Filius Nicolai)による1774年製11f接続15f5単弦ギターがかつてドイツに残っていたが戦災で焼失したようだ。このギターは口髭(ムスタッシュ)型ピン留め下駒、8字形弦蔵、真鍮製金属フレットといった19世紀のギターの原型を既に持っている。また後に7単弦ギター奏者となるF.モレッティも5単弦ギターを使用していた時期があり、1792年にナポリで出版された『ギター原理(Principj per la Chitarra)』は5単弦ギターを対象にしている。ナポリの製作家ではこの他ヴァレンツァーノ(Valenzano)、トロット(Trotto)、ヴィナッチャ(Vinacca)、ガダニーニ(Guadagnini)一族等。全体的にナポリ・ギターは14~18f、弦長590~640㎜、ブリッジ・ピン、8字形弦蔵、スプルース表板、メイプル裏板、木目と交差する力木が特徴のようだ。この力木配置についてはリウトにも見られるものの膨張や収縮が不揃いで気候変化に弱いとの指摘がある。

 南北アメリカ大陸では5複弦ギターが単弦化したものや4単弦のギターが弦を増やしたものが登場し現在でも多く使われている。なおベースギターにおける5単弦仕様については「Sky II」の脚注参照のこと。有棹撥弦楽器全体でも古来より5単弦仕様は存在し、現在でも南アジアや東アジア、北米で使われている。

メモ
5単弦
 ヴェネスエラ・スィンコ(Cinco)
 ブラジル・ヴィオラ・デ・コチョ(Viola de Cocho) 弦長455㎜ 全長660㎜ 2~3f   G3-D3-E3-A3-D4, G3-C3-E3-A3-D4
 プエルト・リコ島ティプレ・ドリエンテ(Tiple Doliente) 弦長365㎜ 全長590㎜ 19f E3-A3-D4-G4-C5
 パナマ・メホラーナ(Mejorana) 弦長435㎜ 全長660㎜ 5f D4-A4-A3-B3-E4, D4-G4-G3-B3-E3
 メヒコ・ゴルペ・ギター(Guitarra de Golpe, Guitarra Colorado, Quinta de Golpe, Mariachera, Quinta Colorado, Guitarra Quinta, Quinta, Jarana) 弦長~570㎜ 12f D3-G3-C4-E3-A3
 メヒコ・ハラーナ・ワステカ(Jarana Huasteca) 弦長395㎜ 全長650㎜ 11f G3-B3-D4-F#4-A4
 メヒコ・5弦レキント・ハロチョ(Requinto Jarocho) E2-A2-D3-G3-C3
 5弦筑前琵琶(Chikuzen Biwa)
 5弦薩摩琵琶(Satsuma Biwa)
 インド・5弦タンプラ(Tampura) 弦長600㎜ 全長910㎜ 5ドローン
 インド・ブルブル・タラン(Bullbull Tarang) 弦長500㎜ 全長595㎜ 23f
 バングラディシュ・ドタラ(Dotara) 弦長420㎜ 全長770㎜ 無柱
 5弦アフガン・ラバーブ(Afghan Rabab) 19f 2ドローン+3主弦
 カシュガル・ラバーブ(Kashgar Rabab) 弦長760㎜ 全長880㎜ ?f 4共鳴&ドローン+1主弦
 パキスタン・キトゥラリ・シタール(Chitrali Sitar) 弦長910㎜ 全長1220㎜ 11f~ 3ドローン+2主弦
 スペイン・ギターロ(Guitarro, Guitarrico) B4-F#4-D5-A5-E5
 スペイン・三角型トレブル・ギター(Treble Guitar) A4-D4-G4-C5-E5
 カナリア諸島・ティンプレ(Timple) 弦長360㎜ 全長575㎜ 7f G4-C5-E4-A4-D5
 ドイツ/オーストリア・ギター・リュート(Guitar Lute) 弦長610㎜ 全長950㎜ 14f
 アメリカ・5弦アコースティック・ベース・ギター(Acoustic Bass Guitar) B0-E1-A1-D1-G1
 アメリカ・5弦エレクトリック・ベース・ギター(5-String Bass Gutiar) B0-E1-A1-D2-G2
 アメリカ・フェンダー・ベース5(Fender Bass V) E1-A1-D2-G2-C3
 アメリカ・5弦グアド・バンジョー(Gourd Banjo, Banjar, Bonja, Banza, Strum-strum) 弦長~650㎜ 無柱
 アメリカ・5弦ミンストリル・バンジョー(Minstrel Banjo) 弦長~650㎜ 無柱G4-D3G3-B3-D4
 アメリカ・フレットレス・バンジョー(Fretless Banjo, Clawhammer Banjo) 弦長~650㎜ 無柱 G4-D3-G3-B3-D4, G4-C3-G3-B3-D4
 アメリカ・モダン・5弦バンジョー(5-string Banjo) 弦長~650㎜ 22f G4-D3-G3-B3-D4
 アメリカ・バンジュリン(Banjourine) 弦長~500㎜ 17f
  イ調バンジョー(A-scale Banjo) 20f A4-E3-A3-C#4-E4, G5-D4-G4-B4-D5
  ピッコロ・バンジョー(Piccolo Banjo) 15f D5-A3-D4-F#4-A5
  ベース・バンジョー(Bass Banjo, Banjorine Banjeaurine)
 アメリカ・ブルーグラス・バンジョー(Bluegrass Banjo) 弦長~685㎜ 全長1000㎜ 22f G4-D3-G3-B3-D4
 アメリカ・ロングネック・バンジョー(Longneck Banjo) 弦長~800㎜ 25f
 アメリカ・ツィター・バンジョー(Zither-Banjo) 弦長~650㎜ 22f
 アメリカ・バンジョラ(Banjola) 弦長~650㎜ 22f
 ヴェトナム・ダン・ギター(Ðàn Ghi-ta Việt Nam, Luc Huyen Cam) 弦長630㎜ 全長980㎜ C3-F3-C4-G4-C5
 フランス・エピネット・デ・ヴォサージュ(Épinette des Vosges) 弦長640㎜ 全長850㎜ 2主弦+3バス弦

5コース6弦
 ヴェネスエラ・セイス・スィンコ(Seis Cinco) 弦長580㎜ 全長880㎜ 12f E3-A3A2-D4-F#3-B3
 ヴェネスエラ・エル・トクーヨ・スィンコ・イ・メディオ(El Tocuyo style Cinco y Medio) 弦長480㎜&210㎜ 全長750㎜ 14f A4A3-D3-F#4-B4-E4
 ポルトガル・ラジャン(Rajão) 弦長425㎜ 全長710㎜ 17f D4-G4-C4-E4-A4-A4

5コース8弦
 メヒコ・ワパンゲラ(Huapanguera, Guitarra Quinta) 弦長620㎜ 全長980㎜ 8~10f G2-D3D4-G3G3-B3B3-E3
 メヒコ・ハラーナ・ハローチャ(Jarana Jarocha) 弦長570㎜ 全長870㎜ 12f A3-D4D4-G3G4-B3B3-E4
  チャキステ(Chaquiste)
  ハラーナ・プリメーラ(Jarana Primera, Mosquito, Chillador)
  ハラーナ・セクンダ(Jarana segunda, Requinto de Jarana)
  ハラーナ・テルセーラ(Jarana Tercera, Jarana Jarocha)
 スペイン・8弦ギターロ(Guitarro / , Guitarrico) B4-F#4F#4-D5D5-A5A5-E5
  バレアレス(Baleares)・ギターロ

5コース9弦
 ポルトガル・マデイラ島・ヴィオラ・デ・アラメ(Viola de Arame) 14f G3G2-D3D2-G3G3-B3-D3D3
 西ヨーロッパ・5コース中世リュート(Medieval Lute)
 西ヨーロッパ・5コース・ルネサンス・リュート(Renaissance Lute)
 スペイン・バロック・ギター(Baroque Guitar) 弦長478~720㎜ 960㎜ 11f A3A3-D4D4-G3G3-B3B3-E4E4, A3A3-D4D3-G3G3-B3B3-E4E4
 フランス・ルネサンス・マンドローレ(Mandore, )
  イタリア・ルネサンス・マンドーラ(Mandola)
 ドイツ・9弦ヴァルトツィター(Waldzither) 弦長460㎜ 全長750㎜ 17f

5複弦
 アンデス・チャランゴ(Charango) 弦長355~370㎜ 全長600~635㎜ 14~15f G4G4-C4C4-E5E4-A4A4-E4E4
  チヂャリコ(Chillarico)
  チヂャドール(Chillador, Charango de Caja, Charango Anzaldeño) 弦長330~370㎜ 全長615~640㎜ 17f 低Gg-Cc-EE-高AA-EE
  ワライチョ(Hualaycho, Walaycho, Maulincho) 弦長285~330㎜ 全長560~595㎜ 16f D4D4-G4G4-B5B4-E5E5-B5B5
  アンデス・ロンロコ(Ronrroco) 弦長485~495㎜ 全長780~815㎜ 17f G4G3-C5C4-E4E3-A4A4-E4E4, A4A3-C5C4-E4E3-A4A4-E4E4
  チャランゴン(Charangon, Bariton Charango) C4C4-F4F4-A5A4-D5D5-A5A5
  ディアブロ(Diablo) 弦長300~435㎜ 全長550~740㎜ 12f
 ボリヴィア・コンコータ(Khonkhota) 弦長715㎜ 全長980㎜ 5f
  アンサルド(Anzaldo) 弦長330㎜ 全長580㎜ 10f
 ペルー・マンドリーナ(Mandolina) 弦長345㎜ 全長675㎜ 17f
  ボリヴィア・バンドリン(Bandorin)
  ペルー・マンドロン(Mandoron) 弦長390㎜ 全長720㎜ 18f
 ブラジル・ヴィオラ・カイピーラ(Viola Caipira) 弦長580㎜ 全長970㎜  19f A3A2-D4D2-F4F#3-A3A3-D4D4
 ブラジル・ヴィオラ・セルタネジャ(Viola Sertaneja) A3A2-D4D2-F4F#3-A3A3-D4D4
 プエルト=リコ・ボルドヌア(Bordonua) A2A3-D4D3-F#3F#4-B3B3-E4E4
 メヒコ・バホ・キント(Bajo Quinto) A1A2-D2D1-G2G2-C3C3-F3F3
 コーカサス・タール(Caucasus Tar, Azeri Tar) 弦長600㎜ 全長800㎜ 22f 2複共鳴+3複主弦 1870年頃アゼルヴァイジャンのタール奏者サディフジャン(Sadikhjan)がペルシャ・タールを改良。
 チターラ・ゲルマニカ&イタリカ(Cythara germanica & Italica) D5-C5-(B4?)-G4-A4
 イタリア・モダン・キターラ・バテンテ(Chitarra Battente) 弦長640㎜ 全長960㎜ 10f A3A3-D4D4-G3G3-B3B3-E4E4
 ポルトガル・ブラガ・ヴィオラ(Viola Braguêsa) 弦長500㎜ 全長900㎜ 10f C3C2-G3G2-A3A2-D3D3-G3G3
 ポルトガル・ヴィオラ・アマランティーナ(Viola Amarantina) 17f D3D2-A3A2-B3B2-E3E3-A3A3
 ポルトガル・ヴィオラ・カンパニサ(Viola Campaniça) C2C3-F3F2-C3C3-E3E3-G3G3
 カボ=ヴェルデ・10弦ヴィオラ(Viola de Diz Cordas) 弦長550㎜ A3A3-D3D4-G3G3-B3B3-E4E4
 スペイン・ルネサンス・5コース・ヴィウエラ・デ・マーノ(Vihuela de Mano, Viyuela, Viola da Mano)
 西ヨーロッパ・マンドリーノ(Mandolino) B3B3-E4E4-A4A4-D5D5-G5G5
 ドイツ・10弦ヴァルトツィター(Waldzither) C3C3-G3G3-C4C4-E4E4-G4G4
 プエルト・リコ・クアトゥロ・モデルノ(Cuatro Moderno, Cuatro de Diez Cuerdas, Cuatro Español) B-E-A-D-G
  タマニョ(Tamaño)
  アンボス(Ambos) B-E-A-D-G
  ボルドヌーア(Bordonúa)
 プエルト・リコ島5複弦クアトゥロ・アヴィオリナード(Cuatro Aviolinado) 弦長515㎜ 全長860㎜ 19f B3B2-E4E3-A3A3-D4D4-G4G4
  ソプラノ(Soprano)
  テノール(Tenor)
  アルト(Alto)
  バホ(Bajo)

5コース12弦
 ポルトガル・ヴィオラ・トエイラ(Viola Toeira) 10f A3A3A2-D3D3D2-G3G2-B3B3-E3E3
 ポルトガル・ヴィオラ・ベイロア(Viola Beiroa) 弦長260&520㎜ 全長900㎜ 10f D3D3-A3A2-D3D2-G3G2-B3B3-D3D3
 ポルトガル・アゾレス・聖ミゲル島・ヴィオラ・ダ・テッラ(Viola da Terra) 弦長520㎜ 全長910㎜ 21f A3A3A2-D3D3D2-G2G2-B2B2-D4D4

5コース14弦
 イタリア・バロック・14弦キターラ・バテンテ(Chitarra Battente)

5三重弦
 エクアドル・バンドリン(Bandorin) 弦長430㎜ 全長750㎜ 18f E5E4E5-A5A4A5-D5D5D5-F#5F#5F#5-B5B5B5
 イタリア・バロック・キターラ・バテンテ(Chitarra Battente) 弦長590㎜ 全長910㎜ 10f
Stradivarius
1680年製10f5複弦ギター。A.ストラディヴァリ製作。
Voboam
12f5複弦と7f5複弦の10複弦双棹ギター。アレクサンドル・ヴォボアン(Alexandre Voboan)が1690年にパリで製作。弦長は710㎜と440㎜。
Italian
11f5コース14弦ギター。作者不明のイタリア製で1列目が複弦、それ以外は三重弦。
Sellas
14f5複弦ギター。1627年ヴェニスのジョルジオ・セラス(Giorgio Sellas)製作。



 6複弦ギター
 6コースの撥弦楽器自体はリウトが15世紀末に低音を追加して6コース11弦仕様となり、1511年にはイタリアで標準的楽器になっていた。また16世紀のイベリア半島においてはヴィウエラ・デ・マーノと呼ばれる撥弦楽器が6複弦仕様を多数派として存在しており、 セビージャ出身のビウエラ奏者アロンソ・デ・ムダーラ(Alonso de Mudarra)は1546年に『数字譜による3巻のビウエラ曲集(Tres Libros de Musica en Cifras para Viuela)』 を出版している。ジョルジュ・オーリック(Georges Auric)が1960年に作曲した「アロンソ・ムダーラ賛歌(Hommage à Alonso Mudarra)」はこの曲集からの引用。このA.ムダーラによる「十字架にかけられて(Crucitixus est)」は10fまで使用しており、楽器によってはフレットの足りなくなる当時としては高域拡張になる。ただ伊仏の5コース楽器では既に10fを超えていたようで、16世紀前半頃フランチェスコ・フランチア(Francesco Francia)が描いたボローニャの詩人ジョヴァンニ・フィラーテオ・アッキリーニ(Giovanni Philatheo Achillini)の肖像銅版画にある5コースと思われる大型ヴィオラ・デ・マーノが11fとみられる。またスコットランド王女マリーが1561年に宮廷音楽家として、1564年には私設秘書として雇ったトリーノのバス歌手ダーヴィド・リッチオ(David Rizzio)に贈ったフランス製ギターも11f5複弦仕様。なおその他のヴィウエラ奏者としては18世紀初頭のギター奏者サンティアゴ・デ・ムルシア(Santiago de Murcia)の父ガブリエル・デ・ムルシアが女王付のギター&ヴィウエラ奏者、母方の祖父フランチェスコ・レオンなど。

 リウト同様ヴィウエラでも5複弦や7複弦といった各種仕様は存在したものの16世紀末に衰退しており、18世紀中頃5複弦ギターに低音を追加して誕生した6複弦ギターとの直接の関係は無いとみられる。 ヴィウエラ衰退の理由に関しては調査中だが、スペインに関しては1588年に無敵艦隊(Armada)がイギリス海軍に敗れ制海権を失い、オランダ独立戦争にも敗北するといったスペインの国家的な衰退と関連している可能性やフランスでも同時期に4コース・ギターが衰退しており、この時期ヨーロッパで流行したチェンバロの台頭が関連しているとも考えられる。1578年のアントニオ・デ・カベソン(Antonio de Cabeson)の曲集ではヴィウエラだけではなく鍵盤楽器やアルパ向けともなっており、楽曲もオリジナルではなくオルガン曲の編曲とのこと。

 ただし所謂「芸術音楽」として扱われる世界での記録に残っていない巷間での6複弦ヴィウエラ衰退後の状況やその他撥弦楽器の使われ方については詳細不明で、17世紀以降の推移については調査中。参考情報としてはJ.C.y アマートの教則本で6コース・バンドーラが登場している点やミラノ・マンドリーノやジェノヴァ・マンドリーノに6コース仕様が存在していた点、F.カンピオンの1701年の記述に「5弦または6弦ギター」とある点等があり、6コース化の発想自体は特別なものではなかったと思われる。

 ルネサンス・ヴィウエラ自体は中南米にも伝わっており、1625年頃製作されたと推測されている聖マリアーナ・デ・ヘスース(Madre Santa Mariana de Jesús Torres)の所有物として1台が、南北アメリカ大陸で初めてソロモン式の円柱を建築装飾に利用したと言われるキト(Quito)のイエズス会派教会ラ・コンパニーア(La Iglesia de la Compañía de Jesús)に現存している。 20世紀以降は古楽奏者が復元楽器を使用して演奏を行なっている他、モダン・スペイン・ギター奏者では「アランフェス協奏曲」の被献呈者で初演のソリストも務めたブルガス(Burgas)出身のギター奏者レヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサ(レヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサ・イ・ルイス・ログローニョRegino Sáinz de la Maza y Ruiz Logroño)が音楽研究家エドゥアルド・トルネリと共に、またE.プジョール等も演奏会で取り上げて以来 演奏されている。またこれとは別に現代ではメキシコにヴィウエラという名の楽器が存在するが、関連は調査中。

 ところで6列目が追加されたのは1797年頃、ドゥレースデンの楽長・作曲家ヨハン・ゴットリープ・ナウマン(Johann Gottlieb Naumann)がヴィオロン製作家ヤーコプ・アウグスト・オットー(Jakob August Otto)にE2弦を付け加えたギターを依頼したのが初という話があるが、カーディス(Cádiz)出身の ホセ・ベネディード(José Benedid)による1783年製やF.サンギーノによる1759年製が発見されている。

 なお当時の楽長は演奏の指揮以外に団員の監督、楽器の修理・手配、給与計算等も行なう役職だった。指揮者が現在のような芸術家的扱いになるのは19世紀半ば以降。指揮者登場以前はチェンバロ等の鍵盤楽器やその他通奏低音楽器がリズムやテンポを主導することが多かった。

 チェンバロは英語でハープシコード(Harpsichord)、仏語でクラヴサン(Clavecin)。ヴァージナル(Virginal)の大型据え置き型のようなもので遅くとも15世紀には確立しており16世紀初頭にヨーロッパで流行。主に和音・伴奏楽器として使用されるが18世紀半ば以降ピアノが大音量を獲得し始めると衰退していった。その後20世紀になって古楽復興の流れで復活している。1903年にはワルシャワ出身のピアノ奏者ワンダ・ランドフスカ(Wanda Landowska)がバロック音楽研究の中でピアノでは正しく再現出来ないとの考えにいたりチェンバロを使用し始め、1912年製プレイエルでは7ペダル仕様等独自に楽器を発展させていたようだ。またピアノとの折衷仕様としては、トロント出身のピアノ奏者グレン・グールド(Glenn Gould)がハープシピアノというチェンバロ風の音がする改造ピアノを使用したこともあったという。

 チェンバロはジャックによって鍵盤と連動した突起のプレクトルムが単弦または複弦を弾く撥弦楽器で、弾く時の弦の数によって音量・音質を調節するため、2段鍵盤、3段鍵盤仕様や、打鍵の深みが2段階になったダブル・アクション仕様が存在している。プレクトルムは他の撥弦楽器同様鳥の羽軸や油で固めた水牛の皮等も使用されたらしい。現代では耐久性に優れる合成樹脂も利用される。

 12世紀頃からモノ・コードを組み合わせて作られ始めたクラヴィコードではタンジェントと呼ばれる金属刃が打弦する仕組みで、初期は共有弦(fretted, gebunden)と呼ばれる複弦複タンジェント仕様。 1コースで最大5音階同時発音可能な仕様もあったが、ミとファを1コースで間に合わせる等から下行レガートや一部不協和音が演奏できないという欠点があった。このため旋律よりは和音を中心とした利用法となり、また使用可能な調性も限られていた。17世紀末頃から専有弦(unfretted, bundfrei)と呼ばれる1鍵1コースの鍵弦一致非フレット型が登場する。J. S.バッハはこの過渡期を経験しており、24調の演奏等が可能になったこと等は音楽的に影響を与えているとみられるが、既述の通り現代でいう12等分平均律を使用していたのかは不明。少なくとも運指に関して親指を重用する等の技術的な試行を行った点は他の奏者と異なったようだ。

 ピアノもペダルによって打弦数の変更は可能だったが、打鍵時の強弱を使う方法が主流になっていった。現在でも単弦(ウナ・コルダUna corda)用に切り替えるペダルは残っているが、かつてのものほど小さく繊細な音は出せないという指摘もある。また家庭用アップライト型ピアノの場合は消音ペダルに置き換えられていることが多い。なお現代のピアノの弦列構成は音域によって違い、低音域が単弦、中低音域が複弦、中~高音域が三重弦となっているのが一般的だが、その境界はメーカーや機種によって様々。

 ヴァージナルは逆に小型携帯単弦仕様チェンバロのようなもので、弦が鍵盤に対して横に張られているのが特徴。スピネット(Spinet, エピネットEpinette, スピネッタSpinetta)とも呼ばれ16~17世紀にヨーロッパで流行した。 胴材は芳香杉で音域は約4オクターヴ。イギリスやフランドル地方で篋形(長方形)ヴァージナルが、ドイツやイタリアでは台形や3~5角形ヴァージナルが製造されたが、多角形ヴァージナルを篋に収納して空いた角を小物入れとして使う楽器もあった。 また篋形ヴァージナルの中に小型ヴァージナルを収納して単独で演奏したり本体の鍵盤と連動してオクターヴ高い音を出せる物も1580年頃登場したという。

 また1780年には既にアントニオ・バレステロ(Antonio Ballestero, Ballesteros)が『6コースギターのための作品集(OBRA PARA GUITARRA DE SEIS)』を出版、フアン・アントニオ・ヴァルガス・イ・グスマン(Juan Antonio Vargas y Guzman)の手稿譜にはカーディスで1773年に作曲されたものやメキシコのヴェラクルス(Veracruz)で1776年に作曲されたという作品が収録されている。

 スペインの作曲家アンドレス・デ・ソトス(Andrés de Sotos)の記述「1764年に学んだこと」には4弦、5弦、6弦の3種のギターを弾いたとあるとのことで詳細調査中。

 スペイン以外でもフランチェスコ・コンティ(Francesco Conti)が『マンドーラ乃至それと同じフランス風ギターの調弦法、リューティーノ又はジェノヴァ風マンドリーノの教則(L'ACCORDO DELLA MANDOLA È L'ISTESSO DELLA CHITARRA ALLA FRANCESE, SCOLA DEL LEUTINO, O SIA MANDOLINO ALLA GENOVESE)』を1770~1780年頃に出版している。ここでのマンドーラはミラノ・マンドリンのことのようで詳細確認中。リューティーノは小型の洋梨形撥弦楽器で、ソプラノ・リュートの系譜のようだ。ジェノヴァ・マンドリンも含めて6コースでギターと同じ調弦になっている。またここでは6コースギターをフランス風ギターとしていることから北イタリアでは外来の楽器と看倣されていたとみられる。これが南フランスで生まれたものなのか、スペインから北イタリアへの途上で南フランスを経由した為なのかは不明。

Fender XIIMartin HD-7
 6複弦ギターは18世後半に現れた6単弦ギターの普及につれて衰退するが、スペインでは19世紀半ば頃まで好まれた他中南米を経て北米にも伝わり、ペルーでのオクタビンといった亜種も生まれている。 北米では1920年代以降ルイジアナ(Louisiana)州ムーンリングスポート(Mooringsport)出身のフォーク&ブルーズ演奏家レッド・ベリー(ハディー・ウィリアム・レッドベターHuddie William "Lead Belly" Ledbetter)やジョージア(Georgia)州トムソン(Thomson)出身のギター奏者ブラインド・ウィリー・マクテル(ウィリアム・サミュエル・マクティア"Blind Willie McTell" William Samuel McTear)といった当時の人気演奏家がシカゴ(Chicago)のステラ社(Stella)が販売していたオスカー・シュミット(Oscar Schmidt)製の6複弦ギターを使ってブルーズ(Blues)音楽やラグ・タイム(Ragtime)音楽の録音に使用したところから定着する。なおL. ベリーが1940年代に出したアルバム『BOURGEOIS BLUES』の1曲は後にレッド・ツェッペリンが「ギャロウズ・ポウル(Gallows Paul)」として演奏した原曲とのことで詳細確認中。当曲の旋律は長生 淳が作曲した弦楽四重奏曲「レッド・ツェッペリンに導かれて(Led by Led Zeppelin)」にも使用されている。

 ソリッドボディ型エレクトリックギターでは1950年代半ばにミズーリ州(Missouri)スプリングフィールド(Springfield)のストラトスフィア・ギター社(the Stratosphere Guitar Company)が初の6複弦仕様を実現し、6複弦及び6単弦の双棹仕様も製造する。その後1958年にはギブソン社が双棹のオプションという形で、ダンエレクトロ社はV.ベル設計によるベルズーキ(Bellzouki)を発表。特にギブソン製EDS-1275はJ.ペイジが「天国への階段(Stairway to Heaven)」の実演で使用したことで有名になり、各社が双棹仕様を製造するきっかけともなっている。当曲が収録された1971年発表のアルバム『レッド・ツェッペリン・フォウ(LED ZEPPELIN IV)』は現在までに3200万枚を売り上げ、レコード史上15位以内、ロック史上10位以内を記録している。

 1960年代に入るとリッケンバッカー社(Rickenbacker)がラスヴェガス(Las Vegas)のエンターティナー、スージー・アーデン(Susie Aden)用に試作1号機を製造。そして2号機となる360/12は北米楽旅中だったG.ハリソンに贈呈される。 これが「A Hard Days Night」及び同名の映画に使われたことでその存在を広く知られ、 ロサンゼルス(Los Angeles)のフォーク・ロックバンド、ザ・バーズ(THE BYRDS)のギター奏者だったロジャー・マッギン(Roger McGuinn (James McGuinn III))も影響を受けて1965年にB.ディラン作曲の「ミスター・タンバリン・マンMr. Tambourine Man」のカヴァーで使用したことから一躍有名になる。なお当機の4列目及び5列目の複弦の構成はリウト等と同様低音弦がブルドン側、高音弦がシャントレル側に配置されている。

 R.マギンは2005年から3列目のみ複弦のマーティン製6コース7弦ギターHD-7を使用、2007年にはその廉価版も発表している。これは輸送中に6複弦ギターの棹が折れたことをきっかけに持ち運びの煩雑さを解消するため6複弦ギターと6単弦ギターを1本に纏めるという発想から始まったもので、6複弦ギターの響きを残しつつ単弦ギターのようにヴィブラートをかけやすくするという効果や、オクターヴに張られたG弦によってト長調調弦の5単弦バンジョーのような強調効果が得られること等、ブルーズ音楽やカントリー音楽、ブルーグラス音楽等の演奏に汎用的に使用出来ることも意図している。当初はブルドンを複弦にするというアイデアもあった。

 1964年にはフェンダー社も製造を決定し、ロニー・ビアーズ(Ronnie Beers)設計による 試作1号機が翌年1月8日に完成、独立サドル型下駒を搭載したフェンダー・エレクトリック12(Fender Electric XII)が春以降量産されるが振るわず、若干の改修を経るものの1968年7月頃には廃版、1969年5月以降は大量に残った在庫に改修を加えたカスタムが登場している。また1987年6月にはストラトキャスターの複弦仕様であるストラトキャスター12(Stratocaster XII)がコロナの米フェンダーでデザインされるが、キャパシティの問題から日本(Fender Japan)へ移管されている。

TSDT
⑤迄で可能 C3F3G3C3
B2E3F#3B2
B2E3F3B2
A2D3E3A2
⑥追加で可能G#2C#3E3G#2
G2C3D3G2
F#2B2C#3F#2
F2B2C3F2
E2A2B2E2
⑦追加で可能E2G#2B2E2
D2G2A2D2
C#2F#2G#2C#2
C2F2G2C2
B1E2F#2B1
B2 E2 F3 B2
A1 D2 E2 A1
※T=Tonic;主和音、S=Subdominant;下属和音、D=Dominant;属和音
根音に注目したので属和音の7th表記は省略してある。
N.コストの⑦はフローティングだがB1まで下げることを想定して開発している。
 なお、1970年にM.ジュリアーニの楽譜を整理・出版してロマンティック・ギター復活演奏のきっかけを作ったオハイオ州立大学(Ohio State University)教授のトーマス・フィッツサイモンズ・ヘック(Thomas Fitzsimons Heck)は6列目を追加した理由として、

・根音でT-S-D-Tの終止形を取れる調性の拡大。
・三和音と旋律の同時演奏。
・ブルドンとシャントレルでのダブル・オクターヴ構成実現。
と推測している。因みに7列目付加についてはN.コストが
・転回終止の回避。
・自由な転調による和声機能拡張。
・ニ短調音響の改善。
と述べており、6列目追加と7列目追加の時期がそれほど離れていないのは、 音響や和声上の理由による低音追加という同じ目的で、それをより完全な形で実行するか、操作性を優先するか の違いだった可能性も考えられる。  また、初期の6単弦ギターでは6列目をG2とすることも多かったとする指摘があり、 5コースギターに低音をドローンで加えた後、主弦として使われるようになった可能性も考えられる。 J.ベルムードは1555年当時の5コース・ギターに「完全5度~完全4度~長3度~完全4度」の調弦があったとしており、 シャントレルをE4とした場合にはG2-D3-G3-B3-E4となることから、スペイン・ギターの4度ブルドンとの融合のような 状態とも言える。4コース・ギターの旧調弦もブルドンを5度で張った後、4度の新調弦になっている他、 7コースギターでも初期に5列目の5度下のD2が張られ、後に4度下のB1を追加するものが登場しており、 7単弦エレクトリック・ギターでもブルドンを6列目より5度下のA1を張る奏者が出現、その後7列目の4度下F#1を備えた8単弦 仕様登場、4単弦エレクトリック・ベースギターでもブルドンを3列目の5度下のD1、4列目の4度下B0を張った 5単弦エレクトリック・ベースギターが並存・・・など共通した現象が繰り返されている。

 F.ターレガが変イ長調の楽章でB1をブルドンに設定した理由は 不明。通常の4度音程を7列目で規則的に再現しただけかもしれないが、 3列目と4列目は半音落としていることを考えるとこれでロ短調調弦が完成するので 楽曲全体で設定されているハ短調を半音落としたものになり、また変ト長調にも対応しやするくなると考えた 可能性もある。詳細は調査中。

 変則調弦は5コース以下のギター及び各撥弦楽器同様、凹形調弦やオープン調弦も含めて多種多様な 調律が存在している。主に響きの観点から生まれるものと、運指の観点から生まれるものがあるが、その組み合わせは ほぼ無限といっても過言ではない。一例は6コース変則調弦参照。表中の各種調弦の補足は以下の通り。

 オープン調弦は特定の調性の主要音を開放弦に多く備えたもので、ドローン弦として容易に必要な音が出せる、その調に於いて重要な 幾つかの和音が押弦しやすくなる、特定の音が強調されるといった効果を持ち、ギター以外でも世界の多くの弦楽器で利用される調弦手法。 股上横越のギターではブルーズ音楽やハワイアン音楽で頻繁に利用されている。ハワイではキー・ホーアル(Kī hōʻalu, スラック・キーSlack-key)と呼ばれ、家庭ごとに特有のホームチューニングのようなものもある。

 スパニッシュ・オープンCは、変則調弦を多用するギター奏者デヴィン・タウンゼント(Devin Townsend)によれば、汎用性が落ちるものの6音音階においては全弦同一運指になるという効果があるとのこと。

 ギターではまた、D2-A2-D3-F#3-A3-D4のように低音弦をオープン調弦にして低声部や和音を弾き易くし、 高音弦を4度にして旋律を弾き易くするといった固定音高調弦との折衷的意図を以って利用されることもある。 D2-A2-D3-A3-B3-E4のように低音4列を5度にし、高音2列を4度にした折衷調弦も存在するが、これは 5度調弦4単弦ギターのシャントレルをオクターヴ下げたものに8度下の低音弦を追加した仕様とも考えることができ、 DやGといった和音で低音が豊かになる他、9度が押さえやすいという効果がある。ハワイでもマウナ・ロア(Mauna Loa)と呼ばれる調弦の一種にこれを全弦長2度下げたC2-G2-C3-G3-A3-D4という調弦が存在するようだ。

 C2-C3-D3-G3-A3-D4は和音が転回形にならず譜面通りに弾けるとの理由で42f6単弦エレクトリック・ギターを使用することでも知られるジンモ(Jinmo)が好んでよく使っているとのこと。

 旋法的調弦(Modal tuning)は開放弦に西欧近代和声音楽の視点でいう音階上の第3音が存在しないことで長短の区別がつきにくく、旋法的音楽に適するとされている。現在でもイギリス民謡(Brithish folk)音楽等で使用。 ペンタングルのバート・ヤンシュはD2-A2-D3-G3-A3-D4という調弦を使用しているが、これはJ.ペイジが1967年の「ホワイト・サマー(White Summer)」、1969年の「ブラック・マウンテン・サイド(Black Mountain Side)」、1975年の「カシュミール(Kashmir)」等で使用したことでロック音楽でも知られている。ただし J.ペイジが採用した理由はヒンドスタン・シタールの模倣を意図したという情報もあり、関連は確認中。

 西洋音楽を12長調と12短調に区別する考え方は18世紀以降で、フランスのオルガン奏者・作曲家ジャン=フィリップ・ラモー(Jean-Philippe Rameau)が近代機能和声を確立した。増加する調性に対応するために整理されたようだが詳細は確認中。 ただ19世紀になっても完全に普及してはいなかったようで、A.ルビオは教則本でホ長調音階を「半音低い第6旋法(sexto tono medio punto bajo)と呼ばれる音階」としている。またD.アグアドは教則本で完全4度、減5度、完全5度、増5度を短4度、長4度、短5度、長5度としている。

 12長12短以前ではJ.ルソーが1678年に『歌唱教則本(Méthode claire, certaine et facile, pour apprendre à chanter la musique)』の中でハ長調、ニ短調、ヘ長調、ト短調、イ短調を自然調(tons naturels)に、それ以外を派生調(tons transposés)に分類、旋律視唱(ソルフェージュsolfège)を歌い易くするため拡張的に導入した。旋律視唱自体は1660年頃登場したようだ。なお社会科の教科書にも登場するジュネーヴ(Genève)出身の啓蒙思想家ジャン=ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau)も音楽に関する著述があり、フランス音楽とイタリア音楽の優劣をJ. P.ラモー等と争ったブフォン論争(Querelle des Bouffons)に関わっているが、一世代後の別人なので混同に注意。ギターでは17世紀前半にB molleとB quadroの2旋法があり、次第に長短分類に吸収されていったとのことで詳細確認中。

 N.コストはエプタコルド製作の際7列目の弦長について泛音(ハーモニクスHarmonics, フラジオレット, アルティシモ)の弾きやすさも考慮して決定していると述べていることから、浮遊弦であっても開放音以外の利用は想定したようだ。主弦617㎜、浮遊弦691㎜なので第7列は-2f仕様に近い。このハーモニクスを取りうる範囲の増加も6列目や7列目の追加及びその調弦の設定に関与している 可能性は、ハーモニクス奏法が18世紀後半に開発されたとされていることを考えれば充分にありうる。 20世紀末のアメリカのベーシスト、J.マイアングも6単弦ベース・ギターを使用する利点として音域の広さと共にハーモニクス・ポイントの多さを挙げている。またフレット数の設定についても同様にハーモニクスという視点で考えると、エプタコルドが24f仕様なのは高域の拡張だけではなく、ハーモニクス奏法での目印にも役立つと考えた可能性はある。ちなみにN.コストの作品では22fまで使用されているとのこと。

 ハーモニクス奏法は18世紀のギターが最初のようだが、トロンバ・マリーナで既に行われていた可能性もあり、また中国七弦琴でも使用していることから詳細調査中。自然泛音(ナチュラル・ハーモニクスNatural Harmonics)は基本的に弦長の整数分の1に相当する箇所で鳴るという高校数学にも登場する階差数列になっており、ギターではフレットがあることでその位置が確認しやすい。調弦をB2-C3-D3-E♭3-A#3-B3とし、⑥12f-⑤12f-④12f-③12f-⑥7f-⑤7f-②12f-①12f-⑤5f-④5f-③5f-④9f-③9f-②5f-①5fで2オクターヴにわたる音域を自然ハーモニクスだけで出す手法が高橋悠治作曲の2台のハープのための「東洋案内(Orient Orientation)」を佐藤紀雄が編曲したエレクトリック・ギター版で使用されている。

 ダブル・ハーモニクスに関しては1841年にウィーン出身でM.ジュリアーニの娘・弟子だったギター奏者・作曲家エミリア・ジュリアーニ=グリエルミ(Emilia Giuliani-Guglielmi)が初めて使用したというが、これがオクターヴ・ハーモニクスのことなのか重音ハーモニクスのことなのかは不明。ハープではJ. B.クルムフォルツが初めて使用、サクソフォンではエルベルフェルト(Elberfeld)出身のシガード・ラッシャー(スィガードゥ・マンフレットゥ・ラーシャーSigurd Manfred Raschèr)が先駆とのこと。ソプラノ・ヴィオロンではN.パガニーニがギターから転用して高度な技法と織り交ぜて用いたことが知られているがそれ以前については調査中。

 イタリア・リウトでも6列目、7列目がほぼ同時期に拡張されただけでなく、1世紀の間に9コースまで、 更にはアルチリウト(Arciliuto, アーチリュートArch Lute)の誕生に至るといった それまでに比べて短期間での発展がみられるが、 この変化は15世紀半ばにG. デュファイ等がローマ・カトリック教会聖歌に低域を追加して4声部へと拡大させたことで、より低い音の出る楽器が必要とされるようになったことが影響していると言われている。これは大型のバス楽器誕生にも繋がっているようだ。

 リウトの場合シャンソン(Chanson)音楽やモテット(モテートゥス, Motetus, Motet)音楽、ミサ曲等歌曲との関わりが強く、多声楽曲を完全独奏編曲または1声部のみ歌唱に残し他を伴奏編曲するといった手法が取られるようになった。ここから長音が出せないなど性能上の欠点を補うべく独自の装飾が生まれ、歌手を伴わない器楽演奏発達の先駆けとなる。 ただし旋律の装飾行為そのものはグレゴリオ聖歌で行なわれており、13世紀の多声音楽論でも既に論じられていた。ミサ曲でもテノールに同じ主題を置きながら他声部で体位的変化を加えたりする。ローマ=カトリック教会の多声聖歌は12~13世紀頃パリのノートルダム寺院の聖職者が中心にとなって新曲や既存曲の多声編曲制作を行ったことで発展、世俗音楽にも影響しているが、多声音楽自体は9世紀頃既に登場していたようだ。

 室内楽や管弦楽では特に緩徐楽章の繰り返しで装飾を入れて飽きさせないようにするなどの工夫や、基本主題のテンポを一定にしたまま音価を細分化する分割装飾(ディヴィジョン)奏法も即興的に行なわれた。 ヨーロッパ以外の民族音楽でも同一の主題を繰り返すことを基本にして歌詞や伴奏に即興的変更を加えながら進行する方法は広く行なわれており、現代でも継承されている。ロシア民謡での循環や変奏の習慣はМ. П.ムソルグスキー、 А. П.ボロディーン、Н. А.リムスキー=コルサコフ等がクラシック音楽に採用している。

 同様の傾向は舞曲でも見られ、踊りの伴奏に忠実な演奏から次第に原曲のリズムを無視した独自の装飾・変奏を加えるようになり、 器楽専門曲や組曲へと向かう。舞曲に基づく変奏はドゥブルと呼ばれ、更に装飾するとトリプルとも呼ばれる。 また3つの舞曲を同一調に纏めて変奏的に扱うような例もある。なお組曲の冒頭に置かれるリチェルカーレ、プレリュード、プレリュード(Prelude)、ファンタジア等の自由楽曲は元来調弦に必要な時間を有効に利用したものだったらしく、1508年には既に配されていた。

 調律作業を演奏行為の一部と捉えて披露する方法は東洋にも存在したようで、雅楽では音取(Netori)と呼ばれ現在も形式的に存続している。音頭(Ondo)と呼ばれる首席奏者のみが笙→篳篥→龍笛→鞨鼓→琵琶&箏の順序で合せる。第2、第3奏者は音頭より1~2小節遅れて入るのでその時に調整する。能楽では能舞台後方にある演奏場所囃座(Hayashiza)に出る前に「鏡の間(Kagami-no-Ma)」と呼ばれる待機所で笛→小鼓→大鼓の順にお調べ(Oshirabe)を行い出音の確認とウォーミングアップを行う。鏡の間から囃座へは橋掛け(Hashi-kake)を通るが、中央は神の通り道と考えられ、人間役の演者や囃子方は端を通ることになっている。

 この他ワルツ(Waltz)舞曲やタンゴ(Tango)舞曲、ロマン派音楽、ジャズ音楽などの変容も原曲や定型から離れた奏者・作曲家独自の装飾に端を発しており、特に舞曲における過渡期には「踊れない○○」と揶揄されるのが歴史の常となっているようだ。

 タンゴ音楽は1870~80年頃、ブエノス・アイレスの港町ラ・ボカの歓楽街でキューバと行き来していた船乗りたちがキューバ経由のスペイン舞踊アバネーラ(Habanera, ハバネラHabanera)やボヘミア舞踊ポルカ(Polka)、アフリカのカンドンベ、ラテンアメリカ先住民の音楽等を融合させて生んだと言われているが、詳細は未詳。現存最古の楽譜は1880年にフランシスコ・アルトゥロ・アルグレアベス(Francisco Arturo Hargreaves)が作者不詳の流行曲「バルトーロ(Bartolo)」を採譜したものとされている。 「スペインのリスト」と言われたメヒコ出身のピアノ奏者・作曲家イサーク・アルベーニス(イサーク・マヌエル・フランシスコ・デ・アルベーニス・イ・パスクアルIssac Manuel Francisco de Albéniz y Pasqual)が 1890年頃作曲した全6曲のピアノ組曲「スペイン~6つのアルバム・リーフ~作品165)(España [6 hojas de album)」第2曲も「タンゴ」と呼ばれるが、実際はまだアバネーラ舞踊のリズムが使われている。この曲はスペイン・ギター独奏編曲やフリッツ・クライスラー(Fritz Kreisler)によるソプラノ・ヴィオロン編曲「アルベニスのタンゴ」としても知られている。なお、I. M. F. アルベニスは他にピアノ曲集「スペイン組曲 作品47(Suite Española, op. 47)」や「スペイン組曲 作品97(Suite Española, op. 97)」も作曲しているが、前者は全8曲、後者は全2曲の別物。

 タンゴの初期は舞楽伴奏として和音・低音にスペイン・ギター、対旋律にコンサート・フルートや膝臏夾立式ヴィオロンチェッロ、旋律にソプラノ・ヴィオロン等といった編成。20世紀初頭になって一般市民にも広がり始め、「エル・チョクロ(El Choclo)」の作曲者として知られる作詞&作曲家、ギター奏者アンヘル・ビジョルド(Ángel Villoldo)が1907年にパリ公演を行い欧州拡大の先鞭をとった。1910年頃には、バンド(H. Band)が19世紀前半に開発したボタン・アコーディオンの一種バンドネオン(Bandoneón)がドイツから渡来。 5オクターヴの音域と携帯性が買われてコンサート・フルートや膝臏夾立式ヴィオロンチェッロにとって代わようになる。アバネーラ舞踊は旋律自体がシンコペイションを持っていたことからこの頃のギターは指撥中心で、アバネーラ舞踊特有の2拍子を和音で規則的に演奏していた。また舞楽伴奏の性質上低音が強調されるため10単弦ギターも使用された。その後アバネーラ舞踊由来の2拍子は4/8拍子へと変わるが、理由は調査中。

 第1次世界大戦後の戦間期には欧州社交界で人気となり、コンチネンタル・タンゴが誕生する他、その少し前にパリから逆輸入でブエノスアイレスの高級店にも進出するようになる。このような場所では音量・音域的により有利なピアノやコントラバス・ヴィオロンといった大型の楽器を購入・常設することが可能なため、ギターに代わって導入されバンドネオンと共に専属楽団化する。それでもギターは歌曲タンゴの伴奏楽器や弾き語り用として、2~3台による掻弦という形で使われて存続していた。

 拠点を持った専属楽団の誕生により舞楽伴奏から離れ編曲や楽団固有のスタイルも出現するようになる。 「近代タンゴの祖」と言われるオルガン奏者フリオ・デ・カロ(Julio de Caro)はピアノ奏者ファン・カルロス・コビアン(Juan Carlos Cobian)の楽団を継承し、ソプラノ・ヴィオロン×2、バンドネオン×2、ピアノ×1、コントラバス・ヴィオロン×1としたことから6重奏団スタイルが確立される。J. d.カロは更に拡充したオルケスタ・ティピカ・ビクトル(ORQUESTA TIPICA VICTOR)も作っている。またピアノ奏者ロベルト・フィルポ(Roberto Firpo)は古典タンゴ専門の4重奏団を組織した。しかしジャズ音楽の台頭や「わが悲しみの夜」で知られる人気歌手カルロス・ガルデル(Carlos Gardel)の事故死等によりタンゴ音楽は衰退傾向となる。

 1940年代には分厚いハーモニー主体の楽曲が登場、また詩人オメロ・マンシ(オメロ・ニコラス・マンシオーネ・プレステーラHomero "Manzi" NicolasManzione Prestera)、カトゥロ・カスティージョ(Catulo Castillo)、エンリケ・サントス・ディセポロ(Enrique Santos Discepolo)、ドミンゴ・エンリケ・カディカモ(Domingo Enrique Cadicamo)、ホセ・マリア・コントゥルシィ(José Maria Contursi)といった作詞家が人間心理の内面を描いたといわれている。

 1950年になると国内ではフアン・ドミンゴ・ペローン(Juan Domingo Perón)大統領がタンゴ保護政策をとるが、50年代後半には失脚・亡命するといった政治・経済的混乱によって再び人気が下降線を辿る。一方国外では「エル・チョクロ」が「キッゾブ・ファイア(Kids of Fire)」、「アディオス・ムチャーチョス」が「アイ・ゲット・アイディア(I Get Idea)」、ウルグアイ出身でモンテビデオの大学生だったマトル・ロドリゲスが作曲した「ラ・クンパルシータ」が「ストレインジ・センセイション(Strange Sensation)」となってアメリカで注目されるようになる。欧米向けには交響楽団を導入したシンフォニック・タンゴも登場した。

 また新しい形態もこの頃から出現しており、バンドネオン奏者アニバル・トロイロ(アニーバル・カルメロ・トロイロAníbal Carmelo "Pichuco" Troilo)と鼈甲製ピックを使用したギター奏者ロベルト・グレーラ(Roberto Grela)は音楽劇向けに昔の雰囲気を出すためミロンガ音楽を使用。後にギター×2、ギタローン×1、コントラバス・ヴィオロン×1の四重奏を編成し、R.グレーラはタンゴ音楽で他楽器奏者と同格扱いになった最初のギター奏者とも評価されている。なおミロンガ音楽はパンパと呼ばれるブエノスアイレスを中心とした半径600㎞ほどの温帯草原地帯の農民によって歌われていた語り風の音楽で、 ボルドネオと形容される低音の僅かな起伏に感情表現を込める。ボルドネオはスペイン語で「低音」を意味するボルドンまたはボルドーナ由来と言われている。またタンゴ音楽におけるピアノとベースのリズムに対する誉め言葉「ミロンゲーロ」はミロンガが由来という。

 一方インディオス・タバハラス(LOS INDIOS TABAJARAS)がブエノスアイレスで活動したこと等をきっかけとしてフォルクローレ音楽のソロと伴奏によるギター2重奏スタイルが流入、親指はより音量の出るサム・ピックが使用されるようになる。その他、衰退期にはエンリケ・フランチーニ(Furanchini)のキンテート・レアルやマリアノ・モレス6重奏団など小編成楽団も再出現するといった傾向もあったようだ。

 1960年代以降になるとエレクトリック・ギターもタンゴ音楽に導入されるようになる。音量目的でピックによるエレクトリック・ギターを使用したウバルド・デリーオ(Ubaldo de Lio)がピアノ奏者オラシオ・サルガン(Horacio Salgan)と二重奏を行なっていたようだ。一方、「タンゴの異端児」と呼ばれたA.トロイロ楽団バンドネオン奏者のアストル・ピアソラ(アストル・パンタレオーン・ピアソラ・マネッティAstor Pantaleón Piazzolla Manetti)はジャズ音楽の要素をタンゴ音楽に持ち込む趣旨で1960年にブエノスアイレス8重奏団へエレクトリック・ギター奏者を入れた。

 A. P.ピアソラはマル・デ・ラ・プラタ出身で、タンゴ好きの父がアコーディオンを弾いていた影響から8歳でバンドネオンを入手しているが、 少年時代をニュー・ヨークで過ごしていたこともあってタンゴ音楽に限らず、クラシック音楽やジャズ音楽も演奏していた。後に 奨学金で渡仏しナディア・ブランジェ(Nadia Boulanger)から現代音楽を学んでいる。当初指揮者を目指していたが、地元の音楽であるタンゴを勧められ、弦楽タンゴ、ジャズ・タンゴを作曲してそれまでのタンゴになかった新しい和声や対位法、旋律、構成法を導入することになる。 また1968年以降「ブエノスアイレスの四季(Las Estaciones, ブエノスアイレスの夏Verano Porteño、ブエノスアイレスの秋Otoño Porteño、ブエノスアイレスの冬Invierno Porteño、ブエノスアイレスの春Primavera Porteña)」や「天使のタンゴ(Tango del Ángel)」、天使シリーズ(La Serie del Ángel, 天使への序奏Introducción al ángel, 天使の死Muerte del ángel, 天使の復活Resurrección del ángel)、「デカリシモ(Decarísimo)」、オペリータ『ブエノスアイレスのマリーア(Maria de Buenos Aires)』を作曲、四季シリーズや「ロコへのバラード(Balada para un loco)」が人気を得てクラシック音楽やジャズ音楽でも注目を浴びるようになった。

 四季シリーズは現在モダン・スペイン・ギターで独奏されることも多いが、ギター演奏の先駆はフォルクローレ・ギター四重奏団ロス・アンダリエゴス(LOS ANDARIEGOS)が1970年代に演奏した「ブエノスアイレスの秋」と言われている。この時期他にはA. P.ピアソラの楽団に在籍していたカチョ・ティラーオ(Cacho Tirao, カチョ・ティラオ)がソロ活動を開始し、歌手ヒナマリア・イダルゴの伴奏をつとめるが、ギターと歌が対等な楽曲がみられるという。C.ティラーオは後に打楽器伴奏によるギターソロ、更にはギターによる完全独奏も行なうようになった。しかし政治的な混乱やフォークランド紛争でアルゼンチン経済は破綻し、有名音楽家が国外脱出したことから衰退著しく、国内タンゴは観光客向けに演奏される程度だったという。

 A. P.ピアソラがモダン・スペイン・ギター向けに書いた曲としては、1980年にアルゼンチンのギター奏者ロベルト・アウセル(Roberto Aussel)へ向けた「5つの小品(Cinco Piezas)」、1983年にブラジルのアサド兄弟へ向けた「2挺のギターの為のタンゴ組曲(Tango Suite para Duo de Guitarras)」、1985年に再びR.アウセル向けた「タンゴの歴史(Histoire du Tango)」がある。「タンゴの歴史」は更にギター&フルート版(Histoire du Tango, para Flauta y Guitarra)が作られ、フランスのフルート奏者・指揮者パトリック・ガロワ(Patrick Gallois)とギー・ルコフスキー(Guy Lukowski)によって演奏された。 また、1985年3月15日にリエージュで開催された第5回国際ギターフェスティヴァル(5th International Guitar Festival)向けに「バンドネオンとギターのための協奏曲」を作曲し、A. P.ピアソラ自身がC.ティラーオと共に演奏した。このギター・フェスティバルとU. J.ロートが1993年に参加したリエージュでのギター音楽祭が同じ主催のものかは調査中。 その他教則本で知られるギター奏者アベル・カルレバーロの兄弟で、ルイス・ビットの弟子にあたる建築家アグスティン・カルレバーロが早くからA. P.ピアソラのギター編曲を行なっていたようだが、出版譜は誤植が多いとの評価がある。

 この頃国外では1983年に舞台「タンゴ・アルヘンティーノ」がパリ、ニュー・ヨーク、イタリア、ロンドン、東京を回り、 1985年にはヴェネチア国際映画(Mostra Internazionale d'Arte Cinematografica)審査委員大賞を獲得した在仏アルゼンチン人映画監督・政治家フェルナンド・E・ソラナスによる映画「タンゴ~ガルデルの革命」が世界的ヒットとなったことでタンゴ音楽が注目されるということも起こっている。その後1988年にはカンヌ国際映画祭(Le Festival de Cannes)監督賞を獲得した「スール/その先は…愛(Sur)」「タンゴ・バー」といったタンゴ映画も作られたとのこと。

 1990年代ではY. Y. マがA. P.ピアソラの楽曲を取り上げて話題になり、日本では1997年にサントリーローヤル12年のCMでY. Y.マの演奏による「リベルタンゴ(Libertango)」が使用されたことから一般的な注目も高まった。

 21世紀に入ってもタンゴ舞踊・音楽は存続しているが、バンドネオンに関しては既に生産されなくなって長く、数百もの部品から成る複雑な構造の為生産を再開する製作家もいないことから、中古の流通や修理によって存続している状態で入手が限られているという現状がある。特に世界的な流行に伴ってアルゼンチンで使われていた楽器の国外流出が著しく、国内奏者が入手に苦労している一方、日本では趣味の手習いに初心者でも購入出来る、また収集家が良質の楽器を大量に確保するといった現象が生じている。このため現在はアルゼンチン政府は国外持ち出しを禁止している他、修理家が再生産の為の研究を開始しているようだ。

 6単弦ギター
 18世紀末~19世紀に西欧で広がっているが、それ以前からも各地に存在はしていた。最初に単弦化したのはイタリアの5コース・ギターのようで、理由は複弦に調弦の煩雑さがあり、また獣腸弦の場合同品質の1組を揃えるのが困難な一方、ガット製巻弦の発明によって1本でも充分な音量・音響を得ることが可能になった為とみられる。シャントレル等はリウトやギターで既に単弦が使われていたが、これには顫音等の装飾的奏法が容易という側面もある。 初の6単弦ギターは18世紀後半のリラギタル(Lyragitarre)における6単弦仕様という話もあるが、リラギタルは最古が1785年、パリ(Paris)の鍵盤&弦楽器製作家マルシャル(N. Mareschal)によるアナクレオン風リラで、6単弦ギターではヴェネツィアのA.セラフィン(A. Serafin)による1727年製が存在するとの情報がある他、ナポリのジョヴァンニ・バッティスタ・ファブリカトーレ(Giovanni Battista Fabricatore)も1785年に製作、F.リュポによる物が1773年製。スペイン・ギターではグラナダの時計職人アグスティン・カロ(Agustín Caro)が暇潰しに造っていた物が現存最古とのこと。表面板よりも高い位置に別に指板を設置した最古も1803年製カロとのことで、両者が同一物か確認中。

 初期の奏者としてはバシリオ神父及びその弟子となるF.モレッティ、D.アグアド、そして1799年に初版が、1816年に第二版がマドリーで出版された『5線音程譜によるスペイン・ギター奏法(Arte de Tocar la Guitarra Española por Música)』を著したF.フェランディエーレなど。F.ソルが作曲した所謂「グラン・ソナタ」が6複弦ギターを想定して書かれたという指摘もあるが、版によっては7コース・ギターを使用した方が容易になる箇所もあり、詳細調査中。因みにF.フェランディエーレの教本で想定しているギターはシャントレル単弦の17f6コース11弦ギター。また同年に出版されたA.アブレウの教本では12f5コースまたは6コース・ギター、J. M. G.ルビオの教則本では17f6コース11弦ギター、F.モレッティの教則本は11f接続15f6複弦または6単弦ギター。D.アグアドの教本が想定している物は17f6単弦ギター。

 なおリラ・ギターはフランス革命直前から上流階級で流行した擬古典主義やアンピール様式の影響で誕生しており、 19世紀前半までサロンでは流行したが一般的な普及はなくその後消滅している。6単弦仕様がとられたのは幾何学的対称性を 重視したものと思われる。調弦はギターと同様の汎用調弦の他にミラノ・マンドリンの3度下もあるとのことだが、長3度か短3度かは不明。 またハープ流行との関連がどの程度あるかについては調査中。 やや遅れて1828年にはブザンソン(Besançon)出身のギター教師ジャン・フランソワ・サロモン(Jean François Salomon)が考案した3棹21単弦ギター「アルポリール(Harpolyre)」が登場しており1829年に特許取得、M.カルカッシが試奏したほか、1830年にはF.ソルが「葬送行進曲(Marche funèbre)」、「6つの漸進的小品(Six petite piéces progressives)」、「アルポリールの為の3つの小品(Trois pieces pour la Haropolyre)」の3作品を発表している。調弦は7単弦6単弦8単弦の構成でB♭1-B1-C2-B♭2-D2-E♭2-E2-E2-A2-D3-G3-B3-E4-C1-D1-E1-F1-G1-A1-B1-C2。 これらは後に多弦ギターやハープギターへと発展したという話もあるが、単棹の7単弦、9単弦、10単弦、12単弦ギターはアルポリール以前に既に登場している。双棹仕様との関係は現在調査中。その他にはイギリスのオルガン&ギター奏者・ギター製作家エドワード・ライト(Edward Light)が考案したハープリュート、ダイタルハープ(Dital-harp)がある。

 6単弦ギターの亜種としては短3度調弦の高いテルツギター(Terzgitarr)が19世紀にウィーンで生まれている。これは女性歌手の伴奏に向いているが、リウトの調弦とも近く古楽の簡易的な演奏にも使われる。M.ジュリアーニが考案したと言われるが、それ以前から存在するバンドーラでもギターより3度高く調弦して伴奏されることがあり、関連を確認中。

 M.ジュリアーニはテルツギターとオーケストラや弦楽四重奏との協奏曲も作曲しており(作品30, 70, 103)、「テルツギターと管弦楽のための協奏曲 第3番(Gran Concerto N. 3 per chitarra terzina in fa maggiore, op. 70)」はC.ツェルニーがピアノ協奏曲に取り込んでいるとのこと。 また1871年にはM.ジュリアーニの姪のピアノ伴奏を伴いフルート奏者ロバート・シドニー・プラッテン(Robert Sidney Pratten)の妻でミュールハイム(Mülheim)出身のカテリーネ・ジョゼファ・プラッテン(Catherine Josepha Pratten, プラッテン夫人Madame Pratten)が演奏したことがある。彼女は幼少の頃テルツギターレから習い始めていた。師は父親でトゥリア(Trier)出身のフェルディナンド・ペルツァー(Ferdinand Pelzer)で親子での重奏も行っている。20世紀以降ではT.武満が1961年に≪フルートとテルツギターとリュートのための三重奏曲「(Ringu, Ring)」≫を作曲している。これはテルツギターをもらったことをきっかけに作曲したとのことで同年5月に初演された。

 またドイツのヴィオロン奏者・作曲家ヨーゼフ・キュフナー(Joseph Küffner)もテルツ・ギターレとプリム・ギターレによる二重奏曲「アレグレット(Allegretto)」を残しているが、作品番号は確認中。J. キュフナーは クラリネット及びアルト・ヴィオロン(作品21、45)、フルート及びソプラノ・ヴィオロン(作品4、44、97、158)、フルート及びアルト・ヴィオロン(作品42)との3重奏セレナーデや、25のソナチネ(作品80)、12のギター二重奏(作品87)、ギター二重奏の為の練習曲集(作品168)、弦楽四重奏との5重奏(作品156)などギター作品を多数残しているとのことで詳細確認中。

 テルツギターレは標準的なE2-A2-D3-G3-B3-E4という汎用調弦のギターである所謂プライム・ギター(プリムギターレPrimgitarre, Prime Guitar)との重奏等合奏にもしばしば用いられたようで、1912年にはミュンヘン・ギター・カルテット(ミュンヘナー・ギターレン・カルテットMünchner Gitarren Quartett)によってギター室内楽にも取り入れられてギター四重奏というスタイルが確立している。最初に編成された1907年当時はギターをL.モッツァーニやM.リョベート及びA.セゴビアに学んだ歌劇場楽団のチェロ奏者ハンス・リッター(Hans Ritter)、画家で当時ミュンヘン国際ギター連盟会長だったサンクト・ペテルブルク出身のフリッツ・ビューク(Fritz Buek)、ベルリン出身のカール・カーン(Karl Kern※カール・ヘンツェKarl Henzeとの情報も有り。確認中)、ヘルマン・レンシュ(Hermann Rensch)という編成で、プリムギターレ×4という構成だったが、1909年迄にH.リッターが脱退、ミュンヘン(München)で知られていたギター奏者でL.モッツァーニの影響からドイツ最初の爪弾奏者になったと言われるハインリヒ・アルベルト(Heinrich Albert)が加わり、また音域ごとに楽器を分担してテルツギターレ×2、プリムギターレ×1、バスギターレ×1という構成に変わった。その結果 ギター四重奏初の公開演奏時の編成は 第1テルツがシェンク製1響腕主弦6列浮遊弦3列22f9単弦テルツ・ボーゲンギターレ(Terz Bogengitarre)のH.アルベルト、 第2テルツがシェンク製2響腕主弦6列浮遊弦4列24f10単弦リラ=テルツギターレ(Lyra-Terzgitarre)のF.ビューク、 プリムがJ. G.シェルツァー製主弦6列浮遊弦3列紋章形9単弦ギターのK.カーン、 バスがフランツ・ハルマイア(Franz Halbmeyer)製主弦6列浮遊弦1列21f7単弦クィントバッソギターレ(Quintbassogitarre)のH.レンシュだった。

 バス・パートを担当するクィントバッソギターレはH.レンシュが考案、調律は7列目の浮遊弦は不明だがプリムより5度低い ?-A1-D2-G2-C3-E3-A3。最初はウィーンでヨーゼフ・シュランメル(Josef Schrammel)が考案した双棹のシュランメル型ギター(Schrammel guitar)を使用したが弦長の問題等もあって大型化や桿棹交換等試行錯誤の末新型の開発に繋がったようだ。この後ツィター製作家ヨーゼフ・ハウザー(Josef Hauser)の息子でギター製作家のハウザー1世が製作したクィントバスはプリムより4度低いものを基本にした凹形調弦でC2-B1-E2-A2-D3-F#3-B3となっている。

 このカルテットは第一次世界大戦による中断後、H.アルベルトが脱退した代わりにハウザー1世が第1テルツに加わって再開、 K.カーンやH.レンシュが抜けてアントン・ミッターマイアー(Anton Mittermayer)及びイグナツ・ツィーグラー(Ziegler)が参加する等の交替を経た後、第1テルツをハウザー1世、第2テルツをF.ビューク、プリムをメーラ・フォイアライン(Mela Feuerlein)、クィントバスをハンス・テンペル(Hans Tempel)という編成で独墺を楽旅、好評を得て各地にギター合奏団が誕生するきっかけを作った。元々の結成理由は、ギターだけで室内楽が演奏できないかと考えたことにある。また脱退後のH.リッターは1925年にJ.アイテレやF.ヴェルシンクと共にミュンヘン・ギター室内楽トリオを結成している。

 ドイツ以外ではハバナ(Havana)出身のクララ・ロメロ・デ・ニコラ(Clara Romero de Nicola)が1937年に2種類の調弦のギターロ(Guitarro)、プリム、ギタローンという編成でギター・オーケストラを編成している。日本では1952年頃から一部で学校教育の中にギター合奏が取り入れられていたようだ。また新堀寛己(Hiroki Niibori)が1957年頃までに独自に音楽学校を設立しギター・オーケストラを組織していたとみられる。H.新堀はプライム・ギターの音をより際立たせる目的や他楽器編曲物では独奏の運指に無理がある上完全な再現が不可能といった点の改善から弦長530㎜のアルト・ギター(Alto Gutiar)と呼ばれるプライムギターより5度高い小型の6単弦ギターを開発している。最初はテルツギターが使われたがそれでも不十分だったことから生まれた。その次に低音補充目的で生まれたのが弦長700㎜の合奏用バス・ギター(Bass Guitar)で、これはプライム・ギターの4度下、一般に言うバリトン・ギターにあたる6単弦または7単弦のギター。そして更なる低音補強の為に同じくフェンダー・ベースⅥと同じプライム・ギターのオクターヴ下の調弦を持つ弦長750㎜の コントラバス・ギターやメキシコ・ギタローンの改良型が追加されているが、合奏用ギタローンは未完成で現在もまだ改良中とのこと。外見上の違いとしては脚棒が追加されている。

現代の合奏用ギターの調弦
E1 A1 B1 D2 E2 G2 A2 B2 D3 E3 F3 G3 A3 B3 C4 D4 E4 F4 G4 A4 B4 E5
Soprano
Alto / Altocembalo
6string Consort
7string Consort
Prime
6string Bass
Contrabass
Guitarron

 イギリスでは対ナポレオン戦争に従軍した兵士が持ち帰って広めたとする話があり詳細確認中。F.ソルが6コースギターを持ち込んでロンドンで初めて演奏会を行った頃は5コース仕様のイメージが強かったようだが、全般的にはルネサンス期以来シターン系の楽器が好まれて使用されており、こちらでは6コース仕様も19世紀以前から存在している。19世紀では1830年代後半に5単弦バンジョーが伝わって以降、バンジョーで多弦化している。これは1846年にロンドンでバンジョー製作を始めたウィリアム・テムレット(William Temlett)が主弦4列ドローン弦1列の5単弦バンジョーに主弦を1列追加した6単弦無柱ブリティッシュ・バンジョーを開発したことから始まったようで、アメリカへも輸出された。6単弦ブリティッシュ・バンジョーでは通常ダウン・ストロークのみで演奏されていたようだ。その後7単弦仕様も生まれるが、詳細は7単弦ギターの項目参照。なおこれとは別にギター用桿棹を取り付けた主弦6列6単弦ギター=バンジョーが存在するが、これは1884年にアメリカのエドムンド・クラーク(Edmund Clark)が開発したもので、バンジター(Banjitar)とも呼ばれる。主に音量増幅を目的としてバンジョー型響胴をギター奏者やウクレレ奏者が利用したようだが、現在ではギターと異なる響きを加えるという効果を目的として使用されることが稀にある。

 南米での6単弦ギターはヴェネスエラでのセイス(Seis)や調弦がプライムギターより4度高いメキシコのギターラ・レキント(Guitarra Requinto)等中南米に亜種が幾らかあり、 独奏ではジャズ・ギター奏者ジェフ・リンスキー(Jeff Linsky)がアルト・ギターをレキントとして使用している。

 6単弦ギター全般では北米での発達が著しく、第2次世界大戦以後はアメリカの国家的隆盛と共に世界中へ広まり、21世紀初頭現在地球上で最も多く存在しているのが6単弦ギターではないかと思われる。しかしヨーロッパに起源を持ちアメリカで発展した物を除くと、世界の有棹撥弦楽器に6コース仕様は少ない。更に6列目まで押弦に使用するとなると殆ど見られず、リウトと並んで史上かなり複雑な奏法になるようだ。なお、ベースギターの6コース仕様については「Sky II」の脚注参照のこと。

メモ
6単弦
 メヒコ・レキント(Guitarra Requinto) 弦長530㎜ 全長850㎜ 19f A2-D2-G3-C4-E4-A4
 ヴェネスエラ・セイス(Seis)
 ヴェネスエラ・サナーレ・スィンコ・イ・メディオ(Sanare Style Cinco y Medio) E3-A3-D3-F#4-B4-E4
 メヒコ・ヴィウエラ(Vihuera) 弦長510㎜ 全長800㎜ 4f A3-D4-G4-B3-E4
 メヒコ・ギタローン・デ・トローチェ(Guitarrón de Toloche) A1-D2-G2-C3-E3-A2
 アルヘンティーナ・ギタローン(Guitarrón) B1-E2-A2-D3-G3-B3
 朝鮮コムンゴ(Komungo) 弦長1300㎜ 全長1500㎜ 12f 1浮遊+3主弦+2浮遊
 サルディーニャ・キテラ・サルダ(Kithera Sarda) 弦長680㎜ 全長1090㎜ 20f C#2-F#2-B2-E3-G#3-C#3
 スペイン・モダン・フラメンコ・ギター(Flamenco guitar)
 スペイン・バンドゥーリア(Banduria) G#-C#-F#-B-E-A
 西ヨーロッパ・ロマンティック・ギター(Romantic Guitar) 弦長635㎜ 全長920㎜ 18f E2-A2-D3-G3-B3-E4
 ウィーン・シュタウファー・ギター(Stauffer Guitar) 弦長620㎜ 全長950㎜ 21f
 イングランド・パノルモ・ギター(Panormo Guitar) 弦長~620㎜ 17f
 ウィーン・テルツギター(Terz Guitar) 19f G2-C2-F3-A#3-D3-G4
 西ヨーロッパ・リラ・ギター(Lyre Guitar) 14f E2-A2-D3-G3-B3-E4
 アメリカ・パーラー・ギター(Parlor Guitar) 弦長630㎜ 全長970㎜ 18f
 スペイン・トーレス・ギター(Torres Guitar, Classical Guitar, Spanish Guitar) 弦長650~664㎜ 19~20f E2-A2-D3-G3-B3-E4
  オープンDm D2-A2-D3-A3-D4-F4 EX) カルロ・ドメニコーニ(Carlo Domeniconi)「コユンババ(Koyumbaba)」
 アメリカ・ギブソン・アーチトップ・ギター(Acoustic Archtop Guitar, f-Hole Guitar) 弦長635㎜ 全長1020㎜
 バリトン・ギター(Baritone Guitar) 弦長680~760㎜ 全長1060㎜ 18f A1-D2-G2-C3-E3-A3, B1-E2-A2-D3-G#3-B3, B1-E2-G2-D3-F#3-B3, B1-D2-G2-C3-E3-A3
 フランス・セルマー・マカフェリー・ギター(Selmer Maccaferri Guitar, Gypsy Guitar, Manouch Guitar, Django Guitar) 弦長670㎜ 全長1040㎜ 21f
 アメリカ・カウ・ボーイ・ギター(Cowboy Guitar) 18f
 アメリカ・マーティン・ドレッドノート・ギター(Dreadnought Guitar, Jumbo, Western Guitar, Folk Guitar) 弦長650㎜ 全長1050㎜ 20f
 アメリカ・ギブソン・サザン・ジャンボ・ギター(Southern Jumbo Guitar, Round-shouldered Dreadnought) 弦長~650㎜
 アメリカ・ギブソン・スーパー・ジャンボ・ギター(Super Jumbo Guitar) 20f
 アメリカ・セミ=アコースティック・ギター(Semi-acoustic Guitar) 弦長625㎜ 全長1090㎜ 22f
  アメリカ・ギブソン・セミ=アコースティック・ギター(Gibson Semi-acoustic Guitar)
  アメリカ・リッケンバッカー・セミ=アコースティック・ギター(Rickenbacker Semi-acoustic Guitar)
  アメリカ・グレッチ・セミ=アコースティック・ギター(Gretch Semi-acoustic Guitar)
 アメリカ・オヴェイション・ギター(Ovation Guitar) 弦長640㎜ 全長1050㎜ 20f
  アメリカ・初期ウッド・バック・オヴェイション・ギター(Ovation Guitar)
  アメリカ・後期カーボングラファイト・バック・オヴェイション・ギター(Ovation Guitar)
 アメリカ・ソリッド・ボディ・エレクトリック・ギター(Solid-body Electric Guitar) 628~648㎜ 全長1030㎜ 21~24f E2-A2-D3-G3-B3-E4
  アメリカ・フェンダー・テレキャスター(Telecaster, Broadcaster) 弦長648㎜ 21f
  アメリカ・フェンダー・ストラトキャスター(Telecaster, Broadcaster) 弦長648㎜ 21f
  アメリカ・ギブソン・レスポール(Les Paul) 弦長628㎜ 22f
  アメリカ・ギブソン・SG(SG) 弦長628㎜ 22f
  アメリカ・ギブソン・フライングV(Flying V) 弦長628㎜ 22f
 アメリカ・6弦エレクトリック・ベース・ギター(6-string Bass Guitar) B0-E1-A1-D2-G2-C3
 アメリカ・フェンダー・ベース6(Fender Bass VI) E1-A1-D2-G2-B2-E3
 イングランド・ディミトゥリオ・スカイ・ギター(Sky Guitar) 弦長648㎜ 30~32f E2-A2-D3-G3-B3-E4
 イタリア・ミラノ・マンドリーノ(Milanese Mandolino) 弦長~315㎜ 12f G3-B3-E4-A4-D5-G5, G3-C4-F4-A4-D5-G5
 イタリア・ロンバルディア・マンドリーノ(Mandolino Lombardo) 弦長310㎜ G3-B3-E4-A4-D5-G5
 フランス・マンドル(French Mandore) 弦長~330㎜ 全長~530㎜ E2-A2-D3-G3-B3-E4
 アメリカ・ギター=バンジョー(Guitar-banjo, Banjitar, Guitjo) 弦長~650㎜ 21f
 ハワイ・ギター(Hawaiian Guitar) 弦長~650㎜ 19f E2-A2-E3-A3-C#4-E4, G2-B2-D3-G3-B3-D4
  ハワイ・キ・ホアル(スラック・キー・ギターSlack key guitar)    タロパッチ・オープンG D2-G2-D3-G3-B3-D2
   ヴァヒネ・スラック・オープンG7 D2-G2-D3-F#3-B3-D4
 アメリカ・ウェイセンボーン・ギター(Weissenborn Guitar) 弦長630㎜ 全長955㎜ 19f
 アメリカ・ドブロ(Dobro, Dopyera Brothers) 弦長625㎜ 全長970㎜ 19f G2-B2-D3-G3-B3-D4, G2-D3-G3-B3-D4
 アメリカ・トライコーン(Tricone) 弦長645㎜ 全長960㎜ 19f
 アメリカ・トライオリアン(Triolian, Style 0) 弦長~650㎜ 19f
 ブラジル・デルヴェッキオ(Del Vecchio, Dinamico) 弦長640㎜ 全長1000㎜ 20f
 アメリカ・6弦スティール・ギター(Steel Guitar) 弦長525㎜ 全長850㎜ 21~36f
 ドイツ・鍵盤ギター(Tasten-gitarre)
 ドイツ・ギターフェ(Githarfe)
6コース7弦
 アメリカ・マーティン・HD7ロジャー・マギン・モデル(C.F.Martin HD7 Rodger McGuinn Signature) 20f E2-A2-D3-G4G3-B3-E4

6コース10弦
 イングランド・ギター(English Guitar, 18c.-Cittern, Cetra, Guittar) 11f C3-E3-G3G3-C4C4-E4E4-G4G4

6コース11弦
 ボリヴィア・ランカ・チャランゴ(Ranka Charango) 弦長320~770㎜ 6f D4D4-A4A4-G4G4-C5C5-G5-G6
 ボリヴィア・コンコータ(Khonkhota) 弦長655㎜ 全長990㎜ 5f 5複弦+短弦diablito
 西ヨーロッパ・6コース中世リュート(Medieval Lute) 弦長610㎜ 全長690㎜ 12f G2G2-C3C3-F3F3-A3A3-D4D4-G4
 西ヨーロッパ・6コース・ルネサンス・テノール・リュート(Renaissance Lute) 弦長630㎜ 全長720㎜ 12f G2G2-C3C3-F3F3-A3A3-D4D4-G4G4
 西ヨーロッパ・6コース・バロック・リュート(Baroque Lute) 弦長630㎜ 全長720㎜ 12f A2A2-D3D3-F3F3-A3A3-D4D4-G4G4
  ソプラノ・リュート(Soprano Lute, Dessus de Luth) 弦長400~440㎜ D3D3-G3G3-C4C4-E4E4-A4A4-D5
  アルト・リュート(Alto Lute, Alto de Luth) A2A2-D3D3-G3G3-B3B3-E4E4-A4
  バス・リュート(Bass Lute, Basse de Luth) D2D2-G2G2-C3C3-E3E3-A3A3-D4
 ドイツ・11弦ガリコーネ(Gallichone)
6コース11弦?
 イタリア・プーリャ・キターラ(Puglia Chitarra) D3-A3A3-D4D4-G3G3-B3B3-E4E4
 イタリア・カラブリア・キターラ(Calabria Chitarra) G4-A3A3-D4D4-G3G3-B3B3-E4E4
 フランス・ルネサンス・マンドル(Mandore)
  イタリア・ルネサンス・マンドーラ(Mandola)

6複弦
 メヒコ・ギターラ・ドブレ(Guitarra Doble) E2E2-A2A2-D3D3-G3G3-B3B3-E4E4
 メヒコ・バホ・セクスト(Bajo Sexto) 弦長650㎜ 全長1045㎜ 16f E1E2-A1A2-D1D2-G2G2-C3C3-F3F3
 中東ウード(عود, 'Ud, Oud) 弦長600㎜ 全長880㎜ 無柱 G-A-B-E-A-D, B-F#-B-E-A-D
  イラン・バルバト(Barbat)
  イエメン・カンブス(Qanbus)
 トルコ・ジュームブース(Çumbus) 弦長560㎜ 全長870㎜ 無柱
 スペイン・バンドゥーリア(Bandurria) 弦長260㎜ 全長615㎜ 12f 5度調弦
 スペイン・ラウード(Laúd) 弦長475㎜ 全長850㎜ 18f 5度調弦
 ポルトガル・ギターラ(Guitarra Portuguêsa) 弦長470㎜ 全長840㎜
  リスボン・ギターラ(Guitarra de Lisbona) 弦長460㎜ D3D2-A3A2-B3B2-E3E3-A3A3-B3B3
  コインブラ・ギターラ(Guitarra de Coimbra) 弦長490㎜ C3C2-G3G2-A3A2-D3D3-G3G3-A3A3
 スペイン・ルネサンス・6コース・ヴィウエラ・デ・マノ(Vihuela de Mano, Viyuela, Viola da Mano) 弦長610㎜ 全長890㎜ 12f
  ヴィウエラ・ペケーニャ(Vihuela Peguenãs) D3-G3-C4-E4-A4-D5
  ヴィウエラ・メディアーナ(Vihuela Medianas) G2-C3-F3-A3-D4-G4
  ヴィウエラ・グランデ(Vihuela Graandes) D2-G2-C3-E3-A2?-D4
 スペイン・ルネサンス・6コース・ヴィウエラ・デ・ペニョーラ(Vihuela de Peñla) 弦長610㎜ 全長890㎜ 12f
 ヴァレンシア・オクタビージャ(Octavilla)
 スペイン・パヤンディア(Pajandi, ジプシー・ギター)
 アンダルシーア・ハルゴン(Jargon, Sonanta)
 西ヨーロッパ・オルファリオン(Orpharion)

 イングランド・6コース・バンドーラ(Bandora, Pandora) 弦長700~800㎜ C2C2-D2D2-G2G2-C3C3-E3E3-A3A3  イングランドのジョン・ローズJohn Roseが1560年頃開発か?
 ドイツ・12弦ガリコーネ(Gallichone)
  イタリア・マンドーラ(Mandora)
 ドイツ・バロック・コラッショーネ(Colascione) 弦長900㎜
 アメリカ・ギブソン・12弦スーパー・ジャンボ・ギター(Super Jumbo Guitar) 20f
 アメリカ・12弦ギター(12 String Guitar) 弦長~650㎜ 20f E3E2-A3A2-D4D3-G4G3-B3B3E4E4
 西ヨーロッパ・マンドリーノ(Mandolino) 弦長~320㎜ 全長~530㎜ 7f G3G3-B3B3-E4E4-A4A4-D5D5-G5G5
 イタリア・ジェノヴァ・マンドリン(Genuese Mandolin) 弦長~320㎜ 12f E3E3-A3A3-D4D4-G4G4-B4B4-E5E5
 ドイツ・バロック・ベル・シターン(Bell Cittern, Bell Guittern) 弦長360㎜ E3E3-A3A3-D4D4-G4G4-B4B4-E5E5
 アメリカ・12弦ギター=バンジョー(Guitar-banjo, Banjitar, Guitjo) 弦長~650㎜ 21f

6コース14弦
 コロンビア・バンドーラ(Bandola) 弦長340㎜ 全長740㎜ 18f F#3F#3-B3B3-E4E4E4-A4A4A4-D5D5D5-G5G5G5
 フィリピン・オクタヴィーナ(Octavina) 弦長495㎜ 全長880㎜ 18f 5度調弦:単弦+2複弦+3三重弦

6コース15弦
 ポルトガル・アゾレス・聖ミゲル島・6コース・ヴィオラ・ダ・テルセイラ(Viola da Terceira) E3E3E2-A3A3A2-D3D3D2-G3G2-B3B3-E3E3

Guadanini(複製)Tamburica
Legnani model
Watch Key Head 改Guitarre d'Amour
Johann Georg & Johann Anton Staufer
   ウィーンのヨハン・ゲオルク・シュタウファー及び息子のヨハン・アントン・シュタウファー親子は弟子でもあった奏者L. R. レニャーニの影響もあってジョヴァンニ・バティスト・ガダニーニ(Giovanni Batisto Guadagnini)一族、ヴィナッチャ製、ファブリカトーレ製等のナポリ・ギター、特にガリアーノ製に影響を受けた楽器を製作。1825年頃21f6単弦ギター・レニャーニ・モデルを共同開発しシグナチュアモデルの先駆けとなった。21fや22f仕様もガダニーニ製ギターで既に見られた。ただしL. R. レニャーニのギター自体は22f8単弦仕様で、浮遊弦が2本追加されている。

 シュタウファー製ギターはF. P.シューベルトが愛用した他、同工房からはA.フィッシャー、J. G.シェルツァー、M.マッカフェッリに影響を与えるキターラ・リラや紋章型ギターを製作したF.シェンク、後に渡米し1850年頃X型力木配置(X-bracing)を採用するマルクノイキルヘン出身のC.F.マーティン1世(クリスティアン・フリードリヒ・マルティンChristian Friedrich Martin, 渡米後の英語表記ではフレデリックFrederickを使用)等を輩出している。渡米の理由はウィーンから帰郷し独立したものの、地元の楽器生産者組合(ギルデGilde, Gild, Guild, Guilde, ギルド)との軋轢が生じたことにある。ザクセン公国(Sachsen)のマルクノイキルヘンはロレーヌ地方(Lorraine)のミルクールと並び17~20世紀前半にかけて楽器製作で知られた町で、ミルクールが個人製作と共に分業制や共同製作を導入したのに対してマルクノイキルヘンは中世以来のマイスター制度を保持していた。このうち弦楽器製作家の組合では主にヴィオロンやラウテを製作しており、旅芸人の楽器として卑下していたギターの製作には消極的だったことから当初は家具職人がギターを製作。父ヨハン・ゲオルク・マルティン(Johan Georg Martin)も家具や楽器ケース等を製る職人だった。しかしラウテが衰退しギターの人気が高まるに連れて弦楽器製作家の組合がギター製作の独占権を主張、家具職人の組合と対立し訴訟沙汰にまで発展する等抗争が続いたため故郷を離れることにしたという。なおヴァイスゲルバー・ギターの製作者でR. H.ヤーコプの父・師カール・アウグスト・ヤーコプ(Carl August Jacob)もシュタウファー工房で修行経験があり、マルクノイキルヘンで製作を行なっている。ヴァイスゲルバーは記事によって製作家の名前のように扱われることもあるが、これはヤーコプ製ギターのブランド名。

 ドイツ以外でも製作家組合は組織されていたが、このうちスペインでは1502年にセヴィージャで始まって以降全土に広まり20世紀初頭に自由束縛との理由で廃止された。1527年には組合員向けにギター製作の手引書も発刊されていたという。スペイン以外では1828年にグスタフ・アドルフォ・ヴェッテンゲル(Gustav Adolpho Wettengel)が出版したギター製作の指南書が存在、1868年に再版されている。

 1833年にニュー・ヨークへ渡ったC. F.マーティン1世は、レニャーニ型ギターの複製品を製作しつつジョン・クーパ(John Coopa)やヘンリー・シュオーツ(Henry Schatz)等と共同製作をした後、1839年にペンシルヴェイニア州ナザレス(Nazareth)に移住しているが、ラベルにはその後も「C. F. Martin - New York」「C. F. Martin & Co. New York」といったようにニュー・ヨークの地名が入り続けた。

 なおマーティン製ギターがX型力木配置、ブリッジ・ピンによる弦の固定、金属弦、14f接続、弩級戦艦(Dreadnought)型響胴の最初とする記事もあるが、これらの特徴を同時に備えた有棹撥弦楽器自体はマーティン社が普及させ、またアメリカ・ギターの特徴を決定付けたものの、個々の技術はそれ以前から既に存在している。 X型力木配置は18世紀末のナポリ・ギターに出現して以降1826年のA & F. ルドロフ製ギター等19世紀西欧各地のギターで用いられており、金属弦は17世紀以前からシターン等で、また一部ティオルバでも用いられていた。12fより高い位置での接続は19世紀の各種多弦ギターにも存在しており、軍艦型響胴もバロック期以前から存在していた形状を大型化させた物になる。マーティン社での14f接続・護板付きという特徴は1929年にアトランタ(Atlanta)のバンジョー&ギター奏者ペリー・ベクテル(Perry Bechtel)向けに製作したOM-28以降。また軍艦型はボストン(Boston)のオリヴァー・ディット社(Oliver Dit)向けに1916年以降供給したもので当初は12f接続、1934年以降14f接続となっている。

 ところでレニャーニ型ギターの6単弦仕様に採用されている渦巻状弦蔵(スクロール・ヘッドScroll Head)及び糸巻の直列配置(シングル・サイデッドSingle Sided, Six in Low)はバルカン地方(Balkan)由来だが、火不思等の3単弦楽器にも見られることから中央アジア一帯で使用されていた撥弦楽器の設計を近代化させたものと思われる。金属製の機械式糸巻を導入、イタリア・ギターやアメリカ・ギターにも影響を与えた。シュタウファー製ギター自体はナポリのファブリカトーレ製ギターからの影響のようだ。1830年製作のジェンナロ・ファブリカトーレ製スプルース表板メイプル裏板12f接続19f6単弦ギター等が残っている。18世紀の南イタリアはオーストリア領だったことやウィーンが音楽の中心だったこと、楽譜の出版・流通が国外に比べてそれほど盛んではなかったこと等が技術や奏者の流出に影響していたとみられる。スクロール・ヘッドはソリッド・ギター登場初期の1947年頃にマール・トラヴィスが依頼し鋳物原型師(Pattern maker)ポール・ビグスビー(Paul A. Bigsby)が製作した6単弦エレクトリック・ギターにもこの特徴は見られ、特にC. L.フェンダーが採用したことでエレクトリック・ギターにも広く普及した。

 フェンダー社によればクロアチア・ギターからの流用としており、C. L.フェンダーは高校の頃にタンブリーツァの写真を見たことがあったという。当時のアメリカにもフェンダー製以外にこういった弦蔵を持ったギターは存在していたようだが、 フェンダー製ブロードキャスターの試作1号機は片側3連の対称配置だったとのことで、1947年後半にM.トラヴィスのギターがC. L.フェンダーに貸し出されて複製品が造られていることから直接のきっかけになったのはP. A. ビグスビー製ギターのようだ。 クロアチア・ギターはタンブールまたはタンブリーツァと呼ばれる民族音楽合奏で使われる4単弦撥弦楽器及びそのスペイン・ギター型響胴仕様のことで、アメリカへ渡った移民によって齎されたとみられる。M.トラヴィスは弦蔵も自身で考えた物と主張したことがあるようだが、直列配置のみならず渦巻等弦蔵全体の形状も既存の物に見られることを考えると全く無関係とは考えにくい。 なおヴィオロンでは渦巻状弦蔵が一般的だが、これは16世紀前半までには登場。理由は音響ではなく単なる装飾で、製作や保管時に吊り下げ易いという効果もある。他に天使やエロス、獅子、人面、女神等を模した彫刻が彫られる事も多く、ヴィオル等の復元楽器では現在でも見られる。中国南西部の龙头三弦では竜の頭の形に、中央アジアでは馬頭琴の弦蔵が馬の頭の形に彫られている。馬頭琴に関しては死んだ愛馬から楽器を作ったとする複数の伝説があり、その1つは物語『スーホの白い馬』として日本の小学校国語の教科書にも採用されている。なお道具の突端にこのような装飾を施す習慣は船の船首等にも見られた他、古代メソポタミアの印章にも存在する古い習慣。

 タンブールやそれに近い名前で同形状の楽器はバルカン半島ではマケドニア、ブルガリア共和国(ブルガリーヤРепублика България)、その他トルコ、ウズベキスタン共和国(O'zbekiston Respublikasi)、ウイグル、アフガニスタン・イスラム共和国(جمهوری اسلامی افغانستان)、パキスタン・イスラム共和国(اسلامی جمہوریت پاکستان)、インド(भारत)といったコーカサスから中央アジア、南アジアでも使われており、またギリシャ・ブズーキやトルコ・サズ、アゼルバイジャン・サズ等とも近い。

 語源的には打楽器のタンバリン(Tambourine)やタンブル(Tambour)、古代ギリシャの撥弦楽器パンドゥーラ(Pandoura)またはパンドゥロス(Pandouros)と同じで、その他パンドル(Pandore)、マンドル(Mandore)、マンドーラ(Mandola)、バンドーラ(Bandola)、マンドリーノ(Mandolino)、バンドゥーリア(Bandurria)、トゥンブール(Tunbur)、トゥンブーラ(Tunbura)、タンボーラ(Tambaura)といった名称も同語源と言われている。イタリア語で「mandola」は「鉢」の意味も持つが、古代キエンギ(Kiengi, シュメールسومرShumer, Sumeria)のパントゥル(Pan-tur)にも「小さな鉢」という意味があるとのことでで関連確認中。中国でも弦鼗をパンドゥーラの意訳とする説がある。鼗は柄付の振り鼓のことで、類似の楽器は日本では「でんでん太鼓(Den-den Daiko)」の名で知られる。播鼗とも呼ばれ、『論語』の「微子」ではこれを用いた音楽が外来とされていることから音訳の可能性もある。弦鼗は古来、中国の様々な有棹撥弦楽器の起源として語られており、鼗に弦を張ったものが弦鼗で万里長城造営の労役にかり出された人民が苦しみを紛らわすために生み出したものと3世紀西晋の傅玄は『琵琶賦』に記している。

 なお「琵琶」という名称はヨーロッパでの「ヴィオラ」同様様々な弦楽器に使用された時期があり、東漢~魏晋(紀元後1~4世紀頃)では円形胴直頸秦琵琶、南北朝時代(5~6世紀頃)は撥弦楽器の総称として使用され、唐(7世紀)以降になって曲頸琵琶に限定されるようになったと言われている。これは元々「琵」が弦を打ち下ろす動作を、「琶」が弦を打ち上げる動作を表しており、単に「撥弦楽器」程度の意味だったことに起因する。琵琶以外でも古代中国では演奏動作に基づいた楽器の命名が行われていたようだ。外国語語源については「Sky 序」の脚注参照。

 一方英語のタンバリンは仏語タンブランから来たもので、軍楽太鼓タンブラン・ドゥ・プロヴァンス (Tambourine de Province)、打弦楽器タンブラン・ドゥ・ ベアルン等も存在。一般には木枠に羊皮または模造皮を張り、2枚1組のジングル(Jingles)を木枠の穴(Hand hall)に取り付けて手の平か太鼓撥を使って叩く枠型直接打奏膜鳴楽器だが、楽器としての起源は西アジアにあると言われる。古代メソポタミアでは1500㎜以上の大型の枠太鼓を2人で両側から手の平で打奏していたようで、前7世紀のアッシュールの浮彫にも残っているとのこと。他古代エジプトや古代インド、現在でもエジプトやトルコ、イラン等で利用されている。

~整理中~

タブラカ=タブラー
	ペルシャ→アラブ全域→西アフリカ・ジェンベ
	低音のみ効果的に響かせる響胴と縁を叩く高音でアラブ系リズムを表現
	山羊皮or鱼皮&素焼響胴→調律可能なプラヘッド&金属響胴
	小脇に抱え両手の指や掌で叩く。

リク=レック=エジプト・レッ
	古典タンバリン
	小リク	5シンバル
	大リク	7シンバル
	指孔なし。両手打ち
	古典で主奏第2太鼓。タブラがないときは主奏第1太鼓
	山羊皮or鱼皮
 ヨーロッパへは12世紀頃中東から伝わり主に舞楽に使われていたようだ。交響楽団では19世紀初頭から使用され始め、主にスペイン風、東洋風といった意図を出す際に使用するという。20世紀ロシアの作曲家イーゴリ・フョドロヴィチ・ストラヴィンスキー(И́горь Фёдорович Страви́нский, Igor Fyodorovitch Stravinsky)はバレエ「ペトリョーシカ(Петрушка)」で使用した。 20世紀以降はミュンヘン出身の作曲家カール・オルフ(Carl Orff)が教育楽器としてタンバリンを推奨したことから ドイツで採用され世界中に広まっている。オルフ楽器とも呼ばれ他にトライアングル(Triangle)、シンバル(Cymbals)、リコーダー等も含まれる。

 トライアングルは中世ヨーロッパでは既に存在しており宗教儀式に使用されていたという。 18世紀後半になると軍楽を模したトルコ風音楽(※トルコ音楽ではない)に用いられ、 19世紀以降は交響楽団にも導入された。F.リストは打楽器の使用に寛容な立場をとっておりピアノ協奏曲第1番(Klavierkonzerts Nr. 1 in Es-Dur S.124, R.455)ではトライアングルを使用したことから「トライアングル協奏曲」とも呼ばれている。元々はドイツの評論家が中傷目的で名付けたらしいが、その後愛称となった。演奏会用の室内楽でも打楽器の使用は少ないが、実際にはハウスムジークと呼ばれる民間での音楽の愉しみではしばしば利用されていた。

 金属棒を三角形に曲げた物にガットやナイロン、革製の紐を環状にして指で摘むか支持具に吊り下げて 金属棒または太鼓撥1~2本で打奏。 ニコライ・アンドレイェヴィチ・リムスキー=コルサコフ(Николай Андреевич Римский-Корсаков, Nikolai Rimsky-Korsakov) 作曲のスペインの主題への奇想曲「(Каприччио на испанские темы, Испанское каприччио, スペイン綺想曲Capriccio espagnol)」では鋼鉄製の編み撥が使用されるとのこと。 大きさは様々だが一般に1辺150~180㎜ほど。 現代では三角形の1つの角が欠けているが、初期仕様は切れ目が無く 金輪が数個通されていた。これは鈴として鳴らす役割や音響効果を増すためとのことで、19世紀半ばまで残っていたという。

音高音量
同径
音高音量
同厚大径
小径
 シンバルは語源的にはキタラと関係しているが弦楽器ではなく体鳴楽器と呼ばれる打楽器の1種で通常は金属製。 材質は銀、銅、鉄、銅&錫合金の青銅(Bronze)等で形状は円盤を漏斗形、盃形、鉢形に整形、音溝を作って音質を調整する。明確な音程は考慮されないが形状が音程や音量に与える影響は左表の通り。

 起源は古代インドからペルシア近辺のようで、前8世紀のアッシュールにも既に伝わっていたという。 古代インドでは宗教儀式、西アジアでは軍楽や演劇、管弦楽で使用。東アジアでも中国で京劇に利用されている。日本では鐃鈸(Nyō-bachi)と呼ばれる銅製の物が仏教の法会に使用される。

 ヨーロッパへは18世紀にトルコ風音楽が流行した際トライアングルと共に導入され F. J.ハイドンが交響曲第100番 ト長調「軍隊」(Symphony No. 100 in G major "the Military Symphony")等に使用しているが、それ以前からも存在はしていたという。 19世紀になるとL. H.ベルリオーズが交響楽団で使用しており、20世紀以降はポピュラー音楽のドラム・セットで標準的に用いられるようになった。編成は奏者によって様々だが基本はクラッシュ・シンバルとライド・シンバルが1枚ずつ、 ハイハット・シンバルが2枚1組となっている。

 ドラム・セットではシンバルの他に大太鼓(Bass Drum)や 小太鼓(Snare Drum)、タムタムが加わり、手足を使って演奏するが、この形態は1930年代の舞楽伴奏で始まったものらしい。ただし四肢全体を使って複数の打楽器を扱う方式に関しては中国でも遅くとも清末までには行われていたようで、世界全体では更に古くから存在している可能性が高く確認中。また初期のフォルテピアノには打楽器を鳴らすためのペダルも装備されており、曲中で強調や装飾的表現として使用されていた。

 各楽器は単独で軍楽でも使用され、太鼓はベルトで体に固定する。 演奏時は作曲家によっても異なるが、一般的にロック音楽では体重を乗せる方法が、ジャズ音楽やパンク音楽では レイド・バックと呼ばれる体重を後方にかける方法が適しているとの指摘がある。

 スネア・ドラムはポピュラー音楽では通常木製棒状の太鼓撥で弱拍(Off beat)を強調するが、ジャンルやリズムによって奏法や撥の種類は様々。構えもマッチドグリップやトラディショナル・グリップ等があり、多種を使い分ける人もいるようだ。トラディショナル・グリップは左手が直角に落ちるので可動範囲が広くドラム・セットでは有利とのこと。 ティンパニでも国や流派によってドイツ式、アメリカ式など違いがある。

 胴(Shell)材は木製または金属で膜には獣皮が使われていたが、湿気を含むと弛んで音質が低下する為合成樹脂製が主流となった。底膜には唸効果や他楽器との共振防止の為ガットやナイロン製の響線(Snare)が張られこれが楽器名称の由来となっている。元々は奏者の脇に置かれていたことからサイド・ドラム(Side Drum)と呼ばれていた。

 起源不詳だが前3000年頃のキエンギでも既に使われていたようだ。交響楽団でも用いられ、舞踊の一種であるボレロ(Bolero)のリズムを休み無しで169回、およそ12~13分刻み続けるJ. M.ラヴェルの「ボレロ」が有名。

 C. L.フェンダーはCBSに株式を譲って引退した後、1972年3月7日にフェンダー社の営業部門だったフェンダー・セールス社のトム・ウォーカー及びフェンダー社工場長(Plant Manager)・副社長だったフォレスト・ホワイト(Forest White)と共にトライソニックス社を設立、1973年2月7日にミュージテック(Musitech)と変更するも、発音上の問題から1974年1月3日にミュージックマンとしている。そこで製作され1972年10月27日に出荷されたギターの糸巻は高音側2機、低音側4機の非対称配置をとった。これはCBS/フェンダー社との差別化が目的で、同じく直列配置だったベースギターに対しても高音側1機低音側3機という配置が採用されて同年11月に出荷された。意匠権はF.ホワイト個人名義で1976年6月23日に認められ、1977年4月29日にミュージックマンに譲渡されている。

 金属製の機械式糸巻は18世紀後半に製作技術が確立された機械時計やベイカー&ランス(Baker and Rance)等による銃器の技術開発の中で生まれた傘歯車(Bevel gear)やウォーム歯車(Warm gear)、精緻な金属加工技術がギターの糸巻に取り入れられた物で、シュタウファー等が用いた直列配置の糸巻は機構が1枚の金属板に内蔵されるようになっている。

 スロッテッド・ヘッドと呼ばれるH型の物は歯車露出型が多く、トーレス型スペイン・ギターに採用されたことで現在でも使用されているが、現状確認の範囲内ではパノルモ製ギターが1829年に使用していたのが最古。しかし1820年頃には既に用いられていたらしい。 カーディスのホセ・パヘースによる1806年製19f6単弦ギターにも機械式糸巻が装填されているが、これが当時の物か後世の改造による物かは不明とのこと。

 A.トーレス製は精度が低く多くが後に交換されているものの、パノルモが用いたベイカー製は重量が大きめだが精度が高く現在でも十分使用に耐え得ると評価されている。起源は機械式減速装置(Reduction gear)の流用とのことだが、詳細調査中。巻軸の間隔は36~39.5㎜だが、現代では35㎜が標準となっている。またラコート等はスロッテッド・ヘッドのまま弦蔵内部へ歯車を納めた組込型を採用していた他、現在バンジョー・ペグとも呼ばれている伝統的なバック・ギアに歯車を内蔵した糸巻の先駆になるラコート式固定機構も既に導入している。

 20世紀になるとクルーソン社が1925年頃ソリッド・ヘッド向けの覆蓋型を開発、セルマーも覆蓋型を採用している。歯車を露出させない物が多数開発されているのは塵芥や錆から歯車を保護する為で、グローヴァー社(Glover)はロト・マティック(Roto Matic)と呼ばれるグリスを充填させた空間に歯車を密封してしまう設計で耐久性を飛躍的に向上させている。 その他ポルトガル・ギターや古いイギリス・ギターでは時計鍵調弦機構(Watch key tuning system)と呼ばれる独特の装置やその改良型を使った糸巻と弦蔵の形状が採用されている。これは懐中時計の螺子巻きを差し込んで糸巻代わりにするという発想で生まれた物で、ジョン・プレストン(John Preston)が開発して特許をとったと言われているが、特許資料の存在は不明。J.プレストンはイギリス・ギターの他5コース・スペイン・ギターやヴィオロン、鍵盤楽器、管状吹奏楽器の製造も行っていた。改良型は予め全部に糸巻を差し込んである。このように機械仕掛けを使った各種金属製糸巻はイギリス・ギターが最初に採用したとのこと。

 現在でも用いられている露出型歯車の例ではその他コントラバス・ヴィオロンやベースギター等。理由は覆蓋化した場合の重量の問題と思われる。機械式糸巻は調弦の確実性、演奏中の修正容易性が買われて普及したが、重量が多くなるほど振動伝達が若干弱くなり、また楽器保持のバランスも変わるので音響や操作性にも影響する。ヴィオロンやその他多くの民族楽器では原始的な摩擦を利用した転軫(フリクション・ペグFriction Peg)を維持しているが、緒留にアジャスターを装備する例も多い。ギターではファイン・チューナー(Fine tuner)として1982年からフロイド・ローズ・トレモロ型エレクトリック・ギター用下駒に採用されている。

 フロイド・ローズ・トレモロ型エレクトリック・ギター用下駒はニューメキシコ州出身のギター奏者フロイド・ローズ(Floyd Rose)がシンクロナイズド・トレモロ型エレクトリック・ギター用下駒を改良したもので、1977年頃に第1世代のFRT-1を開発、1979年に特許を取得している。特徴としては響胴と装置を固定する杭の接点を改良したことによる可動の円滑化、弦の固定をイナーシャ・ブロック部からサドル部に変更したことによるイナーシャ・ブロックの小型化とそれに伴う装置の可動範囲増加、弦を上駒でボルトによって固定したことによるサステインの向上が指摘されているが、ギターの音が変わるといった否定的論調も多かった。また、ワーミィ・バーの使用による調弦の狂いが少ないことも利点として挙げられるが、これに関しては通常のトレモロ付下駒でもきちんと調整してあれば問題ないという指摘がある。

 当初は手工品で、ギター奏者ランディ・ハンセン(Randy Hansen)等が使用、特にE.ヴァン・ヘイレンが使用したことで知名度が上がり、1980年頃の第3世代FRT-3以降は工場量産が実現、1981年にクレイマー・ギター生産の商品に正式採用される。

 1982年頃にはファイン・チューナーを搭載した第4世代型のFRT-4が登場、弦を固定した後でも1セント単位の調律可能になり、1980年代半ばにはファインチューナーの位置を変更したFRT-5となって、ここに現在まで続く基本設計完成した。更に1980年代後半にはレスポール型ギター等に多く採用されているチューン・オウ・マティック型下駒にも容易に取り付けられるレスポール型フロイド・ローズ・トレモロも登場するが現在は生産されていないようだ。この他7単弦ギター用等もあり、自社ブランド以外の各社権利許諾品も多数存在している。 また0.002吋以下の誤差で製造された専用弦と新機構を用いて工具を使用せず弦交換を容易に、調律を省略したスピードローダー(Speedloader)とそれを搭載したギター、レドモンド・シリーズ(Redmond Series)も2004年に発表している。

 ヴィオロンで機械式糸巻が利用されないのは慣習、重量バランス、振動伝達、金属弦の安定性、変則調弦は一般的でないため一度調律を行なった後は大幅な調整の機会が少ないこと等が考えられるが、エレクトリック・ソプラノ・ヴィオロン等では小型の歯車露出型機械式糸巻が採用されている機種も存在している。コントラバス・ヴィオロンやフラメンコ・ギターも20世紀半ばまで木製糸巻が利用されていた。なおコントラバス・ヴィオロンでは摩擦式糸巻を残したまま巻軸の外周に歯車を取り付けて機械式に対応する折衷仕様も存在している。


 尚、ボルト・オン・ネック(Detachable Neck)やマイクロティルト機構(Microtilt Adjust System)の原型もウィーンではシュタウファー製ギターなどで19世前半には既に用いられている。ホロウボディ型ギターにおいてもフックが一体になった棹に横板をはめ込むスルー・ネックのスペイン式とは別に組みあがった響胴に棹をはめ込んで接着するドイツ式と呼ばれるセット・ネックが存在し、その延長としてボルトによって棹の脱着や仕込み角、弦高を調整する方法が考案されていた。レニャーニ型ギターの他、膝臏夾立式ヴィオロンチェッロやコントラバス・ヴィオロン、アルペジョーネにも採用されている。それより前では釘留めという手法がバロック・ソプラノ・ヴィオロンで行われていた。 現在でも金属弦ギター、ナイロン弦ギター双方でボルトを仕込む類似の技術は継承されており、G.ワーグナーやTh.ハンフリーも使用している。ヴィオロンでは20世紀半ばまでドイツ等で残っていたらしい。C. L.フェンダーは1940年代末頃にリッケンバッカー製ギターやドブロ製ギターが採用していたのを参考にした。

 スペイン式のスルーネックは16世紀にはヴィオロンやヴィオルにも用いられていたようだ。スペイン式に比べてドイツ式は接触面においてミクロレヴェルでは隙間が多くなる分振動伝達が阻害されるという指摘があるが、その場合スペイン式でも行なわれる表面板を左右に分割して中央で張り合わせる工程も振動を阻害していることになり、また下駒や横板なども含めて一木造や圧縮加工された木材・部品を利用した方が音響的に優れるという可能性も出てくることになるが、 一方で同一材からであれば貼り合わせることによる振動伝達の阻害は生じないとの見解から張り合わせや積層桿棹が製られているため、詳細確認中。 なお2枚の板を中央で接合するものでも単板(veneer)であり、英語のヴィニアは単板のことを言うので混同に注意。合板は薄い板を何枚も積層させるもので、英語ではプライウッド(plywood)となるが、日本語では合板をベニヤと呼ぶ。原義的には誤用だが一般に広く定着してしまっているので日本語においてはもはや誤用とは言えないかもしれない。こうなった経緯については調査中。区別をはっきりさせる場合は「ベニヤ合板」という使い方をすることがある。ちなみに楽器用材では合板は低級材と捉えられることが多いが、建築材としての評価は必ずしも低くない。

 ギター・ダモーレ(ギターレ・ダモーアGuitarre d'Amour)はシュタウファーが1821年に開発した24~26f6単弦の弓奏擦弦楽器で、内部構造及び調弦は6単弦ギターながら膝臏夾立式で演奏する。F.P.シューベルトが「アルペジョーネとピアノのためのソナタ イ短調 D.821(Sonate in a-moll für Arpeggione und Klavier D.821)」を1824年11月に完成させていることからアルペジョーネ(Arpeggione)という名称で知られるが、現在ではヴィオロンチェッロやアルト・ヴィオロン等で演奏されるのが一般的。他に楽曲は確認されていないようだが、ヴィオロン曲等他楽器の楽曲を流用していた可能性があり確認中。 音量及び演奏技術上の問題から普及はしなかった。奏者としては初演に携わったヴィンツェンツ・シュースター(Vincenz Schuster)のみが知られている。

 アルペジョーネのE4弦24fは膝臏夾立式ヴィオロンチェッロでのA3弦31f相当。F. P. シュベールトのアルペジョーネ・ソナタは最低音が6列目開放のE2、最高音が1列目23fのE♭6なのでほぼ全域を使い切っている。19世紀後半になってヴィオロンチェッロ用の楽曲として改めて出版したのがきっかけでヴィオロンチェッロの楽曲として演奏されるようになった。膝臏夾立式モダン・ヴィオロンチェッロの指板はおよそ36fあるが、極端な高音域を使用する習慣は19世紀末頃からとみられるのでヴィオロンチェッロ様の楽器として捉えた場合、当時としてはかなりの高音域を使用した作品となる。 和音に関しては指扱部分の和声的アルペジョで最大6和音まで使用されているので4単弦楽器での同時発音による再現は不可能で、省略もしくは押弦を変えながら鳴らすことになる。6単弦ギターでは再現可能だが、モダン・6単弦スペインギターではピアノ伴奏を編曲して演奏することはあるもののアルペジョーネ・パート演奏は一般に見られない。これは弓奏部分で数小節に亘る長音があることやモダン・スペイン・ギターで一般的な19~20f仕様では音が足りないことが理由とみられる。19世紀半ば以降のウィーン・ギター他独墺近辺のギターでは24f仕様も珍しくないが、ギター様の楽器として捉えてもこの音域の使用は先駆的な作品の1つである可能性もあり他作品の状況等確認中。

 ただ、一般的に当楽器はギターとヴィオロンチェッロの融合として説明されるものの、幾つかの異なる仕様を比較するとギターとソプラノ・ヴィオロンの融合、もしくはギターでソプラノ・ヴィオロンの高音域を弾けるようにした高域拡大の試みの1つと考えられる面もある。 開発当時24f仕様の楽器はギターでもまだ珍しい他、ヴィオロンチェッロでは極めて高い音域で通常使用することはないにも関わらず、アルペジョーネは更に 25f仕様の楽器も製作されている。その上F. P. シューベルト死後の1832年に製作された楽器で26f仕様と高域拡大を続けている。またそれまで12f接続だったものが 1832年製では11f接続となっており、9f接続のヴィオロンチェッロよりは11f接続のソプラノ・ヴィオロンと同じになっている。 響胴形状に関してもそれまでのギター形、C字孔からヴィオロン形に近くなりf字孔が採用されている。にも関わらず横板はギターのように斜傾抱撮が可能な曲面を保持しており、和音が弾けるギターと高音や長音の旋律が弾けるソプラノ・ヴィオロンの融合を図った可能性が考えられ詳細確認中。類似のものでは既述のパルドゥシュと呼ばれたソプラニーノ・ヴィオルが18世紀フランスで流行しソプラノ・ヴィオロンの楽曲演奏にも使われたがこちらは股上起立の小型になる。

Renaissance Lute Gretsch Van Eps Model
Selmer Hawaiian Th. Humphley
Ellis Jeff Martin Model Lacôte Heptacorde
Banjar Violão de Sete Cordas
Weißgerber

 7複弦ギター
 バシリオ神父が7コース・ギターを使用していたと言われ、楽器ではF.サンギーノ製作の1780年頃の7複弦ギターが現存。大型響胴で弦長662㎜ではあるが9f仕様で9f接続をとっていることからバロックやルネサンスの頃からの系統が残った物の可能性もある。また三重弦を含むものではヴィオラ・ダ・テルセイラが存在。

 それ以前では7コース11弦リウトが既述の通り16世紀初頭には既に存在、半ばに普及しており、押弦にも使用している。 J.ダウランドも「半音階的ファンシー」等7コース・リュート向けの作品を残している。 ヴィウエラも16世紀半ばには7複弦仕様が登場しているが、これはリウトの影響と思われる。バンドーラではイギリスで異種楽器から成る合奏、ブロークン・コンソートの中で低音担当として7複弦仕様が使われたことがあったようだ。中世以前のオルファリオン(Orpharion)に7コース仕様があったという情報については現在確認中。

 7単弦ギター
 有棹弦楽器では中国の古琵琶に7弦仕様が存在したとのことだが、7コース13弦直頸琵琶の情報があり、両者が同一かという点も含めて詳細確認中。

 ヨーロッパでは遅くとも18世紀中頃、6単弦ギター誕生とほぼ同時期には誕生している。アンダルシーア・ギターでは7複弦ギターが単弦化、フランス・ギターでは6単弦ギターに浮遊弦が追加される形で誕生したとみられる。ロシアでも18世紀末から主弦7列だが詳細な経緯は調査中。

 スペインでは11単弦トーレスや8単弦アリアス、ファン・パルガ(Juan Parga)製9単弦などが7単弦ギターに浮遊弦を追加する形で多弦化、東欧やロシアでは7単弦ギターに2本目の桿棹を追加する形の多弦ギターが出現している。

 ドイツ、オーストリアでは主に6単弦ギターに浮遊弦を追加する形で多弦化しているが、7単弦仕様に関しては主弦7列で、19世紀にはシュタウファー製、20世紀にはシュタウファーの系統にあるヤーコプ製ヴァイスゲルバーで1917年製や1920年製の主弦7列20f7単弦仕様が存在。合奏の低音用としてはハウザー1世製のクィントバッソ・ギターレンが存在するがこちらは主弦6列浮遊弦1列。

 フランスでは主弦6列浮遊弦1列が一般的だったようで、ラコート製で1937年頃からN.コストが開発に携わった大型響胴の後期仕様エプタコルドが誕生し1839年及び1844年の産業博覧会に出品、金メダルを獲得している。N.コストは1920年代にも初期型ラコートの7単弦仕様を使用している他1950年頃オルリ(Olry)製7単弦ギターも入手。いずれも主弦6列浮遊弦1列という構成。エプタコルドのブルドンはB1まで想定して設計されたようだが、実際はC2やD2に設定していたようだ。現在では6単弦ギター用に編曲されることも多いが、「グラン・デュオ(Grand Duo)」等N.コストの多くの楽曲は元々7単弦ギター向け。

 イギリスでは7単弦ギターが使用された形跡が見当たらないが、1869年にW.テムレットが主弦6列ドローン弦1列の7コース・ブリティッシュ・クローズドバック・バンジョーを特許し生産、ズィサ・バンジョー(Zither Banjo)として発売している。現代でも類似の7単弦クラシカル・バンジョーをバンジョー奏者マイケル・ニックス(Michael Nix)がバンジャー(Banjar)として使用している。彼の場合はバンジョーでクラシック音楽を演奏し始めた際に加弦の必要性を感じ、バンジョーとクラシカル・ギターの融合という発想で2004年3月に完成させたとのことだが有柱。19世紀ブリティッシュ・バンジョーは無柱で、多弦化の理由については調査中。調弦は用途によって様々。下表参照。

 なおズィサ・バンジョーにはテムレット型の他にカメイヤ型の5単弦仕様があり、19世紀末~20世紀前半にかけて生産されていた。 これはソプラノ・ヴィオロン&バンジョー奏者アルフレッド・カメイア(Alfred D. Cammeyer)が考案した物で、1~2及び5列目が金属弦、3列目が獣腸弦、4列目が絹弦、フレット付きでスロテッドヘッド仕様。バンジョーでは通常バック・ギア型の糸巻が使用されるが、スロテッド型も存在はしていたようで、1862年のジョージ・ティード(George Teed)による特許明細にも見られるとのこと。名称の由来はアルプス・ツィターの曲を編曲しロング・ブランチ(Long Branch)で交響楽団と共演した際、演奏中に弦蔵が破裂して舞台を降りざるをえなかった経験が元という。

 A.カメイヤは後にクリフォード・エセックス(Clifford Essex)と共にエセックス&カメイヤ社(Essex & Cammeyer)を立ち上げ、1893~1900年までカメイヤ型バンジョーを発売、その後はカメイヤ単独で引退する1939年まで発売していたとのこと。またエセックス&カメイヤ社は自前の生産工場を持つ前はW.テムレットの工房が生産を担っていた。なお弦蔵が7単弦仕様にも関わらず全体は5単弦仕様になっているバンジョーも存在するが、これは指板第5f側面付近に設置されるドローン弦を除く6個の糸巻がスロテッド型の場合3連1個体として生産されており、別個に2連の物を製造するより経済的という事情による。

 20世紀以降は主弦7列が主で、ハワイアン・ギターではセルマー社が24f7単弦のアコースティックを、リッケンバッカー社が23f7単弦エレクトリックを発表している。理由は調査中だが、ギターがメキシコから持ち込まれたという経緯を考えると7単弦ギターもハワイで既に使われていた可能性があり確認中。

 また斜傾抱撮ではメキシコでR.アダメが民族的象徴として協奏曲にも用いており、ブラジルではヴィオラン・ヂ・セチ・コルダスが使われるなど中南米では普及していたようだ。その他7コースの楽器及びジャズ、クラシック奏者については「」の注釈参照。またエレクトリック及びロック奏者については「Sky Ⅳ」参照。

 使用弦は低音追加の場合、金属弦ギターでは7弦用のセットや太めのゲージがバラで販売されており、一般の楽器店でも比較的入手がしやすい状況になった。ナイロン弦ギターではダダリオのプロアルテ合奏用NYL050Wやハナバッハの10弦ギター用などが使用されている。また7コルダスではモダン・ヴィオロンチェッロのC2弦も利用されているようだ。

7単弦バンジョーの調律
C2 D2 E2 G2 A2 C3 D3 F3 G3 A3 B3 D4 E4 G4
Cello/Mandola way 1
Guitar way
Guitar Dropped D
Lute way
Lute way Dropped D
Cello/Mandola way 2
Alvin Turner
Gutiar Banjo
Banjo Open D 4th
Folk Open Tuning
Cello way

メモ
7単弦
 ブラジル・ヴィオラゥン・ジ・セチ・コルダス(Violão de Sete Cordas)
 中国古琴(Gǔ Qín, Gu Chin) 弦長1110㎜ 全長1230㎜ 無柱 C2-D2-F2-G2-A2-C3-D3
 ヒンドスタン・ルドラ・ヴェーナ(Rudra Veena) 22f 2ドローン+4主弦+1ドローン
 南インド・ヴェーナ(Veena) 24f 4主弦+3ドローン
 タジク・タンブール(Tanbur) 弦長820㎜ 全長1060㎜ 無柱 5ドローン+2主弦
 カシミール・ロクート(Lokut, Kashmiri 7-string Setar) 5共鳴&ドローン+2主弦
 西部アフリカ・7弦エレクトリック・ンゴニ(Ngoni, Hoddu, Tidinit, Xalam, Kontingo, Koni, Molo, Konde) 2ドローン+3主弦+2ドローン
 ロシア・7弦ギター(Семи-Струнной Гитары, Russian 7-string Guitar) 21f D2-G2-B2-D3-G3-B3-D4
 アメリカ・ソリッド・ボディ・7弦エレクトリック・ギター(Solid-body Electric Guitar) 628㎜~ 24f B1-E2-A2-D3-G3-B3-E4
  アメリカ・フェンダー・7弦ストラトキャスター(Fender 7-string Stratocaster) 648㎜~ 24f E2-A2-D3-G3-B3-E4-A4
 アメリカ・7弦エレクトリック・ベース・ギター(7-string Bass Guitar)
 イングランド・ディミトゥリオ・7弦スカイ・ギター(Sky Guitar) 弦長648㎜ 31f B1-E2-A2-D3-G3-B3-E4
 アメリカ・7弦スティール・ギター(Steel Guitar) 21~36f

7コース13弦
 西ヨーロッパ・7コース・ルネサンス・リュート(Renaissance Lute)

7複弦
 スペイン・ルネサンス・7コース・ヴィウエラ・デ・マノ(Vihuela de Mano, Viyuela, Viola da Mano)
 西ヨーロッパ・7コース・オルファリオン(Orpharion)
 イングランド・7コース・バンドーラ(Bandora, Pandora) 弦長700~800㎜ G1G1-C2C2-D2D2-G2G2-C3C3-E3E3-A3A3
 ドイツ・7コース・ガリオーネ(Gallione)
  イタリア・7コース・マンドーラ(Mandora)

7コース18弦
 ポルトガル・アゾレス諸島・聖ミゲル島・7コース・ヴィオラ・ダ・テルセイラ(Viola da Terceira) 変則変則変則-E3E3E2-A3A3A2-D3D3D2-G3G2-B3B3-E3E3


 8複弦ギター
 コルシカ島で使われるギターには8複弦仕様が存在。古くはヴィウエラやオルファリオンでもあったらしいが詳細不明。ほか8コース楽器ではリウトが1570年頃までに普及し始めている。

V. Arias 1899 Ruvio for Galbraith
SC-608B RG2228GK

 8単弦ギター
 遅くとも18世紀後半迄にはアンダルシーア・ギターで主弦8列の楽器が誕生している。短棹で横板が大きく現在のギタローンの原形とも考えられる楽器だが当時の使用法等は不明のようだ。

 19世紀前半では浮遊弦2列を追加したイタリア系ウィーン・ギターで発達している。主な奏者ではL. R, レニャーニの他、G. レゴンディ、J.K.メルツ、セビージャ出身でロンドンで活動したホセ・マリア・デ・シエブラ等がいる。

 その後の19世紀の多弦仕様では7列目や8列目が指板からはみ出ているフローティング仕様が多いが、スペインでは継続して主弦8列のギターは使用されていたようで、V.アリアスによる1899年製20f8単弦仕様に確認できる。これが19世紀後半までに西ヨーロッパ全体で見られるようになった仕様なのかスペインで特有の仕様だったのか現在確認中。V.アリアス製ギターはF.ターレガが使用したことで知られる。

 20世紀ではG.ボーリンが主弦8列19f8単弦8字形ギターや主弦8列8単弦紋章形ギターの他、主弦8列19f8単弦アルト・ギター、主弦8列24f8単弦ギターを製作している。G.ボーリン製11単弦アルトギターを弾くことで知られているG.セルシェルもG.ボーリン製8単弦ギターを数本所有しているとのこと。

 また、弦長664㎜、米杉表板、ローズ横・裏板の8単弦モダン・スペイン・ギターをラミレス工房が1977年に製作しており、 A.セゴビアの弟子でスペインで教授活動をしていたホセ・トマース(ホセ・トマース・ペーレス・セレスJosé Tomás Pérez Selles)もラミーレス3世による8単弦仕様を使っていたが、きっかけについては調査中。共鳴だけではなく弾弦にも使用しており、楽曲上必要ない場合は7列目と8列目に消音器を挟んでいたという。

 ベルギーのラファエラ・スミッツ(Raphaella Smits)は元々6単弦奏者だったが、 J.トマースの影響で8単弦奏者に転向、フランスのF.ルドロフによる1830年製主弦6列浮遊弦2列8単弦、N.イエペスが所有していたスペインのV.アリアスによる1899年製主弦8列8単弦、ジョン・M. ギルバート(John M. Gilbert)による1980年製主弦8列20f8単弦、カナダのコリア・パンハイゼン(Kolya Panhuyzen)による2006年製主弦8列8単弦を、他にもミルクール産の1827年製主弦6列浮遊弦1列17f7単弦ギターも使用している。調弦はJ.S.バッハの楽曲ではブルドンをC#2、その他ではA1で7列目はD2、1~6列目は通常の固定音高調弦とのこと。

 J.トマースは6単弦奏者D.ラッセルの師でもあり、D.ラッセルもJ. M.ギルバート製8単弦ギターを所有しているが殆ど使用していないとのこと。日本人で教えを受けた者も複数おり、1970年代には木村英明(Hideaki Kimura)は主弦8列19f8単弦ギターを使用、日本での8単弦モダン・スペイン・ギター奏者としては先駆的な存在とみられる。また南米フォルクローレ音楽をアタウアルパ・ユパンキ(エクトル・ロベルチ・チャベーロHéctor Roberto ”"Atahualpa Yupanqui" Chavero)に師事したソンコ・マージュ(荒川義男Yoshio "Sonko Mayu" Arakawa)も、スペイン・ギターについてはJ.トマースに手ほどきを受けたようだが、6単弦ギターを使用しているようだ。彼はA.セゴビアの講習会に参加したという情報もあり詳細確認中。

 A.セゴビアは各地で講習会を開催したが、実際の指導は弟子やA.セゴビアが認めた人物が代講を行なうことも多く、R.サインス・デ・ラ・マーサの弟子だったA.ディアスもセゴビアの代理として10年以上指導を行なっていた。ジャズ・ギター奏者ジム・ホール(ジェイムズ・スタンリー・ホールJames Stanley "Jim" Hall)もA.セゴビアの弟子ヴィセンテ・ゴメス(Vincente Gómez)の教えを受けており、代講を依頼されたこともあったとのこと。

E1 F1 G1 A1 B1 C2 D2 E2 G2 A2 C3 D3 F3 G3 A3 B3 C4 D4 E4 G4 A4
Galbraith
Renaissance Lute
Legnani
Smits
Carpenter
Hunter
Hagström

 その他の8単弦奏者では梅本雅弘(Masahiro Umemoto)がサイモン・マーティ(Simon Marty)製作の1991年製主弦8列8単弦モダン・スペイン・ギターを使用している。 N.イエペスの8単弦ギター使用に関する情報についても調査中。

 7単弦奏者のM. 尾尻もシュタウファー製レニャーニ・モデルの石井栄による2006年製複製品を所有しており、楽曲によっては使用している。弦は同じくS. 石井による2005年製7単弦ラコート複製品と共に1~3列目がアクィーラ製ノーマル、4~6列目がハナバッハ製スーパー・ロー・テンション、7~8列目がハナバッハ製スーパー・ロー・テンションの6列目用で、録音の際は高音弦に獣腸弦を使うこともあるとのこと。

 またP.ガルブレイスはシャントレルとブルドンに1列ずつ追加した主弦8列20f8単弦脚棒付膝臏夾立式のブラームス・ギター(Brahmus Guitar)をD.ルビオに製作させたことがある。これはJ.ブラームスが1861年に作曲したピアノ曲「創作主題による変奏曲 作品21-1(Variationen über ein eigenes Thema op. 21-1)」をギター演奏しようとしたことがきっかけで、当初6単弦ギター編曲を行なっていたが低音が足りないことや左手のストレッチを強いられることから仕様変更の必要性を感じるようになったとのこと。低音に関してはA1追加の7単弦ギターの存在を把握しており、これはおそらくジャズでの7単弦ギターのことと思われる。その後C2での有効性も見出した。高音追加に関してはイタリアのギター奏者ステーファノ・グロンドーナ(Stéfano Grondona)が同一ポジションでの音域拡張やストレッチの減少といった効果、また既存の6単弦部分を変更せずに弦列追加が可能な点からA4追加を奨めたのがきっかけという。

 結果的にはピアノ曲以外でもリウト音楽がより簡便に可能になり、6単弦ギター作品にもA4弦が音色のコントロールや運指に効果的に働き、また最高音がE4弦25fに相当するF6となることから他楽器の作曲家による作品の演奏にも有利になったと語っている。 これはルネサンス・リウトの調弦が3度の位置の関係上6単弦ギターの標準調弦にA4弦を追加して全弦を長2度落とした状態に等しい点からくるもので、6単弦ギター曲に関しても第1ポジションで移動なくE4弦8f相当のC5まで、桿が響胴に接する12fで E4弦17f相当のA5まで演奏可能なことによる。弦列が増えると通常難易度が上がると考えられがちだが、このような変更の場合音域が広くなるだけでなくむしろ独奏の運指に関しては既存曲の難易度が下がるという効果を齎す。結果、上級者にとっては運指の選択肢を増やしたり更に楽曲の難易度を上げられる他、初・中級者にとってはより負担の少ない演奏が可能になる。加藤繁雄も類似の理由からB1及びA4を追加した8単弦ギターを使用しているようだ。 ギターがA4弦を持たなかったのは、リウトやヴィオルが旋律を歌わせつつ和音伴奏を加えていたのに対して ラスゲアードによる舞楽や歌曲での和音・リズム伴奏を主とする楽器だったことや、高音に張るための良質の弦の入手の問題等があったと思われるが、詳細調査中。ギター以外ではペダル・ハープ登場以前の三重ハープが、アルパ・ドッピアに弦列を追加することでむしろ操作性が上がっている。 これは運指上両手の役割が途中で逆になってしまう現象を解消するため17世紀に誕生し、ペダル・ハープが登場するまで使用された。 左手は第1弦列29単弦に半音20単弦の第2弦列を備え、右手は第1弦列とユニゾンの29単弦が備わっている。

 なおブラームス・ギターの扇状フレット配置、上駒及び下駒のスラント配置はルネサンス・オルファリオンからの流用。弦列が多く音域が広いことから生じる弦の太さと張力、弦長の関係のためだが、P.ガルブレイスのように共鳴台に脚棒を差し込んで膝臏夾立式に演奏する場合はこの方が和音などが押弦がしやすいという事情もあるようだ。

 オルファリオンの名称はギリシャ神話に登場する詩人オルフェウス(Orpheus)が由来と思われる。アポロンとカリオペの子でアポロンから竪琴を与えられた神話があることから別の撥弦楽器と結びつけて描かれたり、また物語がオペラの題材とされたりすることがあった。

 合奏では元プロ・アルテ・ギター・トリオ(Pro Arte Guitar Trio)のダニエル・トーマス(Daniel Thomas)が8弦バス・ギターを使用しているとのことで確認中。

 使用弦に関しては低音追加の金属弦ギターの場合、7弦用のセットに加えて太めのゲージをバラで購入するなど。楽器によってはエレクトリック・ベース用の弦を用いる。ナイロン弦の場合はプロアルテ合奏用NYL050Wなど。

 エレクトリック・ギターではCh.ハンターの他、スウェーデンのエクストリーム・メタル・バンド、メシュガー(MESHUGGAH)のギター奏者フレドリック・トーンデンダル及びメルテン・ハーグストロェム(Mårten Hagström, マルテン・ハグストロム)が2002年にネヴボーン製8単弦ギターを入手、その後スルーネック30.5吋(774.7㎜)弦長、ラングレン製PU搭載の星野楽器アイバニーズ製24f8単弦仕様を使用している。理由は7単弦ギターより低い音域を欲したが7単弦ギターで弦を張り替えても張力や弦長に影響が出るためとのこと。アルバム『ナッシング(NOTHING)』録音には楽器の製作が間に合わず、7単弦ギターで録音、その後2006年に再録音を行っている。星野楽器アイバニーズの8単弦ギターはその後量産型が欧米で販売され、日本でも逆輸入や限定販売が行われている。

 2009年7月2日にはアメリカのギター&ピアノ奏者トニー・マカパイン(Tony Jeff MacAlpine)がアイバニーズとエンドース契約を結ぶと共に8単弦ギターも使用していくことを発表している。彼は1998年頃から7単弦ギターを使用しており、アイバニーズ製RG7も所有していたが、専らカーヴィン製の7単弦ギターをメイン・ギターとして使用していた。彼が1986年に発表したアルバム『エッジ・オブ・インサニティ(EDGE OF INSANITY)』はロック音楽におけるネオクラシカル系ギター流行のきっかけを作ったとする指摘があり詳細確認中。 エレクトリック・ブルーズ音楽の系譜にあって5音音階を中心としたロック・ギターにクラシック音楽で使用されていた7音階やフレーズ構成を導入したり楽曲の一部を引用する手法は1970年代以前からR. H. ブラックモアやU. J. ロート等が行っており、一般的にはその影響を受けたY. J. マルムスティーンが高速度の演奏に織り交ぜて使用、渡米し名前が知られるようになった1983年以降に確立したものとされることが多い。尚、新古典主義(Neo-classicism)と冠される流行は複数あるもののロック音楽におけるネオクラシカル系(新古典楽派Neo-classical School)と美術・建築や文学の新古典派、クラシック音楽の新古典楽派、近代経済学における新古典学派とは時代が異なり直接の関係はない。美術・建築は1800年前後、文学では1900年前後、経済学では1870~1920年頃、クラシック音楽では1920年代頃。

~メモ~
8単弦
 アメリカ・8弦スティール・ギター(Steel Guitar) 21~36f
 アメリカ・8弦ペダルスティール・ギター(Pedalsteel Guitar)
 アメリカ・ノヴァックス(Novax)
 日本・アイバニーズRG2228(Ibanez RG2228) 24f

8コース12弦
 ドイツ・クラッツィター(Krazzither) 27f 4複主弦+4バス弦

8コース14弦
 ハンガリー・チェテーラ(Cetera) 弦長220/330/440/660㎜ 全長810㎜ 24f 5主弦+3単バス弦+3複バス弦
8コース15弦
 西ヨーロッパ・8コース・ルネサンス・リュート(Renaissance Lute)

8複弦
 コルシカ・8複弦セテラ(Cetera) 弦長620㎜ 18f C3-D3-E3-F3-G3-G3-D3-G3
 スペイン・ルネサンス・8コース・ヴィウエラ・デ・マノ(Vihuela de Mano, Viyuela, Viola da Mano)
 西ヨーロッパ・8コース・オルファリオン(Orpharion) 弦長540/590㎜ 全長960㎜ 15f

 9単弦ギター
Maccaferri Wappenform
Weißgerber
  
 リウトでは16世紀末頃までに9列目が加えられ17世紀初頭に流行しているが、ギターでは遅くとも19世紀前半には誕生していたようで、フランスでは1827年にN.コストがラコート製の9単弦仕様を入手している。ただ17世紀イタリアの作曲家・ギター奏者ジョヴァンニ・バッティスタ・グラナータ(Giovanni Battista Granata)が主弦5列浮遊弦7列の12コースギターも使用していたとの情報があり、これがリウトやテオルボではなくギターで間違いないのか確認中。他に16f5コース9弦ギターも使用していたとのことで、当時としてはフレット数が多い方になる。調弦はB2-E3-A3-C4-E4やB2-E3-G3-B3-E4等を使用。

 19世紀のイタリアではL. R. レニャーニが知られる他、影響力のあったL.モッツァーニが使用していたことでパレルモ出身のフェデリコ・ガリンベルティ(Federico Galimberti)等19世紀後半には奏者が増えている。20世紀前半ではプレストン(Preston)近郊出身の作曲家レギナルド・スミス・ブリンドル(Reginald Smith Brindle)がモッツァーニ型9単弦ギターを所有していた他、 サッサーリ(Sassari)出身の法学者・作曲家・マンドリン&ギター奏者ジョヴァンニ・ムルトゥラ(Giovanni Murtula)の弟子でシエナ(Siena)出身のジュゼッペ・ボッチ(Giuseppe Bocci)、L.モッツァーニの影響を受けたリヴォルノ(Livorno)出身のウーゴ・モーリ(Ugo Mori)やM.マッカフェッリ、少年時代のJ.ブリーム等。

 M. マッカフェッリは1929年3~4月にレコード録音を行い、J. S. バッハ作曲の室内楽「6つの組曲 第3番 BWV1009 第3曲 クーラント」を 編曲した「クーラント(Courante)」ではC#1等が、 エンリク・グラナードス・イ・カンピニャ(Enric Granados i Campiña, Enrique Granados y Campiña)作曲のピアノ曲「12のスペイン舞曲第5番 作品37(12 Danzas Españolas)」を編曲した「5番目の舞曲(5th Dance)」ではC1等が使用されている。 それ以外の収録曲では自作曲やJ. K. メルツのファンタジア第2番が含まれており、またその頃の演奏会ではJ. K. メルツ、F. M. カルッリ、G. レゴンディ、L. R. レニャーニといった多弦奏者の楽曲やI. M. F. アルベニスのピアノ曲等も取り上げていることから浮遊弦を使用していた可能性があるが、詳細確認中。

 ドイツでは19世紀にアウグスブルク(Augsburg)出身のヨハン・ゴットリープ・エドゥアルト・バイヤー(Johann Gottlieb Eduard Bayer)が主弦6列浮遊弦3列24f9単弦紋章形ギターを専用の共鳴台に乗せて立奏していた。これは音響・音量上の目的以外にハープのペダル機構を流用した半音調節機構も備えており、開放弦の音高を変更するためのものでもあったようだ。20世紀に入ってからはR. H. ヤーコプが主弦6列浮遊弦3列19f9単弦ヴァイスゲルバーを1954年頃製作している。

B1 C2 D2 E2 G2 A2 C3 D3 E3 F3 G3 A3 B3 D4 E4 G4
Maccaferri
Gilbert I
Gilbert II
 スペインではA.J.マンホーンが9単弦ギターを所有していたと言われている他、J.アルカスの弟子でエル・フェロル(El Ferrol)出身のピアノ&ギター奏者ファン・パルガ(Juan Parga)がアントニオ・ロルカ(Antonio Lorca)製作の1889年製主弦7列浮遊弦2列響筒(トルナヴォスTornavoz)付24f9単弦ギターを使用していた。 きっかけは当時流行していたサルスエラ音楽をギター編曲するためにピアノを8年間学び、その結果ギターの音域の狭さを感じるようになったことから。

 1893年にはマラガで教則本『技巧教本』を出版、トリルやアルモニコス、リガード、ポルタメント、タンボーラ、カンパネラ、ラスゲアードといった当時の奏法を纏め上げ、それらの技巧を織り込んだ「アディオス・グラナダ」、「アラベスカ」、「サンブラ」、「アンダルシーアのセレナーデ」等の楽曲はF.ターレガやフェデリコ・モレノ=トローバ(Federico Moreno Trroba)、ホアキン・トゥリーナ(Joaquín Turina)にも影響を与えた。

 響筒は響胴内に真鍮など金属製の板を筒状にして装着する物で音響効果を高める工夫。 起源は調査中だが19世紀初頭にはスペインで既に見られたようだ。A. トーレスの師ホセ・ペルナスが響筒付のギターを製作している。 A.トーレスは第1期に13本、第2期に2本の響筒付きギターを製作している他、 M.ラミーレス、M.ラミーレスの弟子になるクエンカ(Cuenca)出身のD.エステーソやS.エルナンデス、E.ガルシーア、E.ガルシーアの弟子にあたるF.シンプリシオ等といったモダン・スペイン・ギター初期の製作家のギターに見られる。奏者ではM.リョベートの使用していた1859年製トーレスには装備されていた。彼は他に1862年製A.トーレスやJ.ベネディード製、パヘース製、レシオ(Recio)製、アルティミラ(Altimira)製ギターも所有している。

 響胴孔内が塞がれることから内部の調整がしづらくまた製作に手間がかかること、そのわりに複雑な曲や大型化した会場では音量・音響的な効果が聴衆に伝わらないという理由でモダン・スペイン・ギターの中でも標準仕様になることはなく衰退、20世紀前半のエンリケ・ガルシーア製を最後にほぼ途絶えた。その後は古い楽器の忠実な複製に見られる程度だったが、20世紀末になってA.トーレス研究で知られるギター製作家ホセ・ルイス・ロマニロスが新作にも復活させており、 K.村治が響筒付の2001年製19f6単弦ロマニロス(Jose Luis Rmanillos & Son)を使用している。

 類似の装置はモダン・スペイン・ギター以外にも存在しており、モダン・フランス・ギターでは セルマー製で響胴内の下部を大きく周回する形で設けられて内蔵リゾネイター(リゾネーターRéesonàtor)と呼ばれている。響胴孔がD字形をしているのはこのリゾネイターの設置と関係がある。 またアメリカ・ギターではリッケンバッカー社の母体ともなったナショナル社を1926年に設立した ドピエラ兄弟(Dopyera Brothers)が1928年に3つの金属筒を持ったトライ・コーンを発売、 1929年にドブロ(Dobro)社を設立して響胴そのものも金属板を利用したギターを製造、金属筒を1つ採用していたことからシングル・コーンと呼ばれている。またこれらはリゾネイター・ギターと総称されている。他にブラジルのデル・ヴェッキオ(Del Vecchio)製にジナミコ(Dinamico)と呼ばれる物も存在していたが、現在は生産されていない。

 撥弦楽器以外では旋律打楽器マリンバ(Marimba)が金属製響筒を音板(Bar)と同数備えている。 これはアフリカ由来の瓢箪共鳴器付木琴が中南米で改良されたもので、舞楽やポピュラー音楽で使われる他 楽団ではいわばバス木琴として使用されている。導入時期は調査中だが、フランスの鍵盤奏者&作曲家シャルル・カミーユ・サン=サーンス(Charles Camille Saint-Saëns)が1874年に交響詩「死の舞踏(Danse Macabre)」に使用していることから19世紀後半には既にヨーロッパでも用いられていたようだ。

 ソプラノ木琴とも言える小型は シロフォン(Xylophone, ザイロフォン, クシロフォン)と呼ばれる。 Xylo-はギリシア語由来で「木」を意味する。教育用にも使われ、小型は1オクターヴ、大型では3~4オクターヴほど。 音板材はインディアン・ローズウッドや合成樹脂等で、基本的に長く厚いと低く、短く薄いと高くなるが、底部は弓形になっておりこの削り具合で更なる微調整をする。打板撥の先端は木製やゴム製、フェルト(Felt)製など目的によって使い分けられる。

 木琴の発祥は東南アジアにあると考えられ、インドネシアではカラウィタン音楽に使われるガムラン(Gamelan)と呼ばれる楽器群の一種にガンバンと呼ばれる物が存在し、銅鑼や太鼓と共に主要楽器となっている。これは中国や明治期の日本にも伝わった。 タイではラナート、ミャンマーではパッタラが存在。また西アフリカにはバラフォンと呼ばれる木琴があるようで、指扱弦楽器ゴジェ、長棹撥弦楽器ハラム、竪琴コラ等と合奏を行う。

 形状の似た楽器で音板が金属になった物に鉄琴(グロッケンシュピールGlockenspiel)が存在するが、こちらは教会の鐘楼に使われていた音階付の鐘が起源。独語で「鐘の演奏」の意で、仏語ではカリヨン(Carillon)、英語ではチャイムベル(Chimebell)。鐘楽として10世紀頃には既に存在、 1480年製の鍵盤式カリヨンは現在も使用されている。カリヨンの語源はラテン語クワテルニオ(Quaternio)で「4つずつ」という意味。実際4個1組として使用されるとのこと。特にフランドルの各都市で毛織物産業が発達したことにより台頭した市民が領主に対して自治を要求、富の象徴として教会よりも高い鐘楼が各地に建設された。

 後に小型化され18世紀頃には足鍵盤付仕様も存在したようだ。鐘が音板に変わることで携帯性が向上し、底部に小さな窪みを作ることで音程の微調整も可能になったことから18世紀末に交響楽団へも導入され、W. A.モーツァルトが「魔笛」にも使用している。本格的に使われ始めたのは20世紀以降のようだ。また教育用としても使われている。

 モダン仕様は音板が鋼鉄製半音階ピアノ式配列で一般的に2.5~3オクターヴ。撥はマレットと呼ばれ先端は真鍮や硬質樹脂等。また 軍楽では高音部を上にして直立させ、左手で枠を握り右手で撥を持つベル・リラが使用されている。 響筒付仕様ではヴィブラフォン(Vibraphon, Vibraphone, Vibes, Vibraharp)が存在。電気回転式扇風機が装備され、フェルト製の撥等が使用される。

 なお鐘楽は各国で古くから行われており、中国でも釣鐘が古代から存在している。 (shyō)は西周代(前12世紀)以降に誕生しており、木の枠に鍾を吊るして大きな棒で突いて演奏していた。 大小様々な鐘を吊るした物を編鐘(hen-shyō)と呼び、戦国時代(前403~前221年)の遺跡からは64編仕様等数オクターヴに渡る音域の物も出土している。

 鐘は元々は響胴下部に切れ込みを入れたような彎曲底部の棗形で、叩く場所によって2つの音程が発音可能だった。 その響きは「雝雝(yo-yo)」と形容され、国家安泰の象徴ともされていたという。 一方日本の銅鐸に見られるような直状底部の物は(haku)と呼ばれていた。 この他に(kei)と呼ばれる石製「へ」の字形の釣鐘も存在する。

~整理中~
?個鎛鐘
16個編鐘 編磬と合奏。周代は大きさで音高調整。
16個近代編鐘 大きさは同じで厚みで音高調整。清~&現代朝鮮
1個特鐘 特磬と合奏

18枚編磬 旋律は可能だが伴奏楽器。雅楽で使用。
16枚鉄響 =方響。鉄製磬。唐~。俗楽で使用。
16枚銅磬 =方磬。銅製磬。南朝梁~。仏教寺院で使用。
16枚正倉院方形 残闕。鎌倉まで使用された
16枚高麗方響 睿宗代北宋より。雅楽に使用。李朝代は宗廟の軒歌、登歌で使用
10枚雲鑼 ラマ教舞楽や家庭音楽で使用
9枚雲鑼
2枚鐃鈸 インドから華南へ伝来か?真鍮製。戯劇や仏事で使用
1枚特磬 大型
1枚鑼 真鍮製。現代に華南→全国へ。婚葬行列、演劇に使用
?個金鼓 真鍮製。元代に渡来。清代雅楽、現代婚礼行列など
ケイラン瓊鑾 玉製鈴
 エレクトリック・ギターではP.ギルバートが6単弦双棹の12単弦ギターのうち、下棹の2~4列目をE2-E3-E4とした3単弦、合計9単弦仕様のギターとして1999年にバンド、レーサー・エックス(RACER-X)名義の作品『テクニカル・ディフィカルティズ(TECHNICAL DIFFICULTIES)』第1曲「スネイクバイト(Snakebite)」で、また演奏会でも使用して『BEEHIVE LIVE』に収録されている。目的は8度を利用したアルペッジオ演奏で、後に操作性向上のため単棹7単弦ギターにまとめている。更に2005年にはアルバム『スペイス・シップ・ワン(SPACE SHIP ONE)』第13曲「イッツ・オール・トゥーマッチ(It's All Too Much)」で主棹をオープンG調弦に、副棹を8度間隔のG1-G2-G3音に調律して使用した。原曲はG.ハリソンが作曲してザ・ビートルズ名義で1968年に発表された『イエロー・サブマリン(YELLOW SUBMARINE)』に収録されたもの。P.ギルバートはギターの弦列を2列1組で捉えており、1~2列目、3~4列目、5~6列目に7~9列目を追加した感覚だったところから、5~6列目を除いて7単弦とすることに混乱は無かったという。

 その後も双棹9単弦ギターはしばしば利用されており、2009年のロック・バンド:ミスター・ビッグ(Mr. BIG)再結成公演ではベース奏者のB. シーンと共に双棹楽器の同時使用によるパフォーマンスも行っている。B. シーンは上棹が通常の4単弦ベースギター、下棹は1列目からE3-E2-E1で4列目がE2又はE3の8単弦仕様とのこと。

~メモ~
9単弦
 9弦アフガニスタン・ヘラート・ドタール(Herati Dutar) 19f~ 7共鳴+2主弦
 カシミール・ボード(Bod, Kashmiri Setar) 全長1150㎜ 17f 2共鳴+5ドローン+2主弦
 ウィーン・9弦シュランメル・ギターレ(Schrammel Gitarre, Kontra-gitarre) 3浮遊+6主弦
 西ヨーロッパ・ハープ・ギター(Harp Guitar) 19f 3浮遊バス+6主弦

9コース17弦
 西ヨーロッパ・9コース・ルネサンス・リュート(Renaissance Lute)

9複弦
 スペイン・ルネサンス・9コース・ヴィウエラ・デ・マノ(Vihuela de Mano, Viyuela, Viola da Mano)
 西ヨーロッパ・9コース・オルファリオン(Orpharion)

9コース25弦
 チリ・ギタローン(Guitarrón Chileno) 弦長580㎜ 全長960㎜ 8f ディアブリート2単弦+五重弦+六重弦+2三重弦+ディアブリート2単弦:F#5-A4-D4D4D3D3D2-G4G4G4G3G3G2-C4C4C3C2-E4E4E4-A4A4A4-G4-B4

Cythara ComnusDecacorde
Schenk for PadvecYepes style
 10複弦ギター
 リウトでは1640年頃から10コース仕様が登場。8字形ギターとしては未確認だが、類似の撥弦楽器としては全長1200㎜、 弦長720㎜のシャントレル単弦の15f10コース19弦ツィタラ・コムヌス(Cythara Comnus)が17世紀頃存在。 別名パンドーラ(Pandora)とも呼ばれるがイギリス等で使われた金属弦波状洋梨形有棹撥弦楽器 バンドーラ(Bandora)とは別種。 パンドーラはA.ピッチニーニがボローニャ(Bologna)で使われていた金属弦仕様のティオルバに不満を持ったところから余韻が長く調弦も狂いにくい、通奏低音にも使用できる金属弦楽器として開発したという。 バンドーラは16世紀後半、イングランド王国テューダー朝第5代エリザベス1世(Elizabeth I of Tudor)の時代にジョン・ローズが考案した。

 10単弦ギター
 18世紀には誕生しており、リール(Lille)出身でパリで活動したジェラール・J.ドゥルプランク(Gerard J. Deleplanque)が主弦6列浮遊弦4列の10単弦ギターを製作している。

 19世紀では現クロアチア、ヴァラジュディン(Varaždin)出身のイヴァン・パドヴェシュ(Ivan Padovec, Padovetz)がシュタウファー工房出身のF.シェンク製作による1841年製22f10単弦ギター(下段左)を使用しており、かつて最初の10弦ギターと言われていたようだ。これはレニャーニ型ギターを大型化し、棹を追加した双棹の物。調弦はレギュラーの6単弦ギターにD2, C2, B1, A1を加えている。I. パドヴェシュ発案によるとも言われるが真偽不明。彼の曲集の多くは6単弦ギター向けで10単弦ギターを使用した理由は音色の豊かさを求めた共鳴弦的な要素が主因のようだが、1842年に出版された教則本『理論と実践のギター教本、10弦ギター演奏の手引き付き(Theoretisch-praktiche Guitarrenschule, nebst Anueisung zum Spiele einer zehnsaitigen Gitarre)』では10単弦ギターの演奏にも触れられている。J.K.メルツも晩年は10単弦奏者として知られ、10単弦ギター曲としては「ハンガリー幻想曲 作品65-1(Fantasie Hongroise Op.65-1)」を作曲している。また『高度なギター演奏のための幾つかの規則(Einige Regeln des Höheren Gitarrens piels')』を記したニコライ・マカロフも10単弦ギター作品を多数残した。

 20世紀以降ではM.マッカフェッリが欧州楽旅に際して1923年に個人用として10単弦ギターを製作したとの情報がある。

 単棹の物では1826年にL.F.ラコートがF. M. カルッリと共にデカコルド(Decacorde)と呼ばれる主弦5列ドローン弦5列19f10単弦ギターを開発し1826年に「10弦ギターとそのドローン低弦の半音上行装置」として特許を取得、F. M. カルッリは1827年にデカコルド向けの教本も出版している。 このデカコルドはハープの変調弦用鉤を利用したが弦蔵裏手に設置され6列目、7列目、10列目が容易に半音上げられるようになっており、現在確認される最古の拡張糸巻。ブルドンは10列目のC2でドローン弦はディアトニックになっている。開発の経緯は調査中だが、共鳴や音域拡張以外に通奏低音への用途を意図していた可能性がある。デカコルドより前にもJ. H. ナデルマンがデカコルドと同じ調弦の10単弦ギターや12単弦ギター等も製作していたようだが、革命の混乱で特許が破棄されたらしい。

A1 B1 C2 D2 E2 F2 G2 A2 B2 C3 D3 E3 F3 G3 A3 B3 C4 D4 E4 F4 G5
600㎜
Renaissance lute




640㎜
Renaissance lute




670㎜
Renaissance lute




Harp way tuning
Harp way Flat tuning
A1 B1 C2 D2 E2 F2 G2 A2 B2 C3 D3 E3 F3 G3 A3 B3 C4 D4 E4 F4 G5
Mersenne's Extraudinaire
Gismonti (Nylon)
※⑧A2 or A♭2
※⑩E2 or F2
※⑦A3 or A♭3
※⑨G3 or G♭3
Carulli
Bass-Guitarren
Padovec
Yepes
Gismonti (Steal)
A1 B1 C2 D2 E2 F2 G2 A2 B2 C3 D3 E3 F3 G3 A3 B3 C4 D4 E4 F4 G5

 モダン・スペイン・ギターでの10単弦仕様は、既述のR. クレマン(René Clément)による映画「禁じられた遊び」でのスペイン・ギター演奏によってスペイン民謡「(愛の)ロマンス(Romance (anónimo))」を一躍世界的に有名にしたスペインのギター奏者N.イエペスが使用した20f仕様の物でラミーレス3世製作、1963年完成で翌64年にJ.ロドリーゴ作曲の「アランフェス協奏曲(Concierto de Aranjez)」をベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(Berliner Philharmoniker)と共演した際に初披露された。ラミーレス3世の実娘で弟子でもある現ラミーレス工房代表アマリア・ラミーレス(Amaria Ramírez)によると、発案者はラミーレス3世で初めA.セゴビアに計画を持ち寄ったが断られ、次にN.イエペスに打診したところ興味を示したとのこと。ヴィオロン系楽器ヴィオラ・ダモーレの響きに魅せられて最初の試作品では共鳴弦は指板下を通過させたが消音の問題から断念、表面板上に変更したという。

 凹形調弦を採用しており1~6列目はレギュラーでブルドンは7列目のC2。8列目以降B2、G#2、F#2となる。N.イエペスによれば7~10列目はピアノのダンパー・ペダル(Damper pedal)による音響効果を理想に、レギュラーの開放弦に足りない倍音を補う共鳴弦と考えていたようだが、19世紀以前の10単弦ギターやリウト同様の伴奏弦としての利用を妨げるものではなく、現在では奏者の好みや目的に応じて個々に使い方は分かれている。N.イエペス本人も弾弦に使用することがあったのは映像から確認出来る。 11単弦トーレスも7列目をブルドンにした凹形調弦を採用しており、A.トーレス製の楽器も収集していたN.イエペスが参考にした可能性はある。またN.イエペスはオランダ王国(ネーデルラントKoninkrijk der Nederlanden)のニコ・ファーン・デア・ヴァールス(Nico van der Waals)製作による1~2列目が単弦の14コース26弦バロック・リウトを趣味で演奏しており、その延長で1975年春頃バロック・リウト曲演奏向けに同製作家によるD調弦の14単弦ギター製作途上であることを明らかにしているが詳細は調査中。
C C# D E E F F# G G# A B B
④:DとA      ⑦追加:CとG
⑤:AとE      ⑧追加:FとB
⑥:EとB      ⑨追加:EとG#
     ⑩追加:C#とF#

 N.イエペス以降は彼の人気によって10単弦モダン・スペイン・ギターを使用する奏者は増え、日本人の直弟子もいたことから日本でも現在継承されている。NHKのギター講座番組を担当したこともあるK.荘村もかつては10単弦仕様を使用していた他、1998年にバラエティー番組「ウリナリ!!」の企画としてお笑いコンビ、キャイーンのウド鈴木(Udo Suzuki)のギター教師を務めた斎藤明子(Akiko Saitō)も1996年頃から10単弦仕様を常用している。使用し始めた理由は調査中。

 また古楽や古典分野以外でもブラジルのピアノ&ギター奏者エグベルト・ジスモンチ(Egbert Gismonti)は1973年以降イエペス型10単弦ギターを自作曲の演奏に使用しているが、こちらはピアノ奏者故音域の広さをギターにも求めたことによるようだ。現在はブラジルのギター製作家マリオ・ジョルジ・パッソス(Mario Jorge Passos)による魂柱の装填されたシングル・カッタウェイ仕様の24f10単弦ナイロン弦ギターを使用。また張力緩和目的で短3度低く調律した8単弦+2複弦の10コース鋼鉄弦ギターも使用している。近年は使用する音の構成とリズムの複雑さから特殊な事情がない限り10単弦用の楽曲しか作曲していないとのこと。

 フィンランドのマリ・マンティラ(Mari Mantyla)はイエペス型に低音を追加する形で使用、フィンランドの現代作曲家ヤルカネンに委嘱して作曲された組曲「前奏曲、幻想曲、夜想曲」等に使用している。

 共鳴用として多くの弦を配置する方法は古代エジプトで既に見られるが、17世紀初頭にヴィオル奏者&製作家だったダニエル・ファラントが発明したと言われるイングリッシュ・ヴァイオレット(English Violet)の直接のきっかけは17世紀初頭に設立されたイギリス東インド会社の社員が7単弦と10数本の共鳴弦を持つヒンドスタン・シタールを持ち帰ったことと言われ、実際に7単弦と10~16本の共鳴弦を持ち、指板下を通過するなど確かにヒンドスタン・シタールとほぼ同じ構成にあるが関連は確認中。 W. A.モーツァルトの父レーオポルト・モーツァルトはイングリッシュ・ヴァイオレットを「英国風」ではなく「天使」の意味であると解説したようだが、真偽の程は確認中。

 17世紀末には演奏上の問題から小型化され7単弦と7本の共鳴弦に整理されたヴィオラ・ダモーレに取って代わる。イギリス人ジョン・エヴリン(John Evelyn)が1679年11月20日に書いた日記に名前が登場しており、その頃までには誕生していたようだ。 「ダモーレ」の意味は通常「愛の」と解釈されているが、この形容がつく理由や基準については不明。一方でベルベル人又はイベリアでイスラーム教徒を意味することもある「モーリ(西語モーロMoros、英語ムーアMoors、羅語マウリMauri、葡語モウロMouros)」と解釈する説もあるようだが詳細確認中。

 バロック期に広く用いられ、A.L.ヴィヴァルディの6つの「ヴィオラ・ダモーレと弦楽アンサンブルのための協奏曲 RV392~397(Concerti per Viola d'Amore e Orchestra di Archi RV 392-397)」や「ヴィオラ・ダモーレとリウト、弦楽、通奏低音のための協奏曲 ニ短調 RV540(Concerto per Viola d'Amore, Liuto, Archi e Basso-continuo Re-minore RV540)」、G. Ph.テーレマンの「フルート、オーボエ・ダモーレ、ヴィオラ・ダモーレ、弦楽、通奏低音のための協奏曲(Konzert für Flöte, Oboe d'amore, Viola d'amore, Streicher und continuo)」等の協奏曲、またJ.S.バッハが「マタイ受難曲(Passio Domini nostri J. C. secundum Evangelistam Matthaum, Matthäus-Passion BWV244)」で使用している。

 19世紀ではモスクワ出身でドイツで活動したハンス・プフィッツナー(Hans Pfitzner)の「パレストリーナ」、G.マイアベーアが1836年に作曲した「ユグノー教徒(Les Huguenots)」、20世紀ではペンシルバニア州フィラデルフィア出身の弁護士・小説家ジョン・ルーサー・ロング(John Luther Long)の小説及び劇作家・演出家デーヴィッド・ベラスコ(David Belasco)による舞台化作品をジャコモ・プッチーニ(Giacomo Puccini)がオペラ化し1904年に初演された「蝶々夫人(Madama Butterfly)」、С. С.プロコフィーエフが1936年に作曲した歌劇「ロメオとジュリエット(Ромео и Джульетта Op.64)」等でも交響楽団の中で使用されている。現代では代用する場合アルト・ヴィオロンを使用。

D2 G2 A2 C3 D3 F3 G3 A3 C4 D4 E4 F4 G4 A4 C5 D5 E5
Hardingfele Regular
Low base
Gorrolaus
Troll
Violet & D'Amore
Viola di Bordone
Lyra da Braccio Viola di Bordone Viola d'Amore

 類似の共鳴弦を持った擦弦楽器としては4単弦と5共鳴弦の9単弦ハルダンゲル・ソプラノ・ヴィオロンのハーディングフェーレや南ドイツで使用されF. J.ハイドンが175曲書いたバス・ヴィオルの一種ヴィオラ・ディ・ボルドーネがある。ヴィオラディ・ボルドーネは単にバリトンとも呼ばれ桿裏に造られた溝を十数本の共鳴弦が通過する構造。共鳴弦ではあるが押弦側の親指を使って桿裏の弦を弾きながら演奏もする。類似の楽器にはイタリア・リラ・ダ・ガンバがある。東洋では中国三絃に見られ、中空桿棹の内部に金属板を仕込んで共鳴させる仕様が存在した。

 その他共鳴弦はハープギター(下段参照)など様々な楽器で現在でも利用されている。主に室内での演奏が多い寒冷地で多弦楽器が好まれる傾向があるようだ。

メモ
10単弦
 タジク・セトール(Setor) ?f 主弦+ドローン
 西ヨーロッパ・ハープ・ギター(Harp Guitar) 19f 4浮遊バス+6主弦
 アメリカ・10弦スティール・ギター(Steel Guitar) 21~36f
 アメリカ・10弦ペダルスティール・ギター(Pedalsteel Guitar) 弦長585㎜ 全長900㎜ B2-D3-E3-F#3-G#3-B3-E4-G#4-E4-F#4, C2-F2-A2-C3-E3-G3-A3-C4-E4-G4

10コース12弦
 アメリカ・ハープ・マンドリン(Harp Mandolin, Lyre Mandolin) 弦長~350㎜ 19f 4浮遊バス+4複主弦

10コース19弦
 西ヨーロッパ・10コース・ルネサンス・リュート(Renaissance Lute)
 西ヨーロッパ・10コース・テオルブ・リュート(Theorbe Lute, Arch Lute, Testudo) C2-D2-E2-F2-G2-C3-F3-A3-D4-G4

Bolin modelTorres model

  11単弦ギター
 左の11単弦アルトギター(11-strängad altgitarr)は19f。 G.セルシェルが考案したとする記事もあるが実際はスウェーデンのギター&リウト奏者ペル=ウーロフ・ヨンソン(Per-Olof Jonsson)がG.ボーリンに依頼し、P.O.ヨンソンの弟子だったG.セルシェルが1978年10月に開催された第20回パリ国際ギター・コンクールで自由曲に「プレリュード、フーガ、アレグロ BWV998」を選び1973年製11単弦アルトギターを使用して1位を獲得したことから注目され、その後の人気によって広まったもので左はアストリアス・ワークショップ(Astrius Workshop)製コピーモデル。開発のきっかけは古楽の演奏で、P.O.ヨンソンは 爪弾によるリウト演奏に違和感を感じるもギターを爪弾することから指頭に変更もできず、爪弾用代用リウトの開発をG.ボーリンに相談したとのこと。 一番最初は6単弦テルツギターレから始まり、7単弦、9単弦などその後徐々に弦列を追加、最大13単弦まで拡大したが演奏上の問題から結局11単弦に落ち着いている。

 G.セルシェルはG.ボーリン製ギターの収集も行なっており、現在は4本所有しているとのこと。うち3本は1973年製、1974年製、1980年製。 一般のギター弦が使用できることを考慮して設計されており、使用弦は1列目がダダリオ社製プロアルテ・ブランドのハード・テンション、2~6列目がサバレス製アリアンス・ブランドのハード・テンション、7~11列目がアランフェス製ハード・テンションの6列目用。ちなみに1974年製はシャントレルが19fでブルドンが-4~19fの24f。ドローン弦は調弦安定のため数年に一度しか換えていないとのこと。

 1~7列目の弦長は572㎜で調弦はプライムの固定音高調弦より短3度高いF2~G4。-5fにあたる11列目は曲に拠るが標準はB♭1になっており、ギターの操作性を 残しつつリウト曲の演奏にも向いた環境になっている。 J. S.バッハの楽曲に関しては汎用調弦6単弦ギターで一般的に原調を以って演奏されるのが組曲 ホ短調 BWV996及び組曲 ホ長調 1006aと限られるが、 11単弦アルトではリウト組曲 ト短調 BWV995、パルティータ ハ短調 BWV997、前奏曲 ハ短調 BWV999、フーガ ト短調 BWV1000で原調による演奏が可能になり、その他変記号が多い調の楽曲で有利になるとのこと。 また弦長が短いことで押弦の負担が軽減される一方延長された指板で低音の音響は向上している。 6単弦ギターではこの他シャコンヌ(Chaconne)も編曲されて演奏されるが、 A.セゴビアが1935年に同曲をギターに編曲しコンサート・ホールで演奏したことが6単弦モダン・スペイン・ギターがクラシカル・ギターとして受け入れられ、また人気を拡大させる1つの要因となっている。背景にはA.セゴビアの技術が当時のギター界にあっては高度であったことの他、芸術界に影響力の強いパリの楽壇で認められたこと、「J. S.バッハの楽曲」を取り上げたこと、この時期ラジオ放送が発展し多くの人の耳に届いたこと等がある。 演奏技術に関しては小指を表面板に接触させて指扱する奏法がこの頃まだ存在していたことで、スペインの手を自由にした奏法及びそれに基づいた楽曲がより複雑に聞こえてみせるという効果を齎していた可能性もあるが、詳細調査中。ロシアではA. セゴビアが演奏会を行って以来この演奏技術上の差からロシア・ギターのあるべき姿に関して大きな論争が起こったという。

 J. S.バッハの楽曲演奏に関しては19世紀にもギター奏者の間で行われており、1929年にはM. マカフェリがレコード録音をしている他、シャコンヌのギター編曲・演奏に関してはR. S. デ・ラ・マーサが1933年には初演を行っているとの情報がある。またH.ヴィラ=ロボスは1910年にシャコンヌのギター編曲を行なっていたと言うが、消失しており確認ができない状態となっている。なおアランフェス協奏曲も世界的に知名度を上げるきっかけになったのはギター・パートの作曲に関わったR. S. デ・ラ・マーサがマドリーで行った初演よりN.イエペスがパリで演奏して以降と言われており詳細確認中。

 11単弦アルトギターの欠点は弦列の多さによって通常より正確な消音の技術が要求される点と重量が約2.4kgと通常のホロウボディ・ギターにしては少し重くなっている点。質量の増加は低音での音響を豊かにするが、高音では響胴振動の阻害要因にもなり、弦の振動を中心にした音になる場合があることから、音域が広くなるほど全音域を豊かにするには製作に高度な技術が必要となる。これはエレクトリック・ギターでの多弦仕様でも抱える問題。

 G.ボーリンは1993年に亡くなったが、弟子のニコラ・ネルストレム(Nicola Nerström?)が後を継いでいる他、世界各地で11単弦アルトが模倣され作られている。デザインは改良されているものの11コースという仕様そのものはボーリン製以前から存在しており、19世紀には同系の弦蔵を持つ楽器をN.コストが使用していた。

 またスペインにおいてはドイツのコントラ・ギター(Kontra-guitare)が A.トーレスに影響を与え、主弦7列浮遊弦4列の11単弦仕様が3本製作されている。弦長は650㎜で上駒巾は92㎜。「6弦ギターに低音を追加した」とする記事もあるが、実際は弦蔵・桿棹とも7単弦仕様に低音が追加された形になる。この主弦6列または主弦7列に浮遊弦を追加するという形態は単棹浮遊弦、双棹関係なく多弦ギターやテオルボにはしばしば見られる組み合わせ。理由ははっきりしないが、強度と重量や視認性の折り合いではないかと考えられる。

 1876年製1号機SE 07はホセ・マルティネス・トボソ(José Martinez Toboso)が使用していたが、マリア・テロル(Maria Terol)に引き継がれた後1945年にマルセロ・バルベーロ・イーホ(Marcelo Barbero Hijo)によって6単弦仕様に改造された。SEは第2期(Segunda Epoca)の意。A.トーレスは一度ギター製作を中断して陶器商店を営んでおり、ギター製作再開後に区別してラベルへ記載を始めた。

 1884年製2号機SE 71はホセ・ロホ・イ・シド(José Rojo y Cid)が使用したがこれは元々ビリャカリーリョ出身のギター奏者アントニオ・ヒメーネス・マンホーン(Antonio Jiménez Manjón)が所有していたものを譲り受けたとみられる。11単弦仕様のまま現存。表板材はスプルース、裏・横板材はシープレス。

G1 A1 B1 C2 D2 E2 F2 G2 A2 B2 C3 D3 E3 F3 G3 A3 B3 C4 D4 E4 F4 G4
Söllscher I
French B natural tuning
(Baroque Lute D tuning)
Söllscher Baroque tuning
Goat tuning
French B flat tuning
(Baroque Lute Dm tuning)
Trumpet tuning
露風調弦
Torres
Knutsen
Hedges
G1 A1 B1 C2 D2 E2 F2 G2 A2 B2 C3 D3 E3 F3 G3 A3 B3 C4 D4 E4 F4 G4
山羊調弦(Goat tuning)、喇叭調弦(Trumpet tuning)は
1670頃の『バーネルのリュート教本(Burnell's Lute Tutor)』に登場。
山羊調弦はD.ゴーティエが山羊を模した作品「The Goat」に使用したことから名付けられた。
 最後の1885年製3号機SE 83はそのA.J.マンホーン が使用していたようで、1889年にはバルセローナのエルドラード劇場及びプリンシパル劇場にて 11単弦トーレスを使った演奏会を催している。当時11歳だったM.リョベートはこのどちらかの演奏を聴いた。演目はF.ソルのソナタ作品、L.v.ベートーヴェンやR.シューマンの編曲作品、自作曲などとみられる。3号機も11単弦仕様のまま現存。ただし、A.トーレスが11単弦ギターを10本あまり製作したとの記事もあり詳細確認中。

 A.J.マンホーンの流派は弟子のロムロ・トロンコソ(Romulo Trancoso)や、タンゴ歌手カルロス・ガルデルの楽団で初代ギター奏者を務めたエミリオ・ボー(Emilio Bo)及びその息子セサール・アントニオ・ボー・プエンテ(César Antonio Bo Puente)に受け継がれ、ボー親子がアルゼンチンに移った後も11単弦は使用されていたようだ。タンゴ音楽ではピアノやコントラバス・ヴィオロンが導入されるまでは低音の強調として多弦ギターが用いられることがあったとのこと。 6単弦ギター奏者ではモンテヴィデオ(Montevideo)でA.バリオス・マンゴレを指導したことがある。A.J.マンホーンはまた、9単弦ギターも使用していたという。

 この他では、A.セゴビアが所有していた6単弦ギターがある。M.ラミーレス製作で秘蔵の高級品のような紹介のされ方もあるが、実際はM.ラミーレスの工房で当時修行していた弟子のS.エルナンデスが1912年に製作したもので、元々はA.J.マンホーン向けに作られた11単弦ギター。A.J.マンホーンとの交渉が折り合わず譲渡が実現しなかったことから6単弦仕様に改造して保管していた物を店を訪ねてきたA.セゴビアの実力を買って譲った。響胴内部のヒール部分のブロックの大きさに11単弦仕様時の名残があるらしい。ミュンヘンでハウザー1世が詳細な採寸を許され、その後のハウザー製スペイン・ギターの母体となっている。

 A.セゴビアがハウザー1世の楽器を常用するようになってからはO.P.コエーリョに贈られた。S.エルナンデス製ギターはR. S.デ・ラ・マーサが使用したことでも知られる。また逢坂 剛(Gō Ōsaka)が1976年に執筆し、1986年夏頃に出版された第96回直木賞受賞作品『カディスの赤い星(Cádiz no Akai Hoshi)』にダイヤモンドが埋め込まれた幻の名器としてS.エルナンデス製ギターが登場するが、これは筆者所有の中出阪蔵(Sakazō Nakade)製6単弦モダン・スペイン・ギターの糸巻にガラス玉が装飾されていたことを元にした架空の楽器。G.逢坂はこの他『あでやかな落日(Adeyakana Rakujitsu)』においてもG.スモールマン製のギターを登場させている。

 一方これらとは別に音量増大の目的で肥大化し床面で支える胴を持った3棹11単弦の「ギタルパ(Guitarpa)」と呼ばれるものがF.アルカスの弟子にあたるアルメリーア(Almeria)出身のルイース・デ・ソリア(Luís de Soria)によって1879年頃発案、演奏されている。L.d.ソリアは短期間だがR.S.デ・ラ・マーサの師の一人でもある他、F.ターレガと二重奏を行なったこともあるようだ。

メモ
11単弦
 西ヨーロッパ・ハープ・ギター(Harp Guitar) 19f 5浮遊バス+6主弦

11コース20弦
 フランス・バロック・リュート(French Baroque Lute) 弦長640~800㎜ 全長960㎜ C2-D2D2-E2E2-F2F2-G2G2-A2A2-D3D3-F3F3-A3Aa-D4D4-F4

11複弦
 西ヨーロッパ・11コース・ルネサンス・リュート(Renaissance Lute)
 イタリア・キタローネ(Chitarrone) 800~890/1550~1600㎜ A調弦
 フランス・18世紀テオルブ 760/1200㎜
 イギリス・シオーボ 850~1000~1400㎜
 ドイツ・テオルベ 760~800/1000㎜




 メモ

12単弦
 西ヨーロッパ・ハープ・ギター(Harp Guitar) 19f 6浮遊バス+6主弦
 アメリカ・12弦ペダルスティール・ギター(Pedalsteel Guitar) B2-E2-G2-B2-D3-F3-G3-B3-D4-F4-G4-E4



 13~14コース
Arciliuto Theorbe Tiorba
 バロック期に独奏や通奏低音楽器として利用されたバロック・リウトやアルチリウトでは11コース、13コースが多かった。A. L.ヴィヴァルディが作曲した「リウト協奏曲 ニ長調 RV93」はアルチリウトを想定しているが、現代では「ギター協奏曲」と書かれることもある。A.ピッチニーニは残された作品から14コース・ティオルバ及び13コース・リウト・アッティオルバートを使用していたとみられ、またS. L.ヴァイスは1~2列目単弦で主弦7列浮遊弦6列の13コース24弦バロック・リウトを使っていたようだ。彼の作曲したリウト・ソナタはアントレとクーラントを入れ替え前奏にファンタジアを追加する形でオブリガート・チェンバロ付きバロック・ソプラノ・ヴィオロン・ソナタ BWV 1025のチェンバロ・パートにそのまま引用されている。これはバッハ作品番号が付されているが、偽作でヴィルヘルム・フリードマン・バッハ(Wilhelm Friedemann Bach)によるものではないかという指摘があるが、異論もあり確認中。

 J. S.バッハは多作の作・編曲家として知られ作品番号が付されているだけでも1200曲を越えているが、うち偽作及びその疑いのある曲は150以上。自作の既存フレーズ流用・組み換え・歌詞変更、編曲という形での新曲発表も頻繁に行っている他、現在では盗作となるような他作曲家の作品改作や、若年の頃に勉強目的で試作された物などあり、それらも含めての数字になる。この他出版後に個人的な修正を何度も加え続け、同じ曲でも異稿が複数存在する場合がある。

 また一般的に器楽曲の作曲家として有名だが、職業柄全体の半数以上は宗教行事や一般行事向けの歌曲、宗教劇や歌唱的宗教説法のBGM、教育用で、娯楽性の高い寸劇のための曲も作曲・指揮している。鍵盤奏者だったことから器楽曲もオルガンまたはチェンバロやクラヴィコード向けのものが多い。また宗教曲は教会に楽譜が保管されているなど保存状態が良い一方で世俗曲の多くは1回限りの使用や遺産分割とその後の売却等で散逸してしまっているという事情もある。死後は忘れ去らた後、19世紀前半にJ. L. F.メンデルスゾーンが1829年3月に「マタイ受難曲」を、ヴィオラ・ダ・モーレの代用にアルト・ヴィオロン、オーボエ・ダモーレの代用にバセット・ホルンを使う等当時入手可能な楽器を使用し、一部繰り返しを省略するといった形で公開演奏をして注目を浴びる。J. L. F.メンデルスゾーンは少年時代に ジングアカデミー合唱団に所属しており、J. S. バッハの孫弟子にあたるツェルターから声楽作品を学んでこの曲を好んでいた事が背景。

 その後は特にその宗教曲の多さから「敬虔な教徒」というイメージを伴って一般に知られ人気を得るが、旧友宛の手紙では宗教曲を多く手がけているライプツィヒ在住期より宗派の問題で宗教曲を殆ど作曲していないケーテン在住期を最良の時期だったと振り返る発言も残しており、また多作だったライプツィヒでは聖職者会議との軋轢もあったこと、生活上の金銭的な問題も抱えていた事、祭事暦に合わせたイヴェント毎の小曲を大量に作曲している分も含んでいる事等から宗教曲の多さと信仰心の強さは特に関わりないようだ。

 楽曲中に様々な宗教的意味を内包した音型を含ませていることも知られるが、J. S.バッハに限らない当時の修辞法の習慣もあり、またキリスト教以外にも家名を音譜に当てたり小節の配置に応用したりしていることから、技法的な二面性の内包一般が好みだっただけの可能性もある。 家名を織り込んだのは「フーガの技法 BWV1080」だがこれはC.Ph. E. バッハが指摘して判明したもの。彼はまた作曲途中で死んだ事も記しており、その点から「未完の作」とされて来たが、最近では死の4年前には大方完成していたとされておりどこが未完かなのかは不明とのこと。また当曲は20世紀後半に鍵盤奏者グスタフ・レオンハルト(Gustav Leonhardt)が演奏して以降チェンバロ曲というのが通説だが、本来の指定楽器は記載されておらず不明。

 宗教性に関してはラテン語の使用を「宗派や国境を超えた普遍性を目指した」とする意見もあるが、19世紀後半までのヨーロッパでの識字教育普及率は高いものでなく、ラテン語はもとより母国語も読み書き出来る者は限られた層・環境の人間だった。

 寺子屋制度が発達し庶民でも読み書き出来る者が多かった江戸時代の日本とは事情が全く異なるので同じ感覚で扱わないよう注意が必要となる。識字率は混乱期の幕末で84%だった一方経済大国だった18世紀フランスでも1.4%との情報があり詳細確認中。

 この点については技芸の伝承にも関係しており、文書化・楽譜化・体系化し教育制度を整備した 宗教音楽や芸術音楽と独学や散発的な伝承による通俗音楽という区別や差別を行うことがヨーロッパであるののも背景に教育制度の未整備・機会不均等といった事情がある。また放浪集団への否定的な扱いについては民族や文化的な違和感だけでなく、徴税上の理由から戸籍を把握しやすい定住を為政者が望んだ政治的背景もある。一方、日本ではジャンルを問わず師匠や神職・年長者等からの長期・継続した指導・伝承が珍しくなく、明治以降の新ジャンルや洋物にも同様の傾向が継承されているので見かけに同じ現象でも実態・背景が異なる点は注意が必要。ヨーロッパの感覚をそのまま日本に持ち込んで楽種や見た目で表層的に区別される事も多いが、区別の理論を厳密に当てはめると日本では庶民の趣味やお座敷の芸事でもヨーロッパでいう芸術教育に入ってくるものが多い。文書化や体系化を行わなかったのは、個別に厳格な伝承がなされる為体系化の必要がなかったこと、盲者の生活手段として確立されていた楽種があること、言葉より肉体的な感覚を重視する価値観があること、音楽を学問と一体化して扱う価値観が無い事等がある。盲者に音楽家としての仕事を割り当てる福祉的要素は中国で古代から行われていたようだ。言葉による理論的説明を重視する価値観や音楽が学問や教養の1領域とする価値観は古代ギリシャ・ローマ以降の地域的習慣。楽器や音の原理は数学や物理と関わっている為中国でも理論的な研究や体系化は古来より行われていたが、日本には根付いていないようだ。詳細な原因や経緯は確認中。

 このような経緯からマルティン・ルター(Martin Luther)他多くの宗教改革者や人文主義者はラテン語の『新約聖書』を地元の言葉に翻訳するという作業を行っており、J. S. バッハが使用した聖書もドイツ語のもの。J. S. バッハは聖ゲオルク教会や聖ミカエル教会の付属ラテン語学校で教育を受けて育ったという経緯があり、ラテン語の使用自体は自然で普遍的な意図までは言えない。仮に宗派を超えるという意味での普遍性を意図すれば、ラテン語が理解出来ない人間が漏れることになるので普遍を共有する対象に区別が生じて普遍性が失われることになる。

 なお教会カンタータ約200曲の殆どはコラール旋律の合唱で終わるが、コラールはルター派等のプロテスタント系教会で歌われる賛美歌のことで、16世紀前半にM. ルターが信徒に親しみ易い創作聖歌としてラテン語ではなくドイツ語を採用して始まったもの。旋律が素朴で覚え易く歌い易いと言われている。 当初単声を斉唱していたが後に多声化し、器楽伴奏が編入されたりオルガン独奏が行われるようになった後、17~18世紀にはコラールの旋律が器楽曲の素材として多用されるようになったとの事で、J. S. バッハが引用しているのも当時の習慣の1つとなる。 一般にも比較的知られている器楽曲「主よ、人の望みの喜びよ」は本来≪聖母マリアの祝日用カンタータ「心と口と行いと生きざまは」BWV147≫ の最終楽章「イエスは変わりなき我が喜び」として歌われるもので、そのコラール「我が気分よ、愉快になれ」の旋律はヨハン・ショップが4拍子で書いた物をJ. S. バッハが3拍子4声の合唱に編曲したものとのことで確認中。また歌詞に関しては既存曲の歌詞を編詞する専門業者がおり、J. S. バッハも1人で全ての作品の作詞を行ったわけではない。「マタイ受難曲」の作詞も同様で、他に世俗曲の「コーヒー・カンタータ BWV211」の台本も同一人物が手がけている。共に独語が使用されている。

 宗教思想関連ではこの他にユダヤの神秘術カバラからの影響も指摘されている。カバラは万物の根源を火、水、空気に置き、それら3つを宇宙の創造の根幹ホア(Hoa)を中心とした三角形で説明する。4角形、6角形、5芒星、6芒星、7芒星といった図形もこの思想と関係しているようで詳細確認中。5芒星は現代でも所謂「星印」として国旗や様々なデザインに利用されている。また6芒星も国旗や物語等で使用されている。日本でも6芒星と同じ形の紋様があり、籠の編み目が由来とのことだが一方で厄除けのような意味も持たせている。

 なおJ. S.バッハの「敬虔な信徒」という姿が全面に押し出された印象はエスサー・メイネル(Esther Meynell)が1925年に出版した『バッハの思い出(アンナ・マグダレーナ・バッハの小さな年代記THE LITTLE CHRONICLE OF MAGDALENA BACH)』が史実と誤解されて広まった事によるものとのことで、この現象は戦後にも残り、又和訳も出版された事で日本にも影響を及ぼしているようだ。

 「音楽の父」という形容に関しても、日本独特のもので『銭形平次(ZENIGATA HEIJI)』の作者として知られる野村胡堂(, 野村あらえびす)発案との情報があり確認中。

 この他L. v. ベートーヴェンが「(一般名詞の)バッハは小川だが、(J. S. )バッハは海だ」と言ったとされるようだが出典確認中。これは独語で「Bach」が「小川」を意味することを家名にかけた表現だが、現在この家名は「小川」由来ではなく「パンを焼く」という意味の「バヘンbachen(現代独語ではバケンbacken)が由来と考えられている。先祖のファイト・バッハ(Veit Bach)は白パン職人で、副業でツィター奏者もしていたとされる。白パンは農村でも生産されていたが都会に出荷される高級品で一般的には黒パンが食されていた。日持ちするように固く焼き固めて雑穀と共にスープやビールに漬けて食べる習慣が19世紀まであった。なおファイトの綴りはfightではなく、ミドルネームにイッパツ(Ippatsu)もないので鷲のマークの大正製薬の製品と混同に注意。

 音楽的にはバロック音楽も晩期に当たり流行からはやや遅れた時期だった事や異色の部類にあったことから万人受けの音楽家というよりは一部玄人に熱狂的なファンを持つマニア向けの音楽家だった向きもある。現在でも多く聞かれる「複雑」という批判は生前から既にあったようで、1737年に理論家シャイベが「バッハの音楽は複雑過ぎ、自然さを欠いている」と指摘、大学講師ビルンバウムを通じて「技巧は自然さを助ける」と反論したという情報があり詳細確認中。これは元々の対位法が時代を経て複雑化していった点もあるが、飾らない自然主義啓蒙思想が上流階級で流行し始めていた背景もある。但し「質素」と言われる森の中に建てられた離宮でも同時代の日本の武家屋敷や茶室と比べると遥かに派手で装飾的になるので表現の読解には相対化が必要となる。

 鍵盤作品は出版・流布の傾向があったことからオルガン奏者として特に知られ、小指の使用を回避する為や基音を鳴らす為といった限定的な目的で使用されるのが通常だった足鍵盤に独立のパートを当てて旋律的に使用、手鍵盤の音域より高くなる事もある等多声楽曲の追求に必要な技巧的奏法の開発・習得を行っていたという。但し手鍵盤より高域になる足鍵盤自体はJ. S.バッハが開発した物ではない。

 リウトに関してはJ.S.バッハ自身も所有はしていたようだが、実際に弾いていたかは不明。ただラウテンヴェルク(Lauten Wercke)と呼ばれる獣腸弦または真鍮弦を張った鍵盤楽器を考案・導入している。鍵盤でリウトの様な音を出そうとしていたとみられるが、現存はしておらず詳細不明。20世紀後半には18世紀初頭の製作家J.F.フライシャーの記述からルドルフ・リヒター(Rudolf Richter)が復元楽器を製作、そこでは複弦リウト形ラウンドバック響胴が採用されている。現在「リュート組曲 第2番」としてリウトや6単弦モダン・スペイン・ギター等で演奏される事の多い「組曲 ホ短調 BWV 996」も写本に書かれた指定楽器はラウテンヴェルクで、リウトで楽譜通り演奏するのは困難とされている。リウトは独語ではラウテと呼ぶ為、ラウテンヴェルクがリウトのことだと考えられていた時代があったようで、「リュート組曲」とされたのもそれが理由のようだ。現在では別物とされているので文献で原曲の情報を辿る際は混同に注意が必要となる。

 尚門下のR.シュトラウベやヨハン・ルートヴィヒ・クレープス(Johann Ludwig Krebs)、法律家でもあったヨハン・クリスティアン・ヴァイラウホ(Johann Christian Weyrauch)等はリウト奏者。J. Ch.ヴァイラウホはJ.S.バッハが作曲した「通奏低音無しの独奏ヴィオリーノによるソナタ第1番(Sonata 1ma à Violino Solo senza Basso, 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番 ト短調 BWV1001)」の第2曲「フーガ」を編曲した「ラウテの為のフーガ ト短調 BWV1000(Fuga für Laute g-moll BWV 1000)」の指位譜を書き残している。また「パルティータ ハ短調 (リュート組曲 第2番 ハ短調 BWV997)」の指位譜も書いて部分的に現存しているようだが、5線音程譜写本では鍵盤楽器が指定されており、実際にリウトでそのまま演奏するのは困難とされている。この他「通奏低音無しの独奏ヴィオリーノによるパルティータ(無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番 ホ長調 BWV1006)」を編曲した「リュートの為の組曲 ホ長調(リュート組曲第4番 ホ長調 BWV1006a)」も楽譜通りのリウト演奏は不可能という指摘がある。

 「6つの組曲(無伴奏チェロ組曲第5番 ハ短調 BWV1011)を編曲した 「リュートの為の組曲 ト短調(リュート組曲第3番 ト短調 BWV995)」はリウト曲と断定されており、J. S.バッハの自筆5線音程譜の他にリウト奏者アーダム・ファルケンハーゲン(Adam Falckenhagen)による指位譜も残されている。A. ファルケンハーゲンが曲集を出版していた版元のヤーコプ・シュースター(Jacob Schuster)を通じて両者は何らかの関係があったようだ。通常は13コース・バロック・リウトで演奏されるが、ルネサンス調弦のアルチリウトでも弾けるという指摘もある。また「リュートの為のプレリュード ハ短調(プレリュード ハ短調 BWV 999)」もリウト曲と断定されているが、これは筆写したヨハン・ペーター・ケルナー(Johann Peter Kellner)が編曲した可能性も指摘されている。

 通常は古楽復元演奏用として利用されるが、現代の通常の楽器と同様に扱う音楽家もいるようで、歌手&ベース・ギター奏者のスティングが歌曲伴奏で用いた事がある他、ギター&リウト奏者エディン・カラマーゾフ(Edin Karamazov)の13コース・アルチリウトを伴奏に「アローン・ウィズ・マイ・ソウツ・ティス・イヴニング(Alone with My Thoughts This Evening)」を歌っている。E. カラマーゾフは独奏としてもイタリアの作曲家・ギター奏者カルロ・ドメニコーニ(Carlo Domeniconi)作曲の6単弦モダン・スペイン・ギター曲「コユンババ(Koyunbaba)」を14コース・バロック・リウトで演奏している。これは 作曲者が長期滞在経験のあるトルコの音楽を取り込んだもので、D調弦を基本とするバロック・リウトと相性が良かったことが理由と思われるが、 嬰ハ短調調弦とする記事とオープン・ニ短調調弦とする記事があり確認中。同様にJ. S. バッハのオルガン曲「トッカータとフーガ ニ短調 BWV565」もリウト独奏されている。当曲は一般的にも知られている楽曲で日本では「鼻から牛乳」の歌詞も作られたことがあるが、形式の特徴から学者の間では以前から偽作説が根強いとの事で、ヴィオロン曲の編曲物という説もあるとのこと。E. カラマーゾフは居酒屋で耳にした民謡の旋律を編曲したのではないかと推測している。

 一般的に知られるものでは他に「G線上のアリア」があるが、これはウーズィンゲン出身のアウグスト・ヴィルヘルミ(August Wilhelmj)が19世紀にヴァイオリンとピアノ伴奏に編曲したもの。本来は「管弦楽組曲第3番 ニ長調 BWV 1068」の第2曲「エア」。但し「管弦楽組曲」は1~4番まであるものの、元来別個に存在していたものを後になって序列化・番号添付して出版しただけ。また題名も独語では当時から単に「序曲(Ouvertüre)」と呼ばれていたようだ。この題名も組曲内の各曲名を並べた原題の冒頭にあるフランス風序曲だけを残した略称で、元々は「序曲、クーラント、ガヴォット、フォルラーヌ、メヌエット、ブレ、パスピエ」、「序曲、ロンド、サラバンド、ブレ、ポロネーズ」、「序曲、エア、ガヴォット、ブレ、ジーク」等となる。

 また出身地アイゼナハにあるバッハ博物館の建物はかつて生家とされていたが現在では否定されているようだ。晩年はライプツィヒの聖トーマス教会学校内に住んでいたが、現在は図面のみで当時住んでいた建物は残っていない。それ以外の時期については具体的な居住場所が判明しておらず様々な説が飛び交っている。

E1 F1 G1 A1 B1 C2 D2 E2 F2 G2 A2 B2 D3 F3 G3 A3 B3 D4 E4 F4
Arciliuto in Dm
※⑫=B♭1、⑨=E♭2の場合も。
Russian
全音階調弦
半音階調弦

D2 G2 A2 C3 D3 E3 F3 G3 A3 B3 D4 G4
Tenor Lute
Bass Lute
4度上げ
5度上げ
 ティオルバは13~14コースで、主弦6列~8列に5~8列の浮遊弦が加えられており1~2列目が通常のリウト等よりオクターヴ低い凹形調弦をとる。オペラ伴奏用に開発された大型のリウトで弦長が主弦で890㎜、浮遊弦で1600㎜にも達する。16世紀後半にローマのイル・ハルディ(アントニオ・バルデーリャ"Il Haldi" Antonio Bardella)が考案した、1589年頃メディチ家の婚礼のための大祝典音楽劇「インテルメディ」のために開発された等と言われているがはっきりしていない。 前身は通常のルネサンス・リウト、合奏におけるテノール・リウトより4度低い弦長約800㎜のバス・リウトで、大型故大音量 だったことから、4度または5度上げて声楽の伴奏用に用いられたという話があり確認中。その際高音弦の耐久性の問題があるところから、1~2列目をオクターヴ落としているのが特徴。 この点で高音弦に問題が無かった場合、アマート調弦の5複弦ギターが可能になる。スペインでは良質の獣腸弦が生産されていたとする説や、初期の5複弦ギターが弦長715㎜という大型の物も存在していた点でバス向け楽器の音域上昇という可能性が出てくるため調査中。

 当初はキタローネ(Chitarrone)と呼ばれた。これは「大きなキタラ」という意味になるものの、構造的には古代のキタラとは関係なく、ギリシャ悲劇の伴奏がキタラで行なわれていたこと、初期のオペラ劇は古代ギリシャ悲劇の復原を目的としていたことが理由と言われている。 ただイタリア語では木箱に糸状のものを幾つか張った道具を単純にキタッラと称し、手動パスタ麺製造機を指して使う場合等もあることから、「大きめの撥弦楽器」程度の意味で使っていた地域があっただけという可能性もある。詳細確認中。尚20世紀前半のM. マッカフェッリ製9単弦ギターもイタリアではキタローネ・メッツァ=リラ(Chitarrone mezza-lira)と呼ばれた。

 1650年頃までにティオルバの名称が一般的になっており、ローマ・ティオルバ(Lang Romanische Theorba)とも呼ばれることからローマを中心に使用されていたようだ。 しかしそれまでのリウトに比べ低音が豊かで大音量だったことからオペラ伴奏の他通奏低音で広く用いられ、合奏においてヴィオロンチェッロ・パートの代替とされることもあったという。初期の奏者としてはヨハン・ヒエロニムス・カプスベルガー(Johann Hieronymus Kapsberger)など。地名が冠されるものでは他にパドゥア・ティオルバ(Paduanische Theorba)があるが、こちらはキタローネよりやや小ぶり。似たような物に テストゥード・ティオルバータ(Testudo Theorbata, Laute mit Abzügem)という物も存在するが、詳細確認中。

 コラシオーネはティオルバの亜種で18世紀前半まで通奏低音楽器として利用されていたという。G.メルキの兄弟はコラシオーネ奏者だった。また東欧や中央アジアで使用されているタンブール等の長棹撥弦楽器等とも似ており、関係の有無は確認中。中世イタリアではヴェネチア共和国やジェノヴァ共和国、ピサ(Pisa)公国、フィレンツェ共和国といった北イタリア諸都市が地中海商業圏を形成しており、西は地中海岸・島嶼部を通じてイベリア半島と、陸路ではシャンパーニュ地方(Champagne)の定期市やロンドン、またフランス及び南ドイツのアウグスブルク(Augsburg)やニュルンベルクを経由してハンブルク(Hamburg)や 盟主リューベック(Lübeck)、ブレーメン(Bremen)といった北ドイツ諸都市及びヘント(Ghent, ガン, ゲントGent)、ブリュージュ(Bruges)、アントウェルペン(Antwerpen, アントワープAntwerp)といったフランドル地方(Flandre, フランダースFlanders)等を主力とする 軍事・商業組織ハンザ同盟が支配する北欧商業圏との貿易が行なわれていたが、東方もシルクロードを通じてコンスタンティノープル等の東ローマ帝国、アンチオキアやダマスクスといった小アジア諸都市や更には中東・南アジアまで、またキエフ公国やノヴゴロド公国といった中央アジア諸国、更には中国まで交易商人が進出していた。特に7世紀末から19世紀半ばまで存在したヴェネツィア共和国(Repubblilca di Venezia)は11~14世紀頃強力な海軍や商船によって東方貿易を独占していたことから、当時欧州よりも発展していた地域から科学技術や資源、工芸品や農産物と共に音楽や楽器等も持ち込まれていたと思われる。詳細調査中。

 大航海時代以降は経済の中心が地中海からセビージャやリスボン(Lisbon)といった大西洋岸へと移行、更にスペインやポルトガルに代わってオランダやイギリスが台頭したためアムステルダム(Amsterdam)やロンドンが中心となっていく。 楽器面ではヨーロッパの内陸交易の結びつきと呼応するかのように仏伊、更に独墺が中心となっていくが、英西での楽器は海洋交易 とともに南北アメリカに広まり現地で主力となっている。有棹撥弦楽器の場合イギリスは北米東岸に影響を与えているが、イギリス自体はドイツ方面からの影響が強く、ドイツ方面ではイタリアからの影響が強く、イタリアへはバルカン半島や小アジア方面からの影響が伝わっているようだ。スペインの場合は主に北アフリカからとイタリアからの流入が多く、その後イギリスやフランスにも若干影響している他、南米ではアルゼンチンに、中米ではメキシコやキューバ等を経て北米の西部・南部へと広がっている。ロシアへは西アジアから中央アジアを経て伝わったものと、独墺から東欧を経て伝わったもの、また18世紀にロシア宮廷がフランス宮廷に影響されたことからフランスの影響もあったようだ。日本の場合は中国から朝鮮半島を経るもの、直接九州や畿内に伝わる物、南部から琉球を経由して広がっているものがある。中国東北部から東北日本海側、カムチャツカ方面から北海道といった人の流れもあったようだが、楽器の伝播等もあったのかは確認中。

? G1 A1 B1 C2 D2 E2 F2 G2 A2 C3 D3 E3 F3 G3 A3 B3 C4 D4 E4 G4
Arciliuto in G
※⑭=F#、⑪=B♭1、⑧=E♭2の場合も。
Taraffo
Tiorba

 各種リウトの大まかな分類及び特徴については下記の通り。ただし実際には中間種的な楽器も多数存在し、年代や地域、用途に合せて調律やサイズ、名称が組み替えられていたと考えられるので、あくまで目安といったところ。

俗称 時期 用途 調弦 備考
Renaissance Lute ~17c. 独奏、歌曲伴奏 G他 一般に「リュート」と言った時にイメージされる物。
17c.初 同属合奏 G他 ソプラノ、アルト、テナー、バス等の各種サイズあり。
17c.初 通奏低音 G 家庭、サロンなど小規模な会場で使用。
Baroque Lute 17c.~ 独奏、通奏低音 Dm 独奏用。狭い空間では通奏低音でも使用。
Arciliuto 短棹: Liuto Attiorbato 17c.前 独奏 A 浮遊弦も複弦だが現代では巻弦を単弦で使う場合も。
長棹 17c.半~ 合奏、通奏低音 G 大型だがキタローネよりは小さい。
イタリアでは18世紀以降特に利用される。
テオルボ ティオルバTiorba 16c.後~ 通奏低音、オペラ伴奏、合奏 A 一般に「テオルボ」と言った時にイメージされる物。
1~2列目オクターヴ下。最大型。大音量で全欧で使用された。
当初はキタローネとも呼ばれる。
テオルブThéorbe 18c. 通奏低音 A 1列目オクターヴ下。大型だがキタローネよりは小さい。
テオルベTheorbe 大型 18c. 通奏低音 Dm 1~2列目オクターヴ下。蛇行した拡張弦蔵が特徴。
小型 18c. 独奏 Dm
シオーボTheorbo 17c.後 通奏低音 G 1列目オクターヴ下。変記号が多い調の楽曲に有効。

 通奏低音自体は16世紀後半頃、声楽にオルガンが入り始めた際に鍵盤編曲の手間を不用にするため記号化されたところから生まれた作曲法で、旋律より低声部を軸に発想するがJ.S.バッハは低声部自体に旋律的な要素を持たせるようになり、室内楽や管弦楽で内声や旋律が独立した動きをとるようになると衰退していった。5複弦ギターも通奏低音楽器として利用されたが、音域が狭いため上部の和音のうち根音とオクターヴ関係にある音を省略し、残りをオクターヴ下げた形で主にリズムを主導する役割を持ち、代わりに低音を補強する楽器を別に伴っていたようだ。6列目追加の動きは内声部の独立及び通奏低音の衰退、リウトの衰退、独奏の為の低声部演奏可能化、伴奏における音量の増加といった要素と絡んでいる可能性もあり、調査中。

 ただ通奏低音衰退の速度は分野によって差異があり、古典期に入っても完全に絶滅したわけではなかったとみられる。パリ・オペラ座では1800年になっても通奏低音奏者が所属していたという。ギターでも通奏低音の技術が長らく奏者の間に継承されていたようで、 J.A.ヴァルガス=グスマンが18世紀後半に6複弦ギター用通奏低音教本を出版している他、19世紀前半にはF. M. カルッリが親指による押弦を利用するケースとして通奏低音に言及している。M.カルカッシの教本では旋律と伴奏が一体化し低音部の独立した動きは現れない、ハ長調から始まる、4fまでの曲ばかりで、逆にD.アグアドの教則本では高音と低音が体位的に動くという指摘がある。これがそれぞれ元になったF. M. カルッリの通奏低音や多弦ギターの影響、F.モレッティの影響なのかは確認中。

 交響楽団でも指揮者が鍵盤楽器を使用して指揮を行うスタイルが19世紀前半まで残っており、その際通奏低音が用いられた。ちなみにチェンバロ奏者がギターを持ち、普段の感覚で通奏低音に使われる和音をオクターヴ処理せずそのまま演奏しようと思うと、運指の関係上6列目が必然的に欲しくなる。このためリウトやギター等では用法が鍵盤楽器と若干異なり、教則本等でも別個に論じられることが多い。現代でも鍵盤楽器と関わりを持つギター奏者はエレクトリックやアコースティック、プライムギターやベースギターを問わず音域を拡張する傾向が特に強く、低音拡張のため多弦化、高音では同一ポジションでの高音拡張目的でA4弦追加、全体の高域拡張としてフレットの追加が行なわれる。

 通奏低音に関しては、最低音としてC音が出せることが重要でヴィオロンチェッロやF管バス・トロンボーン、F管運指のファゴット、E鍵でCが出せるショートオクターヴ調律の鍵盤楽器、バセット・ホルン、セルパン、バス・ホルン、バス・オフィクレイド等の楽器は全てこの音を確保しているという指摘がある。確かに11コース・リウトや5コース・バロックギター、7単弦バス・ヴィオル、ヴィオローネでも最低音近辺で確保されており、これらの楽器の多くはC2音が出せることから、ここで言われているC音とはC2を中心に、そのオクターヴ補強相当の音と思われる。ところが通奏低音楽器としてよく利用されていた6単弦バス・ヴィオルの場合最低音はD2となっており、C3を基準に考えたとしても弦列が更に2列追加された状態になっている。 この点については、通奏低音確立以前からの名残という可能性もあるが、一方でC3の下属音としてF2を必要としたという考え方も出来る。一般に下属音は主音の4度上の音で解説されることから、主音の5度上にある「属音より下」に位置するという意味で捉えられることもあるが、本来は「主音より5度下にある属音」という意味で、Cを基準とするとFに相当する。鍵盤楽器でも低域が本格的に拡張され始める19世紀前半まではF1を最低音とする楽器が多かったこととも辻褄は合う。ただ仮にそうだとしても同じく通奏低音楽器として利用されていたティオルバでは13コース仕様でA1を、14コース仕様でG1をブルドンにとっており、属音や下中音という見方から属和音や短和音での主音代理機能等で説明が可能かも知れないが、そうなると結局殆どの楽器が通奏低音に適した仕様と言えてしまう。この点に関連してチェンバロを含む合奏ではD音やその5度を鳴らして各楽器がそれに同調することも行なわれており、バス・ヴィオルやバロック・リウトではD調弦をとり、管状吹奏楽器ではクラリーノに使用するD3管トランペット、D3管クラリネット等が存在する。 18世紀の6単弦ギターも当初は6列目をG2とすることが多かったとのことで、3列目D3と対応しての低音追加の可能性もあり確認中。同時期の7単弦ギターは7列目にD2をとるのが一般的。

 C音とD音という組み合わせで考えると、調性が増加する17世後半までは基本音階を長短の分類で言うハ長調とニ短調に置き、短調ではフラット系の調号の数が1つ少ないドリア式記譜法等も用いられていたという事情が関連している可能性があり、確認中。ハ長調とその平行調であるイ短調が主流になるのは1690年代からとのこと。

 13単弦ギター
Weißgerber

 ヴァイスゲルバーに1940年製主弦6列浮遊弦7列20f13単弦仕様が存在。またP. O. ヨンソンは11単弦アルト完成までの過程で13単弦を試しているとのことで、G.ボーリン製も存在しているはずだが、詳細確認中。

メモ

13単弦
 13弦アフガン・タンブール(Afghan Tanbur) 弦長555㎜ 全長700㎜ 13f~ 9共鳴+3ドローン+1主弦 ①②ユニゾン
 カシュガル・ドラン・ラワープ(Dolan Rawap)  弦長780㎜ 全長920㎜ ?f 10共鳴+2ドローン?+1主弦
 西ヨーロッパ・ハープ・ギター(Harp Guitar) 19f 7浮遊バス+6主弦

13コース18弦
 イタリア・大型コンティヌオ・アルチリウト(Arciliuto) 弦長680/1040㎜

13コース25弦
 イタリア・リウト・アッティオルバート(Liuto Attiorbato) 弦長570~640/800~890㎜㎜ 全長1140㎜ 10f
 ドイツ・バロック・ラウテ(German Baroque Laute) 弦長700/900㎜

14単弦
 14弦アフガン・ラバーブ(Afghan Rabab) 弦長610㎜ 全長800㎜ 4f 9共鳴+2ドローン+3主弦
 アフガニスタン・14弦ヘラート・ドタール(Herati Dutar) 12共鳴+2主弦
 西ヨーロッパ・ハープ・ギター(Harp Guitar) 19f 8浮遊バス+6主弦

14コース
 イタリア・キアローネ(Chitarrone) 弦長890㎜ & 1600㎜

14コース21弦
 イタリア・ティオルバ(Tiorba) G1-A1-B1-C2-D2-E2-F2-G2-A2-D3-G3-B3-E3-A3



 15コース以上
 15コース以上のリウトについてはキタローネ登場初期から既に存在していたようで、J.H.カプスベルガーは19コース・キタローネを使用していたようだ。

 M.メルセンヌは1630年頃15~20コースのリウトが試作されていたことや扱いの困難さも指摘しているが、その後も15コースを超える楽器は登場し、ティオルバの亜種にアンジェリク(Angelique, Angelicc)と呼ばれる16~17単弦の全音階調律の楽器が存在。これは17世紀末ライン宮中伯領(Kurpfalz, プファルツ選定侯国)出身でアムステルダムやスフラーフェンハーヘ('s Gravenhage, ハーグHague, デン・ハーフDen Haag)にて活動した作曲家・器楽奏者ニコラス・デロジエール(Nicolas Derosiers)が開発した物で、「アンジェリクのための組曲 作品5」等の作品も遺している。

 多弦仕様やテオルボ化の現象はリウト衰退の後も18世紀頃からギターに受け継がれ、19世紀以降もギターで15コースを超える仕様が登場し現在でも使用されている。西ヨーロッパのギターやリウト以外ではウクライナ・バンドーラがアルプス・チターを斜傾抱撮で演奏した状態に似ており、片手で桿棹上の押弦と撥弦を行い、もう片方の手でドローン弦を演奏する。

 この他右用の主弦10列浮遊弦2列9f12複弦シオーボと左用の9f11複弦リュートを響胴底部で連結させた「ダフネ(Daphne)」と呼ばれる双胴リュートも1676年頃Th.メイスが製作し使用していたようだ。このような形状の楽器は 現代のエレクトリック・ギターにおいても、アメリカのギター教師・奏者マイケル・アンジェロ・ベティオウ(Michael Angelo Batio)やイタリアのソニー・ロンバルドッツィ(Sonny Lombardozzi)が双胴双棹仕様(「Other I 」参照)を、S.ヴァイが双胴三棹仕様を所有している。

C1 D1 E1 F1 G1 A1 B1 C2 D2 E2 F2 G2 A2 B2 C3 D3 E3 F3 G3 A3 B3 C4 D4 E4 A4 C5 D5 E5
Swedish Lute
半音階調弦
Kapsberger
全音階調弦

メモ


15単弦
 ウィーン・シュランメル・ギターレ(Schrammel Gitarre, Kontra-gitarre) 弦長620、660~840㎜ 全長1090㎜ 無柱+19f 9浮遊+6主弦
 西ヨーロッパ・ハープ・ギター(Harp Guitar) 19f 9浮遊バス+6主弦
 スウェーデン・リュート(Swedish Lute) 7浮遊バス+34ス+4主弦 A2-B2-C#3-D3-E3-F#3-G3-A3-B3-C#4-D4-E4-A4-C#5-E5

17単弦
 17弦アフガン・ラバーブ(Afghan Rabab) 12共鳴+2ドローン+3主弦

19単弦
 ヒンドスタン・シタール(सितार, Sitār) 弦長785㎜ 全長1100㎜ 19f 3主弦+4ドローン+12共鳴
  ヒンドスタン・スルバハル(Surbahar) 19f 3主弦+4ドローン+12共鳴
 ヒンドスタン・ヴィチトラ・ヴェーナ(Vichitra Veena) 無柱 7主弦+12共鳴

20単弦
 南インド・ゴットゥ・ヴァディアム(Gottu Vadyam) 無柱
 インド・モハン・ヴェーナ(Mohan Veena, Indian Slide Guitar) 弦長660㎜ 全長1050㎜ 22f 3主弦+5ドローン+12共鳴 ヴィシュナ・モハン・バットゥ(Vishna Mohan Bhatth)発案。
23単弦
 ヒンドスタン・サロード(Sarod) 弦長640㎜ 全長1150㎜ 4主弦+2シカリ(Shikari)+4ドローン+13共鳴

32単弦
 オーストリア・コンツェルト・ツィター(Koncert Zither) 弦長430㎜ 全長550㎜ 29f 27浮遊+5主弦


Mandlute
28f5複弦マンドリュート。宮崎県の米丸健二製作リュートモデルノシリーズの1本。
#9410
安田守彦依頼、長野県の内田光広製作の19f24単弦二重表甲ギター。1994年10月完成。ハープ部は全音間隔で糸巻はLSRで全体ではE1~B6まで5オクターブ半の音域を持つ。 PUはギター部マグネットがSunrise、ベース部にM-factory製が2機、ギター&ハープ部に1機搭載。価格はPUを除いて 約130万円。
#9506
安田守彦依頼、長野県の内田光広製作の22f30単弦ギター。1997年7月完成。和音ハープは左がオープンC、 右がEからBの1オクターブ半。表:シトカスプルース、横裏:インディアン・ローズウッド、棹:マホガニー、PU:M-factory製2チャンネル(ギター部マグネット:Sunrise)。価格はPUを除いて約100万円。
Picasso Guitar
L.マンザー製作、P.メセニー所有の3棹42単弦ギター。6単弦ギターに弦長の短い6複弦3組という構成になっており、ギターに出来るだけ多くの弦を張るというコンセプトの元に製作された。
Guitarangi da Gamba
フレッド・カールソン(Fred Carlson)製作のギター風にカッタウェイが導入されたバス・ヴィオル。擦弦・指扱双方に対応可能になっている。弓奏楽器としての印象が強いヴィオルやヴィオロンも斜傾抱撮で指扱されることはあり、現在でも余興的に行なわれることがある。
 ついでなので細かい話ですが、「スカイギター」は商標になっていないようです。 商標権を主張するには商標登録が必要なのですが、「スカイ」という 単語があまりに普通過ぎるので、仮に申請しても認められるかどうかは 怪しいところです(商標法第3条第1項第4号)。

第三条 自己の業務に係る商品又は役務について使用をする商標については、次に掲げる商標を除き、商標登録を受けることができる。
 四 ありふれた氏又は名称を普通に用いられる方法で表示する標章のみからなる商標

 昔任天堂が「family computer」を登録しようとして拒絶されたという話も あったそうです。造語である「ファミコン」はOKだったようですが。

 それから指板のフレット配列法に関してはいつか書いた記憶がありますが、 マンドリンで行われているので新規性要件から外れ、特許にはなりません。 また、著作権に関しても美術上のデザインではなく技術上の観点から導かれた デザインに関しては著作権を認めない、という判例が過去にありました (家のどっかに資料残ってると思うので今度探しておきます)。ウリが32フレット や全音間隔にしたのは別にスカイギターという作品を作るために必須のデザイン というものではなく、 ソプラノ・ヴィオロンの音域を弾くための必要上のものなので32fだからという 理由だけで違法スカイ だ、という理屈は認められにくいと考えられます(実際スカイは30f、パープルは 27f、エンペラーは32f、マイティ・ウィングとデスティニーが31fと フレットの数はバラバラ)。

 スカイの著作性を考えるときに重要なのがあの特徴的な響胴形状です。 それに関して参考になるのがギブソン訴訟の時に普通のカタログ以外に 「レスポールの形状」を 示す手段として使われた裁判での証拠資料ではないかと思います。

控訴人製品目録一  控訴人製品目録二  控訴人製品目録三

 これら3点が資料として提出されているところをみると、ギターの「型」が 個性を特定する重要な手がかりと考えられるている節があります。ですから、「公で使った人は犯罪になるが、作ること自体は違法ではない 」とか「色が違えばOK」と一部の工房が主張していることは明らかに間違い であると言えるでしょう。なぜなら、ギターを作る際に「型」を作るじゃ ないですか。型を作った時点で「複製権の侵害成立」です。また、工房で製作する場合は依頼主に有償で引き渡していますから私的複製として個人的に楽しむというよりは不当利得を得ている・・・となってくるでしょう。

 もちろんギターにのっかっている装飾品や色の組み合わせも重要になりますが、 少なくともフレット数が関係ないことはお分かりいただけることと思います。 逆を言えば、22fのギターでもスカイと同じ響胴意匠だった場合は「違法スカイ」 になるということです。

 知的財産法について、著作権法・特許法・商標法に関わる話は何度か しましたが、他にも法律はいくつかありまして、ことスカイギターに絡みそうな 法律といえば、意匠法、不正競争防止法、実用新案法です。

 ここではそのうちの意匠法関わる裁判について。

 意匠とは要するにデザインのことです。製品等のデザインを権利として保護しよう というもの。スカイギターについての強力な権利を主張しようとすれば、意匠権登録 という方法が考えられるのですが、実際に登録されているかどうかはまだ 把握していません。

 さて、判決というのはギブソンが或るギターについて意匠登録が なされたことの取消しを特許庁に求めたのですが、審決では認められず、 東京高等裁判所に判断を委ねることになりました。審決の資料がないので私も詳細は分からないのですが、判決文を読むと「ダブルカッタウェイ」で「fホール」 があるということがわかるのでセミアコギターのことなのかな?と思います (そこで荒井貿易のHPに行ってみると、TAシリーズというギターがあり ました。→http://www.ariaguitars.com/jp/02prod/01mi.html#0101eg参照)。

 判決はギブソンの負け。詳細は以下のとおりです。

H13.11.13 東京高裁 平成13(行ケ)275 意匠権 行政訴訟事件

 読み辛いという方には、今度比較表を提示しようかと思いますが、ギターが好きな 人にとっては「当たり前」の違いが一般的な判断では「変わらないも同然」って 感じになるのでなかなか面白いです。おそらく「何で?納得できん!」と 思う方もいるんじゃないでしょうか?

 とりあえずこの裁判所が示している一般論を以下に抜粋しておきます。

第5-1-(1)  意匠が類似するか否かは、全体的観察に基づいて両意匠が看者に対して異な る美感を与えるか否かによって判断すべきであり、両意匠に共通する構成の中 に、当該物品に一般的な形状が含まれているとしても、そのことから当然に、 意匠を観察する場合にその一般的な形状を除外ないし捨象して意匠の類否を 判断すべきであるということにはならない。意匠法にいう意匠とは、意匠の創 作として秩序立てられた1つの全体形態としてのまとまりをいうのであるから、たとえ、当該物品に一般的な形状であっても、その部分を含めた全体が意匠と してのまとまりを形成している場合には、当該部分を含めた全体としての両意 匠の構成態様を対比し、類否の判断を行うべきである。
 これをスカイギターがらみでいえば、デザインというのはあくまで全体を見て判断するものだ、ということがいえますよね。「フレットだけ同じだ」とか「ヘッドだけ同じだ」と部分だけを見て類似かどうか判断するものではない・・・ということです。 あくまで意匠権での議論ですが。


 簡単ではありましたが、スカイギターについて書いてみました。誤記やここで触れられていない情報がありましたらぜひとも教えてください。

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*13  0.006吋(0.1524㎜)ゲージはその後生産中止になり、1993年以降D'Addario製0.007吋(0.1778㎜)を使用して全弦短2度下げ、更に 現在はバンジョーの5列目等で使われる通常の0.008吋(0.2032㎜)ゲージで全列長2度下げ(D2~G6)としているとのこと。
N.コストとギター。左から24f 7単弦、22f 11単弦、17f 6単弦、19f 5単弦(本来は5複弦)
*14  18~19世紀の7単弦以上のギターを使用した形跡のある主な奏者は以下の通り。
7単弦 F.ソル、M.カルカッシ(?)、N.コスト、M.ジュリアーニ、バシリオ神父、F.モレッティ、A.シハラ、S.アクセーノフ、V.サレンコ、I.v.ヘルト、ムルシアーノ、P. S.アガフォシン、N.アレクサーンドロフ、K.ドゥミトリエフスキ、A.ポポロフ、В.ルサノフ、В. マシュケヴィチ, P.ペットレッティ
8単弦 L. R. レニャーニ、G.レゴンディ、J.K.メルツ、J. M. d. シエブラ
9単弦 N.コスト、A.J.マンホーン、L. R. レニャーニ、L.モッツアーニ、J.パルガ、J. G. E.バイヤー、Pit.タラッフォ
10単弦 I.パドヴェシュ、J.K.メルツ、F. M. カルッリ、N.マカロフ、В.レベデフ
11単弦 A.J.マンホーン、N.コスト、J.M.トボソ、J.R.シド、E.ボー
14単弦 Pas.タラッフォ
*15  尚、西欧の一般的な現代楽器とスカイギターとの音域の比較については別表参照のこと。